「続㉓近年の本願寺派教学に想う」
   これは「続㉒近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku22.html に続くものです。

先日(FBの1月13日記中、<「続㉒近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku22.html、2021,1,19記>)に、私は「教団の信心不在化の大きな原因の一つと成っているのが、近年、一念覚知説の正しい理解がなかった事だと思います。三業惑乱騒動で一念覚知の異義とされたのは、信心獲得時の年月日時を必ず覚えていなければならない、と主張した事でありました。これがいつの間にやら宗教体験(救済体験、獲信体験)を語る事が一念覚知の異義だと言われるようになり、信心はあるやらないやら分からないものだとか、庄松同行の話で改竄抹消がまかり通る極めて奇妙な現象が生ずる事にもなっているのであります。この問題は教団の将来を考える上で徹底的に論ずる必要があると思います。」と書きました。
私は近年教団の信心不在化が急速に進み、龍谷大学真宗学のみならず、勧学寮までが、信心正因称名報恩の意味も分からない宗制宗法遵守義務放棄者の集団と成り果てて、「改悔批判」も完全形骸化と成った大きな原因に、三業惑乱における一念覚知説の異義についての理解の誤りがあることを指摘したいと思います。
最近、本願寺出版社より発刊された『季刊せいてん no.133』2020冬の号、特集三業惑乱―<信心>をめぐる対論、を読みました。
簡略にまとめられており結構だとは思いますが、私が大変残念に思いますのは、「一念覚知説」については全く触れられてないことであります。
そこには「文化三(1806)年、本如上人は、御裁断御書の消息を発布し、欲生帰命説は誤りで、信楽帰命説こそが正統であることを公に宣言し、三業惑乱は収束を迎えました。」(p、46)とあります。たしかにその通りであります。しかし『御裁断御書』に述べられているのはそれだけではありません。( http://labo.wikidharma.org/.../%E5%BE%A1%E8%A3%81%E6%96... 林遊氏資料より)
ここの「【2】 しかるに近頃は、当流に沙汰せざる三業の規則を穿鑿し、またはこの三業につきて自然の名をたて、年月日時の覚・不覚を論じ、あるいは帰命の一念に妄心を運び、または三業をいめるまま、たのむのことばをきらひ、この余にもまどへるものこれあるよし、まことにもつてなげかしき次第なり。」の部分が大事な所と思います。「三業の規則を穿鑿し、またはこの三業につきて自然の名をたて、年月日時の覚・不覚を論じ、あるいは帰命の一念に妄心を運び、」が欲生帰命説(三業帰命説)の誤りを指摘するものであり、「または三業をいめるまま、たのむのことばをきらひ、」とあるのは、龍養が主張したと言われる無帰命安心(十劫安心)を誤りとしたものであります。それで御裁断御書は三業派の主張を誤りとしただけでなく、無帰命安心(十劫安心)も誤りとしたものであります。
それから「年月日時の覚・不覚を論じ、あるいは帰命の一念に妄心を運び、」とあるのが「一念覚知説」に関わるところであります。まず「帰命の一念に妄心を運び、」についてですが、これは言葉だけから考えますと、帰命の一念には何の想いもあってはならない、といっているようですが、註に運想三業の異義を指すとありますように、病気等のため三業帰命が出来ない場合は意業で三業帰命の想いをなせということを誤りとしたものであり、何の想いもあってはならないと言っているのではありません。
次が「年月日時の覚・不覚を論じ」ですが、これは文字通り読めば 「信心獲得の年月日時の覚・不覚を論ずるずることを誤り」と言われているのであり、獲信体験を語ることが誤りとはいわれていないのです。もしそうであるなら親鸞聖人が「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,472)「年月日時の覚・不覚を論じ」と述べられているのも間違いと言うことになるでありましょう。『横超直道金剛錍』を書いた大瀛師も年月日時を必ず覚えていなければ間違いだと執ずることが誤りだと述べています。
現在では勧学寮関係者の中にも宗教体験や獲信体験の自覚がある筈はないと言い、それを言う人を一念覚知の異安心だと言い、助かるか助からないか分からない無自覚安心や、十劫の昔から助かっていると考える無帰命安心(十劫安心)が正安心と考える人が多いようですが、これは誤りであります。そして無自覚安心や十劫安心の人には報恩の念仏の実感はある筈はなく、信心正因称名報恩の意味も分からないのであります。これが現在の宗制宗法遵守義務放棄ということにもなり、教団の儀式のなかで最も重要な「改悔批判」も全く形骸化し果てている有様であります。コロナのために色々深刻の事態が生じてもいるようでありますが、このような信心不在体質の早急の改善が何より肝要なことと思います。 合掌
「続⑤近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html
拙著『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂、平成30<2018>年、6月)。序論 第二章 三業惑乱騒動 (p、7以下。)   (2021,2,21)。

本如上人が『御裁断御書』(文化三<1806>年11月6日)より前に出されたものに、本如上人の『御裁許書』(享和元<1801)12月27日)がある。大瀛が最初に書いた『浄土真宗金剛錍』は寛政九<1797>年とあり、最終稿の『横超直道金剛錍』も同期日になっているが、享和元<1801>年と言われている。恐らくこの『御裁許書』は『横超直道金剛錍』の後で出されたものであろう。
また寺社奉行脇坂淡路守が三業帰命(欲生帰命)を不正義としたのは文化三(1806)年7月11日であるので、それより前であったことになる。その『御裁許書』に「近来心得違いの輩、この一念に付、三業の義則を穿鑿し、或いはたのみし年月日時をおほえされは、信心にあらすとさたするを頌て、却て御正化にもとつかさるたくひこれあるよし、大きに歎き思い召るる処なり」とある。このことからも、三業帰命(欲生帰命)の「一念覚知」の主張が「信心を得た年月日時をおぼえていなければならない」と主張したものであったのであり、宗教体験、獲信体験を語ることではなかったことが明らかであろう。寺社奉行が三業帰命(欲生帰命)派を不正義とした影響があったのか『御裁断御書』では三業帰命(欲生帰命)と無帰命安心(十劫安心)の双方に誤りがあることが述べられているのに、江戸時代からの傾向であろうか近年とかく無帰命安心(十劫安心)寄りの、宗教体験(獲信体験)を語ること自体を否定する考えが横行しているが、これは間違いである。このことが信前信後の念仏の違いが分からないことにもなり、報恩念仏否定にもなっているのである。
それから先に示した『御裁断御書』http://labo.wikidharma.org/.../%E5%BE%A1%E8%A3%81%E6%96... の【1】の部分に「これすなはち当流に立つるところの一念発起平生業成の義、これなり。この信決定のうへには、昼夜朝暮にとなふるところの称名は、仏恩報謝の念仏とこころうべし。かやうにこころえたる人をこそ、まことに当流の信心をよくとりたる正義とはいふべきものなれ。」とあるのである。すなわち「信心正因称名報恩」義が述べられているのである。このことから現在の勧学寮が宗制宗法遵守義務放棄をしている事は現行の宗制宗法に違反しているのみでなく、三業惑乱終結時の『御裁断御書』にも違反するものであり、その罪過は計り知れないものであり、許さるべからざるものと考えねばならないであろう。 合掌
拙稿 「親鸞浄土教における救済の理念と事実」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm
 
上掲の拙稿 「親鸞浄土教における救済の理念と事実」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm... 中の「四、心得たと思ふは心得ぬなりについて」において、深励師と南渓師の『蓮如上人御一代記聞書』末二一三(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,1300)についての解説を述べています。即ち
「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり。彌陀の御たすけあるべきことのたふとさよ思が心得たるなり。少も心得たると思ことはあるまじきことなりと仰られ候。」についてでありますが、両師ともにこの文が衆生の信心決定、往生決定の確信を否定するものではない、衆生には信心決定、往生決定の確信はもつことのできるものであると解釈しているのであります。私はこの解釈は正しいと思っています。この論文にもそう書いています。所が近年の本願寺派の教学者の中には、この文を根拠に衆生は信心決定、往生決定の確信は持てるものではなく、持ったならばそれは一念覚知の異義だと主張する人もいるのであります。今は故人となられましたが著名であった人が自身の著にこう記しています。
【いただくことに力をいれることが逆に他力の信心の最大の妨害となるのである。更にいただいた人―たとえば妙好人―をモデルにすると益々誤った方向に向きをかえているのである。いただくことに力をいれるから、いただいたか、否かを確かめたい要求が出てくる。そこに「いただいています」という明瞭なものが自らの側にないと承服できないものである。一念覚知の要求はだれしもおちいり易いものをもつのである。しかし蓮師の『御一代記聞書末二一三・真聖全、列祖部・五八四頁』に
「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり。彌陀の御たすけあるべきことのたふとさよ思が心得たるなり。少しも心得たると思ことはあるまじきことなりと仰られ候。」とあり、いただいたということは自ら間違いないという思いをあてにしているので、既述の如く、信相と信体を混同しているのである。間違いないのは自らの側の聞いたものにあるのではなく、聞こえた名号法そのものである。そこに残るもの、はたらいているものは名号法しかありえない」】
と述べているのであります。氏は「間違いないのは自らの側の聞いたものにあるのではなく、聞こえた名号法そのものである。」と述べて、衆生の信心決定の確信、往生決定の確信を否定し、その確信を一念覚知の異義だと考えているようでありますが、これには賛成しかねます。これは蓮如上人の御意に反し、『御裁断御書』の意にも反すると私は考えます。
この氏の考えは多くの教団の教学責任担当者にも影響を与えていますが、所詮は宗教体験(救済体験、獲信体験)のない、信心不決定者の誤った考えだと思います。いずれにせよ。教団の信心不在体質の早急な抜本的改善が急務だと思います。  合掌
  (2021,2,22)。



紅楳 英顕さんが近況アップデートを投稿しました。

2017224  · (4年前)

続前(2月12日)

1月14日に述べましたように、他人が信体験を語るとすぐに「一念覚知の異安心者」という人は(私自身もよくそう言われてきました。)、その多くは「一念覚知」の正しい意味の分かっていない、十劫安心の異義者であるか、または宗教の世界に未だ目醒めてない人であるか、いずれにせよ信心不決定(未決定)の人と言って過言ではないと思います。三業惑乱の終結に貢献した大瀛氏はその著『横超直道金剛錍』に、十劫安心者を評し、

然るに十劫者は。この如是聞信をしらず。如来の正覚成就の時を。我が往生治定の時と計す。是大違なり。又かくのごとくこころえてのちこそ。御恩とは云べきに。十劫者この如実の領解もなく。聞信不具足にして御恩を忘れぬと云。大に違へり。

(下、四十丁、左)

と述べて、十劫安心の人は、如来正覚の時(十劫の昔)に往生の定まったと考える間違いの人であると述べ、御恩を忘れぬとは言いながら、仏の御恩の分かっていない人だと述べています。(往生の定まる時は信心の定まる時である。)

現教団においては教学責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団となり果て、他者の信体験に対しては一念覚知の異義者と評する十劫安心に据わった人達であり、仏の御恩が分からないが故に信心正因称名報恩の意味も分からず、宗制宗法遵守義務を公然と放棄する有様であります。この現状は三業惑乱時以上の惨状だと思います。

教団においては長らく発展振興計画が叫ばれ、また僧侶の有志による「宗門の明日を考える会」等も発足されてはおりますが、信心不在の体質の改善を忘れたままでは成果は期待できないと思います。 合掌。



丁度4年前の今日(2021,2,24)、上記を述べておりました。いみじくも前記(221日)と同じ内容でありました。 前述(221日記以下)のように、私は近年の本願寺派教団の信心不在化現象の大きな原因の一つに三業惑乱時の「一念覚知説」についての理解の誤りがあったと思います。上述のように三業惑乱時に存命中であった南渓師(1790-1873)が『新二十邪義』批評に

【心得たと思は心得ぬなりと云ひ機辺の決定を排する邪義、御一代記聞書末三十四丁に云云とあれば我等がたすかるわけは仏辺に成してあれば夫れを聞くばかり、機辺と信心決定の安堵のと云へは皆自力なり夫れこそ心得たとおもふになるなり。(中略)領解文には往生一定御助け治定と存じとある、存は亡に対して心内にあることなり、仏智を凡心に領受したる処なり。此御文にはしばしばこころえよとの玉ふ。何ぞ機受決定を排却せんや、(中略)御助けは一定往生治定と存ずと云ふ往生安堵の思ひに住するをこそ決定心を得たる人と云べし、この決定を排却するときは生涯不決定を以て安心とするや、若決定不決定を機受に求めずと云はば十劫秘事なり。】http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm

と述べています。ここに述べられている「機辺の決定を排する邪義」、「生涯不決定を以て安心とする」誤りが、現在、勧学寮の中にまで横行しているのであります。その代表者が前回述べました「ある氏」でありますが、氏は前回述べましたように機辺の決定心を排するのみならず、機辺の決定心を語ることを一念覚知と言い、異義とするとんでもない謬見をする人なのであります。この謬見が『庄松ありのままの記』の改竄抹消問題や領解文の否定問題にもなっているのであり、現在の勧学寮にも多分に影響を与えているのであります。http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kouenroku.html...

このようなことでありますので、機辺の決定心を述べる私を「一念覚知の異義者である」と言う人もいるのは、当然考えられることでありますが、(実際に数人の人から聞いている)これを言っている人は、「一念覚知説」の正しい意味の分かっていない、大瀛師の意も更には『御裁断御書』の意味も分からない、宗教体験(救済体験)のない、信心不決定(未決定)者であると言えるでありましょう。異論があるならどうぞ反論して下さい。(それが必要だと私は思います。それがなければ教団は衰微するだけだと思います。)

勧学寮がこのように信心不決定(未決定)者の集団と成り果てていますので、宗制宗法(信心正因称名報恩)遵守義務放棄はなされ、改悔批判は完全形骸化という、全くとんでもない、正常な教団とは言えない事態となっているのが教団の現状であります。これは「一念覚知説」の正しい意味も分からない、現勧学寮の信心不在体質より生じたものであると言えると思います。そしてこれが教団が長年色々対策は試みながら、ただ衰微の一途を辿る大きな原因になっていると私は思います。合掌

「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html

「続㉒近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku22.html
   (2021,2,25)。



前にも述べましたが、Paul氏は私をネットに紹介して下さった最初の人でありました。
今、大勢の外国人々と知り合いになることが出来たのは、Paul氏のおかげだと思っています。
氏が亡くなったのはこの記事の10ヶ月後の12月18日のことでありました。
ここに名前の出ているRichard C. St Clair(True Shin Buddhismn管理者)はPaul氏を師と敬っています。
Paul氏はここに「正確な日付は忘れた」と述べていますが、それは2011年7月2日のことでありました。氏が腎臓病を患っていることを私は承知していましたので、早い方が良いと思い、当時氏がおられたニュージャージー州に藤原一生氏(備後教区法蔵坊住職)と一緒に訪ねました。氏は大変喜んでくれました。その時「自由の女神」をニュージャージー州側から見たのが大変印象的でありました。
そしてその翌日(7月3日)にRichard C. St Clair氏にボストンで会いました。当時氏が勤めていましたボストンのマサーツセッツ工科大学の近くの食堂で御馳走になったことを懐かしく思い出されます。
Richard C. St Clair氏からは今年の1月1日に新年の電話を頂きました。私より少しお若いですが、永くお元気であってほしいと思います。 合掌
As I said before, Paul was the first person to introduce me to the internet.
I think it's thanks to Paul that I've been able to get to know a lot of foreigners now.
He passed away December 18, 2017, ten months after this article.
Richard C. St Clair, the administrator of True Shin Buddhismn, named here, honors Paul as his teacher.
"I forgot the exact date," Panl said here, which was July 2, 2011.
I knew that he had kidney disease, so I thought it would be better to go early, so I visited New Jersey, where he was at the time, with Issei Fujiwara (priest of the Hiroshima prefecture in Japan, Hozobo). It was. He was very pleased. At that time, it was very impressive to see the "Statue of Liberty" from the New Jersey side.
The next day (July 3rd), We met Richard C. St Clair in Boston. We remember having a treat at a cafeteria near the Massarts Setz Institute of Technology in Boston, where he was working at the time.
Richard C. St Clair called me for the New Year on January 1st of this year. He is a little younger than me, but I hope he'll be fine for a long time. Gassho
As I said before, Paul was the first person to introduce me to the internet.
I think it's thanks to Paul that I've been able to get to know a lot of foreigners now.
He died on December 18th, 10 months after this article.
Richard C. St Clair, the administrator of True Shin Buddhismn, named here, honors Paul as his teacher.
"I forgot the exact date," Paul said here, which was July 2, 2011. I knew that he had kidney disease, so I thought it would be better to go early, so I visited New Jersey, where he was at the time, with Issei Fujiwara (priest of the Hiroshima prefecture, Hozobo). It was. He was very pleased. At that time, it was very impressive to see the "Statue of Liberty" from the New Jersey side.
The next day (July 3rd), I met Richard C. St Clair in Boston. I remember having a treat at a cafeteria near the Massarts Setz Institute of Technology in Boston, where he was working at the time. Richard C. St Clair called me for the New Year on January 1st of this year. He is a little younger than me, but I hope he'll be fine for a long time. Gassho https://callofboundlesscompassion.wordpress.com/.../... (Paul).




前にも述べましたが、Paul氏は私をネットに紹介して下さった最初の人でありました。
今、大勢の外国人々と知り合いになることが出来たのは、Paul氏のおかげだと思っています。
氏が亡くなったのはこの記事の10ヶ月後の12月18日のことでありました。
ここに名前の出ているRichard C. St Clair(True Shin Buddhismn管理者)はPaul氏を師と敬っています。
Paul氏はここに「正確な日付は忘れた」と述べていますが、それは2011年7月2日のことでありました。氏が腎臓病を患っていることを私は承知していましたので、早い方が良いと思い、当時氏がおられたニュージャージー州に藤原一生氏(備後教区法蔵坊住職)と一緒に訪ねました。氏は大変喜んでくれました。その時「自由の女神」をニュージャージー州側から見たのが大変印象的でありました。
そしてその翌日(7月3日)にRichard C. St Clair氏にボストンで会いました。当時氏が勤めていましたボストンのマサーツセッツ工科大学の近くの食堂で御馳走になったことを懐かしく思い出されます。
Richard C. St Clair氏からは今年の1月1日に新年の電話を頂きました。私より少しお若いですが、永くお元気であってほしいと思います。 合掌
As I said before, Paul was the first person to introduce me to the internet.
I think it's thanks to Paul that I've been able to get to know a lot of foreigners now.
He passed away December 18, 2017, ten months after this article.
Richard C. St Clair, the administrator of True Shin Buddhismn, named here, honors Paul as his teacher.
"I forgot the exact date," Panl said here, which was July 2, 2011.
I knew that he had kidney disease, so I thought it would be better to go early, so I visited New Jersey, where he was at the time, with Issei Fujiwara (priest of the Hiroshima prefecture in Japan, Hozobo). It was. He was very pleased. At that time, it was very impressive to see the "Statue of Liberty" from the New Jersey side.
The next day (July 3rd), We met Richard C. St Clair in Boston. We remember having a treat at a cafeteria near the Massarts Setz Institute of Technology in Boston, where he was working at the time.
Richard C. St Clair called me for the New Year on January 1st of this year. He is a little younger than me, but I hope he'll be fine for a long time. Gassho
As I said before, Paul was the first person to introduce me to the internet.
I think it's thanks to Paul that I've been able to get to know a lot of foreigners now.
He died on December 18th, 10 months after this article.
Richard C. St Clair, the administrator of True Shin Buddhismn, named here, honors Paul as his teacher.
"I forgot the exact date," Paul said here, which was July 2, 2011. I knew that he had kidney disease, so I thought it would be better to go early, so I visited New Jersey, where he was at the time, with Issei Fujiwara (priest of the Hiroshima prefecture, Hozobo). It was. He was very pleased. At that time, it was very impressive to see the "Statue of Liberty" from the New Jersey side.
The next day (July 3rd), I met Richard C. St Clair in Boston. I remember having a treat at a cafeteria near the Massarts Setz Institute of Technology in Boston, where he was working at the time. Richard C. St Clair called me for the New Year on January 1st of this year. He is a little younger than me, but I hope he'll be fine for a long time. Gassho https://callofboundlesscompassion.wordpress.com/.../... (Paul).
 (Rick)
上記のようにPaul Roberts氏は宗教遍歴の後、2004年に浄土真宗に入信し、Richard C. St Clair(Rick)氏は他教のみならず、アメリカ真宗教団においても疑問が続いていた中で、2009年にPaul氏の話を聞くことにより真実の浄土真宗に入信したと述べています。このように両氏共に自分の入信体験の時を述べています。すなわち宗教体験(救済体験)の事実を語っているのであります。それで両氏共に当時のアメリカ真宗教団の宗教体験(救済体験)のない信楽氏の影響による、念仏の信前(カラ念仏、自力念仏)と信後(他力念仏、報恩念仏)の違いが分からずに「信心正因称名報恩」義を否定したり、浄土を実在しない神話であると否定したりする説の影響や、坐禅を勧めたりするアメリカ真宗教団になじめなかったのでありましょう。
私はこのことは両氏に間違いがあったとは思いません。私はアメリカ真宗教団のことはよくは分かりませんが、信楽氏の考えに賛同したり、坐禅を勧めることに限って言えば、これは明らかに親鸞聖人の教えとは異なるものでありますから、御熟考の程お願い致します。
それから日本国内のことでありますが、先日(FB, 2月21日、2月22日)申しましたように、日本国内は今、大変な惨状となっております。宗教体験(救済体験、獲信体験)がなく、信前の念仏(カラ念仏<僧侶ならば営業念仏>)と、信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いが分からず「仏恩報ずる」心もないままで、やたらと「信心正因称名報恩」義を否定した信楽氏岡氏の謬見に対して、勧学寮は何の制御も指導もできず、またそのために何かをしようとする意志さえ見られない有様であります。まさに正常な教団ならば、賦課金納付義務放棄より重罪と言うべき、信心教義についての宗制宗法遵守義務放棄の信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り果てている現状であります。
しかも信心安心の正否を裁く、教団における最重要儀式であるべき「改悔批判」も全くの形式だけの「完全形骸化」と成り果てているのであります。それに加えて、教団の歴史上最大の安心騒動と言える三業惑乱のおいて異義とされた、「一念覚知説」の意味も全く分かっていない有様であります。大体「信心正因称名報恩」義が正しいというも分からず、宗制宗法遵守義務を放棄している勧学寮はそれだけで、『御裁断御書』に反することであり、「一念覚知説」を論ずる資格はないはずでありますが、他人が宗教体験(救済体験、獲信体験)語るとそれを「一念覚知」の異義者であると非難はするのでありますから、極めておかしなことであります。そして前回申しました勧学寮関係の「ある氏」のように衆生に往生決定の決定心(確信)がある筈はなく、生涯不決定心が真実信心であるように思い込み、「わが身の往生一定とおぼしめす」(『親鸞聖人御消息』、『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,784)ことや「たのむ一念のとき往生一定御たすけ治定と存ずる」(『領解文』、『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,1227)ことを「一念覚知」の異義というのでありますから、これは  宗教体験(救済体験、獲信体験)のない人の言うとんでもない間違いであります。このような意見が罷り通る信心不在の教団体質は一刻も早く改善しなければならないと思います。 合掌
「続⑬近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku13.html
「続㉓近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku23.html    (2021,3,1)。

201731  ·4年前)。

ついでに申しますが、一念覚知説の正しい意味も分からずに、陰で他者を一念覚知の異義者
であると非難するような人達は、「生涯不決定」の異義者であり、信心不決定(未決定、未安心)者でもあると言って間違いなかろうと思います。こういう人達が教団の教学責任担当者である限り教団の将来はなかろうとおもいます。 合掌

本日の『中外日報』(2021,3,3)の第一面に「本願寺の財政難対策が焦点」<本願寺派定期宗会開会>と大きく報じられている。

勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄は公然とまかり通り、「改悔批判」も完全形骸化と成り果てている信心不在の教団の現状では、至極当然のことであろう。小細工をいくら労しても無駄である。信心不在体質の抜本的改善が肝要である。それが具体的になされないがぎり、2023年の慶讃法要も無意味なこととなるであろう。 合掌

本日の『中外日報』(2021,3,3)の第一面に「本願寺の財政難対策が焦点」<本願寺派定期宗会開会>と大きく報じられている。

勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄は公然とまかり通り、「改悔批判」も完全形骸化と成り果てている信心不在の教団の現状では、至極当然のことであろう。小細工をいくら労しても無駄である。信心不在体質の抜本的改善が肝要である。それが具体的になされないがぎり、2023年の慶讃法要も無意味なこととなるであろう。 合掌

2月27日)

繰り返し申しますが、宗教体験を語るとすぐに「一念覚知の異安心」という人は、一念覚知の正しい意味が分かっていない、救済体験のない信心不決定(未決定)の十劫安心の人であります。十劫の昔に往生は定まっていると考え、信心決定、往生一定の確信が衆生の側(機辺)にはない、あるはずはないと思っているのです。即ち親鸞聖人が三不信の一つとして戒められている不淳心(若存若亡心)<あるときには往生してんずとおもひ、あるときには往生はえせじとおもふを若存若亡といふなり>(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,587)が一生続くのが凡夫の心であると思い込み、往生一定の確信を言うのは自力心だと考えているのです。随分前のことですが、既に亡くなっているある勧学さんと話をしたことがあります。私が「往生の確信は持つことが出来ると思います」と言いましたら、その人は「それを言うと一念覚知になるぞ」と言いました。それで私は「しかし、領解文には<往生一定御たすけ治定と存じ>とありますが、あの<存じ>は衆生の心ではないのでしょうか」と言いますと、その人は「領解文は蓮如上人の書かれたものかどうか分からないからな」と言いました。重ね重ねとんでもないことを言うものです。
親鸞会会員の「あなたは救われたんですか」の質問に対し、私は演題に立ったまま即座に「私は救われました」と答えました。34年前のことになりますが、私には信心決定、往生一定の確信がありましたので、ハッキリ言ったのです。勿論後で質問に来ても応対する自信は十分ありました。私の答えに間違いはなかったという気持ちは今も少しも変わってはおりません。この際申して置きますが、親鸞会が本山に押しかけて来た時、私が積極的に回答をしないからだと言う誤解が一部にあり、私を非難する声ありましたが、それは本山の方針としてそうしたことであったのです。
現在の教学の責任担当者も多くは上の故勧学と同型の十劫安心の人が多いように見受けられます。私を「一念覚知の異安心者」だと言っている人達がいる、と言うことを多くの人から聞いています。言っている人達は誰のことであるかは御自分でお分かりになることでありましょう。私を異安心者と思うならお呼び出しになり、御教諭下さい。私も私の考えを申し上げます。
要するに宗教体験を語るとそれをすぐ「一念覚知の異安心者」だという言う人は救済体験のない信心不決定(未決定)の十劫安心の人であります。この人達は大瀛氏も「然るに十劫者は。この如是聞信をしらず。如来の正覚成就の時を。我が往生治定の時と計す。是大違なり。又かくのごとくこころえてのちこそ。御恩とは云べきに。十劫者この如実の領解もなく。聞信不具足にして御恩を忘れぬと云。大に違へり。」(2月14日記)と述べているように、十劫安心の人は, 如来の正覚成就の時(十劫の昔)を往生の定まった時とし、一応御恩とは言ってはいますが、正しくは御恩(仏恩)が分かってはいないのですから,自分自身に報恩念仏の実感はなく、信心正因称名報恩批判を裁くことが出来ないのであります。これは断じて許されることではありませんが、当然とも言えるのです。更に残念なことは1981年(昭和56年)に信楽氏、岡氏を裁定した当時の勧学寮頭も上記の故勧学と同型と思わざるをえないことであります。この頃から教団の信心不在体質が加速したように思われます。過ぎ去ったことを元にもどすことは出来ませんが、これからのことは何とかすべきではないでしょうか。宗制宗法遵守義務放棄がまかり通る、教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団と成り果てた現状は、そうでなくても問題山積の中で、三業惑乱時以上の惨状と言っても過言ではなかろうと思います。教団構成員全員で考えねばならないことではありますが、特に総局、宗会議員の皆様に御叡智をお絞り頂きたく存ずる次第であります。 合掌。

上記は4年前の今日(2017,3,1)書いたものです。文中の
【既に亡くなっているある勧学さんと話をしたことがあります。私が「往生の確信は持つことが出来ると思います」と言いましたら、その人は「それを言うと一念覚知になるぞ」と言いました。それで私は「しかし、領解文には<往生一定御たすけ治定と存じ>とありますが、あの<存じ>は衆生の心ではないのでしょうか」と言いますと、その人は「領解文は蓮如上人の書かれたものかどうか分からないからな」と言いました。重ね重ねとんでもないことを言うものです。】
にある勧学さんはFW,(2月21日、2月24日、2月27日)等で述べました勧学寮関係の「ある氏」のことであります。現在の勧学寮にも大きな影響を与えています。衆生に往生一定の決定心(往生の確信)があることが一念覚知の異安心だと言うのであれば、先に述べました(2月21日)、南渓師が誤りであると言う「生涯不決定」を正安心とするのですから、とんでもない謬見であります。この考えに賛成する人や影響を受けた人が現在の勧学寮には多いので、信心決定、往生一定を語る私を陰で「一念覚知」の異安心者と言ったり、信前の念仏(カラ念仏<僧侶ならば営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いが分からず、宗制宗法遵守義務放棄の大罪者となったり、「改悔批判」を完全形骸化としてしまう大過を冒すことにもなっていると思います。
陰で私を「一念覚知」の異安心者と誰が言っているかと言うことは、数人の証人がいますので近く公にしてはっきりしたいと思います。それとも勧学寮の方で私を一念覚知の異義者として呼び出すなら、そうして下さい。そうでなければ教団は、何を試みてみても、所詮、唯衰微の一途を辿るのみと思います。 合掌

「続⑤近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html
  (2021,3,2)。

ついでに申しますが、一念覚知説の正しい意味も分からずに、陰で他者を一念覚知の異義者であると非難するような人達は、「生涯不決定」の異義者であり、信心不決定(未決定、未安心)者でもあると言って間違いなかろうと思います。こういう人達が教団の教学責任担当者である限り教団の将来はなかろうと思います。 合掌
  (2021,3,3)。

本日の『中外日報』(2021,3,3)の第一面に「本願寺の財政難対策が焦点」<本願寺派定期宗会開会>と大きく報じられている。
勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄は公然とまかり通り、「改悔批判」も完全形骸化と成り果てている信心不在の教団の現状では、至極当然のことであろう。小細工をいくら労しても無駄である。信心不在体質の抜本的改善が肝要である。それが具体的になされないがぎり、2023年の慶讃法要も無意味なこととなるであろう。 合掌
   (2021,3,3)。

本願寺派新報(2021,3,20)に想う。
東日本大震災が10年前の2011年3月11日の事でありました。私はたまたまその翌日の3月12日の午後に築地本願寺で講座の予定がありました。東北で地震や津波が発生したことはテレビで知ってはいましが、東京も大変であったことは知りませんでした。新幹線は通っていましたので予定通り築地本願寺まで出向いたのでありますが、東京も大変であったことをその時知らされたのであります。2万人以上の犠牲者を出した大惨事であったのであります。多くの犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表す旨が新報に述べられています。
私は多くの犠牲となった方々を悼み哀悼の意を表する事も尊い事でありますが、浄土真宗の御流れを頂く者として、それより大事な事は、常日頃から、信心決定による現世からの救いを頂く、現生正定聚、平生業成、生きてよし死してよし、の教えを良く説く事であると思います。浄土真宗の将来を考えるためには、この事が大変大事であろうと思います。
この日の新報の第6面に石上総長の『宗務の基本方針策定にあたって』とあり、終りの方に【親鸞聖人が「お念仏こころにいれて申して、世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と願われたお心を、改めて深くうけとめ、・・・】と述べられているのでありますが、何故かこの御文の大事な部分が省かれているのであります。ここの親鸞聖人の御文は「わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世の中安穏なれ、仏法ひろまれととおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,784)とあるのであります。すなわち大事な部分であります「わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために」が抜けているのであります。
即ち信心決定して、往生一定の身〈現生正定聚)となり、報恩の念仏を称える、真宗信者としての要の部分が抜けているのであります。大変困った事と私は思います。
こんな事では信心正因称名報恩の意味も分からない、勧学寮の賦課金納付義務放棄に勝る重罪の宗制宗法遵守義務放棄が罷り通ったり、「改悔批判」完全形骸化がまかり通るのもやむを得ない事かもしれませんが、教団の信心不在体質は益々深刻となるでありましょうし、誠に歎かわしく思う次第であります。  合掌
私が、信心正因称名報恩批判者に対し、教団が早々に教諭し、永年に亘ったこの問題が解決することを願って、ネットに出しましたのは、2012年11月19日でありました。8年と4か月前と言う事になります。
信心正因称名報恩義が本願寺派の宗制教義に定められたのは1941年だと思います。そして宗法第59条3に勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。
と定められたのが、2012年4月1日でありました。
私はネットに出した後、新宗法の下、信心正因称名報恩批判者に対し、早急に教諭し、永年に亘ったこの問題を解決することを、総局には2013年3月18日、勧学寮には同7月5日にお願いしたのであります。その後何度か総局、勧学寮に督促したのでありますが、全く何もなされる事はなく、今日に至っているのであります。
総局、勧学寮が、何故か宗制教義に反する信心正因称名報恩批判者を擁護する傾向がある事にかねて疑問を感じていたのでありますが、この度(本願寺新報、2021,3,20)の言葉でよく分かりました。上に述べましたように総長は親鸞聖人のお言葉の大事な部分であります「わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために」を抜いて、ただ「お念仏こころにいれて申して、世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」のみを述べているのであります。(前に述べましたある人が、庄松同行の話の中で、改竄断章をしているのと同類であります。)この事は、信心決定して、往生一定の身(現生正定聚)となり、報恩の念仏をする身となる事を説かれている親鸞聖人の御心が全くお分かりでない事が明らかであります。これは宗法第59条3の遵守義務放棄の勧学寮も全く同じ事であります。何度も申すことでありますが、このような事がまかり通る教団に未来はなかろうと思います。
信心正因称名報恩反対義を批判する私の意見を教学論の相違だという意見もあるようですが、それは違っています。これは単に教学論レベル
ではなく、宗教体験(救済体験、獲信体験)の有無の問題なのであります。
信心正因称名報恩義を否定する人は「御報恩のため」のお念仏の世界の分からない信心不決定(未決定、未安心)の、現生正定聚に住していない人と言えると思います。こういう人達が教団の責任担当者である事が、現在の教団の悲劇と言えるでありましょう。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続⑳近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku201.html












Arnaud Pontacq、林信慧、他41人
コメント4件
いいね!
コメントする
シェア