続②近年の本願寺派教学に想う
                      紅楳英顕

 これは「近年の本願寺派教学に想う」「近年の本願寺派教学に思う、追加」「続・近年の本願寺派教学に想う」に続くものである。

 この度御門主様より伝灯奉告法要についての御消息が発布されました。大変有り難いことであります。そこに「ここに法統継承を仏祖の御前に奉告いたしますとともに、あわせて本願念仏の御法義の隆盛と宗門の充実発展とを期して、平成28年および29年に、伝灯報告法要をお勤めすることになりました。」と述べられています。私はここに 「 本願念仏の御法義の隆盛と宗門の充実発展 」とある御言葉を深く受け止めたいと思います。
 いうまでもなくこの「本願念仏」とは第十八願の弘願念仏(他力念仏)のことであり、「真実信心の称名」(『正像末和讃』< 浄土真宗聖典p、607>)であります。そしてまた「わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼめすべしとぞ、おぼえ候ふ」(『親鸞聖人御消息』< 浄土真宗聖典p、784>)とあります報恩念仏であり、「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」の前提となる念仏であります。
 何度も申しますが、折角宗法に信因称報義反対者に勧学寮の教諭義務が定められながら、実際には何もなされなかったように、教学の責任担当者までが信前の念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後の念仏(報恩念仏、他力念仏)との違いが分からない、現宗門の信心不在体質は極めて遺憾に思います

  合掌  紅楳英顕  (2015年1月23日)

参照
  「続・近年の本願寺派教学に想う」
  
  「御報恩のための念仏ー世の中安穏なれの前提ー」
 
  「Establishing Shinjin: the Premise of Peace and Tranquility」
  

 上記についてのFace Book の反応に対して
   御賛同有り難うございます。前に申しましたように信因称報義批判問題は40年近く前から問題になっていたことなのであります。その当時から宗制の教義に信因称報義は定められ ておりました。当時の勧学寮頭は「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」ということでありましたが、具体的には何もなされませんでした。(「近年の本願寺派教学に想う。」
 
 御承知のように、平成24年4月1日施行の宗法に信因称報義反対者に勧学寮の教諭義務が定めら
れました。しかしながら、結局何もなされませんでした。この事は総局、勧学寮、監正局の宗法遵守義務放棄であり、職務放棄に相当すると思いますが、それ以上に私が憂慮しますのは、現在の教団の信心不在体質であります。教団の責任担当者(行政面、教学面) の人達が信因称報義反対がどれだけ大きな謬見であるかが分かっていないのです。 
  これは教団の責任担当者方が信心不決定(未決定)者である故に信前の念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後の念仏(本願念仏<他力念仏>、報恩念仏)の違いが分からないからに  他ならないと考えます。
  このように、教団の行政責任担当者のみならず、教学責任担当者までが信心不決定(未決定)者の人達になってしまっているのが、現教団の信心不在体質であります。この信心
 不在体質に何等の改善もなされないままで、いくらまた新たに宗門長期発展計画を掲げても、過去と同様、余り期待は出来ないのではなかろうかと懸念しております。
  
   合掌   紅楳英顕
 (2015年1月25日)。



 2月7日に 仏教漢詩の会 第八回が催されました。今回は大瀛和上の『横超直道金剛錍』がテーマの一つでした。

想大瀛和上     大瀛和上(だいえいわじょう)を想(おも)う
                                 紅楳英顕


 真実院大瀛師著        真実院大瀛師(しんじついんだいえいし)は著(あらわ)せり。
 横超直道金剛錍        横超直道金剛錍(おうちょうじきどうこんごうへい)を。
 謬見信一念覚執        信一念(しんいちねん)の覚(かく)に執(しゅう)ずることを 謬見(びゅうけん)とし、
 誤過三業帰命論        三業帰命(三業帰命)を論(ろん)ずることを過誤(かご)とせり。

 又述十劫正覚初        又(また)述(じゅつ)せり。 十劫正覚(じっこうしょうがく)の初(はじめ)は、
 往生法門成就砌        往生法門成就(おうじょうほうもんじょうじゅ)の砌(みぎり)、
 他力信心開発剋        他力信心開発(たりきしんじんかいほつ)の剋(こく)が、
 衆生往生冶定時        衆生往生治定(しゅうじょうおうじょうじじょう)の時(とき)なりと。

               2015年1月27日


 大瀛師の『横超直道金剛錍』 は本願寺派最大の安心上の騒動であった三業惑乱(1806年3月終結)に際し、三業派の欲生正因、三業帰命、一念覚知と、当時流布していた十劫安心の謬解を正したものである。
 信心不在体質の現在の教団において、この内容を正しく学習することは極めて重要な事と考える。
 一念覚知、十劫安心の問題は現在の教団において大変重要な安心の問題だと思う。
信心不決定(未決定)が原因だと思えるが、教学責任担当者の中にもこれについて間違った理解をしている人が多いように思われる。
 一念覚知とは信一念が覚か不覚かの問題であり、信一念が必ず覚でなければならないとした主張が誤りとされたものである。。

  真宗の肝要ただこのたのむ一念なる故に。若し之無き者は真宗の徒に非ず。然りと雖も之に就て記憶不記憶を論ずる ことは。理無し文なし益なし。云何が理なし。夫れたのむとは他力信心なり。その正不を督んと欲せば。宜しく現前の心相 云何と問うべし。如何ぞその過去について記憶不記憶を論ずるの理あらん。(中略)六字の全体を心得たる。信の一念が 即ち行者帰命の一念なり。何ぞ此中に就て。これが我が曾て手弁の帰命願にてありしと。取わけて記不記を論ずるの理 あらんや。相続の故に彼の一度限に異なり。執者は帰命を僻解して。自力所作の祈願とおもふ。故に一度とり行ふを以  て一念とす。自力の一念は水に画くが如くなれば。往生の大事望めて極めて不安心なり。故に勉めて記憶を責む。
  ( 横超直道金剛錍 中)
と「自力の一念は水に画くが如くなれば。往生の大事望めて極めて不安心なり。故に勉めて記憶を責む」と大瀛師が述べているように、信一念を自力所作の祈願とおもうて、信一念の時の覚に執ずることを謬見としているのである。
 昨今は信一念についてではなく、信心そのものが不覚であるとし、信心とはあるのかないの分からないもの(若存若亡<あるときに往生してんずとおもひ、あるときには往生はえせじとおもふ>浄土真宗聖典p、587)であると誤って思いこみ、信の自覚を語ることが一念覚知の謬見だと考えている人が多いように思われる。例えばある勧学寮関係者が氏の著に有名な話である興正派の御門主と庄松 同行との話を取り上げている。庄松 同行が帰敬式の時、御門主の袖を引っ張り「<アニキ覚悟はよいか>と云った。式の後、彼は御門主の部屋に呼び出され、逆に御門主の側から<貴兄の覚悟はいかに>と反問されたのである。その時彼は即座に<オレのことは知らん、アレに聞け>と云ってご本尊を指したという。」と氏は述べている。ところがここの所が『庄松ありのままの記』には「御法主<敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併し汝は信を頂いたか>、庄松<ヘエ頂きました>、御法主<その得られた相を一言申せ>、庄松<なんともない)>、御法主<それで後生の覚悟はよいか>、庄松<それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか。>」と述べられている。(清水順保著、永田文昌堂、昭和36年4月、p、47)。ここで注意しなければならないことは氏の著には「<併し汝は信を頂いたか>、庄松<ヘエ頂きました>」とある庄松 同行が、自分が信心獲得( 決定 )していることの自覚を述べている肝心な部分が氏の著では抜かれていることである。故意の断章とは思いたくないが、信心は不覚なのであり、それが他力信心であると強張した氏であるが、それが間違いであることがこれによっても明らかであろう。(昭和56年3月に「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」と述べて何もしなかった当時の勧学寮頭も著<『信心について』、探究社、昭和57年、p、46>に、断章によるこの謬解に賛意を述べている。)
また氏は信が不覚であることの証として才市同行の「胸にさかせた信の花、弥陀にとられて今ははや、信心らしいものはさらになし」とある句をあげるのであるが、周知のよ うに才市同行は何年も聴聞に努めて入信したのである。入信前を回顧して歌った句もある。(『妙好人』鈴木大拙、法蔵館、平成11年6月、P,207)。「胸にさかせた信の花」とある言葉は獲信の自覚を表すものであり、「信心らしいものはさらになし」とは不覚を意味するのではなく、煩悩具足の身であることに変わりがないという意味であろう。さらに氏は『御文章』4の8の「阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、< 衆生仏に成らずばわれも正覚ならじ>と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりとこころうべし。これすなわちわれらが往生の定まりたる証拠なり」(浄土真宗聖典p、1179)とある所を取り上げて、(あとに続いている「されば他力の信心を獲得するというも、ただこの六字のこころなり」とある言葉は省いて) 先手の救いを強調し、無信心往生の十劫安心的見解を述べるのである。
 また先にも述べた(「続・近年の本願寺派教学に想う。」(2014年12月28日記)のように、現在、教学責任担当者に十劫安心相当者が多く見受けられる。 大瀛師が
 十劫正覚の初より。我が往生を定玉へるを忘れず疑はずが信心なりとばかりこころえたるは。甚だ麁昧の至なり。夫れ 衆生往生の法門こそは。正覚同時になしたまひけん。一 機一 機の往生に至ては。信楽時至らずしてはいかでか定まり  なん。故に衆生帰命の一念の時。彌陀は必ず摂取して。往生治定せしめたまふ。(中略)十劫者はこの義を知らず。  往生 法門成就の時を以てわが往生冶定の時と取り誤る。聞不具足の故に。その信心ぞと 云うもの大疵物なり。
  ( 横超直道金剛錍 下)  
と述べるように弥陀の十劫正覚の時は往生法門成就の時であって、 衆生往生決定の時ではないのであり、往定 決定の時は、信心決定の時なのである。
 勧学寮関係者の一人は「法蔵菩薩の功徳が出来上がるということは、そのまま私の功徳が出来上がるということなんですということ。弥陀成仏の時には、私の往生の功徳は成就したのです。」と述べ、そして「ご当流はご本願のお宗旨だから、ご当流はご本願、真宗だからお別院のお堂であろうが末寺の庵寺であろうが、これはご本願のお寺で、ご本願の畳で、参詣衆はみんなご信心の人なんです。」と述べている。弥陀成仏の時に私の往生の功徳成就したというのだから、私の往生もすでに決定したと考えるのであろうし、信心すでにも決定しているという主張なのであろう。それなので人は皆信心の人ともいうのあろう。そうであるから聴聞についても「お説教はテレーと聞いてわすれて帰れ、ねてもいいですよ」ということにもなるのである。しかし、十劫正覚の時に私の往生がすでに定まり、信心も定まっているという考えは明らかな間違いである。親鸞聖人が『教行信証』総序に「もしまたこのたび疑網にふ覆蔽せられば、かへってまた昿劫を経歴せん。」(浄土真宗聖典p、132)、とか『高僧和讃』に「昿劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」(浄土真宗聖典p、596)と述べられている意とは明らかに相違するものである。また『高僧和讃』に「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光照護して ながく生死をへだてける」(浄土真宗聖典p、591)とあり、『正像末和讃』には「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」(浄土真宗聖典p、600)等とあるように、親鸞聖人は弥陀の心光に照護され、摂取不捨の利益にあずかり現生正定聚の身となり、往生決定の身となるのは、決して十劫正覚の時ではなく信心決定の時であると述べているのである。
 以上述べた信心が不覚であるとする主張も、十劫の昔に往生がすでに決定しているとする主張も、信前の念仏(カラ念仏、自力念仏)と信後の念仏(報恩念仏、他力念仏)との違いが分からないのと同様に、その人が救済体験がないが故に信心決定、往生一定の実感がないがためであろう。(前に述べた<2014年12月28日記>が、2002年に勧学寮編集によって出版された『新編安心論題綱要』では十劫安心の内容が「現在では必要度が薄れたと思慮される」<序>と云う理由で省かれている。この事は現在の勧学寮が、信因称報義反対が間違いであることが分からないだけでなく、十劫安心が間違いであることも分からない無信心体質であることを示すものといえるであろう。)
 以上のことから明らかなように、昨今勧学寮等の教団の教学責任担当者の多数が、救済体験がない、信心不決定(未決定)者と断ぜざるえない人達なのである。現教団のこの信心不在体質の根本改善なしに、いくら遠大な推進計画がたてられても宗門の発展は望めないであろうと愚考するのである。 (2015年2月7日)
拙論 「親鸞浄土教における救済の理念と事実「信一念と信の覚不について」を参照下さい。



 本願寺派の定期宗会が6日に終わったそうである。 新しい時代のための新体制の下の最初の定期宗会であったが、新宗法遵守義務放棄(信因称報義反対者に対する教諭義務放棄)に関しては、何の論議もなかったようである。実に情けないことである。何度も述べたが、折角定められた新宗法が公然と無視されるような、宗門の信心不在体質の改善が何等なされないままに、いくら発展計画が掲げられようと、ただ空回りだけの全く無意味なことであろう。  合掌  紅楳英顕
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html  (2015年3月17日)。

  上記についてのFace Book の反応
 (A氏)信心正因稱名報恩義は浄土真宗の決して外せないご常教で、まず初祖龍樹菩薩よりうかがえます。宗祖の慧眼、無視しては宗門の発展が危ぶまれることで申し訳ないことです。   南無阿弥陀佛合掌

 信因称報義が 浄土真宗 の正義であることが分からない人は、とりもなおさず信心不決定(未決定)の人なのです。甚だ残念なことでありますが、現在の宗門は総局、勧学寮、監正局、それから宗会、すべてが信心不決定(未決定)者の集まりだと考えざるをえません。この信心不在体質の抜本的改善なしに宗門の再生、発展は皆無といっても 過言ではなかろうと思います。 合掌  紅楳英顕

 (B氏)私は、そんな宗派はさっさと潰して(自然と門末が見限って)、講的な形にすべきと思いますね。

 ごもっともな御意見と思いますが、ご承知のように我が宗門はかって教学体制の抜本的改善を行ったことがあります。(1806年、三業惑乱時)。
 今しばらく、親鸞聖人の御意を体した上での宗門の再生を願う、宗門人の至誠と英智を期待したいと私は思っています。
  合掌   紅楳英顕

 Face Book に以上のような意見が出ています。いずれにせよ新たな出発のための新宗法(平成24年4月1日施行)の第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」と定められながら、宗法遵守義務は放棄され、公然と無視されたのである。その上、宗教教団にとって一番大事な信心に関しての宗法遵守義務放棄の大問題について、宗会においても何も論じられることはなかったのである。
 こんな有様の現宗門の信心不在体質は一刻も早く改善されるべきだと思う。これが放置されたままで、いくら宗門の長期発展計画が討議されても、従来同様、だだ討議のみの繰り返しになるだけであろう。(2015年3月17日)。



 信楽氏(元龍谷大學学長)の『親鸞の真宗か蓮如の真宗か』(方丈堂出版) が出版された。 蓮如上人 批判に終始したものである。内容はすでに述べたことと大体同じことであるが、(「続・近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zokukinnen.htm
今回印象的であったのは、 『歎異抄』第一について「念仏を称えることなくして信心はありません。『歎異抄』が間違っている、唯円がわかっていないのです。お念仏を申そうと思い立つ心のところで、摂取不捨の利益はいただけません。たしかにお念仏申して、その念仏が信心体験となってこそ、真宗における仏の救いが成立するのです。お念仏申そうと、思い立つ心のところで、なんで救いが成り立ちますか。」(P、16)。である。
 氏が 称名→ 聞名 →信心 の自説、自分の称える念仏の声をきくことによって信心が生じるのであると述べ、(これは親鸞聖人の御教示にはない)信前の自力念仏を策励することは「続・近年の本願寺派教学に想う」に述べたが、それはこれほど徹底したものなのである。
 このような念仏論であるので信後の念仏を報恩とする 蓮如上人 の意を理解することができないのであろうが、、これは氏が信前、信後の念仏の違いが分からない信心不決定(未決定)者に他ならないが故である。(拙論「宗祖におけり信心と念仏」「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合ー」等参照。)。信心不決定(未決定)者が蓮如上人の教学や行動を批判すること自体が余り意味がないことと私はかねて思ってきた。
 因みに氏は自分と同意見の本願寺派の宗学者は石泉僧叡(1762-1826)と七里恒順(1835-1900)と述べているが、僧叡師も 恒順師も称名報恩義を否定するような謬論は述べていない。僧叡師は『本典述聞記』等に、真宗の念仏は「真実信心の称名」でなければならないことを述べ、所修の行体から言えば正定業、能修(行者)の用心から言えば報恩行と述べてる。また恒順師は著書に『信因称報』があり、また『七里和上言行録』の諸所に信因称報義を述べているのである。
 信楽氏は「私はそれ以前に人生に悩んで悩んで仏法を求め、そして信心をえました。廻心体験をもって、人間が変わったのです。変わったというと周りの人は笑うでしょうが、私は本当にそう思ったのです。」(p、173)と述べている。これは大変重要なことと思う。氏も言いますように現教団においてこれをいうと一念覚知の異安心と言われる可能性があります。 実は私も自分の入信体験(廻心体験)について述べました。 (「今想うこと」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/imaomou.htm )
 私は自分の 入信体験(回心体験)を語ることを即一念覚知説とすることは間違いであり、そう考える人こそが十劫安心の異義者、若しくは 信心不決定(未決定)者に相当する可能性ありと考えている。(拙論 「親鸞浄土教における救済の理念と事実」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm 「信一念と信の覚不について」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shinitinen.htmを参照)。
 しかし私は信楽氏が自ら言う 入信体験(廻心体験)には疑問をもつ。それは氏は報恩念仏に.反対するからである。
 周知のように親鸞聖人は
  ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗 の簡  要を摭うて、 恒常に不可思議の徳海を称念す。
(『教行信証』「化土巻」三願転入、浄土真宗聖典 P,413 )
と述べられ、また
 釈迦彌陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる 身とはなれ (『正像末和讃』浄土真宗聖典 p、606))
等と述べられているように、信心決定の身になれば仏恩報ずる身に我々はならせて頂くのである。ところが信楽氏は信後の報恩念仏を否定するのである。これでは信心決定の人とはとても言うことはできない。信楽氏自身が信心をえて、廻心体験をして、人間が変わったというのであるから、何かはあったのではあろうが、それは 浄土真宗 の信心決定とは異なるものであったと言わざるを得ない。
 ともかく新宗法が公然と無視されるようでは、このような教団批判、 蓮如上人 批判は続くことと思われる。信心不在体質の早急の改善を期待したいものである。
 合掌  紅楳英顕
  (2015年3月27日)
上記についてFace Bookの反応(返信した件のみ記載)。

(A氏)称名→聞名→信心というお話は、よく話しておられたように思います。
  学生時代から私も疑義を感じて何度か直接質問させていただいたことがあります。

  この部分をお尋ねすると露骨に不機嫌になられるところではありますが、私自身の受けた感覚では、伝統的な信後のお念仏である報恩称名を否定されておられるのではなく、信後   の念仏はそれで良いが、未信のものに勧めるお念仏をなんとか教学化したいというお考えのようでありました。
  まあ、未信のお念仏や信心を教学化する必要を私は全く感じないのですが、先生は旧来の宗学とは別の「求道学」といったある意味真宗のカリキュラム的なものを志向しておられた  ように思いますので、おそらく宗学とは別の土俵の上で《伝統の宗学には、信前の者が何をすべきかがまるで説かれていない》という意味での「信因称報批判」であったのだろうと理   解しております。
  「信因称報」義そのものを批判していたのではなく、「信因称報」では、未信の者が称える念仏を説明できない、聞法だけでお念仏を勧められないといった理由からの、批判であった   ように思います。
  あくまでも、私個人の受けた印象ですが…
  まあ、そもそも、その求道学なる学問や真宗のカリキュラムなどというものが成立しうるのか?といった問題はあるとは思いますが(^^;;
(B氏)おそらく信楽さんは、自らの回心は、自力策励の念佛によって得られ、その回心を絶対のものとして、自身の体験を説明する論理の構築を目指されていて、蓮如上人が、信心は  聴聞に極まる、信後は報恩のお念佛とするのが把握できなかったので、批判に終始されたのでしょう。しかし、自身の回心が決定的なものではないことは自覚されていたようで、結   果と して、自障障他の根源となったまま、生涯を終えられた。

(紅楳) A様、あなたの言われるように「信後のお念仏である報恩称名を否定されるのではなく、信後の念仏はそれで良いが、未信のものに勧めるお念仏をなんとか教学化したいという   お考え」 であれば、何も「信因称報批判」をしたり、 「蓮如上人 批判」をする必要はなかったと思います。氏が何故執拗に「信因称報批判」をしたり、「 蓮如上人批判」をしたのか、   詳しいことは 分かりませんが、結局の所は 氏が信心不決定(未決定)者 である故に信前念仏(自力念仏)と信後念仏(他力念仏、報恩念仏)との違がいを実感する事が出来なか   ったのであろうと 思います。(これは岡氏においても全く同様です。)。そのことを示すことの一つとして『教行信証』「信巻」の「名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり」(浄土   真宗聖典p、245)の 意味が信楽氏にはよく分かっていなかったように思います。ここの説明が省かれたり、曖昧になったりしていました。不敢取、私の想いまで。
   いずれにせよ。本願寺当局の新宗法遵守義務放棄はいけないことと思います。
       合掌  紅楳英

 (紅楳) B様、 有り難うございました。 合掌  紅楳英顕  (2015年3月27日)


上記(2015年3月27日)に続く

『正像末和讃』「三時讃」に親鸞聖人は「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念 きらはるる」(浄土真宗聖典P、607)と述べられている。これは善鸞事件後(善鸞は自力的傾向の念仏を主張したと考えられる。)の親鸞聖人の念仏思想の結論といって差し支えなかろうと思われる。ここに示されているように親鸞聖人は信心具足(信後)の念仏が彌陀回向の念仏(他力念仏、 弘願念仏)であり、 浄土真宗の正しい念仏であると述べられ、そうでない信心不具足(信前)の念仏(自力念仏、カラ念仏等)は、自力の称念であり、間違った念仏であると述べられているのである。同時期の同じ『正像末和讃』「愚禿悲歎述懐」に「无慚无愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の 御名なれば 功徳は十方に みちたもう」(同P、617)と あるが、言うまでもなくこの 「功徳は十方に みちたもう」とある念仏(御名)は「弥陀の回向の御名」である。即ち真実信心の称名、信心具足(信後)の念仏でなのであり、断じて信心不具足の自力念仏、カラ念仏等ではないのである。よく耳にすることであるが「真宗の念仏に自力も他力もあるものか、信前信後もあるものか、口に称える念仏はみんな阿弥陀様から頂いた他力回向の念仏ではないか」という意見があるが、これは大きな間違いなのである。これは未だ救済体験のない信心不決定(未決定)の人達のいうことなのである。こういう間違いが横行しているのが現宗門のゆゆしき状況なのである。
  蓮如上人 が「それ人間に流布してみな人のこころえたるとほりは、なにの分別もなく口にただ称名ばかりをとなえたらば、極楽に往生すべきようにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。」(『御文章』5の11。P、1197)等と述べておられるように無信単称の念仏(信心不具足の念仏)では往生はできないのである。それでは信前(信心不具足)と信後(信心具足)念仏の違いはどうして分かるのか、それが自分で分かるというなら、それこそ自力のはからいにすぎないではないか、と言う人がいるかも知れない。しかしそうではない。寒暖自知という言葉があるように、自ずと知らされるものなのである。。親鸞聖人が29才の時に他力に帰したこと述べられたり、 法然 上人が43歳の時念仏に帰したことが言われたり、その他多くの人々の入信体験が語られているのは自分自身にそれが知られるからである。例は良くないかとは思うが、人が初めて自分の子供を持った時、自分の子供がこんない可愛いものかということを知る。同じ子供でも他者の子供と自分の子供の可愛さがはっきり違うことが、誰に教えて貰わなくても、知ろうと思わなくても、自ずと知らされるものである。私は寺の長男に生まれた人間であるので、入信前の幼少の頃からお勤めをしたり、当然のことながら、念仏を称えることもしていた。それで、入信前の念仏(信前、信心不具足の念仏)と入信後の念仏(信心具足の念仏、他力念仏、報恩念仏)の違いをはっきり認識しているのである。私が随分前から報恩念仏反対者に対して、信前信後の念仏の違いの分からない信心不決定(未決定)者であると批判を続けたのは、(「宗祖における信心と念仏http://hongwanriki.wikidharma.org/…/%E5%AE%97%E7%A5%96%E3%8…
私が伝統教学を支持(墨守)したことによるのではなく、私の入信(回心)体験にによるものなのである。このことははっきり述べておきたい。
 この度信楽氏が『歎異抄』第1の「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」とある文を批判して「念仏を申そうと思い立つ心のところで、摂取不捨の利益はいただけません。たしかにお念仏をを申して、その念仏が信心体験となってこそ、真宗における仏の救いが成立するのです。お念仏申そうと、思い立つ心のところで、何で救いが成り立ちますか」(信楽峻麿著『親鸞の真宗か、蓮如の真宗か』方丈堂出版2014年12月、P、16)と述べている文を見て、実に驚いた。今まで私は氏は信心不決定(未決定)の報恩念仏批判者とは思っていたが、信心についても親鸞聖人とこれほどまで違った考えの人だったとは思っていなかった。信心について親鸞聖人は「信心は、如来の御ちかいをききて疑ふこころのなきなり。」(『一念多念証文』、浄土真宗聖典p、678)、「信楽といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じてうたがはざれば、信楽 と申すなり」(『尊号真像銘文』浄土真宗聖典p、643)等と述べられている。親鸞聖人いわれる信心は本願に対する无疑心であり、『歎異抄』第一では「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて」とあるのがそれである。氏はこれを信心とは考えないのであるから、親鸞聖人の言われる信心と全く違ったものを信心と考えていることが明らかである。ここの「念仏申さんとおもひたつこころ」とある念仏は信後の信心具足の「真実信心の称名」なのであるが、氏には全くそれが分かっていないのである。(氏は最後まで信前信後の念仏の違いが分かっていなかったということがこの事からも明らかである。)信心の意味を聖人の上記『一念多念証文』、『尊号真像銘文』等の言葉によらず、聖人が扱われることのなかった原語(サンスクリット)の意味で主張し(『親鸞の真宗か、蓮如の真宗か』P、222等)、それを念仏の実践によって生じせしめるというのであるから、聖人のいわれる无疑心とは全く異なったものを信心と考えていたことが明白である。この事は信楽氏が信心不決定(未決定)者であるという批判の範疇を越えた、聖人の言われる他力信心、他力念仏とは全く異質な教え(自性唯心的聖道門的傾向)を語って来た人であったと考えるべきであろう。
 蓮如上人 は「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり 、人承引あるべからずと、前住上人申さると順誓に仰せられ候き。自信教人信と候時は、まづ我が信心決定して人 にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち大悲伝普化の道理なる由、同く仰られ候。」(『御一代記聞書93』、 浄土真宗聖典p、1261)と述べられている。ここに「自信教人信」とあるように、人に信を伝えるには、まず我が身が信心決定のひととなる、これが一番肝要なことである。また「教化するひとまづ信心をよく決定して、そのうへにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。」(『御一代記聞書』14浄土真宗聖典p、1263)と言われている。他者に教えを伝えようとする人は、まず自分が信心決定の人でなければならないのである。信心不決定(未決定)のままでいくら教えを説いても、それは自分が 何も持ってなくて、人にものを与えようとするようなもので、人は承知するものではない、と言われている。全くその通りだと思う。
 近年教えが伝わりにくくなったと教団で言われ、色々方策が講じられているようであるが、「自信教人信」が忘れられては(教化するひとが信心不 決定 では)、何の成果も上がらないことであろう。教団の教学責任担当者までが、信心不決定(未決定)の人々であったり、折角の新宗法も公然と無視されるようなことてあってはならないと思う。
  合掌   紅楳英顕  (2015年3月30日) 

上記についてのFace Book の反応

(A氏)信楽門下の末席にあったものですが、紅楳先生の仰ることは特に異論なく首肯されることであります。
    ただ、私の知る信楽先生もさほど違うところにられたとは感じなかったところでもあります。

    御著書に書かれた箇所はまだ読んでおりませんが、どのような真意でそのようにお書きになられたのは、亡くなられた今となっては確認のしようもございませんが・・・(^^;;

(C氏)「誰に教えて貰わなくても、知ろうと思わなくても、自ずと知らされるものであります。」信前、信後の違い、救いの有無は、他人から「大丈夫ですよ。救われていますよ。」との判断を     聴いたり、自分の思い込みではなく、自ずから知らされることだと有難くお聞かせ頂きました。合掌
(紅楳)有り難うございます。御彼岸中は御苦労様でした。御指摘の点、恐らく現本願寺派の責任担当者の中にも、その点の領解者は皆無と言っても過言ではなかろうかと思います。.
      合掌  紅楳英顕

(B氏)
信楽さんの真宗入門という著作と、昔の30の安心論題(佐々木和上)を読んで、その距離について考えてみることが大事と思います。合掌
   (2015年4月4日)



続前(3月30日)

 信心正因称名報恩義を信楽氏と共にやたらと批判したのが岡氏である。(「宗祖における信心と念仏http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合ーhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/Bukkyooikani.html 等参照)。その岡氏が 『宗教12月特大号、特集、真宗安心の問題、大原性実和上の生涯』(教育新潮社、昭和54年、p、94以下)に「大原先生に教えをうけて」と題する小論を載せている。信楽氏、岡氏の信心正因称名報恩批判が問題になった時の勧学寮頭が大原氏であった。大原氏は信楽氏、岡氏の師でもあったのである。岡氏はその小論の中に、自分は大原氏にお宅に呼ばれ氏から「道を間違えている以上、自分は勧学寮頭として君たちをさばかねばならない。そう言って、私の手を握られた。申しわけありませんと言う言葉さえ発することができず、ただ黙しておいとまをこうた。」(p、99)と記している。文中の「君たち」とは信楽氏、岡氏の事であが、この時から間もなく大原氏は急逝されたのである。(昭和54年4月)。しかし両氏を裁くつもりであったことは間違いないと思われる。
 ところが次期勧学寮頭は信楽氏に対しては「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」(昭和56年3月)、岡氏に対しては「疑義断定保留、今後の教学活動を見守る」(昭和56年10月)とし、具体的には何もなされることはなかったのである。私はこの勧学寮頭の裁定には実のところ大変驚いた。この人は信心決定の人なのだろうか。 浄土真宗 の信心、念仏を体得しているのだろうかと思った。とくに岡氏は「かくて、大行としての称名は、 衆生の信の有無にかかわらず、称名の存するところ、仏行としての無限の行徳が、そこに具わっていることになり、あらゆる称名が、そのまま大行であると定められねばならぬこととなる。」(岡 亮二著『親鸞の信心と念仏』、永田文昌堂、昭和52年11月発行、p、122)。等と述べて信の有無にかかわらず称名(念仏)は全て大行であり、演劇で役者が唱える称名も、またわらべが謳歌する称名もすべて同一価値である(同著P、117)等と主張するのである。また信についても『教行信証』「信巻」の「疑蓋无雑」の信について「疑い晴れた无疑心」とすることに反対して、『教行信証』「信巻」の「悲しきかな愚禿鸞」の文、『一念多念文意』の凡夫といふは、無明煩悩」の文、『歎異抄』第九の唯円に対する聖人の応答の文等により、親鸞聖人は生涯「自力の執心」になげき続けられたと言っている。(同著P、270)。しかしこれは氏が、信楽氏も同様で、救済体験(入信体験)のない信心不決定(未決定)者であるが故に生じた見解であり、全くの謬見である。このような親鸞聖人の信心、念仏の理解が全く出来てない上に信心正因称名報恩義を批判する人に対して「異義断定保留」よりまだ軽い「疑義断定保留」と裁定したことは決して、慈悲の精神からだと言うことは出来ない。宗門の将来を全く考えようとしない無責任極まる杜撰な処置であったと言わざるをえない。 私のこの不信感はその直後の親鸞会問題で更に深まることになった。(「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm 参照)。
 考えてみると、この頃から宗門の信心不在体質は急速に進んだのだろうかと思われる。勧学寮関係者の中にも十劫安心の異義が横行し、『安心論題綱要』(勧学寮編、2002年10月発行)にも十劫安心の項は無くなっているのである。(「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html 参照)。「自信教人信」も言われはしているものの言葉だけの憾があり、この度の宗法遵守義務放棄というようなことにまでなっているのである。極めて遺憾至極である。
   合掌   紅楳英顕
  (2015年4月5日)

上記についてのFace Book の反応 (A、B、Cは前とは別)。

(A氏)紅楳さんが主張したいテーマはわかるし、西本願寺の教学者の質の低下も門徒からみていても領解できるのだが、信楽、岡、両氏に矛先を向けるより、現場で悩んでいる若い坊  主に視点をあてるべきではないかとも思ふ。
  門徒の目から見れば、所詮は不毛な教学ゴッコであり、病院のベッド上で、今死のうとする人に対して、なんまんだぶのご法義を聞いて、なんまんだぶを称えるほどにお育てを受けた  のは、よかったねと云えることこそ真宗坊主の役割だと思ふ。
  たまに投稿する白山市の芸能坊主を初めとして、だれも信楽教に染まっている坊さんはいないです。紅楳さんは学究肌だから真宗坊主の現実を知らないのでしょうけど、ひどいもん   ですよ。


  なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
  http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/matui001.html


(B氏) 南無阿彌陀佛⋯⋯⋯⋯

(C氏) 私の聞法仲間には、信楽氏を尊敬する御同行が、少なくないです。中央に対する(自身の不満を代弁してくれた?)とのことのようですが・・・?

(D氏) 染まっている」人は結構見ます……

(紅楳)信楽氏、岡氏は龍谷大学の真宗学担当の専任教員として、それぞれ何十年間の長きに亘り教鞭を執り続けたのですから、その影響は極めて甚大であると考えるのが当然のこ  とと思われます。特に信楽氏は学長も勤めましたので、その影響は更に大きなものでありましょう。遺稿著『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』(方丈堂出版、2014年12月)がすぐに出  版されたこともそれを物語るものであると思います。
   しかしながら 蓮如上人のお言葉に 「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきと
いうの心 なり 、人承引あるべからず」(『御一  代記聞書93』、 浄土真宗聖典p、1261)とありますように、信がなくては人に信を伝えることは出来ません。これは両氏に限ったことではありませんが。信楽氏、岡氏は多くの人に教  えを語りはしましたが、恐らくたったの一人にも信を伝えることは出来なかったことでありましょう。
   この度、Aさんが松井順嗣氏の論文「還浄論議に寄せて」 http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/matui001.html をネットに出して下さいました。これは『中外日報』に、平成12年(  2000年)5月4日に掲載されたものです。実は私はこの内容に関連して勧学寮での会議(勧司会)で意見を述べました。(恐らく同年5月の何日かであったと思います)。ご案内のと   おり、この論文中の四、「還浄論議の取り組みについて」の中の(2)「教義の立場からの取り組み」の中に、信楽氏が「勧学寮の皆さんは、このことこそ異安心として厳しく取り上げる  べきではありませんか。」、と述べて、勧学寮を怠慢だと厳しく批判していることが書かれています。
   私はこれについて「信楽氏は勧学寮から<異義断定保留、今後の教学活動を見守る>とされていながら、その後信心正因称名報恩義批判を改めた様子もない上に、このように勧  学寮批判をしているのでありますから、これについて勧学寮はただ黙っているのではなく、何か言うべきではないでしょうか」 と意見を述べました。ところが私としては意外なことに、勧  学寮の現寮頭(当時は司教)や当時の部長が「そんなことは、あなたが個人でやったら良い」と激しい口調で反対したのです。当時の寮頭も出席していましたので、「寮頭先生のお考  えは如何ですか」と尋ねましたら、当時の寮頭は「そう言う問題は、御門主様が何も仰らないのに、我々が何もする権限はない」と言い放ちました。私は納得は出来ませんでしたが、   それ以上はもう何も言いませんでした。
   そういう経緯もありましたので、この度の新宗法を大いに期待したのでありますが、それが遵守されず、誠に遺憾なことであります。
     合掌    紅楳英顕    (2015年4月7日)。


(紅楳) 御賛同有り難うございました。要するに教団の責任担当者までが、信心不決定(未決定)者の集団となってしまい、信心に関する宗法の遵守義務が公然と放棄されるような信心   不在の体質で、しかも異義の主張や蓮如上人批判も横行する無秩序な状態のままで、いくら宗門長期発展計画を掲げても所詮は水の泡であろうと思います。
      合掌   紅楳英顕
 
 
(D氏) 蓮如上人を悪く言う方の気持ちはホントにわかりません。蓮如さまがいてくださらなかったら、わたしはほぼ絶対に南無阿弥陀仏に出遇えていませんでした。
そこは大変に重要だと思います。


(C氏)全く同感です!

(紅楳) 他派はともかく、東西本願寺において、 蓮如上人 を悪く言う人達は、信心不決定(未決定)の人と言って過言では無かろうと思っています。 合掌   紅楳英顕
           (2015年4月10日)

(E氏) 学生時代、信楽先生の講義を受けながら、「そんなに高田派が良いなら、高田派に転派すれば良いのに」と、私はいつも思っていました。
           (2015年4月12日)



 Face Bookに下記を投稿した。(2015年4月13日)

 フランス在住の真宗念仏者 Vincent Moonlightsonata氏が 蓮如上人の降誕600年(1415年4月13日<新暦>御誕生)を御祝いしてメッセージをネットに出されました。(下記)。大変有り難く嬉しく思います.
 思えば 蓮如上人 の500回遠忌法要が勤修されたのが、平成10年(1998年)の事でありました。その3年程前の事だったと思いますが、教団内の人達によって『蓮如への誤解』なる著書が出版されました。この内容は法要勤修を妨害する事を目的としたかのようなもので、 蓮如上人 は親鸞聖人の教えを歪め堕落させたものだと激しく非難中傷したものでありました。 私はこれについて反対の意見を述べました。(「 浄土真宗の信心について」<光蓮寺仏教研究会・編、探究社、平成八年発行、p115以下> )。この時、私が大変残念に思いましたのは、このように蓮如上人を悪く言う人達に対して教団は何の対処もしなかったことであります。
 信因称報義反対者もそうでありますが、 蓮如上人が親鸞聖人の教えを歪めていると言う人達に総じて言える事は、この人達は親鸞聖人の説かれ...ている信心が全く分かっていない、救済体験(入信体験)のない人達なのであります。 蓮如上人 が親鸞聖人の教えを歪めたとする理由として、親鸞聖人は徹底的に権力を嫌ったが、 蓮如上人は権力に迎合したといいます。そして親鸞聖人が息子善鸞を義絶した理由は、善鸞が異義を説いたからではなく、権力に関わった事でにあったと主張するのです。しかし善鸞義絶の理由が権力との関わりではなく異義(往生極楽の大事をいいまどわしたこと)にあったことは「義絶状」により極めて明瞭であります。すなわち「まことにかかるそらごとどもをいひて、六波羅の辺、鎌倉なんどに披露せられたること、こころうきことなり。これらほどのそらごとは、このよのことなれば、いかでもあるべし。それだにも、そらごとをいうことうたてきなり。いかにいはんや、往生極楽の大事をいひまどはして、常陸・下野の念仏者をまどはし・・・」(浄土真宗聖典P、755)とありますことにより、善鸞義絶の理由は権力との関わりの問題ではなく、 異義(往生極楽の大事をいいまどわしたこと)であったことは極めて明らかなことであります。このような単純な間違いが起こるのも、マルクス主義が流行する中で、元々反宗教主義であるそれの影響を過剰に受けた教団内の歴史学者 が『教行信証』「化土巻」の「主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨みを結ぶ。(主上臣下、背法違義、成忿結怨、)」( 浄土真宗聖典p、471)。とある漢字にしてたったの12文字が 、6万8千文字と言われる『教行信証』の思想の全てであるように考えて、専ら反権力的行動をすることこそが親鸞聖人の信心であるかのように全く誤った主張をしたことの影響が大きいと思います。
 この誤りは信楽氏も少なからず継承していたようであります。『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』(方丈堂出版、2014年12月発行、)の諸所にそれが見られます。(仏法と世法P、71以下。真俗二諦論P、190以下等)。信楽氏は「親鸞没後、本願寺三代の覚如は儒教を真宗倫理として取り入れます。ここでは国との関係はまだ明確ではありません。しかし、信心と儒教倫理(仁義)を二元的に捉えます。そして息子の存覚が、これは決定的に国家権力と真宗とを結びつけます。真俗二諦というのは、彼が言い出したわけであります。」(同著p、93)と述べ、恰も 真諦、俗諦 という語が親鸞聖人にはなく、存覚上人から始まったかのように言っていますが、そうではないのです。 『教行信証』「化土巻」に親鸞聖人は『末法灯明記』を引用して「しかればすなはち仁王・法王、たがひに顕れて物を開し、真諦・俗諦たがひによりて教を弘む。」(浄土真宗聖典P、417)と述べられていますように、親鸞聖人は真諦・俗諦の語を使われているのです。勿論真俗二諦については戦争責任 の問題もあり、十分反省し考慮しなければならない事でありますが、親鸞聖人御自身が御使用されていることは承知しておく必要があると思います。
 いずれにぜよ、他派の人はともかく、東西本願寺関係の人で蓮如上人を悪く言うような人は親鸞聖人の教えも分かっていない信心不決定(未決定)の人だと私は考えます。このような人には信心決定の上で語られている信心正因称名報恩の意味が分かるはずはありません。教団の責任担当者までが公然と宗法遵守義務を放棄するような無信心体質は一刻も早く改善すべきであります。500回遠忌法要の時は、内部に公然と蓮如上人を悪く言うものに対して何の対処も出来ないような情ないことでありました。幸いにこの度外国から蓮如上人降誕600年を祝する声が上がってきました。大変慶ばしく思います。信心不決定(未決定)であるが故に、親鸞聖人の教えが正しく分からず、信心称報義に反対したり、蓮如上人を悪く言うような意見はきちっと整理して、信心不在の宗門体質の早急の改善を切望いたします。

参照。 拙著『続・浄土真宗がわかる本』(教育新潮社)
Translated into English: 「Misunderstandings of Master Rennyo 」 http://web.mit.edu/stclair/www/Rennyo-Kobai.html

     合掌  紅楳英顕

上記についての反応。

(C氏) 合掌

(A氏)いわゆる、戦後の服部之総氏や家永三郎氏の流れから、浄土真宗のご法義を理解しようとしてきた方々なのでしょうね。
こういう人達は、時間というカンニングペーパーを利用して、現在の時点から歴史を見ようとするから間違うのでしょう。紅楳さんの言葉を借りれば、ようするに信心がない輩です。
善知識方は、それぞれがおかれた時代環境の中で、ご法義を顕彰されてきたのですが、いわゆる社会派の坊主どもは、これがわからんのです。戦時教学云々もそうですが、ようするにこういう坊主どもは、マルクスのいう宗教は阿片という「人々が宗教と
いう阿片に頼らざるを得ない人間疎外の状況」という視点のみで、このご法義を理解しようとしたのでした。そのような視点は、常に門徒を啓蒙される愚鈍な教化対象としか見ることの出来ない傲慢で驕慢な視点なのでした。
そういう坊主に限って『教行証文類』を読んだこともないのですが、いわゆる社会派を名乗る坊主も同じ穴の狢だと思っています。
もうすぐ越前では「蓮如さんおかえり」というイベントが行われますが、Aの子供の頃は、「蓮如さんおかえり」の道中の、そこかしこでは屋台を並べてにぎやかなものでした。Aは、そのような環境で育ったので、蓮如さんの悪口を言う莫迦坊主を懲らしめるためにも勉強していたりします。
そもそも、真宗坊主は、蓮如さんのおかげで飯が食えているのに(笑)

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


(V氏) Thank you sensei and thank you Rennyo shônin (happy birthday) !!!

(紅楳) Merci. Thank you very much. Gassho Eiken Kobai
Gassho.

(紅楳) 追記。上に述べたことに加えて置きたいことがありました。 親鸞聖人は徹底的に権力を嫌ったが、 蓮如上人は権力に迎合したと言う人達は、信楽氏も同じ傾向ですが、親鸞聖人が『御消息』の諸所に造悪無碍を戒めて「世をいとふしるし」と述べられている語について、これは反権力的社会実践を意味すると主張するのでありますが、そうではありません。親鸞聖人の言われる「世をいとふ」と言うことは『教行信証』「信巻」に 善導大師 の『観経疏』「序分義」を引用して述べられている「真心徹到して苦の娑婆を厭ひ、楽の無為を欣ひて・・・」( 浄土真宗聖典P、244)とある「 苦の娑婆を厭ふ」と 同義なのであります。 即ち親鸞聖人のいわれる 「世をいとふ」とは浄土往生をねがうことであり、断じて 反権力的社会実践の主張ではないのであります。 蓮如上人 が親鸞聖人の 教えを歪め堕落させたという人達はこの辺の理解も全く出来ていないと言えるでありましょう。
     合掌   紅楳英顕


(C氏)ありがとう親鸞聖人、ありがとう蓮如上人、ありがとう紅楳英顕和上。南無阿弥陀佛、合掌

(紅楳) 御賛同有り難うございました。 蓮如上人 降誕600年の今年が真宗再生のスタートの年となれば、誠に有り難く思います。
     合掌   紅楳英顕
  (2015年4月14日)。



 今年は戦後70年の年であり、また 蓮如上人 降誕600年の年である。私は終戦の頃からの記憶のある年代であるが、教団の戦争協力の問題については大いに反省すべきところはあると思う。しかし私が大変遺憾に思うのは、教団内の一部の知識人等が宗教否定主義のマルクス主義に影響されて『教行信証』「化土巻」の 「主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨みを結ぶ。(主上臣下、背法違義、成忿結怨、)」( 浄土真宗聖典p、471)。とある漢字にしてたったの12文字が 、6万8千文字と言われる『教行信証』の思想の全てであるように考えて、専ら反権力的行動をすることこそが親鸞聖人の信心であるかのように言う全く誤った主張をしたことである。この誤った親鸞聖人の信心理解により、不必要な権力との摩擦を避けようとされた 蓮如上人 の姿勢が全く親鸞聖人の教えと異なるものと断ぜられ、 蓮如上人の教えは親鸞聖人の教えを歪めるものと非難されたことである。これに影響されて現在なお、誤った 蓮如上人 非難が横行しているのである。そしてこの戦後における誤った親鸞聖人理解の発生が現教団の信心不在体質を生んだ大きな原因の一つであろうと思う。
 戦後70年、ソ蓮崩壊からも、もう24年経過した。マルクス主義の悪影響によって生じた変質した親鸞聖人理解による、見当はずれの蓮如上人批判はもうこれ位で完全に終息されるべきである。 蓮如上人降誕六百年の慶賀なる今年こそが、宗門再生の好スタートの年と考えたい。
    合掌   紅楳英顕 (2015年4月16日)

 上記についてのFaceBookの反応(一部)

(A氏) その説を広めた御本人は一昨年アメリカで、覚如、存覚、蓮如は外道であると講演してます。ご文章を外道と言われては黙っている分けにはいかない。御文章を外道と言う人が 外道です。嘘だと思うなら、「真宗の本義」を御覧ください。


(紅楳) 信楽氏の著を何冊か読んで感ずることですが、氏は戦後の混乱の中で、教団内の一部のマルクス主義傾向の人達が『教行信証』「化土巻」の 「主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し、怨みを結ぶ。(主上臣下、背法違義、成忿結怨、)」( 浄土真宗聖典p、471)、とある漢字にしてたったの12文字が 、『教行信証』の思想の全てであるとする考えに強く影響されたのでありましょう。 そのために信心正因称名報恩義を語られる覚如上人や 蓮如上人は体制随順主義者であるとし、その教学は親鸞聖人の教えに反するものと主張するのであります。覚如上人や 蓮如上人 の語られるところは「まさしく浄土偽宗」であり、「外道なる欺瞞の教え」(『真宗の本義』法蔵館、2014年7月発行、p、198)とまで言って非難しています。しかしこのような信楽氏の考えの根本的な誤りは、何度も申しますが氏が最後まで信前信後の念仏の違いが分からない、報恩念仏の実感が無かった信心不決定(未決定)の人であったからであります。親鸞聖人の教えにおいて一番重要なことは「善鸞義絶状」に明らかなように、体制権力等の「この世のこと」ではなく「往生極楽の大事」でありました。(浄土真宗聖典p、755)。また『御消息』等に見られる「世をいとふしるし」ということも体制権力等のことではなく、「真心徹到して苦の娑婆を厭ひ、楽の無為を欣ひて・・・」( 浄土真宗聖典P、244)とある「苦の娑婆を厭ふ」と言うことであり、体制権力等のことではないのであります。
 氏は随分以前の著に「ただひとすじに念仏をもうし、その念仏によって、いよいよ深く歩んでゆくならばとおからずして必ず、この本物の念仏の世界がひらけてまいります。だからほんものの念仏をうるためには、とにもかくにも、ただ心をこめて、称名念仏を申しつつ生きてゆく、ということがいちばん大切なことであります。」(『真宗入門』百華園、昭和52年<1977>年11月発行、p、92)と述べています。この頃からすでに氏の持論である、自分の称える念仏の声を聞くことによって信心を成立させると言う「称名→聞名→信心」論を述べていたことが分かります。ここの文と同じ内容が『真宗求道学』(法蔵館、2011年9月発行、p、220以下)。に載せられていますので「ほんものの念仏をうるためには、とにもかくにも、ただ心をこめて、称名念仏を申しつつ生きてゆく」と言うことが氏の生涯一貫した念仏論であった事が分かります。
 しかし信楽氏はとうとう最後まで「ほんものの念仏(第十八願の 弘願念仏<真実信心の称名>」をうる事が出来なかったのであります。これは氏の遺稿著に「親鸞が<信文類>で<真実の信心は必ず名号を具す>と言うのは、真実の信心は、称名を必ず具しているのだ、お念仏をとなえるということなくして、真実の信心はないということを親鸞はきちっと言っているのです。『歎異抄』第一條の<念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり>ということも、そんなことはありません。信心なくして摂取不捨の利益はいただけませんよ。そしてまた、念仏を称えることなくして信心はありません。『歎異抄』が間違っている。唯円が分かっていないのです。お念仏申そうと思いたつこころのところで、摂取不捨の利益はいただけません。たしかにお念仏を申して、その念仏が信心体験となってこそ、真宗における救いが成立するのです。お念仏申そうと、思い立つ心のところで、何で救いが成り立ちますか。」(『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』方丈堂出版、2014年12月発行、p、16)、と氏自らが述べていることが、明白にそのことを証明しております。 先ず<真実の信心は必ず名号を具す>と言う意味は、「真実の信心は、必ず念仏がそれにともなう」ということであり、所謂信前称後の意味で言われているのであり、氏の言うように「お念仏をとなえるということなくして、真実の信心はない」という行前信後の意味ではないのです。それから
「『歎異抄』第一條の<念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり>ということも、そんなことはありません。信心なくして摂取不捨の利益はいただけませんよ。そしてまた、念仏を称えることなくして信心はありません。『歎異抄』が間違っている。唯円が分かっていないのです。」、と言うのですが、分かっていないのは唯円ではありません。氏の方です。周知のように『歎異抄』第一は「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、・・」(浄土真宗聖典p、831)、とあります。ここの念仏は「 往生をばとぐるなりと信じて念仏申す」念仏であり、信後の念仏なのであります。氏には信後の念仏について全く認識が出来てない事を我々はこれで知らされます。次下に「お念仏を申して、その念仏が信心体験となってこそ、真宗における救いが成立するのです。お念仏申そうと、思い立つ心のところで、何で救いが成り立ちますか。」、とある所からも同様の事が知らされます。ここの「お念仏申そうと、思い立つ心」の「お念仏」も信後の念仏のことなのであります。気の毒な程、氏は最後の最後まで念仏に信前信後の違いがあることが全く分からず、自分の称える念仏によって信心を生じせしめるものだと思い続けた人であったということが明らかであります。つまり最後まで信心不決定(未決定)で、報恩念仏の実感や救われた慶びが全く無かった人であったことが明らかであります。 氏が種々の理由を述べて覚如上人や蓮如上人を批判したり、信因称報義に長らく執拗に反対し続けたのは、結局の所は氏が信心不決定(未決定)であったが故と言うことが出来ると私は思います。(これは岡氏についても同じ。)
私の論文「宗祖における信心と念仏http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html に 述べていますように、信楽氏は龍大真宗学の研究誌『真宗学』45,46号に掲載している論文「親鸞における信心と念仏」(龍大真宗学会発行、昭和47<1972>年3月 )に信心正因称名報恩義に対する反対意見をすでに述べているのであります。信心正因称名報恩義は当時も本願寺派の教義として宗制に定められていましたので、このことが宗会で問題として取り上げられました。当時の勧学寮頭は信楽氏に対しては 昭和56年(1981年)3月に「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」、(岡氏に対しては同年10月に「疑義断定保留、今後の教学活動を見守る」)としたのでありました。しかし、その後信楽氏は監正局長に就任する等、具体的処置は何もありませんでしたし、信楽氏においても何も改めた様子は見られませんでした。(「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm 参照。)。 教団にとって何より大事なはずの安心問題について、まさに杜撰極まる処置であったと思いますし、これも信心不在の教団体質のなさしめる所であったと思います。
 この度新宗法が制定され,宗制教義に 定められている信心正因称名報恩義に反対する者に対して勧学寮の教諭義務がはっきりと決められたのであります。(平成24年<2012年>4月1日施行)。 昭和56年(1981年)以後、信楽氏が何も改める様子がないことを知っていながら、「御門主様が何も仰らないのに、我々には何もする権利はない」等と言って勧学寮は何もしなかったのですが、新宗法施行以後は勧学寮に、教団にとって最重要なこの問題について、大きな責務があったはずであります。(「続近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zokukinnen.htm 参照。)。 にも拘わらず、この度も何もなされることはありませんでした。これは勧学寮、総局の宗法遵守義務放棄、職務放棄であり,厳罰に処さるべきことであり、決して許されるべきことではありません。 ご承知のように何も成されないが故に氏の死後すぐに『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』なる教団を揶揄する本が出回っている始末です。同様に間違った信心正因称名報恩批判や 蓮如上人 批判はまだまだ続くと思われます。それから勧学寮が宗法遵守義務放棄をしたことは取りも直さず現勧学寮が信楽氏の所論が信心不決定(未決定)より生ずるものであることを見抜く事の出来ない信心不決定(未決定)者の集団であったからだと思わざるを得ません。 蓮如上人の言われるように(御一代記聞書93、浄土真宗聖典p、1261)、 信なき者が他者に信心を伝えることは出来ません。 早急な信心不在体質の改善が現教団における最重要事であります。
     
    合掌   紅楳英顕

(A氏) 信楽氏は完全な異義、異安心です。

(A氏) 高岡〇〇会も含めて、黙っているとどんどん人生狂わされる人が生まれますので、黙っているのは御法義ではありません。

(紅楳) 信心正因称名報恩義は本願寺派宗制の教義に以前から定められていたものであります。しかも新宗法(平成24年4月1日施行)に、それに反対する者には勧学寮の教諭義務 がはっきり定められました。しかし、ご案内のとおり勧学寮は何もしませんでした。現在の勧学寮に信前信後の念仏の違いが分かり、信後の報恩念仏を実感している人がいるかどうか が、先ず問題ではありますが、何もしなかったということは、まさしく宗法遵守義務の放棄であります。許されるべきことではないはずです。勧学寮、総局の責任が厳しく問われるべきだ と思います。
   合掌 紅楳英顕


(A氏) 先日、龍大の図書館の書架から信楽氏の大半の本が倉庫に移されて、数冊しか残されていないと聞きました。

(A氏) 私が真実の浄土真宗を広めてるのに、それを邪魔してるのは東西両本願寺である、と書いてある本をずっと置いてきたんですから、西本願寺は懐が深い。
         
(R氏) 宗務当局も決してほめられた対応ではないけど──組織運営の立場から現実に対応する悲哀──、とどのつまり、結局は坊主の妄言で最大の被害を被るのは門徒なのでし  た。一向一揆は経済闘争という面もありますが、日本伝統の神祇に背くという恐怖心から惹起されたという面もあるのでしょうや。
 そのような意味では「三業惑乱」とか信楽氏のとなえる「信心の社会性」という言辞には、門徒は迷惑してたりします。ようするに、御開山は顕して下さった「ご信心」という世界を一番理 解していないのが真宗坊主だといえましょう。どうでもいいけど(笑

 なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
    (2015年4月20日)。



 私は前に「歎異抄の中心問題http://e-kobai424.sakura.ne.jp/tantyu.html と題した論文を発表した。(2009年3月)。『歎異抄』の著者唯円が後序に「かなしきかなや、さいはいに念仏しながら、直ちに報土にむまれずして、辺地にやどらんこと。一室の行者のなかに信心ことなることをなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄』というべし。」(浄土真宗聖典p、854)、と述べている唯円のかなしんだ「さいはいに念仏しながら、直ちに報土にむまれずして、辺地にやどらんこと。」とある人がまさに信楽氏であったと言えよう。しかも氏は龍谷大学真宗学教授、学長として、さらには本願寺基幹運動本部委員、本願寺監正局長等の重要な役職等も歴任して多大の人々に影響を与えたのである。 その自障障他の程は計り知れないと言わざるを得ないであろう。
 先に述べたように、(3月27日、4月18日等)、信楽氏は「『歎異抄』第一条が今日の真宗を滅ぼす元凶だということです。よくよく考えて下さい。」(『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』<方...丈堂出版、2014年12月発行、p、19>)、と述べているが、これは全くの謬見である。『歎異抄』は親鸞聖人自身の著では無く親鸞聖人の語録である唯円の著ではある。前半が師訓十条、後半が異義八条といわれるものである。師訓十条については若干の意見はあるものの、親鸞聖人の語と考えられるのであり、特に第一条は聖人の語が間違いなく述べられていると考えて良いと思う。(御異論のある方はおっしゃって下さい。)。 これについて信楽氏は「『歎異抄』第一条の<念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり>ということも、そんなことはありません。 信心がなくて摂取不捨の利益はいただけませんよ。そしてまた、念仏を称えることなくして信心はありません。『歎異抄』が間違っている。唯円が分かっていないのです。 お念仏申そうと思い立つ心のところで、摂取不捨の利益はいただけません。たしかにお念仏を申して、その念仏が信心体験となってこそ、真宗における仏の救いが成立するのです。お念仏を申そうと、思い立つ心のところで、何で救いが成りたちますか。」(『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』<p、16>、と述べているのである。(この文はこの著の中でも最後の講演録であり、2014年8月上旬に初稿原稿に目を通した信楽氏があとは任せる、といったと記されている。)
 何度も述べてきたが、 信楽氏は随分以前から、称名→聞名→信心とする持論により、自分の称える念仏の声を聞くことによって信心を成立せしめるとする信前自力念仏の策励を主張したのである。そして 本願寺派宗制に以前から定められている信心正因称名報恩義を親鸞聖人の教えに違すると反対し続け、信心正因称名報恩義を述べる 蓮如上人を外道とまで言って非難し続けたのであった。 信心正因称名報恩義に反対する事自体が間違いではあるが、それでも氏が最終的に 弘願他力(18願)に転入する事が出来たならば、氏なりの見解にも一分の理はあった と言うことに成るかも知れない。しかし上述のように氏は最後まで『歎異抄』第一の文の意味がさっぱり分からず、全くの間違いだと非難しているのである。これは氏に最後まで救済体験、獲信体験がなかったが故である。それ 故に「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」(浄土真宗聖典p、831)とある、現世からの救済を強調した 浄土真宗 の教えのエッセンスと思われる、親鸞聖人の獲信後の深い救済体験から生じている言葉の意味がさっぱり分っていないのある。摂取不捨の利益を蒙るのは「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じた」、信心さだまった時であり、ここの「念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき」の「念仏」は信後(信の上の 弘願他力)の念仏であり、報恩の念仏である。氏の持論の信をえるための自力策励の念仏とは全く異なるものなのである。
 このように信楽氏の信心正因称名報恩義に反対し、 蓮如上人 を外道 とまで言って非難した所論は、念仏の信前(自力)、信後(他力、報恩念仏)の違いの分からない信心不決定(未決定)者の 主張した全くの謬見であり、そのうえ氏が最後まで非難した唯円が『歎異抄』後序に「かなしきかなや、さいはいに念仏しながら、直ちに報土にむまれずして、辺地にやどらんこと」と歎異した所論でもあったのである。
 このように信楽氏の信心正因称名報恩義批判は信心不決定(未決定)者の謬見であるが、この氏の主張は教団に多大の影響を与えたものであり、また教団当局も宗制に反するこの主張を容認してきた面が多分にあったのである。これが教団の弱体化、無信心化を招いたと思われるが、この問題をどう処置するかが、今後の教団の大きな課題であろうと思う。
 合掌   紅楳英顕
      (2015年4月23日)。

 上記についてのFace Bookの反応

(S氏) なまんだぶ。

(紅楳) 御賛同有難うございます。ご案内のとおり、信楽氏は本願寺派宗制教義に定められている信心正因称名報恩義に反対し、それを説かれる覚如上人や 蓮如上人 を外道と非難 し続けました。そして 称名→聞名→信心とする持論により、自分の称える念仏の声を聞くことによって信心を成立せしめるとする信前自力念仏の策励を生涯主張し続けたのでありま  す。 しかしその結果は上記(4月23日記)のように全く空しいものでありました。氏の所論は全くの謬見、妄言であったと言わざるをえないのであります。氏が教団内で要職を歴任して きた人である
だけに、その悪影響は極めて甚大であります。
 この問題が未整理のままにされて、宗制教義に定められている信心正因称名報恩義が公然と無視され、あい変わらず氏が主張し続けた信心を成立させるための自力念仏の策励が、 浄土真宗 の正しい念仏であるかのような考えが充満し続ける無信心、無秩序の体質のままでは、宗門発展計画の成果はなかろうと思います。
 親鸞聖人は晩年の『正像末和讃』に「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念 きらはるる」( 浄土真宗聖典 p、607)と述べられ、同じ『正像末 和讃』の誡疑賛でも厳しく自力念仏を戒めておられるのであります。獲信のための信前念仏をすすめるようなことは全くされてはおられません。
 それなら未だ報恩の気持ちのない未信の者は念仏はしてはいけないのか、という疑問が起こるかも知れません。 これについては以前も述べたことがありますが、(拙著『 浄土真宗 が わかる本』教育新潮社、p、164。 UNDER STANDING JODO SHINSHU ①)、たとえ未信であり、心からの感謝の気持ちがなくても、 浄土真宗 の念仏は報恩の念仏として称えるべき であります。信心を得るために称えるとか、何か御利益を得るために称えることを目的としてはいけません。たとえよく分からないままであっても、それなりの感謝の気持ちで称えること が大事なことであろうと思いますし、それが自然とお育てを頂いて本当の念仏を称える身にならせて頂くものと考えます。
   合掌   紅楳英顕

① Reciting the “name of the Buddha” based on completion of the Primal Vow to create our own “good roots” is a great mistake. Many problems can arise if we attempt to do so.    They include:

•   Should those whose shinjin is not yet determined recite the Nembutsu?

•   How should infants recite the Nembutsu?

  • Is it wrong to recite the Nembutsu in order to receive shinjin?

  • What should we do in order to receive shinjin?

  It is, of course, wrong to say that those without shinjin should not recite the Nembutsu. There presently is a Jodo-Shinshu group that forbids reciting the Nembutsu before     receiving shinjin, but that clearly is incorrect.

I  I believe that since the Nembutsu we recite in our Jodo-Shinshu tradition is to express indebtedness to the dharma, we should not recite it for the purpose of receiving shinjin.    But I also I believe that reciting the Nembutsu even without completely understanding the heart of gratitude will nurture us and that we will eventually come to recite it with true  gratitude.


(Y氏)  自力の称名念仏で助かることは100%あり得ませんが、称名念仏を忘れた現代人にとっては、それも仏縁の一つとして捉えるべきだと思いました。

(S氏)18願を100パーセントとすればその見解も可かと。三経往生文類から、あるいは教行信証から、19願信(諸行)には19願の往生、20願信(自力念佛)には20願の往生、18  願信(聞即信)には18願の往生とするも可かと。称名を表として、勧化するが善導、法然の、終吉の(元祖の)化風であり、信心を表として、勧化するが高祖の化風です。元高化風は、 本質は同じという結論になります。ただ、ここで和上が信楽氏を問題とされているのは、元祖と同じ、石泉と同じとは言えないからなのです。元祖は信心を外していないし、石泉は願力  を外していないからです。

(S氏)また、蓮如上人は、三経七祖、その中でも特に善導大師の六字釈、法然聖人、そして親鸞聖人、覚如上人、存覚上人の教えをちゃんと受け継いで特にわれわれにわかりよい   御文章として残してくださった大恩人であります。御文章をよく読めば、三業帰命も、称名正因も、欲生正因も、一念覚知も、施物だのみも、善知識だのみも、秘事法門も、無帰命の十 劫安心も、異安心であることがよくわかってきます。三経七祖、親鸞聖人、覚如上人、存覚上人を学びながら、蓮如上人の偉大さがわからない人は、そこまでの人でしかないといえまし ょう。

(紅楳) Yさんも信楽氏の考えに賛成しているのではないことでありましょう。 上に述べましたように、 浄土真宗 においては未信者に対しても、念仏は往生のために称えるものとか信心  を成立させるために称えるものとかと言うのではなく、御報恩のために称えるものであると指導すべきだと思います。それによってお育てを頂き信心決定の人となり、本当の報恩念仏  の人となることでありましょう。これが自力の称念をきらわれた聖人の御意に一番適う事だと思います。

   合掌   紅楳英顕
     (2015年4月27日)。



 本日(5月6日)仏教漢詩の会(第九回例会)が催された。今年は 蓮如上人 降誕六百年に当たる。


 蓮如上人 降誕六百年に想う       紅楳英顕(こうばいえいけん)

...
    蓮師降誕六百年         蓮師降誕六百年。(れんしごうたんろっぴゃくね ん)。  

    奉讃真宗再興功        真宗再興(しんしゅうさいこう)の功(こう)を讃(さん) じ奉(たてまつ)るべし。

    教導異義邪見輩        異義(いぎ)、邪見(じゃけん)の輩(ともがら)を教導(き ょうどう)し、

    顕彰信因称報誠        信因称報(しんいんしょうほう)の誠(まこと)を顕彰(け んしょう)すべし。

                 
                                                2015年4月15日
             
                                                蓮如上人 の降誕は1415年4月13日(新暦)。

 この第三行目の異義、邪見とは、主として信楽氏によって主張された信心正因称名報恩義に対する反対論、および蓮如上人を外道とする 蓮如上人非難論のことである。輩とはその信楽氏の考えに影響を受けた多くの人達を指す。  
 本願寺派の宗制教義には随分以前から信心正因称名報恩義が定められていた。(私の手元にある宗門法規にも<昭和22年4月1日施行>、そうなっている。)
 信楽氏の信心正因称名報恩義批判は昭和47年(1972年)には始まっていた。(拙論「宗祖における信心と念仏http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html 参照。)、この時氏は龍大真宗学の教授であったのである。それから平成26年(2014年)に生涯を終えるまで、一向に変わることなく信心正因称名報恩義批判を続けたのである。竜大学長、本願寺監正局長等を歴任したのでその影響は極めて甚大なものである。しかもその主張は本願寺派の宗制教義に反するという大問題であるのみならず、氏が全くの信心不決定(未決定)者であったが故に生じた謬見、妄言であったことは明らかである。(前記、2015年4月23日記等参照。)
 信楽氏の問題は過去にも取り上げられながら(昭和56年<1981年>)、放置されたままになっており、しかもこの度の宗法(2012年4月1日施行)では宗制教義反対者に対して勧学寮に教諭義務が定められたのである。にもかかわらず、何も成されることはなかったのである。このことは信楽氏の主張の間違いが分からない現勧学寮の無信心体質の現れであるが、これはまさに宗法第3条の2に定められている宗法遵守義務の放棄に当たるものであり、勧学寮、総局の責任が厳しく問われるべき事と思う。これが私が最初に述べた「宗門の責任者(行政面、教学面)は信心決定者でなければならない。少なくとも教学面の責任者はそうでなければならないということである」(「近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm)ということとは全く相違している教団の現状を示しているものである。何度も述べたが、この教団の無信心体質の抜本的改善が成されない限り、いくら発展計画が掲げられても成果は期待できないであろう。「自信教人信」でなければ教えは伝わらないのである。 蓮如上人御誕生600年の今年が、宗門再生のスタートの年に成って欲しいと切に願うのである。
  合掌  紅楳英顕      (2015年5月8日)  



 かって信楽氏が岡氏等と結成した「教団改革をすすめる会」の出版書『教団改革への発言』(永田文昌堂、昭和46<1971>年8月発行)が書架にあったので読んだ。
 信楽氏は「体験的な教団体質論」と題して自分の意見を、教団に堆積しているヘドロを除けと述べて、教団の組織の改善、伝統教学の改善等を述べている。私はこれより少し前、龍谷大学の仏教文化研究所に属し、『親鸞聖人著作用語索引』「和漢撰述の部」の作成に関わっていたので、信楽氏や岡氏と接する機会があり、信楽氏岡氏が伝統教学に批判的であることを知っていた。勿論伝統教学に固執したり、墨守したりしてはいけない。時代即応に教学、伝道を考えなければならないのは当然のことである。
 しかし私は両氏に違和感をもっていた。それは両氏の意見、考え方から、両氏が共に救済体験のない信心不決定(未決定)の人であることが分かっていたからである。 信心不決定(未決定)者が教学批判をすることは全くのナンセンスであり、暴挙と言うべきことである。それは宗教教団において、一番大事な教義、教学を崩壊せしめるものといっても過言ではないからである。私が「宗祖における信心と念仏」〈龍谷教学十三、昭和五十三年六月〉http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html 、「宗祖における信心と念仏」二〈龍谷教学十五、昭和五十五年六月〉。 「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合ー」(日本仏教学会年報六六、平成十三年八月)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/Bukkyooikani.html 等を書いたのはその想いからである。信楽氏の「体験的な教団体質論」には部分的には同意するところが全く無いわけでもないが、所詮は信心不決定(未決定)より生じた見解であり、謬見と言わざるをえないものである。これで本当の 改革ができるはずはないのである。信楽氏は当時すでに龍谷大学の真宗学の中で実力者であったので賛同者も多く、とくに龍大真宗学の若手教員全員がこれに賛同したのであった。言うまでもないことであるが、信心不 決定(未決定)者の集団に教団の改善が出来るはずはないのである。案の定、昭和56年<1981年>7月にこの会は解散している。教団を改善するどころか、教団の信心不在化の推進に貢献したとでもいうべきであろう。(信楽氏がこの時点のみでなく生涯信心不 決定<未決定> 者であったことは前記<4月23日記等>で明らか。)
 要するに救済体験のない信心不決定(未決定)者の発想によっては、教団の振興発展はありえないのである。私が「近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm のはじめに「 宗門の責任者(行政面、教学面)は信心決定者でなければならない。少なくとも教学面の責任者はそうでなければならないということである。」と述べたのがこのことである。
 信心不在体質の抜本的改善をなすことなしに、いくら遠大な総合振興計画を掲げても成果は期待できないように思う。
  合掌  紅楳英顕   (2015年5月16日)。

 上記についてFace Bookの反応

(Y氏) 先日、聞法会館にて中央仏教学院通信教育のスクーリング受講、「先に修了した(専修課程)は、卒業試験で如何に単位修得出来るかとの思いで受講」今回は(入門課程)でし  た ので単位修得義務はなく、リラックスしての受講でした。講義も終盤、真宗の要「信心正因・称名報恩」(入門課程テキスト第二回配本、52頁、「注釈版聖典205頁」)の講義で、受講者 の一人が、このテキスト(同頁)は「間違っているのでは!」と、質問がありました。「宗義」を否定する突然の質問に、講師 少し間をおき、何方の本を読まれましたか? なんと信楽氏  の本を読んだとのこと、私、思わず「アッ!」と声が出てしまいました。聴聞仲間に氏を敬愛する門徒が少なくないと以前にも投稿しましたが、中仏学院で仏教(真宗)を学ぼうとする学院 生の中にも氏の影響がかなりあるな? と思いました。このまま放置すると「宗義を否定する教え」に迷う門徒が今後ますます増える事でしょう。この事は、御講師(勧学)に、「大問題で す対処してください。」と申し上げましたが・・・  日々 称名報恩 合掌

(紅楳) その問題は現教団における大変重要な問題点です。宗制に定められた教義、信心正因称名報恩義を否定する人が現教団には多くいるのです。信心正因称名報恩義を否定す るということは信楽氏、岡氏がそうであったように、その人が取りも直さず、信心不決定(未決定)者に他ならないのであります。このような信心不決定(未決定)者が多く存在する信心不 在体質が教団の現状なのです。この体質の改善が現教団のなすべき最も重要な課題だと私は思っています。この事の解決が成されないままで、いくら発展計画を掲げてみても教団の 発展は望めないと思います。私が繰り返し言っておりますのは実にこのことなのであります。
 折角この度宗法に 宗制に定められた教義、信心正因称名報恩義に反対する者に対して勧学寮が教諭するという教諭義務が定められながら、信心正因称名報恩義を否定し続けた信 楽氏に対して、何の教諭もなされなかった極めて杜撰な姿勢が、教団の現状なのです。
 恐らく信楽氏は 「教団改革をすすめる会」結成(昭和46年<1971年)以前から信心正因・称名報恩義を否定し続けていたことでありましょうし、勧学寮もそれを知りながら、しかも宗法 に教諭義務が定められながら、教諭をしなかったのですから、中央仏教学院通信教育のスクーリングに於いても「信心正因・称名報恩」義が間違いであると思い込んでいる人がいて、  間違いではないかと言う質問が出たのも至極当然のことと言えましょう。 こういう問題が生ずるのは宗法遵守義務を放棄した勧学寮、総局に責任があるということになります。その時の 講師が勧学であったのなら、何故勧学寮が信楽問題を放置し続けてきたのかを尋ねて下さい。早急な信心不在体質の改善が必要であります。
  合掌  紅楳英顕


(K氏) 既成教団の教義の不徹底が門徒の不信感を生み出せば真宗系カルト集団の餌食に、特に高齢者がターゲットになります。真宗というだけで実態を知らない門徒は安心してハー ドルを下げてカルトの教義を聴きます。恐らくカルトは100人中1人引っ掛かればビジネスとして成功です。その1人は破滅するまでカルトの教義を聴きます。引っ掛からなかった人も既成 教団にないカルトの教義こそ真宗の教義だと勘違いして結果的に真宗から離れていく人が出るのではないでしょうか。合掌

(Y氏) 全く同感です! 私もその事を危惧しています。身近に一人(60才後半)北陸新興宗教に行く寸前に何とか食い止めましたが、きりが無いです! 体たらくはこの辺で終止符!! 宗局・勧学寮は速やかに、「信心正因・称名報恩」義を全門徒に発信すべきです。

(T氏)  紅楳先生、割りこみ申し訳ありません。中央仏教学院通信教育部の場合は同窓会で卒業生による在校生のための学習会があるのですが、講師役の卒業生がその様な異安心 を口にされるのではないでしょうか。私はそのような経験をいたしました。というか度々聞かされました。学院の教科書にはそのような異安心は載ってはいないと思います。肝心要の所  ですから重大ですね。在校中の学生さんのとっては卒業にも懸かってくる重大な問題ですね。聞いてもちゃんと理解できる方ならばともかく、混乱されたらまずいですね。無責任な事を  吹聴してはいけないと思います

(紅楳)コメント有り難うございます。中央仏教学院のテキストにある信心正因称名報恩義に反対する人が前にもいたということですが、そういうこともあった事だろうと思います。それほど 現教団の信心、安心は乱れてしまっているということです。本願寺派教団においてかって三業惑乱という安心問題についての大混乱がありましたが、現教団の状態は、教団の信心不  在体質も絡み、それ以上の混乱と言っても過言ではなかろうと思います。
 上述のように当時龍谷大學真宗学教授信楽氏が同じ龍谷大學真宗学の岡氏等 と「教団改革をすすめる会」を結成(昭和46年<
1971年>)したのでありますが、恐らくそれ以前から 信心正因・称名報恩義を否定していたことと思われます。私はその頃、両氏が共に信心不決定(未決定)者であることを感知しておりました。信心不決定(未決定)者の言う信心正因称 名報恩義批判 の邪義を黙っている訳にはいかないと思って発表したのが 「宗祖における信心と念仏」〈龍谷教学十三、昭和五十三年六     http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html 、「宗祖における信心と念仏」二〈龍谷教学十五、昭和五十五年六月〉、でありました。このことは当時の宗会で問題になり、勧学寮は  信楽氏については 「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」(昭和五十六年三月)、岡氏については「疑義断定保留、今後の教学活動を見守る」(昭和五十六年十月)と回答はしま したが、具体的には何もありませんでした。その後、信楽氏、岡氏共に基幹運動本部等の委員になったり、信楽氏においては監正局長になったりしています。安心上問題ありとされ、と くに反省の意を表した訳でもないのに両氏を重く 用いた総局に安心上大いに問題ありと言わざるを得ないと思います。それからご承知の通り、この度の宗法(2012年4月1日施行)  には信心正因称名報恩義に反対する者に対しては 勧学寮の教諭義務が定められたのであります。私は信楽氏に 対する教諭を総局、勧学寮、監正局に再三御願いしたのですが、  何もなされることはなかったのです。これは総局、勧学 寮の宗法遵守義務放棄、職務放棄に相当すると言って差し支えなかろうと思っています。
 このように、「異義断定保留、今後の教学活動を見守る」(昭和五十六年三月) とされながら反省の色のない信楽氏を基幹運動本部員や監正局長にしたりした総局の安心についての  無理解、それから信楽氏に全く反省の色のないことを知りながら、宗法に教諭義務が定められたにも拘わらず、何もしなかった勧学寮の姿勢は甚だ理解に苦しみます。 今は総局、勧 学寮共に信心不決定(未決定)者の集団と成り果てていると言わざるを得ないと思うのです。 初めに言いましたように現在の安心問題の混乱はかっての三業惑乱以上の混乱状態だと 思います。 何とかよい方向に向くことを念願しております。
   合掌  紅楳英顕    (2015年5月17日)



利井鮮妙師(1835-1914)の『講本真宗要義 第二巻』(専精舎、1925年発行p、7以下)に次の文がありました。

 
   未信の人の教えを聞いて信を得るや 否やの事

...
 或る人曰く、未信の人の説法にて信を得るや否や。
 
 老拙(鮮妙師)曰く、信を得ること能はず、御一代聞書に「信もなくて人に信をとれとすすむるは物をもたずして人に物をやるというがごとし」と誡めたまふ、自信ありての教人信なり。
(中略)
 
 或る人曰く、 御一代聞書に 「敵の火はくらきか」とあるが如く、教ゆるものの心得は如何様でも、述ぶるところ法の如くなれば、人も聞て信を得べし。亦大和東大寺の棟上の時に、信空上人是を見て信心を決得するは如何。 又酒を飲まぬものが酒を売るに、其酒矢張り酔いを取る、これらは未信にして他に信を取らすの例なり、これを土橋といふ、人を渡して自ら落つる、この理如何に心得べきや。
 
 老拙(鮮妙師)曰く、棟上を見て獲信せられたるは、棟木が信を得させたに非ず、兼ねて元祖の教化を聞き、その道理を合点すれども、未だ宿善純熟せず、そこで万力の棟木を引き上げるを見て、他力の義を知りしなり、恰も喩えを以て話すが如し、矢張り 法然 上人の教えに依って信を得るといはねばならぬ。未信の人は棟木の如き因縁を結ぶことはあるべし、然れども兼ねて真実如法の教を聞いたる人の教の喩えの如きものにして、縁とはなれど、信心を与ふることなし。又 御一代聞書の仰せの如きは、人に依って法に依らざるものを誡めたまふ、聴者の心得を示したものにして、未信のものの教でも、如何なる間違ふたことでも聞けといふには非ず、土橋は人を渡して自ら落つる、未信の人は朽ちた橋の如く、人も渡さず自らも落つるなり。


 以上のように「自信教人信」の大切さが述べられています。「土橋」の譬えが出され、 「土橋」は 「 人を渡して自ら落つる」が 「 未信の人 」は 「 朽ちた橋の如く、人も渡さず自らも落つるなり。」と述べられていることが大変印象的でありました。
 僧侶であれば誰しもが 「自信教人信」の人であるべきであり、「未信の人」、「 朽ちた橋」であってはならないのでありますが、私が以前から申していますように教団の教学担当の責任者までが、「朽ちた橋の如く、人も渡さず自らも落つるなり。」 のようなことであってはならないことを切に念願するのであります。

     合掌  紅楳英顕     (2015年5月28日)

 上記についてFace Bookの反応
(T氏) 先生、最も大切なことをお伝え下さりありがとうございました。来月もまた本典のご講義を心から楽しみにしております。合掌

 デジタル版 日本人名大辞典+Plus - 利井鮮妙の用語解説 -...
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(V氏) Please ! who can translate this for me, just a resume in some sentences.... _()_ thank you so much

(紅楳
Thank you . I am considering some good ways. Gaasho Eiken Kobai.

(D氏) Thank you Sensei Eiken Kobai
_/l\_ I would truly benefit from hearing the dharma smile emoticon
Gassho _/l\_ Namu Amida Butsu.


(Y氏 ) 南無阿弥陀仏

(紅楳) 御賛同有難うございます。
 「自信教人信」(自ら信じ、人を教えて信ぜしむる)が 大事であることは常に言われて来たように思います。しかし常に言  われていながら実の伴わない、建前だけの言葉で終わっていたように思われます。
  何故そのようなことになったのかは、近年の教団の信心不在体質がその原因であったと私は思います。信心とは親鸞  聖人が「信心は如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。」(『一念多念証文』浄土真宗聖典p、678)と述べられて いる 「 如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。」であり、また念
仏とは「真実信心の称名」(『正像末和讃』、 浄土  真宗聖典p、607)のことであります。信の上の他力念仏、報恩念仏であり、カラ念仏や自力念仏ではないのでありま。
  ところが近年教団の教学担当の責任者までが信心不決定 (未決定)者の集団である故に、この事さえ分からない状態 であったのです。それで信楽氏が何十年間に亘り、宗制教義に定められた信心正因称名報恩義批判をしたのであります が、この批判は氏が信心不 決定 (未決定)者であるが故に生じている全くの謬見、妄言であることを理解できずに放置し 続けたのです。その上この度宗法に勧学寮の教諭義務が定められながら何もしないという、宗法の遵守義務放棄が公然 となされるようなことにもなったのであります。
 教団において本来は僧侶はすべて信心決定者であるべきでありますが、少なくとも教学担当の責任者はそうでなければ ならないのであります。(「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm 参照。)
 教団の教学担当の責任者の人達までが鮮妙師が「朽ちた橋の如く、人も渡さず自らも落つるなり。」と言う、信心不 決定 (未決  定)者であってはならいのであります。
  何度も申しましたが、現教団における最重要課題は信心不在体質の改善であります。このことなしにいくら高々と「宗門 総合振興計画」を掲げても成果はなかろうと懸念するのであります。
    合掌  紅楳英顕
。    (2015年5月30日)



 『御堂さん6月号』(本願寺津村別院、2015年6月1日発行)に信楽氏(本願寺派宗制教義に定められている信心正因称名報恩義に反対し、 蓮如上人を外道と非難している。)の誤った念仏論に賛同している人の記事が載せられています。(p、13)。
 津村別院発行の『御堂さん』に何故このような記事が出されたのでしょうか?
 『御堂さん』発行の責任者が故意に宗制教義に反対したとも思われませんが、このような事態が生ずる原因は、信心正因称名報恩義に反対するものに対して勧学寮の教諭義務が定められた宗法遵守義務が、公然と放棄される現教団の信心不在体質にあると思います。 先日(5月16日記)の中央仏教学院スクーリングにおける信心正因称名報恩義反対意見の問題等、教団の信心、安心が全く混乱しているのが現状です。本願寺派において200余年前に三業惑乱(1806年終結)という信心、安心についての大騒乱がありました。三業惑乱は自力願生の問題であったのですが、現状の混乱は信心不在体質に起因するものですので、それ以上に深刻な問題であろうと思います。 折角この度定められた宗法の...遵守義務が公然と放棄されるような、信心不在体質の早急の改善を念願するのみであります。
      合掌   紅楳英顕
 
  「続②近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html 参照
    (2015年5月31日)

  上記についてFace Bookの反応
(D氏) Namu Amida Butsu _

(Y氏)なんまんだぶ

(K氏) なんまんぁだぶつ

(T氏) 宗門をあげて明確な見解を表して頂きたいですね。でないと何時までもすっきりしないですね。放置出来ない問題ですね。南無阿弥陀仏。

(K氏) 
問題はこの一般人にはわかりにくい状態ですね日蓮正宗と創価学会の偽?本尊問題を龍大の宗教学で習ったが、ちんぷんかんぷんでした。

紅楳 ) わかりにくいことではありません。勧学寮がこの度の宗法(2012年4月1日施行)に定められた教諭義務を放棄した理由をわかりやすく説明すればよいのです。
  合掌  紅楳  英顕

(K氏) 
そもそも、一般人は宗教に関心が低いんです。
 宗教は結婚式と葬祭、あとは季節の行事くらいの感覚で宗教は結婚式と葬祭、あとは季節の行事くらいの感覚です。
 東西本願寺に観光に来るお寺が好きな女性に対して私は『ご法話は拝聴されましたか?』
 女性『お寺の建物に興味があり、東西本願寺や興正寺や仏光寺は拝観料ないから朝早く参拝してお茶飲んで観光して帰るだけよ』と言われて残念でした。
 幕藩体制下の門徒制度が崩壊し、150年近くが経過しました。
   合拳  K

(K氏) B層の研究が大事です。

(紅楳) 論旨がずれてしまったようです。私は真宗僧侶にとって一番大事なことは、先ず自分自身が信心決定の人になることだと思っています。何度も申しましたが、 蓮如上人は『御一 代記聞書』93に

  「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり。人、承引あるべからずと、前住上人<蓮如 >申さると順誓に仰せら  れ候き。<自信教人信>と候時は、まづ我が信心決定して人 にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち<大悲伝普化>の道理なる由
、同く仰ら   れ候。」( 浄土真宗聖典p、1261)と述べられています。 
  ここにありますように、自分に信心がなくて人に信心をえさせようとしても、それは自分が何も物を持たずに人に物を取らせようとするようなことであって人が承知するはずはない、と言 われています。まさにその通りだと思います。「自信教人信」でなければならないのです。自分が信心不 決定(未決定)のままでいくら人に信心を伝えようとしても伝わるはずはないので す。方法をいくら考えてみても「不浄説法」では教えが弘まるはずはありません。真宗僧侶はこの事を忘れてはならないのです。これが忘れられていることが現教団の衰微の根本原因  です。鮮妙師の言われる「朽ちた橋の如く、人も渡さず自らも落つるなり。」であってはならないのです。先ずは信心決定の人となること、これが真宗僧侶の一番大事なことであります。「 教人信」即「自信」であるとう意見がありますが、これも信心不決定(未決定)者の主張する間違った考えであります。特に 昨今は教団の教学担当責任者の人達までが、信心不 決定 ( 未決定)者と思わざるを得ませんので、憂慮しているのであります。
   合掌 紅楳英顕
      (2015年6月2日)

(R氏) 南無阿彌陀佛⋯⋯⋯⋯

(V氏 )eiken is a really a very good teacher !

(紅楳)
Thank you. Gassho Eiken Kobai.

(V氏)  _/\_

(Y氏) なまんだぶ

(K氏) 
がんばって勉強します。

紅楳 ) 御精進を念じます。 合掌 紅楳英顕     (2015年6月3日)



本願寺新報(2015年6月20号)に「信心をいただいた念仏者」という言葉があった。これは大変良い言葉だと思う。「信心をいただいた」と言う語を抜きにして「念仏の教え」とか、「念仏者」という言葉が頻繁と使われるが、これでは親鸞聖人の言われた念仏の意味が曖昧になり、念仏の意味が間違えられてしまうのである。教団の教学責任担当者までが念仏の意味を間違えたのが近年の教団の状況であったと言って過言ではないと思う。こんな状態のままではいくら対策を講じても教えが弘まらないのも至極当然のことであったと言えよう。
 何度も述べたが、親鸞聖人は『正像末和讃』に「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」(浄土真宗聖典P,607)と述べられている。
「 真実信心の称名」(信心をいただいたうえでの念仏、信後の念仏)、これが他力回向の念仏(他力念仏、 弘願念仏)であり、「自力の称念きらはるる」とある 「自力の称念」(自力念仏、要門念仏、真門念仏、カラ念仏等)とは全く異なるものなのである。
 『歎異抄』に「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀...にたすけられまいらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」(浄土真宗聖典p、832)、「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(浄土真宗聖典p、853)等とあるところから、念仏に自力も他力もないと言う考えがあるようであるが、これは全くの間違いなのである。このことは『歎異抄』後序に著者唯円が「かなしきかなや、さいはひに念仏しながら、直に報土に生まれずして、辺地に宿をとらんこと。一室の行者のなかに、信心異なることなからんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。名づけて歎異抄といふべし。」(浄土真宗聖典P、854)と述べていることにより、唯円自身も親鸞聖人の意を正しく継承し、念仏に自力、他力の違いがあることをはっきり認識していたことは明らかなことである。 (拙論「『歎異抄』の中心問題 」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/tantyu.html 参照。)
 伝灯奉告法要を来年に控え、本願寺新報に「信心をいただいた念仏者」という、念仏に信前、信後の違いがあることを明確に示した言葉が出されたことは大変結構なことだと思う。          合掌   紅楳英顕
     (2015年6月18日)

  上記についてFace Bookの反応
(R氏)  南無阿彌陀佛⋯⋯⋯⋯

(Y氏)南無阿弥陀仏

(D氏)
 南無阿弥陀仏

(F氏) Namandabu

(紅楳)御賛同有難うございます。合掌 紅楳英顕

(F氏)gassho my dear Sensei      (2015年6月19日)

 

続前(6月18日)
教団内の不祥事件が逆縁となったのであろうが、 総長の談話に「信心をいただいた念仏者」という言葉があることが報じられた。近年教団において「念仏者」、「念仏の教え」、「念仏の声」という言葉はよく聞いたり、見たりするのであるが、それはすべて当然のように「信心をいただいた念仏」として扱われていたと思う。それがこのたび総長談話として口に称える念仏の全てが「信心をいただいた念仏」とは限らない事を述べる「信心をいただいた念仏者」と言う言葉が、本願寺新報に出されたのである。これはまさに画期的出来事と言うに値すると私は思う。是非とも、この言葉が、硬直化しつつある教団の無信心体質の、改善の契機となって欲しいと思うのである。何度も述べたが、ただ口に念仏をとなえさえすれば「信心をいただいた念仏者」とは言えないのである。近年教団において、このことが極めて曖昧であったと言えるであろう。
 信心をいただいた人はどう変わるのであるか、と言う問いはよくなされてきた。親鸞聖人が『一念多念証文』に「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、よくもおほく、いかり...はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず」( 浄土真宗聖典p、693)と言われているように、信心をいただいた人も煩悩具足であることは変わらないのである。しかし信前と信後で人は変わらないのではない、変わるのである。どう変わるのであるかについての詳論は別の機会に述べることにするが、最小限はっきりと言えることは、これも親鸞聖人が『教行信証』「化土巻」三願転入の文に「ここに久しく願海に入りて、深く仏恩をしれり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。( 浄土真宗聖典p、413)と言われ、また『正像末和讃』に「釈迦・弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」( 浄土真宗聖典p、606)等と言われているように、信心をいただいた人は仏恩を報ずる身になるのである。即ち報恩念仏の人となるのである。この事からも明らかなように、報恩念仏(称名報恩)を否定する人達はいかに念仏は称えていても「信心をいただいた念仏者」ではないのであり、信心不 決定 (未決定)の人であることが明らかなのである。またその事について宗法に教諭義務が定められているにも拘わらず、それを公然と放棄する人達も全くの同類と言わざるを得ないのである。
 『教行信証』総序に親鸞聖人は「しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰われて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまへり。」( 浄土真宗聖典p、131)と、「王舍城の悲劇」が縁となって他力念仏(信心をいただいた念仏)の教えが説かれたことを述べられているのである。
 この度教団内の不祥事件が縁となって、口に称える念仏がすべて「信心をいただいた念仏」(他力念仏)とは限らないことが示された。ただ「念仏者」と言うのではなく「信心をいただいた念仏者」と言う言葉が、総長の言葉として本願寺新報に報じられたことは、まさに意義あることと思う。これが機縁となって、教団の教学担当の責任者までが信心不決定(未決定)者の集団と成り果てた、教団の無信心体質を改善する方向に進んで欲しいと念願するのである。
 奇しくも来年は伝灯奉告法要の慶賀の年である。 誠に善き御勝縁であると感佩する次第である。
   合掌 紅楳英顕
    (2015年6月20日)

  上記についてFace Bookの反応
(Y氏) ありがたく頂きました。 シェアさせて頂きます。 なんまんだぶつ

(紅楳)いつも有難うございます。合掌 紅楳英顕

(Y氏定着している「御念仏相続」で、なくて本当に有難いです。 合掌
念佛に縁のある方は、「同行同朋」である事には違いないです。でも、仰る通り皆が同じじゃない。
 この部分は大事じゃと思います。
此処を拔いたら、ご開山の説かれたものがなくなってしまうんじゃないかって思います。
 信心に至らねば、信心が届いて下さらにゃ、この双方がひとつになって離れる事が無い様にならにゃ「信心を頂いた念佛」にはならんと味わってます。
 同行同朋ではありますけど、念佛者と念佛行者には違いが有るんでは?と感じます(表現が拙い持論ですが、この差は大きいと?)


(紅楳) 称名報恩(報恩念仏) を否定した人達をはじめ、これに賛同した多くの人達、それから宗法に定められた教諭義務を公然と放棄した人達は、たとえ口に念仏を称えていても、す べて「信心をいただいた念仏者」ではない人達であります。信心不 決定 (未決定)の人達なのであります。この事をよくよく認識することが、現教団において極めて重要なことと考えます。   合掌 紅楳英顕

(K氏) 仰せごもっとも、信心决定した人と未决定では天と地ほどの差があるでしょうね(^3^)/~☆

(D氏) 
Namu Amida Butsu _/l\_

(R氏)
十方恒沙諸仏如来、皆共讃歎、無量寿仏威神功徳不可思議。諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念。
 至心廻向。
願生彼国、即得往生、住不退転。唯除、五逆誹謗正法。
 という漢文で表現されている「信心」という言葉の意味する定義を曖昧にして説明もせずに「信心正因」ということを述べるのは、少しく不親切ではないかと思ひますですよ。
 もちろん、総長は「信心をいただいた念仏者」という言葉の意味は、まったく理解してないと思いますよ(笑
 なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


(紅楳) 今までに、何度か述べたと思いますが(例えば2015年3月30日)、親鸞聖人は『一念多念証文』に本願成就文の御解釈をなされ、信心について「信心は如来の御ちかひをきき て疑ふこころのなきなり。」( 浄土真宗聖典p、678)と述べられています。この御文が親鸞聖人が「信心」について最も簡潔に説明下された御言葉だと思います。
   合掌  紅楳英顕


(S氏) 佛願の生起本末を聞信せしめられることです。なまんだぶ

(y氏)
 なぜ十方恒沙諸仏が皆共に阿弥陀如来の名号を讃嘆せずにはおられなかったのか… そこがありがたいです。

(紅楳)念のために申し上げますが、「そこがありがたいです」と言われる第17願成就の諸仏に讃歎される名号は、 本願力回向により我々衆生に届けられ、信心となり、そして念仏と  なって活動するものであります。親鸞聖人が『正像末和讃』に「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」(浄土真宗聖典P,607)と述べ られていますように、真実信心の称名が 弥陀回向の法であり、功徳のある大行なのであります。信心のない念仏は自力の称念であり、大行ではありません。真宗学者の中に信心の  ない念仏も全て大行であると主張して、行前信後の自力念仏策励を強調し、称名報恩義を否定した人達がいましたが(今もいるかも知れませんが)、これは大変な誤りであります。「本 願の嘉号をもっておのれが善根とする」( 浄土真宗聖典p、412)とある、自力の称念の人達であり、「信心をいただいてない念仏者」の人達なのであります。 合掌
    (2015年6月22日)


 私の知人のS氏が本願寺派勧学寮頭徳永一道氏の講演録を送ってきました。 http://issei-no-kai.blog.eonet.jp/defau…/…/03/post-bac0.html (これで見れる。 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kouenroku.html
S氏は 「 まったく浄土真宗の救いを理解していないことが露わな内容で落胆いたしました。一社会人としての生き方、あり方はあくまで人間の側の問題であって、それを如来よりたまわる信心の問題にすり替えるとは言語道断だと思います。」と述べています。私も同感です。

  細かいことはまた述べる機会があると思いますが 徳永氏は行信論(信心、念仏の問題)を批判して

 
 行信論がなぜこれほど煩瑣に発展したか。江戸時代仏教は自分の救いとか悟りのことだ け問題にしておけ、権力者の側からは一向一揆とか起こされたら困るので保護してやる けれども社会のことは一切関係するな、江戸時代になるとそれが徹底されまして浄土真 宗以外は私の「悟り」、浄土真宗は「救い」この問題に集中してきた。私の隣の人は関 係ない。この風潮がいまだに続いているのです。安心は一人ひとりのしのぎの問題こう いう行き方が根強く行き渡ってしまった。家族さえ関係ない。私が如何に救われるかが ご安心の問題であると。


と「安心は一人ひとりのしのぎの問題こういう行き方が根強く行き渡ってしまった。」と述べて 「安心は一人ひとりのしのぎ」と言うことが江戸時代に言い始められたように言うのでありますが、そうではありません。
 親鸞聖人は『親鸞聖人御消息25』に「往生を不定におぼしおぼしめさんひとは、まづわが身の往生ををおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩ををおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して」(浄土真宗聖典p、784)、と述べられ、 蓮如上人 も『御一代記聞書』に 「 往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。」(浄土真宗聖典p、1284)と述べられているのであります。安心の問題、往生の問題は「一人ひとりのしのぎ」であることは親鸞聖人も 蓮如上人 にも言われていることであります。それが間違いであるという事は、 親鸞聖人,蓮如上人の意に反することであり、S氏が言うように「まったく浄土真宗の救いを理解していないことが露わな」言であり、私が何度も言いました信心不決定(未決定)者の意見と言わざるをえないと思います。(「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm)それから 終わりの方に
 

 私、法義示談を総会所でやりますがね、もういつでも苦し紛れになったときはね、質問 に答えるわけですね。「あれに聞け」といってご本尊を指差すわけです。そういって逃 げてしまうわけですね。何も間違っていないわけですね。私がごちゃごちゃいうより先 に阿弥陀様が届いていらしゃる。そこに付け加えるものは何も無い。信心を付け加える 必要も無いですよ。お念仏付け加える必要もありませんよ。もうすでに来てくださって いるその姿が南無阿弥陀仏である、もう実にシンプルですね。そして揺るぎもしない教 えですね。 ご開山はここまで我々にお示しくださったという一番を伝えてください。 難しい理屈を使う必要は無い。あんたの口から念仏が出たら十分だ。それだけです。そ のご法義を伝える以外何も無い、いうことですね。


と述べていますが、これがまた大変問題のある箇所であります。ここに出ている「讃岐の庄松同行」については前に述べましたが(「続②近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html 2015年2月7日記)、ここで徳永氏の言っていることは、恐らく徳永氏が師事していました故I氏の説によっているのだと思います。

I氏は著の中でよくこの庄松同行の話を取り上げているのですが、実は最も大事な箇所を省いているのです。I氏は「彼(庄松)が本山で帰敬式の時、門主の袖を引っ張り、<アニキかくごはよいか>と云ったという。式の後、彼は門主の部屋に呼び出され、逆に門主の側から<貴兄の覚悟はいかに>と反問されたのである。その時、彼は即座に<オレの事は知らん、アレに聞け>と云ってご本尊を指したという。」(『開かれた信心と閉じられた信心』永田文昌堂、2005年6月発行、p、77,p、20等)と述べています。ところがここの所が『庄松ありのままの記』には「御法主<敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併し汝は信を頂いたか>、庄松<ヘエ頂きました>、御法主<その得られた相を一言申せ>、庄松<なんともない)>、御法主<それで後生の覚悟はよいか>、庄松<それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか。>」と述べられているのである。(清水順保著、永田文昌堂、昭和36年4月、p、47)。

即ちI氏の著においては「御法主<敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併し汝は信を頂いたか>、庄松<ヘエ頂きました>、の部分、即ち御門主が庄松 同行に「信心を頂いたか」と問うたことに対し,庄松 同行が「ヘエ頂きました」と返事をした箇所が省かれているのである。(この文については2012年龍谷大學発行の『妙好人における死生観と超越』<p、21>に出されている文も『庄松ありのままの記』にあるものと同文である。)
一カ所だけのことではないのでこの間違いは単なるミスでは済まされないのであり、極めて重大なことだと思う。庄松同行の領解が全く違ったものになるからである。庄松同行を往生に確信のない、若存若亡の人か,または十劫の昔にすでに救われているのであるから信心は不要であるとする十劫安心の異義者にしてしまうからである。(I氏の考えは十劫安心にしているようである。)
 
 上引のように徳永氏は 「讃岐の庄松が、<お前の救いはどうなっているんだ>と興正派のご門主から聞かれたときに、<わしの救いのことは知らん、あれに聞け>と阿弥陀様を指差したという」と述べ、「私、法義示談を総会所でやりますがね、もういつでも苦し紛れになったときはね、質問に答えるわけですね。<あれに聞け>といってご本尊を指差すわけです。そういって逃げてしまうわけですね。何も間違っていないわけですね。私がごちゃごちゃいうより先に阿弥陀様が届いていらしゃる。そこに付け加えるものは何も無い。信心を付け加える必要も無いですよ。お念仏付け加える必要もありませんよ。もうすでに来てくださって いるその姿が南無阿弥陀仏である、もう実にシンプルですね。そして揺るぎもしない教えですね。ご開山はここまで我々にお示しくださったという一番を伝えてください。 難しい理屈を使う必要は無い。あんたの口から念仏が出たら十分だ。それだけです。」と述べています。

しかしこれは徳永氏がI氏の間違いをそのまま継承した全くの間違いなのであります。庄松 同行は 興正派の御門主の「信心を頂いたか」との問いに対し,「ヘエ頂きました」と返事をしたのであります。この部分を省いて、「わしの救いのことは知らん、あれに聞け」と阿弥陀様を指差したという」と述べ、 「 信心を付け加える 必要も無いですよ。お念仏付け加える必要もありませんよ。」と言うのでありますが、「ヘエ頂きました」と庄松 同行は答えているのであり、 「それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか。」と述べているのは信心決定、往生確信の上での言葉なのであります。若存若亡の疑心往生や、十劫の昔に既に往生が決定しているとして無信心往生を説く十劫安心ではないのであります。  

徳永氏が言うように、 十劫に昔に「阿弥陀様が届いていらしゃる」のであれば信心の有無も関係なければ,念仏の信前(自力念仏、カラ念仏)、信後(他力念仏、報恩念仏)も関係ないことでありましょうが、そのようなことは親鸞聖人も 蓮如上人 も全く言われていないことであり、それは全くの間違いなのであります。 それから 「 私、法義示談を総会所でやりますがね、もういつでも苦し紛れになったときはね、質問に答えるわけですね。<あれに聞け>といってご本尊を指差すわけです。そういって逃げてしまうわけですね。何も間違っていないわけですね。」と言っていますが、勧学寮頭がこんなことを言っていいのでしょうか。極めて問題ある言葉だと思います。何度も申しますが、三業惑乱以上の大問題のように思えます。
 合掌  紅楳英顕    (2015年6月30日)

 *徳永氏の講演録は http://hongwanriki.wikidharma.org/・・・/%E3%82%82%E3%81%AE・・・  で見ることが出来ます。(紅楳)


 上記についてFace Bookの反応

(D氏) Namo Amida Butsu _/l\

(R氏}) 紅楳和上の知人であるS氏については存じ上げないのですが、信心正因説を理解していない頭の悪いアホかもです。ともあれ件の頁を読んだことがありタイポがあったので修  正した文章をUPしておきました。

 徳永和上の講義に関してですが、蓮如さんの、
(171)一 往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることな り。よそごとのやうに思ふことは、かつはわが身をしら  ぬことなりと、円如仰せ候ひき。 

 という御文を否定するんかぼけぇと、頭に来ていた越前坊主もいましたです。一向一揆以来、坊主に騙されてきたので、騙されてなるかというのが越前門徒なのでした。
ともあれ、浄土真宗のご法義を領解しなかった信楽氏の提示する石泉和上は、

  思ふに先輩おのおの一時の俊秀おのれをにくらべてははるかに等を異すれども祖師に望ては一斑の末弟なり。されば祖師を置てそれにつき聖典に順ぜざることに雷同すべきにあら ず。
 文類よみがたけれど必ず一定の聖意あるべしとおもひて月に日に手巻を釈す。葦編三絶やや聖意しられてこれを諸友にこころみるにおもひ半にすぎて罣碍なきことをおぼふ。

 と、仰ったそうですが、わたくしを語る、徳永一道和上を引っ張り出してあまり世間にさらすなよ、という優しさを本願寺の宗門に求めたいものではある。巷間耳にするには、本願寺派の 勧学寮は世俗に迎合し、御開山の示して下さった真実浄土を知らないのだと仄聞する。きっと痴愚の毒に毒されているんだろうな(笑)、とりあえず、論義の対象としてリンクしておきます 。(http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kouenroku.html 
  

  なんまんだぶ なんま
んだぶ

(E氏)  ONLY UNIVERSAL PEACE AND LOVE!!!

(M氏) 全ての事は弥陀の本願を明らかにせよとの善巧方便かもしれませんね。


(紅楳)
R様  誤解のないように申しておきますが、S氏は信心正因称名報恩義 に深い理解があり、聡明で、大変真面目な方であります。合掌

(Y 氏) 徳永師のことは存知あげませんが、勧学寮頭の立場にある方が、このようなお話をなされるというのは驚きですね。
 行信論を勉強しなければ救われないとか、外国人には真宗の教えが伝わらないなどとは私も毛頭思ってはおりませんが、勧学寮のお役目というのは、行信論を否定することではない  はずだと思います。

 行信論に裏打ちされたみ教えを平易な言葉や様々な言語でお伝えなさるというのならばわかりますが(^^;;


   (R氏)名聞利養の生きるためと言いながら、芸人の省念師のように原典批判を無視し、もしくは拡大解釈を通して門徒の情念を刺激し、本当のご信心への道を遮蔽しているの      は如何なものかな。
      芸能坊主なら芸人らしく、本物の浄土真宗の、なんまんだぶのご法義に関する話題には口を出すなよ。


     『七箇条の御起請文』黒闇のたぐい己の才をあらわさんと欲し、浄土教をもって芸能となし、名利を貪し檀越を望む。恐らくは自由の妄説をなして世間の人を狂惑せむ。誑法のと     が、ことのほか
     重し、この輩は国賊に非ずや。


        なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
         http://labo.wikidharma.org/・・・/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83・・・

    
   (Y氏)  ありがとうございます。    

(K氏) 本願寺さんにはシッカリとして欲しいです(チョッと適切な言葉が見つかりませんが。)当派は本願寺さんのテキストを元に当派の僧を育てます。
 師事する方によりますけど、大概は門流の講義で学んでくる。
そこの講義の内容があやふやじゃと、真宗ではなく仮宗が増えてしまいます。
 ご開山の御心に沿わない教えは真宗ではない。 そこはハッキリさせて欲しいなぁ〜!


(S氏) 寮頭は、言いたい本音だけ言った感じですね。

(紅楳) 以前から、申しておることでありますが、最近の不祥事件も含めて、無信心体質の抜本的改善こそが、現教団の最重要課題だと思います。 合掌

(T氏) 
紅楳先生、南無阿弥陀佛。

(V氏) I don't know who is this man but i'm sure it's a man of Shinjin (because eiken kobai sensei take the time to take of him) smile emoticon Namanda !

(紅楳)
 Merci. Thank you for your message. But he (Ichido Tokunaga) is not a man of Shinjin.    Gassho Eiken Kobai.
           (2015年7月3日)
(V氏) Eiken Kobai Is he a "modernist" ?  

(紅楳)
 Anyway, I think he(Ichido Tokunaga, 徳永一道) doesn't have Shinjin, the experience of salvation. Gassho .
           (2015年7月5日)



 第十回仏教漢詩の会が催 されました。(2015年7月4日)
 
 上手には作れませんが、七言絶句の規則に従って初めて試みたものです。


讃蓮如上人                   蓮如上人 (れんにょしょうにん)を讃(さん)ず。  紅楳英顕

..

 蓮上降誕六百時               蓮上降誕六百時 (れんしょうごうたんろっぴやくじ)

 奉嘆真法再興遺               真法再興(しんほうさいこう)の遺(い)を奉嘆(ほうたん)す。

 教摧異義謬人輩               異義謬人(いぎびゅうにん)の輩(ともがら)を教摧(きょうさい)し、
 
  顕授信因称報詞              信因称報(しんいんしょうほう)の詞(し)を顕授(けんじゅ)せり。



讃大瀛師                   大瀛師(だいえいし)を讃(さん)ず。           紅楳英顕


 瀛師摧破願生論              瀛師(えいし)は願生論(がんしょうろん)を摧 破(ざいは)して、

 異解自調安心門              自調安心門(じちょうあんじんもん)②を異解(いげ)とす。

 雖然為要帰命義              然(しかり)と雖(いえど)も、帰命(きみょう)の義(ぎ)を要(よう)とし、

 厳嫌十劫秘団言             十劫秘団(じっこうひだん)の言(ごん)③を厳嫌(げんげん)す。

        註 ① 功存の『願生帰命弁』。 ②三業帰命説。 ③ 十劫安心(十 劫秘事)説。

          2015年6月24日


 ここに述べました信心正因称名報恩義の問題、三業惑乱における三業帰命、一念覚知、十劫安心の問題は、現在の本願寺派教団において極めて重要な課題であると思います。
 昨今総長より「信心をいただいた念仏者」と言う言葉だ出され、念仏は称えていても、「信心をいただいた念仏者」とそうでないない人がいるということが示されました。これは教団の新たな方向として慶ばしいことと思います。
 
 しかしながら、御承知のよう、新たな始まりであったはずの新宗法(2012年4月1日施行)に定められた 信心正因称名報恩義反対者に対する勧学寮の教諭義務は公然と放棄されました。そしてそれについてどこからも何の責任も問われることは無かったようであります。もっとも徳永氏の講演録(6月30日記)から明らかでありますように、氏自身が信心不決定(未決定)者でありますので、教諭ができるはずはなかったのではありますが、それにしても情けないことであります。
三業惑乱における三業帰命の問題はともかくとして、 他の 一念覚知、十劫安心の問題は現在の教団においても大きな問題だと思います。徳永氏が講演で。(6月30日記)。


 私、法義示談を総会所でやりますがね、もういつでも苦し紛れになったときはね、質 問に答えるわけですね。「あれに聞け」といってご本尊を指すわけです。そういって逃 げてしまうわけですね。何も間違っていないわけですね。私がごちゃごちゃいうより先 に阿弥陀様が届いていらしゃる。そこに付け加えるものは何も無い。信心を付け加える 必要も無いですよ。お念仏付け加える必要もありませんよ。もうすでに来てくださって いるその姿が南無阿弥陀仏である、もう実にシンプルですね。


と言っていますが、これが大問題です。信心不決定(未決定)の人は、ご自分に救済体験がないために、自分には無自覚(不覚)のままで、すでに(十劫の昔)から救われているのであり、無自覚(不覚)のままで信心は決定しているのであるとする十劫安心(無帰命安心)に陥るようでありますが、これは大変な間違いであります。これは親鸞聖人の信心とは全く違います。.こんな信心では慶びも感謝(報恩念仏)も全くないことでありましょうし、称名報恩義反対者に教諭ができなかったことも至極当然のことでありましょう。

 獲信の時の年月日時の覚不覚を論ずるな(『御裁断御書、浄土真宗聖典p、1414)とは言われていますが、信心は無自覚(不覚)とは言われておりませんし、「三業をいめるまま、たのむのことばをきらひ」(同p、1414)と十劫安心(無帰命安心)を戒められています。大瀛師も信一念時の覚の記憶に執ずること(一念覚知、記憶だのみ)は否定しますが、信心は無自覚であるとか不覚であると言ってはいませんし、「十劫正覚は往生法門成就の時、帰命の一念の時が、我が往生冶定の時」<意>( 横超直道金剛錍 下)と述べて、十劫安心(無帰命安心)を否定しているのであります。 (拙論 「信一念と信の覚不について」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shinitinen.htm .「親鸞浄土教における救済の理念と事実」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm . 参照)

 何度も申しましたが、教団の教学担当の責任者の人達までが信心不決定 (未決定)であっては教団の発展はありえないと思います。このような信心不在の体質に何の改善もすることなしに、いくら「宗門総合振興計画」を策定しても、私の知るここ半世紀の「振興計画」と同様、何の成果も上がらないことになろうと憂慮致します。
     合掌   紅楳英顕     (2015年7月5日)


 上記についてFace Book の反応

(D氏) Namu Amida Butsu  

{紅楳)Thank you. Leaders of Teaching need Shinjin and experience of salvation. Gassho.

(S氏) 南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛南無

(紅楳) 有難うございます。 念のために申しておきますが、『蓮如上人御一代記聞書』213に「心得たと思ふは心得ぬなり、心得ぬと思ふは、心得たるなり。」( 浄土真宗聖典p、1300  )とある文により、信心は無自覚(不覚)であると言うのは、信心不決定(未決定)者の主張であり、間違いであります。 合掌

(紅楳) 
十劫安心の問題は三業惑乱時の昔のことではなく、現在只今、大変大きな問題であります。ところが、2002年に勧学寮編集によって出版された『新編安心論題綱要』では、そ  れ以前にはありました十劫安心の項が「現在では必要度が薄れたと思慮される」<序>と云う理由で省かれているのです。 この事は 甚だ理解に苦しみます。 合掌。

(M氏) チョッと、レベルが ” ハイ ” ですネ!

(紅楳) あなたの仰る意味がよくは分かりませんが、私は以前から言っておりますように、我が教団において宗門振興計画、宗門発展計画が長らく叫ばれながら一向に成果が上がらな いのは、教団の無信心体質にあると思います。この体質改善が抜本的になされない限り、観光教団で良しとするのならともかく、宗教教団(伝道教団)としての興隆はあり得ないと思う  のです。そのためには少なくとも教団の教学担当の責任者(勧学寮等)の人達が信心不決定(未決定)の人達であってはならないのであり、そこの所から改善されねばならないと思って います。  合掌。  
          
            (S氏) 30論題に戻せば、三願欲生がありますので、往生間違いない→おたすけまちがいない→信心獲得と明確になります。
                  (2015年7月7日)
                
            (Y氏) 合掌 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 なんまんだぶー

(紅楳) 御賛同有り難うございます。信心正因称名報恩義に反対する人達(龍大真宗学)や、十劫の昔から救われているのだから「私がごちゃごちゃいうより先に阿弥陀様が届いてい ら しゃる。そこに付け加えるものは何も無い。信心を付け加える必要も無いですよ。お念仏付け加える必要もありませんよ。」と言って十劫安心の異義を語る勧学寮頭等、共に信心不 決定(未決定)者なのであります。
  
  このような信心不決定(未決定)の人達(人も渡さず、己も堕つる)が、教団の教学責任担当者である限り、無信心体質は続くばかりで、到底教団の興隆は望めないものと思います。

 伝灯奉告法要を御勝縁とし、抜本的改善がなされることを念願する次第です。    合掌


       (S氏) 自力信心は不要だが、他力信心は必要で、その体は本願名号のお勅命と言うべきです。まかせよ、すくうにおまかせする、とお名号のおいわれで、語るべきと                                     思います。合掌

       (紅楳) 同感です。合掌。

(紅楳) このように、徳永寮頭は、我々は十劫の昔にすくわれているのだから、信心は不要と言うのでありますが、これでは氏は十劫安心を言う異義者であるということのみならず、 浄   土真宗 の教義の要である信心正因を否定する異義者ということになると思われます。これは氏が真宗教学の知識に乏しいところから生じたことでもありますが、最大の原因は氏が救  済体験のない信心不決定(未決定)の人であるからだと言えると思います。
 
  『浄土和讃』に「弥陀成仏のこのかたは 今に十劫をへたまえり 法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり」(浄土真宗聖典p、557)とありますように、阿弥陀仏は十劫の昔から 我々を照らして下さっているのです。しかし『親鸞聖人御消息』1に「信心定まるとき往生また定まるなり。」(浄土真宗聖典p、735)とありますように、阿弥陀仏は十劫の昔に成仏されて いるのですが、我々の往生が定まるとき(救われるとき)は、信心定まるときと述べられているのです。このことは『高僧和讃』に「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 彌陀の心光 摂護して ながく生死をへだてける」(浄土真宗聖典p、591)とあることにもより明らかであります。

  このように阿弥陀仏は十劫の昔に成仏するのでありますが、我々の往生が定まる(救済される)のは信心定まるときであり、十劫の昔ではないのであります。即ち我々が往生定まる  のは(救済されるは)信心決定のときであります。救いが現実のものになるのはこのときなのであり、これが大変重要なことなのであります。しかしこのことは救済体験によって知らされ る事実であり、救済体験のない人は知ることがむつかしいと思います。

  私が以前から信因称報義批判者を救済体験のない信前信後の念仏の違いが分からない、信心不決定(未決定)の人と申した訳はこのことからであり、この度また 十劫安心の人を  信心不決定(未決定)の人と申すのも、この理由によるものです。勿論、親鸞聖人や蓮如上人が信心決定の人であったことは言うまでもありません。
  何度も申しましたように、教団の教学責任担当者までが信心不決定(未決定)の人達であっては、振興興隆は望み得ない事と考えます。早急の体質改善を期待したいと思います。
    合掌
        (2015年7月8日)



 ある人からの連絡で、6月30日記の徳永一道氏の講演録 http://issei-no-kai.blog.eonet.jp/defau…/…/03/post-bac0.html が切断されていることを知りました。何故このような事態が生じたのであるのか、詳しいことは知りませんが,想像はつく所であり、極めて遺憾に思います。
 同内容のものが、同日記の中の  http://hongwanriki.wikidharma.org/・・・/%E3%82%82%E3%81%AE・・・ に載っていますので、氏の講演録を見ることに支障はありませんが、甚だ奇怪なことであります。
 何度も申しましたが、この度の勧学寮関係の諸問題は能化制度 が廃止された三業惑乱以上の大事件に相当すると思います。 合掌  紅楳英顕
                   (2015年7月11日)


 上記についてFace Bookの反応。

(紅楳) 徳永氏の講演録は http://hongwanriki.wikidharma.org/・・・/%E3%82%82%E3%81%AE・・・  で見ることが出来ます。合掌

(S氏) ありがとうございます。合掌

(D氏)Namu Amida Butsu _/l\_

(紅楳) 徳永氏の講演録は  http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kouenroku.html で見ることが出来ます。氏に限ったことではありませんが、このような信心不決定(未決定)の人が、勧学 寮頭に選ばれるような教団の無信心体質は早急に改善されなければならないと思います。
  新しい時代の始まりのために宗法に定められたはずの、信因称報義反対者に対する勧学寮の教諭義務が、当然の事のように放棄されたり、またその事に何の疑問ももたれる事なく 容認されているのが教団の現状であります。

  このような無信心体質のままでは、この度の折角の「宗門総合振興計画」も、従来と同様、虚しいことになるであろうと懸念する次第であります。 合掌
                  (
2015年7月12日)

{紅楳) Please read THOUGHTS ON TEACHING OF DOCTORINE WITHIN THE HONGWANJI -HA(NISHI) HONGWANJI OGANIGATION IN RECENT YEARS,  http://e-kobai424.sakura.ne.jp/thoughtonteach.htm ,
  tanslated into English of 「近年の本願寺派教学に想う」
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
   Gassho Eiken Kobai
   

(R氏) あら、消えてる。
 宗会議員が自分の権力で呼び寄せた和上の講義に対して、ネット上の空気を読んで忖度したのですかね。こういう慮るというやり方が、実は門徒を宗門から遠ざけているということに気 がつかないから困ったものです。


 悉皆金色(しっかいこんじき)の願を依用して「ものみな金色(こんじき)に輝く」という慈悲によるアプローチは間違っていないのですが善導大師が「玄義分」で、「諸仏の大悲は苦あるひと においてす」p.312とされ、

   一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」と。 いますでに    成 仏 したまへり。 すなはちこれ酬因の身なり。 p.326

 と、四十八願の根底にある、《名号》による救いに言及しないならば、

  ただ六部を信じていまだ六部を信ぜず、このゆゑに名づけて聞不具足とす。またこの六部の経を受持すといへども、読誦にあたはずして他のために解説すれば、利益するところなけ  ん 。このゆゑに名づけて聞不具足とす。またこの六部の経を受けをはりて、論議のためのゆゑに、勝他のためのゆゑに、利養のためのゆゑに、諸有のためのゆゑに、持読誦説せ  ん。こ のゆゑに名づけて聞不具足とす」とのたまへり。p.250

 の、「聞不具足」の御教化なのかもです。知らんけど。
  ともあれ、和上の「ものみな金色(こんじき)に輝く」の話を聴きながら、同行と『論註』の『維摩経』の引用、

   これいかんが不思議なる。それ諸天の器をともにすれども、飯に随福の色あり。 足の指、地を按ずるにすなはち金礫の旨を詳らかにす。 p.121

 の文を開き、これを言いたいんだろうねと、ニヤニヤしてましたです(笑
  で、のちに、浄土真宗は、往生浄土の真宗だから『無量寿経]の、霊山現土の、

   即時に無量寿仏は、大光明を放ちてあまねく一切諸仏の世界を照らしたまふ。金剛囲山、須弥山王、大小の諸山、一切のあらゆるものみな同じく一色なり。たとへば劫水の世界に   弥満するに、そのなかの万物、沈没して現れず、滉瀁浩汗としてただ大水をのみ見るがごとし。かの仏の光明もまたまたかくのごとし。 p.74

 の方が親しいかも、などと同行と妄想してましたです。

 なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

(紅楳) 
信心のない真宗学は無意味である。(「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合-http://e-kobai424.sakura.ne.jp/Bukkyooikani.html)、Translated into English (「ON LEARNING   BUDDHA-DHARMA, WITH EMPHASIS ON JODO-SHINSHU」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/ikanimanabuka.htm )
   合掌、Gassho.
       (2015年7月15日)

 以下「続③近年の本願寺派教学に想う 」   http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku3.html   に続く。