続②近年の本願寺派教学に想う
紅楳英顕
これは「近年の本願寺派教学に想う」、「近年の本願寺派教学に思う、追加」、「続・近年の本願寺派教学に想う」に続くものである。
この度御門主様より伝灯奉告法要についての御消息が発布されました。大変有り難いことであります。そこに「ここに法統継承を仏祖の御前に奉告いたしますとともに、あわせて本願念仏の御法義の隆盛と宗門の充実発展とを期して、平成28年および29年に、伝灯報告法要をお勤めすることになりました。」と述べられています。私はここに
「 本願念仏の御法義の隆盛と宗門の充実発展 」とある御言葉を深く受け止めたいと思います。
いうまでもなくこの「本願念仏」とは第十八願の弘願念仏(他力念仏)のことであり、「真実信心の称名」(『正像末和讃』< 浄土真宗聖典p、607>)であります。そしてまた「わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼめすべしとぞ、おぼえ候ふ」(『親鸞聖人御消息』< 浄土真宗聖典p、784>)とあります報恩念仏であり、「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」の前提となる念仏であります。
何度も申しますが、折角宗法に信因称報義反対者に勧学寮の教諭義務が定められながら、実際には何もなされなかったように、教学の責任担当者までが信前の念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後の念仏(報恩念仏、他力念仏)との違いが分からない、現宗門の信心不在体質は極めて遺憾に思います
合掌 紅楳英顕 (2015年1月23日)
参照
「続・近年の本願寺派教学に想う」
「御報恩のための念仏ー世の中安穏なれの前提ー」
「Establishing Shinjin: the Premise of Peace and Tranquility」
上記についてのFace Book の反応に対して
御賛同有り難うございます。前に申しましたように信因称報義批判問題は40年近く前から問題になっていたことなのであります。その当時から宗制の教義に信因称報義は定められ ておりました。当時の勧学寮頭は「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」ということでありましたが、具体的には何もなされませんでした。(「近年の本願寺派教学に想う。」)
御承知のように、平成24年4月1日施行の宗法に信因称報義反対者に勧学寮の教諭義務が定められました。しかしながら、結局何もなされませんでした。この事は総局、勧学寮、監正局の宗法遵守義務放棄であり、職務放棄に相当すると思いますが、それ以上に私が憂慮しますのは、現在の教団の信心不在体質であります。教団の責任担当者(行政面、教学面) の人達が信因称報義反対がどれだけ大きな謬見であるかが分かっていないのです。
これは教団の責任担当者方が信心不決定(未決定)者である故に信前の念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後の念仏(本願念仏<他力念仏>、報恩念仏)の違いが分からないからに 他ならないと考えます。
このように、教団の行政責任担当者のみならず、教学責任担当者までが信心不決定(未決定)者の人達になってしまっているのが、現教団の信心不在体質であります。この信心
不在体質に何等の改善もなされないままで、いくらまた新たに宗門長期発展計画を掲げても、過去と同様、余り期待は出来ないのではなかろうかと懸念しております。
合掌 紅楳英顕 (2015年1月25日)。
2月7日に 仏教漢詩の会 第八回が催されました。今回は大瀛和上の『横超直道金剛錍』がテーマの一つでした。
想大瀛和上 大瀛和上(だいえいわじょう)を想(おも)う
紅楳英顕
真実院大瀛師著 真実院大瀛師(しんじついんだいえいし)は著(あらわ)せり。
横超直道金剛錍 横超直道金剛錍(おうちょうじきどうこんごうへい)を。
謬見信一念覚執 信一念(しんいちねん)の覚(かく)に執(しゅう)ずることを 謬見(びゅうけん)とし、
誤過三業帰命論 三業帰命(三業帰命)を論(ろん)ずることを過誤(かご)とせり。
又述十劫正覚初 又(また)述(じゅつ)せり。 十劫正覚(じっこうしょうがく)の初(はじめ)は、
往生法門成就砌 往生法門成就(おうじょうほうもんじょうじゅ)の砌(みぎり)、
他力信心開発剋 他力信心開発(たりきしんじんかいほつ)の剋(こく)が、
衆生往生冶定時 衆生往生治定(しゅうじょうおうじょうじじょう)の時(とき)なりと。
2015年1月27日
大瀛師の『横超直道金剛錍』 は本願寺派最大の安心上の騒動であった三業惑乱(1806年3月終結)に際し、三業派の欲生正因、三業帰命、一念覚知と、当時流布していた十劫安心の謬解を正したものである。
信心不在体質の現在の教団において、この内容を正しく学習することは極めて重要な事と考える。
一念覚知、十劫安心の問題は現在の教団において大変重要な安心の問題だと思う。
信心不決定(未決定)が原因だと思えるが、教学責任担当者の中にもこれについて間違った理解をしている人が多いように思われる。
一念覚知とは信一念が覚か不覚かの問題であり、信一念が必ず覚でなければならないとした主張が誤りとされたものである。。
真宗の肝要ただこのたのむ一念なる故に。若し之無き者は真宗の徒に非ず。然りと雖も之に就て記憶不記憶を論ずる ことは。理無し文なし益なし。云何が理なし。夫れたのむとは他力信心なり。その正不を督んと欲せば。宜しく現前の心相 云何と問うべし。如何ぞその過去について記憶不記憶を論ずるの理あらん。(中略)六字の全体を心得たる。信の一念が 即ち行者帰命の一念なり。何ぞ此中に就て。これが我が曾て手弁の帰命願にてありしと。取わけて記不記を論ずるの理 あらんや。相続の故に彼の一度限に異なり。執者は帰命を僻解して。自力所作の祈願とおもふ。故に一度とり行ふを以 て一念とす。自力の一念は水に画くが如くなれば。往生の大事望めて極めて不安心なり。故に勉めて記憶を責む。
( 横超直道金剛錍 中)
と「自力の一念は水に画くが如くなれば。往生の大事望めて極めて不安心なり。故に勉めて記憶を責む」と大瀛師が述べているように、信一念を自力所作の祈願とおもうて、信一念の時の覚に執ずることを謬見としているのである。
昨今は信一念についてではなく、信心そのものが不覚であるとし、信心とはあるのかないの分からないもの(若存若亡<あるときに往生してんずとおもひ、あるときには往生はえせじとおもふ>浄土真宗聖典p、587)であると誤って思いこみ、信の自覚を語ることが一念覚知の謬見だと考えている人が多いように思われる。例えばある勧学寮関係者が氏の著に有名な話である興正派の御門主と庄松 同行との話を取り上げている。庄松 同行が帰敬式の時、御門主の袖を引っ張り「<アニキ覚悟はよいか>と云った。式の後、彼は御門主の部屋に呼び出され、逆に御門主の側から<貴兄の覚悟はいかに>と反問されたのである。その時彼は即座に<オレのことは知らん、アレに聞け>と云ってご本尊を指したという。」と氏は述べている。ところがここの所が『庄松ありのままの記』には「御法主<敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併し汝は信を頂いたか>、庄松<ヘエ頂きました>、御法主<その得られた相を一言申せ>、庄松<なんともない)>、御法主<それで後生の覚悟はよいか>、庄松<それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか。>」と述べられている。(清水順保著、永田文昌堂、昭和36年4月、p、47)。ここで注意しなければならないことは氏の著には「<併し汝は信を頂いたか>、庄松<ヘエ頂きました>」とある庄松 同行が、自分が信心獲得( 決定 )していることの自覚を述べている肝心な部分が氏の著では抜かれていることである。故意の断章とは思いたくないが、信心は不覚なのであり、それが他力信心であると強張した氏であるが、それが間違いであることがこれによっても明らかであろう。(昭和56年3月に「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」と述べて何もしなかった当時の勧学寮頭も著<『信心について』、探究社、昭和57年、p、46>に、断章によるこの謬解に賛意を述べている。)
また氏は信が不覚であることの証として才市同行の「胸にさかせた信の花、弥陀にとられて今ははや、信心らしいものはさらになし」とある句をあげるのであるが、周知のよ うに才市同行は何年も聴聞に努めて入信したのである。入信前を回顧して歌った句もある。(『妙好人』鈴木大拙、法蔵館、平成11年6月、P,207)。「胸にさかせた信の花」とある言葉は獲信の自覚を表すものであり、「信心らしいものはさらになし」とは不覚を意味するのではなく、煩悩具足の身であることに変わりがないという意味であろう。さらに氏は『御文章』4の8の「阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、<
衆生仏に成らずばわれも正覚ならじ>と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりとこころうべし。これすなわちわれらが往生の定まりたる証拠なり」(浄土真宗聖典p、1179)とある所を取り上げて、(あとに続いている「されば他力の信心を獲得するというも、ただこの六字のこころなり」とある言葉は省いて) 先手の救いを強調し、無信心往生の十劫安心的見解を述べるのである。
また先にも述べた(「続・近年の本願寺派教学に想う。」(2014年12月28日記)のように、現在、教学責任担当者に十劫安心相当者が多く見受けられる。 大瀛師が
十劫正覚の初より。我が往生を定玉へるを忘れず疑はずが信心なりとばかりこころえたるは。甚だ麁昧の至なり。夫れ 衆生往生の法門こそは。正覚同時になしたまひけん。一 機一 機の往生に至ては。信楽時至らずしてはいかでか定まり なん。故に衆生帰命の一念の時。彌陀は必ず摂取して。往生治定せしめたまふ。(中略)十劫者はこの義を知らず。 往生 法門成就の時を以てわが往生冶定の時と取り誤る。聞不具足の故に。その信心ぞと 云うもの大疵物なり。
( 横超直道金剛錍 下)
と述べるように弥陀の十劫正覚の時は往生法門成就の時であって、 衆生往生決定の時ではないのであり、往定 決定の時は、信心決定の時なのである。
勧学寮関係者の一人は「法蔵菩薩の功徳が出来上がるということは、そのまま私の功徳が出来上がるということなんですということ。弥陀成仏の時には、私の往生の功徳は成就したのです。」と述べ、そして「ご当流はご本願のお宗旨だから、ご当流はご本願、真宗だからお別院のお堂であろうが末寺の庵寺であろうが、これはご本願のお寺で、ご本願の畳で、参詣衆はみんなご信心の人なんです。」と述べている。弥陀成仏の時に私の往生の功徳成就したというのだから、私の往生もすでに決定したと考えるのであろうし、信心すでにも決定しているという主張なのであろう。それなので人は皆信心の人ともいうのあろう。そうであるから聴聞についても「お説教はテレーと聞いてわすれて帰れ、ねてもいいですよ」ということにもなるのである。しかし、十劫正覚の時に私の往生がすでに定まり、信心も定まっているという考えは明らかな間違いである。親鸞聖人が『教行信証』総序に「もしまたこのたび疑網にふ覆蔽せられば、かへってまた昿劫を経歴せん。」(浄土真宗聖典p、132)、とか『高僧和讃』に「昿劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」(浄土真宗聖典p、596)と述べられている意とは明らかに相違するものである。また『高僧和讃』に「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光照護して ながく生死をへだてける」(浄土真宗聖典p、591)とあり、『正像末和讃』には「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」(浄土真宗聖典p、600)等とあるように、親鸞聖人は弥陀の心光に照護され、摂取不捨の利益にあずかり現生正定聚の身となり、往生決定の身となるのは、決して十劫正覚の時ではなく信心決定の時であると述べているのである。
以上述べた信心が不覚であるとする主張も、十劫の昔に往生がすでに決定しているとする主張も、信前の念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後の念仏(報恩念仏、他力念仏)との違いが分からないのと同様に、その人が救済体験がないが故に信心決定、往生一定の実感がないがためであろう。(前に述べた<2014年12月28日記>が、2002年に勧学寮編集によって出版された『新編安心論題綱要』では十劫安心の内容が「現在では必要度が薄れたと思慮される」<序>と云う理由で省かれている。この事は現在の勧学寮が、信因称報義反対が間違いであることが分からないだけでなく、十劫安心が間違いであることも分からない無信心体質であることを示すものといえるであろう。)
以上のことから明らかなように、昨今勧学寮等の教団の教学責任担当者の多数が、救済体験がない、信心不決定(未決定)者と断ぜざるえない人達なのである。現教団のこの信心不在体質の根本改善なしに、いくら遠大な推進計画がたてられても宗門の発展は望めないであろうと愚考するのである。
(2015年2月7日)
拙論 「親鸞浄土教における救済の理念と事実、「信一念と信の覚不について」を参照下さい。
本願寺派の定期宗会が6日に終わったそうである。 新しい時代のための新体制の下の最初の定期宗会であったが、新宗法遵守義務放棄(信因称報義反対者に対する教諭義務放棄)に関しては、何の論議もなかったようである。実に情けないことである。何度も述べたが、折角定められた新宗法が公然と無視されるような、宗門の信心不在体質の改善が何等なされないままに、いくら発展計画が掲げられようと、ただ空回りだけの全く無意味なことであろう。 合掌
紅楳英顕
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html (2015年3月17日)。
上記についてのFace Book の反応
(A氏)信心正因稱名報恩義は浄土真宗の決して外せないご常教で、まず初祖龍樹菩薩よりうかがえます。宗祖の慧眼、無視しては宗門の発展が危ぶまれることで申し訳ないことです。 南無阿弥陀佛合掌
『正像末和讃』「三時讃」に親鸞聖人は「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念 きらはるる」(浄土真宗聖典P、607)と述べられている。これは善鸞事件後(善鸞は自力的傾向の念仏を主張したと考えられる。)の親鸞聖人の念仏思想の結論といって差し支えなかろうと思われる。ここに示されているように親鸞聖人は信心具足(信後)の念仏が彌陀回向の念仏(他力念仏、
弘願念仏)であり、 浄土真宗の正しい念仏であると述べられ、そうでない信心不具足(信前)の念仏(自力念仏、カラ念仏等)は、自力の称念であり、間違った念仏であると述べられているのである。同時期の同じ『正像末和讃』「愚禿悲歎述懐」に「无慚无愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の 御名なれば 功徳は十方に みちたもう」(同P、617)と
あるが、言うまでもなくこの 「功徳は十方に みちたもう」とある念仏(御名)は「弥陀の回向の御名」である。即ち真実信心の称名、信心具足(信後)の念仏でなのであり、断じて信心不具足の自力念仏、カラ念仏等ではないのである。よく耳にすることであるが「真宗の念仏に自力も他力もあるものか、信前信後もあるものか、口に称える念仏はみんな阿弥陀様から頂いた他力回向の念仏ではないか」という意見があるが、これは大きな間違いなのである。これは未だ救済体験のない信心不決定(未決定)の人達のいうことなのである。こういう間違いが横行しているのが現宗門のゆゆしき状況なのである。
蓮如上人 が「それ人間に流布してみな人のこころえたるとほりは、なにの分別もなく口にただ称名ばかりをとなえたらば、極楽に往生すべきようにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。」(『御文章』5の11。P、1197)等と述べておられるように無信単称の念仏(信心不具足の念仏)では往生はできないのである。それでは信前(信心不具足)と信後(信心具足)念仏の違いはどうして分かるのか、それが自分で分かるというなら、それこそ自力のはからいにすぎないではないか、と言う人がいるかも知れない。しかしそうではない。寒暖自知という言葉があるように、自ずと知らされるものなのである。。親鸞聖人が29才の時に他力に帰したこと述べられたり、
法然 上人が43歳の時念仏に帰したことが言われたり、その他多くの人々の入信体験が語られているのは自分自身にそれが知られるからである。例は良くないかとは思うが、人が初めて自分の子供を持った時、自分の子供がこんない可愛いものかということを知る。同じ子供でも他者の子供と自分の子供の可愛さがはっきり違うことが、誰に教えて貰わなくても、知ろうと思わなくても、自ずと知らされるものである。私は寺の長男に生まれた人間であるので、入信前の幼少の頃からお勤めをしたり、当然のことながら、念仏を称えることもしていた。それで、入信前の念仏(信前、信心不具足の念仏)と入信後の念仏(信心具足の念仏、他力念仏、報恩念仏)の違いをはっきり認識しているのである。私が随分前から報恩念仏反対者に対して、信前信後の念仏の違いの分からない信心不決定(未決定)者であると批判を続けたのは、(「宗祖における信心と念仏」http://hongwanriki.wikidharma.org/…/%E5%AE%97%E7%A5%96%E3%8…)
私が伝統教学を支持(墨守)したことによるのではなく、私の入信(回心)体験にによるものなのである。このことははっきり述べておきたい。
この度信楽氏が『歎異抄』第1の「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」とある文を批判して「念仏を申そうと思い立つ心のところで、摂取不捨の利益はいただけません。たしかにお念仏をを申して、その念仏が信心体験となってこそ、真宗における仏の救いが成立するのです。お念仏申そうと、思い立つ心のところで、何で救いが成り立ちますか」(信楽峻麿著『親鸞の真宗か、蓮如の真宗か』方丈堂出版2014年12月、P、16)と述べている文を見て、実に驚いた。今まで私は氏は信心不決定(未決定)の報恩念仏批判者とは思っていたが、信心についても親鸞聖人とこれほどまで違った考えの人だったとは思っていなかった。信心について親鸞聖人は「信心は、如来の御ちかいをききて疑ふこころのなきなり。」(『一念多念証文』、浄土真宗聖典p、678)、「信楽といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがはざれば、信楽
と申すなり」(『尊号真像銘文』浄土真宗聖典p、643)等と述べられている。親鸞聖人いわれる信心は本願に対する无疑心であり、『歎異抄』第一では「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて」とあるのがそれである。氏はこれを信心とは考えないのであるから、親鸞聖人の言われる信心と全く違ったものを信心と考えていることが明らかである。ここの「念仏申さんとおもひたつこころ」とある念仏は信後の信心具足の「真実信心の称名」なのであるが、氏には全くそれが分かっていないのである。(氏は最後まで信前信後の念仏の違いが分かっていなかったということがこの事からも明らかである。)信心の意味を聖人の上記『一念多念証文』、『尊号真像銘文』等の言葉によらず、聖人が扱われることのなかった原語(サンスクリット)の意味で主張し(『親鸞の真宗か、蓮如の真宗か』P、222等)、それを念仏の実践によって生じせしめるというのであるから、聖人のいわれる无疑心とは全く異なったものを信心と考えていたことが明白である。この事は信楽氏が信心不決定(未決定)者であるという批判の範疇を越えた、聖人の言われる他力信心、他力念仏とは全く異質な教え(自性唯心的聖道門的傾向)を語って来た人であったと考えるべきであろう。
蓮如上人 は「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり 、人承引あるべからずと、前住上人申さると順誓に仰せられ候き。自信教人信と候時は、まづ我が信心決定して人
にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち大悲伝普化の道理なる由、同く仰られ候。」(『御一代記聞書93』、 浄土真宗聖典p、1261)と述べられている。ここに「自信教人信」とあるように、人に信を伝えるには、まず我が身が信心決定のひととなる、これが一番肝要なことである。また「教化するひとまづ信心をよく決定して、そのうへにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。」(『御一代記聞書』14浄土真宗聖典p、1263)と言われている。他者に教えを伝えようとする人は、まず自分が信心決定の人でなければならないのである。信心不決定(未決定)のままでいくら教えを説いても、それは自分が
何も持ってなくて、人にものを与えようとするようなもので、人は承知するものではない、と言われている。全くその通りだと思う。
近年教えが伝わりにくくなったと教団で言われ、色々方策が講じられているようであるが、「自信教人信」が忘れられては(教化するひとが信心不 決定
では)、何の成果も上がらないことであろう。教団の教学責任担当者までが、信心不決定(未決定)の人々であったり、折角の新宗法も公然と無視されるようなことてあってはならないと思う。
合掌 紅楳英顕 (2015年3月30日)
上記についてのFace Book の反応