「続⑪近年の本願寺派教学に想う」

これは「続⑩近年の本願寺派教学に想う」  http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku10.html に続くものです。
FB
からの転写がうまく行きませんで、以下原則として私の書いた文だけ掲載することにします。詳細はFB(https://www.facebook.com/eiken.kobai )を御覧下さいませ。合掌

現代人に通ずる教学樹立と言うことで、信心正因称名報恩義批判をした人達は信心決定によって賜る「大慶喜心」を知らない人達でありました。またその誤りを指導教諭する責任がありながら、何もしない宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者である、教学担当責任者の人達も同様に信心不決定(未決定)の「大慶喜心」のない人達だと言えると思います。
一句浮かびましたので記します。

極悪深重邪見群  極悪深重(ごくあくじんじゅう)の邪見(じゃけん)の群(ぐん)。

応信如来真実言  応(まさ)に如来(によらい)の真実(しんじつ)の言(みこと)を信(しん)ずべし。

顛倒虚偽苦悩処  顛倒(てんどう)虚偽(こぎ)の苦悩(くのう)の処(しょ)で、

獲得大慶知仏恩  大慶(だいきょう)を獲得(ぎゃくとく)し、仏恩(ぶつおん)を知(し)る。

<意訳>
大変罪が深くよこしまな考えしかもつことのできない我々は、仏の真実の言(阿弥陀仏の本願)を信ずることが大事なことであります。
真実のない、うそ偽りの苦悩の多い、この現実の世において、崩れることのない真実のよろこび (大慶喜心)を得て、仏の御恩を知る身になるのであります。

何度も申した事でありますが、称名報恩義批判者は念仏についての信前(自力)と信後(他力)の違いの分かっていない信心不決定(未決定)の人達であります。これに対し何の批判も教諭もできない教団の教学担当責任者、宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者、も全く同様な信心不決定(未決定)の人達であり「大慶喜心」のない人達であります。親鸞聖人の言われる「助正間雑し、定散心雑するがゆえに、出離その期なし」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,412)とある往生の可能性のない人達であります。このような現状で教団の発展振興は到底望めないことでありますし、またこのような人達によって取り仕切られる安居の会読の判決や、報恩講の改悔批判にどんな意味があるのだろうかと思う次第であります。 合掌  (2018,7,11)

言われる事の意味はよく分かりませんが、親鸞聖人の教えと異なる、救済体験
(獲信体験)がない故に間違っている、教えがまかり通るのは極めてよくないと思います。
信心正因称名報恩は親鸞聖人の正義であります。これを間違いと言う人達は念仏の信前(自力)と信後(他力)の違いの分からない信心不決定(未決定)の救済体験(獲信体験)のない、現世の大きな喜びである「大慶喜心」のない人達なのであります。宗制宗法遵守義務を平然と放棄する宗門の法令違反者である教学担当責任者も全く同じであります。
親鸞聖人は念仏の自力他力の違いの分からないことを「助正間雑」と嫌われ、

悲しき哉、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆえに、出離その期なし。みづから流転輪回を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,412)。

と深く悲歎されております。昨今は教団の教学担当責任者までが、念仏の信前(自力念仏、カラ念仏<営業念仏>)と信後(他力念仏、報恩念仏)の違いの分からない、「助正間雑」の「大慶喜心」のない、信心不決定(未決定)者の集団と成り果てているのでありますが、誠に悲しき事であります。 合掌
  (2018,7.13)。

「本山の上層部に獲信者が少ないのではないか?」は全く同感です。大谷派のことはよくは存じませんが、本願寺派においては教学担当責任者が信前の念仏(自力念仏、カラ念仏<営業念仏>)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いも分からない信心不決定(未決定)者の集団と成り果てているのであります。これで獲信者が増える訳はない有様であります。
合掌  (2018,7,16)。




2018年7月25日の『中外日報』に、7月9日~11日に真宗教団連合中央研修会が、西本願寺の聞法会館で開かれ、「共通勤行・和訳 正信偈」の勤式を指導した、と記されている。

「続⑧近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku81.html 、の(2018,4,2記)等に述べたことであるが「共通勤行 和訳 正信偈」では「已能雖破無明闇」を「無明(うたがい)の闇(やみ)晴(は)れ去(さ)るも」と、無明に痴無明(煩悩妄念心)と疑無明(本願疑惑心)の二義ありとす立場により、意訳しているのである。

所がこの度 親鸞聖人七百五十回大遠忌の記念事業として『顕浄土真実教行証文類』解説論集が浄土真宗本願寺派宗務所より発行された。(2012年8月31日)。その中の『教行信証』の研究、第一巻「行文類」解説(九五頁以下)に内藤知康氏の解説があり、無明について、痴無明(煩悩妄念心)と疑無明(本願疑惑心)との二義を語ることに反対する村上氏の意見に賛成するものである。このことは極めて重大な問題である。個人の見解として済まされることではない。もし村上氏、内藤氏の考えを正しいとするなら、真宗十派連合の『意訳正信偈』を早急に変更せねばならないし、村上氏、内藤氏の考えが誤りとするならば、これも早急に『顕浄土真実教行証文類』解説論集を回収せねばならないと思われる

無明の問題に限らず、信心正因称名報恩問題においても宗制宗法遵守義務放棄の法令違反が、公然とまかり通るように、教学担当責任者において教義安心が極めて曖昧、杜撰である。このようなことでは猛暑の中での慣例の安居の研鑽も、どれほど意味のあることであろうかと疑問を感ずるのである。合掌  (2018,7,27)


私が「共通勤行 和訳 正信偈」についての問題を最初に出したのは「続③近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku3.html (2016、2,5記)でありました。

「共通勤行 和訳 正信偈」を正しいとし、内藤氏の考えを誤りとするならば、『教行信証』の研究、第一巻『顕浄土真実教行証文類』解説論集(2012年8月31日発行、 発行 浄土真宗本願寺派宗務所)を早急に回収すべきだと思います。教義安心は教団の生命であります。信因称報問題が目下一番大きなことでありますが、教義安心に関して杜撰極まりないことでは、何を論じた所で、教団の発展振興はあり得ないと考えます。合掌 (2018,7,27)。




続前(7月27日)

痴無明疑無明問題、信心正因称名報恩義反対問題は私が40年前から関わって来た問題であります。

親鸞における疑蓋无雑について (昭和52<1977>、12)。
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/gigaimuzou.html
宗祖における信心と念仏 (昭和53<1978>,6)。
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html
親鸞における疑蓋无雑について(二) (昭和54<1979>、12)。
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/gigaimuzou2.html
宗祖における信心と念仏(二) (昭和和55<1980>,6)。
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syuuso2.html

この当時から私はこれは救済体験(獲信体験)のない信心不決定(未決定)者による謬見であると思っていました。今も全く同じ考えでおります。
この問題が深刻であるのは教団の教学担当責任者が謬見者であることであります。それが痴無明疑無明反対論であり、宗制宗法遵守義務放棄であります。
このように教学担当責任者が救済体験(獲信体験)のない信心不決定(未決定)の謬見者と成り果てたのであっては、殿試も安居の会読の判決も、報恩講の改悔批判(信心正因称名報恩義の説明)も形骸化したものに過ぎないように思われます。
もし、「共通勤行・和訳 正信偈」の無明の説明が間違っていると考えるなら、早急に改正すべきでありますし、「信心正因称名報恩義」が間違いであると考えるなら、これも早急に宗制宗法を改正すべきであります。教団の生命である教義安心の扱いが杜撰なことでは、教団の発展振興は望めないと思います。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm 等参照。 (2018,7,28)。

すでに述べたように、信楽氏、岡氏の宗制教義、安心論題に定められている信心正因称名報恩義批判が問題となり、当時の宗会で勧学寮頭に裁断を求めたのであるが、時の勧学寮頭桐渓順忍氏の裁断は両者の主張に対し、信楽氏については異義断定保留、(昭和五十六<1981>年三月)、岡氏については疑義断定保留、(昭和五十六<1981>年十月)と回答したのみであり、具体的には何の処置もなかったのである。この1981年が教団における安心論題形骸化の明確な始まりの年と言えるであろう。

それから新宗法(平成24(<2012>年4月1日施行) 第59条3に「勧学寮は、宗制教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」と定められたのである。

ここの宗制教義に相異する義とは信心正因称名報恩義に反対する事である。この時信楽氏は存命で、真宗求道学』(平成23<2011年>9月発行、法蔵館)等で盛んに信心正因称名報恩義を批判していたのであるが、何の教諭もなされることはなかったのである。新宗法が全く無視され、有名無実と成り果てたのである。平成24<2012>年4月1日施行を大目に見て一年繰り下げ、平成25<2013>年4月1日をもって安心論題形骸化完成のの時と言えるのではなかろうか。。

まさに実質的には安心論題不在、安心(信心)不在が、勧学寮等教団の教学担当責任者の現状と言えるであろう。 合掌  (2018,7,30)。

1981年以降の勧学寮はほとんどの人が、信心正因称名報恩の正しい意味も分からない、十劫邪義、無帰命安心の、信心不決定(未決定)の人であったように思われます。こんなことで教団の発展振興があるはずもないのであります。合掌 (2018,7,30)。



この度喜寿を記念して『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂)を出版することになりました。一句浮かびましたので、下記します。

平成戊戌喜寿年   平成(へいせい)戊戌(ぼじゅつ)喜寿(きじゅ)の年(とし)。

我述聖人念仏論    我(われ)聖人(しょうにん)の念仏論(ねんぶつろん)を述(の)ぶ。

浅学非才罪障重   浅学非才(せんがくひさい)罪障(ざいしょう)重(おも)けれど、

唯願有情往益援   唯(ただ)願(ねがう)、有情(うじょう)の往益(おうやく)の援(えん)となることを。

<意訳>

平成(へいせい)戊戌(ぼじゅつ)<三十年>、喜寿(きじゅ)の年(とし)を迎え、

私は『親鸞聖人の念仏論』を書にして述べました。

浅学非才(せんがくひさい)で、罪障(ざいしょう)重(おも)き身でありますが。

ただ有情(生きとし生けるもの)の往生の援(えん)となることを願うのみであります。

拙著の序に以下のように述べました。

私は一九四一(昭和十六)年の生まれで、この四月で満七十七才となった。既に後期高齢者となり、所謂喜寿を迎えたのである。(中略)。

近年、浄土真宗の念仏について、信心とは無関係に大行であるとか称名報恩は間違いであるとか種々意見が出ているのである。念仏と信心との関係について、ようやく私なりの結論を出す事が出来たような気がするので、以下述べる事にしたいと思う。有縁の方々の信楽開発の御縁の一端ともなれば、この上なき慶びとする所である。 合掌      (2018,8,5).

 この度拙著『親鸞聖人の念仏論』の出版に際し、多くの方々から御祝いの御言葉を頂き、誠に有り難うございました。篤く御礼申し上げます。拙著の中の註に多く拙論を出していますが、これは「業績表」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/gyohyo.html を御覧頂ければと存じます。色のついているものは、クリックすれば、内容が出ます。
また「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm ~「続⑪近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html を御覧頂ければ、更に詳細についての御理解が頂けると思います。 合掌    (2018,8,8)。

昨今は、教団の教学担当責任者までが、救済体験(獲信体験)のない、信心不決定(未決定)者の集団と成り果て、信心がなくても十劫の昔から救われていると考える十劫安心(無帰命安心)がまかり通り、そのため一念覚知の意味も報恩念仏の意味も分からず、宗制宗法遵守義務放棄の法令違反が当然となっている、誠に情けない有様であります。
一念覚知と十劫安心をともに厳しく異義と断じた大瀛師の意を、正しく理解することが極めて大事なことであります。 合掌 (2018,8,8)。




この写真は2016年8月24日にベルギーのアントワープで催された第18回ヨーロッパ真宗会議(18th European Shin Buddhist Conference)に参加した時に、Jōshō Adrian Cirlea氏(ルーマニア)と撮ったものです。
現在アメリカやヨーロッパでは、宗教体験(救済体験、獲信体験)のない信楽氏や教団の教学責任担当者の影響で、信前信後の念仏の違いが分からず、報恩念仏の意味の分からない人や、阿弥陀仏や浄土が神話や空想の世界だと考える人が多いようですが、氏は浄土真宗を正しく理解している人であります。
浄土真宗を正しく理解している人はアメリカには私の著書の英訳版に序文を書いたPaul Roberts氏(http://e-kobai424.sakura.ne.jp/books.html)、
Paul Roberts氏の影響で正しい浄土真宗の教えにめざめたRichard C. St Clair‎氏(https://www.facebook.com/groups/1766150067004304/?multi_permalinks=2127786884173952%2C2127779937507980&notif_id=1532654938740804&notif_t=group_activity )、それから、本当の浄土真宗を学ぶために郷里を離れ日本で生活することを決意した若きアメリカ青年GabrielSchlaefer氏 (https://www.facebook.com/gabriel.schlaefer?fref=pb...)等が大いに真実の浄土真宗を世界にひろめることに貢献して下さることと期待しています。 合掌
  (2018,8,24)

因みに、私が第18回ヨーロッパ真宗会議(18th European Shin Buddhist Conference)で発表したテーマは「About the true Nembutsu in Jodo Shinshu」(http://e-kobai424.sakura.ne.jp/truenen.html)であり、日本語訳(http://e-kobai424.sakura.ne.jp/truenenwa.html )でありました。合掌  (2018,8,25)。


 『中外日報』の2018年8月31日に浄土真宗本願寺派淨弘寺住職 宗会議員下川弘暎氏の「徳永勧学寮頭の御発言に疑問を呈す」の寄稿が掲載されました。(file:///C:/Users/kobai%20eiken/Documents/%E5%BE%B3%E6%B0%B8%E9%96%A2%E5%AD%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%96%91%E5%95%8F%E4%B8%8B%E5%B7%9D%E5%BC%98%E6%9A%8E%E6%B0%8F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%A4%96%E6%97%A5%E5%A0%B1%E5%AF%84%E7%A8%BF%E8%A8%98%E4%BA%8B.pdf
4項目に亘るものでありますが、教団の将来を考える上で大変重要な結構な内容であると思います。特に第3項で問題になっている徳永氏の「個の救い」の批判は極めて重大な問題であり、下川氏も「寮頭が述べられる救いの意味は、浄土真宗の信心決定による救いの意味とは異なるように思われます。」と言われていますが、全く私も同感です。第2項に引用されている蓮如上人の「往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生たすかることなり。」(聞書171)とある御言葉を徳永氏は承知していたのだろうか、と言う疑問さえ感じます。
 徳永氏の所論については「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm 等(以下<「続近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html>)に私は「十劫邪義」、「信前信後の無分別」、「真門念仏と弘願念仏の無分別」、「信心正因称名報恩義の無理解」、「宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者」等と述べてきました。私の「近年の本願寺派教学に想う」等で述べた見解に答える意味においても、今回の下川氏の疑問について誠意ある責任ある回答を念願する次第です。もしも相変わらずの無責任な姿勢を続けるならば、何度も申してきたことでありますが、これは三業惑乱の比ではない大惨状であります。勧学寮は直ちに解体すべきだと思います。こんなことで教団の発展振興は望むべくもなかろうと思います。(特に「続⑧近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku81.html の<2018,3,16記>を見て頂きたいと思います)。 合掌 (2018,9,4)。

  この問題は,勧学寮が信心不決定(未決定)者の集団と成り果てた、現教団の極めて重大な問題だと思います。中外日報の記事を皆が見て、教団のあるべき方向を真剣に考えねばならない時だと思います。合掌  (2018,9,4)。




『宗教問題15』(2016年8月31日発行)で親鸞会問題を扱った宗教問題社が、『宗教問題23』(2018年8月31日発行)に、この度出版した『親鸞聖人の念仏論』の紹介をして下さいました。

 Cinema &.Book      「信心のありがたさ」(116頁以下)

 ―  鎌 倉 時 代 の 僧 ・ 親 鸞 ( 一 一 七 三一 二 六 三 )と い えば 、 説 明 す る ま で も な く 浄 土 真 宗 の 開 祖 で あ り 、 ま た「本 願 を 信 じ 念 仏 申 さ ば 仏 に な る 」と 言 って 衆 生 の 教 化に あ た った 人 で し た 。 そ こ か ら 考 え ま す と 、ま さ に 紅 楳さ ん の 今 回 の 新 刊 『 親 鸞 聖 人 の 念 仏 論 』 は 、タ イ ト ル から し て も 浄 土 真 宗 の 根 本 に つ い て 迫 った 本 で あ る と 感 じま す 。ど の よ う な 動 機 か ら 、 こ の ご 本 の 執 筆 を 思 い 立 った の で し ょう か ?


 紅 楳  こ れ は 非 常 に 憂 慮 す べ き こ と な の で す が 、近 年「浄 土 真 宗 に お け る 念 仏 と は な に か 」 と い う 解 釈 が 、 いろ い ろ と 乱 れ て い る 事 実 が あ る の で す 。 親 鸞 聖 人 の 正 しい 教 え 、正 し い 念 仏 の あ り 方 、そ れ は い っ た い ど の よ うな も の な の か を 、今 は っき り 世 の 中 に 示 し て お く 必 要 があ る の で は な い か 、 そ う 考 え た と こ ろ か ら 書 き 始 め た 本で す 。(以下略)。 合掌     (2018,9,5)。




続(9月5日)

『宗教問題15』(2016年8月31日発行)に掲載されました親鸞会問題の経緯内容は「私が対峙した35年前の 親鸞会」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shirakaitaiji.html に述られています。親鸞会の座り込み等がありましたので、私が逃げ回ったと誤解した人がいたかも知れませんが、そうでなかった事がお分かり頂けた事と思います。それから本願寺側も考えるべき所はあるのではないかと思う点も率直に述べておきました。
前にも述べましたが本山当局の指示で、この時親鸞会問題についての解説書が勧学寮頭、伝道院長監修の下で作成されることになり、私も委員の一人となりました。解説書が作成されたのが1982年(昭和五十七年)十二月でありましたが、奇妙なことにこの解説書は私以外のメンバーによる『現代の教学問題ー派外からの論義についてー』と私の『派外からの異説について』の二冊になっており、私の書いたものは勧学寮頭、伝道院長の監修になっていなかったのであります。その時の勧学寮頭、伝道院長は親鸞会の質問が続く場合には私一人の責任にするつもりだったのでありましょうか。勧学寮頭が信楽氏岡氏に対して何の処置もしなかった(1981年)直後の事でもありましたし、私は勧学寮に甚だ不審を感じたものであります。そして新宗法施行(2012年4月1日)以降は勧学寮は宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者の集団と成り果てているのであります。こんな状況で教団の発展振興はありえないことであります。(「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm 等参照)。
この意味においてもこの度、下川弘暎氏が『中外日報』(2018年8月31日号)に出された「徳永勧学寮頭の御発言に疑問を呈す」に誠意ある責任ある回答を、早急に下川氏と同様『中外日報』(或いは本願寺新報、宗報)等の公開の場で御願いする次第であります。誠意ある開かれた宗門でなければ到底未来はありえません。
もし下川氏の質問が無視されるような不誠実な事であるなら、教団の存在の意味そのものが問われると言っても過言ではなかろうと思われます。 合掌
   (2018,9、12)。




FB(2018,9,14)

YTさんは 紅楳 英顕さんと一緒にいます。
南无阿彌陀佛&#128591;
紅梅 和上 御法話 聴聞の御縁は、歎異抄九条の、「 念仏申し候へども、踊躍歓(ゆやくかん)()のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころに候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審(ふしん)ありつるに、唯円房(ゆいえんぼう)おなじこころにてありけり。」の「ありつるに」を、姫路 本徳寺 布教大会で文法上 現在進行形で話された布教使が居られました。これを疑問に思い、解決のため、和上法話に御聴聞の御縁を頂きました。早4年が過ぎました。

追記、
龍谷大学名誉教授 現勧学 中央仏教学院 通信教育部 講師が、本願寺新報に「ありつるに」を、過去形ではなく現在進行形で記事を登載していましたね。
間違いに速やかに気付き、全ての役職から辞退していただきたいです。
特に勧学は速辞退を切に望みます。本願寺衰退を止める為に。 合掌


YT氏は本願寺派の門徒推進員である熱心な御門徒の方であります。

「追記、龍谷大学名誉教授 現勧学 中央仏教学院 通信教育部 講師が、本願寺新報に「ありつるに」を、過去形ではなく現在進行形で記事を登載していましたね。

間違いに速やかに気付き、全ての役職から辞退していただきたいです。特に勧学は速辞退を切に望みます。本願寺衰退を止める為に。合掌」

とある言葉を重く受け止めねばならないと思います。

この意味でも、下川氏の「徳永勧学寮頭の御発言に疑問を呈す」に対して、徳永氏の誠意ある責任ある回答が早急になされることを切望致します。合掌
  (2018,9,16)。




昨年<現在からは一昨年>(2016年)9月11日(日)に早稲田大学で開催されました日本宗教学会第75回学術大会に参加し、発表しました小論が公開されました。御一見頂ければ幸甚です。

『宗教研究』90卷別冊(2017)

浄土真宗における信前信後について         紅楳 英顕

一 問題の所在

浄土真宗(とくに本願寺派)においては、三業惑乱の影響で、信一念の自覚の有無については語ることが避けられたが、信前信後の分別は、されてきたのである。二〇〇八(平成四月一日)に全文変更された宗門の最高法規である「浄土真宗本願寺派宗制」にも「信心決定の上は報恩感謝の思いから、仏徳を賛嘆する称名念仏を相続する。これを信心正因、称名報恩というのである。」と述べられており、信前信後の分別は語られている。

ところが近年信前信後の分別が曖昧となり、本願寺派において昭和十六年(一九四一年)以降、宗制教義に定められている信心正因称名報恩義(信後の称名は報恩行)に反対する意見がまかり通っているのである。(信楽峻麿『真宗求道学』法藏館、二〇一一年、等)。
信楽氏岡氏の宗制教義に反する信因称報義批判は一九七〇年代に問題となり、勧学寮に裁断が求められたが、当時の勧学寮頭桐渓順忍氏は一九八一年に信楽氏に対しては異義断定保留、岡氏に対しては疑義断定保留として具体的には何もなされることはなかった。その後二〇一二年四月施行の宗法には「宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、勧学寮が教諭する」と定められたが、やはり何もなされなかった。)

信前信後の曖昧さより生ずる問題は念仏に限られたことではないが、(真宗者の倫理性、社会性を論ずる上でもこの事の整理が必要である。)ここでは念仏の問題を通して混乱の根本原因がどこにあるかを考察したいと思う。

二 獲信(信心決定)の覚不覚の問題

三業惑乱(一八〇六年終結)で獲信の年月日時の覚不覚を論ずることが問題とされ、獲信の日時の記憶がなければならないとする主張が一念覚知の異義とされたのであるが、獲信の覚(自覚)が否定されたのではない。獲信の覚を否定することは寧ろ十劫安心(無帰命安心)の異義とされているのである。このことは重要なことと思われる。(拙稿「信一念と信の覚不について」『印度学仏教学研究』五五・二、二〇〇七年http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shinitinen.htm 、 「親鸞浄土教における救済の理念と事実」『印度学仏教学研究』五六・二、二〇〇八年、等参照。)

http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm 

信心不覚の根拠として『歎異抄』に第九の「親鸞もこの不審ありつるに」(真聖全二の七七七)や『蓮如上人御一代記聞書二一三』に「心得たと思ふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり」(真聖全三の二一三)がよく挙げられているが、『歎異抄』第九は親鸞が自分も過去に不審があったということであり、今もあると言うことではないのである。(『日本国語大典』第二版第一巻、二〇〇六年、六五五頁、参照)。親鸞には「信心決定」「往生一定」の自覚あったのである。『蓮如上人御一代記聞書二一三』の言葉も、自力で心得たと思ったらまちがいだということである。親鸞と同様、蓮如も「信心決定」「往生一定」の自覚はあったのである。(右記<上記>、拙稿参照。)

因みに、一九八一年に信楽氏に対しては異義断定保留、岡氏に対しては疑義断定保留として具体的には何もなさなかった当時の勧学寮頭が、その翌年に「庄松同行に、お前は信心いただいているか、ときいたら、私にきいてもわかりません。聞くところが違いますよ。阿弥陀様に聞いてください、と申したとつたえられております。」(『信心について』探究社、一九八二年、四六頁)と述べて、庄松同行に獲信の自覚はなかったように語っているのである。しかし『庄松ありのままの記』には、ここで庄松同行は「へエ、いただきました」(永田文昌堂、一九六一年、四七頁、等)と獲信の自覚を述べたとあるのである。このことは極めて重大なことと思考する。(第6部会 P,280)。
(2017年2月5日)

  上についての Face の反応。

G氏) Namo AmidaBhtu

Y氏)なんまんだぶつなんまんだぶつ

(紅楳)有り難うございました。宗制宗法遵守義務の公然放棄がまかり通っている教団の現状において、この事は熟慮すべき重大な問題だと思います。 合掌。

N氏)  南無阿弥陀仏         (2017年2月7日)

続前(2月5日)

『宗教研究』の論文は紙数の制限のため詳述できませんでしたが、桐渓氏の『信心について』(探究社、一九八二年)には、次のように書かれています。

信心というものは私が喜べるようになったからこれで・・・。お念仏がでるようになったからこれで・・・、ときめてもらうとあぶない。なぜかというと、蓮如上人が御一代記聞き書きの二百十三條に、「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり」このあとの言葉については色々と問題はありますが、・・・そして、さらにこう書いてあります。「弥陀の恩助けあるべきことのたふとさよ思うが、心得たるなり」と書いてあります。「心がこうなった、ああなった、これで」ということを、心得たとおもっているのではないですか。いつ聞いても、いつ思い出しても、如来様の御本願にまちがいないと思わして、喜ばしていただくことを心得たというのであります。だから信ずるということは、普通なら、心がああなったり、こうなったりすることをいうように思うけれど、しかし心が、ああなったり、こうなったりすることを、信ずるんだと思うと、へたすると、凡夫のはからいの上に信心を決める。だから蓮如上人が「弥陀の御たすけのあるべき・・・」と申されるのであります。(桐渓順忍『信心について』探究社、一九八二年七月発行、四四頁)。

と、氏は「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり。弥陀の御助けあるべきことのたふとさよと思が心得たるなり。」(『蓮如上人御一代記聞書二一三』真聖全三の五八四)、((『浄土真宗聖典(註釈版)』P,、1300)の文の解釈で、衆生(機)の側(機辺)には何の変化もない、信心決定の想いや往生一定の確信はないものであると述べていますが、私はこれには賛成しかねます。このことについては私が以前書きました論文「親鸞浄土教における救済の理念と事実」『印度学仏教学研究』五六・二、二〇〇八年)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm 
に桐渓氏の解釈と異なる深励氏(大谷派)と南渓氏(本願寺派)の見解を紹介しています。その部分を下記します。

 四、「心得たと思ふは心得ぬなり」について

 行者の信心決定の自覚を否定し、信心不覚説の根拠とよくされるのが、『蓮如上人御一代記聞書』末二一三に

心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり。彌陀の御たすけあるべきことのたふとさよ思が心得たるなり。少も心得たると思ことはあるまじきことなりと仰られ候。(真聖全三の五八四)、(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,、1300)。

とある文である。この文を信心不覚説の根拠とすることが誤りであることは前回述べた⑨が、新たな資料を目にしたので重ねて論ずることにする。大瀛とともに三業惑乱の終結に働いた道隠と親交があり、三業の毒が東派に波及することを怖れていたといわれる⑩深励(一七四九ー一八一七)の『肥後国異法義御教誡』に

なんぼ一文、我が勝手のよい文がありても、外の九文にさしつかえることなれば、通釈して通るが学問をするものの心得なり。一文に屈執してそれで云ひ立てるやうになると、法幢がごとき異解者になるなり。御小屋の尼どもが、信心を得た云ふは得ぬのなりとある文を一つ覚えて居て、諸方の信心者の処へ往き、お前方はまだ自力の心でござる、信心得たと云ふて居る間はまだ信心を得ぬのじゃと云ふなり。これは心得違へなり。八十通の『御文』に信心をえよ。信心を取れとの給ふに、『御一代記聞書』に局つて、得たとおもふは得ぬとあればとて、八十通の『御文』は捨てられぬ。(続真宗大系十八の二一八)

と述べている。この文によって「諸方の信心者の処へ往き、お前方はまだ自力の心でござる、信心得たと云ふて居る間はまだ信心を得ぬのじゃと云ふ」事は間違いであると述べているのである。

 また南渓(一七九○ー一八七三)は『新二十邪義』批評に

  心得たと思は心得ぬなりと云ひ機辺の決定を排する邪義、御一代記聞書末三十四丁に云云とあれば我等がたすかるわけは仏辺に成してあれば夫れを聞くばかり、機辺と信心決定の安堵のと云へは皆自力なり夫れこそ心得たとおもふになるなり。

評云此は一句一言を截りとり妄義を搆ふるなり、(中略)察する処三業の後意業運想⑪などおこりて、機辺の受け前を己れが妄情穿鑿して御裁断ありしより機辺に領解を語れば自力なりと、偏へに心へて、如是妄説を成す、全く他の無相離念に同じ何ぞかかる安心あるべきや、殊に毫善師は此機の上に保つ処の仏智をつのりとせんほか如何でか凡夫往生の得分あるべきとの玉へり、已に此機の上に保つとあれば機辺に領得すべし、領解文には往生一定御助け治定と存じとある、存は亡に対して心内にあることなり、仏智を凡心に領受したる処なり。此御文にはしばしばこころえよとの玉ふ。何ぞ機受決定を排却せんや、(中略)御助けは一定往生治定と存ずと云ふ往生安堵の思ひに住するをこそ決定心を得たる人と云べし、この決定を排却するときは生涯不決定を以て安心とするや、若決定不決定を機受に求めずと云はば十劫秘事なり。⑫

と述べている。最初に「心得たと思は心得ぬなりと云ひ機辺の決定を排する邪義」とあるように、南渓はこの文によって機辺の決定心(信の自覚)を否定する考えを誤りとするのである。「領解文には往生一定御助け治定と存じとある、存は亡に対して心内にあることなり、仏智を凡心に領受したる処なり」と信心は自覚されるものであることを述べ、決定心を否定して生涯不決定を安心とすることを否定し、それは十劫秘事であると述べているのである。

 『肥後国異法義御教誡』は惑乱終結の翌年(文化四年)になされたものであり、『新二十邪義批評』は無論惑乱以後のものである。ともに機辺の決定心を否定することを間違いとしていることは、惑乱を終結させた正義派(大瀛)の意も同様に機辺の決定心を否定することを間違いとしたもの、即ち信を覚としたものであったことのさらなる裏付けとなろう。(以上論文よりの引用)

と私が書いているように、両者共に「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり」の言に執して衆生の側(機辺)決定心否定する考え信心を不覚とする考えを誤りとしているのであります。

「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり」とある意味は、自分の力(自力)で心得たと思うのは間違いであると言う意味であり、信心は不覚と言われているのでありません。
ここで私が留意しなければならないと思いますのは南渓氏が「御助けは一定往生治定と存ずと云ふ往生安堵の思ひに住するをこそ決定心を得たる人と云べし、この決定を排却するときは生涯不決定を以て安心とするや、若決定不決定を機受に求めずと云はば十劫秘事なり。」と述べていることであります。周知のように「十劫秘事」(十劫安心)は本願寺派の三業惑乱時(1806年終結)一念覚知と同様に異義と裁断されたものであります。(稲垣瑞雄『信心獲得のすすめ』の序文(自照社、2017年1月)参照)。http://e-kobai424.sakura.ne.jp/jyo.html
生存年代から分かりますように深励氏も南渓氏も三業惑乱時の人でありますから、当時の状況、様子を良く熟知していたことと思われます。

それから桐渓氏は庄松同行について
庄松同行に「お前は信心いただいておるか」ときいたら「私に聞いてもわかりません。聞くところが違いますよ。阿弥陀様にきいてください」と申したと伝えられております。「こころでこうなったからから」と決めたのではあぶない。(桐渓順忍『信心について』探究社、一九八二年七月発行、四六頁)。
と述べているのですが、実はこの話は最も大事な所が違っているのです。

庄松同行の語録である 『庄松ありのままの記』には

御法主「さあ其心持ちが聞きたいため汝を読んだ、敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併(しかし)汝は信を頂いたか」。 庄松「ヘエいただきました」。御法主「その得られた相を一言申せ」。庄松「なんともない」。御法主「それで後生の覚悟よいか」。庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我にきいたとてわかるものか」(清水順保『庄松ありのままの記』、永田文昌堂、一九六一年四月発行、四七頁)

と述べられています。ここには上の桐渓氏の文にはない(併(しかし)汝は信を頂いたか」。 庄松「ヘエいただきました」。)とある言葉がないのです。この事は桐渓氏の領解を窺う上で極めて重要なことだと思います。 その後御法主「その得られた相を一言申せ」。庄松「なんともない」。御法主「それで後生の覚悟よいか」。庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我にきいたとてわかるものか」と庄松同行は述べていますが、それは「ヘエいただきました」と述べた信心決定後の、往生一定の安堵の上の往生の確信の心の上での言葉なのであります。「ヘエいただきました」と言う言葉が何故抜けたのか、もし桐渓氏が故意に抜いたのなら尚さら悪いですが、知らずに抜いたとしても、知識不足と言うだけでなく、信心とは衆生の側(機辺)に決定心のない不覚のものと思い込んでいることが明らかです。 上に述べたように桐渓氏は十劫安心的な人に思えるのですが、これが正にそのことを示していると思われます。大変失礼な言い方になりますが、桐渓氏において信が往生決定の心でもなく,不覚のものであるならば、信の慶びも知恩報徳の心もお持ちでなかったことになります。これでは信心正因称名報恩批判に対して正しい裁断ができるはずはなかったということになるでありましょう。

このように教団の責任担当者までが十劫安心に座っているような状態が続いておりますので『信心獲得のすすめ』で慨嘆されているように「いざ信心獲得の内容に入ると無口になり、体験的な話はご法度で、強いて言う人は、一念覚知の異安心と見なされる恐れがあります」という傾向が随分以前から蔓延していたのでありましょう。(南渓氏は氏の時代にもあったと述べている。)

しかも桐渓氏のこの十劫安心的考えは、多くの教学の責任担当者に受け継がれ、機辺の決定心の否定、往生の確信の否定や、聴聞無用論までが横行しているのであります。そしてこれは現勧学寮頭にも継承されています。(続②近年の本願寺派教学に想う http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html  等参照。   因みに、現勧学寮頭は氏の論文「浄土真宗における儀礼論」(日本仏教学会年報63,平成10年<1998年>5月発行)に、信前と信後を分ける考えに反対している。 )

こんな状態でありますから、宗制宗法遵守義務が公然と放棄されている情けない現状となっているのです。このように教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団となっている、現教団の信心不在体質の抜本的改善を、教団人全員で早急に真剣に考えねばならないと思います。 合掌。  (2017年2月8日)

     上記についてのFace bookの反応

S氏)  南無阿弥陀仏

(紅楳) Obrigado. Gassho.

Y氏)南無阿弥陀仏

(紅楳)有り難うございました。現在教団には諸問題が山積していますが、教義信心についての宗制宗法遵守義務の放棄がまかり通っている状態が一番の大問題だと思います。これでは親鸞聖人の教えとは無関係の教団ということになってしまいますし、教えが弘まることもないと思います。教団の無信心体質の抜本的改善が正に急務と考える次第です。合掌。

G氏) 南無阿弥陀仏

これ、面白いですね。御小屋の尼どもが、信心を得た云ふは得ぬのなりとある文を一つ覚えて居て、諸方の信心者の処へ往き、お前方はまだ自力の心でござる、信心得たと云ふて居る間はまだ信心を得ぬのじゃと云ふなり。
一知半解というか、こういうことを言ってまわる者が昔はいました。最近では、信心とか安心といっても全く反応を示さない者ばかりで、信をとれ信をとれの蓮如さんの教えもどこへやらです。
越前では、大きな信心十六ぺん、ちょこちょこ安心数知れず、などと言ってましたが、これもご信心を頂くということに熱があったということでしょう。
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。ということは、信心以外は末であり、どうでもいいという事なのですが、この御文章を一座の肝要として拝読している布教使さんには、ご信心があるように思えないので困ったものです。ある意味では、恩寵主義にどっぷり漬かっている教団には、もういっぺん三業惑乱をやり直さなければ、と思っていたりします。なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

(紅楳)  大変結構なコメント、誠に有り難うございます。合掌。

T氏) 庄松同行のご信心の話など、大変興味深く読みました。 南無阿弥陀仏

(紅楳)何度も述べてきたことでありますが、今や教団は教学の責任担当者までが信心正因称名報恩の意味も分からず、無明の二義も分からず、一念覚知と十劫安心の違いも分からず、 蓮如上人御一代記聞書213』の意味も分からず、庄松同行とご門主との対話の意味も分からない、信心不決定(未決定)者の集団と成り果てているのであります。この信心不在体質の抜本的改善がなされないままでは、いくら発展計画を掲げても成果は期待できないと思います。Gさんの言われる「もういっぺん三業惑乱をやり直さなければ、と思っていたりします。」(教学体制の解散)に私は賛同します。合掌。  (2017年2月11日)


続前(2月8日)

法霖氏(1693-1741)の言葉に「祖師聖人御相伝の御宗旨さへ、御立行なされ候へば、御本山は自然と御立ちなされ候」(日渓古数奇屋法語、真宗全書62巻)とあります。
親鸞聖人の教え(蓮如上人の教えも含む)を正しく伝えて行けば、本願寺は自然と栄えるものであると述べています。教団の使命は親鸞聖人(宗祖)、蓮如上人(中興)の教えを正しく弘め、世の人々をを救う事であります。
色々述べましたが、今や教団の教義信心は大いに乱れ、それに関する宗制宗法遵守義務放棄が公然とまかり通っている有様であります。この無信心傾向は1981年(信楽氏岡氏の信因称報批判問題について、何の処置もされなかった勧学寮の裁定)以来急速に進んだと思います。この直前の勧学寮頭であった大原性実氏は信楽氏、岡氏に対して何らかの処置をするつもりであったのです。(「続②近年の本願寺派教学に思う。2015年4月5日記」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html )

それから愛山護法ということも護法愛山でなければなリません。三業惑乱と言う言葉も出てきましたが、こう教義信心が乱れてしまったからには、少々の混乱は恐れることなく、思い切った処置がなされるべきではなかろうかと思います。教団人全員の叡智を結集して真剣に考慮すべきであると思う次第であります。合掌。
(2017年2月12日)

御賛同有り難うございました。何度も申しましたが、教義信心についての宗制宗法遵守義務の放棄が公然とまかり通る教団の現状は、誠に情けない限りであります。僧侶自身がみずからの信心決定を忘れてはなりません。蓮如上人は『御一代記聞書』九三に (『浄土真宗聖典<註釈版>P,1261)に

「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり 、人承引あるべからずと」

と述べられています。深く頂戴すべきことであります。 合掌。      (2017年2月16日)

 上記 Face book の反応

D氏) Namo Amida Butsu _

(紅楳)【Rennyo Shonin’s Goichidaiki-kikigaki 93

To urge people to attain shinjin even though you have no shinjin yourself is the same as giving something to others even though you do not have it. People will not approve of this.   Gassho.

G氏)r 南無阿弥陀仏 (2017年2月17日)

続前(2月12日)

1月14日に述べましたように、他人が信体験を語るとすぐに「一念覚知の異安心者」という人は(私自身もよくそう言われてきました。)、その多くは「一念覚知」の正しい意味の分かっていない、十劫安心の異義者であるか、または宗教の世界に未だ目醒めてない人であるか、いずれにせよ信心不決定(未決定)の人と言って過言ではないと思います。三業惑乱の終結に貢献した大瀛氏はその著『横超直道金剛錍』に、十劫安心者を評し、

然るに十劫者は。この如是聞信をしらず。如来の正覚成就の時を。我が往生治定の時と計す。是大違なり。又かくのごとくこころえてのちこそ。御恩とは云べきに。十劫者この如実の領解もなく。聞信不具足にして御恩を忘れぬと云。大に違へり。(下、四十丁、左)

と述べて、十劫安心の人は、如来正覚の時(十劫の昔)に往生の定まったとと考える間違いの人であると述べ、御恩を忘れぬとは言いながら、仏の御恩の分かっていない人だと述べています。(往生の定まる時は信心の定まる時である。)

現教団においては教学責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団となり果て、他者の信体験に対しては一念覚知の異義者と評する十劫安心に据わった人達であり、仏の御恩が分からないが故に信心正因称名報恩の意味も分からず、宗制宗法遵守義務を公然と放棄する有様であります。この現状は三業惑乱時以上の惨状だと思います。

教団においては長らく発展振興計画が叫ばれ、また僧侶の有志による「宗門の明日を考える会」等も発足されてはおりますが、信心不在の体質の改善を忘れたままでは成果は期待できないと思います。 合掌。    (2017年2月24日)

(「続⑤近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html より)

「宗祖における信心と念仏」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syusoniokeru.html、「宗祖における信心と念仏(二)」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/syuuso2.html、に明らかなように、宗制教義に定められていた信心正因称名報恩義を赤裸々に批判したのが信楽氏岡氏でありました。それについて何の処置もしなっかったのが当時の勧学寮頭の桐渓氏であったのであります。(1981年)。岡氏や信楽氏が救済体験のない信心不決定(未決定)者であったことは言うまでもありませんが、私には上の論文にも述べたように桐渓氏も同類のように思われます。それで信楽氏岡氏に何の処置も指導も出来なかったのであります。そして勧学寮のこの信心不在の傾向は現勧学寮頭の徳永氏に更に顕著に継承されているのであります。前(9月4日)に述べた「十劫邪義」、「信前信後の無分別」、「真門念仏と弘願念仏の無分別」、「信心正因称名報恩義の無理解」、「宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者」等であります。

下川氏の質問に対し、勧学寮からも総局からも未だ何の回答も返信もないとのことであります。誠意と責任ある回答がなされないようなら、勧学寮は解体すべきだと思います。宗制宗法遵守義務放棄の法令違反だけでも、既に十分に解体に値すると考えます。 合掌   (2018,9,18)。




10月1日となりました。下川氏の「徳永勧学寮頭の御発言に疑問を呈す」が『中外日報』に掲載されましてから(8月31日)、一ヶ月経過しました。勧学寮からも総局からも何の回答も音信もないようであります。例によって都合の悪いことは無視して有耶無耶にするつもりでありましょうが、とんでもないことであります。これで宗門の発展振興があるはずはありません。
度々申してきたことでありますが、現在の勧学寮は信心正因称名報恩の正しい意味を体得していない信心不決定(未決定)者の集団であり、宗制宗法遵守義務放棄の宗門法令違反者の集団であります。この事だけでも十分解体処分に値すると思われます。その他、これも信心不決定(未決定)に起因することでありますが、勧学寮関係者に、獲信によって消滅する本願疑惑心(疑無明)と信後も生涯続く煩悩妄念心(痴無明)との違いの分からない故に痴無明疑無明の二義を語ることに反対する見解、『歎異抄』第九の親鸞聖人の「親鸞もこの不審ありつるに」とある「ありつる」を現在進行の意に訳して、親鸞聖人が御自分の往生に不審をもち続けた「若存若亡」の人であったように解釈する、とんでもない間違いも生じているのであります。
これに加えてこの度、徳永勧学寮頭があくまで下川氏の質問を無視し続ける不誠実無責任な態度をとり続け、それについて教団当局が何の指示も処置もしないのであれば、宗門の発展振興のために別の方法を考える必要があるように思います。  合掌  (2018,10,1)。



紅楳 英顕さんが過去の思い出をシェアしました。


《紅楳 英顕

2013102 ·

 とうとう今年も十月になりました。宗門の新たな始まりである新宗法の施行(平成24年4月)から、早2年目が終わろうとしています。一刻も早く、信心正因称名報恩批判者(信心未決定者)に対する教諭がなされ、宗門の無信心体質の抜本的改善がなされることを念じます。  合掌》

 これは丁度5年前の事でありました。この時、信楽氏は存命でありました。しかしながら、勧学寮は全く教諭はせず、宗制宗法遵守義務を放棄したのであります。この責任は極めて重いと思います。合掌  (2018,10,2)。
この勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄は宗門の法令に違反する(しかも真宗教団の生命である教義・信心について)大過であります。断じて許されることではないと考えます。合掌 (2018,10,2)。




教学担当責任者までが信心正因称名報恩の意味も分からない、宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者でもある信心不決定(未決定)者、さらに不誠実、無責任者の集団とも成り果てた教団の現状を悲嘆し、一句浮かびましたので下記します。

他力信心獲得人  他力信心(たりきしんじん)を獲得(ぎゃくとく)した人(ひと)は、 

即入現生不退数  即(すなわ)ち現生(げんしょう)に不退(ふたい)の数(かず)に入(い)る。 

亦恵真実大慶喜  亦(また)、真実(しんじつ)大慶喜(だいきょうき)に恵(めぐま)る。 

无待臨終聖衆扶  臨終(りんじゅう)に聖衆(しょうしゅ)の扶(ふ)を待(ま)つこと无(な)し。

(意訳)
他力信心を獲得した人は、その時に現世で仏になることに定まった現生正定聚の数(なかま)に入ります。そしてまた不顛倒(崩れることのない)不虚偽(うそいつわりのない)の真実の大慶喜(よろこび)の心に恵まれるのであります。そして既に往生の定まった正定聚(平生業成)の身でありますから、臨終(命終わる時)に仏菩薩の扶(たすけ)を待つ必要はないのであります。
 合掌  (2018,10,15)。

信心正因称名報恩義を否定する人は信心不決定(未決定)の人達であります。定聚の数(正定聚)に入っていない人であり、大慶喜の世界を体験してない人達なのであります。このような人達が教団の教学担当責任者であることが全く情けないことであります。それに加えて、この宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者でもある人達に、何の処置もしない教団当局は、発展振興と言いながら一体何をしようとしているのか甚だ疑問であります。合掌  (2018,10,16)。

若い時から「信心正因称名報恩」を親鸞聖人の正義と述べてきた私を「伝統教学の墨守者」と非難する人が大勢いましたが、そうではないのであります。拙著『親鸞聖人の念仏論』(p、4以下)で述べました19才の時の私の宗教体験(獲信体験)から生じたものなのであります。
また私を「一念覚知の異義者」と非難した人(非難している人)も多いと思いますが、これも拙著『同』(p、11以下「一念覚知と無帰命安心(十劫安心)」で述べましたように、「一念覚知」と「無帰命安心(十劫安心)」の正しい意味が分かっていない、宗教体験(獲信体験)
のない人達の間違った所論なのであります。この事は教団の発展振興のためには是非はっきりしなければならない事と思います。合掌  (2018,10,16)。




私たちに御縁の深い『正信偈』の龍樹讃に「弥陀仏の本願を憶念すれば 自然に即の時に必定に入る。ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,205)とあります。即ち「阿弥陀仏の本願を信じたならば、本願力によりその時に正定聚の位に入ります。正定聚の位に入って常に念仏を称え、阿弥陀仏の大悲の恩に感謝して下さい。」と述べられています。
宗制教義に定められた「信心正因、称名報恩」義がここにもはっきり述べられているのであります。そして重要なことは、この文で明らかなように、信心決定して正定聚の位に入った人の称える念仏が報恩念仏なのであります。またこの念仏が18願の念仏なのであります。
周知のように現在の勧学寮は「信心正因、称名報恩」の意味の分からない宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者の集団でありますが、これは信心不決定(未決定)の「正定聚の位に入っていない人」、「往生の定まってない人」、(非正定聚人)の集団と言うことになるのであります。
最初(「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm に述べましたように、少なくとも教団の教学担当責任者は信心決定の人でなければならないのですが、現状はそれと全く異なる信心不決定(未決定)、往生不定の、非正定聚人の集団と言う誠に歎かわしきことなのであります。
それに加えて憂うべきことは、今回の下川氏の公開質問に答えようとしない、都合の悪いことは無視し、ごまかそうとする勧学寮の極めて無責任不誠実な姿勢であります。開かれた宗門であるべき所、断じて許されることではないと思います。
ついでに申しておきますが、勧学寮の無責任不誠実の姿勢は今に始まったことではないのであります。2005(平成17)年~2007(平成19)年にかけて、私の知人(本願寺派住職)2名が、当時の勧学寮頭宛てに「勧学寮における勧学選考基準」、「宗意安心問題」等について再三質問状を送ったことがありました。所が寮頭からの返信は「勧学寮は貴殿の質問にはお答えできません」、「以後、同様のご質問につては、返答いたしません。」のみで、全く回答の態をなしてない無内容、不誠実なものでありました。 (概要は中外日報、平成17年<2005>11月22日の4面、読者のひろば、に掲載されています。)
権威を笠に自分達の都合の悪いことはごまかし通そうとするのが近頃の勧学寮の常套手段でありますが、このような欺瞞腐敗が許され続くようでは、教団の発展振興は到底無理なことであろうと私には思われます。合掌
   (2018,10,28)。

易行道(他力道)と言いながら、他力信心を難信と言いますが、これは法の尊いことと自力の信でないことを言うのであって、信心獲得が不可能と言っているのではありません。
親鸞聖人は御自分が信心獲得し、現世で正定聚の位に入られたことを大変慶ばれ、我々に信心獲得を勧められたのであります。
昨今の本願寺教団は、教学担当責任者までが信心不決定(未決定)の非正定聚人の集団と成り果て、信心正因称名報恩の意味も分からず、宗制宗法遵守義務放棄の法令違反の徒と成っていることは、誠に歎かわしいことであり、まさに悲劇と言えると思います。合掌
  (2018,10,29)。




とうとう十一月になりました。下川氏の徳永勧学寮頭に対する公開質問(中外日報、8月31日)から2ヶ月以上が過ぎました。その後勧学寮からも総局からも何の返信も回答もないとの事であります。勧学寮頭が下川氏の質問に何も答える意思がないことが明らかであります。
この事は勧学寮頭の極めて無責任、不誠実の姿勢が明白に露呈したと言えると思います。教団の教学の最高責任者がこのようなことで、教団の発展振興は到底望めない事と思います。
前述(10月28日の後半)のように勧学寮の権威を笠に着て、自分に都合の悪いことは無視し、誤魔化し通そうとする姿勢は今に始まったことではありません。
私の知人二人(本願寺派住職)が2005(平成17)年<第1回は5月16日付>~2007(平成19)年にかけて、当時の勧学寮頭(普賢氏)宛てに「勧学寮における勧学選考基準」、「宗意安心問題」等について再三質問書を送ったことがありました。(少なくとも9回)。所が寮頭からの返信は「勧学寮は貴殿の質問にはお答えできません。」のみでありました。
「勧学寮における勧学選考基準」についてのことは、前回述べましたように、概要は中外日報、平成17年<2005>11月22日の4面、読者のひろば、に掲載されていますので、今回は宗意安心問題を中心に以下述べます。

2006年(平成18年)10月17日付で、知人二人は当時の勧学寮頭(普賢氏)宛てに、以下の内容の質問書を送りました。

[質問・Ⅰ]、[質問Ⅱ]。  勧学寮における勧学選考基準について。
[質問・Ⅲ]。(1)    本願寺派第281回定期宗会における西郷和生氏の通告質問に関して。
     (2)    「龍谷教学第40号」の「浄土真宗の証果論』(岩崎正衛氏述)について
[質問・Ⅳ]。      『龍谷教学第41号』の内藤知康氏の「宗祖の証果論」についての疑問。
[質問・Ⅴ]。      2003年(平成15年)の安居での徳永勧学講義の著『浄土文類聚鈔』(永田文昌堂発行)に見られる疑問。
            ①「疑心往生の主張」(p、207)。
            ②「宗祖における三願転入の事実の否定」(p、207)。
            ③「真門・弘願の混同」(p、209)。
            ④「行一念・信一念の混同」(p、214)。
[質問・Ⅵ](5)。   徳永氏の発言について
           ①信心決定を否定し、「信心はなくても全ての人救われるのだ」と述べられたと仄聞しています。もしこのような発言が、本願寺派勧学からなされたとするならば、真宗教学を根底から覆すことになる大問題であると思考致します。同様に
           ②紅楳氏の信心の考え方に賛同した某氏に対して「一念覚知の異安心だ」と言われた、ということは紅楳氏の考え方も同様に「一念覚知」と考えておられると受け止められます。
            上記、仄聞いたしております徳永氏の御発言について、勧学寮頭様から明確な形での御回答をお願い致します。


《質問書は常に、御門主様、総局、宗会にコピーが送られていました、この後、2006年<平成18年>12月21日付、2007年<平成19年>5月25付で、これ(2006
年<平成18年>10月17日付)とほぼ同内容の質問書が出されましたが、勧学寮からの返信は下記のみのものであり、以後ありませんでしたので、 2006年(平成18年)10月17日付の質問書の内容を上に書きました。》 


勧学寮からの返信は


勧学寮部長    2006(平成18)年11月24日
お問い合わせの件について
先般、ご送付いただきました、1017日付のお問い合わせの件について、下記の通りお答えいたします。
また、以後、同様のご質問については、返答はいたしません。
             記
1,1・Ⅱ・Ⅲの(1)については既にお答えしている通りであります。
2,Ⅲの(2)・Ⅳ・Ⅴ・Ⅵについては、勧学寮は貴殿の質問にはお答えできません。
                                                        以上


でありました。御覧頂く通り、教義安心に関する問題については、「2,Ⅲの(2)・Ⅳ・Ⅴ・Ⅵについては、勧学寮は貴殿の質問にはお答えできません。」と述べて、一切答えようとしなかったのであります。勿論以後、回答は全くありませんでした。
Ⅲの(2)、Ⅳの内藤氏の証果論も問題はありますが、Ⅴの徳永氏の問題は極めて重大であり、信心・念仏の全く体得できてない信心不決定(未決定)者の所論と言えるものであります。これに一切答えないとは、当時の勧学寮頭の対応は何と無責任・不誠実なことでありましょうか。それとも徳永氏と見解を全く同じにする信心不決定(未決定)の人と言うことでありましょうか。全く理解に苦しむことであります。
それから、次のⅥ(5)。徳永氏の発言について、がまた大問題であります。①は全く教義に無知者の発言と断ぜざるを得ないものでありますが、②紅楳氏の信心の考え方に賛同した某氏に対して「一念覚知の異安心だ」と言われた、ということは私(紅楳)の考え方も同様に「一念覚知」と考えておられると受け止められます。この点については、特に明確にしたいと思います。
このことは2007年<平成19年>5月25日付の質問書には、

“徳永勧学の問題発言について。仄聞する所、2006年(平成18年)9月7日に愛知学院大学で開催された『日本仏教学会』に出席された際に、紅楳英顕氏より『信心につて』の質問をうけられたが、十分な回答はされなかったとのことであります。その学会終了後の発言として、徳永勧学は数名の方と語り合い(紅楳氏は不在)、紅楳氏の信心理解を批判し、そして真宗教義の根本義である『信心決定』を否定し「信心はなくても全ての人はすくわれるのだ。」と述べられた、と仄聞しております。
その中におられた某氏が、紅楳氏の意見に賛同する意向を述べた所、徳永勧学は、その某氏に対し、「君は一念覚知の異安心だ」と述べた、とも仄聞しています。その場におられた方は、皆様聞いておられる事であり、既に、既成の事実ですので、誰が告げたということでは無く、徳永勧学ご自身が、この御発言に就いての御説明をされるべきであります。“

と書かれています。

回答をえるために質問者はより具体的に述べたのでありますが、当時の勧学寮頭(普賢氏)からも徳永氏(現勧学寮頭)からも何の回答もなかったとのことであります。普賢氏の教義安心理解も、問題だらけの徳永氏と全く同様と考えざるをえないのでありましょうか。
徳永氏が私(紅楳)を「一念覚知の異安心」だと言っているということは他の人達からも聞いています。私は徳永氏に限らず私のことを「一念覚知の異安心」だと言っている人は、十劫の昔から助かっていると考える十劫安心(無帰命安心)の人達だと考えています。この人達は救済体験(獲信体験)がないため、信心決定の実感がなく、往生一定の確信もなく、報恩念仏の慶びの世界も分からないのであります。それで信心正因称名報恩の意味も分からず、平然と宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者となるのであります。自分に信心決定の実体験がないために、それを語る人を一念覚知の異義者だと言うのですが、これは「一念覚知」の正しい意味が分かっていない信心不決定(未決定)の人なのであります。教団の教学の最高責任担当者がこの有様とは実に情けないことであります。
私の考えが間違いだと思われる方は、遠慮なく私の考えに反対の意見を述べて下さい。私はこの度『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂、2018年6月発行)を書きました。その序論 第二章 第三項 一念覚知と無帰命安心(十劫安心)、第三章 浄土真宗における回心について <11頁以下> に、それについての私の考えを述べています。   合掌  (2018,11,9)。

「一念覚知」と「十劫安心」については、『宗教問題23』(合同会社宗教問題、2018年8月31日発行、p、116以下)、「信心のありがたさ」にも述べています。  合掌  (2018,11,10)。

R様、いつもながら貴重な御意見有り難うございました。徳永勧学寮頭の「一声の会」での講演 https://l.facebook.com/l.php...の内容を批判し、最後に 
「積薄な、
http://shinranworks.com/に参加している坊主を勧学寮頭に据えたのであろうが、これは浄土真宗衰退の道を転げ落ちていくことですよん。」  と述べていますので、私の意見に賛同頂いたものと理解します。
徳永現勧学寮頭、普賢前勧学寮頭等、勧学寮の関係の方からの御意見御批判を御願い致します。  合掌
 (2018,11,11)。

徳永氏の「一声の会」の講演内容については、以前(FB 2015,6,30.続②近年の本願寺派教学に想う http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html   <2015,6,30記>等)に批判を述べたことがあり、その際R様、その他の方々に御賛同頂いた事でありました。
重ねて申しますが、私の所論に対し徳永勧学寮頭、普賢前勧学寮頭等、勧学寮の方々よりの反論批判をお待ちしております。もしも何の反論批判もないのであれば、御自分達が信心不決定(未決定)者であると言う、 私の所論をお認め頂いたと考え、あらためて教団のあるべき方向を思考する事にしたいと思います。   合掌
  (2018,11,12)。



3年前第十一回仏教漢詩の会が催 されました。(2015年11月14日)
 上手には作れませんが、古体漢詩の規則に従って試みたものです。
 今回のテーマは親鸞聖人でありました。

讃親鸞聖人 ー自信教人信の道ー            紅楳英顕

北嶺勤修二十年              北嶺勤修二十年 (ほくれい ごんしゅ にじゅうねん)、

建仁辛酉帰念仏              建仁辛酉(けんにんしんゆ う) 念仏(ねんぶつ)に帰(き)せり。

聖道諸宗非難中              聖道諸宗(しょうどうしょしゅう)の非難 (ひなん)の中(なか)、

辺鄙越後流刑罰              辺鄙越後(へんぴえちご)へ 流刑罰 (る けいばつ)。

自名愚禿入群類              自( みずか )ら愚禿(ぐとく)と名(な) のり、群類(ぐんるい)に入(い)る。

独了二尊教意実(註)           独(ひと)り(二尊)の教意(きょうい) の真(まこと)を了(さと)り、

遠晴濁世闇雲霧              遠(とお)く濁世(じょくせ)の 闇雲霧 (あんうんむ)を晴らし、

拯済末代極悪卒              末代(まつだい)の極悪卒(ごくあくそつ) を 拯済(じょうさい)せり。

      註、  三経隠顕論、願海真仮論等の聖人独自の釈顕。

      2015年10月22日

 親鸞聖人の御一生は自信教人信の実践でありました。教団において、このことが一番大事なことであると思います
蓮如上人は『御一代記聞書』九三に
  
信もなくて、人に信をとられよとられよ  と申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり 、人承引あるべからずと、前住上人申さると順誓に仰せられ候き。「自信教人信」と候時は、まづ我が信心決定して人 にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち「大悲伝普化」の道理なる由、同く仰られ候。( 浄土真宗聖典p、1261)

と述べられ、

利井鮮妙師 は 。「土橋」の譬えを出され、 「土橋」は 「 人を渡して自ら落つる」が 「 未信の人 」は 「 朽ちた橋の如く、人も渡さず自らも落つるなり。」と述べられています。

このように他者に教えを伝えるには、先ずその人自身が信心決定の人でなければならないのであります。  
ところが何度も申しますように教団の現状は教学責任担当者までが信前信後の念仏の違いの分からない人達、生涯続く痴无明と獲信によって消滅する疑无明の違いの分からない人達、十劫業成と 平生業成の違いが分からず、信心や聴聞を不要と考える(十劫安心)人達の集団であります。即ち救済体験のない信心不決定(未決定 )の人達の集団であり、教義安心に関する宗制宗法は公然と無視されているのであります。

この度の 宗門総合振興計画 (2015年6月1日スタート) の基本方針Ⅱに

  自他共に心豊かに生きる生活の実践、
  重点項目3 僧侶の 本分の励行、 推進事項④ 僧侶は、仏の大悲心を学び、教化を 自らの使命と自覚し、自信教人信の実践を徹底する 。

と述べられています。この事は誠に有り難いことでありますが、上述のように教団の教学責任担当者までが信心不決定(未決定 )者の集団である信心不在体質のままで 「推進事項④ 僧侶は、仏の大悲心を学び、教化を 自らの使命と自覚し、自信教人信の実践を徹底する 」の推進が果たして可能なのか。従来の長年に亘る振興計画と同様に、計画のみに終わるのではなかろうかと、甚だ疑問を感ずる次第であります。 合掌。


11月9日 記の続(10月28日)に関連しますので、シェアしました。教学責任担当の最高責任者である勧学寮の方々までが信心不決定(未決定)者の集団であっては、この度の 宗門総合振興計画 (2015年6月1日スタート)の成果は、従来と同様、全く期待は出来ないと思います


「何度も申しますように教団の現状は教学責任担当者までが信前信後の念仏の違いの分からない人達、生涯続く痴无明と獲信によって消滅する疑无明の違いの分からない人達、十劫業成と 平生業成の違いが分からず、信心や聴聞を不要と考える(十劫安心)人達の集団であります。即ち救済体験のない信心不決定(未決定 )の人達の集団であり、教義安心に関する宗制宗法は公然と無視されているのであります。」

と書いています。3年前は書いていませんが、今の勧学寮の方々は救済体験のない信心不決定(未決定)の人達でありますので、三業惑乱時の一念覚知の正しい意味は分からず、救済体験を語ればそれが一念覚知の異義であると考える謬見集団である、と加言しておきます。

前記(11月9日)終わりに書きました「私の所論に対し徳永勧学寮頭、普賢前勧学寮頭等、勧学寮の方々よりの反論批判をお待ちしております。もしも何の反論批判もないのであれば、御自分達が信心不決定(未決定)者であると言う、私の所論をお認め頂いたと考え、あらためて教団のあるべき方向を思考する事にしたいと思います。」については11月12日に勧学寮、13日に総局に連絡しておきました。 合掌

 (2018,11、15)。

古体漢詩の型は最初の試みであったため、漢字の音韻を間違えて作っていた箇所がありました。それで少し訂正しましたが、意味は全く同じであります。
前回(11月15日)に述べたことにも全く変化はありません。前回の最後に《「私の所論に対し徳永勧学寮頭、普賢前勧学寮頭等、勧学寮の方々よりの反論批判をお待ちしております。もしも何の反論批判もないのであれば、御自分達が信心不決定(未決定)者であると言う、私の所論をお認め頂いたと考え、あらためて教団のあるべき方向を思考する事にしたいと思います。」については11月12日に勧学寮、13日に総局に連絡しておきました。》と書きましたが、何の音信もありません。私の所論に何も御異存はないということでありましょう。  合掌 (2018,11,19)。

11月15日の記に《「何度も申しますように教団の現状は教学責任担当者までが信前信後の念仏の違いの分からない人達、生涯続く痴无明と獲信によって消滅する疑无明の違いの分からない人達、十劫業成と 平生業成の違いが分からず、信心や聴聞を不要と考える(十劫安心)の人達の集団であります。即ち救済体験のない信心不決定(未決定 )の人達の集団であり、教義安心に関する宗制宗法は公然と無視されているのであります。」
と書いています。3年前は書いていませんが、今の勧学寮の方々は救済体験のない信心不決定(未決定)の人達でありますので、三業惑乱時の一念覚知の正しい意味は分からず、救済体験を語ればそれが一念覚知の異義であると考える謬見集団である、と加言しておきます。》と書きました。これについて勧学寮の現寮頭、前寮頭をはじめとする皆様が、「何も御異存はない」と言うことで、私に対して何の反論も批判もないことは、極めて由々しきことであり、あるべからざる事態であります。
 御自分達の非をお認めになるのなら、勧学寮は直ちに解体し、業務の一切を停止すべきであります。
念のために申しておきますが、2005(平成17)年~2007(平成19)年にかけて、私の知人(本願寺派住職)二人が、当時の勧学寮頭、総長等に宛てに出しました「勧学寮における勧学選考基準」、「宗意安心問題」等の再三の質問書の往返は、知人二人の了解を得ていますので、全てを公開することが出来ます。  合掌
 (2018,11,20)。




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御賛同有り難うござ,いました。
私が認識しています我が教団は、親鸞聖人 700回大遠忌法要(1961年)以後のことでありますが、教団の興隆振興のために長期に亘り種々の施策がなされました。それは決していい加減な気持ちでなされたのではなく、真に教団を思う心からのものであったことと思います。しかしながら、その長期に亘った興隆振興計画の成果については、誰もが疑問を禁じ得ないことと思われます。

この原因はどこにあったかと言うことを、今、教団人全員で真剣に考えねばならないと思います。断じて時代の所為にしてはならないのであります。

私はその原因は教団の僧侶の無信心体質にあったと思います。信心がない故に、教団の興隆振興の目的が、人々が救われることを願うのではなく、世俗的な自己の利益を求める心(自供養心)に成っていたのではないかと思うのです。これでは教えが弘まるはずはなく、教団の興隆振興があるはずはないのであります。

自信教人信という言葉は度々語られたのではありますが、自信(自己の信心決定)がなければなりません。自信を忘れて教人信(伝道)のみを考えても成果が上がるはずはないのでありす。 これは何度も申しました蓮如上人の仰せでもあります。

教団の行政、教学の責任担当者は無論、信心決定の人でなければならないのであり、その他の僧侶も全員が、これも蓮如上人の仰せのように「世間のひまを闕きて」聴聞に励み、先ず自己の信心決定を目指すことが大事なことと考えます。 合掌。(2015,11,21)。


目下、教団において極めて重大な問題である信心についてのことでありますので、シェアしました。今や教団の教学の最高責任者の方々の信心の有無を問わねばならないのであります。
率直に申しますならば、今の勧学寮の方々は、念仏の自力(真門)、他力(弘願)の違いの分からない、救済体験(獲信体験)のない信心不決定(未決定)者の集団である故に、信心正因称名報恩の意味の分からない宗制宗法遵守義務放棄の法令違反組織となっているのであります。それに加え、これも救済体験(獲信体験)のないところから、十劫安心と一念覚知の正しい意味が分からず、十劫安心が正安心のように思い込み、救済体験(獲信体験)があることを一念覚知の異義と談ずる謬見者の集団でもあるのです。(11,15.記)。全く困り果てた、悲歎すべき現状であります。こんな状況で教団の発展振興は望めることではありません。
前回(11,19)述べましたように、勧学寮は早急に解体すべきです。
それから徳永勧学寮頭への下川氏の公開質問(8,31)に対し、再々の督促にも関わらず、全く返信がないようでありますが、この無責任、不誠実な姿勢はまさに言語道断と言うべき事でありましょう。
合掌
  (2018,11,21)。




4年前

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2014年12月5日 13:33 ·

報恩念仏は伝統教学(現代では通用しない)でいうことである、という人がいるようですが、これはとんでもない間違いであります。信心決定のひとの称える念仏は報恩念仏であります。報恩念仏を否定する人は、いまだ信心が定まっていない信心不決定(未決定)の人に他なりません。
合掌  紅楳英顕
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
紅楳 英顕



御賛同有り難うございました。何度も述べてきたことでありますが、救済体験(獲信体験)のない信心不決定(未決定)者である故に、報恩念仏の実感がないために、宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」を否定したのが、龍谷大学真宗学教授の信楽氏岡氏でありました。所がこの両者に対して何の処置も指導も出来なかったのが当時の勧学寮(寮頭桐渓順忍氏)でありました。この時から現在の宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者の集団である勧学寮の信心不在堕落の体質はすでに始まっていたと言えるでありましょう。
「続④近年の本願寺派教学に想う」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku4.html
(2016,5,25-2016,12,16)等参照。
因みに下川氏の徳永勧学寮頭の発言に対する公開質問(8月31日、中外日報)には、未だ何の回答はないようであります。
このような信心不在に加えて無責任不誠実なことで、教団の発展振興は到底望めないことと思います。合掌
 (2018,12,6)。




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紅楳 英顕

歳の暮れとなりました。今年も間もなく終わります。本願寺派において、新しい時代のためと言うことで制定された宗制宗法の教義信心ついての遵守義務が、公然と放棄された儘であることは誠に遺憾であります。言うまでもないことでありますが、教義信心は教団の生命であります。この現状は正に信心不在現象と言うべきでありましょう。
時代即応の教学樹立と言うことで、マルクス主義を模倣して反権力を唱えたり。信因称報義を批判したり、無明に二義(痴無明、疑無明)あることを否定する意見も出てきておりますが、これはすべて救済体験(回心体験)のない信心不決定(未決定)者の所論であります。また十劫の昔にすでに往生は定まっていると考えて、信心や聴聞を軽視する十劫安心や、信心を抜きにした単なる社会性や倫理性を強調する意見も同類であります。因みに私がここで述べました信因称報批判論等に対する教学批判、および曾て論じた親鸞会の教義に対する批判は、すべて私の救済体験(回心体験)、信心決定体験の上から述べたものであることを申しておきます。
蓮如上人のお言葉のように、信心決定による自信教人信の実践でなければ、何年掛けても教団の振興発展計画に成果があろうはずはありません。教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団と成り果てた無自信教人信では駄目であります。
来年こそ教団の、宗制宗法遵守義務の公然放棄がまかり通るような、信心不在体質の改善に期待したいものであります。教団と名の付く単なる俗世間には成って欲しくありません。 合掌。



上の文は2年前に書いたものであります。「来年こそ教団の、宗制宗法遵守義務の公然放棄がまかり通るような、信心不在体質の改善に期待したいものであります。教団と名の付く単なる俗世間には成って欲しくありません。 合掌」と書いてありますが、その後一向に体質改善の兆しはみられず、むしろ益々信心不在現象の深まりが懸念される次第であります。「因みに私がここで述べました信因称報批判論等に対する教学批判、および曾て論じた親鸞会の教義に対する批判は、すべて私の救済体験(回心体験)、信心決定体験の上から述べたものであることを申しておきます。」と述べてありますが、これにつては拙著『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂<2018,6>第一章 私の入信(獲信)p、3以下)に書きました。また私を一念覚知の異義者と言う人もおりますが、これも救済体験(回心体験、獲信体験)のない、三業惑乱時に問題となった十劫邪義と一念覚知との意味の分からない信心不決定(未決定)の人なのであります。これについても『親鸞聖人の念仏論』(第二章 三業惑乱騒動 第三項 一念覚知と無帰命安心<十劫安心
>、第三章 浄土真宗における回心にて。p、20以下。)に述べました。
下川氏の徳永勧学寮頭に対する公開質問(8月31日。中外日報)に対する回答は再々の督促に関わらず、相変わらず何の返信も無いとのことであります。返信の意思は全くないと言うことでありましょう。勧学寮と言う権威を笠に着た極めて無責任不誠実な姿勢だと思います.前にも述べましたように勧学寮のこのような姿勢は今に始まったことではありません。(続⑪近年の本願寺派教学に想う。http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html 2018,11,9記 )
ここに書いていますように私の知人二人(本願寺派住職)の再三の質問書は、信心念仏についての教義上極めて重大な問題であったにも関わらず、当時の勧学寮頭であった普賢氏は一切答えませんでした。しかもここで極めて重大な事柄は徳永氏が、私を一念覚知の異義者であると言った事実であります。これは証人がいるのです。少なくともこの事については責任ある回答を御願いしたく思います。私は、私を一念覚知の異義者と言う人は、救済体験(回心体験、獲信体験)のない、信心不決定(未決定)の人と考えています。現寮頭、前寮頭、その他勧学寮関係の方々、御異存があるなら反論教諭を御願いします。何もなさらず、下川氏の質問にも答えようとしないのであるならば、何度も申すように(続⑪近年の本願寺派教学に想う。http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html 2018,11,20.同 21記 )、
勧学寮は直ちに解体すべきだと思います。  合掌
 (2018,12,20)。



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3年前  2015年12月21日

ある本願寺の御門徒の方から、次のメッセージを頂きました

<新報、12月20日号、示談「蓮如上人の教えは違う?」を読んで感じたこと、
この質問をされた方は、(信楽氏の著書を読んだのでは?)と、推察します。

回答に、「親鸞聖人と蓮如上人の違いを明らかにすることに精力を注いでいるように思えるのですが、そのような姿勢でいいのだろうかと思います。」とありますが、相変わらず、「他力本願回向」の『信心』がわからない人の、コメント と、感じました。

蓮如上人は、宗祖の『他力信心』を、漢文(教行信証)を理解できない大衆に、理解できるようにと伝道されたと、何故、ハッキリと説明できないのか?

「信心未決定者」が、衆生(門徒)を迷わすコメントに、唯々号泣します。

南无阿彌陀佛>

以上が頂いたメッセージですが、私も同感です。とくに最後の <「信心未決定者」が、衆生(門徒)を迷わすコメントに、唯々号泣します。> とありますように、御門徒の方から悲歎の声が生ずることが、現教団の極めて大きな問題点であり、猛省すべきことだと思います。

本願寺新報の示談担当者については前に述べましたが(10月5日記等)、氏は親鸞聖人の無明に痴無明(総無明、煩悩妄念の心)と疑無明(別無明、本願疑惑心)の二義があることを否定します。即ち信心決定によって消滅する疑無明と生涯続く痴無明との違いの分からない人、つまり救済体験のない、門徒の方の歎かれる信心不決定(未決定)者なのであります。念仏について言えば信前の念仏(自力念仏、カラ念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)との違いが分かってない人なのであります。(これは氏に限ったことではありませんが。)こんなことで正しい御示談ができるはずはありません。
.
本願寺新報 12月20日号、示談「蓮如上人の教えは違う?」における質問は

 <最近読んだ本に、蓮如上人は親鸞聖人の教えをねじ曲げたと書いてありました。>

と、ありますから、この本は信楽氏の著書であり、蓮如上人の言われる称名報恩等が親鸞聖人の教えをねじ曲げたと述べていたのでありましょう。御示談に称名報恩批判の件は全く出されず、称名報恩批判が間違いであるということが少しも述べられていないのは極めて遺憾に思います。

ついでに申しておきますが、10月20日の御示談には

<まさに親鸞聖人のお念仏は「・・・のための念仏」ではないということです。>

と述べていますが、親鸞聖人は『親鸞聖人御消息』(浄土真宗聖典p、784)に

 <わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、御報恩のために御念仏こころにいれて申して >
...
と述べられているのであり、「御報恩のための念仏」を述られています。

また12月1日の御示談には

<意識して念仏するのも阿弥陀さまのはたらき>

と述べていますが、意識して称える念仏がすべて阿弥陀さまのはたらきではありません。
親鸞聖人の『正像末和讃』に

<真実信心の称名は 彌陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる(浄土真宗聖典P、607)>

とありますように、信後(信のうえ)の念仏は阿弥陀さまのはたらきによる他力回向の念仏ですが、自力念仏やカラ念仏はそうとは言えません。他から言われて念仏することが悪いこととは思いませんが、それが全て他力念仏とは言えません。
  、
要するに信心不決定(未決定)者には信前、信後の念仏の違いが分からないでありましょうし、称名報恩批判がなぜ悪いかも分からないことでありましょう。
正しい御示談もできないことだと思います。合掌


御示談は勧学寮の担当であります。何度も申しましたように、今の勧学寮は信心正因称名報恩の意味も分からない宗制宗法遵守義務放棄の法令違反者、信心不決定(未決定)者の集団でありますので、正しい御示談ができるはずはありませんし、また報恩講の改悔批判も安居の会読の判決も形ばかりの形骸のみということになるでありましょう。
「続⑩近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku10.html (2018,6,20記)。「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html 参照。 合掌
  (2018,12,22)。


続(12月20日)
私は以前に「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合ー」(日本仏教学会年報66、(平成13<2001>)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/Bukkyooikani.html を書きました。
17年前のこの論文のむすびに前に述べた蓮如の言葉に「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり、人承引あるべからず」(『御一代記聞書』九三)とあるように、信心決定の救済体験のないままで、近代教学・現代教学をいくら叫んでも無意味なことである。親鸞の体験に基づく教義の本質が把握することも、伝道活動(救済活動)への真のエネルギーも生まれるはずはなく、世に有益なるもの・世を救うものにはなりえない。S氏(S氏とは元龍谷大学学長信楽氏のこと。因みにO氏とは元龍谷大学真宗学教授岡氏のこと。)のいうように、いくら主体をかけようが、現実的諸状況に関わろうが、信体験なしではただ独善の方向違いになるだけであろう。真宗学は研究者自身が信心決定のひとでなければならない。そうでなければ、本当の意味での真宗学にはならないと考える。と述べましたが、今もこの考えに少しも変わりはありません。
ただ2018年の終わりに当たり、一言付言したいと思います。それは近年、近代教学・現代教学の樹立、時代即応のための教学の刷新と盛んに言われますが、それは親鸞聖人の教えと違うようなことがあってはならないのであります。我々の頂戴する教えは親鸞聖人の開顕された浄土真宗(超世希有の正法真理)であり、世を救い人々を真の幸福にする教えであります。教えが正しく伝えられることにより、自ずと広く弘まるものと思います。この点が間違えられては教団の発展振興はなく、ここ数十年と同様、ただいたずらな試行錯誤の繰り返しとなることでありましょう。    合掌    (2018,12,29)。



 今年も2月となりました。下川氏は今年のはじめに勧学寮頭徳永氏に公開質問状(2018年8月31日。中外日報)の回答の督促をしましたが、相変わらず、全く解答がないとのことであります。これは極めて無責任、不誠実なことであります。前にも述べましたように、勧学寮の不誠実な姿勢は今に始まったことではありませんが、教団の教学の最高責任機関が教学に関する問題について、この様な無責任不誠実な姿勢が許されてはならないことだと思います。しかも勧学寮は宗制第三章、教義に定められている「信心正因称名報恩」義に、反対する者に対して教諭義務が定められている(宗法第59条3)宗制宗法遵守義務の放棄と言う、国で言えば憲法法律違反の犯罪行為を公然と行っているのであります。こんなことが絶対に許されるべきではありません。大事な大法要は間近いのでありますが、このよう様なことでは教団の発展振興は全く期待できないことと懸念する次第であります。合掌
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html 等、参照。
    (2019,2,1)。

FBR氏が『中外日報』(2018、31)の下川氏の「公開質問状」の全文を掲載されました。

http://labo.wikidharma.org/.../%E5%BE%B3%E6%B0%B8%E9%96...

中外日報の記事有り難うございました。多くの方々がこれを読まれて教団の現状をよく認識され、将来のあるべき方向を真剣に考える機縁となることでありましょう。    合掌             (2019、2,2)。


下川氏の『中外日報』の記事については「続⑪近年の本願寺派教学に想う」
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html の2018,9,4記、等に私見を述べています。    合掌              (2019,2,3)。

御賛同有難うございました。勧学寮の信心不在、無責任不誠実の姿勢をよく御承知頂けたことと思います。既に述べたことでありますが、これは今に始まったことではありません。よくよく御承知頂き、あるべき方向を御考慮頂きたいと思います。合掌
「続⑪近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zuku11.html (2018,10,29。 2018,11,9。同10。 同11。同12。同20。)。等、参照。    (2019,2,4)。



昨日、安居事務所からの連絡で、2019(平成31)年度 安居特別論題事前研修会に参加しました。
講師は内藤知康氏で論題は「念仏者の社会的実践について」でありました。
私は念仏者という言葉はこの頃よく使われるが、念仏者といっても種々あり、『歎異抄』にあるように、聖人の教えにかなっている念仏と聖人の教えに反する念仏とがあるのであるが(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,383)、この場合の念仏はどう言う意味ですか、と尋ねました。すると氏は『歎異抄』にそんなことは書いてないというので、それは違う後序には「かなしきかなや、さいはひに念仏しながら、直に報土に生まれずして、辺地にやどらんこと(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,854)とあることを述べ、間違った念仏の人がいた事を示しました。氏はこの事を知らなかったようであります。氏がこんな事さえ知らなかったことは意外でありました。しかしこんな調子でありますので、氏も徳永氏と同様に念仏に信前と信後の違いがあることが分からず、報恩念仏(他力念仏)と自力念仏(カラ念仏)の違いも分からず、信心正因称名報恩の意味も分からず、また獲信によって消滅する疑無明(本願疑惑心)と生涯続く痴無明(煩悩妄念心)の違いも分からないのでありましょう。 (真宗無明論)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shinmumyou.html 参照。
それから氏は信楽氏についての勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄について、この件は監正局の問題であって自分達勧学寮には関係ないという言い方をしていましたが、何度も言いますように、2012(平成24)年4月1日施行の宗法第59条3に
3,勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。
と定められているに関わらず、当時信心正因称名報恩義を盛んに批判していた信楽氏に対して何の教諭もしなかったのでありますから、それを監正局の問題にするのは筋違いであります。
昨日の内藤氏の念仏論から窺えるように、徳永氏のみならず内藤氏も信前信後の念仏(真門念仏と弘願念仏)の違いの分からない人であります。これでは信心正因称名報恩の意味も分かる筈はありません。こんな状態では宗法第59条3の勧学寮の義務を果たしようにも、果たす力が全くないのであります。勧学寮は宗制宗法遵守義務を放棄したと言うより、宗制宗法遵守義務能力に全く欠如していると言った方がより正確でありましょう。極めて情けないことであります。昨日は大変ガックリした次第です。 合掌

  (2019、2,14)。

念仏者と言っても親鸞聖人の説かれる念仏と異なる念仏をする人は、浄土真宗における念仏者と言うべきでないと私は思います。合掌
  (2019,、2,14)

現在の勧学寮が不誠実、無責任の信心不決定(未決定)者の集団であり、宗制宗法遵守義務の放棄者集団であることはよく承知していましたが、この度さらに学習不足者の集団であることも知らされた気がしています。これでは全く存在する意味がないように思えます。合掌

   (2019,2,15)。

FBT氏)

激しく同意! 勧学寮はご門主に対して「社会に貢献するとはなにをすべきなのか」は問題ですと、諮問を促すのが仕事です。

 諮問機関とは、ご門主の諮問を待つのではなく、問題を促すのが仕事です。

武邑和上が生きておられたら、間違いなくそうおっしゃったでしょう。

自分たちのミッションがご理解になっておられないように思われます。

 

(紅楳)

武邑氏についてはともかく、今の勧学寮は信心不決定(未決定)、学習不足、無責任不誠実者の集団であると思っています。(武邑氏に関しては後記します)

武邑氏については「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html の(2015、4,7記)を御覧頂ければと思います。

「続②近年の本願寺派教学に想う」で は全体的に信楽氏の問題について述べていますが、(2015、4,7記)の終りの方に出ている当時の寮頭が武邑氏であります。現寮頭(当時は司教)は徳永氏であります。  合掌      (2019、2,16)。

 お二人(武邑氏、徳永氏)とも、信心不決定(未決定)の人であった(人である)と思われます。合掌 (2019、2,16)。

私の想いを申しますが、私は「信心正因称名報恩」義を否定し、報恩念仏を否定する人は救済体験(獲信体験)のない、信心不決定(未決定)の人だと考えます。そしてこの考えに賛成する人や、これを庇う人も同様に救済体験(獲信体験)のない、信心不決定(未決定)の人だと思います。

特に教団の教学の責任的立場の人達がそうであってはならないと思うのです。こんな状態では教団の信心不在体質は益々進み、教団はただ衰微の一途を辿るのみであろうと、私は懸念するのであります。合掌
    (2019,2,17)。

「続②近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html の(2015,4,5記)にありますように、信楽氏、岡氏の信心正因称名報恩批判が問題化した時の勧学寮頭は大原誠実氏でありました。岡氏が『宗教12月特大号、特集、真宗安心の問題、大原性実和上の生涯』(教育新潮社、昭和54年、p、94以下)に、述べていますように、大原氏は信楽氏、岡氏に対して何らか処置をするつもりであったのです。それを次期勧学寮頭桐渓順忍氏は何の処置もしなかったのであります。私はこの時から教団の信心不在現象が急速に進行したと思います。今は勧学寮の宗制宗法遵守義務放棄が公然とまかり通る有様です。勧学寮は宗法第59条3の遵守義務放棄を監正局の所為にするのでありますが、勧学寮が教諭を行う際に監正局の許可が必要であると言う規定はありませんし、ある筈もありません。
下川氏の質問状に対しても一向に回答する様子も見られませんが、このような、無責任不誠実、信心不在、学習不足等の勧学寮の惨状は、三業惑乱時の比ではなかろうと思います。  合掌
 (2019,2,18)。

村上速水氏や内藤知康氏の主張する無明について痴無明、疑無明の二義を語る事に反対する説に、本願寺派当局が賛成するのであれば、早急に真宗教団連合制定の『和訳正信偈』の改正を提案すべきであります。もし両氏の説に賛成しないのであれば、これも早急に二義を語ることに内藤氏が反対の説を述べている浄土真宗本願寺派、2012年8月31日発行(本願寺派の全寺院に配布されている。)の『教行信証』の研究 第一巻、『顕浄土真実教行証文類』解説論集、を早急に回収すべきであります。そこの第二章「行文類の諸問題(p、110以下)に、二義を語ることに反対する意見が述べられています。
勧学寮の宗制宗法遵守義務は公然と放棄され、直接信心に関わる無明義についても極めて杜撰であるのが現状であります。
教義信心は教団の生命であります。このようなことで教団の発展振興は到底望めない事と愚考する次第です。合掌
「続⑤近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku5.html (2017,4,29記)等、参照。
    (2019、2、21)。

「続⑫近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku12.html に続きます。

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