「続㊱近年の本願寺派教学に想う」
これは「続㉟近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html に続くものです。
https://youtu.be/ea3-bSYwOQ8?si=pu_VytJDvktgDD4q
唯円は『歎異抄』後序に(晩年に)、親鸞聖人の正しい念仏(真実信心の称名、他力念仏、真実報土に生まれる念仏)を体得することが出来ず、間違った念仏(自力の称念、自力念仏<要門念仏、真門念仏>、を修するために、報土に生まれずして、辺地に宿をとるであろう人々の多いことを悲歎しているのであります。
これは今日の本願寺派教団に同様なことが言えるとおもいます。
また唯円は歎異抄』『歎異抄』14に「一生のあひだ申すところの念仏は、みなことごとく如来大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべきなり。」とも述べているのであります。
直弟子唯円も「信心正因称名報恩」義を述べているのでありますから、「信心正因称名報恩」義が親鸞聖人の正義であることはいうまでもないことであります。これを間違いという人は親鸞聖人の教えが全く分かってない人達ということができるでありましょう。
何度も述べたことでありますが、この度の本願寺派教団の「新領解文問題」の混乱の一番の責任は勧学寮にあると思います。勧学寮が宗制教義に定められた「信心正因称名報恩」義の意味も分からず(1981年以降)、宗制宗法遵守義務放棄(2012年以降)という正常な宗教団体でありますなら賦課金納付義務放棄にまさる、五逆罪(破和合僧)に相当する、信心不決定(未決定、未安心)の大過者集団と成り果てていたことが最大の原因といえるでありましょう。合掌
この論文は高森親鸞会の主張の問題点を述べたものでありますが、教団側の反省すべき点も述べたものです。この点がこの度のネットにも出て[英紅1] います「親鸞聖人は御自分の信心決定の自覚がはっきりしていた」ということを私が述べたことや、終わりの方に大原性実氏が「覚知説の取り扱い際して特に喚起したい点を記しておきたい。それは信の覚知を否定することと,信一念の事実を否定することとは同じではないということである。信一念の事実たる心相は信文類に示すが如く無疑無慮ということである。この一念の心相の事実を否定すれば恐らくは信前信後の区別は弁明せられないであろう。」と述べていることであります。
目下、本願寺派教団においては、「新領解文問題」で混乱中であります。私はこの混乱の一番の原因は「信心正因称名報恩」の意味すら分からない、信前信後の念仏の違いも分からない、往生一定の決定心もない、宗制宗法遵守義務放棄者の、信心不決定者の集団と成り果てた勧学寮にあると思っています。この点についての考察である「本願寺派教団における一念覚知説の問題点」を3月発行の『印度学仏教学研究』に掲載の予定です。合掌
(2024.1.14)
『中外日報』(2月16日)(10)に、
「浄土真宗本願寺派 4教区で学習会開催」の総局の説明に「消息の発布に勧学寮の同意が絶対条件で、内容上の責任は同意した勧学寮にあると認識している」とあります。
私はこれは最もなことと思います。「新領解文」内容についての責任は、これに同意した信心教義の責任担当である勧学寮にあるのです。このことは良く整理しておかねばならないことであります。
もし「勧学司教有志の会」等が言うように、勧学寮員の中にこれに同意しなかった(捺印しなかった)方が事実いたのであれば、それを早急に公にすべきであります。
それもせずに、この度の「新領解文」問題の混乱の責任は、自分達にはないと言うのであれば、勧学寮は全くのウソツキ集団であり、宗制宗法遵守義務放棄のみならず、虚偽欺瞞の集団ということになり、存続の意味も問われるべきでありましょう。合掌
https://www.youtube.com/watch?v=P5Q3UMmfiJs
(2024,2,26)。
『中外日報』(2024,3,1)の1面に
本願寺派新しい「領解文」
相馬勧学が辞表提出
勧学寮員として「同意は間違い」理由
とあり、2月28日午後辞表が提出されたとあります。
また同勧学は安芸教区宗会議員宛の文書(2024,2,20記)に
「新しい領解文」を勧学寮が認めた理由」、「勧学寮が了としたときの経緯」等が述べられ、同意の捺印について「寮員の同意の捺印については、したはずであるがその期日をはっきり記憶していない」
と述べています。
是によって、新領解文は勧学寮員全員が同意したものであり、捺印したものであったことが明らかであります。
「勧学・司教有志の会」や、その他の人からも、寮員の中には同意(捺印)しなかった人がいた、と聞いていましたが、これも皆ウソであったということでありましょう。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://www.e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
(最初~㊱)。
(2024,3,4)。
何度も述べましたように、この度の「新領解文問題」騒動の一番の責任は勧学寮にあると思っています。
「勧学、司教有志の会の記者会見」<2023,5,23) (https://www.youtube.com/watch?v=P5Q3UMmfiJs)や「勧学、司教有志の会」の「新しい領解文」に対する声明〔五〕<22023,5,19>, 同(六)<2023,6,10>、等に述べられている勧学寮員の中に新しい領解文に賛成(捺印)しなかった人がいた、という報道は誤報であったということが明らかとなりました。
このことにより、この度の混乱の一番の責任は勧学寮であることが、より明らかとなったと言えると思います。 合掌
(2024,3,18)。
「本願寺派教団における一念覚知説の問題点」」紅楳英顕 (印度学仏教学研究 72-2.2024,3)
https://drive.google.com/.../1x6j3nKifkT0GETmbwJ.../view...
上記論文は本願寺派における「新領解文問題」の混乱に際して、私見を述べたものです。
繰り返し申しますが、私はこの度の混乱は起こるべくして起こったことであり、その責任は教団の信心教義の責任担当機関である勧学寮が宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義の意味も分からず、宗制宗法遵守義務放棄という信心不決定(未決定、未安心)」者の集団と成り果て、正常な宗教団体であるならば賦課金納付義務放棄にまさる大過者集団(「破和合僧」)とも言える勧学寮にあると思います。
その上「勧学、司教有志の会」の記者会見では勧学寮員の中には「新領解文」に同意(捺印)しなかった人がいた、ということでありましたが、これも誤報(齟齬)であったことは明らかなことであります。(「勧学、司教有志の会」のメンバーも信心正因称名報恩義を否定する宗制宗法遵守義務放棄者であることは、寮頭寮員と同類であります。)
論文の「はじめに」に「稲垣久雄氏も「真宗では信者が、信心獲得すというは第十八の願を心得るなり云々、という『御文章』のお言葉を数えきれないほど多く耳にし、口にしてるのに、いざ信心獲得の内容に入ると無口になり、体験的な話はご法度で、強いて言う人は、「一念覚知の異安心」と見なされる恐れがあります。(2)」と慨嘆されていたが、私も全く同感である」。と書きましたが、私も全く同じ経験をしてきました。
「二、親鸞、蓮如における決定心と獲信の時」の終わりに「獲信の自覚の問題に関連して『庄松ありのままの記』の誤読問題がある。庄松に獲信の自覚がなかった、と言う見解があるがこれは間違いである(9)。」と述べましたが、現在、教学の責任担当の立場の方で割と多くの方がこの点を謬り「十劫安心」、「無帰命安心」「無自覚安心」を主張しているように見受けられます。
「三、信心正因称名報恩義批判の問題」で述べました宗制教義に定められた「信心正因称名報恩」に反対した龍谷大真宗学の教授二名を何故か、勧学寮も教団も裁こうしませんでした。この度も述べましたが両者とも宗教体験(救済体験、獲信体験)のない人であり、そのため信前の念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない人であったのです。
取りあえず、以上述べさせて頂きました。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://www.e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
(最初~㊱)
(2024,4,5)。
2024年4月21日に,勧学・司教有志の会 声明(七の一) ― 総合研究所冊子の問題点 ―、が出されました。
前からこの会の活動については疑問をもっていましたが(信心正因称名報恩義を否定する宗制宗法遵守義務放棄集団)、この度の声明でこの会の不誠実性を感じました。
外部の記者も集めて行った「勧学・司教有志の会」(2023,5,23)において、(念のために申しておきますが、私はこの会からは最初から何の呼びかけも連絡もありませんでした。)名前は言えないが、勧学寮員の中に「新領解文」賛成(捺印)しなかった人もいたのに総局が無理に通したと説明し、瑕疵があったと説明していました。このことはその後の,勧学・司教有志の会の声明(六)<2023,6,10>、にも述べられていました。
ところが周知のように勧学寮の寮員全員が2022,12,16に賛成(捺印)したことが明らかになったのであります。(2024,3,6『中外日報』記)
このように勧学・司教有志の会は、勧学寮員の中に「新領解文」賛成(捺印)しなかった人もいたのに総局が無理に通したと説明し、総局に瑕疵があったと説明していましたことが、誤報であったことが明らかになったのでありますから、何らかの弁明をするのが普通だと思いますが、それについて何の弁明もなくこの度の声明がなされたのであります。誠意を感ずることができないのは私だけでありましょうか。このことは勧学寮員側にも言えると思います。賛成(捺印)しておきながら、勧学・司教有志の会には事実を隠蔽したということは、これまた全く誠実さの欠けた人達であったと言えると思います。
なる論文を書きました。「信心正因称名報恩否定」「若存若亡」「十劫安心(無帰命安心)」「生涯不決定」等の間違いを批判する意味もあるものです。僭越ながら恐らく今の勧学寮の寮頭寮員、勧学・司教有志の会の方々の多くはこれに該当するように思われます。 合掌
(最初~㊱)
(2024,4,23)
勧学寮、信楽氏・岡氏の問題については、河原博夫氏の
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(2023,3,23~2023,4,1)、(2023,5,20)(2023,11,1~2023.12,18)。(2024,8,20~2024,8,27)等に詳述されています。 合掌
(2024,9,1)。