(紅楳) 大変重要なことですが、今の勧学寮頭は三願転入を論ずることは全く無意味だと言っています。
『浄土文類聚鈔講讚』(平成16年7月発行、永田文昌堂、2〇7頁以下)。「 親鸞における回心について」(『真宗研究第四十一輯』(真宗連合学会、平成9年1月、97頁以下)。
(紅楳) 有り難うございました。しかし、勧学寮頭が宗制に定められた教義を否定するとは大事件です。 合掌 (2017,6,7 )
信楽峻麿氏の遺著『 親鸞はどこにいるのか』(2015年10月発行、法蔵館)が出版されています。最後まで宗制 教義に定められた「信心正因称名報恩」義に反対した人でありました(p、9.p、99等)。信前の念仏(20願の真門念仏)と信後の念仏(18願の他力念仏<報恩念仏>)の違いが分からないままであったのでありましょう。
氏ははじめに、に
今日では、過疎問題や社会構造の変化などで、地方の寺院も、都市の寺院も大きな岐路に直面しておりますが、教団当局は、いまもって何らの解決策を示しえず、自然淘汰にまかせているですが、これでは西本願寺の末寺は絶望的でしょう。いまこそ徹底した教団改革が必要でありましょう。
と述べています。この言葉そのものには私は全く賛成であります。しかし、これは1971年(昭和46)年に始められました教団改革運動と同じように、信楽氏等のような信前信後の念仏の違いの分からない、信心不決定(未決定)者の人達が指導者であっては、<われは物をもたずして人に物をとらすべきといふの心なり、人承引あるべからず(蓮如上人御一代記聞書193,『浄土真宗聖典(註釈版)』P,1261)>であり、逆効果になるだけでありましょう。
『正像末和讃』に「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,6○7)とありますが、信楽氏は生涯「真実信心の称名」が分からず、「自力の称念」に固執した人であったと思います。
「私が勧学寮によって弾劾された第二点は、私が、信心を開発するためには、 親鸞の教説を継承して、その日常生活において、日日の称名を策励すべきであると主張したことを取りあげて、真宗の常教は、信心正因、称名報恩であって、信心開発以前に、称名念仏を語るとは、もってのほかであるということでした」(『
親鸞はどこにいるのか』p、9)と述べています。この時の勧学寮頭が誰であったか分かりませんが(確実にいえることは、1981年<昭和56年>に異義断定保留として何もしなかった人とは別人だと思います)、寮頭は信楽氏の言う信心開発のための称名策励を「自力の称念」であるとして注意したのであり、信前の称名を全面的に禁止したのではないと思います。(私はこのことについて意見を述べたことがありますが、未信の人もその人なりに報恩の気持ちで念仏を称えるのが浄土真宗の念仏であると思っています。)所が信前信後の念仏の違いが分からない信心不決定(未決定)の信楽氏には、それ全く分からず、やたらと反発したのでありましょう。
それから信楽氏は「 親鸞が、行(称名)をはなれたる信(信心)はなしとききて候。又信(信心)はなれたる行(称名)なしとおぼしめすべし(『末灯鈔』真聖全2,672頁)と教示しているのをどう理解するのでしょうか。 親鸞は行信一如、称名をともなわない信心はなく、信心は必ず称名に即すると教言しているところです。(同上著、p、71)
と、しきりに述べますが、親鸞聖人のここで言われる行(称名)は「真実信心の称名」であり、信心不具足の「自力の称念」ではないのでありますが、信心不決定(未決定)の信楽氏には全く分からなかったのでありましょう。
それから信心を得たら変わると、この事も信楽氏はしきりに言います、確かにその通りです。現生十種の益の第八には「知恩報徳の益」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,251)、『正像末和讃』には「信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,6○6)とあります。変わることの大きな一つが、今まで仏恩を知らなかったものが、仏恩報ずる身となる、即ち報恩念仏を称える人となることです。称名報恩を否定する信楽氏は自らを信心不決定(未決定)者と告白しているに他ならないのです。
信楽氏は自分と同意見の本願寺派の宗学者は石泉僧叡(1762-1826)と七里恒順(1835-1900)と述べていますが、僧叡師も 恒順師も称名報恩義を否定するような謬論は述べていません。僧叡師は『本典述聞記』等に、真宗の念仏は「真実信心の称名」でなければならないことを述べ、所修の行体から言えば正定業、能修(行者)の用心から言えば報恩行と述べています。また恒順師は著書に『信因称報』があり、また『七里和上言行録』の諸所に信因称報義を述べているのであります。
教団の戦争協力問題は反省すべき所はあったと思います。しかし、自身の信心決定が一番大事なことであります。そのことが抜けたままでは、即ち報恩念仏の世界も分からないままでは、真諦の意味も分からず、いくら論じても正しい判断は出来ないと思います。念のために申しますが『教行信証』「化土卷」に「真諦・俗諦たがいによりて教を弘む。」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,418)と親鸞聖人も真諦・俗諦の語は使っています。
所で、宗法第59条3に 「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」 が施行されたのは2012年(平成24年)4月1日でありました。
信楽氏が最近の『真宗求道学』(2011年<平成23年>9月発行、法蔵館)の中でも信心正因称名報恩義を否定している(160頁)ことを知っていましたので、私は新宗法の下、信心正因称名報恩批判者に対し、早急に教諭し、永年に亘ったこの問題を解決することを、総局には2013年(平成25年)3月18日、勧学寮には同7月5日にお願いしたのです。しかし総局も勧学寮も一向に動こうとしませんでした。それで2014年(平成26年)1月27日、この件について監正局に書類を送りましたが、2014年(平成26年)3月24日に返却してきました。それで同年4月1日、再度、監正局に出しました。監正局から4月7日に、今度は書類不備とまた返却してきました。それで指摘箇所に留意して同9日(2014年<平成26年>4月9日)に監正局に送りました。以後返却がありませんでしたので、この時監正局は受理したものと思われます。しかしその後何の連絡もありませんので、総局、勧学寮、監正局に督促しましたが、具体的な説明は何もないままでありました。
そして監正局から2014年(平成26年)10月3日付けで来ました通知が封書による
「申告書返戻のこと 先般、貴台より申告のありました件につきましては、平成26年9月26日、嫌疑者死亡につき、当該事務処理を中止いたしましたので、該申告書を返戻いたします。 以上」
でありました。申請書類を送る時は委員の都合の良い日が揃わないとか、忙しいとかで連絡が遅いことが多かったのですが、最後の事務処理中止の連絡は早いものでありました。
結局、折角新たな始まりと定められた教団の生命である信心教義についての、宗制宗法を遵守しようと言う誠意情熱が、総局、勧学寮、監正局に極めて希薄であったと私には思えます。第一、嫌疑者本人が死亡したからと言ってこの問題が終わった訳ではありません。信楽氏の信心正因称名報恩義を批判した本は多く存在したままで、何らかの処置がなされたとは一向に聞いていませんし、この度の遺著についての対処も、何も聞いておりません。まさに宗制宗法遵守義務の公然放棄のまかり通るのが信心不在の教団の現状であります。
尤も前記(6月5日)で述べましたように、勧学寮頭が宗制宗法遵守義務放棄のみならず、宗制教義に定められている信心正因義をも否定するのでありますから、すべてやむをえないことかも知れませんが、何とも情けない惨状であります。こんなことでは長期発展計画も夢のまた夢となると思われます。早急の抜本的改善を念願する次第であります。 合掌。
(2017,6,15)
上記について Face book の反応
(S氏) 南無阿弥陀仏
(S氏) 如来の真実、如来の正義、如来の成佛道の白い道を行かれたのが大瀛和上でありました。南無阿弥陀仏
(R氏) 信楽さんは、いわゆる御開山のbeingという存在の悲しみから、社会学のdoingという視点によって浄土真宗のご法義を展開しようとされたのかも。
哲学屋さんのご法義理解の陥りやすい陥穽ですが、なすべきこと(Sollen)と存在(Sein)を考察して、ひたすら、なんまんだぶを称えているだけの存在に対して、明恵上人の「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」という視点を、浄土真宗のご法義に導入しようとされたのかもである。
ある意味では氏の提唱した「信心の社会性」というタームが示すように、個々の信を問う意図であったのだが、残念ながら自覚の罠に陥って、浄土真宗の本願力回向の信に対する考察が欠けていたから、氏の浄土思想が瓦解する運命をたどったのであろう。西欧風の信に迷って、愚直な門徒の称えている、なんまんだぶの信に思いをいたさなかったのだと思ふ。
法然聖人は『西方指南抄」の「浄土宗大意」で、
聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。
とされ、これを承けられた御開山は『御消息』(16)で、
故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうへに、ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて、笑ませたまひしをみまゐらせ候ひき。文沙汰して、さかさかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまでおもひあはせられ候ふなり。
と、述懐されておられるのであった。
『歎異抄』の著者がいうように、
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。
ただ、なんまんだぶを称えて往生成仏するご法義を受容することが「信心正因」という言葉の意味であった。行巻の両重因縁釈で「光明名号をもつて十方を摂化したまふ、ただ信心をして求念せしむ」とされる所以である。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
(紅楳) コメント有り難うございました。私が信楽氏の主張に対し批判論文(「宗祖における信心と念仏」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html )を書きましたのは1978年(昭和53年)でありますが、それより随分前から私は、氏は真宗学の先生ではあるが、救済体験のない信心不決定(未決定)の人であると思っていました。伝統教学では現代には通じない新しい教学を樹立しなければならないと氏は盛んに言っておりました。しかし私は自信教人信が前提でなければ駄目だと言う信念を持ち続けて来ました。氏の言い続けた新しい教学を樹立すると言う言葉に、教団も期待を掛けた面があったようにも感じられましたが、これは誤りであります。所詮は信なき者の主張であり、「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり、人承引あるべからず」(蓮如上人)、また「土橋は人を渡して自ら落つるが,
未信の人は朽ちた橋の如く、人も渡さず自らも落つるなり。」(利井鮮妙)に相当するものでしかなかったと私は思います。いずれにせよ、将来の教団はどうあるべきかということを、深く考えねばならないと思います。合掌
(G氏) r南無阿弥陀仏
(S氏) 南無阿弥陀仏
(紅楳) 御賛同有り難うございました。
Thank you for your support.
信楽氏の遺著により、氏が最後まで真門念仏(20願の自力念仏、自力の称念)と弘願念仏(18願の他力報恩念仏、真実信心の称名)の違いの分からなかった、信心不決定(未決定)の人であったことが明白であります。
氏は盛んに教学批判や教団批判をしましたが、それは所詮、信なき者の誤り多きものに過ぎなかった,と私は思います。
間違った教えを主張する者に対して教諭義務のある勧学寮も1981年(昭和56年)<時の勧学寮頭は宗制教義の信心正因称名報恩義に反対する信楽氏に対し、異義断定保留として何もしなかった年>以来、その機能を喪失したと言えると思います。そして2012年(平成24年)以降は信心教義についての、宗制宗法遵守義務を公然と放棄し、挙げ句の果てには勧学寮頭自身が、宗制教義に定められている信心正因義を否定する始末であります。勧学寮がこの有様では、教団はまさに信心不在の無信心状態であります。私の想いは信楽氏とは内容は全く違いますが、教団の体質を早急に改善するために、真実信心の称名を称える者,およびそれを目指す者による「いまこそ徹底した教団改革が必要」だと思います。 合掌 (2017,6,17)
続前(6月15)
想えば1970年(昭和45年)信楽氏が龍谷大学真宗学の教授になった時に、龍谷大学の真宗学から信心は消失したと言えるでありましょう。信楽氏自身が言うように(『
親鸞はどこにいるのか』P,4)、氏が自分の周辺の、「信心正因称名報恩義」反対に賛同する真宗学教員と語らって、「教団改革をすすめる会」を結成し、旗あげをしたのがその翌年1971年(昭和46年)のことでありました。
1981年(昭和56年)、当時の勧学寮頭は宗制教義に反対する信楽氏に何の処置もしなかったのです。この時勧学寮からも信心は消えたと言っても良いと思います。今は寮頭自身が十劫安心(十劫邪義)に陥り、宗制教義の信心正因義に反対するのですから、信心は完全に勧学寮からも消滅したと言っても過言ではないと思います。
信楽氏は真俗二諦論を批判し、曾ての教団の戦争協力を厳しく非難し続けました。(同上著P,34以下)。このことは教団も考えなければならない点はあったと思います。しかし氏は報恩念仏の分からない信心不決定(未決定)者であったのです。往生浄土の道(悟りへの道)である真諦...の正しい体得理解ができていなかったと私は思います。前に言いましたが『教行信証』「化土卷」に「真諦・俗諦たがいによりて教を弘む。」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,418)と親鸞聖人も真諦・俗諦の語を使っています。
無宗教者でも、反宗教主義者でさえも戦争反対はするでありましょう。信心不決定(未決定)のままで、反宗教主義者と同じレベルでの教団批判はどうであろうかと思います。この事は親鸞聖人が『教行信証』「化土卷」に「主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,471)と述べてあります、漢字にして僅か12文字が6万8000文字と言われる『教行信証』の全てであるよう主張して、親鸞聖人が反権力至上主義者であったとやたらに主張した、すでに故人の、ある歴史学者にも言えることであります。
要は、今や勧学寮頭自身が十劫安心(十劫邪義)に陥り、信前と信後の違いや、真門念仏(20願の念仏)と弘願念仏(18願の念仏)の違いの分からない信心不決定(未決定)者で、信心正因義をも否定しているのです。この信心不在の教団体質の早急の改善が、何よりも簡要と思います。
合掌 (2017,6,18)
上記につてのFace book の反応
(D氏) Namo Amida Butsu _
(S氏)a南無阿弥陀仏
(紅楳) 戦争協力については反省すべき所はあったとは思いますが、教団内の信楽氏や歴史学者等の信心不決定(未決定)者による、やたらな真俗二諦論批判は如何なものかと思っています。浄土真宗においては真諦とは「往生浄土の道、信心」であり、俗諦とは「人道世法の道、倫理」であります。俗諦(倫理)は真諦(信心)から流出するものでなければならないのであります。この事が大変重要なことであります。
信楽氏等の信心不決定(未決定)者にはこの事が分からないのです。信心不決定(未決定)である故に、信前信後の念仏(真門自力念仏と弘願報恩念仏)と違いが分からないように、信心と倫理の違いが分からないのです。一切の倫理も往生の因としては全く廃した親鸞聖人の意も分からないのです。信心と倫理が混線しているのです。誤った混線した二諦観でやたらと批判しているだけのことであり、正しい信心を歪めることになってしまいます。
尤も信因称報を批判する信楽氏を教諭する事も、それをしようともしなかった勧学寮も、全く信心の分からない信心不決定(未決定)者の集団に成り果てているのですが、この現状は全く歎かわしきことであります。 合掌。
(紅楳) 有り難うございます。この事は大変大事な事です。救済体験のない、往生の正因である信心と倫理の違いの分からない、信心不決定(未決定)者の、誤った見解にまどわされてはなりません。合掌
(紅楳) 有り難うございました。信楽氏とは内容は全く違いますが、「いまこそ徹底した教団改革が必要でありましょう」(『 親鸞はどこにいるか』P,5)には賛成です。教団の教学の責任担当者が、信心不決定(未決定)の「人も渡さず、己も堕ちる」の人達では、全く駄目であります。 合掌 (2017,6,21)
一句浮かびましたので記します(下記)。
悲哉近世知識連 悲(しき)哉(かな)、近世(こんせ)の知識連(ちしきれん)。
.甚多信心未決師 甚(はなは)だ、信心未決(しんじんみけつ)の師(し)多(おお)し。
賢者言有不浄説 賢者(けんじゃ)の言(ごん)に有(あ)り。不浄説(ふじょうせつ)は、
不渡他者自己堕 他者(たしゃ)を渡(わた)さず、自己(じこ)も堕(お)ちると。
<意訳>
悲しいことであります。この頃の教学の責任担当者の人達に、信心のない人(信心未決定のひと)が多いようであります。ある賢者が言っています。不浄説法(信心のない人の説法)は、他者を浄土に渡すことは出来ず、自分も地獄に堕ちると。 合掌 (2017,6,23)
上記についてFace book の反応
(Y氏) 南无阿彌陀佛
(N氏) 最近霊柩車を街で見なくなりました。信仰心が無くなった?
(紅楳) いずれにせよ、真実信心の獲得が浄土真宗では一番大事な事であります。
(紅楳) 将来の教団の発展振興のためには、僧侶の一人一人が自信教人信の道を歩まねばなりません。
そのためには今のような教学の責任担当者、指導者までが、カラ念仏と報恩念仏の違い(信前と信後の念仏の違い)さえ分からない人や、十劫邪義(十劫の昔からすくわれているから信心は不要であると考える)の信心不決定(未決定)者の集団(人を渡さず、己も堕ちる)であっては、どうにもならないと思います。 合掌 (2017,6,26)
一句浮かびましたので下記します
於今十劫正覚成 於今十劫(おこんじっこう)、正覚(しょうがく)成(じょう)ず。
往生決定獲信時 往生決定(おうじょうけつじょう)は、獲信(ぎゃくしん)の時(とき)なり。...
已入平生業成聚 已(すで)に平生業成(へいぜいごうじょう)の、聚(なかま)に入(い)れり。
唯称名号報大悲 唯(ただ)名号(みょうごう)を称(しょう)し、大悲(だいひ)に報(ほう)ぜん。
<意訳>
今より十劫の昔に、阿弥陀仏は48願を成就し、仏と成られました。
往生が決定するのは、信心獲得の時であります。
御蔭様で已に平生業成の聚(現生正定聚、浄土に生まれることに定まったなかま)に入らせて頂きました。
唯、南無阿弥陀仏の名号を称え、阿弥陀仏の大悲の恩徳に報じます。 合掌
教団に諸問題は山積ですが、一番の問題は僧侶の無信心体質であろうと思います。教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団と成り果てているのが、その原因だと思います。
信心正因称名報恩義反対者に対し、何の指導も教諭もできず、宗制宗法遵守義務を公然と放棄して来たのであります。それに加え勧学寮頭が十劫邪義を主張する有様であります。
ついでに申して置きますが、先手の救いを強調し、平生業成を盛んに言う人がいましたが、この人の言っていた平生業成は、十劫の昔から救われているとする十劫業成(十劫邪義)であり、信心決定による正しい意味の平生業成ではなかったと思います。また絶対他力と言って、信心や聴聞を不要のように言う人もおりましたが、これも十劫邪義に類するものであったと思います。 合掌 (2017,7,1)
上記についてFace book の反応
(G氏) Namo Amida Butsu
(Y氏) 南無阿弥陀仏
(M氏) i am still reading your Namo Amida Butsu which Bishop Umezu gave me in
San Francisco. I took it to Spain. Apart from nembutsu nothing either exists
or does not exist. One for you to think about
(2017,7,2)
中興蓮師聞書云 中興蓮師(ちゅうこうれんし)聞書(ききがき)①に、云(いわ)く。
信心肝要教化時 教化(きょうけ)の時(とき)は、信心(しんじん)が肝要(かんよう)であると。
土橋渡人自分落 土橋(つちはし)は、人を渡して自分は落(お)ちる。
不浄説法唯堕已 不浄説法(ふじょうせっぽう)は、唯(ただ)堕(お)ちる已(のみ)。
註① 蓮如上人御一代記聞書93の意。
<意訳>
蓮如上人は御一代記聞書に云われています。人を教化するには、先ず自分自身の信心が大事であると。
土の橋は人を渡して、最後は自分は落ちるのでありますが、信心のない不浄説法は人を浄土に度す(渡す)ことはできず、自分も浄土に生まれることもできず、共に地獄に堕ちるのみであります。 合掌
上記につて の反応
(Y氏) 南無阿弥陀仏
(紅楳) 6月30日の午後、私は本願寺の総局を訪ね、最近のホームページ(Face bookをもとに作成したもの)「続⑤近年の本願寺派教学に想う」(http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html)の後部分と「続⑥近年の本願寺派教学に想う」(http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku62.html) のコピーに、「下記の文」を添えて、総長と総務五人に渡しましたことを御報告致します。 合掌
「この文は私のホームページに掲載しているものです。
勧学寮頭が教団の僧侶・聞信徒全員が拝読する宗報、本願寺新報に、親鸞聖人や蓮如上人の教えと異なる見解を述べています。このことは甚だ遺憾に思います。
また宗制教義に定められている信心正因称名報恩義に反対し続けた信楽氏は、遺著においても、それを言い、教団を批判している始末です。
どちらも極めて重大な問題だと思います。
御一見頂ければ幸甚であります。 合掌
2017年6月 紅楳英顕
(紅楳) 有り難うございます。真宗復興のために、想いを同じくする者の、具体的行動が必要であろうと思います。合掌
(D氏)Namo Amida Butsu_
(紅楳) 御賛同有り難うございました。
Thank you for your support.
教団の責任担当者が信心不決定(未決定)者の集団と成り果て、宗制宗法遵守義務放棄や、勧学寮頭の十劫邪義の主張が、公然とまかり通る現状は、全く悲しいことであります。合掌。
(G氏) Namo Amida Butsu (2017,7,4)。
一句述べます。
当今末世信皆无 当今(とうこん)末世、信(しん)皆无(かいむ)。
自力称念十劫安 自力称念(じりきしょうねん)、十劫安(じっこうあん)。
...異解邪義盛興賑 異解(いげ)、邪義(じゃぎ)、盛(さか)んに興(おこ)り、賑(にぎ)わう 。
外儀真宗内偽奸 外儀(げぎ)は真宗(しんしゅう)、内(うち)は偽奸(ぎかん)。
次は、「続⑦近年の本願寺派教学に想う } ( http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku7.html ) に移ります。