「続㉞近年の本願寺派教学に想う」
       これは「続㉝近年の本願寺派教学に想う」 e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku33.htmlに続くものです。

2022年7月20日の『中外日報』の第一面に、“若い世代に新たな縁を 本願寺派
『伝わる伝道』に注力 教え・法義 伝わらず危機感“
と出ています。
慶讃法要を間近に控えて、大変なことです。。
教団の責任担当者は、この最大の原因が何であるかは分かっているはずであります。
断じて、時代の変化だけではありません。何度も言ったことでありますが、これは教団の責任担当者(教学面、行政面)までが、信前の念仏(カラ念仏<僧侶ならば営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」の意味すら分からない、宗制宗法遵守義務放棄の信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り果てているがためであります。
蓮如上人のお言葉に 「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり 、人承引あるべからず。まづ我が信心決定して人にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち「大悲伝普化」の道理なる由、同く仰られ候。」(『御一代記聞書93』、 浄土真宗聖典p、1261)と述べられ、利井鮮妙氏は「山の土橋は人を渡して己は落ちる。信なき者の 説法は人も渡さず、己も堕つる」と言っています。「自信教人信」を忘れて、『伝わる伝道』があるはずはありません。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html 「続㉜近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku32.htm


『往生礼讃』の通常本(『真宗聖教全書一 所収本』)では「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(真聖全1の661)となっています。上の『蓮如人御一代記聞書93』( 浄土真宗聖典p、1261)の文もこれに依っています。ところが親鸞聖人は『教行証文類』「信巻」(真聖全2の77)、「化土巻」(同165)、真宗聖典p、260,p、411)には『往生礼讃』引用に『集諸経礼懺儀』所収本を用いられ「自信教人信 難中転更難 大悲弘普化 真成報仏恩」と述べられているのであります。
親鸞聖人が「大悲伝普化」と述べず、「大悲弘普化」と述べられていることから、20~30年位前、「親鸞聖人には教化者意識や伝道者意識は全くなかったのであろう」という意見が盛んに出されていましたが、そうではありません。念仏によって往生は定まるのではなく、信心によって往生は定まるとする親鸞聖人の意に他ならないのであります。自信教人信 大悲伝普化 真成報仏恩のお心があり、伝道者意識もおありであったのが親鸞聖人であります。この点が分からない人にまた、「信心正因称名報恩」の意が分からない人が多いように見受けられるのです。合掌
https://www.youtube.com/watch?v=CnjPWbkBST0拙論「『教行信証』における『往生礼讃』引用文について 」 印度学仏教学研究  
47の2、(H、11<1999>、3)
本願寺派の宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」の意味の分からない人、即ち信前の念仏(カラ念仏<僧侶であるなら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない人、並びに生涯続く煩悩妄念の心(痴无明)と信心獲得によって消滅する本願疑惑心(疑无明)の違い分からない人は救済体験(獲信体験)のない人であり、往生の一大事を解決していない人と言えると思います。誠に悲しきことでありますが、現在の本願寺派教団の責任担当者のほとんどは往生の一大事の解決していない信心不決定(未決定、未安心>者の集団と成り果てているのであります。こんな状態で「伝わる伝道」ができるはずはありません。
ここ40年~50年現代人に伝わるための教学の刷新、樹立と盛んに叫ばれてきましたが、何の成果もない、いたずらな試行錯誤の繰り返しであった原因をしっかり考慮しなければならないのであります。
この教団の信心不在体質の改善のためには、門信徒の皆様のお力が是非必要だと思っています。  合掌
「近年の本願寺派教学に想う」追加 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnentsui.htm
(I氏)
大組織の教団は、既成のレール上しか走れないように見えます。教団の命は、本物指向であり原点回帰が求められます。獲信体験を持つ指導者の意見が反映される組織であるべきです。『伝わる伝道』は、本物であるからこそ全ての世代(人間)に伝える力を持つものと信じております。合掌

(紅楳
既成のレール上を走ろうとするのなら、まだましなのですが、今の教団の責任担当者(教学面、行政面)は宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義を守ろうとしないばかりか(1981)、それに反対する者に何の処置も指導もせず、逆にその人達を教団の要職につけるという不可解なことをなし、あげくの果てには信心教義についての宗制宗法遵守義務放棄という賦課金納付義務放棄にまさる大過がまかり通っている(2012)のが現状であります。
これは教団の責任担当者(教学面、行政面)が営業念仏と報恩念仏の違いすら分からない信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り果てているからに他ならないのでのあります。こんな人達の考えで「伝わる伝道」が生まれるはずはありません。この様な信心不在体質は早急に改善されねばならないのであります。このままでは教団はただ衰微の一途を辿るのみでありましょう。
私がネットに意見を述べ始めてから、今年が丁度10年になりますが、この教団の信心不在体質は一向に変わる様子はありません。この上は愛山護法の情熱に燃えられる門信徒の皆様のお力が是非必要だと思います。合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
「続㉝近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku33.html
 
(2022,7,29)。

この写真は2008年の8月26日に、ドイツのBad Reichenhall で催された第15回 ヨーロッパ真宗会議に参加した時にルーマニア人のJōshō Adrian Cirlea氏と撮ったものです。
私のこの時の発表は”Establishing Shinjin: the Premise of Peace and Tranquility”(信心決定ということ、平和と安穏の前提)でありました。合掌
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/15esc.htm
https://www.hongwanji.or.jp/daionki/pdf/2007_06.pdf...

阿弥陀仏や浄土の存在は宗教体験によって知らされるのであります。科学時代の現代においては、宗教的実在と言うべきだと思います。
「続⑲近年の本願寺派教学に想う」  e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku19.html (2020,7,4記)。 「続㉑近年の本願寺派教学に想う」  e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku21.html(2020,10,8記)。
この度、40億光年以上遠くを見ることが出来るというジエームズ・ウエッブ望遠鏡が開発されたとのことですが、これによって、阿弥陀仏や浄土をみることができるのではありません。宗教的実在と言うべきだと思います。 合掌
It is said that the James Webb Space Telescope, which can see more than 4 billion light-years away, has been developed, but this does not mean that we can see Amida Buddha and the Pure Land. I think it should be called religious reality. Gassho

この問題は日本国内においても、慶讃法要を間近にし、極めて深刻な重大事態だと思います。
前から申しておりますように、「信心正因称名報恩」義の意味の分からない人は、宗教体験(救済体験、獲信体験)のない、信心不決定(未決定、未安心)の人と断言出来ると思います。ヨーロッパで阿弥陀仏や浄土が神話的なものとか、架空のものであり、実在しないもの、と主張する人も、同様に宗教体験(救済体験、獲信体験)のない、信心不決定(未決定、未安心)の人であり、念仏に自力他力の違いがあることもお分かりでない人と思われました。
国内で「信心正因称名報恩」義反対の代表者でありました信楽氏は「現代真宗真偽論―まことの真宗とうその真宗―」、『真宗研究』第46輯、平成14<2002>年1月)。に阿弥陀仏や浄土について、神話であるとか象徴であるとかと言う意見を書いていました。
これをいうのも宗教体験(救済体験、獲信体験)がないからであろうと思います。
このように明らかに宗教体験(救済体験、獲信体験)がなかった信楽氏に何の処置の指導もせず、むしろ優遇し、宗制宗法遵守義務放棄をした、教団の責任担当者(教学面、行政面)の人々は全くの信心不決定者の集団であったということになります。このような有様で「伝わる伝道」ができるはずはありませんし、教団の発展振興があるはずはないと愚考致します。 合掌
「続㉑近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku21.html(2020,10,8記)。

上記信楽氏の論文「現代真宗真偽論―まことの真宗とうその真宗―」、『真宗研究』第46輯、平成14<2002>年1月)の英訳(http://e-kobai424.sakura.ne.jp/gendaishinshu.html) を読んでPaul Roberts氏が批判しています。合掌
Paul Roberts criticizes the English translation of Shigaraki's treatise above. Gassho
http://trueshinbuddhism.blogspot.com/p/blog-page_24.html 

ついでに申しておきますが、上記信楽氏の論文が本願寺派の宗会で問題になった時、勧学寮は学問と信仰は別だと説明し、この時も信楽氏を庇ったと聞いております。  合掌
 (2022,8,1)。