「続㉛近年の本願寺派教学に想う」
       これは「続㉛近年の本願寺派教学に想う」 e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku30.htmlに続くものです。

2022(令和4)年となりました。私もお陰様で今年で満81歳となります。
新年の御挨拶で申しましたように、今年こそ多くの人々が、浄土真宗の信心決定の人となり、そして報恩念仏、大慶喜心、生きてよし死してよし、の人と成って頂きたいと思います。
一句浮かびましたので記します。(下記)
平生業成(往生一定)
      紅楳英顕
平生業成信定時   平生業成(へいぜいごうじょう)は、信(しん)定(さだ)まる時(とき)。
臨終一念得菩提   臨終(りんじゅう)の一念(いちねん)に菩提(ぼだい)を得(う)。
是非生涯不決定   是(こ)れ生涯不決定(しょうがいふけつじょう)①に非(あら)ず 。
誠勝最後審判迷   誠(まこと)に、最後(さいご)の審判(しんぱん)②の迷(まよい)に勝(まさ)る。 
 註 ①自分が往生できるかどうか、生涯確信を持つことは出来ないという説。
   ②イタリアのバチカンのシスティーナ礼拝堂の壁に書かれているミケランジェロの最後の審判。
<意訳>
平生業成(入正定聚)は現世における信心定まる時(信心決定)であります。
そして臨終の一念(命の終わったとき)に、弥勒菩薩に先立って菩提(涅槃、悟り)をえるのであります。
平生業成(入正定聚)の人、信心決定の人は、「往生一定、おん助け治定」と安堵と報恩と慶びの日暮らしに恵まれるのであり、往生できるのであろうかどうであろうかという不安(
生涯不決定)は一切除かれているのであります。
私は1994年9月にイタリア旅行をし、その際バチカンのシスティーナ礼拝堂の壁に書れているミケランジェロの名画、最後の審判を観ました。この時大変印象的でありましたのは、
この絵の中でイエス・キリストの最も高弟であるペトロ、パウロの二人が共に不安そうな表情でキリストの審判を待っている姿でありました。二人とも自分が天国に行ける確信と安堵心がな
かったように描かれているのであります。浄土真宗で言えば生涯不決定に相当するものであります。
尤もこれについてはキリスト教の内部では色々意見があると言うことは聞います。
しかし、いずれにせよ、現世からの救いを強調され、現生正定聚、平生業成、臨終来迎否定、信心正因称名報恩を述べられた親鸞聖人の教えは本当に尊いと思います。
私が大変残念に思っていますことは、近年「生涯不決定」を主張する人が多いことであります。しかも教学責任担当者の中にもこれが多いのであります。大変やっかいな事でありますが、同一人物が一面では十劫の昔から助かっているのだというような信心を不要とする「十劫安心(十劫秘事)」の主張をしておいて、他面でははっきり助かるか助からないかは凡夫に分かるものではないと「生涯不決定」を主張し、はっきり助かると確信を持つことは自力であり、間違いであり、一念覚知の異義であると主張するのであります。
信心不決定(未決定)のままで助かっていると主張し、しかも助かるか助からないかは凡夫に分かるものではないと「生涯不決定」を主張するのであれば、これは全く訳の分からない事であり、浄土真宗の信心とはよほど縁遠い極めてでたらめな信心であります。しかもこれが現在の教団の教学責任担当者の中に多いのであります。
これ故に念仏々々とか念仏者云々とかは、盛んに言いいはするものの、信前の念仏(カラ念仏<僧侶であるなら営業念仏>、)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いも分からず、「信心正因称名報恩」の意味も分からず、宗制宗法遵守義務放棄というとんでもない惨状がまかり通っているのであります。この信心不在体質は一刻も早い改善が必要であります。このままでは来年の親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の慶讃法要もただ形骸のみとなると懸念致します。 合掌
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「続㉚近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku30.html (2022,1,3) 称名報恩義に反対する人達は無論のこと、またそれを擁護する人、及び信心正因称名報恩義の意味が分からず、宗制宗法遵守義務放棄を公然と行う人達は信心決定による「往生一定」の世界の分かっていない,生涯不決定の異義者と断じて間違いなかろうと考えます。合掌 (2022,1,4)
久し振りに『歎異抄』を読み、一句浮かびましたので記します。(下記)。
想歎異抄 (歎異抄に想う)
           紅楳英顕
親鸞聖人入滅昆    親鸞聖人(しんらんしょうにん)入滅(にゅうめつ)の昆(こん)。
唯円書記耳底存    唯円(ゆいえん)書(か)き記(しる)す、耳(みみ)の底(そこ)に存(そん)するを。
同心老若雖数大    同心老若(どうしんろうにゃく)、数(かず)大(だい)と雖(いえど)も、
悲歎他力念仏昏    他力念仏(たりきねんぶつ)に昏(くら)きことを悲歎(ひたん)する。
<意訳>
親鸞聖人が亡くなられた後(20年から25年たった頃)、唯円が聖人から聞いたお言葉
を書き記しました。
老人や若い人達、多くの人々が聖人のもとに集まりました。しかし、聖人の説かれた念仏
の教えを正しく体得した人極めては少ないと唯円は悲歎しているのであります。
『歎異抄』の終わりの方の後序に唯円は「かなしきかなや、さいはいに念仏しながら、直
に報土に生まれずして、辺地に宿をとらんこと。一室の行者のなかに、信心異なることな
からんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。なづけて『歎異抄』といふべし。」
(『浄土真宗聖典』P,854)と述べています。唯円の歎異の一番大きな問題は親鸞聖人の
説かれた念仏についての理解の誤りであったのであります。このことは現代の問題として
もよく考える必要があると思います。
また唯円は、『歎異抄』14に「一生のあひだ申すところの念仏は、みなことごとく如来
大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべきなり。」(『浄土真宗聖典』P,846)と述べていま
す。このように聖人の直弟子であった唯円も「称名報恩」義を述べているのでありますら、
このことからも「称名報恩」義が親鸞聖人にはなかったものであり、後代言われるように
なったと考えることは間違いであるということが明らかであろうと思います。合掌   (2022,1,13)。
教団の信心不在体質は徐々に進行していたと思いますが、それが明確に具体化したのは1981年(41年前)、当時龍谷大学真宗学の現職教授であった信楽氏岡氏が宗制教義に定められていた「信心正因称名報恩」に反対したことが問題になった時、時の勧学寮頭が両氏に対し異義断定保留、疑義断定保留として、具体的には何もしなかったことから急激に進行したと思われます。
それだけでなく、二人はまもなく教団の基幹運動等の委員になり、1995年に信楽氏は教団の要職である監正局長にもなりました。この時の談話等で信楽氏が勧学寮を揶揄した記事が中外日報に出ていましたので<『中外日報』1995,5,11>、私はこの信楽氏の発言に対し「勧学寮として信楽氏に何か言う必要はないでしょうか」と言ったところ、「そういうことは、君が個人で勝手にしたらよい」と、けんもほろろに反対され、その時の勧学寮頭も「御門主様が何も言われないのに我々が何も言う権利はない」といって私の意見に厳しい口調で反対しました。<2000年5月>。このようなことで勧学寮も信心は不在となり、2012年4月には、宗制教義違反者に対する勧学寮の教諭義務が法規(宗法)に定められたのでありますが、これも全く守られることなく無視されたままであります。
このように「信心正因称名報恩」の意味が分からないだけでなく、宗制(国で言えば憲法)宗法(国で言えば法律)を平然と無視している、信心不在が勧学寮の実態であります。
そして今丁度、本山は御正忌報恩講中でありますが、一番大事な儀式とされています「改悔批判」が行われています。これは「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ」(『浄土真宗聖典』P,1227)とある『領解文』を一同で出言する儀式であります。江戸時代の三業惑乱以後始められたこの儀式は今も続いております。御門主が信心(安心)の正否を批判(判断)する儀式であり、与奪者の勧学がこれを担当するのでありますが、領解文の一同出言で終わる単なる形式のみであります。
形式のみとは言え、「信心正因称名報恩」義を否定する者に、何の処置もせず、むしろ庇い、宗制宗法遵守義務放棄を公然と行っている勧学寮が、「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ」と「称名報恩」強調している領解文を、勧学が与奪者として出言するということは大変理解に苦しむことであります。これは信楽氏等に何も処置もせず、むしろ庇い、領解文の意に反対した1981年以降も全くも変わることなく続いているのであります。
「信心正因称名報恩」に反対する意見を勧学寮が正しいと考えるのであれば、1981年以降は「改悔批判」で「御領解出言」はとりやめるべきでありましたし、宗制宗法遵守義務を放棄した2012年以降は尚更のことであります。
「信心正因称名報恩」に反対する者に何の処置もせず、むしろ庇い、宗制宗法遵守義務放棄という大罪を犯しながら、素知らぬ顔で「改悔批判」では「御領解出言」の発声者を勤めるとは一体どういうことでありましょうか?甚だ理解に苦しむことであります。
これは「領解文」に示されている「信心正因称名報恩」を浄土真宗の正義と信じておられる御同朋御同行に対するまさしき背信行為であり、欺きの行為であると思います。昨年も述べたことでありますが、このようなことでは教団の発展振興があろうはずはありませんし、親鸞聖人も決してお慶びにならないことと思います。 門信徒の皆さんも御一緒に真剣に考えるべきことと思います。 合掌
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(2022,1,14)。



昨日‘(1月26日)放映のBSプレミアム(英雄たちの選択。信長最大の敵・大坂本願寺)、NHKテレビ(村上海賊と雑賀衆の謎)を観ました。織田信長を悩ます程の当時の本願寺の勢いは凄いものであったのだと思います。
時代の違いはありますが、確実に言えることは当時の本願寺の責任担当者は現在とははっきり違い、『御文章』5の10に「一心にみだに帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。その位を一念発起入正定之聚とも釈し、そのうへの称名念仏は、如来わが往生を定めたまひし御恩報尽の念仏とこころうべきなり。(『浄土真宗聖典』P,1196)。『領解文』の「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、この上の称名は御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。(『浄土真宗聖典』P,1227)。等とあります「信心正因称名報恩」の意味すら分からない、信前の念仏(カラ念仏<僧侶なら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、救済体験(獲信体験)のない信心不決定(未決定、未安心)の人達の集団ではなかったであろうと思います。
何度も申しますが教団の責任担当者(教学面、行政面)までが信心不決定者の集団と成り果て、賦課金納付義務放棄に勝る大過である宗制宗法遵守義務放棄や信心の誤魔化しが公然とまかり通る(改悔批判)、信心不在体質は早急に改善せねばなりません。もう遅いかもしれませんが、それがなされないことには何を試みたところで教団はただ衰微の一途を辿るのみと思います。 合掌
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  (2022,1,27)。
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm に述べていますように、当時龍谷大学の現職教授でありました信楽氏岡氏が「信心正因称名報恩」に反対しました。これは宗制教義に反することでありますので、宗会で問題となり、時の勧学寮頭の桐渓氏に説明が求められたのであります。(1981)。ところが桐渓氏は信楽氏に対しては「異義断定保留、今後の研究活動を見守る」、岡氏に対しては「疑義断定保留、今後の教学活動を見守る」と述べただけで、その後一切何もすることはありませんでした。宗制教義に定められている事項にはっきり反対している者に何の指導も咎めもしなかったのであります。しかも二人はその後、共に教団の基幹運動等の委員になったり信楽氏は監正局長になったりしたのです。勧学寮は両氏について「今後の研究活動を見守る」ということでありましたので、私は「勧学寮として何か言うべきではないでしょうか」、と勧学寮で意見を出したこともありますが、そんなことは個人でやればよいとか寮頭(この時寮頭は武邑氏)も「御門主様が何も言われないのに我々が何も言う権利はない」という始末でした。<2000年5月>。 勧学寮には全く「今後の研究活動を見守る」意思はなかったのであります。即ち信心正因称名報恩義を正義と考え遵守しようとする姿勢は1981年頃より勧学寮にはなかったということでありましょう。このことから考えれば勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄<2012年4月>も当然のなりいきであったといえるでありましょう。
このようなことでありましたので、信楽氏も岡氏も最後まで「信心正因称名報恩」を改めることはありませんでした。信楽氏の遺著『 親鸞はどこにいるのか』(2015年10月発行、法蔵館)、岡氏の晩年の著『親鸞の念仏』(法蔵館、2005年11月発行)。により、明らかなことであります。これは勧学寮が1981年に信楽氏岡氏について「今後の研究活動を見守る」と言ったことが、全く虚偽であったということであり、信心正因称名報恩義を浄土真宗の正義とし遵守しようとする意思がなかったと言うことでありましょう。
にも拘わらず、『御正忌報恩講法要』で一番大事な儀式である、御門主の代理として勧学が安心批判を行う「改悔批判」では勧学寮が正義としようとしない「信心正因称名報恩」を強調している「領解文」を担当勧学の発声のもとで出言するのであります。何とも奇妙なことであります。これは1981年以後、勧学寮が「信心正因称名報恩」義を浄土真宗の正義とし遵守しようとする意を喪失した後も、何の変化もなく続けられているのであります。これは『御文章』や「領解文」に述べられている「信心正因称名報恩」義を浄土真宗の正義と頂いている全国の門信徒に対する裏切りであり、背信だと思います。このような欺瞞がまかり通るような体質では教団の発展振興は到底あり得ないことと思います。合掌
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 (2022,1,29)。

私は永らく今の勧学寮を「宗制宗法遵守義務放棄の信心不決定<未決定、未安心>者の集団」と言い続けてきましたが、今新たに「永年、多くの門信徒の方々を騙し続けている欺瞞者集団だ」と付け加えたいと思います。 合掌

(2022,1,30)。
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に続きます。
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