親鸞における疑蓋无雑について

    紅楳英顕

 

ここに挙げた疑蓋无雑とは『教行信証』「信巻」の三一問答にみられるもので、三心即一の信楽の意義であり、信楽の名義といわれるものである。字訓釈には「真に知んぬ、疑蓋間雑无きが故に、是を信楽と名づく、信楽即ちこれ一心なり、一心即ちこれ真実信心なり、是の故に論主建に一心と言える也」(真聖全二の五九)とあり、又法義釈には「次に信楽と言うは則ち是れ如来の満足大悲、円融无碍の信心海なり、是の故に疑蓋間雑あることなし、故に信楽と名づく」(真聖全二の六二)とあるように、信楽(信心)とは全く疑心のない疑蓋无雑の心であると述べられているのである。然るに古来、おそらく宗教体験の未熟さから生じた見解だと考えられるが、親鸞の信心には常に疑いが含まれていたのであり、最後まで往生一定の確信はなかったのだという疑心往生説や生涯不決定説等の誤った主張がしばしばなされて来た。真宗学の門外漢で親鸞を扱った人の疑心往生説については、既に批判を述べる機会をもった①。

ところか昨年(昭和五十一年)四月発行の竜谷大学論集第四〇八号に竜大真宗学教授岡亮二氏の「親鸞における信と念仏」という論文が出ている。この論文は宗学の新しい立場を樹立しようとする労作だとあるいは評価する人もいるかも知れない。しかし実に問題が多く、今挙げた疑心往生説・生涯不決定説にも相当する内容のものである。以下岡氏の所論を批判しつつ疑蓋无雑の意義を明らかにしたいと思う。

 岡氏は三一問答にみられる疑蓋无雑の心は、字訓釈・法義釈ともに如来の側でのみ語られる心であり衆生にはない心であると主張して、信楽(信心)とは疑蓋无雑の心であり本願に疑いのはれた無疑心であるとする従来の説を批判する。そしてそこに“この疑い晴れた無疑心とは一体いかなる心なのであろうか、言葉としては「疑い晴れた」とは「自力心の離れたこと」という説明はあるにしても、その自力の執心が離れた心とは何かが、今の論点となってくる。……上述の説より推察すれば「如来の本願力を如実に信知し、救われること間違いなしと確信した衆生清浄無疑心の相続する相」だという結論が一応導かれるのではなかろうか。だがもしそれが衆生の信楽だとすると私は親鸞の思想を解釈する上で、どうしても納得のいかない点に出くわすといわねばならない。それは親鸞の信楽を獲た瞬間をどこにおくかの問題である。親鸞における獲信は定説ではほぼ、法然との出会いにその時期を認めている。ところが近年、それに対する疑惑が出され、四十二三歳の時にそれを見ようとする説があらわれた。それは恵信尼文書に見る親鸞の三部経読誦に関しての自力執心の存在をその論拠とする。だがもしこのような記述が、親鸞獲信の時を定める論拠となり得るとすれば、親鸞の著述の随所にみられる己れの「自力執心」のなげきはどう考えればよいのだろう。例えば『教行信証』信巻にみる「悲しき哉愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快まざる」の文、また「一念多念文意」の「凡夫といふは、無明煩悩われらがみにみちみちて……臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」等の文、さらに「歎異抄」第九条の、唯円の問に対する親鸞の浄土にまいりたき心の起らぬことこそ、人間のいつわらざる心だとの応答など、どうみればよいのか、これらの表白によりみれば、親鸞自身はむしろ「自力の執心」のなげきの中で一生すごされたとも見られるのであって、されば獲信の時はどこまでもずらして行かねばならぬことになる。それではおかしいことになるから、親鸞の獲信の時はやはり従来の学説のごとく「雑行を捨てて本願に帰す」と親鸞自身が述べている法然との出合いに求めるべきだと思う。ではそれ以後に生じた親鸞の自力執心を我らはいかに考えるべきであろうか。ここにおいて、宗学の信楽の解釈、「凡夫の一点の疑いもなく晴々とする決定心」という表現が問題となる。親鸞が信楽釈にいう「疑蓋雑の心」とは、果してそのような意なのであろうか”(龍谷大学論集四〇八、四一頁)と述べている。     

このように岡氏は『恵信尼文書』の三部経読誦の問題②や「信巻」の「悲しき哉愚禿鸞……」等の親鸞の自己悲歎の言葉を挙げて、親鸞は自力の執心のなげきの中で一生すごしたのであるから、「本願に一点の疑いもない決定心」というようなものはなかった、と主張するのである。しかし、果してそうなのであろうか。『教行信証』総序には「爰に愚禿釈の親鸞慶ばしい哉、西蕃月支の聖典、東夏目域の師釈に遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。(真聖全二の一)と述べている。「遇う」とは『一念多念文意』に「遇はまうあうという、まうあふとまふすは、本願力を信するなり」(真聖全二の六一六)とあるように、遇は信を意味するものである。又「聞く」ということも「信巻」には「聞といふは衆生仏願の生起本末を聞きて疑心有ること无し、是を聞と日ふ也」(真聖全二の七二)とあり、『一念多念文意』には「きくといふは、本願をききてうたがうこゝろなきを聞といふなり。また聞といふは信心をあらはす御のりなり。」(真聖全二の六〇四)とあり、又『唯信鈔文意』には「聞はきくといふ、信心をあらはすみのりなり」(真聖仝二の六二六)等とあるように、聞とはただおうように聞くことではなく、そのまま信を意味するものである。従って「遇い難くして今遇ふことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」と述べていることは、自分は已に信決定の身であるという信心の告白に他ならないのである。それから「行巻」に「爾れば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転す」(真聖全二の三五)と大悲の願船に已に乗じた安堵の境地を述べ、又「化巻」三願転入の文には、「爰に久しく願海に入りて深く仏恩を知れり、至徳を報謝の為に真宗の簡要を摭うて恒に不可思議の徳海を称念す」(真聖全二の一六六)とあるように、十八願に帰入して仏恩の深さことを知りえたことを述べ、後序には「慶ばしい哉、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」(真聖全二の二〇三)と述べていることも、親鸞が自分自身の信決定・信獲得をはっきり告白していることに他ならない。そしてその信相にっいては『尊号真像銘文』には「信楽」といふは如来の本願真実にましますを、ふたごころなく深く信じてうたがはざれば信楽とまふすなり」(真聖全二の五七七)とあり、『一念多念文意』には「信心歓喜乃至一念といふは、信心は如来の御ちかひをききて、うたがうこころなきなり(真聖全二の六○五))とあり、又『唯信鈔文意』には「信はうたがうこゝろなきなり。すなはちこれ真実の信心なり」(真聖全二の六二一)等とあるように、信心とは本願にうたがいのない心であるということか明確に述べられている。又、三一問答においても字訓釈の一心は論主の一心であるから明らかに衆生の一心である。従って「疑蓋問雑无きが故に是を信楽と名づく、信楽即ち一心なり」とある疑蓋まじわることのない一心は決して岡氏のいうように仏辺のみで語られているのではなく、むしろ衆生の側で語られている疑蓋无雑の一心なのである。法義釈においても三心のそれぞれに回施釈がなされているのであるから、そこにある疑蓋无雑の心が仏辺のみならず衆生の心でもあることは至極当然のことである。従って疑蓋无雑の心は仏辺のみで語るべきものとし、本願にうたがいの晴れた心は衆生には存在しないとする岡氏の主張は明らかな誤謬であり、曲解であるといわねばならないであろう。

 岡氏は親鸞に本願に疑いの晴れた往生一定の決定心かなかったとする根拠として、三部経読誦における自力執心の問題、『教行信証』「信巻」の「悲しき哉愚禿鸞……」、『一念多念文意』の「凡夫といふは無明煩悩われらがみにみちみちて……」等の文、さらに『歎異抄』第九条の唯円の問に対する親鸞の、浄上にまいりたき心の起らぬことこそ、人間のいつわらざる心だという応答の文等を挙げるのであるが、これらの文が親鸞には本願に疑いはれた決定心はなかったということを意味しているのであろうか。『恵信尼文書』の三部経読誦の自力執心については、私は親鸞の十八願転入は二十九歳の時だと考える③ので、ここの自力執心は有情利益についてのことであり、本願に対する疑心とはみない。そして「信巻」や『一念多念文意』の文についてであるか、ここにおける親鸞の悲歎は従来慶歎といわれているように、本願にすくわれた慶びの中での自己内省の言葉であり、本願に対する疑心を意味するものでは断じてありえない。このことは『尊号真像銘文』に「摂取心光常照護といふは、信心をえたる人をば、无碍光仏の心光つねにてらしまもりたまふゆえに、无明のやみはれ、生死のなかきよすでにあかつきになりぬとしるべしと也。已能雖破無明闇といふは、日月のくもきりにおほはるれども、往生のさわりあるべからずとしるべしと也」(真聖仝二の六〇二)とあるように、いかに煩悩におおわれようとも往生にさわりなしと本願に対する疑心のいささかもない往生一定の確信が述べられていることで明らかである。『歎異抄』第九条は次下に「いそぎまいりたきこころなきものをことにあわれみたまふなり、これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく往生は決定と存じさふらへ」(頁聖全二の七七八)とあるように親鸞はいそぎまいりたき心のない我々であるから、いよいよ往生まちかいないと述べているのであり、いそぎまいりたき心がないと述べていることか、往生に対する疑心を意味すると考えることは全くの誤りである。又『高僧和讃』曇鸞讃(親鸞聖入全・一〇〇〇頁)に 「不如実修行といえること 鸞師釈してのたまはく 一者信心淳からず 若存若亡する故に」とある「若存若亡」の左訓に「あるときはおうしようしてむすとおもひ、あるときはおうしようはえせしとおもふをにやくそんにやくまうといふなり」とあるように、あるときは往生するように思い、あるときは往生できないように思う心は不如実の信であり、往生一定の決定心こそが真実の信であると述べているのである。

 以上により本願に疑心のない決定心である疑蓋无雑の心が親鸞の信心であることが明らかである。親鸞の深い内省による自己悲歎の言葉を本願に対する疑惑心と考え、親鸞には本願にうたがいはれた決定心はなかつたとする岡氏の所論はいわゆる痴無明(煩悩妄念の心)と疑無明(本願疑惑の心)とを混同した全くの謬見といわねばならないであろう。

 

1、拙稿「真の仏弟子について」(伝道院紀要15)。

2,『恵信尼文書』第三、真聖全五のI〇1。

3,拙稿「宗祖における伝道の一問題」(伝道院紀要17)。

    (印度学仏教学研究第二十六の一、1977年12月刊、所収)。