宗祖における信心と念仏(二)

     紅楳英顕

 

   はじめに

 昨年(昭和五十二年)の本大会において従来宗義の根本命題とされ、宗制第一章にも記されている「信心正囚・称名報恩」義が、宗祖の意としては疑義ありとして反対する信楽峻麿・岡亮二の同氏の所論に対する批判を述べだ。そこでも触れたように両氏の見解は単に「信心正因・称名報恩」義に反対しているというだけのことではなく、行(念仏)・信(信心)の理解そのものに極めて多くの問題を感じさせるのである。

 宗祖は『教行信証』「総序」に「専ら斯の行に奉へ、唯斯の信を崇めよ」と述べているように、浄土真宗においては行(念仏)と信(信心)は一番肝心要の問題である。もし宗門内において行信についての謬見による混乱が生ずるとするならば、それこそ多数の有縁者が「行に迷どひ信に惑ふ」こととなり、極めて一大事の事態となろう。

 前回(龍谷教学第十三号所収)は念仏についての問題を中心として論じ、信楽・岡両氏の謬見の根本原因は信前(信不具足)の念仏と信後(信心具足)の念仏との区別がついていないところにあることを指摘し、それ故に信後の往生一定の上での報恩念仏が如何なるものかが不明確なのではなかろうかと、両氏の学問的見解よりむしろその基というべき宗教体験そのものに疑問を感じざるを得ないことを述べた①。今回は紙数の都合で前回述べることの出来なかった両氏の所論の賛成しかねる点と、又、岡氏が『中外日報』や『親鸞と現代』(和歌山教区教化堆進協議会)等で自説の弁明をしたのであるが、納得しかねる点が多いのでこのことについても論じたいと思う。

 

         一 信楽氏の問題点

           (一)

信楽氏は宗祖の信の領解について

  親鸞における信の領解については、その著述における信の用語例を検すると、ひとつには仏道の初門位における信としての、教法や仏道および人師などに対するところの対象的な帰依、行認を意味するものと、いまひとつは、その帰依、信認の深化としての仏道における究竟位の意味をもつ信として、如来および自己についての、まったく主体的な信知の体験と、それによる新しい人間成長、ないしは出世的な価値、利益の獲得を意味するものとがある。(「親鸞における称名の意義」(真宗学55号、昭和51年11月刊一一頁)

と述べて、初門位の信の例として「正信念仏偈」および「念仏正信偈」の「如来世に興出したまふ所以は、唯弥陀の本願海を説かんとなり、五濁悪時の群生海は、応に如来如実の言を

信ずべし」(正信念仏偈)「如何んぞ斯の大願を疑惑せん、唯釈迦如実の言を信ぜよ」(念仏正信偈)の文、又「道俗時衆皆悉く、共に唯斯の高僧の説を信ずべし」(念仏正信掲)等の文を挙げ、これらの信は釈尊の言教や七高僧の師教に対して、ひとえに帰依、信認すべきことを明しているものとしている。そして究竟位の信については「信心の智慧」「真心」「真実信心」「まことの信心」といわれているものがそれであると述べている。そして究竟位の信については「信心の智慧」「真心」「真実信心」「まことの信心」といわれているものがそれであると述べている。そして

親鸞における行道・浄土真宗の「信心の道」とは、教法に対する深い帰依、信認としての信を初門とし、ひたすらなる称名一行を実践奉行することをとおして、次第にその帰依、信認の心を相続徹底し、ついには阿弥陀仏と自己とについての主体的な信知の体験としてまことの信心を成就してゆく道であって、それはまたそのまま「称名の道」ともいわれるべきものである。(「親鸞における称名の意義」(真宗学55号、三二頁))

と述べているように、初門位の信から究竟位の信への成就は称名念仏の実践によってなされると主張するのである。このように信楽氏は教法や仏道および人師などに対するところの帰依・信認を意味するものとしての初門位の信として、「正信念仏偈」におよび「念仏正信偈」の「応に如来如実の言を信ずべし」「唯釈迦如実の言を信ぜよ」および、「唯斯の高僧の説を信ずべし」等とある信を挙げているが、これらの信が氏が究竟位の信であるという「信心の智慧」「真心徹到」「真実信心」「まことの信心」等といわれる場合の往因・涅槃の因としての信心と別のものなのであろうか。
 周知のように「正信念仏偈」の偈前には「仏恩の深重なるを信知して、正信念仏偈を作って曰く」(真聖全二・四三)とある。宗祖において仏恩を知るということは「信心の智慧にいりてこそ仏恩報ずる身とはなれ」(同五二〇)という和讃もあるように、信心の智慧と示されている往因(涅槃の因)円満する他力信心(信楽氏の言葉では究竟位の信)をうることによってはじめて「仏恩報ずる身」となるのであるから、ここでいう「正信念仏偈」の「正信」は往因(涅槃の因)としての他力信心(信楽氏によれば究竟位の信)に他ならないのである。「念仏正信偈」においても、その偈前に「仏恩の深重なるを信知して、念仏正信偈を作りて曰く」(同四四七)とあるのであり、「念仏正信偈」の「正信」においても同様のことがいえるのである。従って「正信念仏偈」や「念仏正信偈」ですすめる「信ずべし」「信ぜよ」という信は氏のいうような単なる教法・人師に対する帰依・信認の意(信楽氏の言葉によれば初門位の信)ではなく、往因(涅槃の因)円満の他力信心に他ならないのである。このことは「正信念仏偈」の冒頭に「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる」とあるが、六字釈に「南無之言は帰命なり・…:是を以て帰命は本願招喚之勅命なり」(同二二)と南無・帰命が本願招喚の勅命であることを示し、叉「信巻」欲生釈には「欲生と言ふは、則ち是れ如来諸有の群生を招喚したまふの勅命なり」(同六五)とあるように招喚の勅命がそのまま他力信心であることが述べられている。このように「正信念仏偈」冒頭の南無・帰命が他力信心のことに他ならないのであるから、「正信念仏偈」一部が他力信心を説示しようとするものであることは極めて明らかなことである。
 更に氏が初門位の信とする「正信念仏偈」・「念仏正信偈」の文について窺うと先ず依経段に

  如来出に興出したまふ所以は、唯弥陀の本願海を説かんとなり、五濁悪時の群生海は応に如来如実の言を信ずべし、能く一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり(正信念仏偈、真聖全二・四四)

  如何んぞ斯の大願を疑惑せん、唯釈迦如実の言を信ぜよ(念仏正信偈、同四四八)

とあるように「如実の言」の内容は「弥陀の本願海」(正信念仏偈)「斯の大願」(念仏正信偈)
に他ならないのであり、又「能く一念喜愛心を発すれば煩悩を断ぜずして涅槃を得」(正信念仏掲)ともあるところから「如実の言を信ずべし」といわれている信は、本願を信ずる涅槃の因(往因)たる他力信心を意味するものであることは明らかである②。叉「唯斯の高僧の説を信ずべし(正信念仏偈、念仏正信偈)の「信ずべし」についても、依釈段のはじめに

  印度西天之論家、中夏日域之高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓機に応ぜることを明す(正信念仏偈、真聖全二・四四)

  印度西天之論家、中夏日域之高僧、大聖世雄の正意を開き、如来の本誓機に応ずることを明す(念仏正信偈、同四四八)

と、七高僧の所説もつまりは弥陀の木誓(本願)であることが示されている。更に龍樹讃下には「弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時に必定に入る」(正信念仏偈)「信心清浄なれば即ち仏を見たてまつる」(念仏正信偈)、天親讃下には「群生を度せむが為に一心を彰す」(正信念仏偈)「具縛を度せんが為に一心を彰す」(念仏正信偈)、曇鸞讃下には「正定之因は唯信心なりに (正信念仏偈)「信心開発すれば即ち忍を獲」(念仏正信偈)、道綽讃下には三不三信の誨へ慇懃にして」(正信念仏偈、念仏正信偈)、善導讃下には「行者正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後」(正信念仏偈) 「涅槃門に入りて真心に値へば」(念仏正信偈)、源信讃下には「専雑の執心浅深を判じて」(正信念仏偈)「唯浅深を執心に定めて」(念仏正信偈)、源空讃下には「速かに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心を以て能入と為す」(正信念仏偈、念仏正信偈」等とそれぞれに往因(涅槃の因)としての他力信心を説示しているのであるから、「唯斯の高僧の説を信ずべし」という「信ずべし」も単なる師説に対する帰依・帰認の意ではなく、他力信心のことに他ならないのである。

 以上によって明らかなように「正信念仏偈」および「念仏正信偈」における「応に如来如実の言を信ずべし」

(正信念仏偈)、「唯釈迦如実の言を信ぜよ」(念仏正信偈)、「唯斯の高僧の説を信ずべし」(正信念仏偈、念仏正信偈)とある「信ずべし」「信ぜよ」は決Lて信楽氏のいうような単なる教法や人師に対する帰依信順をすすめる意味ではなく往因(涅槃の因)としての他力信心をすすめていることに他ならないのであり、これを他力信心(信楽氏によれば究竟位の信)とは別の単なる帰依信認の信(信楽氏によれば初門位の信)と主張することは甚だ無理な所論といわざるを得ない。

 尚、先に述べたように氏は初門位から究竟位への深化が称名行の実践によるとするのであるが、称功によって信を生ぜしめるという見解が如何に宗祖の意に反するものであるかは既に前回指摘したところである③。

又、信楽氏は「真宗における救いの意義」に

  かくして、真宗における信体験とは、自己自身はどこまでも、無明煩悩の存在であり、地獄必定のものであるという自覚と、自己自身すでに阿弥陀仏に連なり、解脱成仏しているという領解とが、一つになって成立しているわけで、それは「不断煩悩得涅槃」として無明煩悩の中で真実の智慧をうることであり、生死罪濁のままですでに解脱成仏をえているという意味をもっている(真宗学2930、昭和3812月刊、一六二頁)。

等と述べているように、獲信のところの現世で成仏を語るという極めて宗祖の意と異なる見解がここにも存するのであるが、この点については稲城選恵氏の著書に詳述されているのでそれに譲る④。

 

 

    ニ 岡氏の問題点

            (一)

 岡氏は信について「親鸞における信と念仏」(龍大論集四〇八号(昭和51年4月刊)四O頁以下。『親鸞の信と念仏』所収(昭和5211月刊)二六八頁以下。)に「信巻」三一問答における信楽釈について大江淳誠師や桐渓順忍師の釈を引用して、そこに示されている「一点の危ぶみもなく晴ればれとした決定の心相、疑いの暗れた衆生の無疑心」とある釈義を批判し、「信巻」の「悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざる」(真聖全二・八〇)、『一念多念文意』の「凡夫といふは、無明煩悩われらがみにみちみちて……臨終の一念にいたるまで、とどまらずきえずたえず……」(同六一八)等の文、『歎異抄』第九条の唯円の問に対する宗祖の応答の文等を引用して、宗祖は一生涯自力の執心のなげきの中ですごされたのであり、「一点の疑いもなく晴々とする決定心」というような安堵心は宗祖にはなかったはずだと主張し、信楽釈の「疑蓋無雑」の心とは、如来の真実性のみで語られるのであり、衆生の心を指しているのではないというのである。

 このように岡氏は宗祖には「一点の疑いもなく晴々とする決定心」はなかったと主張するのであるが、宗祖は「行巻」に

  爾れば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず(真聖全二・三四)
と述べ「信巻」には

  遇たま浄信を獲ば、是の心顛倒せず、是の心虚偽ならず、是を以て極悪深重の衆生大慶喜心を得、諸の聖尊の重愛を獲る也(同四八)

と述べ、又「化土巻」三願転入の文には

  爰に久しく願海に入りて深く仏恩を知れり、至徳を報謝の為に真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す(同一六六)

等と述べているのであり、宗祖の本願に対するいささかの疑いもない往生安堵の決定心相を窺うことが出来るであろう。又『高僧和讃』の曇鸞讃に「不如実修行といえること 鸞師釈してのたまはく 一者信心淳からず 若存若亡するゆへに」とある真実信心に非ざる不如実の信である「若存若亡」の左訓に「アルトキハサモトオモフアルトキハカナフマジトオモフナリ」(真聖全二・五〇六)、「あるときにはわうしようしてむすとおもひ、あるときはわうしやうはえせしとおもふをにやくそんにやくまうといふなり」(定本親鸞全二・一〇〇)とあるように往生安堵の決定心のない信は真実信心でないと述べているのである。

以上のことから本願に対する一点の疑いもなく、往生安堵の決定心に住したのが宗祖であったことが明らかである。岡氏のいうような「信巻」の「悲しき哉……」、『一念多念文意』の「凡夫というは……」、『散異抄』第九条等の文は、従来慶嘆といわれているように、本願に救われた疑いはれた慶びの言葉であり、決して本願疑惑の救いを信じられないなげきの言葉ではないのである。

 又、岡氏が信楽釈の「疑蓋無雑」の心とは仏辺のみでいえることであり、衆生の心を指してはいないと主張する点についてであるが、三一問答の三心一心の「一心」は、天親菩薩の「我一心」の「一心」であり、『尊号真像銘文』には

「世尊我一心」といふは、世尊は釈迦如来なり。我とまふすは世親菩薩のわがみとのたまへる也。一心といふは教主世尊の御ことのりをふたごころなくうたがひなしとなり。すなわちこれまことの信心なり(真聖全二・五八四)

とあるように「一心」とは天親(世親)菩薩の一心であるから、「ふたごころなくうたがひなし」も当然衆生の心であり、又、三一問答の字訓釈に

  真に知んぬ、疑蓋間雑無きが故に是を信楽と名づく、信楽即ち是れ一心なり、一心即ち是れ真実信心なり(同五九)

とある「疑蓋間雑無し」 (疑蓋無雑)の心も衆生の心であることはいうまでもないことである。

 以上により「一点の疑いもなく晴々とした決定心」が宗祖の心(信心)にはなかったと主張する氏の所論が如何に誤謬であるかが明らかであろう⑤。

 

   (二)

 

 信の問題に関連するが、岡氏は「信心正因」義についても次のように批判している。すなわち信巻の「信心正囚」にも、次のような疑問が見い出される。信心正因とは信の一念に往生の因が決定することを意味するが、その信の一念が何かに、明確さをかくという点である(「親鸞における信と念仏」一〇九頁)

と述べ、又

 次に信について「信心正因」の釈義自体にも疑問が残る。例えば、親鸞自身「教行信証」信巻の「字訓釈」で「涅槃の真因はただ信心を以てす」と述べる。この点のみをおさえれば成仏のまさ しき因は、信心にあることは動かしえないことになる。だから宗学はその文字をそのごとく承けて「信心正因」だとする。だがもし信のみか唯一の往因だと定めるならば、我々真宗者は、ここ で大きな矛盾に逢着しなければならぬ。獲信とは凡夫目身がかく自覚することであるが、その「信」を得たとの判断は、一体だれが何を規準としてなすかとの問題がここに残るからである(「親鸞における信と念仏」二四五頁)

等と述べて、唯信正因(信心正因)義を批判し、更にこれに関連して

  親鸞の思想をひもとくと、行と信は常に切りはなされず、不離一体なるものとして語られている。とすれば行を離れて信はなく、信を離れて行もありえなくなるから、両者は常に同時的に  重なっているといわねばならない……具体的には我々が聞名し称名している念仏以外に名号はありえない、その名号とは本願の三心以外の何ものでもない。(『親鸞における信と念仏』二八五頁)等と述べているように前回述べた「称名報恩」義のみならず「信心正因」義をも否定し、信心(本願の三心)といっても、具体的には称名している以外のことではないと主張するのである。しかし、このような見解は、先に触れたところであるが、「疑蓋無雑」の往生一定の決定心が宗祖の上にはなかったと主張するような、認識不足と宗教体験の未熟さから生じたものとしかいう他はなかろう。衆生(凡夫)の上には信心(疑蓋無雑の心)は存しえないように思いこみ、信心といっても称名以外のことではないと主張して、唯信正因(信心正因)義をも批判するような見解は、信心においても念仏においてもおよそ宗祖の意とは隔たったものといわねばなるまい。

            (三)

 次に岡氏が『中外日報』(昭和54年6月21日・23日、6月26日)及び『親鸞と現代』(和歌山教区教化堆進協議会、昭和54年7月10日刊)に自説の弁明をしているのでこれについて述べることにする。氏は『中外』の論文冒頭に氏に対する批判内容が全くの誤解であると述べて、「称名を相続して信を得ようとつとめねばならぬ」とか「二十願の称名、信前の称名を強調して、それが行巻に説かれている」「二十願の称名・信前の称名を強調して、称名には信がなくともよい」あるいは「親鸞には報恩の思想がない」等と私か主張しているようにいうが、なぜそのように読まれるのか理解に苦しむのであり、論争以前の問題としかいいようがないといっている。しかし氏の著書・論文には「親鸞には報恩の思想は全くない」⑧とこそは述べてないようではあるが、「行巻」冒頭の大行出体釈の「大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり」とある大行は信の有無には関係ないものと主張して、信前(信不具足・二十願)の念仏も大行なのであり、信を生ぜしめる力があるものとして、信前念仏の称功を説き、称名報恩義は宗祖の称名思想の一面しか述べていないと主張するのであるから⑨、決して上の諸批判が誤解であるとはいえないのである。しかも氏が弁明して述べている念仏義も前回私か批判した「信の有無にかかわりなく大行である」という主張そのままである。すなわち、氏は二十願(信前)と十八願(信後)の念仏の相違について

  かくて第二十願と第十八願の念仏の根本的相違は念仏そのものが阿弥陀仏の本願力より来たった、大悲の躍動の相であることを信知しうるかどうかということになる。獲信以前の念仏もまた彼方より来たった念仏であり、獲信以後の念仏もまた、彼方よりの念仏である。したがって (彼方より)という念仏の本質をとりあげて、その点のみ問うならば衆生の獲信の有無にかかわりなく、如来の名号としての真実性が宿されていなければならない。「行巻」に説かれる称名念仏は、獲信以後の念仏者の念仏を説くのではなく、念仏している衆生に対して汝の一声一声の称名が仏回向の大行であるという念仏の根本義を説く巻だということになる(『中外』6月26日)

と述べ、又

  親鸞は「大行とは無碍光如来の名を称するなり」という。称名せよその称名が、阿弥陀仏の私をよばう招喚の勅命だというのである。称名は、私の信心の有無にかかわりなく、彼方より来たる阿弥陀仏の大悲躍動の相なることを示しているのだ(「中外」同日)

等と述べて、二十願(信前)の念仏と十八願(信後)の念仏の相違を「大悲躍動の相であることを信知しうるかどうか」にあるとして、念仏そのものは信の有無にかかわらず、大悲躍動の相であり、「行巻」冒頭の「大行とは無碍光如来の名を称するなり」とある大行は信の有無にかかわらないと主張するのである。

このことが如何に誤りであるかは前回すでに論じたところであるが、宗祖は「行巻」の『選択集』引文後に

  明に知んぬ、是れ凡聖自力之行に非ず、故に不回向之行と名くる也(真聖全二・三三)

と「行巻」に明かした行は全て、凡聖自力の行ではない他力回向の大行であることを述べ、又『正像末和讃』には

  真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる(同五二〇)

とあるように、真実信心の称名こそが弥陀回向の法なのであり、不回向の行であり、自力の称念は弥陀回向の法でも不回向の行でもないと述べているのである。更に「化土巻」には

横超とは、本願を憶念して自力之心を離る、是を横超他力と名つくる也。斯れ即ち専中の専、頓中の頓、真の真、乗中の一乗なり。斯れ乃ち真宗也。已に真実行之中に顕し畢ぬ(同一五五)

とあるように、本願を憶念(信)して自力之心を離れた横超他力の行については已に真実行(行巻)の中に顕した、と述べているのである。

 以上のように、宗祖が「行巻」に明かした大行とは真実信心具足の念仏のことであり、岡氏のいうように念仏は信の有無にかかわらず大行であるとか大悲躍動の相等ということが宗祖の意であるということは断じてありえないのである。

 又、氏は「親鸞の世界」に

  称名念仏が二種あるのだろうか。もし南無阿弥陀仏の六字が仏の我れを呼ばう声だとすれば、私を救おうとする仏の呼び声に二種あるはずはない。いかなる場合も、私を導こうとする真実の一行のみだといわねばならぬ。ではそれを色わけしているものは何であろうか。まさしく私たちの心だというべきではなかろうか。ここを指して親鸞は、「教行信証」の「化巻」に「雑心は大小凡聖一切善人、各々助正間雑の心を以て名号を称名す。良に教は頓にして根は漸機なり。行は専にして心は問雑す」という。決して念仏が不実だというのではない。真実の行、念仏を称していながら、その行者の心が雑心間雑というのだ(『親鸞と現代』所収、一〇三頁)

と、称名念仏はすべて大行であり、大悲躍動の相であるとする根拠として「化土巻」真門釈下の「教頓機漸」の文を挙げて決して念仏自体が不実ということはありえないことを力説するのであるが、先に論じたように「行巻」に明かされた「行」は信心具足の念仏に限られることは明白であり、「正信偈」偈前の文には「凡そ誓願について、真実の行信あり、亦方便の行信あり」と行(念仏) についても明確に真実と方便のあることが示され、「教頓機漸」の助正間雑(自力)の心を以って念仏することは真門釈下に明かされるように方便の行とされているのである。又「信巻」大信釈下には『論註』下巻の讃嘆門釈の文を引用して、如実の称名(信心具足)と不如実の称名(信不具足)とを明確に区分して一心(信心)具足の如実の称名のみが破闇満願の徳があることが示されているのである。このように宗祖においては称名念仏について自力・他力・如実・不如実の区分が明確になされているのである。『浄土三経往生文類類(広本)の弥陀経往生釈下に

  善本徳本の名号をえらび、万善諸行の少善をさしおく、しかりといへども定散自力の行人は不可思議の仏智を疑惑して信受せず……徳号によるがゆへに難思往生とまふすなり。不可思議の誓願を疑惑するつみによりて難思議往生とはまふさずとしるべきなり(真聖全二・五五七)

とある文の「徳号によるが故に難思往生とまふすなり」とある「難思往生」の左訓に「ジリキネンブツシャナリ」とあるように、徳号を修するからといって、それを真実行というのではなく、諸行往生の双樹下往生と区別されているだけであって、信不具足ならあくまでも自力念仏と貶しめられているのである。「教頓機漸」ということも、教は真実の名号法であっても、信不具足ならばその念仏は自力念仏であり、決して弥陀の回向の行でもなく大行でもないのである。

 以上のことから、念仏自体に不実ということはないとし、念仏はすべて信の有無にかかわらず弥陀大悲の躍動であり大行であるとする岡氏の主張が如何に誤まれるものであるかが明らかであろう。

 

む  す  び

 

以上によって信楽・岡両氏の所論の賛成しかねる点を前回(龍谷教学第十三号所収)の念仏の問題に加えて信の問題についても述べた。両氏の所論は教学の現代化、時代即応の教学樹立の営みの気持から生じたものではあろう。勿論私もそのこと自体に異論はない。しかし我々が浄土真宗を信奉する者である限り、宗祖と仰ぐ親鸞聖人の意を曲げるようなことがあってはならないのである。勝手な自見の覚悟による解釈の吹聴はまさに「みづから他力の信心かくるのみならずあやまて他をまよはす」⑩ことにしかならないであろう。しかも念仏・信心(行信)の問題は真宗の要である。この根本義に誤まりが生ずるならば、何が真宗の教えなのか、何が真宗のすくいなのかが全く混乱し、それこそ宗門の一大事といわねばなるまい。以上のような想いから私見を述べた次第である。

 

註① 拙稿「宗祖における信心と念仏」(龍谷教学第十三号、昭和五十三年六月刊)

 ② 『尊号真像銘文』にも「五濁悪時群生海応信如来如実言といふは五濁悪世のよろずの衆生釈迦如来のみことを深く信受すべしと也(中略)一念喜愛心は一念慶喜の真実信心よくひらけ、かならず本願の実報土にむまるとしるべし」(真聖全二・六0一)と「応信如来如実言」の「信」は他力信心に他ならないことを述べている。

 ③ 拙稿「宗祖における信心と念仏」 (龍谷教学第十三号、四二頁以下}

 ④ 稲城選恵氏著『最近における真宗安心の諸問題』五七頁以下。

 ⑤ この点については拙稿「親鸞における疑蓋無雑について」 (印仏研究第二十六の一、昭和五十二年十二月刊、二〇三頁以下)、「親鸞における疑蓋無雑について(二)」(印仏研究第二十八の一)、昭和五十四年十二月刊、二三一頁以下)にも述べた。

 ⑥ 岡氏は著「親鸞の信と念仏」(一〇九頁以下)に「全く疑いが収り除かれてはればれとする、といった安堵の心は私たち凡夫には存がしないのではないか。さらにこの凡夫という面をより深く捌り下げてみよう。無明煩悩のみちみちている姿が凡夫であり、その己の姿を親鸞は愚禿といった。(中略)凡夫とに常に判断をくるわせて、正しいものを見極めることが出来ぬことだからで自分こそが正しい信を得たたと自覚したとするならば、この故に、この自覚こそがまさに錯覚であるといわざるをえない。私達の行為のすべては顛倒の中にあるのであり、己が力で掴んだものが正しいとは決していいえないのである。一念覚知の心は信仰の強さからいえば、ある意味で非常な力強さを持つのであるが他面それ以上の危険性を宿す」と述べている。氏は信一念釈に示されている時間と心相を混同し、一念覚知義を曲解している。拙稿「一念覚知説の研究」(伝道院紀要19、昭和五十二年三月刊)、「親鸞における疑蓋無雑について(二)」(印仏研究第二十八のI)

⑦ 『中外日報』(昭和五十四年六月二十一日・二十三日)

⑧ 誰の意見なのか。私の知る範囲では岡氏がこのようにいっていると批判した意見はない。

⑨ 岡氏著『親鸞の信と念仏』一〇八頁、一一八頁、一一九頁、一二五頁、二八三頁等、氏の著書や論文の諸処に批判の当っている主張がみられる。五十嵐大策氏「真宗における信心と念仏」(龍谷教学第十四号、昭和五十四年六月刊。拙稿「宗祖における信心と念仏」 (龍谷教学第十三号)

⑩ 『歎異抄』第十二条(真聖全二・七八二)

   (龍谷教学第十五号、1980年6月刊、所収)