近年の本願寺派教学に想う


相愛大学名誉教授 本願寺派司教
               紅楳英顕

親鸞聖人七百五十回大遠忌法要が円成し、宗門は『新たな始まり』が期されている。しかし、宗門の長期低落傾向は誰しも懸念するところであり、「念仏の声が時代と共に聞かれなくなった。800回大遠忌はもうこういう形では無理ではないか、と危惧する声も参拝者の間からは少なからず聞かれた」とも報じられている。
私も古稀を過ぎ、唯円が『歎異抄』を書くに当たり「露命わずかに古草の身にかかりて候ふほどに」と述べている心境にもなり、今宗門にとって一番大事なことは何であるかについての愚見を述べたいと思う。
結論をいえば宗門の責任者(行政面、教学面)は信心決定者でなければならない。少なくとも教学面の責任者はそうでなければならないということである。

龍大真宗学への疑問
私は前回の七百回大遠忌法要の前年の昭和三十五年四月に龍谷大学文学部に入学した。一回生の後期に伝道部に入部した。その時の顧問が真宗学の教授(当時助教授)であった。入部間もない時、教授は「君たちに有り難い話をして欲しいとは思わない」といった。法話とは有り難い話をするものだと思っていた私には意外なことであったので、私は教授の意とする所を尋ねた。ところが教授は大変不機嫌になったのである。この時私は、真宗学の先生でも信心決定者とは限らないのかなあ、と思った①。その後昭和五十三年、この教授は脳血栓で倒れ、それから一所懸命に聴聞に励んだがなかなか信心は得られなかったと自ら述べている ②。即ち信心不決定(未決定)のまま永年に亘って龍大で教鞭を執っていた訳である。これでは正しく教えが伝わる筈はない③。 また、昭和四十年の後半、現代教学の樹立を提唱する龍大真宗学の二人の教授が浄土真宗本願寺派宗制、第三章 教義に示されている信心正因、称名報恩義を批判した。これは二人が信心不決定(未決定)者であるため信前の念仏と信後の念仏との区別が出来ず、信後の報恩念仏が実感出来ていないが故である。 (詳細は稿「宗祖における信心と念仏」〈龍谷教学十三、昭和五十三年六月〉「宗祖における信心と念仏」二〈龍谷教学十五、昭和五十五年六月〉 に述べた。)。時代即応の教学の樹立ということは大事な課題ではあるが、信なきものが他者に信を伝えることが出来ないことと同様に、他者に信心を伝えるための教学も、信心決定者によってのみ樹立され得るものであり、不決定者によっては不可能なことなのである。
 これ等は昭和四十年代から五十年代の龍大真宗学の信心不決定体質の状況であるが、今もその体質に特に変化はみられない④。

勧学寮への疑問
龍大真宗学の二人の教授の信心正因称名報恩批判の問題は、昭和五十五年一月宗会で取り上げられた。しかし当時の勧学寮頭は両者の主張に対し、一人については異義断定保留、(昭和五十六年三月)、もう一人については疑義断定保留、(昭和五十六年十月)と回答したのみであり、具体的には何の指導もなかったようである⑤。上述のように私は両者についての根本問題は彼等が信心不決定(未決定)者であるが故と考える。この当時の勧学寮頭は「人を異安心ということは出来るが、無安心ということは出来ない」、「信は不覚」といっていた。私はこれに大変疑問をもった。親鸞聖人は『御消息集』に「未だ真実の信心をえざるがゆえなり」(浄土真宗聖典七三五頁)と他者に対して「信心未決定」(不決定、無安心)の意味の語を使われており、蓮如上人は「未安心のひと」(同一一五○頁)、信心未決定のひと」(同一一一二頁)等、諸処に無安心と同義の未安心、未決定の語を使用されているのである。また親鸞聖人、蓮如上人は信の慶びを諸処に語られており、「不覚」であるはずはない。「他者に対して無安心とはいえない」とか「信は不覚」等ということは親鸞聖人、蓮如上人の意に明らかに反することであり、信心不決定者の見解だと思う。この寮頭の『講座真宗安心論題』(教育新潮社)に「元来異端者といわれ、異安心者といわれるものは(中略)私たちの修する自力の行が役だつと思う思想と、肉体をもったままで悟りを開いた、という思想の二であるといってよいようであります」(一五頁)とある。この考えでは親鸞聖人、蓮如上人が戒められた信心不決定者は、安心上の問題はないことになる。先の二人の教授について何の咎めもない処置もこの故かも知れないが、果たして正しい裁断だったといえるのか、甚だ疑問の残るところである。(追註参照)
丁度この頃親鸞会(高森親鸞会)問題が起こった。当時私は伝道院(現・総合研究所)に勤務しており、対応メンバーの一人となったので、彼等の主張の宿善論と後生の一大事の解釈についての問題点を紀要に発表した。(昭和五十四年十二月)。これは紀要に出したものであり、教団内向けのものなのだが、親鸞会から質問状が来るようになった。私は答えるべきことには答えたが、彼等は自分達に都合の悪いことには承知せず。集団で本山に押しかけてくる事態も発生した。そこで総局の意により勧学寮頭と伝道院長(勧学)監修のもとに、私もメンバーに選ばれ、この問題についての解説書が作成された(昭和五十七年十二月)。私以外のメンバーによる『現代の教学問題ー派外からの論義についてー』と私の『派外からの異説について』である。ところが奇妙なことに、私の書いたものだけが別冊となっており、しかも勧学寮頭、伝道院長の監修にもなっていなかったのである。親鸞会の質問が続く場合は私一人の責任にするつもりだったのであろうか。(親鸞会発行の『本願寺なぜ答えぬ』浄土真宗親鸞会発行、昭和五十九年三月、二六八頁、の勧学寮頭の返信にその意がみられる。)。 
 ところが今(平成二十四年)は私の論文をみて私の考えに賛成し、親鸞会を脱会する者が多数いるのである。(これについては私のURLの第2面にある「親鸞会関係」⑥、に掲載。) これも勧学寮の信心不決定体質に起因した現象だと思う。

 この度、新勧学寮頭が誕生したが、信心不決定体質は一向に変わりはない。著よりみるに、 念仏の信前と信後の違いを全く認識出来ていない、信心不決定の寮頭といえる⑦。最近の『真宗学』第一二六号(平成二十四年三月)にも「私は回心を直線的時間の上に置くのもいかがと思います。三願転入のあの転入の時は(中略)、歴史家の詮索するところであって、行信論においてはそういうことを問題にしないというのが、私はよいと思います。(中略)ある時点で信心をいただいたことが分かるんだという方もおられると思いますけど、私はそうではない」(九三頁)と述べているように、二十願(信前真門自力念仏)から十八願(信後弘願他力念仏)への転入の事実を否定し、また信心獲得の確信(機辺の決定心)、をも否定しているのである。教学、安心の最高責任者がこのようなことでは宗門の将来に全く光はないと想う。(文中、礼を失する表現が多々あったかと思いますが、宗門を想うが故と御寛恕願います。)

尚、本稿に関連する論文として「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合ー」(日本仏教学会年報六六)、「信一念と信の覚不について」(日本印度学仏教学研究五五の二)等がある。

[本稿は2012年7月に脱稿したものである。ある宗教新聞に投稿したが、掲載されないようなのでここに公開する。2012年11月19日。紅楳英顕]

追註
 最近教授の一人の著『真宗求道学』(2011年<平成23年>9月発行、法蔵館)が出版された。そこでも信心正因称名報恩を否定している(160頁)⑧。現在も信心不決定(信心未決定)なるゆえに信前念仏(真門自力)と信後の報恩念仏( 弘願他力)の違いが分からず、報恩念仏の実感がないのであろう。
 尚、2011年(平成23年)6月からの 浄土真宗本願寺派宗法(変更)には、勧学寮の節に、従来はなかった新たな項目として「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する」(信心正因称名報恩を否定することは宗制に相異するのである。)が加えられている。この意味は極めて重い。(2012年12月18日)。

註 分かりよくするために加えた。
 ①この時既に入信(回心)体験をしていた私にとって、この事は大変意外なことであった。(「今想うこと」,「紅楳英顕学習会」等参照)。これ(教学担当の責任者が信心不決定 ・未決定)が当然となっているところが、現宗門の大きな問題点である。
 ②『病いに生かされてー親鸞を慕う人生ー』(樹心社、昭和62年4月発行)。「聞法の宗教」(『今、伝道が問われる』、龍谷大學伝道部編所収、3頁以下、永田文昌堂、平成8年11月発行)等。
 ③例。氏が発病した年に(恐らく発病直前に執筆)発表された論文に「真宗の無明義に関する一試論ー疑無明と痴無明の問題ー」(龍谷大学論集412,昭和53年5月。続・親鸞教義の研究、永田文昌堂、平成元年11月発行所収、209頁以下。)がある。真宗学で無明について疑無明(本願疑惑心)と痴無明(煩悩妄念心)とに分けることを 疑問視し、 とくに疑無明(本願疑惑心)という表現を問題にするものである。氏の指導を受けた龍大の教員は多いので賛成する人も多いようであるが、これは氏が救済体験のない信心未決定者である故に、親鸞聖人が『正信偈』に「獲信見敬大慶喜」と述べられている,煩悩具足の身のままで本願疑惑心が全くはれた、大慶喜の信心の慶びの実感が、ないことから生ずる謬見といわねばならないであろう。
  *私は昭和52年度の印度学仏教学会で「親鸞における疑蓋无雑について」(日本印度学仏教学研究26の1,昭和52年12月)を発表し、信心は 疑蓋无雑であり、痴無明と疑無明が混同されてはならない旨を述べた。 氏がその会場におられ「痴無明、疑無明といういい方は親鸞聖人にはないのだから、問題ではないか」といわれた。上の「真宗の無明義に関する一試論ー疑無明と痴無明の問題ー」は私に対する批判の意もあったと思われる。「近年の本願寺派教学に想う、追加」参照。
 ④現在の龍大真宗学の教授等教員殆どが、直接、間接に、この三人に大きな影響を受けている。
 ⑤異義、疑義断定保留に条件として「今後の二人の教学活動を見守る」ということであったが、何の見守りもなかったようである。その後二人は教団の基幹運動等の委員に選ばれたり、一人は1995年(平成7年)4月監正局長に就任したりした。
 ⑥親鸞会問題関係リンク
 ⑦『浄土文類聚鈔講讃』(永田文昌堂、平成16年7月17日発行)。「親鸞における回心について」(真宗 研究41輯、真宗 連合学会、平成9年1月発行)等。下の(2013年12月22日)記 参照。、
 ⑧「今日の西本願寺教団の伝統教学では、信心とは名号を受領することであって、称名とは信心以後の報恩行であるといい、信心正因称名報恩を主張して、信心(信)が前で称名(行)が後である、信前称後であると語っていますが、この『末灯鈔』の文(真聖全2の672。註釈版なら『親鸞聖人御消息』七、749頁以下。)はどう読むのでしょうか。信心正因称名報恩の教義理解が、親鸞の本意からすれば全くの誤謬であることは、きわめて明白でしょう。」とある。「続・近年の本願寺派教学に想う」参照。

新宗法の下、信心正因称名報恩批判者に対し、早急に教諭し、永年に亘ったこの問題を解決することを、総局には2013年3月18日、勧学寮には同7月5日にお願いした。
拙稿「宗祖における信心と念仏」〈龍谷教学十三、昭和五十三年六月)がネットに出されました。(2013年8月24日)。

本稿の内容に関連する「今想うこと」を龍谷大学伝道部創部八十周年特別号(永田文昌堂、2013年9月発行、74頁以下)に発表した。


Face Bookに下記の文を載せた。(2013年12月9日)

今も「信心正因称名報恩の教義理解が、親鸞の本意からすれば全くの誤謬であることは、きわめて明白でしょう。」(『真宗求道学』、2011年<平成23年>9月発行、法蔵館、160頁。)と、信心正因称名報恩が親鸞聖人の意に反するといい続ける 人がおり、その影響を受けている人が多いようでありますので、それが間違いであることを親鸞聖人の御文で示したいと思います。

1,彌陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時に必定に入る。
ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。
  (『教行信証』「行巻」『正信偈』、 浄土真宗聖典 P,205 )

2,ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗 の簡要を摭うて、 恒常に不可思議の徳海を称念す。
(『教行信証』「化土巻」三願転入、浄土真宗聖典 P,413 )
3,わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候。
    (『親鸞聖人御消息25』、浄土真宗聖典 P,784)
等とありますように、1,には 「 ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし」とあり、2,には「至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をうて、恒常に不可思議の徳海を称念す。」とあり、3,には 「御報恩のために御念仏こころにいれて申して」とありますように報恩の念仏(称名報恩)をすすめているのであり、このことだけで称名報恩が親鸞聖人の意に反するという主張が間違いであることは明白であります。
 それでは何故このような間違いが起こるのでしょうか。このことについては私は前から述べていますように、称名報恩批判者には未だ仏恩報謝の心がないからであります。上の文にもありますように1,においては「彌陀仏の本願を憶念すれば 」、2,においては「 ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり」、3,においては「わが身の往生一定とおぼしめさんひとは」とありますように、信心決定が前提なのです。人は信心決定の身になることによって、仏恩を知り、仏恩を報ずる身になるのであります。このことは
1,真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳深きことを知んぬ。
 (『教行信証』総序、浄土真宗聖典 P,132)

2,釈迦・彌陀の慈悲よりぞ願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ
 (『正像末和讃』、浄土真宗聖典 P,606)
とあり、「信巻」の「金剛の真心」を獲得することによってえるとする現生十種の益の第八に「知恩報徳の益」(浄土真宗聖典 P,251)とあるのもこれを示すことであります。また信心がなければ、仏恩を報ずる心がないということは
助正ならべて修するをば すなはち雑修となづけたり 一心をえざるひとなれば 仏恩報ずるこころなし
 (『高僧和讃』浄土真宗聖典、P,590)
等と述べられています。
 このように 親鸞聖人は報恩念仏(称名報恩)を諸処で語られているのであり、決して否定してないのです。 信心正因称名報恩が親鸞聖人の意に反するという人はとんでもない考え違いをしているといわねばなりません。ただ何故そのような考え違いが生じたのでしょうか。それは世俗レベルの低次元の事情もあるでしょうが、一番大きな問題はその人が 信心不決定 (未決定)者である故に、仏の恩徳を実感していない、仏恩を報ずる身になっていないがためであるといえましょう。そうでありますから 蓮如上人の「聖人一流章」の終わりの「そのうへの称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏とこころうべきなり」(浄土真宗聖典 P,1196)とある信心決定のうえでの報恩念仏の実感は全くなく、意味も分からずに、称名報恩が親鸞聖人に意に反するというようなことをいうのです。信心不決定(未決定)者なるが故の謬見といって差し支えなかろうと思います。
 この謬見について新宗法の下、教諭義務がありながら一向に教諭を行おうとしない人達、またその人達に実行させねばならい責務がありながら何もしない人達、共に信心不決定(未決定)の人達といわざるをえないでありましょう。大変残念なことであります。

 宗門の新たな始まりのための新宗法施行(2012年4月1日)から3年目になろうとしている。しかし、そこに定められた信心正因、称名報恩批判者に対する教諭がなされた様子は全くない。総局、勧学寮は宗法の遵守義務を放棄したのであろうか。それならば無責任極まることであり、直ちに職を辞すべきではなかろうか。もし自分たちの能力では手に負えないと思っているのなら尚更のことである。
 因みに勧学寮頭の著について上記(註⑦)に説明を加えるが、全般的には既に述べたように、氏は救済体験がない故に信前の念仏(自力真門念仏およびカラ念仏等)と信後の念仏( 弘願他力念仏、報恩念仏)との相違が認識できていない、信心不決定(未決定)者なのである。とくに「親鸞における回心について」の中で、妙好人因幡の源左の”ふいっとわからしてもらった”とある回心について氏は「回心の時がなければならぬと主張する人は、この話をもって超越的なものが何かの瞬間に意識の上に現れる何よりの証拠とし、自分にもそういう時が自覚されることを期待する。しかし、こういう理解には見逃すことのできない重要な要素が欠落している。それは、源左がこの時から十年も以前に父親の急死を契機として本願の教えに出遇っていたという事実である。父親の死によって自らの生死の問題という課題を与えられ、それが契機となって聴聞の生活に入りそれを問い続けたという事実は、その問題に無関心であったそれまでの源左の人生が新たな目的に向かって大きな方向転換を遂げたということにほかならない。これが源左における回心であって、これ以外に源左の意識のはたらきを詮索する必要はないと思われる」(真宗 研究41輯、真宗連合学会、平成9年1月発行、107頁以下)と述べている。
 この意見は実に大問題である。何年も聴聞につとめて獲信(回心)するのが通常である(源左の場合もそうである)のに、聴聞を始めた時を獲信(回心)の時と主張することはとんでもない誤謬である。救済体験のない信心不決定(未決定)者の見解といわざるをえない。また次下に氏は「ふいっとわからせてもらったことのみを強調すると源左がすでに教えの中にあったという事実の意味が軽くなってしまうであろう。牛の背に草を負わせた時にふいっとわかろうとわかるまいと、自分が常住に摂取の中にあるという教えは源左は聞いていた。それで十分なのであって、それに加えて源左の信一念のときを付け足す必要はない」(同上108頁)と述べている。これがまた、十劫の昔にすでに往生が定まっているという無信心往生(十劫安心)を述べるかのような極めて重大な問題ある見解である。
 このような信心不決定(未決定)の人達に教諭ができるとは思えないが、新たな始まりのスタートに際し、職務放棄は許されないことであろう。
 私は「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する」(信心正因称名報恩を否定することは宗制に相異する)が定められた、新たな始まりの今こそ宗門の体質(真 実信心不在)改善に取り組まねばならないと思う。甚だ不謹慎であるが、この機を逃しては宗門の再生はないように愚考するのである。(2013年12月22日)
 
 2014年(平成26年)以降の分は
「続・近年の本願寺派教学に想う」としました。
「近年の本願寺派教学に想う、追加」
「続②近年の本願寺派教学に想う」
「続③近年の本願寺派教学に想う」
「続④近年の本願寺派教学に想う」
「続⑤近年の本願寺派教学に想う」
「続⑥近年の本願寺派教学に想う」
「続⑦近年の本願寺派教学に想う」
「続⑧近年の本願寺派教学に想う」
「続⑨近年の本願寺派教学に想う」
「続⑩近年の本願寺派教学に想う」

「続⑪近年の本願寺派教学に想う」
「続⑫近年の本願寺派教学に想う」
「続⑬近年の本願寺派教学に想う」
「続⑭近年の本願寺派教学に想う」
「続⑮近年の本願寺派教学に想う」
「続⑯近年の本願寺派教学に想う」
「続⑰近年の本願寺派教学に想う」
「続⑱近年の本願寺派教学に想う」
「続⑲近年の本願寺派教学に想う」
「続⑳近年の本願寺派教学に想う」

「続㉑近年の本願寺派教学に想う」
「続㉒近年の本願寺派教学に想う」
「続㉓近年の本願寺派教学に想う」
「続㉔近年の本願寺派教学に想う」
「続㉕近年の本願寺派教学に想う」
「続㉖近年の本願寺派教学に想う」
「続㉗近年の本願寺派教学に想う」
「続㉘近年の本願寺派教学に想う」
「続㉙近年の本願寺派教学に想う」
「続㉚近年の本願寺派教学に想う」

「続㉛近年の本願寺派教学に想う」
「続㉜近年の本願寺派教学に想う」
「続㉝近年の本願寺派教学に想う」
「続㉞近年の本願寺派教学に想う」
「続㉟近年の本願寺派教学に想う」
「続㊱近年の本願寺派教学に想う」
「続㊲近年の本願寺派教学に想う」
となっています。