「続㉘近年の本願寺派教学に想う」         これは「続㉗近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku27.html に続くものです。 最近 、森田真円氏(本願寺派勧学、京都女子大学教授)著『はじめての親鸞さま』(本願寺出版社、2012)を読ませていただきました。その中につぎの文章がありました。
【先生(村上速水氏のこと。紅楳註)の方からあらたまって「話をしたい」と仰ることは、めったになかったことでしたので、何事かと一同に緊張が走りました。息をのむように聞いている私たちの耳に、思いがけない先生お言葉が聞こえてきたのです。
「私のしてきたことは、みな嘘です。」
先生は、たどたどしい口調でありますが、はっきりと仰いました。「みな嘘である」とはどういうことか。意味が解らず、怪訝な顔を顔をしている私たちに向かって、先生は言葉を続けられました。
 「家内が亡くなった時あたりから、私には何もないということがよく味わえるようになりました」
先年、ご病気でおられた先生の奥様がご往生されていましたが、その頃から「私には何もないということがよく味わえるようになった」と仰られ、そしてそれに続いて
 「これが浄土真宗の信心です」と静かに仰ったのでした。】(P,160)
と書かれています。
これは極めて大きな問題だと私には思われます。村上速水氏が亡くなられたのは2000(平成12)年3月であり、奥さんが亡くなられたのは1993(平成5)年10月であったそうです。「私のしてきたことは、みな嘘です。」「家内が亡くなった時あたりから、私には何もないということがよく味わえるようになりました」と述べたとのことですが、奥さんが亡くなられたのは1993(平成5)年10月でありますから、「私のしてきたことは、みな嘘」と村上氏が思ったのが、氏の74才頃とい
うことになります。すでに龍谷大学は定年退職後のことであり、古稀も過ぎ、喜寿の少し前であったことになります。龍谷大学真宗学の名誉教授であり、本願寺派の勧学でもあった氏が「私のしてきたことは、みな嘘です。」という無責任な言葉が許されるのでしょうか、極めて深刻なことであります。
著者の森田氏(本願寺派勧学、京都女子大学教授)は次下に
 【どれほど私たちが様々なおもいをもって善き行いをしたとしても、いずれも煩悩に覆われた凡夫の所業であって、真実ではない「虚しい」「仮の」所業でしかない。清らかな真実の仏になるために役立つものなど何一つない。そのことをはっきりと受け取れたという意味が「すべて噓です」という言葉だったのです。 
ですから、続いて「私には何もないということがよく味わえるようになった」と仰います。「私には何もない」のであって、ただあるのは「阿弥陀如来の本願のはたらき」だけということに違いありません。そこで「これが浄土真宗の信心です」と静かに仰ったのだと思います。】(p、162)
と説明しています。森田氏にとって村上氏は師匠でありますので、大変庇った説明をしていますが、最晩年になって「私のしてきたことは、みな嘘です。」ということは極めて無責任なことです。今までの御自分の言動にどう責任をとるつもりであったのでしょうか。本当に責任を感じたのであれば、私的な場ではなく本願寺宗報か本願寺新報か、あるいは安居でそのことを述べるべきであったと思います。
それから森田氏の説明ですが、これが村上氏の真意かどうかは分かりませんが、村上氏の真意であったとすれば、村上氏は晩年に至るまで真宗学の常識すら分かっていなかった人ということになり、こんな人が教団の教学責任担当者だったこと、こんな人を庇う人達が教学責任担当者であること自体が現代の教団の大問題と言わねばならないと思います。 
前にも述べましたが、私は1960(昭和35)年4月に龍谷大学に入学し、その年の後期に伝道部に入部しました。その時の顧問が村上氏(当時真宗学助教授)でありました。その時私は龍大の真宗学の先生でも信心決定してない人がいるんだなあ、とはじめて感じました。その後、信楽氏、岡氏、その他の人にもこれを感じましたが、最初にそれを感じて大変驚いたがは村上氏でありました。 
確か村上氏の発病(1978<昭和53>年)直前の12月の事であったので、1977(昭和52)年の12月であったと思いますが、当時私は本願寺の伝道院(現・総合研究所)に勤ていた時のことであります。同じ伝道院に勤ていたM氏に聞いたことでありますが、何かの会合で同席したM氏に村上氏が「信楽氏、岡氏を批判するのは伝道院の総意か、何故紅楳英顕に辞めさせないのか」と、激しく叱責したとのことであります。村上氏は痴無明、疑無明の意味が分からないだけでなく、信心正因称名報恩の意味も分らない人であったのでありましょう。 合掌
「近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「近年の本願寺派教学に想う」追加 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnentsui.htm
「続⑪近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html
「続㉗近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku27.html
 (2021,7,22)。

ある人から下記のページが送られてきました。
http://kizuki-delivery.net/post-1235-1235?fbclid=IwAR2FP5P_XzD-c3hxKn4HbkrjFZ9JYlBaKsjYyGUJxkxRj4Wy4Thx7jf5_po 有難うございました。このようなページがあることは、初めて知りました。確かに教団の現状は諸問題山積であり、衰微の一途を辿っております。勧学寮までが信心正因称名報恩の意味さえ分からない宗制宗法遵守義務放棄の信心不決定(未決定、未安心)の人達の集団となり果てているのであります。この信心不在の教団体質を何とか改善したいと思いますのが私の気持ちです。
私は浄土真宗本願寺派の寺院の長男に生まれました。教団はこのままで大丈夫だろうかという思いは、大学入学の頃(1960<昭和35>年)からありました。真宗学の先生までが「信心不決定者」だと知ったときは、大変な驚きでありました。しかし自分は浄土真宗の教えをひろめるために頑張りたいという思いで勉強を続けて参りました。 現在はともかくとして、教団からは色々と御援助も頂きました。御先祖だけでなく私自身も本願寺から多くの御恩を蒙っております。色々意見は述べていますが、これは自分の生まれ育った本願寺教団の繁栄を願ってのことであります。 合掌
 (2021,7,23)。

私と村上氏との関りは「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm

「近年の本願寺派教学に想う、追加」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnentsui.htm に大体のことは述べています。
氏との最初の出会いは1960(昭和35年)年、龍谷大学の1回生の後期、大宮学舎の伝道部の部室でありました。私はこの時村上氏は信心決定の人ではないと感じ、龍谷大学の真宗学の先生にも信心不決定の人がいるということに大変驚いたのであります。
村上氏は私の信楽氏、岡氏批判に反対する意図からでありましょうが、「真宗無明義に関する一試論ー痴無明と疑無明の問題ー」(龍谷大學論集第四一二号 (昭和五十三(1978)年五月発行、龍谷学会)を発表し、無明について痴無明(煩悩妄念心)と疑無明(本願疑惑心)と二つに分けることに反対する意見を述べました。この論考について私は、これは氏が救済体験(獲信体験)のない信心不決定の人であることから生じたもので、獲信(信心決定)によって消滅する疑無明(本願疑惑心)と生涯続く痴無明(煩悩妄念心)の違いが分からないことから生じたものであるから、誰も無視することであろうと思っていました。ところが意外にもこれに賛同する者が出てきて、本願寺の公の出版物にも載るようになったのです。そこで私が発表したのが「真宗無明論」(『印度学仏教学研究』第六十六卷第二号(2018年<平成30年>3月発行) http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shinmumyou.html であります。
村上氏は「真宗無明義に関する一試論―疑無明と痴無明の問題―、1978,5」の脱稿後脳血栓に倒れられましたが、この考えは病後に聴聞に励まれた(『親鸞教義の誤解と理解』<永田文昌堂、1984,5>、『病に生かされて』<樹心社、1987>)後も継続したようでありました。1985(昭和60)年安居の本講として『正信念仏偈』(永田文昌堂、1985,7)を講じられましたが、その中で、痴無明疑無明分別反対説を述べています。(p、97以下。)また4年後の古稀記念(70才)の『続・親鸞教義の研究』(永田文昌堂、1989,11)にも、この論文はそのまま掲載されています。(p、209以下)。
このように痴無明疑無明分別に70才過ぎごろまで強く反対していましたのが村上氏でありました。(私は氏が信心未決定者であったからだと考えます。)その氏が74才頃に「私のしてきたことは、みな嘘です。」と言ったことが親鸞聖人の86才御作の『愚禿悲歎述懐讃』の御心と同じであるとは、甚だ不謹慎でありますが、到底考えることはできません。
H様、 慶忍様は私の御先祖でもあります。「勧学様には間違いのないみ教えを後世に継承して欲しいと思います。」は私も全く同感であります。 合掌
 (2021,7,24)。

この際申しておきますが、私は村上氏が脳血栓を患った(1978<昭和53>年)後、一所懸命に聴聞に励んだと言うことを知った(『親鸞教義の誤解と理解』<永田文昌堂、1984,5>、『病に生かされて』<樹心社、1987、4>)時、氏はやっと御自分の信心不決定(未決定、未安心)に気づき、聴聞に励んだのかと思っていました。しかし全くそうでありませんでした。その後会う機会がありましたのでそのことは分かってはいましたが、案の定その後信心不決定(未決定、未安心)のままで勧学となり(1981<昭和56>年5月)、1985(昭和60)年安居の本講として『正信念仏偈』(永田文昌堂、1985,7)を講じましたが、その中でも、痴無明疑無明分別反対説を述べています。(p、97以下。)またその4年後の古稀記念(70才)の『続・親鸞教義の研究』(永田文昌堂、1989,11)にも、この論文はそのまま掲載されているのであります。(p、209以下)。少なくともこの時点では「私のしてきたことは、みな嘘です。」(あるいは自分は信心不決定<未決定、未安心>者である)と言う想いは些かも無かったのでありましょう。この人が後(74才以降頃)の晩年に「私のしてきたことは、みな嘘です。」と告白したということは実に大変はことであります。本願寺派勧学寮の信心不在体質が見事に露呈されていると思います。またこの事実を現職の勧学が変に庇い、またこれが本願寺出版社から出されるということが、現在の本願寺派教団の信心不在体質を如実に物語るものと思います。何度も申してきましたが、これに加えて宗制宗法遵守義務放棄と言う賦課金納付義務放棄にまさる大罪のまかり通っているのが教団の腐敗堕落の現状であります。
早急の大改善がなされないことには2023年の親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年 慶讃法要も全く形骸ばかりの空しいものとなるのみでありましょう。  合掌

村上氏が勧学になった1981(昭和56)年5月は、時の勧学寮頭桐渓氏が信楽氏、岡氏に対して「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」、「疑義断定保留、今後教学活動を見守る」と裁断しながら、以後一切何もしないという無責任なことをした年でありました。また村上氏の極めて深刻な問題発言を無責任に庇った森田真円氏の著『はじめての親鸞さま』(本願寺出版社、2012、6)が発行されたのが、「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」(2012,4,1施行)と定められた法規の遵守義務を、勧学寮が放棄した2か月後であったのであります。このようなことからも現在の教団の深刻な信心不在体質の早急な根本的改善が迫られていると思います。  合掌
「続⑧近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku81.html
「続⑨近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku9.html
「続㉕近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku25.html
 (2021,7,26)。
私は「信心正因称名報恩」義に反対する人、並びにこれを庇い宗制法遵守義務放棄をする人、また痴無明疑無明の違いの分からない人達は、救済体験(獲信体験)のない信心不決定(未決定、未安心)の人達と思っています。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「近年の本願寺派教学に想う」追加 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnentsui.htm
「続㉘近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku28.html
 (2021,7,29)


前に申しましたが、この度私の『浄土真宗がわかる本』(教育新潮社、(1994<平成6>年12月発行。英訳 Understanding Jodoshinshu)のロシア語訳がロシアのE.A. Terekhin氏の御尽力により完成しました。
https://drive.google.com/.../1gPbcn9DJKmdKst26sOn.../view...
ロシアは永い間、旧ソ連政権の下、宗教は抑圧されて来たのでありましょうが、その中で私が書いた浄土真宗の本をロシアの人々にお読み頂けることをこの上なく嬉しく思います。
私は翻訳をして下さいましたE.A. Terekhin氏に深く感謝致しますと共に、今までキリスト教には御縁があったと思いますが、仏教とくに浄土真宗には御縁が薄かったのではないかと思いますロシアの皆さんが、数多く浄土真宗の救済の世界に入られることを心から念願する次第であります。  合掌
I am very pleased with the completion of the Russian translation. I hope that Jodo Shinshu will spread throughout the world.  Gassho
御陰様で80才を迎えました今日まで、割合健康に恵まれ、またネット時代に生まれ合わせ、日本の皆さんのみならず外国の皆さんとも浄土真宗のご縁を頂くことができましたことを大変嬉しく有難く思います。 合掌
Thanks to you, I am 80 years old, and I am very grateful that I was blessed with good health and was born in the Internet age, and I was able to have a relationship with Jodo Shinshu not only in Japan but also in foreign countries. think. Gassho
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/
 (2021,7,30)。


この度拙著『浄土真宗がわかる本』(教育新潮社、<1994<平成6>年12月発行)のロシア語訳ができましたことに深い感動を覚えます。
ロシアは1922年-1991年まで世界最初の共産主義国家(ソ連)であり、宗教否定の国でありました。本願寺教団においても今尚、共産主義思想の影響が存続していると言っても過言ではなかろうと思います。
そのロシアの人によって、拙著のロシア語訳がなされたことに大きな慶びを感じます。今年(2021年)が新生ロシア誕生の30周年であることにも不思議な因縁を思わせます。 一句浮びましたので記します。(下記)。
露西亜語翻訳成 (露西亜語の翻訳が成る)
             紅楳英顕
今年七月露訳成   今年(こんねん)七月(しちがつ)露訳(ろやく)成(な)る。
既有米台西中名   既(すで)に米(べい)台(たい)西(せい)中(ちゅう)の名(な)有(あ)り。
思想時処雖相異   思想(しそう)時処(じしょ)は相異(そうい)すと雖(いえど)も、
弥陀大悲無重軽   弥陀(みだ)の大悲(だいひ)に重軽(じゅうきょう)は無(な)し。
<意訳>
今年(2021<令和3>年)7月、私の本(『浄土真宗がわかる本』(教育新潮社、<1994<平成6>年12月発行)のロシア語訳ができました。
既に英語訳、台湾語訳(中国<繁体>)、西語訳(スペイン語)、中国語訳(中国<簡体>)の名のものは有ります。
特にロシアは永らく宗教否定の共産主義の国であったのです。思想や時や所は違っていましても、阿弥陀仏の大悲には重軽も隔ても全くないのであります。
合掌。  2021,7,31 e-kobai424.sakura.ne.jp    (2021,7,31)。
ロシア語版の書名「ПРАВИЛЬНОЕ_ПОНИМАНИЕ_ДЗЁДО-СИНСЮ」は英語では「CORRECT_ UNDERSTANDING_JODO-SHINSU」であります。
『浄土真宗がわかる本』の英訳版の書名は「UNDERSTANDING_JODO-SHINSU 」でありますが、この度のロシア語版には「CORRECT」(正しい)という語が加えられています。
現在本願寺派教団においては未だに、共産主義(マルクス主義)の影響を受け、蓮如上人や信心正因称名報恩義を嫌う人も多い中で、このように永い間宗教否定の共産主義国家であったロシアの翻訳者の方が、「CORRECT」(正しい)という語を書名に付け加えて下さっていることを大変嬉しく有難く思います。 合掌            Большое спасибо E.A за дружбу и доброту.
Thank you very much E.A. Terekhin for your friendship and kindness. Gassho
この度『浄土真宗がわかる本ー親鸞聖人とその教えー』のロシア語翻訳をされたTерехин Евгений(Terekhin Evgeniy)氏が、次は『続・浄土真宗がわかる本―親鸞聖人と蓮如上人ー』(Misunderstandings of Master Rennyo)の翻訳もして下さるとのことです。
共産主義(マルクス主義)国家であったロシアの人が蓮如上人のお徳を称えるのであります。
残念なことに、生半可なマルクス主義理解に毒されて蓮如上人が親鸞聖人とは異なる権力迎合者であると批判することや、また宗制宗法遵守義務放棄(信心正因称名報恩義否定)の罷り通る教団の信心不在体質の早急の改善を念願する次第であります。合掌
FB(2021,4,16)。
「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html (2015,4,16記)。
  (2021,8,9)。
 
御承知のように、ロシアはソ連時代(1922-1991)は、マルクスの言う「宗教は民衆のアヘンなり」、レーニンの言う「宗教は毒酒なり」と言う、宗教が否定されるマルクスレーニン主義と言われる宗教否定の時代であったのであります。
その国で、この度(2021,7)拙著『浄土真宗 がわかる本ー親鸞聖人とその教えー』(教育新潮社、1994、12刊、)のロシア語訳がロシア人のТерехин Евгений氏によってなされました。
永らく宗教否定の国でありましたロシアの人々に私が書いた『浄土真宗 がわかる本ー親鸞聖人とその教えー』が読んで頂けることを、本当に嬉しく有難く思います。合掌 ロシア語の翻訳本(Russian translation book)https://drive.google.com/.../1hA5z7oAIAVQME0936JBS86.../view
  (2012,12,10)。
「続㉙近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku29.html に続きます。