「続㉟近年の本願寺派教学に想う」
 これは「続㉞近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku34.html に続くものです。

『宗教問題15』(2016年8月31日発行)で親鸞会問題を扱った宗教問題社が、『宗教問題23』(2018年8月31日発行)に、この度出版した『親鸞聖人の念仏論』の紹介をして下さいました。

Cinema &.Book    「信心のありがたさ」(116頁以下)

― 鎌 倉 時 代 の 僧 ・ 親 鸞 ( 一 一 七 三一 二 六 三 )と い え

ば 、 説 明 す る ま で も な く 浄 土 真 宗 の 開 祖 で あ り 、 ま た

「本 願 を 信 じ 念 仏 申 さ ば 仏 に な る 」と 言 って 衆 生 の 教 化

に あ た った 人 で し た 。 そ こ か ら 考 え ま す と 、ま さ に 紅 楳

さ ん の 今 回 の 新 刊 『 親 鸞 聖 人 の 念 仏 論 』 は 、タ イ ト ル か

ら し て も 浄 土 真 宗 の 根 本 に つ い て 迫 った 本 で あ る と 感 じ

ま す 。ど の よ う な 動 機 か ら 、 こ の ご 本 の 執 筆 を 思 い 立 っ

た の で し ょう か ?

紅 楳  こ れ は 非 常 に 憂 慮 す べ き こ と な の で す が 、近 年

「浄 土 真 宗 に お け る 念 仏 と は な に か 」 と い う 解 釈 が 、 い

ろ い ろ と 乱 れ て い る 事 実 が あ る の で す 。 親 鸞 聖 人 の 正 し

い 教 え 、正 し い 念 仏 の あ り 方 、そ れ は い っ た い ど の よ う

な も の な の か を 、今 は っき り 世 の 中 に 示 し て お く 必 要 が

あ る の で は な い か 、 そ う 考 え た と こ ろ か ら 書 き 始 め た 本

で す 。(以下略)。 合掌

 

上記(201895日)の『宗教問題15』(2016年8月31日発行)に掲載されました「親鸞会問題」は私の人生における大きな出来事の一つであったと思います。
《「続④近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku4.html(2016年12月30日、記)》
(2016年12月30日、記)》のように、1970年頃親鸞会が一定以上の規模に拡大し、各地で本願寺派寺院に対して攻撃活動を始めるようになっていました。その頃私は現在は名前は変わっていますが、当時伝道院(現・総合研究所)という、教団の付属研究所に所属していました。地方の本願寺派寺院からの要請があり、本願寺として 親鸞会についての対策をすることになったのです。そこで私と他の何名かが親鸞会問題の担当になりました。
そういう訳で1977年の『伝道院紀要』 19 号に「一念覚知説の研究ー 高森親鸞会の主張とその問題点ー e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.html、さらに79年、同じく『伝道院紀要』24 号に「現代における異義の研究ー高森親鸞会の主張とその問題点ー」《http://e-kobai424.sakura.ne.jp/gendainiokeruigi.html という論文を発表し、 親鸞会教義について、私の賛成しかねる所を述べたのです。
79年に述べましたのでは「宿善論」について述べましたので親鸞会は黙っている訳にはいかなかったのでありましょう。盛んに質問状がきました。私は答えるべきことは答えるべきだと思ったのですが、上層部は「相手になるな、相手になるな」と言ったのです。その為に親鸞会の乱入事件や座り込み事件が起こったのです。教団関係者の多くの人達は私がまずいことを書き、返答に困ったのでこんなことに成ったと思われたと思いますが、このことは大変残念に思っています。当時随分嫌みを言われましたし、最近でもある会館で私を講師に推薦した人に「紅楳氏は過去に本山で暴力事件を起こしたことがあるから断る」といったそうです。今尚そう思っている人がいるのであります。
それより、一番私が空しい思いをしましたのは、1982年に総局の意により当時の勧学寮頭と伝道院長との監修によりこの問題についての解説書が作られることに成り、会合がもたれました。その時私もメンバーの一人でありました。その時私の論文《「一念覚知説の研究ー 高森親鸞会の主張とその問題点ー  http://e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.htmの中に引用していた鮮妙師の『意業非意業之論』「年月を知るも障とせず、知らざるも亦功とせず、覚もよし、覚ぬもよし、共に仏智に信順するを以て当流安心の正義とす、故に前々住上人も年月日時の覚不覚を論ずべからず、御相承多く年月を記し給はず、高祖之を記し給ふ。その義云何と云へば親の懐で育ったものは年月を認めて親と知りたることなし。何時の間にやら親を知る。生来真宗の教示に育せられたるもの如此。又生まれてより他人に育てられて生長の後、家にかへる者は親を知る年月を知る(中略)覚えたが好と計するもよからず。不覚が正義なりと認むるも悪し。乃ち覚不を論ずべからずと御裁断されたものなり。(宗学院論集 一念覚不論集所収、九五頁)」とあるについて、この時の勧学寮頭がこの時の伝道院長に「ねえYさん、鮮妙和上が<年月を知るも障とせず、知らざるも亦功とせず、覚もよし、覚ぬもよし>というようなことを言ったのだろうかねえ」と尋ねましたら、伝道院長も「そんなことはいってないでしょう。」と答えたのです。お二人とも行信教校に関係の深い人ですから、こんなことを言われるとは全く意外でありましたので、「しかし、これは宗学院論集にあることですから間違いはないはずです。」と私は言ったのですが、お二人とも何も言われませんでした。
その後、解説書が出来ました(1982年12月)。私以外のメンバーによる『現代の教学問題ー派外からの論義についてー』と私の『派外からの異説について』であります。ところが、どういうわけか奇妙なことに、私の書いたものだけが別冊となっており、しかも勧学寮頭、伝道院長の監修にもなっていなかったのであります。親鸞会の質問が終わらない場合は私一人の責任にするつもりだったのでありましょうか?。(親鸞会発行の『本願寺なぜ答えぬ』浄土真宗親鸞会発行、昭和五十九(1884)年三月、二六八頁、の勧学寮頭の返信にその意がみられる。)。親鸞会問題は教団として対応したのですから、論文を書いたのは私ではありますが、勧学寮頭のこの姿勢は極めて無責任だと思います。
1981年に宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」反対の信楽氏岡氏に対し何の処置もしなかったのもこの勧学寮頭ですが、全く無責任なことであり、率直に申して信心決定(往生一定)の人であったとは思いかねます。
手紙の往返等でなく、親鸞会と直接対峙したのは1983年8月のことでありました。親鸞会の本部からもほど近い富山県高岡市のお寺《高岡教区による黎明講座》に、お伺いした時のことでありました。私の法話が始まる直前、バス二台に分乗した百人ほどの人たちが、突然お寺の本堂に乱入してきたので「明らかに親鸞会だな」と、すぐわかりました。
そのお寺の御住職がとっさに「暴力はいけません!」と叫ばれました。すると彼らは黙って座り、門徒さん方と一緒に話を聞いていました。けれどもしばらくして、大きな声で、彼らの中の一人が「あなたは救われたんですか!」と叫んだのです。私は「私は救われました。しかし今は御法話をしていますから、何かあるなら終わった後に来てください」と言い、そのまま法話を続けました。
法話を終えた後、私は控え室で彼らを待っていました。その当時から(今も同じですが、私の信心は固いものでありました)遠慮なしに自分の考えを言おうと思っていました。しばらくして、ガラッと障子が開きましたので、「来たな」と思うと、それはそのお寺の御住職でした。「彼等はどうしましたか」とお尋ねしたら、「彼らは何も言わずに全員帰りました」と言われました。推測ですけれども、親鸞会は「伝統教団の浄土真宗の教えを信じていても救われない」と公言している団体ですから、私に「救われました」と言い切られて困って何も言えなかったのでしょう。この時私は親鸞会との戦いはこれで終わったと思いました。私の人生の大きな出来事の一つであったと思います。これ以後親鸞会から、いやがらせも、手紙も一切ありません。逆に親鸞会をやめた方々とは親しくさせて頂いております。
現在教団では責任担当者(教学面、行政面)までが、「信心正因称名報恩」の意味さえ分からない、信心不決定(未決状、未安心)者の集団と成り果てていますが、(今に始まったことではなく、1981年以降)こんなことで、教団の発展振興の可能性は皆無なのであります。よくよく思慮しなければ成らないと思います。合掌

「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
 (2022,9,6)。



私はかれこれ50年ほど前から「信心正因称名報恩」義に反対する信楽氏岡氏の念仏論に、信前信後の念仏の違いの分からない、信心不決定(未決定、未安心)者の所論であると反対してきました。そしてそれを容認し、宗制宗法遵守義務放棄を公然と行う勧学寮および教団当局も同類であると批判してきました。
かねて私は自力念仏策励を主張する信楽氏が『教行証文類』「信巻」の「真実信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」(『浄土真宗聖典』P,245)とある所の「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」(真実信心必具名号、名号必不具願力信心)とある自力念仏否定の文をどう理解しているのかと疑問をもっていたのですが、はっきりした説明をみることはできませんでした。やっと先日氏の著『教行証文類講義』第五(法蔵館、2003)p、343に
《子供の「お母さん」という呼び声は、そのまま子供に対する、母のなのり声だというほかはありません。私がもうす御念仏の声もまた同じことで、私の声でありながら、それはそのまま、わたしに対する仏の名のりの声にほかなりません。
かくしてここで、「真実の信心はかならず名号を具す、とは真実の信心は、かならず、それ自身の必然として、称名念仏ともなうものである、ということをあらわしているわけです。そして次の「名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり」とは、ここでいう「かならずしも」とは、ここでは「必不具」と書いてありますが、これでは「かならず具せず」となるわけで、正しくは「不必具」と書くべきでしょう。そしてこの「かならずしも」の「しも」とは、打ち消し、反語の文章の中での部分否定を表す語で、称名念仏については、まことの信心を具すものと、具さないものがある、ということを意味します。ここでは信心の関係についての、基本的な教示が述べられています。》
とある文をみることができ、信楽氏の意を知ることができました。
要するに信楽氏は親鸞聖人が「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」と述べられた、信心を具足していない念仏(自力念仏、信前念仏)の価値を否定しています文の意をを、信楽氏は誤り、「子供と母の譬え」で自力念仏、信前念仏を肯定しているのです。ここに信楽氏の大変な誤りがあるのです。これもすべて同様に信心正因称名報恩義を否定し、信の有無に関係なく称える念仏は全て大行であると主張した岡氏同様、宗教体験(救済体験、獲信体験)のない所から生じた謬見と言うことになりましょう。
長い間、こういう謬見にふりまわされ、宗制宗法遵守義務放棄を続けた教団の信心不在体質の早急の抜本的改善を念願致します。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」追加~㉟
e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm

信楽氏(1926―2014)の没直後に出版された氏の著『親鸞の真宗か 蓮如の真宗か』(方文堂出版、2014,12)p、16に
《親鸞が「信文類」で、「真実の信心は必ず名号を具す」と言うのは、真実の信心は称名を必ず具しているのだ、お念仏を称えるということなくして、真実の信心はないということを親鸞はきちっと言っているのです。『歎異抄』第一条の「念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」といふことも、そんなことはありません。信心なくして摂取不捨の利益はいただけませんよ。そしてまた、
念仏を称えることなしに信心はありません。『歎異抄』が間違っている。唯円が分かっていないのです。お念仏申そうと思い立つ心のところで、摂取不捨の利益はいただけません。たしかにお念仏申して、その念仏が信心体験となってこそ、真宗における仏の救いが成立するのです。お念仏を申そうと、思い立つ心のところで、何で救いが成り立ちますか。親鸞は『末灯抄』に、信を離れたる行はなし、行を離れたる信はなし。 と明確に言っております。先の文もその通りです。「真実の信心は必ず称名を具す」のですよ。しかし、「称名は必ずしも願力の信心を具せず」。真宗を学んで、ナンマンダブツ、ナンマンダブツと言って称名していても、信心のない称名がある、親鸞はそれをきっちり批判している。「真実信心は必ず称名を具す。しかし、称名は必ずしも願力の信心を具せざるなり」。これが真宗の信心領解の基本です。》
とあります。
昨日述べましたように、信楽氏は「信巻」の「称名(名号)は必ずしも願力の信心を具せざるなり」の意味を誤り、信心不具足の念仏(自力念仏)を廃捨するのでなく策励の意味に解したのであります。ここに氏の念仏論の根本的誤りがあり、信心正因称名報恩義反対という謬解となったのであります。氏はしきりと信体験を強調するのでありますが、こういう謬解が生ずると言うことは、氏自身が信前信後の念仏の違いの分からない救済体験(獲信体験)がない人であったからだと考えます。
因みに氏は「定散自力の称名は 果遂のちかひに帰してこそ おしえざれども自然に 真如の門に通入する」(『浄土真宗聖典』P,568)の文により、自力念仏の策励を強調するのであるが、これに賛成しがたいことは既に述べました。(拙著『親鸞聖人の念仏論』<永田文昌堂、2018,6。P,239.)。
 信楽氏は『正像末和讃』の「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」(『浄土真宗聖典』P,607)の意味が全く分かってなかった人と思われます。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続⑥近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku62.html  (2017,6,15~2017,6,21記)   
 
「宗祖における信心と念仏」〈龍谷教学十三、昭和五十三年六月http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html
「宗祖における信心と念仏(二)」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syuuso2.html
 (2022,9,29)。 




紅楳英顕 和上「派外からの異説とは?」~親鸞会との論争~https://www.youtube.com/watch?v=5WW5WunWC4s
(2022,9,30)。

この企画の内容が https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/.../09/30/044153... に細かく説明されています。合掌

【特別企画】「桜嵐坊の仏教部屋」のYouTube19分~21分にありますように、親鸞会問題についての本願寺の見解を示すための解説書が、勧学寮頭と伝道院長の監修の下で出版されることになり私も委員の一人となりました。そして1982(昭和57)年12月に解説書が出版されました。それが私以外のメンバーによる『現代の教学問題ー派外からの論義についてー』と私の『派外からの異説について』であります。ところが、どういうわけか奇妙なことに、私の書いたものだけが別冊となっており、しかも勧学寮頭、伝道院長の監修にもなっていなかったのであります。親鸞会の質問が長引いて終わらない場合は,私一人の責任にするつもりだったのでありましょうか?。(ここに見えます親鸞会発行の『本願寺なぜ答えぬ』浄土真宗親鸞会発行、昭和59<1984>年三月、二六八頁、の勧学寮頭の返信にその意がみられる。)。親鸞会問題は教団として対応したのですから、論文を書いたのは私ではありますが、教団の問題でありますから勧学寮頭のこの姿勢は極めて無責任だと思います。
信楽氏岡氏の宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義反対について「異義断定保留」、「疑義断定保留」として、何もしなかったのが1981(昭和56)年のことであり、同じ勧学寮頭であったのですが、果たして信心決定の人であったのかと甚だ疑問に感ずるのであります。 
合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続㉟近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html (2022、9,6記)。    
     (2022,10,1)。



(承前)信楽氏は遺著『親鸞はどこいるのか』(法蔵館、2015,10)にも「信心正因称名報恩」を批判し続けていますが、そのなかで、「信心正因称名報恩」義は覚如上人が西山浄土宗、及びその関係の『安心決定鈔』(『浄土真宗聖典』P,1383)の影響をうけて、主張したものだと述べています。
しかし、これには賛成しかねます。『安心決定鈔』の著者が西山系の人だろうとは思いますが、それには「称名報恩」の言葉も思想も見られません。
それから西山浄土宗では「即便往生」(三心具足時の現世往生)と「当得往生(臨終の浄土往生)の二種の往生を語り、正因(三心)正行(信後の諸行開会論による諸行の実践)を説きます。信後の正行として、もしかすると報恩の行として念仏を語る部分があるかも知れませんが、それは上品往生をするためであり、浄土真宗でいう報恩行、往生即成仏決定後の、所謂無償の報恩行とは全く異なるものであります。
それから信楽氏は唯円が西山浄土宗の影響を受けたと述べていますが、これには根拠があるのでしょうか。『歎異抄』第14(『浄土真宗聖典』P,845)に「称名報恩」義があり、従覚師の『慕帰絵詞』巻三の三(真聖全3の780)に、正応元(1288)年、覚如上人が19才の時、河和田の唯円に会い、日頃不審の法門について語った、とありますので、この時「信心正因称名報恩」についても語られたことと思われます。
「信心正因称名報恩」義を否定した信楽氏岡氏等は信前の念仏(カラ念仏<僧侶であるなら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いが分からない人であったのです。念仏の声がなくなったから、念仏を称えることが大事だと信前念仏を勧めることは結構なことのように見えますが、そこで報恩念仏を否定することはとんでもない間違いであります。報恩念仏を否定することは、御自分が信心決定し、現生正定聚の身になっていないことであり、報恩念仏の実感のない人なのであります。この人達に何の裁きもせず、寧ろ新しい教学の樹立者ように考えて、庇い優遇してきた、勧学寮、本願寺責任担当者も現生正定聚の身になっていない、報恩念仏の実感のない人達であると思います。最近とくに、信楽氏等の影響のためか獲信のための信前念仏策励者がふえる傾向にありますが、この人達も同類だと思います。
しかし、何度も申しますが、私は信前念仏を禁止する意見の者ではありません。未だ仏恩報ずる心、報恩念仏の実感がなくても、浄土真宗のお流れを頂く者なら、それぞれに仏恩報ずる思いで念仏することが大事なことと思います。合掌

信楽氏岡氏等の信心正因称名報恩を否定した人達は救済体験(獲信体験)のない、現生正定聚、報恩念仏の実感のない人達であったのです。またそれが現代に相応するように思って、彼等を庇い優遇し、宗制宗法遵守義務を放棄した現在の勧学寮、教団当局も同類であろうと思います。早急な抜本的改善を念願致します。合掌
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  (2022,10,6)。



大体、真宗学において学問と信仰を別と考えるのは根本的に誤りだと考えます。自分の信心の道(自信教人信)と無関係な真宗学は全く無意味であると思います。
何度も申しましたが、1971(昭和46)年に当時龍谷大学の真宗学の現職教員であった信楽氏、岡氏が中心となって、教団改革運動をはじめ、現代教学樹立ということで、当時から教団の宗制に定められていました(現代も同じ)「信心正因称名報恩」義が親鸞聖人の教えと異なるものであり、間違いであると主張したのであります。これは間違いであると私やその他の人も反対の意見を出し、本願寺派の宗会で問題となり勧学寮に説明が求められたのであります。ところが当時の勧学寮頭(K氏)は信楽氏に対しては「異義断定保留」、岡氏に対しては「疑義断定保留」(1981<昭和56>年)としただけで、その後何もせず、何故かむしろ庇い続けたのであります。 そして2014(平成26)年には新宗法に、宗制教義(信心正因称名報恩)に反する主張をしたものには勧学寮は教諭する、と言う条項が定められました。この時岡氏は他界していましたが、信楽氏は存命でありました。しかし、勧学寮から何もなされることはありませんでした。
信楽氏も岡氏も信前の念仏(カラ念仏<僧侶であるなら営業念仏>、自力念仏<真門、要門>)と信後の念仏(他力念仏<弘願>、報恩念仏)の違いの分からない、救済体験(獲信体験)のない信心不決定(未決定、未安心)の人であったのです。岡氏は『教行証文類』「行巻」「出体出願」の「大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり」(『浄土真宗聖典』P,141)とある大行が信の有無に関わらず、大行であると主張するものであり、獲信体験(信心決定)のない人であることは明白なことでありました。信楽氏の場合は岡氏に比べれば少し複雑でありますが、決定的な誤りは氏も岡氏同様、獲信体験(信心決定)のない人であるゆえに『教行証文類』「信巻本」「三一問答、法義釈、三信結嘆」の「真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」(『浄土真宗聖典』P,234)の「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」の意を誤り、信心不具足の自力念仏(真門、要門)を誡めている文を、逆にそれを勧め策励の意味に解して獲信のための信前自力念仏を強調し、称名報恩義を反対したのであります。これも所詮は信前信後の念仏の違いの分からない、獲信体験(信心決定)のない所から生じた謬見なのであります。
これにつて何の裁きもせず、むしろ庇い、宗制宗法遵守義務放棄を公然と行い続ける勧学寮も1981(昭和56)以降は信心不決定(未決定、未安心)者の集団と言っても過言ではなかろうと思います。
ついでに申しておきますが、前に述べました「庄松ありのままの記」の改竄断章に該当する人は完全な信心不決定(未決定、未安心)の人達だと思います。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html
「続㉟近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html

(K氏)
1980年までは勧学寮にも信心決定した人がいたのですか?合掌

(紅楳)
1981年に信楽氏岡氏に対し、何の処置もしなかった桐渓氏の前の勧学寮頭は大原氏でありました。その岡氏が 『宗教12月特大号、特集、真宗安心の問題、大原性実和上の生涯』(教育新潮社、昭和54<1979>年、p、94以下)に「大原先生に教えをうけて」と題する小論を載せています。信楽氏、岡氏の信心正因称名報恩批判が問題になった時の勧学寮頭が大原氏でありました。大原氏は信楽氏、岡氏の師でもありました。岡氏はその小論の中に、自分は大原氏にお宅に呼ばれ氏から「道を間違えている以上、自分は勧学寮頭として君たちをさばかねばならない。そう言って、私の手を握られた。申しわけありませんと言う言葉さえ発することができず、ただ黙しておいとまをこうた。」(p、99)と記しています。文中の「君たち」とは信楽氏、岡氏の事でありますが、この時から間もなく大原氏は急逝されたのであります。(昭和54年<1979>4月)

《「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html (2015,4,5記等)》

上の岡氏の記述にありますように、桐渓氏の前の勧学寮頭であった大原氏は信楽氏岡氏に対して何らかの処置をするつもりであったことは確かなことであります。大原氏は信心決定の人であったと思います。大原氏の前の勧学寮頭は大江氏でありました。それ以前の方のことは直接講義を拝聴したこともありませんので、何とも言えませんが大江氏、大原氏は信心決定の人であったと思います。
前に述べましたが桐渓氏は「庄松ありのままの記」の改竄断章の人でありました。この種の人は信心決定の人とは到底考えることは出来ません。これはI勧学に強力に引き継がれ、現勧学寮頭にも継承されています。合掌
「続④近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku4.html
(2016、9,16~2016、9,17記)。
続⑤近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html
(2017,2,11記)。
「続⑳近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku201.html
(2020,10,5記)。
「続㉕近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku25.html
(2021,5,9~2021,5,18記)。
  (2022,10,18)。



『紅楳英顕 和上「派外からの異説とは?」~親鸞会との論争~(2022,9,28)』


親鸞会のネットに、下記のことが書かれていることを思い出しました。これは私が相愛大学に勤めていました2005(平成17)年の夏のことであったと思います。大学の市民仏教講座に来ておられた女性が、自分の息子(大学生)が親鸞会に入っているから話をして欲しい、ということでありましたので、彼に話をしたときのことだと思います。

《いつの間にやら本願に対する疑心(疑情)が無くなるという紅楳英顕氏

紅楳英顕氏は「いつの間にやら、疑いが無くなるということもあるでしょうね。自分は、もう疑いはないね」とのこと。
「もう、阿弥陀仏の本願に疑いはないのですね」と聞くと、
「私は、もう疑いの心は出ないだろうね」
と、なんとも曖昧な答えでした。
この紅楳英顕氏の発言そのものが、未だ救われていない自力の信心の証ではないでしょうか。他力の信心は、あっという間もない一念に「弥陀の本願に、疑心有ることなし」と微塵の疑いもなくなった世界ですから、こんな言葉は出ようがないと思います。》

彼は疑いがなくなったとき(信一念)は必ずわかると思いこんでいたのでしょう。そう親鸞会で教えられていたのでしょう。つまり信心を得たときが必ず分からねばならないと教え込まれていたのでしょう。これは一念覚知と言われる間違いであります。この点について、この度お話下さった添谷氏は(2022,10,23)「必ず覚えていなければならないとは言わない。」と言われていましたので、それならそれで結構だと思います。
入信のパターンには突然的回心と漸次的回心の二つがあると言われます。私自身は突然的パターンだと思っています。しかし漸次的パターンもあると思います。このことについては『伝道院紀要19』http://e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.htmlに書きましたし、拙著『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂、2018,6)。序論 第一章 p、3。 第三章 浄土真宗の回心について P、20以下、に述べています。 合掌
 (2022,10,26)。



先日(9月28日)のhttps://www.youtube.com/watch?v=5WW5WunWC4s の中で述べましたように、40年程前(1982<昭和57>年頃)、本願寺を盛んに攻撃しました親鸞会のビラに「親鸞会は本願寺を無安心の集団 だと申しています」と書かれていました。こう書かれても仕方のない反省すべき部分が本願寺にあった、今もあると思います。
何度か申しましたが当時龍谷大学の真宗学の教授であった信楽氏岡氏、その他の真宗学の教員が中心となり、教団改革運動を始めたのが1971<昭和46>年のことでありました。その時現代教学樹立の名の下で主張されたのが、本願寺派の宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義反対であったのです。
教団の改革という点については種々考えるべきことがあることは当然のことでありますが、「信心正因称名報恩」義反対については、私は賛成しかねるものでありました。これは単に学説の相異というレベルの問題ではないのであります。両者とも信前の念仏(カラ念仏<僧侶であるなら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、獲信体験(救済体験)のない人であると思ったからであります。すでに何度か申しましたが、岡氏は『教行証文類』「行巻」出体釈の「大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。」(『浄土真宗聖典』P,141)、とある大行が信心の有無に関係なく大行であり、カラ念仏やオームの念仏でも大行であるとしました。信楽氏は『教行証文類』「信巻」三信結嘆の「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。(『浄土真宗聖典』P,245)、とある自力念仏誡めの意味を誤り、全く逆の自力念仏策励の意味に解しているのであります。こういう全くの初歩的な間違いを起こすと言うことは、両者が獲信体験(救済体験)のなかった人であったからに他ならないと思います。是に加えてこのような甚だしい謬見者である両氏に対して、1981<昭和56>年に「異義断定保留、疑義断定保留」として、何の教諭も処置もしなかった勧学寮頭も獲信体験(救済体験)のなかった人であったと言っても過言ではないと思います。(この寮頭は「庄松ありのままの記」の改竄断章者の一人である)。この頃私はこの寮頭に「信楽氏や岡氏は無安心者ではないのでしょうか。」と尋ねたことがあります。この時この寮頭は「人を異安心ということは出来るが、無安心ということは出来ない」、「信は不覚」といっていました。(この点につては、前に述べましたが1982年に総局の意により当時の勧学寮頭と伝道院長との監修によりこの問題についての解説書が作られることに成り、会合がもたれました。その時私もメンバーの一人でありました。その時私の論文《「一念覚知説の研究ー 高森親鸞会の主張とその問題点ー  《http://e-kobai424.sakura.ne.jp/icinenkakuchi.htm》の中に引用していた鮮妙師の『意業非意業之論』「年月を知るも障とせず、知らざるも亦功とせず、覚もよし、覚ぬもよし、共に仏智に信順するを以て当流安心の正義とす」、とある言葉いついて、勧学寮頭は、鮮妙師の言葉を否定していました。信は不覚であると考えていたのでありましょう。) これにも賛成しかねます。蓮如上人の言葉に「無安心」と言う語はないようですが、「未安心」と言う言葉は『御文書』3の9(『浄土真宗聖典』P,1150<2カ所>)、『御文章』4の7(『浄土真宗聖典』P,1174)にありますので、「無安心」と言えないことはないと思いますし、この言葉は使えないことはなかろうと思います。
何度も申しますように今や教団は責任担当者が「信心正因称名報恩」義の意味さえ分からない信心教義につての宗制宗法遵守義務放棄者の集団(かって親鸞会も言った無安心者の集団)となり果てているのであります。これは今問題となっているカルトでない正常な教団ならば、賦課金納付義務放棄にまさる大過であるはずであります。こんなことで教団の発展振興は到底望むべくもなかろうと深く憂慮する次第であります。合掌
「近年の本願寺派教学派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続㉟近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html(2022,9,6記)
   (2022,11,6)。



『正信偈』に「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」とありますように、親鸞聖人御自身が明らかに「信心正因称名報恩」義を述べられているのであります。これを覚如上人や蓮如上人が言い始めたと言うこと自体が誤りなのであります。
これは信楽氏、岡氏が獲信体験(救済体験)が無かったところから始まったことだと思います。それで岡氏は『教行証文類』「行巻」出体釈の「大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。」(『浄土真宗聖典』P,141)、とある大行が信心の有無に関係なく大行であり、カラ念仏やオームの念仏でも大行であるとしました。信楽氏は『教行証文類』「信巻」三信結嘆の「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。(『浄土真宗聖典』P,245)、とある自力念仏誡めの意味を誤り、全く逆の自力念仏策励の意味に解しているのであります。こういう全く幼稚な間違いを起こしているのであります。
岡氏が獲信体験(救済体験)のなかった人であったことは著書の諸所にみえることでありますが、「一宗学徒の惑い」<真宗学第41、42合併号、昭和45年・1970年>が最もそれを示すものでありましょう。信楽氏は七高僧における念仏の展開、法然上人の念仏においても真門念仏を別開された親鸞聖人の他力回向の念仏の意を理解できず、称名→ 聞名→ 信心と言う勝手な論を立て、信前自力念仏の策励をしたのであります。
信楽氏は遺著『親鸞はどこにいるか』(法蔵館、2015,10)等に「信心開発のために、称名念仏を策励することについて、勧学寮からもってのほかと言われた」と述べていますが、1981年より前の勧学寮頭なら、当然注意をしたことでありましょう。それから信楽氏は自分自身が救済体験者(獲信体験者)のように言っていますが、「信心正因称名報恩」の意味や、『教行証文類』「信巻」三信結嘆の「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。(『浄土真宗聖典』P,245)、とある自力念仏誡めの意味が分からないようでは、到底浄土真宗の救済体験者(獲信体験者)と考えることは出来かねます。
それから、自分の関わったことでありますので、申しにくいことでありますが親鸞会問題につきましても、1981年時の勧学寮頭の対応処置については疑問を感じております。
要するに教団の責任担当者(教学面、行政面)が信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り果て、信心教義についての宗制宗法遵守義務放棄が公然とまかり通るようでは、教団の発展振興はあり得ないことであります。早急の抜本的改善を念願する次第であります。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続㉟近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html
   (2022,11,10)。



近年の本願寺派教団においては教学責任担当者が信心正因称名報恩の意味も分からない救済体験(獲信体験)のない信心不決定者の集団と成り果てていることはかねて述べてきましたが、それに加えてこれもかねて述べていますように教学責任担当者の中に妙好人『庄松ありのまま記』の内容を改竄断章して、十劫安心、無帰命安心の邪義を主張する謬見が多々みられるのであります。
聞く所によると『庄松ありのまま記』の中には、庄松が興正派の御門主の「そなたは信をいただいたか?」の質問に対し「へえ、いただきました。」とある部分が存在しない記録があるとのことであります。しかし私はその記録は信頼に値しないものと考えます。
私の手元にある『庄松ありのままの記』(大正12年、永田文章堂、p、47)、また近年龍谷大学が出版した『妙好人における死生観と超越』(2012,龍谷大学人間・科学・オープン・リサーチセンター、p、21)にも「へえ、いただきました。」という語がはっきり出ているのであります。
これによって『庄松ありのまま記』の内容を改竄断章して、十劫安心、無帰命安心を主張することが、全くの謬見であり邪義であることは明らかであります。
一刻も早くこのような、教学責任担当者までが、救済体験(獲信体験)のない信心不決定者の集団と成り果てた、教団の信心不在体質の抜本的改善を念願する次第であります。 合掌
「近年の本願寺派教学の想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html
「続⑬近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku13.html
「続㉕近年の本願寺派教学派に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku25.html
「続㉟近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html
  (2022,11,21)。



『歎異抄』「後序」の終わりに唯円は「かなしきかなや、さいはひに念仏しながら、直に報土に生まれずして、辺地に宿をとらんこと。一室の行者のなかに、信心異なること、なからんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。なづけて『歎異抄』というべし。(『浄土真宗聖典』P,854)と書き記しています。
何度も繰り返し述べましたが、教団の現状は責任担当者(教学面、行政面)までが、宗制教義に定められた「信心正因、称名報恩」の意味も分からない、信前の念仏(カラ念仏<僧侶なら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いが分からない、信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り、宗制宗法遵守義務、公然放棄の集団と成り果てていることを、さぞ慨嘆していることであろうと思われます。(因みに唯円は『歎異抄』14<『浄土真宗聖典』P,845>に「信心正因称名報恩」義を述べています。)。 
このことは『教行証文類』「化土巻」に「悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雜し、定散心雜するがゆえに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。誠に傷磋すべし、深く悲歎すべし。(『浄土真宗聖典』P,412)と、あります親鸞聖人の御悲歎に通ずるものであろうと想います。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm(追、続~続㉟))
  (2022,12,20)



『本願寺新報』(2022,12,20)の6面に「特集 御正忌報恩講と改悔批判」と大きく見出しがあり、毎年の御正忌報恩講において執り行われる「改悔批判」について詳しい説明がなされ、担当勧学(与奪者)が御門主様に代わって安心の判定をする重要な儀式であることが述べられています。そして最後に「ぜひ、来春には皆さんそろって御正忌報恩講の改悔批判の座に列席し、ご安心の判定を受けてください。」、と書かれています。
「改悔批判」では「領解文」が唱和されますが、そこには「たのむ一念の時、往生一定御たすけ治定と存じ、このうえの称名は御恩報謝と存じよろこび申し候」(『浄土真宗聖典』P,1227)と「信心正因称名報恩」義が述べられています。
何度も述べましたように、現勧学寮は宗制教義に定められた「信心正因称名報恩」義を護ろうともせず、またそれに反する者をとり締まろうともしない「宗制宗法遵守義務放棄者」の信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り果てているのであります。こんな人達に与奪者の資格があるのでしょうか。これは前にも述べたことでありますが、《続㉒http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku22.html (2021,115)以下》門信徒の皆さんに対する極めて甚大な背信行為であります。親鸞聖人も蓮如上人も深く慨嘆されていることと思います。教団の信心不在体質の早急の改善が必要と思われます。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm (追加、続~続㉟)
  (2022,12,21)。




宗制に定められていた「信心正因称名報恩」義に反対した信楽氏岡氏を何故かあくまでも庇い、宗制宗法遵守義務放棄を公然と行ったのが1981年、2012年以降の勧学寮でありました。これは教団を信心不在にしてしまう大変な誤りであったと私は思います。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm(最初~㉟)           (2023,1,9)。



ある教団を憂う方から次のメッセージを頂きました。「御本山や御門主というのは、御文章・領解文の御法義を守護していくところに、凡庸な門主でも盛り立てていく意味があるのである。
御門主そのものが異安心の根源となって、周りの偉い人たちは捻れた理屈でフォローするだけというのは、末期症状で自滅の道を歩んでいっているということですね。
御本山や御門主というのは、御文章・領解文の御法義を守護していくところに、凡庸な門主でも盛り立てていく意味があるのである。
御門主そのものが異安心の根源となって、周りの偉い人たちは捻れた理屈でフォローするだけというのは、末期症状で自滅の道を歩んでいっているということですね。」
私(紅楳)は返信しました。「御門主の教育係、および、御消息として出されたものですから、勧学寮の責任が問われるべきだと思います」。

何度も申しますように、現勧学寮は「信心正因称名報恩」の意味すら分からない、信心不決定(未決定、未安心)者の集団であり、宗制宗法遵守義務放棄者の集団であります。この際、しっかり責任を問うべきだと思います。 合掌 「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm (最初~㉟)》

ついでに申しておきますが、御門主が龍谷大学大学院真宗学専攻に入学された時の指導教授は、「信心正因称名報恩」を否定した、信楽氏や岡氏と一緒に教団改革運動をした一人でありました。合掌
  (2023,1,20)

 
【桜嵐坊の 仏教 部屋 】様より「親鸞様はハッキリしていた」が出されました。https://www.youtube.com/watch?v=BtbWpIc0gfA...

「近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続⑤近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html
「続㉕「近年の本願寺派教学の想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku25.html
「続㉟近年の本願寺派教学派に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html

「一念覚知説」は本願寺派教団の三業惑乱騒動(1806年終結)の折り、生じた異義であります。内容理解が曖昧で不統一な所がありますが、「信心を獲た時が何時であったかを覚えているのは間違いである、と言うのではなく、信心を獲た時が何時であったかを必ず覚えていなければならない」ということでありました。(拙著『親鸞聖人の念仏論』<永田文昌堂、2018,4。p、11以下、一念覚知と無帰命安心、浄土真宗における回心について>)。尚、この問題について書いた一番最近の論文は「浄土真宗本願寺派における一念覚知説と生涯不決定説」<単>宗教研究95巻別冊、(R,4<2022>3)。です。e-kobai424.sakura.ne.jp/ichinennkakuchishogaifukettujyo.html 合掌. 「続㉙ 近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.e.jp/zoku29.html 所収。
  (2023,2,6)。




【桜嵐坊の 仏教 部屋 】様より「一念帰命は生きていた」が出されました。

https://www.youtube.com/watch?v=mfzj4RgN-iE

「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html
「続⑤近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html
「続⑥近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku62.html
「続㉟近年の本願寺派教学に想う]http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html35.html

上記 【桜嵐坊の 仏教 部屋 】の終わりの方にありました「信心の不覚」が、教団の教学責任担当者の間でも多数派であることが、現教団の最も憂慮すべき問題だと思います。
そして、このことが「信心正因称名報恩」の意味も分からず、信心教義についての宗制宗法遵守義務放棄という、賦課金納付義務放棄にまさる大罪の原因になっていると考えます。合掌
 (2023,2,14)。



今日(2月16日)勧学寮で、新領解文について生じた問題で辞表を提出した徳永寮頭について司教会がありました。(on line.
私はこの問題はかっての三業惑乱以上の大問題であり、徳永氏一人の辞任ですむことではない,信心不在の勧学寮の問題であると意見を述べました。
度々申しましたように、現勧学寮は宗制(教義 信心正因称名報恩)、宗法(勧学寮は宗制教義に反する主張を教諭する)を遵守しようとしない、宗制宗法遵守義務放棄の信心不在の集団であります。これは徳永氏一人の問題ではありません。勧学寮全体の問題であります。
周知のように教団は前途多難であります。伝わる伝道と盛んに言いますが、「自信教人信」でなければ、ならないのであります。「信心決定」が抜けてならないのであります。信心教義の責任担当の勧学寮が宗制宗法遵守義務放棄の信心不在の集団であっては、教団の発展振興の可能性は皆無と言って過言ではなかろうと思います。
以上の想いから、私はこの度の問題は徳永氏一人の辞任で済むことではない。信心不在と成り果てた、勧学寮そのものを解散すべきである。将来のことは、その上でじっくり考えるべきである。と意見を述べました。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
 (最初~35)
http://trueshinbuddhism.blogspot.com/.../why-shin-sangha...
「続㉜近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku32.html
 (2022,4、3記)
  (2023,2,18)。



上述のhttps://www.youtube.com/watch?v=mfzj4RgN-iE
の終わりに出ています表(25分頃)の「大瀛師 道隠師より後の説   覚不覚を論ずるな  ハッキリした自覚はない傾向が多数。」とあります所の【ハッキリした自覚はない傾向が多数。】とありますのが、現在の状況であり、勧学寮の現状なのであります。
これは親鸞聖人、蓮如上人と異なるものであり、また御裁断御書とも異なるものであります。すなわち異義者、信心不決定(未決定、未安心>者の集団ということになるのであります。
上に述べました領解文の「往生一定御たすけ治定と存ずる」ことが「一念覚知の異安心だ」という最近の故勧学の見解が勧学寮の信心不在体質を物語っています。
これが近年(とくに1981年以降)の勧学寮の信心不在の現状であります。
この度の新領解文問題は勧学寮頭の辞任だけで済まされる問題ではありません。(宗法に、消息の発布は、あらかじめ勧学寮の同意を経なければならない、<宗法2月号、2023、浄土真宗本願寺派、p、14>、とある。)
信心不在の組織と成り果てた、勧学寮を解体閉鎖すべきだと思います。それ以外には真宗復興再生の道はなかろうと思います。 合掌
 (2023,3,3)。



この度の新領解文についての問題は、勧学寮が宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」の意味さえ分からない信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り果て、さらに宗法第59条3の,「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」にも反する「宗制宗法遵守義務放棄」の集団であることであります。これは信心を大事にする正常な教団であるならば賦課金納付義務放棄にまさる大過者集団ということになりましょう。
この「宗制宗法遵守義務放棄」の大過者集団に対し、長年に亘り、何の意見も警告もしなかったのが総局であったのであります。
一番悪いのは教学責任担当でありながら「信心正因称名報恩」の意味さえ分からない、信前の念仏(自力念仏、カラ念仏<僧侶であるなら営業念仏>)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない勧学寮ではありますが、その勧学寮に長年に亘り、何の意見も警告もしなかった総局の過も極めて重いと思います。この際長年継続の教団の信心不在体質の抜本的改善が必要だと思います。  合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm(最初~㉟)
  (2023,3,13)。



何度も述べましたがこの度の「新領解文問題」の一番の責任は教団当局ではなく、信心教義責任担当の勧学寮にあると私は考えます。
近年勧学寮は「聖教に基づいて宗意安心を護ること」(勧学司教 有志の会の声明の中にある語)を全く怠って来ました。
1981年には宗制 教義に定められている「信心正因称名報恩」義に反対した信楽氏岡氏に対して何の処置もせず、さらに2012年以降は宗制教義に反する意見を述べるものには勧学寮は教諭する、と宗法が定められながらも勧学寮は何もしなかったのであります。すなわち信心不在の宗制宗法遵守義務放棄集団と成り果てているのであります。
この度、浄土真宗本願寺派 勧学司教 有志の会 から 「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え) に対する声明(一)(二)が出されました。
(二)の終わりの方に、「聖教に基づいて宗意安心を護ることこそがご門主様を護り、全国の門信徒の念仏の日を護ることである。」と述べられています。
まことに結構な声明でありますが、それならばもっと早く、勧学寮が信心教義についての宗制宗法遵守義務放棄という賦課金納付義務放棄にまさる大過を公然と行い始めた頃(2012)には声明を出して欲しかったと思います。  合掌
「続⑫近年の本願寺派教学派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku12.html
「続⑬近年の本願寺派教学派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku13.html
 (2023,4,9)。



本日『本願寺新報』(4月20日)を手にし、新勧学寮頭の就任を知りました。まさに前途多難と思われます。そうでなくても教団は諸問題が山積し、それに加え目下の「新領解文問題」はどう落ち着くやら、全く不明の混乱状態であります。
しかし浄土真宗は不滅の真理であります。正しく伝えられて行くならば、間違いなく多くの人々の真実の救済となることと私は思っています。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
  (最初~㉟)。  http://e-kobai424.sakura.ne.jp/
 (2023,4,17)。




100年前(1923年)、立教開宗700年 (立教開宗法要はこの時が最初)に作られました「真宗宗歌」は大変良い歌だと思います。合掌

1,「ふかきみ法にあいまつる 身の幸なににたとうべき」
2,「とわの闇よりすくわれし 身の幸なににくらぶべき」
本当に良い言葉だと思います。
現在の本願寺派教団の責任ある立場の方々が、この言葉の意味が分かっている方々(信心決定の方々)であったなら、今のような騒動はなかったことでありましょう。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
(最初~㉟)
 (2023,5,5)。



残念な事ですが、近年は勧学寮の中でも「信心正因称名報恩」の意味が分からず、「宗制宗法遵守義務放棄」が公然とまかり通っている信心不在が現状であります。
目下の「新領解文問題」で「勧学、司教有志の会」から意見が出されてはおりますが、勧学寮の犯し続けてきた「宗制教義無視」(1981年以降)、宗制宗法遵守義務放棄(2012年以降)の、カルトでない正常な宗教教団なら賦課金納付義務放棄にまさる大過についてはどう考えておられるかの、ご説明を頂きたいと思います。
それから「法義示談」中止、ということのようですが、事情は知りませんが結構なことと思います。「信心正因称名報恩」の意味も分からない、宗制宗法遵守義務放棄者でもある信心不決定(未決定、未安心)者が担当するのであれば、無意味なことでありましょう。合掌「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm (最初~㉟)。
  (2023,5,19)。


昨日(5,23)勧学、司教、有志の会記者会見(https://www.youtube.com/watch?v=P5Q3UMmfiJs)を拝見致しました。
勧学寮(寮員)の全員が賛成した訳ではなかったのを、総局が一方的に勧学寮(寮員)が賛成したことにした、と説明がありました。これは重要な点でありますが、いずれはっきりすることでありましょう。
勧学寮が「信心正因称名報恩」の意味すら分からない、宗制宗法遵守義務放棄の信心不決定(未決成、未安心)者の集団である信心不在の教団体質のままで、果たして慶讃法要の意味があるのであろうか、と私は懸念し続けておりました。騒動混乱が生じました。
繰り返し申しますが、この問題の一番の責任は、宗制宗法遵守義務放棄の信心不在の勧学寮にあると思います。これは勧学、司教、有志の会の方々も同類であります。 合掌
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「続㉟近年の本願寺派教学に思う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku35.html
 (2023,5,24)。



近年の勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄は大変な大過でありますが、「庄松ありのままの記」の誤読(改竄断章)も大過であったと思います。合掌
「続㉕近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku25.html
(2023,7,28)。

安心問題の勧学寮回答 信楽氏が”反省“(『中外日報』昭和56年3月17日)

竜谷大学の信楽峻麿教授(真宗学・本派僧侶)が説く宗意安心についての異議の有無を調査してきた勧学寮(桐渓順忍寮頭)は、昨年7月9日、豊原総局に回答を出していたが、今定宗でその回答書が議員に配布された。要旨は次の通り。

 『回答』

「昨年二月二十六日付をもってご照会のあった信楽峻麿氏の件については、同年九月十二日付文書をもって同氏の著書論文の中から、疑義ありと思考される主要な文を挙げて中間報告をいたした。
しかるに、その後同氏が米国留学から帰ったので、直接同氏に会い、疑義の諸点について種々話し合って同氏の真意を確かめたところ同氏は真宗教学についての自己の立場を弁明すると共に、その論考と表現が充分でなかった点を反省して、今後は自誡する旨を述べ、別紙の文書を勧学寮に提出してまいった。
これによって、従来同氏が発表してきた著書論文などについての疑惑は解消したわけではないけれども、当寮としては、同氏の反省自誡するという意向を諒とし、現段階においては、同氏が異議を主張しているものと断定することを保留し、今後の同氏の教学活動を見守ることにしたい所存である」。

以上が勧学寮の回答である・・・・・(信楽氏の信心正因称名報恩義反対の件)

岡亮二教授に対する勧学寮回答〔全文〕(『中外日報』昭和56年10月16日)
「昨年九月十一日付の文書を以って御照会のありました和歌山教区和歌山組念誓寺住職岡亮二氏の件については、本年七月八日付の文書を以って同氏の諸論文の中から疑義ありと思考される部分を挙げて中間報告を致しました。しかしその後、同氏に会って幾度か話し合い、同氏の真意を確かめました結果別紙の文書を勧学寮宛てに届け出ました。当寮としては、同氏の意図するところをくみとって、今の時点では疑義ありと断定することを保留し、今後の同氏の論文発表などの教学活動を見守ることとしたいと考えるものであります」・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・(岡氏の信心正因称名報恩義反対の件)。
    (2023,12,31)

何度も申しましたように、この問題は総局にも責任はありますが、一番の責任は宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義の意味すら分からない、信心不決定(未決定、未安心)者の集団となり果てた勧学寮にあると思います。
現代教学樹立の名の下に宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」に反対したのが、当時龍谷大学の真宗学の教授であったO氏とS氏でありました。しかし、この二人は信前の念仏(カラ念仏<僧侶であるなら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、宗教体験(救済体験、獲信体験)のない、信心不決定(未決定、未安心)の人であったのです。詳細を述べれば切りのないことですが要点だけを申しますと、
O氏は著書や論文の諸所に、『教行信証』「行巻」出体の「大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり」(『浄土真宗聖典』P,141)とある大行は信の有無に関わらず大行であり、役者の念仏も幼児の念仏も皆大行であると言い、S氏は『教行信証』「信巻」三信結嘆の「真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり」(『浄土真宗聖典』P,245)とある、「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり」の意味を誤り、自力念仏誡めのこの文を自力念仏策励の意と解して、しきりに自力念仏の策励を勧めたのであります。
これは両氏が信心不決定者であるが故に生ずる全くの謬見と言えるでありましょう。
そしてこのような謬見者に何の指導も教諭も処置もしなかった勧学寮の責任は極めて重大だと思います。  合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http:www.e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
(最初~続㉟)。
河原博夫氏FBhttps://www.facebook.com/profile.php?id=100023433969341)   <2023111日~ 20231218日 >
紅楳英顕FB (https://www.facebook.com/eiken.kobai) < 2023116日~  20231218日 >
(2024,1,3)。


今年の年頭に「初慧日 真宗復興の兆しあり」と述べましたが、私は昨年からの「新領解文問題」の混乱が「真宗復興の兆し」と受け止めたいと思います。

信心教義の責任担当の勧学寮が、十劫の昔から救われていると考えて信心を軽視したり不要としたり無自覚とする十劫邪義(十劫安心、生涯不決定)や、信心をえるためや往生するために自力の念仏を勧める間違った考えや、「信心正因称名報恩」の意味さえ分からない、宗教体験(救済体験、獲信体験)のない方々の集団となっているのであります。
そのため宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義も否定する、宗制宗法遵守義務放棄の流れが横行し続けたのであります。
この様な状態の勧学寮でありますので、この度の新領解文発布に際し,間違いのない御助言ができるはずもなかったのであります。この事を全教団人はよく認識して教団の将来を皆でよく考えるべき時が来たのだと考えます。 合掌

(2024,1,5)。 


「続㊱近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku36.html に続く