「続㊲近年の本願寺派教学に想う」
これは「続㊱近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku36.html に続くものです。
第30回 信巻(その1) (Chapter on Shinjin 1) 2024,9,14。
『顕浄土真実教行証文類』読述』
https://www.youtube.com/watch?v=C9CddJ7c8Ww
で、現在の教団の混迷について私の想いを率直に述べました。
何と言っても、一番の問題は教団の信心不在現象が進み信心教義の最高の責任機関であるはずの勧学寮が、宗制教義に定められている<1941年以降>「信心正因称名報恩」義の意味も分からない、信前の念仏(カラ念仏<僧侶であるなら営業念仏>、自力念仏<要門、真門>)と信後の念仏(他力念仏<弘願>、報恩念仏)の違いの分からない信心不決定(未決定、未安心)者の集団となり、宗制宗法遵守義務放棄の大過集団となっていることであります。<宗法違反は2012,4以降>。
このほかにも勧学寮を含めた教学責任担当者の中に、十劫安心、無帰命安心、疑心往生、生涯不決定の主張がまかり通っているようであります。このように信心不在の教団と成り果てたことが、この度の大混乱の原因だと思います。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://www.e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm (最初~㊲)
勧学寮、信楽氏・岡氏の問題については、河原博夫氏の
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(2023,3,23~2023,4,1)、(2023,5,20)(2023,11,1~2023.12,18)。(2024,8,20~2024,8,27)等に詳述されています。
(2024,9,23)
2024年9月25日の『中外日報』第一面に
本願寺派新しい「領解文」問題
前寮頭、「同意」誤り認める
徳永氏 勧学寮に再考を要請
なぜこのようなことが起きたのか、これにつては私が以前から申しておりますように、現在の勧学寮は宗制教義に定められている(1941年以来)、「信心正因称名報恩」義の意味の分からない、信前の念仏(カラ念仏、自力念仏<要門、真門>)と信後の念仏(他力念仏<弘願>報恩念仏)の違いの分からない信心不決定(未決定、未安心)者の集団となっており、しかも2012年以降は教義安心についての宗制宗法遵守義務放棄の大過者集団ともなっているのであります。
このような勧学寮の信心不在体質の中から寮頭に選ばれたのが徳永氏でありますから、間違いを起こすのも至極当然とも言えば当然でありますが、領解文問題で間違えるということはあってはならないことであります。
この度の大混乱は三業惑乱以上の大問題であります。三業惑乱でそれまでの能化制度が廃止されました。
この際、信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り果てた勧学制度を廃止して、別の制度を考える必要があると思います。これについては前にも述べましたが、<続㉟近年の本願寺派教学に想う http://www.e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html 2023、2,18記> 、2023年2月16日に特別に開かれた徳永氏勧学寮頭辞任について会議(司教会)で私の意見を述べました(取り上げられませんでしたが。) 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://www.e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
(最初~続㊲)
令和7年度の本願寺の御正忌報恩講が終了しました。一番重要な儀式が信心が正しいかどうかを確認する「改悔批判」と言われています。
所が昨年より旧領獬文と新領解の二種が出言・唱和されるいう現象が生じているのであります。この問題は何時までも放棄する事はできないことであり。一刻も早く解決しなけれならないと思います。
旧領解文には「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、この上の称名は御恩報謝と存じ、よろこびまうし候ふ。」(『浄土真宗聖典』P,1227)とあります。今年の「改悔批判」では、この点が強調されたようでありました。これは結構なことですが、それなら何故勧学寮は1981年以降は宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義を軽んじ、2012年以降は宗制宗法遵守義務放棄という誤りを犯し続けたのでしょうか。勧学寮にはこの説明が必要だと思います。
このような勧学寮の曖昧、無責任、粗雑な姿勢が新領解文に無思慮に同意することにもなり、混乱の原因になったと思います。合掌「近年の本願寺派教学に想う」http://www.e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
(最初~続)㊲)
(2025,1,19)
『中外日報』(1月31日)の9面の浄土真宗本願寺派の欄に
「石上氏の責任検証を」とあり、28日の第55回常務委員会で、「領解文」を巡る混乱に関して、消息発布当時の総長である石上智康氏の責任を明確にする必要があると強調する意見が出されたとあります。
この件については私は再三意見を述べましたが、総局にも責任はありますが一番の責任は信心・教義の責任担当機関である勧学寮にあると思います。勧学寮が「新領解文」の総局案に無思慮に同意したことが混乱の原因だと考えます。
しかも総局案に同意捺印しながら、当時の勧学寮員の中に自分は同意しなかったという虚偽の発言をしていた者もいた【「勧学、司教有志の会の記者会見」<2023,5,23) (https://www.youtube.com/watch?v=P5Q3UMmfiJs)】とのことでありますが、これは甚だ理解に苦しむことであります。
それに加えて先日(1月22日)に述べましたように勧学寮は1981年以降以前〔1941年〕から宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義を軽んじ、2012年4月以降は 宗法第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」を全く無視した宗制宗法遵守義務放棄の大過集団となっていたのであります。このように「破和合僧」と言うべき集団と成っているにも拘わらず、一方では「御正忌報恩講」で一番重要な儀式である「改悔批判」では「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうえの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ」とある「信心正因称名報恩」義を強調する旧領解文を、一同に出言・唱和を令和5年(2023)まで専ら説き続け、勧め続けたのであります。
この勧学寮の永きに亘る矛盾的、欺瞞的姿勢をどう理解すべきでありましょうか。将来の教団のあるべき方向を考えるべき時に当たり、教団人全体でよくよく考えねばならないことであると思います。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://www.e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
(最初~続㊲)
(2025,2,4)
「仏教詩歌の会」第四十七回 (令和七年<2025>6,6)
紅楳英顕 (2025,3、20)
*紅梅華は私の郷里の寺の境内にある開基前からあったと言われている古木の華です。 近年植え換えられています。
取下領解文(取り下げ領解文)
紅楳英顕
結局取下領解文 結局(けっきょく)取(と)り下(さ)げ 領解文(りょうげもん)。
尚多前途諸問題 尚(なお)多(おお)し、前途(ぜんと)諸問題(しょもんだい)。
雖有信条見解異 信条(しんじょう)見解(けんかい)の異(い)は有(あ)りと雖(いえど)も、
主因信心不在迷 主因(しゅいん)は、信心(しんじん)不在(ふざい)の迷(まよい)なり。
<意訳>
しばらく混乱はありましたが、結局、「新領解文」は3月4日の本願寺派の宗会で取り下げと決まりました。 しかし、前途に多くの問題をのこすことや、明らかにすべきことが浮き彫りなったことと思います。 色々御意見はあることと思いますが、私は一番大きな原因は近年の教団の信心不在体質にあると思います。 合掌 (2925,5,11)
漸来真宗復興時 (漸く来たり。 真宗復興の時。)
紅楳英顕
漸来真宗復興時 漸(ようや)く来(き)たり。 真宗復興(しんしゅう)の時(とき)。
聖人遺弟醒本分 聖人(しょうにん)の遺弟(ゆいてい)、本分(ほんぶん)に醒(めざ)むべし。
当今末法濁悪世 当今(とうこん)は末法(まつぽう)の濁悪世(じょくあくせ)なり。
正義学道精進勤 正義(しょうぎ)の学道(がくどう)精進(しょうじん)に勤(つとむ)べし。
ながらく、信心不在の教団体質のため、低迷が続いたように思われますが、この度の混乱が落ち着くことにより、私は真宗復興の時が到来したと思います
我々親鸞聖人の教えをいただくものは、自分の本分(聖人の教えを正しくいただき、それを他者に伝えること。)をよく認識しなければならないのであります。
現代は末法の世であり、世界中に紛争の絶えない五濁悪世であります。
我々は聖人の教えを正しく頂き、正しく学ぶことに励み勤めることが大事なことでありま す。
合掌 (2025,5,14)
(2025,6,9)
何度も申しましたように、本願寺派のこの度の「新領解文問題」の混乱の一番の責任は「信心正因称名報恩」の意味も分からない信心不在の集団と成り果てた勧学寮にあったと思います。この点は「勧学・司教有志の会」のメンバーも同じであります。 合掌
「勧学寮は今回の混乱の責任を取るべきだ」 028-033 (23).pdf <単> 宗教問題49、(合同会社宗教問題)、(2025、4)。
(2025,7,16)
上記「勧学寮は今回の混乱の責任を取るべきだ」028-033 (23).pdf で述べましたように,信楽(A)氏、岡(B)氏の「信心正因称名報恩」義反対問題について勧学寮は1981(昭和56)年3月の宗会で「両者の見解に問題はあるが、今の段階では異義(疑義)とは断定せず、今後の教学活動を見守る」と述べたものでありました。ところが程なく両氏とも基幹運動本部の委員となり、信楽氏は1995(‘平成7)年4月には監正局長に任命されたのであります。勧学寮は「両者の見解に問題はあるが、今の段階では異義(疑義)とは断定せず、今後の教学活動を見守る」と述べたのに可笑しな事だとは思っていましたが、
信楽)氏はその最晩年の著作のなかで、「『教団改革にあっては従来の宗学を批判している等』の内容の建白書が寺院住職から宗会議長に提出され、宗会全員賛成により裁決。最終的には一九八一(昭和56)年3月の定期宗会における勧学寮回答もって決着」と書いていたのであります。<『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』(2014,12。方丈堂出版。p、248>
前述しましたように、そのときの勧学寮はA(信楽)・B(岡)両氏の主張について、「今の段階においては異義(疑義)を主張していると断定することを保留し、今後の教学活動を見守ることにしたい」というものでありました。「決着」などはついていないはずなのであります。しかし、両者が何の処置も受けることもなく、基幹運動本部の委員に成ったり、監正局長に成ったりしたということは、実際には信楽氏のいうように「一九八一(昭和56)年3月の定期宗会における勧学寮回答もって決着」ということであったのであリましょう。即ち勧学寮は「両者の見解に問題はあるが、今の段階では異義(疑義)とは断定せず、今後の教学活動を見守る」と述べながら、実際には宗制教義に反する主張(反するというより反体否定の主張)をした両氏に対し何の注意も指導もせず、むしろ賛同したという事でありましょう。これは信心を生命すべき宗教教団において、断じてあってはならないはずのことであります。
目下、混乱中の教団の将来のあるべき方向を真剣に考えるうえで、極めて重要な事だと思います。 合掌
(2025,10,17)
上記(2025,10,17)のように、信楽氏、岡氏の「信心正因称名報恩」義反対問題について,信楽氏が「一九八一(昭和56)年3月の定期宗会における勧学寮回答もって決着」と書いていたのであります。<信楽峻麿著『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』(2014,12。方丈堂出版。p、248>
これは勧学寮が1981(昭和56)年3月の宗会で「両者の見解に問題はあるが、今の段階では異義(疑義)とは断定せず、今後の教学活動を見守る」と述べたものとは完全に相異するものでありました。しかし実際には信楽氏のいうのが正しかったのでありましょう。それで両者は何の処置も受けることもなく、基幹運動本部の委員になったり、信楽氏は1995(平成7)年4月には監正局長になったりしたのでありましょう。
これで私が宗法第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」(平成24<2012>年4月1日施行)により、勧学寮に宗制3教義の「信心正因称名報恩」義に反する信楽氏に対して、再三教諭をお願いしたのでありますが、一向に実施しなかった理由がやっと分かったような気がしたのであります。
しかし、それならそれと理由を説明して欲しかったと思いますし、またこのことは教団全体の極めて重要な事柄でありますので、公に知らせて欲しかったと思います。そうでなければ全教団の僧侶、門信徒の皆様に対する背信行為といえると思います。
何度も申しますが勧学寮のこのような、信心不在に始まる無責任、杜撰、欺瞞な体質はこの際一切改めるべきだと考えます。 合掌
(2025,10,19)。
私は「近年の本願寺派教学に想う」(最初)http://www.e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm の終わりに
『このような信心不決定(未決定)の人達に教諭ができるとは思えないが、新たな始まりのスタートに際し、職務放棄は許されないことであろう。私は「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する」(信心正因称名報恩を否定することは宗制に相異する)が定められた、新たな始まりの今こそ宗門の体質(真実信心不在)改善に取り組まねばならないと思う。甚だ不謹慎であるが、この機を逃しては宗門の再生はないように愚考するのである。(2013年12月22日)』
と書きました。
しかし、実際には信楽氏のいうように、「一九八一(昭和56)年3月の定期宗会における勧学寮回答もって決着」ということであったのならば、何とも空しいことであります。
周知のように信楽氏は遺著『親鸞はどこにいるのか』(2015,10,20刊。法蔵館)にも強く「信心正因称名報恩」義を批判しているのであります。
このことは勧学寮も総局も宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義反対論に賛成するのみならず、宗法第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」(平成24<2012>年4月1日施行)にも反する行為をなしていることを示すのであります。
こんな杜撰がまかり通って良いものでしょうか、宗門の将来について宗門人全体でよくよく熟考すべきことと思います。 合掌
(2025,10,20)