「続㉙近年の本願寺派教学に思う」
これは「続㉘近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku28.html に続くものです。
日本宗教学会二〇二一年学術大会(第八〇回)於関西大学 (9月7日)
「浄土真宗本願寺派における一念覚知説と生涯不決定説」(相愛大学 紅楳英顕)を発表した。
(要旨)
浄土真宗本願寺派において、江戸時代に三業惑乱(一七九七頃―一八〇六)と言われる教義論争があった。この時の本願寺第十九代宗主本如の『御裁断御書』(一八〇六、一一、六)には「シカルニ近頃ハ 当流ニ沙汰セサル三業の規則を穿鑿シ 又コノ三業にツキテ自然ノ名ヲタテ 年月日時ノ覚不覚ヲ論シ 或ハ帰命ノ一念ニ妄心ヲハコヒ マタハ三業ヲイメルママ タノムノコトハヲキラヒ 此ノ余ニモ マトヘルモノ是有ヨシ マコトニモテ ナゲカシキ次第ナリ」(『浄土真宗聖典』一三四七)とある。『御裁断御書』には「三業の規則を穿鑿シ…年月日時ノ覚不覚ヲ論シ…」(三業派)、と「マタハ三業ヲイメルママ タノムノコトハヲキラヒ…」とあるように三業派、十劫秘事(十劫安心)派双方に対しての裁断であったのである。
ところが当時の寺社奉行が三業派を不正義と裁決した(一八〇六、七、一一)こともあった故か、以後本願寺派教団において年月日時ノ覚不覚ヲ論ずること(一念覚知説)については厳しく扱われたが、十劫秘事(十劫安心、無帰命安心)については極めて曖昧な扱いがされ、機辺の決定心を自力として否定する傾向があったように思われる。
三業惑乱終結の間もない頃と思われるが南渓(一七九○ー一八七三)は「心得たと思は心得ぬなりと云ひ機辺の決定を排する邪義、御一代記聞書末三十四丁(真聖全三の五八四) に云云とあれば我等がたすかるわけは仏辺に成してあれば夫れを聞くばかり、機辺と信心決定の安堵のと云へは皆自力なり夫れこそ心得たとおもふになるなり。評云此は一句一言を截りとり妄義を搆ふるなり、(中略)察する処三業の後意業運想などおこりて、機辺の受け前を己れが妄情穿鑿して御裁断ありしより機辺に領解を語れば自力なりと、偏へに心へて、如是妄説を成す、全く他の無相離念に同じ何ぞかかる安心あるべきや、(中略)領解文には往生一定御助け治定と存じとある、存は亡に対して心内にあることなり、仏智を凡心に領受したる処なり。此御文にはしばしばこころえよとの玉ふ。何ぞ機受決定を排却せんや、(中略)御助けは一定往生治定と存ずと云ふ往生安堵の思ひに住するをこそ決定心を得たる人と云べし、この決定を排却するときは生涯不決定を以て安心とするや、若決定不決定を機受に求めずと云はば十劫秘事なり。(『新二十邪義批評』<『六条学報』第二十二、1903刊>)」と述べ、機辺の決定心を否定すること(生涯不決定説)を十劫秘事とし、誤りとしているのである。
三業派を論伏し『御裁断御書』の礎となった大瀛の『横超直道金剛錍』においても、一念覚知と十劫秘事の双方の誤りが指摘されている。そして注意すべきは「一念覚知」を誤りとする意味は、三業派が獲信時の年月日時を必ず覚えてなければならないと主張していることであり、その記憶があるはずはない、と述べてはいないのである。(拙著 『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂、二〇一八、六。七頁以下)。
『御裁断御書』の少し前に出された『御裁許書』に「近来心得違ノ輩ラコノ一念ニ付三業ノ義則ヲ穿鑿シ或ハタノミシ年月日時ヲオホヘサレハ信心ニアラストサタスルヲ頌テ却テ御正化ニモトツカサルタクヒコレアルヨシ大キニ歎キ思召ルル処ナリ(享和元辛酉<一八〇一>稔初秋下旬 龍谷第十九世釈本如 越前福井坊舎法中門徒中)とあることからもこのことは明らかである。一念覚知の異義とは「タノミシ年月日時ヲオホヘサレハ信心ニアラス」と主張したことであり、決定心を否定する生涯不決定説を述べたのではないのである。
<資料>
*(問題の所在)
近年本願寺派教団において(三業惑乱<一八〇六年>以後獲信(入信、回心)の時、またはその体験を語ることが「一念覚知」の異義とする傾向があった。これに反対する意見としてあったのが、生涯不決定説である。この問題について考察する
一、【二】 しかるに近頃は、当流に沙汰せざる三業の規則を穿鑿し、またはこの三業につきて自然の名をたて、年月日時の覚・不覚を論じ、あるいは帰命の一念に妄心を運び、または三業をいめるまま、たのむのことばをきらひ、この余にもまどへるものこれあるよし、まことにもつてなげかしき次第なり。ことに聖人(親鸞)のみことにも、「身口意のみだれごころをつくろひて、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふを自力と申すなり」(御消息・六)と誡めたまへり。所詮以前はいかやうの心中なりとも、いまよりのちは、わがわろき迷心をひるがへして、本願真実の他力信心にもとづかんひとは、真実に聖人の御意にもあひかなふべし。さてそのうへには王法・国法を大切にまもり、世間の仁義をもつて先とし、うつくしく法義相続あるべきものなり。
[右の通り裁断せしめ候ふ条、永く本意を取り失ふべからざるものなり。]
[文化三丙寅年十一月六日][釈本如](花押) (『 御裁断御書』浄土真宗聖典一四一七)
二、心得たと思は心得ぬなりと云ひ機辺の決定を排する邪義、御一代記聞書末三十四丁に云云(資料六)とあれば我等がたすかるわけは仏辺に成してあれば夫れを聞くばかり、機辺と信心決定の安堵のと云へは皆自力なり夫れこそ心得たとおもふになるなり。
評云此は一句一言を截りとり妄義を搆ふるなり、(中略)察する処三業の後意業運想などおこりて、機辺の受け前を己れが妄情穿鑿して御裁断ありしより機辺に領解を語れば自力なりと、偏へに心へて、如是妄説を成す、全く他の無相離念に同じ何ぞかかる安心あるべきや、殊に毫善師は此機の上に保つ処の仏智をつのりとせんほか如何でか凡夫往生の得分あるべきとの玉へり、已に此機の上に保つとあれば機辺に領得すべし、領解文には往生一定御助け治定と存じとある、存は亡に対して心内にあることなり、仏智を凡心に領受したる処なり。此御文にはしばしばこころえよとの玉ふ。何ぞ機受決定を排却せんや、(中略)御助けは一定往生治定と存ずと云ふ往生安堵の思ひに住するをこそ決定心を得たる人と云べし、この決定を排却するときは生涯不決定を以て安心とするや、若決定不決定を機受に求めずと云はば十劫秘事なり。(南渓(一七九○ー一八七三)『新二十邪義批評』< 『六条学報』第二十二、1903刊>)
三、真宗の肝要ただこのたのむ一念なる故に。 若し之無き者は真宗の徒に非ず。然りと雖も之に就て記憶不記憶を論ずることは。 理無し文なし益なし。云何が理なし。夫れたのむとは他力信心なり。その正不を督んと欲せば。宜しく現前の心相云何と問うべし。如何ぞその過去について記憶不記憶を論ずるの理あらん。(中略)六字の全体を心得たる。信の一念が即ち行者帰命の一念なり。何ぞ此中に就て。これが我が曾て手弁の帰命願にてありしと。 取わけて記不記を論ずるの理あらんや。 相続の故に彼の一度限に異なり。執者は帰命を僻解して。自力所作の祈願とおもふ。故に一度とり行ふを以て一念とす。 自力の一念は水に画くが如くなれば。往生の大事望めて極めて不安心なり。故に勉めて記憶を責む。又一度限の事ゆへ。 記不記といはるべきことなり。今は他力信心決定の初念を。たのむ一念と名るゆへに。この一念臨終まで通りて。由若金剛。初後不二にして。初一念のとき。已に相続心の名を得。常に自ら現前して少しも改むことなし。白道百歩唯乗彼願力之道耳。何ぞ記不記の論を容んや。故にいくたびもただ現前の信相に就て。如実不如実を督すのみ。過ぎ去る已曾の事業に就て。記不記を論ずるは。他力真宗の安心於ては絶て無きことなり。(大瀛『横超直道金剛錍』中)。
四、信の相は。六字のいはれを御教化のままに領解し。本願の命にかしこまるばかりなり。故に信機信法の安心決定して。その余さらになにの様もなし。此の領解の心中をさして。彌陀をたのむといふなれば聞と云ふに信相甚だ明なり。故に御文に六字のいはれをくはしく知りたるが聞、信決定のすがたなりと云へり。人或いはおもへらく。信一念といふは黯然たる頑物にて。何のすがたもなからんと。これ聞のいはれを知ざるに由てなり。(大瀛『横超直道金剛錍』中)。
五、十劫秘事は聞不具足のひとなり。彼等も疑はず信ずるなどといへども。その所信の義。大不足なり。絶て往生の因果のすがたなきが故に。往生の因果とは。我等が往生すべき他力信心のいはれ。即六字のいはれなり。此信心のいはれもこころへずして。ただ十劫正覚の初より。我が往生を定玉へるを忘れず疑はずが信心なりとばかりこころえたるは。甚だ麁昧の至なり。夫れ衆生往生の法門こそは。正覚同時になしたまひけん。一機一機の往生に至ては。信楽時至らずしてはいかでか定まりなん。故に衆生帰命の一念の時。彌陀は必ず摂取して。 往生治定せしめたまふ。(中略)十劫者はこの義をしらず。往生法門成就の時を以て我が往生治定の時と取り誤る聞不具足の故にその信心ぞと云うふもの。大疵物なり。(大瀛『横超直道金剛錍』下)。
六、近来心得違ノ輩ラコノ一念ニ付三業ノ義則ヲ穿鑿シ或ハタノミシ年月日時ヲオホヘサレハ信心ニアラストサタスルヲ頌テ却テ御正化ニモトツカサルタクヒコレアルヨシ大キニ歎キ思召ルル処ナリ(『御裁許書』、享和元辛酉<一八〇一>稔初秋下旬 龍谷第十九世釈本如 越前福井坊舎法中門徒中
七、心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり。彌陀の御たすけあるべきことのたふとさよ思が心得たるなり。少も心得たると思ことはあるまじきことなりと仰られ候。(『蓮如上人御一代記書』二一三、真聖全三の五八四)、
八、信心決定の人ありけるが、弥陀をたのみたてまつりし其年、又年月時をも忘れ侍りければ、蓮如上人へ申されけるは、たのみ奉りし月日を不覚はいかが也と云人ありと申人候、承り候へば、尤と存じ候が、いかがと不審申されければ、決定の心にもとづきて年久しき人もあるべし、年月時日を忘るる人もあるべし、衆生は忘れたりとも、仏の御方には御わすれ有べからず、一度摂取ありては御すてなき事なりとぞおほせらる。(『拾遺蓮如上人御一代記聞書』六〇八)。
九、然るに愚禿釈の鸞、建仁二辛酉の歴雑行を棄てて本願に帰す。(『教行証』化土巻、真聖全二の二〇二)。
十、爰に久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の 簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。(『教行証』「化土巻」三願転入、真聖全二の一六六)。
十一、あるときにはわうしょうしてむすとおもひ あるときにはわうしようはえせしとおもふをにゃくそんにやくまうといふなり(『浄土高僧和讃 曇鸞和尚』若存若亡の左訓。定本親鸞聖人全集2の100)。
十二、なんぼ一文、我が勝手のよい文がありても、外の九文にさしつかえることなれば、通釈して通るが学問をするものの心得なり。一文に屈執してそれで云ひ立てるやうになると、法幢がごとき異解者になるなり。御小屋の尼どもが、信心を得た云ふは得ぬのなりとある文を一つ覚えて居て、諸方の信心者の処へ往き、お前方はまだ自力の心でござる、信心得たと云ふて居る間はまだ信心を得ぬのじゃと云ふなり。これは心得違へなり。八十通の『御文』に信心をえよ。信心を取れとの給ふに、『御一代記聞書』(資料六)に局つて、得たとおもふは得ぬとあればとて、八十通の『御文』は捨てられぬ。(深励(一七四九ー一八一七)、『肥後国異法義御教誡』、続真宗大系十八の二一八)。*深励は『蓮如上人御一代記聞書講義』(真宗大系三〇の三二一)にも、同様の意を述べている。
上記の要旨が宗教研究 95巻 別冊要旨のネットに発表されるのが、2022年の2月の上旬でありますので、その時あらためて説明する予定ですが、字数制限により簡略でありますため、説明を加えます。
私が取り上げた問題は【資料(問題の所在)】に述べました、近年本願寺派教団において三業惑乱<一八〇六年>以後、獲信(入信、回心)の時、またはその体験を語ることが「一念覚知」の異義とする傾向があった。これに反対する意見としてあったのが、生涯不決定説である。この問題について考察する、でありました。
三業惑乱についての第19世本如上人の『御裁断御書』(一八〇六、一一、六)は三業派(一念覚知派)、十劫安心派(十劫秘事派)双方に誤りがあるとしたものでした。【要旨のはじめ、資料一、】
ところが当時の寺社奉行が三業派を不正義と裁決した(一八〇六、七、一一)こともあった故か、以後本願寺派教団において年月日時ノ覚不覚ヲ論ずること(一念覚知説)については厳しく扱われましたが、十劫秘事(十劫安心、無帰命安心)については極めて曖昧な扱いがされ、機辺の決定心を自力として否定する傾向があったように思われます。【要旨】
これに反発し、機辺の決定心を自力として否定することは「生涯不決定説」であり、間違いであると主張したのが南渓師(一七九○ー一八七三)でありました。【資料二】
私は南渓師の言う「御助けは一定往生治定と存ずと云ふ往生安堵の思ひに住するをこそ決定心を得たる人と云べし、この決定を排却するときは生涯不決定を以て安心とするや、若決定不決定を機受に求めずと云はば十劫秘事なり。」が正しいと思います。
このことは【資料三、四、五、(大瀛『横超直道金剛錍』)。資料九、十、十一、(親鸞聖人)。】からも正しいと言えると思います。
【資料七、十二】の『蓮如上人御一代記書』二一三、真聖全三の五八四)、の文について、一部の人に、機辺の決定心を否定する意見がありますが、これは誤りであり、南渓師や深励師の考えが正しいと思います。【資料八】は「年月時日を忘るる人もあるべし、衆生は忘れたりとも、仏の御方には御わすれ有べからず」とあることから、獲信時の年月日時の覚えがあるはずはない、という意見がありますがそうではなく、忘れる人もあるであろう、と言っているのであり、覚えている場合もあろうし、忘れる場合もあろうと言われているのであります。
それから【資料六】ですが、これは最近目にしたものです。『御裁許書』、享和元辛酉<一八〇一>稔初秋下旬 龍谷第十九世釈本如 とありますから『御裁断御書』より5年前に出されたものであります。ここに「近来心得違ノ輩ラコノ一念ニ付三業ノ義則ヲ穿鑿シ或ハタノミシ年月日時ヲオホヘサレハ信心ニアラストサタスルヲ頌テ却テ御正化ニモトツカサルタクヒコレアルヨシ」とあることから、一念覚知の異義ということが、信一念の覚えがあってはならということではなく、覚えが必ずなければならないと執じたことであったことが明らかであります。従って一念覚知説の異義ということは、衆生の往生の決定心(機辺の決定心)を否定するのではないのであり、生涯不決定(十劫秘事、十劫安心、無帰命安心)を正しいとする説ではないのであります。 合掌
(2021,9,8)。
近年(昭和時代)に本願寺派において「一念覚知の異義」と判じられた主張は「晴れた一瞬は分秒にかからないから、実時はわからないけれど、後から振り返ってみてあの時であったと仮時のわからない人は摂取されていない。」。「阿弥陀仏の救いは断じて何時とはなしではない<今こそ明らかに知られた>と驚き立つ一念の体験なのである。」等と述べたものでありました。これらの主張は信一念の実時(年月日時)は分からなくても仮時(その時)は分からなければならないとの主張であったようであります。いずれにせよ、獲信の時が分からねばならないと執じた主張でありますので、「一念覚知の異義」に相当すると言えると思います。しかし大きな問題として残りますのは、近年の本願寺派の教学責任担当者が真実信心決定の人であり、衆生の往生の決定心(機辺の決定心)を否定する生涯不決定(十劫秘事、十劫安心、無帰命安心)説の人ではなかったのかどうかということであります。率直に申しまして、「信心正因称名報恩」義を否定する人やそれを庇う人、痴無明疑無明の違いの分からない人は、大体生涯不決定(十劫秘事、十劫安心、無帰命安心)の人であろうと思います。それから『庄松ありのまま記』を改竄断章する人、『領解文』の「往生一定御たすけ治定」を間違いという人、陰で他者を「一念覚知の異義者」と非難する人は、 間違いなくこれ(生涯不決定説)の人達であり、信心不決定(未決定)の人達であろうと思います。
何度も申したことでありますが、教団の責任担当者までが信心不決定者の集団となり果てた、教団の信心不在体質の早急の刷新が何より急務であり、これを忘れては教団の発展振興は到底望むべくもなく、慶讃法要も無意味なものとなることでありましょう。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続⑤近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html
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(2021,9,9)。
宗教研究 95巻 別冊要旨のネットに発表されるのが、2022年の2月の上旬でありますので、その時あらためて申しますが、この問題は現教団においてきわめて重要なことと思います。1981年に宗制教義に定められていた「信心正因称名報恩」義を反対した信楽氏、岡氏に対して勧学寮は何の処置もしませんでした。(その前の勧学寮頭は処置をするつもりでいました。)《続④近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku4.html <2016,5,28記等>》。
しかも勧学寮はその後も両氏を庇い《「続②近年の本願寺派教学に想う」 e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html<2,015,4,7記等》、そのうえ宗法第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。(2012,4,1施行)も放棄したのであります。このことは勧学寮は1981年以降は信心正因称名報恩の意味が分からない、信前の念仏(カラ念仏<僧侶なら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、信心不決定(未決定、未安心)者の集団であるということになりましょう。これはとりもなおさず「往生一定御たすけ治定」の安堵心のない「生涯不決定説」の人達ということなのであります。
このことは現教団を鑑みるによくよく考慮を要することと思います。合掌
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(2021,9,20)
親鸞会元幹部K氏の言(私のFB,10月13日より)。
「紅楳 英顕 先生、紅楳先生は決して異安心ではないと思います。一念覚知の異安心は親鸞会の高森会長です。紅楳先生は本願寺の再興・改革を真剣に考えておられます。高森会長はどうかと言うと今や浄土真宗の改革という大義を忘れ親鸞会の発展・本願寺打倒ばかりを画策しています。親鸞会が発展することが浄土真宗の発展につながるとして会員から財施と称して金を搾取しています。親鸞会は金がない人からも金を搾取します。私は親鸞会の幹部でしたから忸怩たる思いで一杯でした。学生部の勧誘にしても金を取ったら辞めないと思ったのか勧誘の時、入部金を巻き上げていました。そしてすぐ辞めても入部金は返しません。今は一般の入会に際して五万円もの大金を獲得することに執着していました。私が親鸞会を退会したのが平成27年の12月でした。今は変わっていることを願うばかりですが実際はそうでないようです。全国に会館を立てたから維持費に金がいるのでしょう。親鸞会は大きくなりましたが今までどれだけ多くの講師や会員が辞めたことでしょう。あれだけ本願寺を小馬鹿にして偉っそうなことを言うのなら講師や会員の後生に対してあまりにも無責任です。親鸞聖人は去っていった信楽房に対してめ情けをかけていたのに親鸞会はどうでしょう。辞めた講師を呼び捨てにして、さんずけで呼ぶことでさえ絶対に許しません。紅楳先生と親鸞会との論争においても親鸞会にいた時から紅楳先生の方が正しいと思っていました。親鸞会は高森親鸞会への献金、会費等が獲信のための宿善になると言って搾取というやり方を正当化していました。親鸞会は間違っています。本願寺改革という目的を放棄して親鸞会を結成した高森会長と違って本願寺改革を真剣に考えておられる紅楳先生は希望の星です。どうか体を労り体調にきをつけて本願寺改革・本願寺再興のため頑張っていただきたく思います。朝晩寒くなりました。大切な御体、呉々もご自愛くださいませ。合掌
· 親鸞会は何らオウムと変わりません。高森会長と握手するのに20万円かかるそうです。麻原と変わらないじゃないですか?親鸞会が間違った教義で自己の勢力拡大に走る団体になった以上本願寺改革をできる先生は紅楳先生しかいません。奮闘を念じております。合掌
(2021,10,13)。K様、親鸞会問題については、教団内には当初だけでなく今尚、私に過失があったようにいう人がいるのでありますが、あなたのような元親鸞会幹部であった方に御理解をいただき、大変有難く思います。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm (勧学寮への疑問)の部分)。
「私が対峙した35年前の親鸞会」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shirakaitaiji.html
前にも言いましたように【「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm (勧学寮への疑問)の部分)】、教団の中には今尚、私の親鸞会批判に間違いがあったという人がいるのであります。これは当時本山の親鸞会問題対策の出版物として勧学寮頭の監督の下で本が出されることになったのであります。私もそのメンバーになりました。ところが私以外の5人のメンバーの本『現代の教学問題』(1982,12刊)と私の本『派外からの異説について』(1982,12刊)が別冊となっており、しかも当時の勧学寮頭K氏、伝道院長勧学Y氏の監修が『現代の教学問題』のみにあり、私の書いた『派外からの異説について』にはなかったのであります。問題が大きくなれば私一人に責任を押し付けるつもりでいたのでしょう。こういう無責任なことをしたのが当時の勧学寮でありました。私の言うことに間違いがあるように思った人がいたこと(今も尚いる)も当然ともいえるのであります。(当時は直接私に随分酷いことを言う人は大勢いました。)
この度元高森親鸞会幹部のあなたが色々言って下さって、多くの人々に私の考えが間違いでなかったことを分かって頂けたと思います。合掌
信楽氏、岡氏「信心正因称名報恩」義批判問題の裁定がなされたのが1981年の事でありましたので、この年【『現代の教学問題』と『派外からの異説について』が出版された1982年】の前年の事でありました。この時の勧学寮頭もK氏であったのです。K氏は信楽氏に対しては「異義断定保留」、岡氏に対しては「疑義断定保留」として、具体的には何もしませんでした。宗制教義に反対したのですから大事件であります。しかも信楽氏、岡氏共に龍谷大学の真宗学の現職教授でありましたから、教団における極めて深刻な問題であったのです。にも関わらず時の勧学寮頭K氏は何もしなかったのです。これは断じてK氏が寛容であったということはできません。職務放棄であり、勧学寮の崩壊といっても過言ではなかろうと思います。先に述べましたように行信教校に縁のある人でありながら鮮妙師の『意業非意業之論』「年月を知るも障とせず、知らざるも亦功とせず、覚もよし、覚ぬもよし、共に仏智に信順するを以て当流安心の正義とす」という言葉も知らない人でありました。「仏智に信順する」ということの体験もなければ、意味も分からない人であり、「信心正因称名報恩」義の意味も体験的に正しく理解することはできていなかったのだと思います。 「人を異安心ということは出来るが、無安心ということは出来ない」《「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm (勧学寮への疑問)の部分)》 と言ったり『庄松ありのまま記』の改竄断章者であることがそのことを示していると思います。この傾向は現在の勧学寮にも継承されているのであります《「続㉕近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku25.html(2021,5,15記)、(2021,5,18記)》。この傾向の人は十劫安心(無帰命安心)、生涯不決定説の人であり、自分自身に救済の体験がないために他者がそれを語るとそれは間違いであり一念覚知だと思い込むのであります。現在の勧学寮がその傾向にあると言って過言ではないと思います。しかも宗制宗法遵守義務放棄もなされているのであります。この信心不在体質は一刻も早く改善しなければなりません。私の言うことが間違いであるとお思いならば、早急にお呼び出しになり、御教諭なり御裁断なりお願い致します。 合掌「続㉙近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku29.html
<K氏>
親鸞会のO講師が信楽氏が本願寺で大旋風を起こした時、本願寺を救ったのが紅楳先生だったと会合で説明していました。合掌
紅楳先生が本願寺を救ったのならK勧学寮頭は恩を仇で返したことになります。
<紅楳>
K様、有難うございます。今回の言葉は御門主様にお聞き頂きたいと思います。合掌
(2021,10,15)。
今朝(10,22)のNHKの連続テレビ番組「おかえりモネ」で、主人公の祖父(牡蠣の老養殖業者)のセリフに「何かを続けるということは、同じことを何でも続けるということではない。変えなきゃならないものはとっと変えて、大事なものを守っていけば良いのだよ。」という言葉がありました。これを聞いて私は、ふっと教団の現状が頭に浮びました。
丁度50年前(1971)に当時龍谷大学真宗学教授であった信楽氏、岡氏が中心となって、教団改革運動がはじめられたのであります。上のセリフのように何事においても「変えなきゃならないものはとっと変えて・・」で、なければならないのではありますが、彼らは「大事なものを守っていけば良いのだよ」の部分が全く欠落していたのであります。彼らは「信心正因称名報恩」義を否定したのであります。「信心正因称名報恩」義は親鸞聖人の教えの要(かなめ)であります。(蓮如上人においても無論)。これは既に述べましたが信楽氏、岡氏をはじめ、これに賛同した人達は信前の念仏(カラ念仏<僧侶なら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、宗教体験(救済体験、獲信体験)のない、信心不決定(未決定、未安心)者の集団であったということなのであります。
この信心不在体質は勧学寮においても同様であり、1891年に宗会で問題となった信楽、岡氏に対して、時の勧学寮頭は両氏に対し「異義断定保留」、「疑義断定保留と」して何もせず、その後両氏とも基幹運動等の委員となり信楽氏は1995年4月1日には監正局長に就任しました。2004年5月の勧司会(勧学司教の会)で私,は「勧学寮として信楽氏の念仏論に何か言うべきでないでしょうか。」と意見を出しましたら、けんもほろろに反対され、時の寮頭から「御門主様が何も言われないんだから、我々に何もいう権利はない」、と厳しく言われた次第です。そして挙句の果てには宗制宗法遵守義務放棄(2012,4)と言う、全くとんでもない状態となっているのであります。
このようにNHKの連続テレビ番組のセリフの「大事なものを守っていけば良いのだよ」の部分が全く欠落してしまい、教団の責任担当者までが「信前の念仏(カラ念仏<僧侶なら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、宗教体験(救済体験、獲信体験)のない、信心不決定(未決定、未安心)者の集団となり果てているのであります。
念のために申しますが、私は自分の宗教体験を通して述べています。報恩念仏を否定する人は、未だ仏恩報ずる心のない、救済体験のない、現生正定聚の位に住していない人だと思います。
一刻も早い教団の信心不在体質の改善を念願する次第であります。 合掌
「近年の本願派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html
「続㉙近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku29.html
『教行証文類』「信巻」に親鸞聖人は「真実信心はかならず名号を具す。名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり」(『浄土真宗聖典』P,245)と述べられています。この部分は聖人の80才過ぎの筆蹟といわれていますので、聖人の念仏の結論と言えると思います。《拙著『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂、2018.6刊、p、260.p、272)》この点が信楽氏、岡氏共に分からず、信楽氏は念仏することが信心であるように考えて自力念仏の策励を説きました。岡氏は念仏は信心が具していようがいまいが大行である言い、共に報恩念仏を否定したのであります。要するに両氏とも「名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり」の意味の分からない人であったのです。即ち宗教体験(救済体験、獲信体験)のない人であり、親鸞聖人の説かれる念仏の意味を正しく体得することの出来なかった人なのであります。彼等が教団改革運動を起こしました50年前は大学紛争盛んな頃であり、教団内にも生噛りのマルクス主義や、破壊即建設の弁証論が横行したため、これに便乗して現代教学樹立の名の下に「信心正因称名報恩」義も否定したのでありましょうが、これは親鸞聖人の教え要(本質)を破壊してしまうことであり、とんでもない誤りでありました。大変残念なことに当時の勧学寮も教団当局もこのことが分からず、宗制教義に反する両氏を庇うのみならず、むしろ優遇し、宗制宗法遵守義務放棄が公然とまかり通る現状となっているのであります。お断りしておきますが私は古いものに固執するのではありません「変えなきゃならないものはとっと変えて・・」には大いに賛成であります。ネット時代であれば当然ネットを伝道活動に利用すべきだと思っています。繰り返し申しますが、「信心正因称名報恩」義は親鸞聖人の教えの要(本質)であります。これを否定することは親鸞聖人の教えそのものを否定することであります。そしてこれに賛成する人や教団の責任担当者でありながら、これを庇ったり、優遇したりする人も同様であります。そしてこのことは宗教体験(救済体験、獲信体験)のない、信心不決定(未決定、未安心)より生ずることであります。これが現教団の甚だ歎かわしき状態であります。合掌 「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html「続㉘近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku28.html
(2021,10,24)。
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「続⑭近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku141.html
「続㉘近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku28.html(2021,10,29)。
《宗教体験を語ることが一念覚知の異義であると言うのであれば「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」(『浄土真宗聖典』P,472)と述べられた親鸞聖人が一念覚知の異義者ということになってしまうでありましょう。》勿論私も自分の考えを遠慮なく申し上げるつもりです。それから「叩き上げの輔教さんの方が実力並びに人徳が兼備されてます。」とありますが、この点についても、「続⑳近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku201.html「続㉕近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku25.html 等に述べていますように、たたき上げの方々が、宗制宗法遵守義務放棄者の同類でもある『庄松ありのまま記』の改竄断章問題の人々や、本願寺の御門徒であれば既に救われていると言って聴聞は「テレーと」聞けばよいと言ったりするような、「十劫安心」、「無帰命安心」、「生涯不決定説」系の方々の影響を深く受けているように見えることが気になるところです。いずれにせよ。貴台の取り上げられた事象は現代の教団の大問題であります。御門主様、総局に意見を提出し、早急の解決を嘆願する必要があろうと思います。合掌
(2021,11,3)。
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