「続④近年の本願寺派教学に思う」

  
  これは「続③近年の本願寺派教学に思う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku3.html に続くものである。

本願寺新報(2016<平成28年>4月10日 日曜日)の8面にガブリエル・シュレイファー(Gabriel Schlaefer)さんが本願寺で帰敬式を受けたことが報じられました。
そこに

「宗教に関心があり、あらゆる宗教書を読み込んだ。5年前に、インターネットで相愛大学名誉教授の紅楳英顕さんの英訳ホームページを見つけ『これだ』と思った」と振り返る。

...

と書かれていましたのが、私は大変嬉しく思います。私のホームページ http://e-kobai424.sakura.ne.jp/
に入れてあるのは『浄土真宗がわかる本』(教育新潮社) http://web.mit.edu/stclair/…/Understanding_Jodo_Shinshu.html
『続・浄土真宗がわかる本―親鸞聖人と蓮如上人ー』http://web.mit.edu/stclair/www/Rennyo-Kobai.html
『真実の救いの世界―親鸞聖人の教えと生涯―』(探究社)http://web.mit.edu/stclair/www/Salvation_Kobai.html 
等であります。

内容は私がかねて述べています信心正因称名報恩義は親鸞聖人の正意であり、蓮如上人は親鸞聖人の意を正しく継承した人であると言うことを論じたものであります。

(最近書きました「浄土真宗における回心についてhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/jhodoconversion.html
も御一見頂ければ幸甚です。)

何度も述べたことでありますが、今や教団の教学責任担当者までが、信心不決定(未決定)者の集団と成り果て、ただ空しく口舌を動かすだけの念仏が他力回向の念仏であるように思い込み、信前(自力)、信後(他力)の念仏の違いも分からず、宗制教義に定められた信心正因称名報恩義が親鸞聖人の正意であることすら分からない有様であります。その上アメリカ真宗教団(BCA)では座禅や自力念仏が横行し、浄土真宗の正しい教えが歪められているようであります。 

http://www.seattlebetsuin.com/JodoShi…/OrdinaryStruggles.pdf
http://lotusinthemud.typepad.com/…/the-buddha-of-infinite-l…

このような状況のなかでガブリエル・シュレイファー(Gabriel Schlaefer)さんのように、真摯に正しく浄土真宗を学ぼうとする若い人(アメリカ、カリフォルニア大学からの留学生。横浜国立大学で国際ビジネス学専攻。27歳)が、アメリカに出て来られたことを、私は大変嬉しく有難く思います。 
このままでは信心不在化が益々進み、衰微の一途を辿るのみではなかろうかと懸念されます教団の、希望の光となることを大いに期待する次第であります。合掌。 (2016年4月10)。

 上記に対する Face book の反応。

(D氏)Namuamidabu

(G氏)南無阿弥陀仏

(G氏)I hope that the correct teaching of Jodo Shinshu spreads throughout the world. Gassho

(紅楳)Thank you. I am very glad your decision. Gassho.

(M氏)Namo Amida Butsu. So great.

(K氏)Namo Amida Butsu _/l\

(E氏)見ました FBのお友達です

(紅楳)御賛同有り難うございました。間もなく後期高齢者となる私にとって、この度の出来事は大変嬉しいことでありました。
 蓮如上人は『御一代記聞書』14に       
 「 教化するひとまづ信心をよく決定して、そのうへにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,1236)
 と述べられています。何度も申したことでありますが、信心決定が他者に教えを伝える伝道活動の必須条件となるのであります。
 「自信教人信」、このことが忘れられては、教団の振興も発展もなかろうと思います。合掌。

(M氏) Sensei, what about false faith? Settling one's faith no doubt is important but many misunderstand the essence of faith and become attached to their self-created faith which is ultimately another form    self-power. Gassho.

(紅楳)As you say many misunderstand the essence of faith become attached to their self-created faith. And there are people who don’t have a religion experience yet.
 Japanese Honganji sect now has a lot of people who don't have a relief experience including
persons in charge of teaching.
  Gassho.

(M氏)Thank you Sensei for explaining. As you said, even a person in charge of teaching does experience faith, this is really sad to say. And, hence it's difficult for them to guide others. But, if their understading is   correct and go along with Shinshu's creed then that's still okay, worse if they do not support true and real teaching. Gassho
.
(紅楳)(上の私の英文の和訳) あなたの言われるように、間違った信心の本質は自力心の執着から生じます。それから宗教経験がない所から生じます。
 今の日本の本願寺派教団は、教学の責任者も含めて救済体験のない人、信心不決定(未決定)の人が沢山います。 合掌。

(M氏) Those realizing faith must not without realizing kiho-itai, that Amida exists just for them and that what kind of existence they are--- bonb go of his hold --- such as the anology of a man holding a nenju so  that it will not fall.

((紅楳)Thank you. Gassho.

(M氏) Gassho

(H氏) Gabrielさんが、感銘された理由がよくわかりました。英訳もこれからも参照させて頂きたいと思います。先生有難うございます。

D氏)  Gassho                   (2016年4月15日)。



第十三回仏教漢詩の会が催されました。(2016年5月23日)。 私は下の二句(讃大瀛師、<大瀛師を讃ず>。 憶迎後期高齢、<後期高齢を迎うるに憶う。)の二句を述べました。 

讃大瀛師          紅楳英顕

 大瀛錍彈帰命弁     大瀛(だいえい) 帰命弁(きみょうべん)①を錍彈 (へいだん)す。

 雖破一念覚知論     一念覚知論(いちねんかくちろん)②を破(す)と雖(いえど)も

 懇糺十劫秘事過     懇(ねんご)ろに 十劫秘事(じっこうひじ)③の 過(あやまち)を糺(ただ)す。

 悲哉此謬今殊繁    悲(かな)しき哉(かな)、此(こ)の謬(あや ま)り、今(いま)殊(こと)に繁(しげ)し。

 近年悉喪真実義    近年(きんねん)悉(ことごと)く 真実義(しんじつじぎ)が喪(そう)せり。

 混乱安心行儀門    安心(あんじん)④行儀(ぎょうぎ)⑤の門(もん)を混乱(こんらん)す。

 智洞頑執三業頼    智洞(ちどう)⑥は、頑(かたく)なに、三業頼(さんごうだのみ)⑦に執(しゅう)じ 、

 廓亮静述唯信言    廓亮(かくりょう)⑧は、静(しずか)に、唯信(ゆいしん)の言(ごん)を述(の)ぶ。

註 ① 功存著『願生帰命弁』。 ②信心を得た日時の記憶がなければならないとする義。 ③十劫の昔に往生が定まっているとする義。無帰命安心。④信心のこと。往生の正因。⑤信後の倫理、実践。⑥功存の弟子、七代能化。⑦三業(身業、口業、意業)帰命のこと。⑧大瀛のこと。

<意訳>
大瀛は『横超直道金剛錍』で功存の『願生帰命弁』を錍彈しました(矢を放ちてうちました)。
一念覚知論を論破しましたが、それだけでなく十劫秘事の誤りをもただしました。(大瀛は、十劫正覚の初めに衆生往生の法門は成就するのであるが、衆生の往生が治定<決定>するのは信心決定のときである、と述べています。)
悲しいことに、この十劫秘事の誤りは現代多く見受けられます。

近年、真実の浄土真宗の教えが、ことごとく失われております。(称名報恩義否定説をも含む。)
往生の正因である信心と、信後の倫理、実践の問題とが混同しています。
往生の信心と 信後の倫理、実践を混同し、頑なに三業の帰命を主張した智洞に対し、大瀛(廓亮)は静かに唯心正因義を述べました。

   2016年3月2日。

大瀛は『横超直道金剛錍』で獲信時の年月日時の覚えがなければならないとする義(一念覚知説)を破したのですが、弥陀成仏の十劫の昔に既に往生が定まっているとする十劫秘事(十劫安心、無帰命安心)も間違いとしたのであります。このことは大変重要なことと思われます。(現行の『新編安心論題綱要』<2002年10月15日発行、勧学寮編集>では、十劫安心は、現在では必要度が薄れたとして省かれている。)同様に『新編安心論題綱要』ではそれまで「信疑決判」の中にありました自力念仏を否定する「信疑得失」の項が削除されています。このことも勧学寮が念仏の信前(カラ念仏、自力念仏)、信後(他力念仏、報恩念仏)の違いが分からなくなってしまっていることを示すものであります。、報恩念仏否定が 親鸞聖人の御意に異なる大変な間違いであることが分からず、宗制宗法違反者となっているのも至極当然のことと言えるでありましょう。
それから信心の社会性。公共性が昨今よく取り上げられますが、浄土真宗の信心は往生の正因であり、涅槃の真因であります。社会性、公共性は信後(信のうえ)での実践行(行儀門)として考えねばならないことであります。安心門(信心)と行儀門とが混同しては浄土真宗とは言えないと思います。

憶迎後期高齢              紅楳英顕

 真宗学道五十年    真宗学道五十年 (しんしゅうがくどうごじゅうねん)

 今幸得乗大悲船    今(いま)幸(さいわい)に、大悲(だいひ)の船(ふね)に乗(じょう)ずることを得(う)。

 二尊恩徳誠難謝    二尊(にそん)の恩徳(おんどく)、誠(まこと)に謝(しゃ)し難(がた)し。

 残生精進法広宣    残生(ざんしょう)も、法(ほう)の広宣(こうせん)に精進(しょうじん)せん。

<意訳>
真宗学の道、五十(余)年。 今幸いに大悲の願船に乗った身にならせて頂いております。 弥陀、釈迦二尊の恩徳の深いことは、誠に謝し難いものであります。
残りの人生も、正法(浄土真宗の教え)を広く宣べ伝えることに精進したいと思っています。

    2016年4月24日

 御陰様で私も後期高齢者(満75歳)の歳を迎えることが出来ました。有り難く思います。考えてみれば両親はじめ多くの人達に大変御世話になり、今日に至りました。
 しかし私にとって一番大きな出来事は「今幸得乗大悲船」であったと思います。
 最近の論文「浄土真宗における回心について」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/jhodoconversion.html に述べましたましたように、信心決定の自覚はあるものと考えます。(因みに私の回心<入信>については「今想うこと」「第六回佛教漢詩の会,2014年)5月5日」に述べた。)。

 信心正因称名報恩義批判問題の折、当時の勧学寮頭は信楽氏に対しては「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」(昭和56年<1981年>年3月)、岡氏に対しては「疑義断定保留、今後の教学活動を見守る」(昭和56年<1981年>10月)とし、具体的には何もしなかったのでありますが、その勧学寮頭は翌年、昭和57年<1982年>7月発行(探究社)の『信心について』(p、46)に

 庄松同行に「お前信心いただいておるか」ときいたら「わたしに聞いてもわかりません。聞くところが違いますよ。阿弥陀様に聞いてください」と申したと伝えられております。」

と述べています。実はこれは大変な誤りなのであります。この話は庄松同行の語録である『庄松ありのままの記』 に出ている興正派の御門主と庄松同行との問答の内容です 。そこには

御法主「敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併し汝は信を頂いたか」、庄松「ヘエ頂きました」、御法主「その得られた相を一言申せ」、庄松「なんともない」、御法主「それで後生の覚悟はよいか」、庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか。」(『庄松ありのままの記』清水順保著、永田文昌堂、昭和36年4月、p、47)。

とあるのです。 ご覧頂けば明らかなように『庄松ありのままの記』には、御門主の 「 汝は信を頂いたか」、の問に庄松同行は「ヘエ頂きました」と答えているのです。信心を頂いた(決定した)ことをはっきり述べているのであります。 その後の 「それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか。」とある言葉は信心を頂いた(信心決定した)自覚の後の言葉なのであります。この信心決定の自覚はないものと思い込んだ誤った考えは、その後の教学の責任担当者にも受け継がれ、『開かれた信心と閉じられた信心』(2005年<平成17年>6月発行、永田文昌堂、p、77)には、庄松同行について

彼は門主の部屋に呼び出され、逆にに門主の側から「貴兄の覚悟はいかに」と反問されたのである。その時、彼は即座に「オレのことは知らん、アレに聞け」と云ってご本尊を指したという。

とあります。ここもはっきりと庄松同行の「ヘエ頂きました」とある語が削除されているのであります。
このことは前にも述べましたように、現勧学寮頭にも受け継がれています。講演録に<讃岐の庄松が、「お前の救いはどうなっているんだ」と興正派のご門主から聞かれたときに、「わしの救いのことは知らん、あれに聞け」と阿弥陀様を指差したという。>とあります。
 信心決定の自覚はないものと思い込んでいる人は「若存若亡心」・「不淳心」(あるときには往生してんずとおもひ、あるときには往生はえせじとおもふを若存若亡といふなり。『浄土真宗典』<註釈版p、587>)の人であり、信心不決定(未決定)の人なのであります。抑も、このような人達に正しい信心の指導や教諭ができるはずはないのであります。前にも述べましたが、信楽、岡問題について異義断定保留、疑義断定保留、今後の両者の教学活動を見守るとして、何もされなかった 昭和56年(1981年)以降、教団の信心不在体質が急速に進んだように思われます。合掌。
                        (2016年5月25日)
 上記に対するFace bookの反応

(M氏) 大瀛師 Namo

(S氏) 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

(G氏)Namo Amida Butsu
(D氏) Namo Amida Butsu _/|\_

Y氏)  御指導有難うございます。南無阿弥陀仏

(紅楳)御賛同有り難うございます。何度も申しますが、教学の責任担当が信心不決定(未決定)者の集団である現状は、誠に遺憾なことであります。 合掌。

(Y氏)) 「真宗のかなめ」シェアさせて頂きます。 合掌

(紅楳)有り難うございます。続きを書きます。合掌。
                                (2016年5月27日)

続前(5月25日)
 有り難うございます。信心正因称名報恩義は本願寺派宗制教義に、昭和16年(1941年)以来定められてきたものであります。それについて反対したのが、当時(昭和46年<1971年>)龍大真宗学若手教員を中心とした教団改革運動 が行われていたのですが、その代表者であった信楽氏、岡氏でありました。
 私はこの二人が浄土真宗の救済体験のない信心不決定(未決定)の人であると分かっていました。信前念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない人だということも分かっていました。それで書きましたのが「 宗祖における信心と念仏」〈龍谷教学十三、昭和五十三<1978年>年六月〉 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html 
で あります・(岡氏の所論に関連して疑無明、痴無明について「親鸞における疑蓋无雑について」、印度学仏教学研究26の1、昭和52年<1977年> 12月、を発表しています。尚、岡氏には「一宗学徒の惑い」<真宗学第41、42合併号、昭和45年・1970...年>がありますが、この論文は当時の龍大真宗学の無信心体質を象徴するものであると思われます。)

岡氏は『宗教12月特大号、特集、真宗安心の問題、大原性実和上の生涯』(教育新潮社、昭和54年、p、94以下)に述べています。信楽氏、岡氏に対して「異義断定保留、疑義断定保留。今後の教学活動見守る。」として何もしなかった勧学寮頭の、一つ前の、その時勧学寮頭であった大原性実師が、岡氏を自宅に呼び「道を間違えている以上、自分は勧学寮頭として君たちをさばかねばならない。そう言って、私の手を握られた。申しわけありませんと言う言葉さえ発することができず、ただ黙しておいとまをこうた。」(p、99)と岡氏自身が記しています。文中の「君たち」とは信楽氏、岡氏の事でありますが、この時から間もなく大原師は急逝されたのであります。(昭和54<1979>年4月)。しかし両氏を裁くつもりであったことは間違いないと思われます。 (続②近年の本願寺派教学に想う。 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html 2015年4月5日 記 参照。)

所が前記(5月25日)に述べましたように、昭和56年<1981年>に 信楽氏、岡氏に対して「異義断定保留、疑義断定保留。今後の教学活動見守る。」として何もしなかった当時の勧学寮頭が信心決定の人であったかどうかは甚だ疑問なのであります。(これについては、「近年の本願寺派教学に想う」、 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm でも述べました。同様に現寮頭についても述べています。)
 この勧学寮頭は翌年、昭和57年<1982年>7月発行(探究社)の『信心について』(p、46)に

 庄松同行に「お前信心いただいておるか」ときいたら「わたしに聞いてもわかりません。聞くところが違いますよ。阿弥陀様に聞いてください」と申したと伝えられております。

と述べていますが、これは不注意であったということでは断じて済まされないことであります。5月25日に記しましたように庄松同行は「ヘエ頂きました」とはっきり述べているのであります。もしこのことを知らなかったならば、勧学寮頭として余りにも知識不足ということになります。恐らく信心とはあるのかないのか分からないものと思い込んでいた信心不決定(未決定)の「若存若亡」の人に相当する人であったと思われます。同様にある教学責任担当者が 、『開かれた信心と閉じられた信心』(2005年<平成17年>6月発行、永田文昌堂、p、77)に

彼は門主の部屋に呼び出され、逆にに門主の側から「貴兄の覚悟はいかに」と反問されたのである。その時、彼は即座に「オレのことは知らん、アレに聞け」と云ってご本尊を指したという。

と述べていますが、これも全く同様のことが言えると思います。もしかして故意に庄松同行の「ヘエ頂きました」とある言葉を削除したのであるのなら、もっと悪いことになると思います。
 それから現勧学寮頭もこの間違った考えに、全くの賛同者、継承者であります。(続②近年の本願寺派教学に想う  http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html  参照 2015年6月30日記 以降。) 講演録  http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kouenroku.html には <讃岐の庄松が、「お前の救いはどうなっているんだ」と興正派のご門主から聞かれたときに、「わしの救いのことは知らん、あれに聞け」と阿弥陀様を指差したという。>とあります。(この講演録はネットに出ていたのですが、何故か今は削除されています。)

 はじめに述べましたように、信心正因称名報恩義が本願寺派宗制教義に定められたのが昭和16年(!941年)のことでありました。本願寺派教団に所属する者は当然のことながら遵守義務があり、教学、行政の責任者にはそれに遵守させる義務があると思います。しかも 本願寺派の新たな始まりとして制定された新宗制、新宗法が施行されて(平成24年4月1日施行)、周知のように、宗制 第三章 教義に

 信心は、阿弥陀如来の大智大悲の徳を具えた名号をいただくことであるから、往生の正因となる。信心決定の上は、報恩感謝の思いから、仏徳を讃嘆する称名念仏を相続する。これを信心正因、称名報恩というのである。

と定められており、 宗法第59条3に、新たに

  3,勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。

と定められたのであります。

 にも拘わらず、信心正因称名報恩義に反対している者に、何もなされることはなく、宗教教団の生命であるはずの教義信心に関する宗制宗法が公然と無視された有様であります。これは行政担当にも責任はあることですが、篤信者である庄松同行の語録の意味が理解できないだけでなく、不都合な箇所は平然と削除して素知らぬ顔をするような、信心不決定(未決定)に加えて、不誠実と言える教学責任者の体質を、早急に改善しなければ、教団の将来はないように思います。
 200余年前の三業惑乱の比ではないと私には思えます。

 要するに 蓮如上人が言われますように 「 信もなくて、人に信をとられよとられよ と申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり 、人承引あるべからず。」(『浄土真宗聖典(注釈版』)P、1261)であります。教学責任担当が信心不決定(未決定)者の集団であっては教団の振興発展の可能性は皆無であるような気がします。 合掌。
                            (2016年5月28日)

  上記に対する Face book の反応。

(D氏)  Namo Amida Butsu _/|\_

(Y氏)南无阿彌陀佛

(紅楳)教団の教学責任担当者が信心不決定(未決定)であるために、庄松同行の語録の意味が理解出来なかったり、またそれを改竄したりする事は、誠になげかわしく思います。合掌。

(紅楳)宗制に定められた教義に反する者に対して、何らかの処分は当然であります。大原性実師は勧学寮頭としての当然の義務として、信楽氏、岡氏に対して処分をするつもりでしたが、急逝されました(昭和54<1979>年4月)。そのあとの勧学寮頭は両者に対して何の処分もしなかったのです(昭和56年<1981年>)。これは決して寛容ではありません。職務放棄と言うべきであり、それに加えて信心決定者であったのかという疑問もある所です(庄松同行の語録の解釈より)。教団はこの時から信心不在現象が急速に進んだと言えると思います。
この事は、この度宗法に教諭義務が定められながら(平成24年<2012年>4月1日施行)、 何もしなかった、現在の勧学寮頭にも言えることであります(庄松同行の問題も含む)。合掌。


(G氏)南無阿弥陀仏

(S氏) 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

(R氏) 南無阿彌陀佛⋯⋯             (2016年5月30日)


(Y氏)が 続②近年の本願寺派教学に想う  http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html   をシェアしました。

有り難うございました。今年5月28日の続前(25日)に記しましたように、大原性実勧学尞頭は信心正因称名報恩義に反対する信楽氏岡氏を裁くつもりでありました。
所が次の勧学寮頭は両氏について、異義疑義断定保留として何もしなかったのです。
しかもこの勧学寮頭は庄松同行の語録の意味の分からない、信心不決定(未決定)と思わざるを得ない人でありました。庄松同行の語録の意味の分からない教学責任担当者は後も続き、中には庄松同行の語録を改竄、断章する人もいたのであります。現勧学寮頭もこの人達と同類の人であります。しかもこの度、宗法に信心正因称名報恩義反対者に対し教諭義務が定められながら(2012年<平成24年>4月)、何もしなかったのでありますから、責任は極めて重いと思います。
私は当時の勧学寮頭が信楽、岡氏に異義、疑義断定保留とした時(1981年<昭和56年>)から、教団の信心不在現象が急速に進んだと思っています。
 これらに関しましてはシェアして頂きました続②近年の本願寺派教学に想う。 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.h...tml  
にも述べた事でありますが、このように教学の責任担当者が信心不決定(未決定)者の集団と成り果てているのが教団の現状であります。このようなことで教団の僧侶や御門徒に正しい教えを伝えていく事が出来るのでしょうか。教団の振興発展を期待する事ができるのでしょうか。
教団全体の僧侶、御門徒の皆さん全員で、よくよく御考慮頂きたく思う次第であります。合掌。

(Y氏)
  南无阿彌陀佛          (2016年5月31日)


私は今月の8月23日から26日までベルギーのアントワープで開催されるヨーロッパ真宗会議(European Shinshu Conference)に参加します。
総合テーマは「私の日常生活の中の念仏の意味」(The meaning of Nembutsu in my Daily life)です。
私は「浄土真宗における真実の念仏」(The true Nembutsu in Jodo Shinsyu)と題して発表します。
漢詩が浮かびましたので記します。

  今憶事     今憶う事

...

信因称報是真燈   信因称報(しんいんしょうほう)は 是 (こ)れ真燈(しんとう)なり。

開山中宗所伝承   開山(かいさん)中宗(ちゅうしゅう)① 伝承(でんしょう)する所(ところ)なり。

今当正法衰微砌   今(いま)当(まさ)に 正法(しょうぼう)衰微(すいび)の砌(みぎり)。

奮起祖師遺弟朋   奮起(ふんき)せよ。 祖師(そし)の遺弟(ゆいてい)の朋(ほう)。
 

我行西欧葉月末   我(われ)葉月(はづき)の末(すえ)に 
西欧(さいおう)②に行(い)く。

異郷縁友相親興   異郷(いきょう)の縁友(えんう)と相(あい)親(した)しみ興(こう)ず。

雖違言語諸習俗   言語(ごんご)諸習俗(しょしゅうぞく)は 違(い)すと雖(いえど)も、     

共談大悲弘誓乗   共(とも)に談(だん)ぜん、大悲(だいひ)弘誓(ぐせい)の乗(じょう)③。

註 ①蓮如上人のこと。山科別院では「ちゅうそ」と読んでいる。②ベルギーのアントワープ。③乗り物、教えのこと。

<意訳>
信心正因称名報恩義は真(まこと)の教えの燈(ともしび)であります。
開山(親鸞聖人)、中宗(蓮如上人)はこれを伝承されました。
今はまさに、正法(まことの教え)が衰微しつつある時であります。
親鸞聖人の御流れを頂く我々は、奮起して正法宣布に勤めねばならないと思います。

私は8月末にベルギーのアントワープに行って来ます。
外国の法の友と相い親しく興ずるつもりであります。
言葉や習慣は違う人達ではありますが、
共に浄土真宗の教え(大悲弘誓乗)を談じ合いた
いと思います。  以上。

親鸞聖人、蓮如上人は阿弥陀仏の救いは現世からであることを強調されました。
信心正因称名報恩義は親鸞聖人、蓮如上人の説かれた救いが現世からであることを、明確に示した正しい念仏の教えであります。
浄土真宗の教えが国内のみならず、世界の多くの人々の、大きな救いになることを念願する次第であります。  合掌。
      (2016年8月12日)



ベルギーのアントワープで開催されましたヨーロッパ真宗会議(European Shinshu Conference)に参加し、「浄土真宗における真実の念仏について」(About the true Nembutsu in Jodo Shinsyu)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/truenen.html 、<日本語訳 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/truenenwa.html > と題して8月23日に発表しました。
帰国したのは8月28日の夕方でありました。一句浮かびましたので記します。

 憶帰国事    帰国に憶う事

...

我述真宗念仏論         我真宗念仏論を述ぶ。

詳説信後報恩門         信後の報恩門を詳説す。

雖異民族国地域         民族、国、地域を異にすと雖も、

光明普照群生昏         光明は普く群生の昏(やみ)を照らす。

<意訳>
私は浄土真宗の念仏について述べました。
信後の報恩念仏について詳しく説明し、これが浄土真宗の真の念仏であると語りました。
集まった人々は、民族、国、地域を異にはしますが、弥陀の光明は世界の人々を普く照らし、救うのであると深く感じました。合掌。

          2016年9月14日    (2016年9月14日)

 上記に対するFace Book の反応。

〈Y氏) 南无阿彌陀佛

(S氏)  南無阿弥陀仏

(D氏)Namu Amida Butsu _/i\_

(E氏)お疲れ様でしたありがとうございます 合掌 

(J氏)Namu Amida Butsu
(紅楳) 御賛同有り難うございます。Thank you so much.
 またOnline で多くの外国の方々が御賛同下さっております。大変有り難く、嬉しく思っています。  https://www.facebook.com/eiken.kobai (8月24日、31日記)、   https://www.facebook.com/groups/1766150067004304/  合掌。Gassaho .
           (2016年9月16日)


9月11日(日)に早稲田大学で開催されました日本宗教学会第75回学術大会に参加し
「浄土真宗における信前信後について」と題して発表しました。信心正因称名報恩義批判問題にも触れました。後日『宗教研究』90巻に小論が掲載されると思いますが、ここでは当日配布しました資料を表示し(下記)、概要を述べることにします。
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浄土真宗における信前信後について          紅楳英顕
     於早稲田大学日本宗教学会第七五回学術大会研究発表 資料

一、しかるに近頃は、当流に沙汰せざる三業の規則を穿鑿し、またはこの三業につきて自  然の名をたて、年月日時の覚・不覚を論じ、あるいは帰命の一念に妄心を運び、または三業をいめるまま、たのむのことばををきらひ、この余にもまどへるものこれあるよし、まことにもつてなげかしき次第なり。(『御裁断御書』、浄土真宗聖典、註釈版、一四一四)

二、然るに今特に方便の真門を出でて選択の願海転入せり。速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂之誓良に由へ有る哉。爰に久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。(『 教行信証』「化土巻」真聖全二の一六六)

三、  うれしさをむかしはそでにつつみけり、こよひは身にもあまりぬるかな。
うれしさをむかしはそでにつつむといへるこころは、むかしは雑行・正行の分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり。こよひは身にもあまるといへるは、正雑の分別をききわけ、一向一心になりて信心決定のうへに佛恩報尽のために念仏まうすおほきに各別なり。(『御文章一の一』真聖全三の四○三)

四、不如実修行といへること 鸞師釈してのたまはく 一者 信心あつからず 若存若亡するゆへに (『高僧和讃』真聖全二の五○六)。
*「若存若亡」の左訓、あるときには往生してんずとおもひ、ある時には往生はえせじとおもふを 若存若亡というなり (『浄土真宗聖典、註釈版』五八七)。

五、浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし(真聖全二の五に七)。
悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆへに 虚仮の行とぞなづけたる (同右)

六、悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して定聚の数にいることを喜ばず、真証之証に近づくことを快まず。恥ず可し、傷む可しと。(『 教行信証』「信巻」真聖全二の八○)。

七、念仏まふしさふらへども、踊躍歓喜のこころおろそかにさふらふこと、またいそぎ浄土へまひりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにてさふらふやらんとまふしいれてさふらひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。(『歎異抄』)真聖全二の七七七)
*{ありつる」。「ありし」よりも近い過去にあったことを述べる言い方。(日本国語大辞典第二版第一巻、二○○六年四月発行、六五五頁、参照)。

八、心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり。弥陀の恩助けあるべきことのたふとさよと思が心得たるなり。(『蓮如上人御一代記聞書二一三』真聖全三の五八四)

九、だから信ずるということは、普通なら、心がああなったり、こうなったりすることをいうように思うけれど、しかし心が、ああなったり、こうなったりすることを、信ずるんだと思うと、へたすると、凡夫のはからいの上に信心を決める。だから蓮如上人が「弥陀の御のたすけのあるべき・・・・」と申されるのであります。庄松同行に「お前は信心いただいておるか」ときいたら「私に聞いてもわかりません。聞くところが違いますよ。阿弥陀様にきいてください」と申したと伝えられております。「こころでこうなったからから」と決めたのではあぶない。(桐渓順忍『信心について』探究社、一九八二年七月発行、四五頁)。

十、御法主「さあ其心持ちが聞きたいため汝を呼んだ、敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併汝は信を頂いたか」。 庄松「ヘエいただきました」。御法主「その得られた相を一言申せ」。庄松「なんともない」。御法主「それで後生の覚悟よいか」。庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我にきいたとてわかるものか」(清水順保『庄松ありのままの記』、永田文昌堂、一九六一年四月発行、四七頁)。

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一. は1806年の三業惑乱終結時に出された『御裁断御書』であります。信心獲得(信心決定)の年月日時を論ずるなということであり、信心は不覚であり、信前信後を論するなと述べられているのではありません。もし信心は不覚であり、信前信後の区別は論じられないものであると主張するならば、それは『御裁断御書』に「または三業をいめるまま、たのむのことばををきらひ、・・・まことにもつてなげかしき次第なり」とある「無帰命安心」(十劫安心)に相当する間違いであることになりましょう。

二、は親鸞聖人の三願転入の文のであり、親鸞聖人御自身が真門(信前)から弘願(信後)に転入した体験を語られているのであります。

三、は蓮如上人が「むかし」(念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり)、と「こよひ(今)」(、一向一心になりて信心決定のうへに佛恩報尽のために念仏まうす)と「むかし」(信前)と「こよひ(今)」(信後)との違いをはっきり述べられているのであります。
この信前信後の分別がなく信前念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いが分からずに、称名報恩義に反対したのが信楽氏、岡氏等でありまあす。
信心決定、往生一定の自覚はあるはずがないという意見があるようですが、これは間違いです。
四、がその根拠となるものです。そこに「一者 信心あつからず 若存若亡するゆへに」とありますが、「信心あつからず」とは「不淳心」のことであり、真実の信心でないものであります。これが「若存若亡」(あるときには往生してんずとおもひ、ある時には往生はえせじとおもふを 若存若亡というなり)の心、すなわち信心決定、往生一定に確信の持てない心のことであります。これは真実信心ではないのであります。

五、六、を根拠に親鸞聖人が信心決定の確信、自覚がなかったと言う意見がありますが、これは間違いであります。これは信心決定の上での内省の語であり、慶嘆といわれるものであります。
七、八、についてですが、これを間違って、親鸞聖人(七)、蓮如上人(八)が信心決定の確信、自覚のなかった、信心無自覚の人であったとする人がいますが、その根拠に屡々されるものです。

七(『歎異抄』第九)においては「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。」とある所の「不審ありつる」の「ありつる」を間違って“今も不審がある”という意味に解釈し、親鸞聖人は御自分の往生に確信がなかったと考える人がいます。併しこれが間違いであることは、そこに述べました{ありつる」とは「ありし」よりも近い過去にあったことを述べる言い方。(日本国語大辞典第二版第一巻、二○○六年四月発行、六五五頁、参照)、のように「ありつる」とはあったと言う意であり、今もあると言う意ではないのであり、親鸞聖人が“今も往生に不審がある”と述べられているのではないのであります。

八(『蓮如上人御一代記聞書二一三』)は、蓮如上人 が 「 心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり。」と述べられてある所から、蓮如上人は信心決定の自覚・確信を否定しているとする意見がありますが、これは間違いであります。自力で心得たと考えることを戒めているのであります。「聖人一流章」はじめ諸所に「こころうべきなり」等と述べられている事から明なことであります。

最後の資料の九、十、についてですが、これは私が大変問題にしていることであります。
何度も述べましたが、宗制教義に定められている信心正因称名報恩義に反対した信楽氏、岡氏の件が、当時の宗会で取り上げられ勧学寮に裁断が求められました。(1981年)。当時の勧学寮頭が九、の桐渓順忍氏でありました。
周知のように桐渓氏は1981年3月に信楽氏については、異義断定保留、今後の教学活動を見守る。岡氏については同1981年10月に疑義断定保留、今後の教学活動を見守る、としただけで、具体的に何もなされることはなかったのであります。
35年前のことに成ります。勿論私はこの裁断、処置が正しいものであったと思うことは出来ませんが、それだけでなく、ここの八、九、十の資料から思われることは、桐渓氏自身の信心領解そのものに疑問を感じるのであります。
この事は私の小論が載せられた宗教研究が発行されてから、改めて述べることにします。合掌。    (2016年9月16日)

  上記に対してのFace Bookの反応。

(Y氏) 南无阿彌陀佛

(S氏)
 南無阿弥陀仏

(N氏)頭で聴聞しております私にとっては、信前信後の分別は大切な気づきであります。

(紅楳) N様。資料二、三、四で明らかなように、親鸞聖人や蓮如上人には信心決定の確信、自覚があり、信前信後の区別ははっきりしていたのです。大谷派も同様な傾向にあると思いますが、近年本願寺派では教学の責任担当者までが、信心決定の確信、自覚を語れば、それが三業惑乱で問題になった一念覚知の異義だと思い込んでいるようであります。
これは大変な誤りであり、信心不決定(未決定)より生ずる謬見であります。これからの既成教団発展のためにはこのことを良く考慮することが大事だと思っています。合掌。

(紅楳) 一念覚知の異義については、拙稿「一念覚知説の研究―高森親鸞会の主張とその問題点―」(http://e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.html) 
拙稿「浄土真宗における回心について」 (http://e-kobai424.sakura.ne.jp/jhodoconversion.html)をご参照下さい。 合掌。

(D氏)
Namu Amida Butsu _/i\_    (2016年9月17日)


先日(10月1日)伝灯奉告法要の初日に参拝させて頂きました。一句浮かびましたので記します。

 憶伝灯奉告法要        伝灯奉告法要に憶う。
     紅楳英顕

...

信因称報真宗要       信因称報は真宗の要(かなめ)なり。

開山蓮師所述明       開山(親鸞聖人)、蓮師(蓮如上人)述明する所なり。

悲哉教乱信消滅       悲しき哉、教は乱れ、信は消滅す。

当願正法復興成       当(まさ)に願うべし。正法①復興の成ずることを。

  註①浄土真宗の教えのこと。

<意訳>
信因称報(信心正因称名報恩)は 浄土真宗の教えの要(かなめ)である。
開山(親鸞聖人)、蓮師(蓮如上人)ともに述べ明かされたものである。
悲しことである。今は教えは乱れ。信心は消滅状態である。
当(まさ)に願うべきことである。浄土真宗の教えの復興が現実と成ることを。
    
     2016年10月6日        (2016年10月6日)

 上記についての Face book の反応、

(Y氏) 南無阿弥陀仏。

(G氏)なんまんだぶつ

(M氏)  南無阿彌陀佛

(N氏) 信も、式に列衆し称名すると共に興りて私に届き、衣体整え散華する慶び、華籠もつ華芭に念仏を観る。尊前の凡夫満ちて自坊に歸るほか別無し

(O氏) 南無阿弥陀仏

(N氏) 南無阿弥陀仏…

(T氏) 紅楳先生もそのように感じられましたか‥‥なんだか、お念仏が聞こえにくい法要でございました。

(紅楳) 御賛同有り難うございました。問題は山積していますが、一人一人が自信教人信の道を歩むことが何より大事なことであり、それが真宗復興の道であると思っています。合掌。

(紅楳) 
かって私が偶然関わりました親鸞会について、宗教雑誌『宗教問題15、特集  親鸞会とは何か』(合同会社宗教問題、8月31日発行)が出版されています。私もインタビュウーを受け、コメン トを述べています。当時のことを御承知頂くためにも、御覧頂ければと思います。丁度前回の伝灯奉告法要(1980年)の頃のことでありました。合掌。  (2016年10月8日)


伝灯奉告法要の御親教を頂いて

頂戴親教御影堂    御影堂(ごえいどう)で親教(しんきょう)①を頂戴(ちょうだい)し、
感動宗門興隆情    宗門興隆(しゅうもんこうりゅう)の情(おもい)に感動(かんどう)す。
難問多在安心乱    難問(なんもん)は多在(たざい)し、安心(あんしん)は乱(みだ)る。...
切願正法永劫盛    切(せつ)に願(ねが)う。正法が永劫(ようごう)に盛(さかん)なることを。
   註① 伝灯奉告法要における専如御門主の御親教。

<意訳>
御影堂で専如御門主より御親教を頂き、御門主の宗門興隆の御情に感動致しました。
難問は多く存在し、安心(信心)は乱れているのが、現状であります。
正法(浄土真宗の教え)が、未来永劫(永遠)に盛(さかん)であることを、切願致します。
合掌。

2016年10月16日       (2016年10月16日)

 上記についての Face book の反応

(D氏) Namuamidabutsu _

(Y氏)南无阿彌陀佛

(S氏)南無阿弥陀仏

(紅楳) 御賛同有り難うございました。
伝灯奉告法要は大変おめでたいことでありますが、問題は多在と思います。
何度も申しましたが、この度教団の新たな始まりとして制定されました、教団の生命である教義信心についての新宗制、新宗法の遵守義務が公然と放棄されたままであります。私はこれが一番大きな問題だと考えます。
蓮如上人は『御一代記聞書』九三に
  
信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり 、人承引あるべからずと、前住上人申さると順誓に仰せられ候き。「自信教人信」と候時は、まづ我が信心決定して人 にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち「大悲伝普化」の道理なる由、同く仰られ候。(浄土真宗聖典p、1261)

と述べられています。今こそ深く頂戴すべき金言であります。  合掌。
          (2016年10月18日)



漢詩が浮かびましたので記します。この度は五言古詩にしました。



伝灯奉告会    (でんとうほうこくえ)
  
応願法永繁    願(ねが)う応(べ)し。法(ほう)の永(なが)く、繁(さかん)なることを。

自信教人発    自(みず)から信(しん)じ、人を教えて発(ほつ)①せしむ。

莫忘聖者言    忘(わす)るること莫(なか)れ。聖者(しょうじゃ)②の言(みこと)を。

註①「自信教人信」の後の「信」についであるが、漢詩においては同じ詩の中に同じ字は使わないのが決まりであるので、この場合意味が近いと思われる「発」にした。     
註②善導大師。

<意訳>
伝灯奉告会(伝灯奉告法要と同じ)。
法(浄土真宗の教え)が永く繁んであることを念願します。
「自信教人信」(自ら信じ、人を教えて信ぜしむ)という言葉があります。
この聖者(善導大師)の御言葉は、忘れてはならない大変尊い教えであると思います。
   
     2016年11月14日

誰もが思うことでありますが、現教団は種々の問題を抱えています。前に(10月16日記)「難問多在安心乱」<難問(なんもん)は多在(たざい)し、安心(あんじん)は乱(みだ)る。>と述べましたが、この中でも「安心乱」<安心(あんじん)は乱(みだ)る。>が最も大きな問題だと思います。安心(あんじん)、信心(しんじん)は教団の生命であります。
折角定められた安心信心に関する宗制宗法遵守義務が公然と放棄されたままの信心不在状態は,何とも情けないことであります。この状態ではこの度の宗門総合振興計画も従来と同じ事をいたずらに繰り返すのみで終わり、成果は一向に期待出来ないものと思われます。
教学の責任担当者までが救済体験のない信心不決定(未決定)者である故に、カラ念仏と報恩念仏の違いの分からないひとの集団と成り果てているのであります。また近頃はこれも信心不決定(未決定)者である故に生するのでありますが、信心決定によって本願疑惑心が消滅することが分からず、無明について痴無明(煩悩妄念の心、一生続くもの)と疑無明(本願疑惑の心、獲信の時消滅するもの)との違いを考えることに反対する意見も、教学の責任担当者の中に出てきているのであります。
三業惑乱以後本願寺派では「一念覚知説」が厳しく否定されてきました。「一念覚知説」とは三業派の主張した信心決定した時の年月日時の記憶がなければならないとすることであります。これが間違とされたのであり、信心決定の自覚や信前信後の違いがあることが否定されたのではないのであります。ところが近年に至り、教団の教学の責任担当者までが救済体験のない信心不決定(未決定)者の集団となりはてて、「一念覚知説」の正確な意味が理解出来ず、救済体験や信前信後を語ると、それが一念覚知説の主張であり異義だと考え、信前信後の違いを語り、称名報恩を主張することが間違いであると考えるような、困った状態になっていると思われます。全くの惨状であります。
要するに「自信教人信」こそが大事なことであり、少なくとも教学の責任担当者は自信のひと、信心決定のひとでなければならないのであります。合掌。
   (2016年11月15日)

 上記についての Face book の反応

(S氏) 南無阿弥陀仏


(Y氏) またよろしく。

(紅楳) 御賛同有り難うございました。近年、教学の抜本的刷新と言うことがよく言われます。これはどういう意味で言うのか私には分かりませんが、今は正に抜本的刷新が必要だと思   います。
  信心不決定(未決定)者によって、獲信により本願疑惑心(疑無明)が消滅することが否定されたり、信前の念仏(カラ念仏)と信後の念仏(報恩念仏)の違いがあることが否定されて、  宗制宗法遵守義務公然放棄がまかり通り、そのうえ信前信後の違いを語れば、一念覚知の異義だと決めつける有様であります。このような近年の信心不決定(未決定)教学こそ早   急に,抜本的に刷新すべきだと思います。 合掌。


(K氏」 自分は、当流の信心には関所と言いますか、関門と言いますか、超えるべき所がある様に感じております。
  そう、師から教わりましたから、そう信じております。
  有耶無耶には出来んところなんでしょう?
  こういう論調を唱えると、異端視されちゃいますが、ハッキリせなんだら御念佛が「報恩感謝」にならん様にも思っています。
  学問をしてない身ですので、只々感覚ばかりなのではありますが!m(_ _;)m
(紅楳) あなたの言われる通りです。関門を超えることの出来ていない人(信心決定してない人))が、近年、教団の教学の責任担当者になっているが故に信因称報義は有耶無耶にな
  り、痴無明、疑無明も混乱しているのです。
  もし教団が信因称報義否定意見を認めるのなら、早急に宗制宗法を改正すべきであり、痴無明、疑無明と分けて語ることに反対の意見を認めるのなら、これも早急に真宗教団連合    制定の「和訳 正信偈(しんじんのうた<一>)」の「摂取のひかりあきらけく 無明(うたがい)の闇 晴れ去るも」とある部分を早急に訂正すべきであります。
  それから繰り返し申しますが、三業惑乱時に「一念覚知の異義」とされたのは「信心を得た時を覚えていなければならないと主張したことであり、信の自覚や信前信後の違い、報恩の    念仏を異義としたのではありません。信の自覚や信前信後の違いを否定することは、寧ろ十劫安心(無帰命安心)の異義とされたものなのです。
  いずれにせよ、教団の教学責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団である近年の教学こそ抜本的に刷新すべきだと思います。合掌。

       (2016年11月18日)


歳の暮れとなりました。今年も間もなく終わります。本願寺派において、新しい時代のためと言うことで制定された宗制宗法の教義信心ついての遵守義務が、公然と放棄された儘であることは誠に遺憾であります。言うまでもないことでありますが、教義信心は教団の生命であります。この現状は正に信心不在現象と言うべきでありましょう。
時代即応の教学樹立と言うことで、マルクス主義を模倣して反権力を唱えたり。信因称報義を批判したり、無明に二義(痴無明、疑無明)あることを否定する意見も出てきておりますが、これはすべて救済体験(回心体験)のない信心不決定(未決定)者の所論であります。また十劫の昔にすでに往生は定まっていると考えて、信心や聴聞を軽視する十劫安心や、信心を抜きにした単なる社会性や倫理性を強調する意見も同類であります。因みに私がここで述べました信因称報批判論等に対する教学批判、および曾て論じた親鸞会の教義に対する批判は、すべて私の救済体験(回心体験)、信心決定体験の上から述べたものであることを申しておきます。
蓮如上人のお言葉のように、信心決定による自信教人信の実践でなければ、何年掛けても教団の振興発展計画に成果があろうはずはありません。教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団と成り果てた無自信教人信では駄目であります。
来年こそ教団の、宗制宗法遵守義務の公然放棄がまかり通るような、信心不在体質の改善に期待したいものであります。教団と名の付く単なる俗世間には成って欲しくありません。 合掌。
     (2016年12月13日)

 上記についての Face book の反応

(Y氏) 南无阿彌陀佛

(N氏)  南無阿弥陀仏…

(D氏)Namo Amida Butsu _

(G氏) Namo Amida Butsu

(S氏)
 南無阿弥陀仏

(O氏) 南無阿弥陀仏

(B氏)
 Good morning sir profesor welcome you in my hospital in srilanka how are you

(紅楳) 御賛同有り難うございました。来年は長らく続いています教団の信心不在体質からの、少なくとも脱皮の兆しを期待したいものであります。合掌。
       (2016年12月16日)



『宗教問題15』に掲載された私が曾て関わりました、 親鸞会問題についての記事を記します。

「私が対峙した35年前の 親鸞会」
 
Interview 相愛大学名誉教授 紅楳英顕
(『宗教問題15 特集  親鸞会とは何か』<宗教問題合同社、8月31日発行、28頁以下。文章はそのまま掲載し、《》に少々説明を加えました)。

 一九五八年に設立された親鸞会の歴史の中で特筆すべき筆頭のものとしてよく挙げられる出来事が一九八〇年前後に起こった浄土真宗本願寺派との衝突である。
当時本願寺派が発行した論文集に親鸞会の教義を批判する内容の文章が載り、それに怒った親鸞会が本願寺派に抗議。最終的には親鸞会の会員が西本願寺(本願寺派本山)に大挙してつめかけ、座り込みを行うという事態に発展した。
親鸞会側からの相次ぐ抗議を、次第に本願寺派は黙殺するようになり、親鸞会はそれを「本願寺はわれわれの問いに答えない」という形である意味の“勝利宣言”をするにいたる。そしてその後、親鸞会は本願寺派に勝った」という旗印の下、さらなる組織拡大に走っていくのである。
 ただ、伝統仏教寺院の取得や会員の国政選挙出馬など、親鸞会の活動が新たな局面に入っているかのように見える現在、このかつての“事件”をどう総括すべきなのか。あの事件は親鸞会に打撃を与えることは出来たと思うが、伝統教団側も反省点はある」と語るその“親鸞会批判論文”の著者・紅楳英顕氏に、いま約三十五年前の事件を振り返ってもらった。(聞き手=本誌編集部)

 
 ― まず基本的な事実確認からさせてください。紅楳さんは一九七七年、浄土真宗本願寺派が発行した論文集『伝道院紀要』19 号に、「一念覚知説の研究高森親鸞会の主張とその問題点ー」という論文を寄稿、さらに七九年、同じく『伝道院紀要』 24 号に、 「現代における異義の研究高森親鸞会の主張とその問題点ー」を寄稿して、親鸞会の教義に関し批判。これに親鸞会側が抗議して、親鸞会の教義に関し批判。これに親鸞会側が抗議してきたという流れでよろしいでしょうか。
 紅楳  そうです。その当時の背景というものを説明しますと、そのころ学生運動そのほかの影響ということもあってか本願寺派の中でも「古い教団のあり方を改革しよう」といった声が少なからず上がるようになっていました。龍谷大学の教員という立場におられる方までもが「教団改革」といったことを唱え、従来の教学のあり方に疑問を呈するということも起こっていました。しかしこの内容は浄土真宗の大事な教えである「信心正因称名報恩」を否定するものであり、信心のない人達の意見でありましたので、私は賛同できないものでありました。《『教団改革への発言』(永田文昌堂、昭和46年<1971>8月発行。「宗祖における信心と念仏」〈龍谷教学十三、昭和五十三年六月)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html 参照。》 親鸞会が一定以上の規模に拡大し、各地で本願寺派寺院に対して攻撃活動を始めるは、そんなころの話なのです。
 現在は組織改変の結果、名前は変わっていますが、当時私は本願寺派にあった伝道院(現・総合研究所)という、教団の付属研究所に所属していました。地方の本願寺派寺院からの要請があり、本願寺として 親鸞会についての対策をすることになったのです。そこで私と他の何名かが親鸞会問題の担当になりました。
 そういう訳で一九七七年の『伝道院紀要』 19 号に「一念覚知説の研究ー 高森親鸞会の主張とその問題点ー  《http://e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.html 》」、さらに七九年、同じく『伝道院紀要』24 号に「現代における異義の研究ー高森親鸞会の主張とその問題点ー」《http://e-kobai424.sakura.ne.jp/gendainiokeruigi.html 》 という論文を発表し、 親鸞会教義について、私の賛成しかねる所を述べたのです。そして19 号の論文においては、実は本願寺側の反省すべき点についても述べていました。

  

 その“自力的傾向”な主張

 ― 親鸞会の教義の問題点とは、どのようなものだったのでしょう。
 紅楳  まず一九七七年に私が書いた「一念覚知説の研究」の内容から説明しましょう。少なくとも当時の親鸞会は、浄土真宗を信仰していく上で、いつ自分が信仰を得たのか、つまり信心決定したのかということを、はっきりと自覚せねばならないと主
張していました。一九五八年に親鸞会会長・高森顕徹氏が書いた『顕正』という本を見ると、「信仰が徹底したかしないか自分にハキリせんでどうするか、助かたか、助からんか我が身に判らんような信仰かあるか、と強調せずにはおれないのだ」と書いています。
ただ信仰というものは、確かに自分ではっきりと自覚し、「この瞬間に自分は回心を得たんだ」とわかるものもあるでしょうが、一方でいろんなご縁の中で徐々に信仰の道に入り、“入信”の時はわからないが、気づいたら深く信心していた、という状況もあるわけです。
 これについては、江戸時代に起こった三業惑乱(一七九七~一八〇六)という浄土真宗本願寺派内の議論でも争われたことでした。そもそも浄土真宗とは、阿弥陀如来の大いなる本願に救われるのだという“他力本願”の教えです。それが「自分の救われた時が必ずはっきりわからなければならないという意見(一念覚知説)は、これは自力であり、やはり本来の浄土真宗の教義に照らしておかしい考え方なのです。《回心(入信)について回心(入信)のパターンに突然的回心(Sudden conversion)と漸次的回心(Gradual conversion)の二つがあることがいわれています。回心(入信)のパターンに突然的回心の場合はその時が分かり、漸次的回心(Gradual conversion)の場合はその時は分からないと考えられます<時は分からないが入信の自覚はある>。拙稿「浄土真宗における回心についてhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/jhodoconversion.html、参照。因みに私の回心(入信)のパターンは突然的回心(Sudden conversion)です。因幡の源左に類似していると思っています。このことは「今想うこと 」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/imaomou.htm に述べました。》

 ― 一九七九年にお書きになった、「現代における異義の研究」ではどのような親鸞会批判をされたのですか。
 紅楳  親鸞会は高森会長の法話を聞くことを非常に重視するそうですが、少なくともその当時、「高森会長の法話を聞かないと救われない」といった主張さえ展開していました。また「親鸞会にお金を寄付することは大変な善行であり、それが救いにつながることになる」とも言っていました。親鸞会ではそういう高森会長の法話を聞いたり、会に寄付をしたりすることを「宿善」であると言って、「されば宿善は待つに非ず、求むるものである」(高森顕徹著『白道もゆ』より)と教えていたのです。要するに、自分から積極的に“善”を求めないと救われないの
だ、と。

―それもまた自力ということになってしまうわけです
か。
紅楳  そういうことになりますし、そもそも「高森会長の話を聞かないと救われない、とか、「寄付を出さないと救われない」などということを親鸞聖人は一切おっしゃっていません。自力ということだけではなしに、根本的に浄土真宗の教えと異なります。
ですから私はそういうことを論文に書いて、親鸞会の教義を批判したのです。

 ― 親鸞会側からの反論はあると思っていましたか。
 紅楳  もちろん、私も他教団の教義を批判したわけですから、反論があれば議論をするつもりでいました。ところがそういう言論上のやりとりを重ねていくということよりも、親鸞会側は“実力行使”に出てきたわけですから。

 ― 記録によりますと一九八〇年五月二十七日、親鸞会の会員約千人が西本願寺に乱入し、抗議集会を行ったとあります。
 紅楳 私はちょうどその時、本願寺で行われていた法要に係員として参加していました。なにやら大勢の人がやってきて、どうも「紅楳英顕を出せ」というようなことを叫んでいるものですから、近づいて「私が紅楳英顕ですが」と言ったのです。しかし別に最初から私の顔を知っている人がいたわけでもなかったのでしょう。きょとんとしたような感じで、別に何もされないまま、その日は引き上げていきました。

  ― 本願寺の反応はどうでしたか
 紅楳 私も含めて皆びっくりですよ。まさかこんなことをしてくるとは。

 ― その後、親鸞会は複数回にわたって西本願寺で座り込みなども行っています。
 紅楳 先ほど言ったように、私は親鸞会が反論をしてくれば、積極的に議論に応じてもいいと考えていました。ただ、こういう実力行使に出てこられると、もう私一人が議論してどうにかなるものではないし、また私の出る場もなくなりました。さらに親鸞会側も”紅楳英顕という個人“を攻撃するというより”本願寺派という教団組織“がターゲットであるようでした。私はいわば、その後カヤの外になっわけです。

  

 「私は救われました」

 ― それではその後、特に紅楳さん個人の所に脅迫状みたいなものが届くといったことは・・・
 紅楳 まったくありませんでしたね。ただあれは、一九八三年八月のことだったと思うのですが、親鸞会の本部からもほど近い富山県高岡市のお寺に、法話に来てほしいというお願いをされたのです。 それで富山に出向き、そのお寺へ行たのですが、私が話をする
ということは事前に掲示などもされていましたから、私の法話が始まる直前、バス二台に分乗した百人ほどの人たちが、突然お寺に乱入してきたのです。《高岡教区による黎明講座、当日の会所は高岡教区伏木組光西寺様》。まあ、「明らかに親鸞会だな」と、すぐわかりましたけれども。
 そのお寺の御住職がとっさに「暴力はいけません!」と叫びました。すると彼らは黙って座り、門徒さん方と一緒に私の話を聞いていました。けれどもしばらくして、大きな声で、彼らの中の一人が「あなたは救われたんですか!」と叫んだのです。私は「私は救われました。しかし今は御法話をしていますから、何かあるなら終わった後に来てください」と言い、そのまま法話を続けました。
 法話を終えた後、私は控え室で彼らを待っていました。ガラッと障子が開き、「来たな」と思うと、それはそのお寺の御住職で、彼らは何も言わずに帰りました、言われました。推測ですけれども、親鸞会は「伝統教団の浄土真宗の教えを信じていても救われない」と公言している団体ですから、私に「救われました」と言い切られて困ったのでしょう。



 正当な批判もある

 ― 紅楳さんはその後、本願寺派系の学校である相愛大学の教授になられるわけですが、学校に親鸞会が乗り込んでくるようなことは。
 紅楳  そういうこともまったくありませんでした。代わりにたくさん来てくれたのは親鸞会を脱会した若い人たちで、彼らとはいろいろな話をしました。「紅楳先生の批判は親鸞会にとって本当にこたえたのです。今ではお布施すれば救われる、などといったことは、表立っては言わなくなっています。」と教えてくれて、印象的でしたね。
  
 ― 本誌の取材で現在の高森会長の法話を聞いているのですが、「平生業成は親鸞聖人の一枚看板」ということを強調していて、「他力本願」「悪人正機」などのよく聞く浄土真宗の用語はあまり出ませんでした。
 紅楳 そうですか。ただ平生業成はちゃんとした浄土真宗の考え方ですよ。信心によって現世においても救われるという教義があるのは事実です。ただそれを伝統仏教の側があまり言わないのは、僧侶たちの間に、そうはっきりと人に言いきれるほどの確信がないということなんですよ。信心決定、現生正定聚、平生業成をはっきりと説かねばなりません。

 ― 親鸞会はまた、「今の伝統教団は葬儀や法事ばかりやつてきちんとした教えを説いていない」とも言っています。
 紅楳 そしてさらにまた親鸞会は、本願寺は親鸞会を異安心(正しくない信仰をしている)と言うが本願寺の方は無安心(信仰がない)だ」とも言っています。私は親鸞会を肯定的に評価する気など全くありませんが、
こういう親鸞会の、「本願寺は無安心だ」といった批判は当たっている部分もあって、伝統教団側はきちんと受け止め、反省すべきことは反省しないといけないと思います。親鸞会の問題は、ただ相手を「異安心だ」で切り捨ててしまっていいものではないとも感じています。  
                  (以上。  合掌。)  (2016年12月30日)

  上記についての Face book の反応

(Y氏) 南无阿彌陀佛

(G氏) 南無阿弥陀仏

(S氏) 南無阿弥陀仏

(N氏)南無阿弥陀仏…

(D氏) Namo Amida Butsu

(R氏) 高森親鸞会の高森顕徹氏は、50数年前は真宗寺院や門徒の家で説教していました。で、当時、高森顕徹氏の説教を聞いた家のじいさんは、高森さんは高森さん一代で終わるやろな。あんな人を煽るような話はしばらくは持つかも知らんけど、御開山や蓮如さんの教えと違うさけ長続きせんやろ、と言ってましたよ。
高森顕徹氏は、浄土真宗の教学を学んだことがないので(実は『教行証文類』も読んでいない)、学問についての批判には、答えることが出来ないので小賢しい学者の観念論だと罵倒して逃走線を張るのが常でした(笑
彼は、〈信心正因〉という名目を、「なぜ生きる」とか「生きる意味」や「人生の目的」というタームで包んで、「一切衆生 必堕無間」という恐怖を煽ることによって現在の生の意味を問うことで組織拡大を目指したのでした。
かってから、高森氏の手法は創価学会の組織拡大手法と似ているといわれましたが、「一切衆生 必堕無間」というタームは日蓮さん著の『撰時抄』にある「教主釈尊の金言まことならば多宝仏の証明たがずば十方の諸仏の舌相一定ならば今日本国の一切の衆生無間地獄に堕ちん事疑うべしや」から盗んだものでした(笑
紅楳和上の仰ることの意味は分かるのですが、浄土真宗の信心と高森親鸞会の会員/脱会者の求道姿勢を浄土真宗のご法義と同値するのは、如何なものかと思っていたりします。
〈信心正因〉の因とは、往生浄土の〈因〉なのですが、浄土という世界を持たない現代の坊さんが多いのは困ったものです。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
有り難うございます。「浄土真宗の信心と高森親鸞会の会員/脱会者の求道姿勢を浄土真宗のご法義と同値するのは、如何なものかと思っていたりします。」についてですが、勿論 親鸞会は教義を異にしている団体ですから同値してはいません。ただ脱会者の中には本当の求道姿勢の人がいるように思っています。合掌。

(紅楳) 御賛同有り難うございました。今年は色々有り難うございました。どうかよいお年をお迎え下さい。合掌。    (2016年12月31日)


2017年1月より「続⑤近年の本願寺派教学に思う」になる。