親鸞における疑蓋无雑について (二)

     紅楳英顕

    

     一

 一咋年の本学会(昭和五十二年)で私が発表した「親鸞における疑蓋无雑について」①に対して、岡亮二氏より昨年の本学会(昭和五十三年)で

 

 ”氏(紅楳)はそこで「親鸞は自力の執心のなげきの中で一生すごしたのであるから、本願に対する一点の疑いもない決定心などなかった、とする岡の所論は、痴無明と疑無明とを混同した全 くの謬見といわねばならない」と述べている。だが私(岡)は、親鸞に本願を疑う心があったなどとは夢にも思っていないし、又、そのようなことを今まで一度も発言したこともない。私の 論考をそのように読んだのは紅楳氏一人なので、いささかめんくらわざるをえない。私は「凡夫の一点の疑いもなく晴々とする決定心」というような宗学の解釈がおかしいといっているのだ からである。なぜなら、もしそうだとすると親鸞が生涯問いつづけた機の深信の問題が消えてしまうからで、いわば私の所論は痴無明とか疑無明とかいった言葉の操りで、事足りようとし ている宗学に。 問いをなげかけているのである②。

との反論がなされた。これに対して述べたいこともあるし、又近年氏の著書が出版され、氏の見解をより知りえたので、この点も加味して私見を述べたいと思う


 岡氏の反論については二つの問題があると思われる。一つは氏は、
  "親鸞は
本願を疑う心があったなどとは夢にも思っていないし又、そのようなことを今まで一度も発言したこともない③
といっているが、それなら氏がおかしいという「凡夫の一点の疑いもなく晴々とする決定心」の「疑い」とは何を疑うということの意味なのであるか、本願を疑うという意味とは別のことなのか。抑も氏は一昨年に述べたように、本願の信楽釈の「疑蓋无雑の心」解釈としての「凡夫の一点の疑いもなく晴々とする決定心」ということに問題がある④というのであるから、この「疑い」とは本願疑惑のことに他ならないのであり、にもかかわらず.そのようなことを今まで一度も発言したこともない”というのは甚だ理解に苦しむのである.
 二つは機の深信と本願疑惑心との混同である.(これは一昨年指摘した痴無明と疑無明の混同と内容的には同じである).これは「称名は信の有無に関係なく大行であると⑤」ということと並んで氏の主張における大きな問題点であり、氏の見解が.昨年指摘した疑心往生・生涯不決定・一往再往論等の衆生の決定心を否定した謬見に同ずるものであることを益々明白にするものである.周知のように親鸞における機法二種の深信は『愚禿鈔』に『散善義』の二種深信の文を引いたあとに「今斯の深信は他力至極之金剛心、一乗无上之真実信海也」(真聖全二の四六七)と述べているように二種の深信は他力金剛心の相であると示されているところから、古来二種一具といわれているように、機の深信は法の深信と一具のものである.従って「罪悪深重無有出縁」の機の深信の自覚は「乗彼願力定得往生」の法の深信の自覚と一具なのであり、そこでは当然「晴々とする往生決定の心」に住するのである。にも拘らず、信楽釈の「疑蓋无雑の心」を「一点の疑いもなく晴々とする決定心」と解釈すると機の深信の問題が消えるというような見解は、二種深信の意を誤り、二種が別個のもののように曲解した、従来二心並起説と貶められたものに相当するものである。
 又、痴無明疑無明についてであるが、これは真宗において無明を二種に分ける用語で痴無明は「煩悩妄念心」、疑無明は「本願疑惑心」である。岡氏の指摘するように⑥親鸞は『本典』「信巻」に「悲しき哉愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑し……」と自己を悲嘆し、又「一念多念文意」には「凡夫といふは无明煩悩われらがみにみちみちて……臨終の一念にいたるまでとどまらずきえずたえず」とも述べているが、ここの一生涯無明煩悩がきえないというこの無明が痴無明であり、 「正信偈」に「摂取心光常照護已能雖破無明闇」とあるこの無明が疑無明である。ここの意を親鸞自身が『尊号真像銘文』に「摂取心光常照護といふは、信心をえたる人をば无碍仏の心光つねにてらし、まもりたまふゆへに、无明のやみはれ、生死のながぎよすでにあかつきになりぬとしるべしと也、已能雖破に无明闇といふはこのこころなり、信心をうればあかつきになるがごとしとしるべし、貪愛瞋憎之雲霧常覆真実信心人といふは、われらが貪愛瞋憎をくも・きりにたとえて、つねに信心の人におほえるなりとしるべし。譬如日月覆雲霧雲霧之下明无闇といふは、日月のくもきりにおほはるれども、やみはれてくも・きりのしたあきらかなるがごとく、貪愛瞋憎のくもきりに信心はおほはるれども往生にさわりあるべからずとしるべしと也」(真型全二の六〇一)と解説している。即ち、信心をえ本願疑惑のやみ(疑無明)がはれたならば、貪愛瞋憎のくもきりに信心はおおわれても往生にさわりはない、と述べているように煩悩におおわれた身のままで往生一定の決定心に住するのが真宗であることを力説しているのが親鸞なのである。煩悩妄念心(痴無明)を断じえないことを悲嘆したのが親鸞であったが、これを本願疑惑心(疑無明)と混同して往生一定の決定心をも持ちえなかったはずだといい、しかも機の深信を根拠としてそれを主張することは謬見も甚だしきものである。
 親鸞は「証巻」には「然るに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば即の時に大乗正定聚之数に入るなり」(同一〇三)と述べ『浄土和讃』には「真実信心うるひとはすなはち定聚のかずにいる」(同四九三)等と述べているように、平生の信一念における入正定聚・平生業成を主張し、現生からの救いを強調したのである。正定聚は浄土三部経や七祖の釈の当面では彼土の益とされているのを親鸞は現益としたのである。これは実に大きな意義を持つものと思われる。いうまでもなくこのような発揮は親鸞自身の宗教体験による信念・すくいの確信に裏づけられたものである。彼自身が本願に信順し確固たる往生一定の決定心があったからに他ならないのであり、断じて「あるときはわうしやうしてむすとおもひ、あるときにはわうしやうはえせしとかもふ」。というような「若存若亡の心」ではなかったのである。 「行巻」に「爾れば真実の行信を獲れば、心に歓喜多きが故に、是れを歓喜地と名づく」(同三三)とあるが、これは前に引用した『十住毘婆娑論』「地相品」に「菩薩初地を得ば其の心歓喜多し、諸仏无量の徳、我亦定んで当に得べし…初地の菩薩、多く歓喜を生ず、余は爾らず、何を以ての故に、余は諸仏を念ずと雖も是の念を作すこと能はず、我必ず当に作仏す」(同一〇以下)等の文を受けているものであり「歓喜多き」の「歓喜」とは「当に作仏す」ことの歓なのであり、往生決定の安堵心を指していることに他ならないのである。又『正像末和讃』「聖徳奉讃」に「仏智不思議の誓願を 聖徳皇のめぐみにて 正定聚に帰入して 補処の弥勒のごとくなり」「聖徳皇のあはれみて 仏智不思議の誓願にすすめいれしめたまひてぞ 住正定聚の身となれる」等とあるが、これは親鸞の自分自身が「入正定聚」の身となった慶びを述べたものであり、彼の決定心の固さが示されているものである。

 

     三

 岡氏は著『親鸞の信と念仏』第四章「親鸞の念仏思想」に
  “信」とはいうまでもなく「疑」に対する言葉であるから、疑いの晴れることが、信じる心だということになる。これをある宗学者の表現をかりれば「一点の疑いも取り除かれて、ただ晴れば  れする」ことが、獲信の瞬間、信一念の心だということになり、ここに往生の因が決定すると定められている。だが、この「信を得た」という確信とは何かを、どこまでもつきつめてゆくと、 どうもはつきりしない。例えば親鸞は『一念多念文意』で、凡夫はどこまでも無明煩悩におおわれて、臨終の一瞬にいたるまでそれは消えないと述べ、また『歎異抄』でも、それと呼応する   かのように、念仏しても踊躍歓喜の心は一向に生ぜず、むしろ往生する身を喜ばないで、病気などにかかると、逆に死ぬのではないかとびくびくしてしまう。それが凡夫の姿だという。これを  いつわらざる凡夫の姿だとすると「全く疑いが取り除かれて、はればれとする」といった安堵の心は、私たち凡夫には存在しないのではないか。……凡夫とは常に判断をくるわせて、正しくも  のを見極めることが出来ぬもののことだから、自分こそが正しい信を得たと自覚したとするならば、この故に、この自覚こそがまさに錯覚であるといわざるを得ない。私たちの行為のすべては  顛倒の中にあるのであり、己が力で掴んだものそのものが正しいとは、決していいえないのである。「一念覚知」の心は、信仰の強さからいえば、ある意味で非常な力強さを持つのであるが、  他面それ以上の 危険性を宿す。人をして盲信や狂信の類に近づけやすいからで、親鸞はこの点を極力さけたのではないかと思われる⑧   
と述べているが、氏がここでいう『一念多念文意』や『歎異抄』の親鸞の自己悲嘆のことばは、既にふれたように「疑いが取り除かれて、晴ればれする心」と相反するものではないのであり、これを相反するもののように考えるのは、正に痴無明と疑無明の混同であり、二種一具の理解に欠くるものといわざるをえない。又、氏はここで「一念覚知」の問題を挙げ、凡夫には「信を得た」という自覚があろうはずはない、といわれるが、これが又甚だしい曲解である。抑も一念覚知の異義とは、西本願寺派において三業惑乱の終結にあたり 「信一念の時間の覚不党を論ずべからず」と裁断された⑨ものであり、「信の初一念の覚知がなければならない」と主張することをいうのであって、信一念の心相である「一念と言うは信心二心无きが故に一念という」(同七二)とある无疑心まで否定されるのではない。信一念の時間と心相を混同して、凡夫に「疑いが晴れた」という信の自覚があろうはずはないのであり、もしあるならば、それは一念覚知の異義であると氏はいいたいようであるが、このような主張がなされるということも氏の見解か先にも述べた衆生の決定心を否定する疑心往生・生涯不決定・一往再往論等の謬見に同ずるものであることを益々明らかにするといわねばならないであろう。

 I、印度学仏教学研究第二六のI(二〇三頁以下)。
 2、同
第二十七のI(二八頁)。
 3 同 右。
 4 竜谷大学論集第四〇
八(四二頁)。 「親鸞の信と念仏」所収(二七一頁)。
 5 拙稿
「宗祖における信心と念仏」(竜谷教学第十三号、四一頁)。
 6
 竜大論集第四〇八(四二頁)。『親鸞の信と念仏』所収(二七一頁)。
 7 曇鸞讃(高僧和綴)の「若存若亡」の左訓(定本親鸞聖人全集
和譜篇、一〇〇頁)。
 8、『親鸞の信と念仏』(一〇八頁以下)。

  9、『御裁断之御書』(真聖全五の七六七)。

 (日本印度学仏教学研究第二十八の一、1979年12月発行所収)