「続㉖近年の本願寺派教学に想う」
      これは「近年の本願寺派教学に想う」e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku25.html に続くものです。


宗制に定められていた(1941年以来)浄土真宗の根本教義である「信心正因称名報恩」義について当時龍谷大学の真宗学の現職教授でありながら、信心不決定者であった信楽峻麿氏、岡亮二氏等による反対事件が生じ(1971年頃)、それを裁かねばならない立場であった勧学寮頭K氏も同様に信心不決定者であったと思われる「庄松ありのまま記改竄断章者」でありました。それ故に宗制教義違反者に対し何の裁きもなされませんでした。(1981年)。そしてこの信心不決定者による「庄松ありのまま記改竄断章」の考えは、その後I勧学等に継承され現在のT勧学寮頭に継承されているのであります。それで信心教義についての宗制宗法遵守義務放棄(2012年以来)と言う、正常な教団ならば賦課金納付義務放棄に勝る大罪が公然とまかり通る腐敗堕落の教団となっているのであります。このような信心不在体質のままでは、ただ衰微の一途を辿るのみでありましょう。将来を憂う心のある者は、教団の復興発展のために一致努力協力しなければならない時だと思います。 合掌
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  (2021,5,19)。



親鸞聖人御誕生850年 立教開宗800年の慶讃法要が近づいて参りました今も全く同じ想いであります。 
新たにコロナ禍問題も生じ、教団は益々諸問題山積ではありますが、最大の問題は、教学の責任担当者までが、信心不決定(未決定)者の集団と成り果てている信心不在体質にあると思います。
先日(FB、5月16日記)にある人からT現勧学寮頭批判がありましたが、この問題は今に始まったことではないのであります。(FB同日、19日)。1981年に信楽氏、岡氏の「信心正因称名報恩」義反対に対して「異義断定保留、疑義断定保留」として何もしなかった、当時のK勧学寮頭にそもそも問題があったのであります。前回(FB,5月16日、19日記)述べました『庄松ありのまま記』「改竄断章問題」であります。前回述べましたようにこの「改竄断章」はI勧学等、それからT現勧学寮頭と継承されているのであります。
『庄松ありのまま記』の問題部分は「其時御法主、今我が御衣の袖を引張ったは汝であったか。庄松、ヘエおれであった。御法主、何と思う心から引っ張った。庄松、赤い衣を着ていても、赤い衣で地獄のがれることならぬで、後生の覚悟はよいかと思うて云った。御法主、さあ其心持が聞きたいため汝を呼んだ、敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併し汝は信を頂いたか。庄松、ヘエ頂きました。御法主、其のえられた相を一言申せ。庄松、なんともない。御法主、それで後生の覚悟はよいか。庄松、それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか」(『庄松ありのままの記』<永田文昌堂、1961,4.P、47)であります。
ここにあるように、庄松同行は御法主の「汝は信を頂いたか」の問いに。「ヘエ頂きました」と自分の獲信体験(信心獲得)をはっきり述べているのであります。それに対して御法主が「其のえられた相を一言申せ」と重ねて問うたことに対して庄松同行は「なんともない」と答えているであります。この「なんともない」という答えは御法主の「汝は信を頂いたか」の問いに対してではなく、「其のえられた相を一言申せ」に対しての答えであります。ここが大事な所であります。鈴木大拙氏の『宗教経験の事実』(大東出版社、1990,6。p、158)に、庄松同行が「南無阿弥陀仏より外なにもない」、「何ともない何ともない」と言っていたと述べられていますので、ここの「なんともない」
と言っているのは、「自分が信心を頂いているか、頂いていないか分からない」と言っているのでなく、「南無阿弥陀仏より外はなにもない」、とか「有り難いのほかはなにもない」という意味と考えるべきでありましょう。これを先(FB,5月16日)に述べましたこの箇所をI勧学は改竄断章し『開かれた信心と閉じられた信心』(永田文昌堂、2005,6。p、77)等に「かれは門主の部屋に呼び出され、逆に門主の側から、貴兄の覚悟はいかに、と反問されたのである。その時、彼は即座に、オレのことは知らん、アレに聞け、と云って御本尊を指したという。」と書いています。すなわち庄松同行が「へえ頂きました」と述べている部分を改竄断章して「信心決定」の事実の確信を否定する人であったのであります。これは生涯不決定説と言われる謬見であります。氏はまた領解文の「往生一定、御たすけ治定」とある衆生の決定心(機辺の決定心)も否定する人でありました。こうように教学担当責任者までが信心不決定者の集団となり果て、宗制宗法遵守義務放棄というあるべからざる信心不在現象の即刻の改善がなされないことでは、慶讃法要も形ばかりのものとなり、教団の発展振興はあり得ないと思います。それから近頃、「伝える伝道」でなく、「伝わる伝道」なければならないと言われますが、これも自らが、信心不決定(未決定、未安心)者であってはナンセンスなことであります。 合掌
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(2021,5,23)。

間違いのないように、繰り返し申しますが、庄松同行が「それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか」と言ったのは、自分の「信心決定、往生一定」の確信がなかったからではないのであります。「ヘエ頂きました」と述べていますように、「信心決定、往生一定」の確信はあったのであります。さらに御法主が「其のえられた相を一言申せ。庄松、なんともない。(この「なんともない」は上に述べたように、信心があるかないか分からない、という意味ではない)。そして御法主が、「それで後生の覚悟はよいか。」と尋ねたことに対して庄松同行が、「それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか」と答えたのであります。弥陀の願力不思議、誓願不思議をはからい、穿鑿することを誡めた言葉であって、自分の信心決定、往生一定に確信がなかったのではないのであります。これが大変大事な所であります。
『庄松ありのままの記』改竄断章の人々はこのことの分からない人々でありましょうが、このような信心不決定(未決定、未安心)の人々、「信心正因称名報恩」の正しい意味も分からない人々が、教団の教学責任担当者であり続けたことが教団の悲劇であったと言えるでありましょう。 合掌
  (2021,5,24)。


上の2016年5月28日記(5年前)に述べていますように、岡氏には「一宗学徒の惑い」<真宗学第41、42合併号、昭和45年・1970年>という論文があります。この論文は当時の龍大学の無信心体質を如実に象徴するものであります。氏は浄土真宗の念仏の意味が全く分からず、念仏は称えさえすれば信心があろうがなかろうが大行であり、オームの称える念仏でも大行だといった人であります。このような人でありましたので、「信心正因称名報恩」義の意味も全く分かっていなかった人であります。(岡氏は痴無明<煩悩妄念心>と疑無明<本願疑惑心>の違いも全く分からない人でもあった)。こんな人に対して当時の勧学寮頭K氏は信楽氏(異義断定保留)に対して「疑義断定保留」として、信楽氏より過ちの程度は軽いものとしたのであります。信楽氏は念仏の自力他力の違いが分からない人であったのですが、岡氏はカラ念仏と他力念仏の違いが分からない人でありました。
信楽氏も岡氏も念仏を正しく理解していませんでしたが、どちらが過ちが大きいものであったかと言ういうならば、カラ念仏も大行とした岡氏の方が甚だしいものであったと思います。にも関わらずK氏は岡氏を信楽氏より軽い「疑義断定保留」としただけで何もすることはなかったのであります。このことからも私はK氏が信心決定の人であり、「信心正因称名報恩」義を正しく体得していたとは思えないのであります。この流れが現代の宗制宗法遵守義務放棄ともなっているのでありますし、また「『庄松ありのままの記』の改竄断章」がI氏等、それからT現勧学寮頭と根強く継承されているのであります。この信心不在体質の早急の改善が現教団の最重要課題だと私は思います。  合掌
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html
  (2021,5,29)。
これは「続㉗近年の本願寺派教学に想う」e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku27.html   に続きます。
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