「続⑲近年の本願寺派教学に想う
      これは「続⑱近年の本願寺派教学に想う」 に続くものです。



こんにちは!私はもう10年以上も前に浄土真宗の僧侶、住職をさせていただいていたYという者です。私は浄土真宗の信仰の間違いに命で気付かせていただき、今、真実の仏教である日蓮正宗に帰依しております。よろしくお願いします。
私は自分が辞めた寺院の信者様を念仏の地獄から救いたいと願い行動しています。
あなた様におかれましては浄土真宗の僧侶として念仏をいただくことの素晴らしさを説いておられると思いますが、
私は浄土真宗を中心とした念仏信仰について調べさせていただきました。その害毒や罪障の深さについて述べます。どうかご一読願って、あなた様のご感想やご意見をいただきたいと思います。
さて、日本に仏法が正式に伝来したのは五三八年、欽明天皇の世、百済の聖明王が、釈迦仏の金銅像一駆、弥陀三尊、幡、葢(きぬがさ)、経論若干巻を献じたで天皇は蘇我大臣稲目に向かって「汝、試(こころ)みに礼拝せよ」と告げられ、蘇我稲目は悦んで恭敬礼拝されたことは、ご存知でしょうか?
しかし物部大連尾輿(おおむらじおこし)、中臣連鎌子(なかとみむらじかまこ)は、反対でありました。
たまたま疫病が諸国に起こって、尾輿と鎌子の二人は、国神の祟りと奏したのです。
当時、天皇は命じて、仏像を難波の阿弥陀池(大阪市西区堀江)に投棄せしめられました。
阿弥陀池に投棄せした仏像のうち、その一体を本田善光(よしみつ)が、この池より拾いあげて、信濃の国長野に持ち帰り、密かに祀ったのが今の善光寺に安置してある弥陀三尊であります。
善光寺の名前は、この本田善光の名前から由来しています。
以来一四六五年間、日本は念仏王国となってしまいました。
ご存知かとは思いますが、聖徳太子は、阿弥陀仏を佛として崇める事を否定されておられます。
今に至っては仏法伝来によって、天下太平国土安穏という、理想の国家社会が実現するはずなのに、仏法伝来以前以上に、国土の荒廃が進んでいる現状であります。
つまり、人心の弱肉強食の世の中、禽獣にも劣る思考の現状は、この国を守護すべき諸天善神は嫌気がさしてこの国を去ってしまい、その変わりに悪鬼魔神が入り込み、三災七難を引き起こし、国土の災難が間断なく起こってくるのであります。コロナ渦もそのひとつといっていいでしょう。
この様な現状がますます盛んになっていく現状を憂いられた日蓮大聖人は、一切経を閲覧され、その根本原因を探られ、その解決方法を極められました。
唯一の正法を悟られ、一二五三年宗旨建立なされ、立正安国論を世界に御示されました。
暗雲に覆われた末法の世の中に、実に七百十五年目にした正法が出現したのであります。
しかしながら、正法の大光明が顕れたにもかかわらず、誤った宗教・誤って伝来してきた念仏・禅・真言・律や、新興宗教・仏教以外の外来宗教、日本古来の原始宗教・占い八卦・加持祈祷の迷信邪教の雑草が国土に蔓延(はび)っています。
日本国憲法に信教の自由が制定され、何を信じようと、真実を聞いても聞く耳・信じる心をもたない・何も信じられないという傾向すらあるとおもいます。
大白法を素直に聞く事も信受する事も出来ないどころか、誹謗悪口等の三類の強敵の衆生ばかりの世の中であります。
【仏出世の本懐について】
仏教を説かれた釈尊はこう説かれました。
「法華経以外の経説は方便であり権教である・真実を説いていない。佛出世の本懐・一切経の真髄・諸経中王最第一の教が法華経で、真実の正法である。
正直に法華経以外の方便権教を捨てよ。」
と禁じられているのであります。
この仏、釈尊の云う事を聞き入れず、法華経を信ぜず方便の教を用いるならば、三災七難を引き起こし、国土の災難は間断なく起こり、人心は混乱し世は正に弱肉強食の悪世となると遺言なされているのであります。
このように、仏が禁止されているにもかかわらず、日本に邪法をもたらした浄土真宗を中心とすると言っても過言でない各宗の開祖・宗祖といわれる邪師の責任は、最大級の大悪人であると言わざるを得ません。
これらの邪法邪師の邪義を、多くの浄土真宗等の人達が、その事を知らず、皆、ただ先祖が信仰していたからという理由だけで、その信仰について誰からも何らかの指摘を受けたとしても、その信仰について考え・聞いてみようなどという人は、だれ一人としていないのであります。
もし、それが自分に、あるいは家族に、またその人生の行く末に暗い影を落としているとしたら、そんな悠長ではいられないはずです。
信心の信とは無疑曰心と説かれて、疑い無きを信と言います。
道心と云うのも、道人と云うのも、唯一の正法である法華経を疑わずに信じる事を信心というのであります。三部経では幼稚なのであります。
闇雲に包まれた邪法を訳も知らず、イワシの頭を丸めた仏像を崇拝したなら、功徳を積むことも、利益も生まれてはこないのであります。
人それぞれ好みに応じて種々あれども、それが宗教となれば、信仰の自由は得手勝手で良いと謂う事は大きな誤りであるはずです。
人それぞれ好みに応じて信じて崇めても、それが誤った悪思想・悪宗教であったならば、それを信ずる人々に与える精神的な影響は、地震・雷・火事・親父の沙汰ではないのです。
僧侶や思想家の云うことを只鵜呑みにして、それに感動して何も考えない事ではないのです。
疑いが無いと謂うのは、不変妥当性と純粋性と永遠性がそなわって、一切のわだかまりが消えた状態を謂います。
疑問が少しても生まれたら、まず第一に「仏の御言葉である御経文には、どの様に説かれているのか」。第二には「道理に照らして、本当にこれでよいのか」。第三に「現実にはどうなのか」と検証して、それで疑問が解消した状態こそ、本物の信と言うのであると仏は仰せです。
さて念仏の始祖に目を向けてみると
釈尊が御存命中に、誰よりも早く念仏の教を聞いてこれを信じたのは、いわゆる「仏在世の念仏の祖師」は、舎利弗尊者です。
この方は、釈尊の十大弟子の中でも人並みはずれた智慧第一でならした人です。
阿弥陀経は、この舎利弗尊者を対告衆として説かれたことはご存知でしょう。
対告衆とは、仏様の説法される時の聴衆、聞いている人の中の中心者のことです。
釈尊は「舎利弗よ、舎利弗よ」と、舎利弗を中心に説かれたのです。
ところが、こんなに懇切に説かれて阿弥陀経を、舎利弗尊者はあっさりと捨てたのです。
なぜ、そのような大それたことをされたのでしょう。
それは、後に釈尊が法華経を説かれる直前、仏様みずから「この阿弥陀経などの浄土の三部経には真実を説いていない。方便虚妄なり。ゆえに、これを捨てよ」と宣言されたからです。
法華経以前の方便の教を説き終ってのち、真実の法華経を説かれる直前に、『無量義経』という経文に、「これまで四十余年に亘って説いてきた教えは、未だ真実を説き顕していない。」「正直に法華経以外の方便を捨てよ」「法華経以外の権教の教の、一偈一句たりとも信受してはいけない」「仏の所説に従わないものは、悪魔の家来である」と、厳しく禁止されています。
そして、釈尊の御本意とされる法華経の説法を聞いて、舎利弗尊者は華光如来という仏になることが出来たのであります。
しかも、「非己智分」己の智慧の分際にはあらず、と言って、仏と等しい智慧第一の舎利弗ですら、その己の智慧をすべてかなぐり捨てて、仏の仰せを素直に・正直に、信の一字でもって、仏様の御悟りの中に入る事が出来たのであります。
これを「以信得入」と言うのであります。
さて、時に学校で得た知識、最高学府で学んだ知識、六法全書を頭脳に収めている智慧、これらの智慧でもって仏法に対して聞く耳や信ずる心を起こさない愚かな人々がいます。
仏の真実の心を師と仰ぎ、己の愚かな心を師としてはならないのであります。
今の世の中でどんなに智慧知識があっても、地位や名誉の爲、あるいは寒い暑いを知る知識、また水が飲みたい腹がすいた等の知識に過ぎないのであります。
自分の智慧や知識をたのんで、師としてはならないのであります。
自分で自分を信ずると言うことは、愚かな慢心であります。
阿弥陀仏といえば、「四十八願」ですが、これは阿弥陀仏がかつて法藏比丘と言っていた時、自分の国を平和な仏国土として荘厳しようと願い、世自在王仏のもとで二百十億の仏の世界の樣子を聞いて、これを参考にして五劫の間思索をめぐらした結果、四十八種類の例を選んで、これでもって自国を荘厳すると誓願を立てたものなのです。
しかし、念仏を信じて阿弥陀仏を信じていても、法華経や法華経を信じている人を誹謗・悪口を言ったり、父母を殺したり、阿羅漢という高僧を殺したり、仏様に教にさからったり、正法の教団の和を乱した者は、往生は出来ないとされているのです。
十九番目が「来迎引接」で、もろもろの功徳を修めた人は、臨終の時、阿弥陀仏及び観音・勢至菩薩などが迎え、極楽浄土に引接する、としています。
また、三十五番目には「女人往生」とあって、女人が阿弥陀の名を聞いて歓喜信楽し菩提心を発せば、浄土に往生して男子となることが出来るとしています。
これら四十八願は、念仏をする人たちの絶対の拠り所であることは経験として習ってきました。
しかしこの四十八願は、阿弥陀の若かりし頃の法藏比丘が立てた誓願と云うことになってはいますが、これは実は、釈尊が大乗仏教の精神を教える爲に、架空の阿弥陀仏を使って、慈悲という事を弟子に教えようとされたものなのです。
この四十八願は、多聞第一で知られる阿難尊者に付嘱されました。
付嘱とは、付与嘱託の義で、付とはものを与える事、嘱は事を託することですから、仏が弟子に教法の弘通を託すことを言います。
ところが、この多聞第一という、釈尊の説法を真剣に聴聞し、そのことごとくを記憶して経文として残された阿難尊者は、この四十八願をあっさりと惜しげもなく捨てられたのです。
これも、舎利弗尊者や他のお弟子と同じように、念仏の教は釈尊の本意ではなく、みんなの心を一つに融合させ、法華経に導く爲の方便の教だからであると悟られたからです。
例えば家を建てる爲には、基礎を作り、足場を築くようなものであります。
家が完成したならば、周りの足場はすべて取り払うように、その足場である方便の教はすべて取り払わなければならないのです。
この釈尊の御宣言を、舎利弗・目連は正直に承って方便の教を捨てて法華経を信じたのです。
正直に仏様のお言葉に従って、法華経を信じた事によって「山海慧自在通王仏」になる事が出来たと説かれているのであります。
阿弥陀経を賜った長老・舎利弗尊者は、千二百人の羅漢の中で智慧第一の上首の大声聞、閻浮提(世界)第一の大智者と言われ、肩を並べる人は誰一人としていませんでした。
阿難尊者は、多聞第一の極聖、釈尊一代五十年の説法を諳んじ、広学の識人と言われました。
このような、最高の位にあった弟子ですら、阿弥陀経などの淨土三部経では、成仏の望みは全く無い事が出来ない事は誰でもわかっていました。
仏在世の時、「念仏の祖師」ですら、念仏は方便の教として用いなかったのですから、いま念仏を信仰している方々は、祖師の後を踏んで、南無阿彌陀仏などを捨てて法華経を取り、必ず成仏が出来る南無妙法蓮華経の信心をすべきではないでしょうか?
念仏は、釈尊滅後、名高い僧侶や学者がおられます。
大唐揚州(中国江蘇省・揚子江下流の北岸)の善導和尚は唐土第一の高祖と云われています。
善導和尚は、この地で明勝を師匠として法華経を習っていましたが、道綽禅師に出会って法華経を捨てて淨土宗に移り、念仏者となった。
また別の説があって、仏教を勉強している時に、どの教えを選んでいいのか判らなくなって、釈尊の経典が収められている書庫・經藏に入って、目隠しをして、ぐるぐる回ってばっと手を伸ばして、一番先に手にふれたのが観無量寿経だったので、それで念仏を広めるようになったというのであります。
このことを日蓮大聖人は『浄蓮房御書』(八七八)に、
案じて云はく、仏法には無量の行あり。機に随ひて皆利益あり。教いみじといへども機にあ
たらざれば虚しきがごとし。されば我法華経を行ずるは我が機に叶はずばいかんが有るべかるらん。教には依るべからずと思ひて一切経蔵に入り、両眼を閉ぢて経をとる、観無量寿経を得たり
と述べられているのです。
それがいかにも破れかぶれで、無茶苦茶で、無闇矢鱈で、行き当たりばったりの様に感じられます。
衆生の爲に何をすべきか、何を弘通すれば人々を幸せにするのかという問いや経典を選択しようとする時に、こんな方法でいいのでしょうか?
譬えて言えば、生涯の伴侶を選ぼうとする時、見ず知らずの女性を回りに立たせて、それで目隠しをして、グルグル回って、方向感覚がわからなくなった時に手を伸ばして、一番最初に手にふれた女性を結婚相手に選ぶようなものです。
これは相手にも失礼ではないでしょうか?
このことは、善導和尚の慢心が見え隠れしています。
つまり、釈尊の御教によらず、自分の才能や表現力、あるいは説得力をもってすれば、たとえ方便の教であろうが、今はどんな無用の経典であってたとしても、自分が広めて有名にしてみせるというのです。
教の浅深・高低、あるいは仏の意志などは無視して、まことしやかに広めたのです。
そうでなかったら、人の成仏・不成仏に深くかかわっている教を、崇高な志しを持った人なら、こんな幼児性丸出しの方法で選ばないでしょう。
このような経緯で、善導和尚は念仏を広め始めました。
この善導は次ぎに、釈尊一代五十年の経教を、聖道・淨土の二門に分けました。
そして勝手に、法華経等の諸大乗経を聖道門と名づけ、自力の行と嫌い捨て去ったのです。
法華経は、高嶺の花のような高度な内容、更におのが才能を頼んで、みずから行じて成仏を目指すというこざかしい教。
こんな聖道門を修行して成仏を願おうという人の、百人の中に一人か二人、千人の内まれに三人五人というわずかな確立でしか成仏できる者がいないに決まっている。あるいは、千人修行しても、その中の一人も成仏できない説かれたのです。
それに比べて、淨土の三部経の淨土門を修行して、ただ阿弥陀如来の四十八願の内、十八番目の念仏往生の誓願にすべてをゆだねて、他力本願をたのんで往生を願う者は、十即十生、百即百生といって、十人いれば十人すべてが、百人いれば百人全員が決定して往生が叶うと、断言したのであります。
さらには『観無量寿経』を出典として四巻の疏・解説書を作ります。
それが、玄義分・序分義・定善義・散善義と呼ばれるものであり、そのほかに、法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経と合わせて九帖の疏と呼ばれていることはご存知だと思います。
この善導和尚がひとたび念仏を唱えれば、その口より阿弥陀仏が出現すると言って、称名念仏を一遍なすごとに三体、口より阿弥陀仏が現れたというのです。
また善導和尚は、毎日の所作として、阿弥陀経を六十巻、念仏を十万遍欠かした事がなかったと言うのです。
あるいは、経典の中に説かれているあらゆる戒律を持って、その内の一つも破った事がない。
身につけている衣も、善導の体全体の皮膚と変じたかと見まがう如く、常に身につけて脱ぐことなく、托鉢に用いる鉢と、食事や不浄のあとに手を洗う爲に入れる器は、あたかも人の両眼のごとく、身から離すことなく仏道に精進し、不浄な行為をやめ、心身を清浄な状態にしておく事を怠らなかったというのです。
その上、女性を見ることなく、色恋の煩悩を起こすことなく一生を過ごし、修行の爲不眠不休を続けること三十年と豪語しみずからを称えました。
そう言うことが、エピソートとして語られているのです。
しかも、この善導の日常の振る舞いは、酒や魚・肉、それに五辛という、ネギ・ニラ・ニンニク・ラッキョウ・ハジカミを口にすることは元より、手にすることすらなかったのです。
もしこれに違背するものは、長い間地獄に堕ちるであろうと、厳しく戒めているのです。
この善導が残した行儀法則は、本来の律にも説かれていない大変厳しいものでした。
この事は、法然の起請文・誓いを書き記した文にも、この善導の遺誡が書かれているのです。
このような人物でしたから、中国全土にこの人の名はとどろき渡り、人々はこぞって善導和尚を善知識、つまり正直・有徳の人・大指導者として仰ぎ、その結果貴賤上下みな打ち揃って念仏者となっていったのです。
釈尊が一代五十年にわたって説いてこられた聖教の中でも、大王の地位に位置づけられ、過去・現在・未来と、三世のあらゆる仏様のこの世に御誕生になられる目的・本懐と、仏みずから宣言せられている法華経の文には、
『念仏無間地獄抄』(四一0)に、
一代聖教の大王、三世諸仏の本懐たる法華の文には「若有聞法者、無一不成仏」と説き給へり。善導は法華経を行ぜん者は、千人に一人も得道の者有るべからずと定む。何れの説に付くべきか。無量義経には、念仏をば「未顕真実」とて実に非ずと言ふ。法華経には「正直捨方便、但説無上道」とて、正直に念仏の観経を捨て無上道の法華経を持つべし
と説かれています。
これら一連の釈尊の御言葉と、善導の言うこととは、全く水と火の如く相違しています。
私共はいずれの説に付くべきなのか。
善導の言葉を信じて法華経を捨てるべきなのか、仏説たる法華経を信じて善導の主張をしりぞけるべきなのか。
法華経は、「一切衆生、皆成仏道」(すべての人々が、皆成仏が叶う)
「一聞法華経決定成菩提」(ひとたび法華経を聞けば、必ずや悟りを成ずるであろう)
という誠に尊い妙典が、善導の一言に惑わされて「千中無一」千人いても、その中のわずか一人も成仏するものはいない、という虚妄によって、法華経は、うそっぱちの教となり、「無得道教」成仏できない御経とののしられ、「平等大慧」という等しく十界の衆生に成仏の大利益が及ぼされる、この巨益・大いなる利益が全くのでたらめに成り果て、多宝如来の皆これ真実、あるいは十方分身の諸仏の広長舌をもっての、法華経が最も勝れた教であることの証明も、善導の一言に惑わされて、ことごとく砕け散ることとなりました。
しかしこれは、邪師の言葉をもって仏の御言葉を否定することですから、三世諸仏の大怨敵となり、十方如来の御本意の成仏の種子を失うことになるのであります。
故に、仏法で最も重大な罪である大謗法の罪は重いのであるといわざるを得ません。
大謗法の罪がいかに重いのかを譬えてみますと、
提婆達多がことごとく釈尊に対抗した結果、目の前に千尋の谷底のような穴があいて、その中に墜ちてしまった。今も阿鼻の大城に在るといわれます。
善導やその邪義を信じて阿弥陀を崇める人々は、法華経誹謗の罪によって大阿鼻地獄は疑いないのであります。
それどころか、世の人々が法華経に背いて阿弥陀の信仰続ける事によって、この国を守る可き諸天善神も怒りをなして、この国を去ってしまい、それに入れ替わって悪鬼魔神が入り込んで、国内には次ぎ次ぎに三災七難が起こって、人心は混乱し、弱肉強食の世界、善悪の規範が曖昧になり、人々は利己主義となり、貪欲になり瞋恚になり癡になり慢心になり疑い深くなるという道理が成立します。
つまり五濁悪世の混乱の元凶は、善導ではなく悪導にあります。
悪は大けれど一善に勝ことはないと言われているが、原始時代から迷信邪教や外来の外道が盛んに蔓延って、信仰は自由だという法律まで出来て、正法である法華経を信仰しなければという傾向は、なかなか容易ではないのです。
それは、仏自ら法華経は唯一の正法なるが故に「難信難解」と説かれています。
この「難信難解」の法華経を信仰するのが、正しい信仰であります。
赤ちゃんが何も疑わず母乳を無心に飲むように、法華経を信仰することこそ真実であるのです。
善導は、赤ちゃんに母乳を飲ませないで、粗悪な脱脂粉乳を飲ませたのであります。
これほど大きな罪は無く、地獄の中でも最も恐ろしい無間地獄への転落の業因であります。
これによって、たちまち現身に精神に異常をきたし、寺の庭の柳の木にのぼって、みずから首をくくって、身をなげて自殺をしてしまったのです。
邪法を広めて民衆をたぶらかした罪により、たちまち罰があらわれました。
善導の最後臨終の言葉は「ああ、何と嫌な我が身なんだ。様々な苦しみに責められ、しばらくも身の休まる暇もない」と。
そう言い終わるやいなや、柳の木によじ登り、西の方角に向かって言うには、阿弥陀如来の絶大なるお力をもって、我をお受け取りくださり、脇士の観音菩薩・勢至菩薩もどうか来ていただき、お力添えをいただいて、無事西方極楽浄土へ往生できるよう、お助け下さい。」
そう言いおわって、青柳の上より身を投げて自殺をはかったのです。
ところが、あっさり死んでしまえば、これはこれで楽だったのに、三月十七日、首をくくって飛び降りたのに、縄が途中で切れてしまったのか、はたまた柳の枝が折れてしまったのか、大旱魃でガチンガチンの堅土の上に墜ちて、腰の骨をうち折り、二十四日にいたるまでの七日七夜の四十九日間、悶え苦しみ七転八倒して、うめき叫びながら死に絶えたのです。
これは念仏を誹謗しているのではありません。
善導の伝記の「類聚伝」の文であります。
釈尊出世の本懐たる法華経をあなずり、誹謗悪口ことの原因結果により、あるいは彼等の教義そのものに、両親からいただいたこの身を厭い、早くこの世界を去って彼の浄土に生まれ変わろうという祈りが、いつしかその人自身を自殺や心中へと追いやる事になるのは、道理の赴くところ、当然であります。
その祈りそのものが、法華経という真実の教に背き、自殺という地獄に堕ちる事をそそのかす、これ、邪教の邪教たる所以であります。
私達は、法華経という人間の尊厳を説き明かされた信心をお伝えし、これを識らずに泥沼に沈みこんで行こうとしている人々を一時も早く正法に導き救ってあげたいのであります。
それが、最高の仏法を行ずる我々の使命だからです。
まとめます。
「念仏はあきらめの教えです」
 念仏を称(とな)える宗教では、この世は苦悩に満ちた穢(けが)れた土であり、死後に阿弥陀仏によって西方(さいほう)極楽浄土に往生することだけを願いなさいと教えます。
 これでは、目の前で悩み苦しむ人に対し、「あなたは今の世では救われることがない」と突き放しているようなもので、とても人々を救う教えとはいえません。
「念仏は釈尊の真意ではありません」
 釈尊は、三十歳で悟りを開いて仏となり、八十歳で入滅されるまでの五十年間にさまざまな教えを説かれました。そのうち、最後の八年間に『法華経』を説かれました。
 釈尊は法華経を説くにあたり、「今まで四十余年にわたって説いてきた経々には、真実を顕していない。これらの教えは、人々を法華経に導くために仮に説いた教え(方便)である」(趣意・無量義経 法華経23頁)
と明かされました。
 念仏では、方便のお経である『阿弥陀経』などを依経(えきょう)としています。したがって、念仏の教えは釈尊の真意ではないのです。
「法華経こそ真実の教えです」
 釈尊が法華経において、自ら「真実の法とは、法華経ただ一つである」(趣意・『方便品第二』法華経一七四頁)と説かれているように、法華経こそが真実の教えであり、釈尊仏法における最高の教えです。
 さらに釈尊は、自身の滅後二千年以降の末法(まっぽう)時代に至ると、「自分の教えの力は無くなり、そこに新たな仏が出現し、一切衆生を救済するであろう」と予言されました。
 この予言どおり、末法の仏として出現されたのが日蓮大聖人です。
「すべての人が救われる教えは、南無妙法蓮華経です」
 日蓮大聖人は、法華経の命である南無妙法蓮華経を唱え出だされ、その功徳を御本尊として顕されました。末法の人々はこの御本尊を信じ、南無妙法蓮華経の題目を唱えることによってのみ、真の幸福を得ることができると説かれたのです。
 すべての人が救われる教えは南無妙法蓮華経なのですから、勇気を出して正しい信仰を選び、我が家の繁栄と幸福を祈ることを一番大事とされました。
「宗旨(しゅうし)を替(か)えたら、先祖が迷うのではありませんか?」
という人がいますが、そのような心配はいりません。
 南無妙法蓮華経の教えに帰依し、日蓮正宗寺院において追善供養することにより、先祖の精霊(しょうりょう)は正しい御本尊の功徳によって必ず成仏できるのです。
今日はここまでにさせていただきます。
どうかご一読願って念仏の害毒のありようを
今一度お考えいただける糧になれば幸いです。
失礼しました。   (2020、6,20)。

(紅楳)
前の機会(2019,12,2)に存じ上げましたが、あなたは浄土真宗の寺院に生まれ、住職を務めた経験もある人でありながら、他宗に転じた人であります。色々なお悩みや精神的葛藤、それから現教団に対しての疑問や不信もあってのことと思いますが、前にも申しましたようにあなたにとって一番の不幸は、浄土真宗の善知識(信心決定の人)に巡り合う機会がなく、本当の浄土真宗の教えを聞くことできず、信心決定することが出来なかったことだと思います。
前にも申しましたように、平成19(2007)年3月まで30年間住職をされたのであれば、その期間は1977年~2007年と言う事になり、ちょうど本願寺教団の信心不在現象が急激に進行した時期であります。龍谷大学の真宗学教授の信楽氏や岡氏が「信心正因称名報恩」義に反対運動を始めた頃であります。この現象は益々深刻化し現在に至っているのであります。このこともあなたにとって大変不幸なことでありました。現教団の諸問題の改善は急を要することだとは思っています。
しかしあなたの言われるように日蓮上人の言う事がすべて正しいと考える事は間違いであります。親鸞聖人は浄土三部経(特に無量寿経)を釈尊の出世本懐の経とし、真実の教としました。法華経等は方便の経とされたのであります。それから親鸞聖人は聖徳太子を大変尊敬され和国の教主と言われ、弥陀の本願をひろめた人だ、ともいわれています。日蓮上人系の人は聖徳太子は、阿弥陀仏を佛として崇める事を否定されておられる、といわれますが、それは誤りだと思います。
要するに、現在の本願寺派教団は信心・念仏(他力念仏、報恩念仏)不在で問題山積ですが、浄土真宗は私自身が御救いを頂くことが出来た真実の教であります。あなたもどうか一日も早く信心決定の人になって下さい。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続⑮近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku15.html

(Y氏)
 紅楳英顕様 お返事ありがとうございます。あなた様からのお言葉ですが、私は逆に阿弥陀の信心に決定しなくて救われたと今命で確信しています。どうぞコロナ時代ですのでご自愛くださり、早く正しい信仰に帰依してくださるよう願っております。感謝

(紅楳)
 取り敢えずは「面々のおんはからひなり」(歎異抄第二)と申させて頂きます。合掌

(Y氏)

紅楳英顕様 ひとつだけ動画をご覧ください。

浄土真宗の住職同士で漫才をやって話題性を作り人集めを6年もしているグループが世間では話題です。

それがコロナ時代であるということでYouTubeに漫才を衣を着て本堂でやって僧侶の自虐ネタをミルクボーイ風にやっているんです。

それが仏教の啓蒙の一因に繋がると豪語する非常識さと本当はコロナ時代だからこそ本気で仏教として何をすべきか、宗教者としての使命が全くわかっていない浄土真宗の宗門そのものの恥をそのまま公開しているバカバカしさをみる気がします。

よい歳になる人間としても俗にまみれ人間の救いがなんたるかを真剣に考えていないこの醜態をみて私は浄土真宗の住職を辞して日蓮正宗に帰依して助かったと安堵しております。

あの頃の自分ならこの滑稽な行為も宗教活動なのだと自負して、認めて容認していたと思いますし、私自身自坊で仏教コンサートと銘打って俗の歌や浄土真宗の讃歌を歌っていました。愚かだったあの頃を気付かせていただきよかったと思う今日この頃です。さあ御尊師はどう思われますか?

https://youtu.be/PpW3Jwcrd7w


(紅楳)
有難うございました。漫才法話というものを知るのも見るのも初めての事でありました。伝道方法は時代とともに変わるものであり、色々あって良いとは思います。しかし、伝道活動と言うものは、「自信教人信」でなければならないと思っています。蓮如上人は『御一代記聞書』九三に
「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり、人承引あるべからず」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,1261)と述べられています。これが大変大事なことと思います。

現在の本願寺派教団のように教団の責任担当者(行政面、教学面)までが信心正因称名報恩の意味も分からない、宗制宗法遵守義務放棄の信心不決定(未決定)者の集団と成り果てた状態は、早急に改善されねばならないと思います。合掌

(Y氏)
紅楳英顕様は内部で教団改革の志に生きておられる姿は敬服いたします。なんでもありの堕落した教団ーお金儲けに走っている教団がまず仏教に命をかける僧侶を育成することから出発ですね。 (2020,6,20)。

(紅楳)
私もお陰様で、今年数え年の80才(お釈迦様や法然上人の御往生された御年)であります。残りの人生は「聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなり」(『教行信証』「総序」、『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,132)で過ごさせて頂きたいと思っています。 合掌  (2020,6,21)。

Y氏)

御尊師、浄土真宗もひとりひとりの信心のありようはあるでしょうが、サンガとしての教団がいわば、根本的な入れ物になっていかなければおかしいと私は思います。また、ひとりひとり信心に対する同志としての共通した理念、根本的な原理が大事だと思うのです。
御尊師は今の浄土真宗教団に何が欠けているのか具体的に教えてください。


(紅楳)

あなたが浄土真宗教団の中の方なら色々申し上げますが、それはできません。ただ御承知のようにonlineに意見を種々述べています。合掌


Y氏)

紅楳英顕様  近年の本願寺派教学に想うをもう一度読ませていただきます。




1年前    この日の思い出を見る

紅楳 英顕 2019626

 一句浮かびましたので記します。(下記) 

近年教義安心紛    近年(きんねん)教義安心(きょうぎあんじん)は紛(みだ)る。

念仏真仮無弁違    念仏(ねんぶつ)の真仮(しんけ)<註>、違(ちがい)を弁(わきまうる)ことなし

慶讃法要実間近    慶讃法要(きょうさんほうよう)実(まこと)に間近(まじか)。

応仰祖師崇高希     応(まさ)に仰(あおぐべし)、祖師(そし)の崇高(すうこう)なる希(ねがい)を。 

註、真実の念仏→ 18願の他力念仏、弘願念仏。

  仮の念仏(方便の念仏)→ 19願の要門自力念仏(万行随一)、20願の真門自力念仏(万行出過)

<意訳>、

近年、教団においては、教義や安心がみだれております。
念仏の真仮、他力念仏(18願の念仏)と自力念仏(19願、20願の念仏)の違いが分からないような状態であります。親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の慶讃法要は間近か(4年後)となっております。
真実信心の念仏(他力念仏)を説かれた祖師(親鸞聖人)の、教えと御心を深く仰がせて頂きましょう。 合掌(2020,6,26)。


宗教団体にとって何よりも大事(本山に納める義務金より大事)であるはずの、教義信心についての法規(信心正因称名報恩義)の遵守義務放棄が公然とまかり通るようでは正常な教団とは言えません。教団当局が、もし勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄を正当だと考えるのなら、直ちに宗制(第三章 教義)および宗法(第59条3)を改正し、御文章の拝読、本山の御正忌報恩講での改悔批判における御領解出言等を一切廃止すべきだと思います。教団の生命である信心教義がいい加減なことでは、何を試みようと発展振興はあり得ないと思います。  合掌 (2020,6,26)。

間違いだらけの教えを語り、正常な教団なら義務金納付より重要な、信心教義についての宗制宗法遵守義務を放棄する勧学寮頭を裁く規定がないとは、全くでたらめであります。このような事では教団の発展振興の可能性はゼロであり、近い慶讃法要も意味のないものになると思われます。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html
「続⑲近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku19.htm  (2020,6,27)。




紅楳 英顕

As I have mentioned several times, Mr. Jōshō Adrian Cirlea is Romanian

He is very enthusiastic about Jodo Shinshu.

I first met him when I was invited by him in August 2008 to attend the 15th Congress of the International Association of Buddhist Culture held in Bad Reichenhall, Germany. At that time, my presentation was "Establishing Shinjin: the Premise of Peace and Tranquility". Gassho

何度か御紹介しましたが、Jōshō Adrian Cirleaさんはルーマニアの方で、大変浄土真宗に熱心な方であります。

私が氏に最初にお会いしたのは2008年8月に氏の御誘いを受け、ドイツのBad Reichenhallで開催された第15回ヨーロッパ真宗会議に参加した時でありました。その時の私の発表は「Establishing Shinjin: the Premise of Peace and Tranquility」(信心の確立:平和と安寧の前提)でありました。

合掌     https://amida-ji-retreat-temple-romania.blogspot.com/2020/03/amida-dharma-basics-of-jodo-shinshu.html?fbclid=IwAR3IyOsvC4jA16L1ruKdPLxt-PyBTMTUx2qedTdNS0MFZ7lRZLn4E7U_5MQ

http://trueshinbuddhism.blogspot.com/

at that time we fought together against wrong views! at that Conference you clearly stated that those who say Amida is a symbol and myth do not have the experience of salvation! A very important statement!

2008年8月のヨーロッパ真宗会議で私は、those who say Amida is a symbol and myth do not have the experience of salvation(阿弥陀仏を象徴と言ったり、神話と言う人達は救済体験にない人達である)、と言う意見を述べました。
現代の科学時代(500年くらい前からを言う)となり、ヨーロッパにおいてニーチエ(1844-1900)は「神は死んだ」と言い、ブルトマン(1884-1976)は『新約聖書』の非神話化を主張しました。私はこの事の詳細は知りませんが、国内の真宗関係者で阿弥陀仏や浄土について同様な意見を言っていたのが、現代教学樹立の名のもとに信心正因称名報恩義を否定した信楽氏等であったのです。何度も申したことでありますが、信楽氏等の信心正因称名報恩義を否定した人達は念仏の信前(自力)、信後(他力)の違いの分からない、宗教体験(救済体験、獲信体験)のない信心不決定(未決定、未安心)の人達なのであります。このことははっきり言えることであります。ヨーロッパのことについては断言は控えますが、おそらく同様であろうと私は思います。宗教的真理は科学時代であろうが、それ以前であろうが、宗教体験によって体得するものであり、それ以外のものでは体得できないものであろうと考えます。浄土教で「自信教人信」と古えから言われているのも、このことに他ならないと思います。  合掌
(2020,6,28).

宗制(第三章 教義 信心正因称名報恩)に反対した信楽氏岡氏等は宗教体験(救済体験、獲信体験、救済体験)のない信心不決定(未決定)者であったのであり、それを容認した(1981年)の勧学寮も同類であったのでありましょう。しかも平成24(1912)年4月1日施行の宗法には、宗制 教義に反する義を主張する者には勧学寮が教諭するとはっきり定められました。しかし勧学寮は何もしませんでした。これは勧学寮の完全な宗制宗法遵守義務放棄であります。信心教義を重んずる正常な教団であるなら、義務金納金放棄より重罪である筈であります。この重罪が「勧学寮頭を裁く規定がない」という「デタラメ」で済まされるのでは最早教団の存続意味はないように思います。早急に、少なくとも慶讃法要までにはきちんとして頂きたいものと思います。そうでなければ2023(令和5)年の親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年慶讃法要も無意味なことになると思います。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続⑱近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku181.html  (2020、7,4)。



度々述べたことでありますが、勧学寮は信楽氏、岡氏等の言う信心正因称名報恩義反対に対し何の裁きもせず、何故かむしろ擁護する始末でありました。実は私は2000年5月の勧司会(勧学司教の会)で「勧学寮を揶揄し、信心正因称名報恩義に反対を続ける信楽氏に何か言うべきではないか」と意見を出しました。所が私としては意外なことに、勧学寮の現寮頭(当時は司教)や当時の部長が《以下、「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html <2015年4月7日記より引用>「そんなことは、あなたが個人でやったら良い」と激しい口調で反対したのです。当時の寮頭も出席していましたので、「寮頭先生のお考えは如何ですか」と尋ねましたら、当時の寮頭は「そう言う問題は、御門主様が何も仰らないのに、我々が何もする権限はない」と言い放ちました。私は納得は出来ませんでしたが、それ以上はもう何も言いませんでした。
そういう経緯もありましたので、この度の新宗法を大いに期待したのでありますが、それが遵守されず、誠に遺憾なことであります。合掌    紅楳英顕    (2015年4月7日)。》
このように、この当時(2005年5月)から、勧学寮は信心正因称名報恩義に反対する意見に賛成のようでありました。そして2012年4月1日施行の新宗法の第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」と定められたのでありますが、遵守されることはなかったのであります。
教団当局は勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄を正当と認めるのであれば、本山、寺院における「信心正因称名報恩」が説かれている御文章の拝読、領解文の出言を直ちに廃止すべきであります。そうでないなら、教団の生命である信心教義についての宗制宗法遵守義務放棄は、正常な教団ならば、賦課金等の納付義務放棄より重過に値すると言えるものでありますので、正常な教団であり、発展振興するためには、そのような勧学寮は直ちに閉鎖すべきであります。少なくとも2023(令和5)年の親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年慶讃法要までには。そうでなければ折角の慶讃法要も無意味なものとなるでありましょう。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html

参考のために申しておきますが、大谷派の清沢満之氏、曽我量深氏も「信心正因称名報恩」義を語っています。尚、曽我氏は無明について二義を語っています。拙稿「親鸞における往生の問題」(大阪聖徳保育・福祉論叢26、 R、2<2020>3)。4、清沢満之と曽我量深の下。
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/ojonomondai.html  (2020,7,5)。

上の論文に書いていますように、私は大谷派の近代教学(特に曽我氏)に賛成しかねるところはあります。しかし清沢氏、曽我氏ともに宗教体験(救済体験)のあった人と思われます。それで二人とも信心正因称名報恩義を述べており、曽我氏においては、無明においても二義を語っています。(清沢氏もどこかで語っているかも知れません。)何度も述べましたが、私は信心正因称名報恩義を否定する人は信前の念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、信心不決定(未決定)の人だと思います。また無明について痴無明(煩悩妄念の心)と疑無明(本願疑惑の心)の違いの分からない人も、同様に信前の心相(疑蓋間雑心)と信後の心相(疑蓋无雑心)の違いの分からない、信心不決定(未決定)の人だと思っています。こういう信心不決定(未決定)の人達が教団の教学責任担当者であることが続く限り、「土の橋は、人を渡して己は落つる。信なき者の説法は、人も渡さず己も堕つる」という諺もあるように、教団はただ衰微の一途を辿るのみと憂慮する次第です。合掌
 (2020,7,6)。

慶讃法要までもう三年はありません。教団当局は勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄(信心教義を重んずる教団なら、賦課金等の納付義務放棄より重過に値すると言える)を正当とするかどうかの判断を、今年中にははっきりする必要があると思います。(正当とするなら、御文章の拝読、御領解出言の一切廃止。不当とするなら勧学寮の閉鎖。)正常な教団なら、その生命であるべき信心教義の問題が、杜撰に扱われるようでは教団に将来はないと思います。「近年の本願寺派教学に想う」(2013,12,22記)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm にも同じことを書きました。  合掌(2020,7,7)。



今年も八月となりました。一句浮かびましたので下記します。
令和二歳葉月来    令和二歳(れいわにさい)葉月(はづき)来(きた)る。 
疾病災禍尚不沈    疾病(しつびょう)災禍(さいか)尚(なお)沈(しずま)ず。  
信心念仏形骸変    信心念仏(しんじんねんぶつ)は形骸(けいがい)と変(へん)ず。 
体解祖師真実心    体解(たいげ)すべし。祖師(そし)の真実心(しんじつしん)を。
<意訳>
令和二年(2020年)の8月となりました。コロナウイルスの災禍は一向に終息しそうにありません。
大変残念なことでありますが。教団においては信心正因称名報恩の意味が正しく理解されない状態で、一番大事な信心念仏が形ばかりのものになりがちであります。速やかに親鸞聖人のお説きになられた信心念仏の意味を、正しく学び体得すべきであります。
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm に私は「結論をいえば宗門の責任者(行政面、教学面)は信心決定者でなければならない。少なくとも教学面の責任者はそうでなければならないということである。」 (2012年11月19日記)。 私は「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する」(信心正因称名報恩を否定することは宗制に相異する)が定められた、新たな始まりの今こそ宗門の体質(真実信心不在)改善に取り組まねばならないと思う。甚だ不謹慎であるが、この機を逃しては宗門の再生はないように愚考するのである。(2013年12月22日記)と書きました。今もこの気持ちは全く同じであります。
勧学寮は宗制(国で言えば憲法)に定められていた「信心正因称名報恩」に反対した当時龍谷大学の教授であった信楽氏、岡氏に対して当時の勧学寮頭は両者の主張に対し、一人については異義断定保留、(昭和五十六年三月)、もう一人については疑義断定保留、(昭和五十六年十月)と回答したのみであり、具体的には何の指導もなかったのであります。このことは両氏がそれぞれの著書で生涯「信心正因称名報恩」を批判し続けた事実で明らかであります。それだけでなく、勧学寮は「信心正因称名報恩」批判をやめさせようとしないだけなく、勧学寮を何かと揶揄する信楽氏に対して何か言うべきではないかと述べた私の意見に対し、勧学寮の現寮頭(当時は司教)や当時の部長が《以下、「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html <2015年4月7日記より引用>「そんなことは、あなたが個人でやったら良い」と激しい口調で反対したのです。当時の寮頭も出席していましたので、「寮頭先生のお考えは如何ですか」と尋ねましたら、当時の寮頭は「そう言う問題は、御門主様が何も仰らないのに、我々が何もする権限はない」と言い放ちました。(2000年5月の勧司会<勧学司教の会>)。 私は納得は出来ませんでしたが、それ以上はもう何も言いませんでした。》このように、明らかに勧学寮は「信心正因称名報恩批判者」を庇う姿勢が明らかでありました。これは今考えても全く理解に苦しむことであります。このことがさらに2012年4月1日施行の新宗法(国で言えば新法律)の第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」と定められたのでありありますが、これも全く遵守されることはなかったのであります。これは勧学寮の完全な宗制宗法遵守義務の放棄であります。これはまさしく現教団の信心念仏の形骸化であります。これは宗教教団の生命であるべき信心教義についてのことでありますので、正常な教団であるならば賦課金納付義務放棄以上の大罪に相当すると思います。諸問題山積が教団の現状でありますが、教団の将来を真剣に考えようとするならば、この問題は断じて看過すべきことではないと私は思います。合掌
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html
「続⑰近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku17.html
「続⑱近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku181.html (2020,8、1)。
『読売新聞』(2020,8,3.17面)に《公益財団法人「全日本仏教会」が4~5月に実施した調査では回答した寺院(364か所)の約8割が例年同時期より事業収入が減少。「宗教離れ、寺院離れ傾向にある社会状況でのコロナ禍は、更なる宗教行事の簡略化や、不要とする意識をつくりあげているのではないかとの不安をぬぐえない状況が多くみられる」という。》とあります。
これは「浄土真宗」も決して例外ではありません。「宗教離れ、寺院離れ傾向」はかなり以前から言われてきたことであります。そのために教団は時代即応の教学刷新を頻りに言い続けてきたのでありましょう。信楽氏や岡氏の信心正因称名報恩批判説もその雰囲気の中で生まれたものとは言えるかも知れません。しかし残念なことでもあり、悲しいことでもありますが、信楽氏も岡氏も宗教体験(救済体験、獲信体験)のない人であり、信前念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない人でありました。そのため宗制教義に定められていた「信心正因称名報恩」を否定したのであります。所が当時(1981<昭和56>年)の勧学寮も恐らく宗教体験(救済体験、獲信体験)のない人達であったのでありましょう。宗制教義に反する意見を述べる信楽氏岡氏に何をすることもなく、挙句の果てには2012年4月1日施行の新宗法の第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」と定められたものまで無視して何もしないのであります。まさに宗制宗法の形骸化、信心念仏の形骸化不在が教団の現状であります。こんな状況で教団の発展振興はあるべくもないと思います。
それから上(8月1日記)に書きましたが、2000年5月時の勧学寮頭が信楽氏の信心正因称名報恩義批判問題について「そう言う問題は、御門主様が何も仰らないのに、我々が何もする権限はない」と言い放ちましたことも甚だ疑問であります。意味はよく分かない所がありますが、こういう言い方によって宗制教義についての違反者を庇うのは、信心念仏の形骸化不在化現象(正しい信心念仏<18願の信心念仏>が存在しない現象)を増々促進することに成ったと思われます。ついでに申しますが、無明について痴無明(煩悩妄念の心)と疑無明(本願疑惑の心)の違いを言うことに反対する教学責任担当者がいるようですが、この人達も宗教体験(救済体験、獲信体験)のない人達であろうと思います。
宗制宗法遵守義務放棄が公然と罷り通る信心不在体質は、今年一杯には具体的改善を念願する次第であります。そうでなければ、2023年の慶讃法要もむなしく感じられます。 合掌
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