「続⑤近年の本願寺派教学に想う」

これは 「近年の本願寺派教学に想う」 「近年の本願寺派教学に想う、追加」 「続・近年の本願寺派教学に想う」、「続②近年の本願寺派教学に想う」 「続③近年の本願寺派教学に想う」 「続④近年の本願寺派教学に想う」に続くものである。



この度稲垣瑞雄(久雄)先生の著書、『信心獲得のすすめ』(2017年1月13日発行、自照社)が出版されました。私は序文の御依頼を受け、書かせて頂きました。(下記)。



 この度、稲垣瑞雄先生の御髙著『信心獲得のすすめ』が出版されることになりました。
 先生より序文の御依頼を賜り、数多い有縁の方々の中で私が適任とは思えませんが、身に余る光栄であり、先生との浅からぬ御縁を深く感じ、僭越ながらお引受けした次第であります。...
 先生との御出会いは昭和三十五年(一九六○)四月、私が龍谷大学に入学した時でありました。この年に先生より英語の『正信偈』を教えて頂き、その後も英訳の御著書を頂いたり、何かとご教導を賜りました。アメリカやヨーロッパの真宗学会に参加する気持ちが起こりましたのも、先生との御縁があったからだと思っています。
 四年前(平成二十五年)に先生よりお声かけ頂き、仏教漢詩の会「震法雷」に入会致しました。そこで、それまで余り御縁のありませんでした先生の御尊父稲垣瑞劔先生の御著書を拝読する機会に恵まれました。瑞劔先生の信心を重視される真宗学についてのお考えが、私の思う所と非常に近いものを感じ、大変嬉しく思った次第であります。
 この度の御著は『信心獲得のすすめ』という書名のように、瑞雄先生が長い間考えてこられた浄土真宗の要(かなめ)が述べられたものであり、信心獲得の人が増えることを切に願われて書かれたものであります。
緒言に先生が「真宗では信者が、信心獲得すというは第十八の願を心得るなり云々、という『御文章』のお言葉を数えきれないほど多く耳にし、口にしてるのに、いざ信心獲得の内容に入ると無口になり、体験的な話はご法度で、強いて言う人は、「一念覚知の異安心」と見なされる恐れがあります。」と深く慨嘆されておられますが、私も全く同感であります。これは三業惑乱の時(一七九七年頃―一八○六年)に異義とされた「一念覚知説」を正しく理解出来ないところから生じた誤った見解であります。「一念覚知説」とは、信心を得た時がいつであったかを必ず覚えていなければならないと主張したことであり、これが異義とされたのであります。獲信の体験や信前信後について語ること自体が異義とされたのではありません。獲信の体験や信前と信後の違いを語ることを否定するならば、それは三業惑乱時に「一念覚知説」と同様に異義と裁断された「十劫安心」(無帰命安心)に相当することになるでありましょう。
先生が言われるように 信心についての体験的な話そのものが一念覚知の異義であるとみなす傾向が近年盛んであるように感じますが、率直に言ってこれは信心未決定者(信心が決定していない人)の意見であると言って過言ではないと思います。
他力観念論に陥って獲信の自覚や信前信後の違いが凡夫に分かるはずはないと強調する人達は、『領解文』の「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ」とある御文を、どう理解しているのでありましょうか。甚だ疑問を感じます。
私は近年教団において、振興計画がかかげ続けられながら、活気づかない最大の原因は、先生の御指摘される「体験的な話はご法度で、強いて言う人は、「一念覚知の異安心」と見なされる恐れがあります。」とある言に尽きると思います。このような教団の信心不在の体質の改善こそが肝要であります。
 本日(一月十三日)は先生の御尊父であります瑞劔先生の祥月命日であり、瑞劔先生
の三十七回忌の御法要の勤修される誠に因縁深く有り難い日であります。
向後の瑞雄先生の益々の御健勝と御活動を念じ上げる次第であります。    合掌。
平成二十九年(二0一七)一月                 紅楳英顕
(相愛大学名誉教授・本願寺派司教)


因みに『信心獲得のすすめ』の緒言の全文は
《もうこの世ではこのような題で一行も書けないと思っていましたが、人生も終わりにづいた八十七歳でやっと何か書いてみようかという心境になりました。真宗では信者が、信心獲得すというは第十八の願を心得るなり云々、という『御文章』のお言葉を数えきれないほど多く耳にし、口にしてるのに、いざ信心獲得の内容に入ると無口になり、体験的な話はご法度で、強いて言う人は、「一念覚知の異安心」と見なされる恐れがあります。》であります。


私も述べましたように、ここに「いざ信心獲得の内容に入ると無口になり、体験的な話はご法度で、強いて言う人は、「一念覚知の異安心」と見なされる恐れがあります。」とありますが、このことが、現教団の極めて深刻な問題点であります。私自身も今まで随分罵られたり、陰口を叩かれたりしたものあります。(陰口は今も同じと思いますが・・・)。 教学の責任担当者までが、そのような判断をする一念覚知(信心をえた時を必ず覚えていなければならないとする)と十劫安心(十劫の昔にすでに救われているとする)の違い目の分からない無知識者、信心不決定(未決定)者の集団と成り果てているのであります。

「信一念と信の覚不について
http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shinitinen.htm
「親鸞浄土教における救済の理念と事実」 http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm   参照。


これが宗制(浄土真宗の教義は信心正因称名報恩)宗法(教義に反する義を述べる者は勧学寮が教諭する)遵守義務が公然と放棄される、何とも情けない教団の現状となっているのであります。何度も申しますが、信心不在体質の早急の改善がなされることを切に念願する次第であります。  合掌。         (2017年1月14日)

   上記についてのFace Booのk反応

(Y氏) 合掌 自信報恩称名 南无阿彌陀佛

(N氏) ありがとうございました。

(紅楳)
 御賛同有り難うございました。
「いざ信心獲得の内容に入ると無口になり、体験的な話はご法度で、強いて言う人は、「一念覚知の異安心」と見なされる恐れがあります。」とありますことは、現教団において看過出来ない極めて重大な問題であります。これは三業惑乱の終結時(1806年)の『御裁断御書』で、共に異義とされた「一念覚知」と「十劫安心」の意味も違いも全く分かっていない信心不決定(未決定)者の所論なのであります。それが教団の教学の責任担当者までがそうであることであります。カラ念仏と報恩念仏の違いも分からず宗制宗法遵守義務を放棄するのも信心不決定(未決定)者なるが故であります。
このような教団の教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団である信心不在体質の現状の儘で、いくら発展振興計画を掲げても成果は如何なるものかと懸念する次第であります。合掌。

(S氏)
南無阿弥陀仏

(紅楳) 教団の教学の責任担当者まで宗教体験(救済体験)のない信心不決定(未決定)者の集団と成り果て、宗教体験を語る者を全て「一念覚知の異安心者」としたり、またカラ念仏と報恩念仏の違いが分からない故に、宗制宗法遵守義務を当然のように放棄したり、そして獲信によって本願疑惑心が消滅することが分からない故に、無明に二義(痴無明、疑無明)を語ることを誤りとする意見も出ているのであります。これらは全て信心不決定(未決定)より生じた謬見なのであります。このような教団の教学責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団となっている信心不在体質のままでは、教団の振興は極めて多難なことと私には思えます。教団の将来を想う者の納得の行くまでの議論が、今必要だと思います。合掌。
                       (2017年1月16日)


前記(1月14日)に関連し、一句浮かびましたので記します。

弥陀正覚十劫経  弥陀(みだ)の正覚(しょうがく)、十劫(じっこう)を経(ふ)。

往生決定平生今  往生決定(おうじょうけつじょう)は、平生(へいぜい)の今(いま)。

...

雖然是非無帰命  然(しかり)と雖(いえど)も、是(これ)無帰命(むきみょう)に非(あら)ず。

涅槃真因唯信心  涅槃(ねはん)の真因は唯(ただ)信心(しんじん)なり。

蓮師徳髙中興聖  蓮師(れんし)徳(とく)高(たか)し、中興(ちゅうこう)の聖(ひ
じり)。

継承開山深意崇  開山(かいさん)を継承(けいしょう)し、深意(じんい)を崇(あがむ)。

懇勧聆闕世間隙  懇(ねんごろ)に世間(せけん)の隙(ひま)を闕(かき)て聆(き)くべしと勧(すす)め。

又云仏法聴聞究  又云(い)う。仏法(ぶっぽう)は聴聞(ちょうもん)に究(きわま)ると。


(意訳)

阿弥陀仏の正覚は十劫の昔でありました。我々の往生が決定するのは平生の今であります。
しかし無帰命(無信心)で往生するのではありません。
親鸞聖人は「涅槃の真因はただ信心なり」と言われています。

蓮如上人はお徳が高く、中興の聖と言われています。親鸞聖人の教えを継承し、その深意を崇めています。懇ろに聴聞を勧め「仏法は世間の隙を開けて聞くのではなく、闕きて聞くのである」と述べられています。
また、「仏法は聴聞にきわまる」とも言われています。

浄土真宗は絶対他力の法門でありますが、信心や聴聞が不要であると、親鸞聖人や蓮如上人が言われているのでありません。
源左同行(1842-1930)の言葉に「ただのただでも ただならず ただは きかねば もらわれぬ きけばきくほどただのただ はいのへんじも あなたから」とあります。有り難い言葉だと思います。 合掌。
         (2017年1月23日)

  上記についてのFace bookの反応。

(D氏) Namo Amida Butsu

(Y氏) 南无阿彌陀佛


(G氏) 南無阿弥陀仏
源左同行は誰ですか?妙好人ですか?合掌

(紅楳) He is a myokonin. Gassho.

(G氏) 
Thank you, Sensei. Gassho


(S氏) 南無阿弥陀佛

(C氏) nice kanshi. I can understand the poem. Gassho

(紅楳) Thank you. .Gasso.


(紅楳) 御賛同有り難うございます。合掌。

(紅楳) Thank you for your support. Gassho.

(S氏) 
南無阿弥陀仏…
          (2017年1月24日)


続前記(1月23日)

真実信心獲得人   真実信心獲得人(しんじつしんじんぎゃくとく)の人(ひと)。

仏讚是者白蓮華   仏(ぶつ)は是(こ)の者(もの)を白蓮華(びゃくれんげ)と讚(さん)ず。

...
悲哉当今疑惑輩   悲(かな)しき哉(かな)。当今(とうこん)の疑惑(ぎわく)の輩(ともがら)。

謗之一念覚知徒   之(これ)を謗(そし)る。一念覚知(いちねんかくち)の徒(と)と。

(意訳)
真実信心獲得の人を、仏はこの人をほめて白蓮華とたたえます。
悲しいことに、現代の信心のない本願疑惑の人達は、この人を一念覚知の異安心者だと謗ります。

稲垣先生が『信心獲得のすすめ』で言われるように昨今教団において、いざ信心獲得の内容に入ると無口になり、体験的な話はご法度で、強いて言う人は、「一念覚知の異安心」と見なされる傾向があります。教学の責任担当者の中にもそのような人がおり、私を異義者と言う人もいると聞いています。私を異義者と思うなら呼び出して教諭するのが任務のはずですが、全くそれもありません。何度も申すことでありますが、今の教学責任担当者は宗制宗法遵守義務を当然の如く放棄する信心不決定(未決定)者の集団でありますから、やむを得ない事とも思いますが、教団の将来については甚だ憂慮する次第であります。 合掌。   (2017年1月24日)

 上記についての Face book の反応

(S氏) 南無阿弥陀仏

(G氏) Namo Amida Butsu


(N氏) 南無阿弥陀仏…

(紅楳) 
有り難うございました。Thank you so much.
教団の現在の教学責任担当者が信心不決定(未決定)者の集団である故に、念仏についてはカラ念仏と報恩念仏の違いが分からないので、宗制に定められた信心正因称名報恩義が理解出来ず、宗制宗法遵守義務を放棄したままであります。また信心決定によって本願疑惑心が消失することが分からない故に、無明に痴無明(煩悩妄念)と疑無明(本願疑惑心)の二義を語ることに反対する意見を出しています。そしてこの度、これも教学責任担当者が信心不決定(未決定)者であることから生じたことでありますが、一念覚知と十劫安心の違いが全く分からない故に、信心の人や熱心な聞法者を一念覚知の異安心者だと誹謗中傷すると言う事象が浮き彫りと成ったのであります。
このような教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者である教団の信心不在体質の現状を、極めて情けなく思います。合掌。


(S氏) 南無阿弥陀仏

(R氏) 紅楳和上の教団批判は愛山護法の精神の現れですね。
批判者を阻害するような組織は、早晩潰れるか腐り果てるものだと思っています。
Rのような在家の一門徒の目から見ても、信心不決定な坊さんが多いです。直情径行な性格ですから「浄土真宗を駄目にした100人の坊主」というHPを作ろうかと思っていた時期もありました(笑
もちろん真面目に寺務を掌って、ご法義の伝統の保持に努めておられる坊さんも多いのですが、こういう方はアクティブな行動をしないのでした。これはこれで問題がないとはいえないのですが、一番困るのが宗制や教学をリードする方に信がないことが元凶だと思ひます。
Rは、後生願いの両親に育てられたせいか、浄土往生を願う、いわゆる古いタイプの門徒です。
「凡情を遮せず、しかし許さず」という言葉がありますが、凡情を遮すことのない阿弥陀如来のご本願のお慈悲を楽しませて下さることです。
もっとも、現代の合理主義や実証主義の教育の下で育ったので、なんまんだぶのご法義と整合性をとるに苦労しましたです。道元禅師の永平寺が地元にあるのですが、信心が解からないので禅関係の書物を読んでいたせいか、永平寺で修行してぶん殴られれば少しは浄土真宗の信心ということが解かるのではと思っていたこともありましたです。
ところで紅楳和上が紹介しておられた『信心獲得のすすめ』を一部UPしてあるのをFBで拝見したのですが、「禅の悟りのように真宗の信心を特に追求している」という語には共感するものがありました。
もちろん禅門の悟りと浄土真宗の信は違うのですが、よい意味での一念覚知である自力の廃捨による真宗のご信心は、禅門の悟りと似ているような気がしてたりします。
そのような意味では、浄土は悟りの世界であるということを示す為にも「往相浄土門」だけでなく「本覚摂取門」という悟りの立場からのアプローチも、浄土という悟りの世界を知らない現代人必要なのかなと思っていたりします。仏教とは仏陀の悟りを目指す宗教なのですから。
我田引水でいえば、浄土真宗の本願力回向のご信心には禅門でいう悟りを内に含んでいるともいえるのでしょう。ありがたいことです。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


 (紅楳) 貴重なご意見、有り難うございます。 合掌。    (2017年1月26日)

 
(紅楳) R様有り難うございました。私の意見を「愛山護法の精神の現れですね。」と理解して頂き大変嬉しく思います。曾ての信因称報問題、親鸞会問題等における私の意見も、全て教団を想う気持ちに他ならなかったと思っています。
「一番困るのが宗制や教学をリードする方に信がないことが元凶だと思ひます。」は、全く同感であります。
宗教関係の新聞等は、「教団は存亡の危機に瀕している」と報じております。いつも申しておりますが教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団と成り果てた、教団の信心不在体質の早急改善が何より肝要なことと思います。 合掌。
                  (2017年1月27日)



昨年(2016年)9月11日(日)に早稲田大学で開催されました日本宗教学会第75回学術大会に参加し、発表しました小論が公開されました。御一見頂ければ幸甚です。

『宗教研究』90卷別冊(2017)
http://jpars.org/…/bu…/wp-content/uploads/2017/01/vol_90.pdf 

...
浄土真宗における信前信後について
   紅楳 英顕

一 問題の所在
 浄土真宗(とくに本願寺派)においては、三業惑乱の影響で、信一念の自覚の有無については語ることが避けられたが、信前信後の分別は、されてきたのである。二〇〇八(平成四月一日)に全文変更された宗門の最高法規である「浄土真宗本願寺派宗制」にも「信心決定の上は報恩感謝の思いから、仏徳を賛嘆する称名念仏を相続する。これを信心正因、称名報恩というのである。」と述べられており、信前信後の分別は語られている。
 ところが近年信前信後の分別が曖昧となり、本願寺派において昭和十六年(一九四一年)以降、宗制教義に定められている信心正因称名報恩義(信後の称名は報恩行)に反対する意見がまかり通っているのである。(信楽峻麿『真宗求道学』法藏館、
二〇一一年、等。信楽氏岡氏の宗制教義に反する信因称報義批判は一九七〇年代に問題となり、勧学寮に裁断が求められたが、当時の勧学寮頭桐渓順忍氏は一九八一年に信楽氏に対しては異義断定保留、岡氏に対しては疑義断定保留として具体的には何もなされることはなかった。その後二〇一二年四月施行の宗法には「宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、勧学寮が教諭する」と定められたが、やはり何もなされなかった。)
 信前信後の曖昧さより生ずる問題は念仏に限られたことではないが、(真宗者の倫理性、社会性を論ずる上でもこの事の整理が必要である。)ここでは念仏の問題を通して混乱の根本原因がどこにあるかを考察したいと思う。

二 獲信(信心決定)の覚不覚の問題
 三業惑乱(一八〇六年終結)で獲信の年月日時の覚不覚を論ずることが問題とされ、獲信の日時の記憶がなければならないとする主張が一念覚知の異義とされたのであるが、獲信の覚(自覚)が否定されたのではない。獲信の覚を否定することは寧ろ十劫安心(無帰命安心)の異義とされているのである。このことは重要なことと思われる。(拙稿「信一念と信の覚不について」『印度学仏教学研究』五五・二、二〇〇七年http://e-kobai424.sakura.ne.jp/shinitinen.htm 、 「親鸞浄土教における救済の理念と事実」『印度学仏教学研究』五六・二、二〇〇八年、等参照。)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm 
 信心不覚の根拠として『歎異抄』に第九の「親鸞もこの不審ありつるに」(真聖全二の七七七)や『蓮如上人御一代記聞書二一三』に「心得たと思ふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり」(真聖全三の二一三)がよく挙げられているが、『歎異抄』第九は親鸞が自分も過去に不審があったということであり、今もあると言うことではないのである。(『日本国語大典』第二版第一巻、二〇〇六年、六五五頁、参照)。親鸞には「信心決定」「往生一定」の自覚あったのである。『蓮如上人御一代記聞書二一三』の言葉も、自力で心得たと思ったらまちがいだということである。親鸞と同様、蓮如も「信心決定」「往生一定」の自覚はあったのである。(右記<上記>、拙稿参照。)
 因みに、一九八一年に信楽氏に対しては異義断定保留、岡氏に対しては疑義断定保留として具体的には何もなさなかった当時の勧学寮頭が、その翌年に「庄松同行に、お前は信心いただいているか、ときいたら、私にきいてもわかりません。聞くところが違いますよ。阿弥陀様に聞いてください、と申したとつたえられております。」(『信心について』探究社、一九八二年、四六頁)と述べて、庄松同行に獲信の自覚はなかったように語っているのである。しかし『庄松ありのままの記』には、ここで庄松同行は「へエ、いただきました」(永田文昌堂、一九六一年、四七頁、等)と獲信の自覚を述べたとあるのである。このことは極めて重大なことと思考する。(第6部会 P,280)。
                 (2017年2月5日)

  上についての Face の反応。

(G氏) Namo AmidaBhtu

      (Y氏)
なんまんだぶつなんまんだぶつ

  
(紅楳)有り難うございました。宗制宗法遵守義務の公然放棄がまかり通っている教団の現状において、この事は熟慮すべき重大な問題だと思います。 合掌。

(N氏)  南無阿弥陀仏…         (2017年2月7日)


続前(2月5日)

『宗教研究』の論文は紙数の制限のため詳述できませんでしたが、桐渓氏の『信心について』(探究社、一九八二年)には、次のように書かれています。

信心というものは私が喜べるようになったからこれで・・・。お念仏がでるようになったからこれで・・・、ときめてもらうとあぶない。なぜかというと、蓮如上人が御一代記聞き書きの二百十三條に、「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり」このあとの言葉については色々と問題はありますが、・・・そして、さらにこう書いてあります。「弥陀の恩助けあるべきことのたふとさよ思うが、心得たるなり」と書いてあります。「心がこうなった、ああなった、これで」ということを、心得たとおもっているのではないですか。いつ聞いても、いつ思い出しても、如来様の御本願にまちがいないと思わして、喜ばしていただくことを心得たというのであります。だから信ずるということは、普通なら、心がああなったり、こうなったりすることをいうように思うけれど、しかし心が、ああなったり、こうなったりすることを、信ずるんだと思うと、へたすると、凡夫のはからいの上に信心を決める。だから蓮如上人が「弥陀の御たすけのあるべき・・・」と申されるのであります。(桐渓順忍『信心について』探究社、一九八二年七月発行、四四頁)。

と、氏は「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり。弥陀の御助けあるべきことのたふとさよと思が心得たるなり。」(『蓮如上人御一代記聞書二一三』真聖全三の五八四)、((『浄土真宗聖典(註釈版)』P,、1300)の文の解釈で、衆生(機)の側(機辺)には何の変化もない、信心決定の想いや往生一定の確信はないものであると述べていますが、私はこれには賛成しかねます。このことについては私が以前書きました論文「親鸞浄土教における救済の理念と事実」『印度学仏教学研究』五六・二、二〇〇八年)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kyuusainorinentojijitu.htm 
に桐渓氏の解釈と異なる深励氏(大谷派)と南渓氏(本願寺派)の見解を紹介しています。その部分を下記します。

 
四、「心得たと思ふは心得ぬなり」について
 行者の信心決定の自覚を否定し、信心不覚説の根拠とよくされるのが、『蓮如上人御一代記聞書』末二一三に
  心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり。彌陀の御たすけあるべきことのたふとさよ思が心得たるなり。少も心得たると思ことはあるまじきことなりと仰られ候。(真聖全三の五八四)、(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,、1300)。
とある文である。この文を信心不覚説の根拠とすることが誤りであることは前回述べた⑨が、新たな資料を目にしたので重ねて論ずることにする。大瀛とともに三業惑乱の終結に働いた道隠と親交があり、三業の毒が東派に波及することを怖れていたといわれる⑩深励(一七四九ー一八一七)の『肥後国異法義御教誡』に
なんぼ一文、我が勝手のよい文がありても、外の九文にさしつかえることなれば、通釈して通るが学問をするものの心得なり。一文に屈執してそれで云ひ立てるやうになると、法幢がごとき異解者になるなり。御小屋の尼どもが、信心を得た云ふは得ぬのなりとある文を一つ覚えて居て、諸方の信心者の処へ往き、お前方はまだ自力の心でござる、信心得たと云ふて居る間はまだ信心を得ぬのじゃと云ふなり。これは心得違へなり。八十通の『御文』に信心をえよ。信心を取れとの給ふに、『御一代記聞書』に局つて、得たとおもふは得ぬとあればとて、八十通の『御文』は捨てられぬ。(続真宗大系十八の二一八)
と述べている。この文によって「諸方の信心者の処へ往き、お前方はまだ自力の心でござる、信心得たと云ふて居る間はまだ信心を得ぬのじゃと云ふ」事は間違いであると述べているのである。
 また南渓(一七九○ー一八七三)は『新二十邪義』批評に
  心得たと思は心得ぬなりと云ひ機辺の決定を排する邪義、御一代記聞書末三十四丁に云云とあれば我等がたすかるわけは仏辺に成してあれば夫れを聞くばかり、機辺と信心決定の安堵のと云へは皆自力なり夫れこそ心得たとおもふになるなり。
評云此は一句一言を截りとり妄義を搆ふるなり、(中略)察する処三業の後意業運想⑪などおこりて、機辺の受け前を己れが妄情穿鑿して御裁断ありしより機辺に領解を語れば自力なりと、偏へに心へて、如是妄説を成す、全く他の無相離念に同じ何ぞかかる安心あるべきや、殊に毫善師は此機の上に保つ処の仏智をつのりとせんほか如何でか凡夫往生の得分あるべきとの玉へり、已に此機の上に保つとあれば機辺に領得すべし、領解文には往生一定御助け治定と存じとある、存は亡に対して心内にあることなり、仏智を凡心に領受したる処なり。此御文にはしばしばこころえよとの玉ふ。何ぞ機受決定を排却せんや、(中略)御助けは一定往生治定と存ずと云ふ往生安堵の思ひに住するをこそ決定心を得たる人と云べし、この決定を排却するときは生涯不決定を以て安心とするや、若決定不決定を機受に求めずと云はば十劫秘事なり。⑫
と述べている。最初に「心得たと思は心得ぬなりと云ひ機辺の決定を排する邪義」とあるように、南渓はこの文によって機辺の決定心(信の自覚)を否定する考えを誤りとするのである。「領解文には往生一定御助け治定と存じとある、存は亡に対して心内にあることなり、仏智を凡心に領受したる処なり」と信心は自覚されるものであることを述べ、決定心を否定して生涯不決定を安心とすることを否定し、それは十劫秘事であると述べているのである。
 『肥後国異法義御教誡』は惑乱終結の翌年(文化四年)になされたものであり、『新二十邪義批評』は無論惑乱以後のものである。
ともに機辺の決定心を否定することを間違いとしていることは、惑乱を終結させた正義派(大瀛)の意も同様に機辺の決定心を否定することを間違いとしたもの、即ち信を覚としたものであったことのさらなる裏付けとなろう。(以上論文よりの引用)

と私が書いているように、両者共に「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり」の言に執して衆生の側(機辺)決定心否定する考え信心を不覚とする考えを誤りとしているのであります。
「心得たとおもふは心得ぬなり、心得ぬ思ふはこゝえたるなり」とある意味は、自分の力(自力)で心得たと思うのは間違いであると言う意味であり、信心は不覚と言われているのでありません。
ここで私が留意しなければならないと思いますのは南渓氏が「御助けは一定往生治定と存ずと云ふ往生安堵の思ひに住するをこそ決定心を得たる人と云べし、この決定を排却するときは生涯不決定を以て安心とするや、若決定不決定を機受に求めずと云はば十劫秘事なり。」と述べていることであります。周知のように「十劫秘事」(十劫安心)は本願寺派の三業惑乱時(1806年終結)一念覚知と同様に異義と裁断されたものであります。(稲垣瑞雄『信心獲得のすすめ』の序文(自照社、2017年1月)参照)。http://e-kobai424.sakura.ne.jp/jyo.html
生存年代から分かりますように深励氏も南渓氏も三業惑乱時の人でありますから、当時の状況、様子を良く熟知していたことと思われます。

それから桐渓氏は庄松同行について

庄松同行に「お前は信心いただいておるか」ときいたら「私に聞いてもわかりません。聞くところが違いますよ。阿弥陀様にきいてください」と申したと伝えられております。「こころでこうなったからから」と決めたのではあぶない。(桐渓順忍『信心について』探究社、一九八二年七月発行、四六頁)。

と述べているのですが、実はこの話は最も大事な所が違っているのです。

庄松同行の語録である 『庄松ありのままの記』には

御法主「さあ其心持ちが聞きたいため汝を読んだ、敬うてくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見をしてくれた、併(しかし)汝は信を頂いたか」。 庄松「ヘエいただきました」。御法主「その得られた相を一言申せ」。庄松「なんともない」。御法主「それで後生の覚悟よいか」。庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我にきいたとてわかるものか」(清水順保『庄松ありのままの記』、永田文昌堂、一九六一年四月発行、四七頁)

と述べられています。ここには上の桐渓氏の文にはない(併(しかし)汝は信を頂いたか」。 庄松「ヘエいただきました」。)とある言葉がないのです。この事は桐渓氏の領解を窺う上で極めて重要なことだと思います。 その後御法主「その得られた相を一言申せ」。庄松「なんともない」。御法主「それで後生の覚悟よいか」。庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我にきいたとてわかるものか」と庄松同行は述べていますが、それは「ヘエいただきました」と述べた信心決定後の、往生一定の安堵の上の往生の確信の心の上での言葉なのであります。「ヘエいただきました」と言う言葉が何故抜けたのか、もし桐渓氏が故意に抜いたのなら尚さら悪いですが、知らずに抜いたとしても、知識不足と言うだけでなく、信心とは衆生の側(機辺)に決定心のない不覚のものと思い込んでいることが明らかです。 上に述べたように桐渓氏は十劫安心的な人に思えるのですが、これが正にそのことを示していると思われます。大変失礼な言い方になりますが、桐渓氏において信が往生決定の心でもなく,不覚のものであるならば、信の慶びも知恩報徳の心もお持ちでなかったことになります。これでは信心正因称名報恩批判に対して正しい裁断ができるはずはなかったということになるでありましょう。
このように教団の責任担当者までが十劫安心に座っているような状態が続いておりますので『信心獲得のすすめ』で慨嘆されているように「いざ信心獲得の内容に入ると無口になり、体験的な話はご法度で、強いて言う人は、一念覚知の異安心と見なされる恐れがあります」という傾向が随分以前から蔓延していたのでありましょう。(南渓氏は氏の時代にもあったと述べている。)
しかも桐渓氏のこの十劫安心的考えは、多くの教学の責任担当者に受け継がれ、機辺の決定心の否定、往生の確信の否定や、聴聞無用論までが横行しているのであります。そしてこれは現勧学寮頭にも継承されています。(続②近年の本願寺派教学に想う http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html  等参照。   因みに、現勧学寮頭は氏の論文「浄土真宗における儀礼論」(日本仏教学会年報63,平成10年<1998年>5月発行)に、信前と信後を分ける考えに反対している。 )
こんな状態でありますから、宗制宗法遵守義務が公然と放棄されている情けない現状となっているのです。このように教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団となっている、現教団の信心不在体質の抜本的改善を、教団人全員で早急に真剣に考えねばならないと思います。 合掌。  (2017年2月8日)

      上記についてのFace bookの反応

(S氏)  南無阿弥陀仏
  
   (紅楳) 
Obrigado. Gassho.

(Y氏)南無阿弥陀仏

(紅楳)有り難うございました。現在教団には諸問題が山積していますが、教義信心についての宗制宗法遵守義務の放棄がまかり通っている状態が一番の大問題だと思います。
これでは親鸞聖人の教えとは無関係の教団ということになってしまいますし、教えが弘まることもないと思います。教団の無信心体質の抜本的改善が正に急務と考える次第です。合掌。


(G氏) 南無阿弥陀仏

これ、面白いですね。御小屋の尼どもが、信心を得た云ふは得ぬのなりとある文を一つ覚えて居て、諸方の信心者の処へ往き、お前方はまだ自力の心でござる、信心得たと云ふて居る間はまだ信心を得ぬのじゃと云ふなり。

一知半解というか、こういうことを言ってまわる者が昔はいました。
最近では、信心とか安心といっても全く反応を示さない者ばかりで、信をとれ信をとれの蓮如さんの教えもどこへやらです。
越前では、大きな信心十六ぺん、ちょこちょこ安心数知れず、などと言ってましたが、これもご信心を頂くということに熱があったということでしょう。

 聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。

ということは、信心以外は末であり、どうでもいいという事なのですが、この御文章を一座の肝要として拝読している布教使さんには、ご信心があるように思えないので困ったものです。
ある意味では、恩寵主義にどっぷり漬かっている教団には、もういっぺん三業惑乱をやり直さなければ、と思っていたりします。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


     (紅楳)  大変結構なコメント、誠に有り難うございます。合掌。

(T氏) 庄松同行のご信心の話など、大変興味深く読みました。 南無阿弥陀仏

(紅楳)何度も述べてきたことでありますが、今や教団は教学の責任担当者までが信心正因称名報恩の意味も分からず、無明の二義も分からず、一念覚知と十劫安心の違いも分からず、 蓮如上人御一代記聞書213』の意味も分からず、庄松同行とご門主との対話の意味も分からない、信心不決定(未決定)者の集団と成り果てているのであります。この信心不在体質の抜本的改善がなされないままでは、いくら発展計画を掲げても成果は期待できないと思います。Gさんの言われる「もういっぺん三業惑乱をやり直さなければ、と思っていたりします。」(教学体制の解散)に私は賛同します。合掌。
                          (2017年2月11日)


続前(2月8日)

法霖氏(1693-1741)の言葉に「祖師聖人御相伝の御宗旨さへ、御立行なされ候へば、御本山は自然と御立ちなされ候」(日渓古数奇屋法語、真宗全書62巻)とあります。
親鸞聖人の教え(蓮如上人の教えも含む)を正しく伝えて行けば、本願寺は自然と栄えるものであると述べています。教団の使命は親鸞聖人(宗祖)、蓮如上人(中興)の教えを正しく弘め、世の人々をを救う事であります。

...
色々述べましたが、今や教団の教義信心は大いに乱れ、それに関する宗制宗法遵守義務放棄が公然とまかり通っている有様であります。この無信心傾向は1981年(信楽氏岡氏の信因称報批判問題について、何の処置もされなかった勧学寮の裁定)以来急速に進んだと思います。この直前の勧学寮頭であった大原性実氏は信楽氏、岡氏に対して何らかの処置をするつもりであったのです。(「続②近年の本願寺派教学に思う。2015年4月5日記」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku2.html )

それから愛山護法ということも護法愛山でなければなリません。三業惑乱と言う言葉も出てきましたが、こう教義信心が乱れてしまったからには、少々の混乱は恐れることなく、思い切った処置がなされるべきではなかろうかと思います。教団人全員の叡智を結集して真剣に考慮すべきであると思う次第であります。合掌。
                       (2017年2月12日)
御賛同有り難うございました。何度も申しましたが、教義信心についての宗制宗法遵守義務の放棄が公然とまかり通る教団の現状は、誠に情けない限りであります。僧侶自身がみずからの信心決定を忘れてはなりません。蓮如上人は『御一代記聞書』九三に (『浄土真宗聖典<註釈版>P,1261)に
 「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり 、人承引あるべからずと」
と述べられています。深く頂戴すべきことであります。 合掌。      (2017年2月16日)


 上記 Face book の反応

(D氏) Namo Amida Butsu _

(紅楳)【Rennyo Shonin’s Goichidaiki-kikigaki 93】
To urge people to attain shinjin even though you have no shinjin yourself is the same as giving something to others even though you do not have it. People will not approve of this.
Gassho.


(G氏)r 南無阿弥陀仏 (2017年2月17日)




続前(2月12日)
1月14日に述べましたように、他人が信体験を語るとすぐに「一念覚知の異安心者」という人は(私自身もよくそう言われてきました。)、その多くは「一念覚知」の正しい意味の分かっていない、十劫安心の異義者であるか、または宗教の世界に未だ目醒めてない人であるか、いずれにせよ信心不決定(未決定)の人と言って過言ではないと思います。三業惑乱の終結に貢献した大瀛氏はその著『横超直道金剛錍』に、十劫安心者を評し、

然るに十劫者は。この如是聞信をしらず。如来の正覚成就の時を。我が往生治定の時と計す。是大違なり。又かくのごとくこころえてのちこそ。御恩とは云べきに。十劫者この如実の領解もなく。聞信不具足にして御恩を忘れぬと云。大に違へり。
(下、四十丁、左)

...

と述べて、十劫安心の人は、如来正覚の時(十劫の昔)に往生の定まったとと考える間違いの人であると述べ、御恩を忘れぬとは言いながら、仏の御恩の分かっていない人だと述べています。(往生の定まる時は信心の定まる時である。)

現教団においては教学責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団となり果て、他者の信体験に対しては一念覚知の異義者と評する十劫安心に据わった人達であり、仏の御恩が分からないが故に信心正因称名報恩の意味も分からず、宗制宗法遵守義務を公然と放棄する有様であります。この現状は三業惑乱時以上の惨状だと思います。
教団においては長らく発展振興計画が叫ばれ、また僧侶の有志による「宗門の明日を考える会」等も発足されてはおりますが、信心不在の体質の改善を忘れたままでは成果は期待できないと思います。 合掌。
                    (2017年2月24日)

  上記 Face book の反応

(T氏)) ありがたくお聞かせいただきました。南無阿弥陀仏

(S氏)Yoshihide Sawa 南無阿弥陀仏

(G氏) Namo Amida Butsu

(K氏) 
いつも、ありがとうございます。
紅楳さんの投稿を読ませて頂くと、「師より教わってきた事が、違ってはいなかった。」と改めて落ち着けるのであります。
多勢に無勢では、「少数の方が違うのではないか?」という錯覚に陥るのが人間の弱いところなのでしょうか?...
しかし、こういうお話を聞かせてもらうと、「チャンと残るんじゃなぁ〜!」って思います。

(紅楳) 2月8日に述べましたように信楽氏、岡氏の信因称報批判を裁定した当時の勧学寮頭は、庄松同行の話を変えて同行を十劫安心(無帰命安心)の徒とし、それを正安心とする大きな誤りを冒しているのです。こんな人に正しい裁定が出来るはずは無かったのであります。とろがこの誤りが何の疑問も持たれることなく、今も教学の責任担当者に継承されているのです。宗制宗法遵守義務が守られるはずもない情けない現状であります。こんな信心不在体質のままで、何を論じても教団の将来はありません。合掌。

(D氏)
 Namo Amida Butsu

(紅楳) 御賛同有り難うございました。この問題は教団の教学の責任担当者までが一念覚知と十劫安心の違いの分からない、領解文の「往生一定、おんたすけ治定」の世界の分かっていない、信心不決定(未決定)者の集団と成り果てている所から、生じたことであります。
この解決を今の勧学寮に期待した所で、全く無理なことであります。
教団の危機を誰もが感じ、色々な試みはなされますが、信心不在体質の抜本的改善がなされない限り、成果はなかろうと思います。
親鸞聖人、蓮如上人の御跡を慕う仲間と共に「自信教人信」の道を歩ませて頂きたいものと思います。合掌。

           (2017年2月26日)



2016年9月3日に述べていますように、雑誌「宗教問題15、特集  親鸞会とは何か」(合同会社宗教問題、2016年8月31日発行)が出版されました。
私もインタビューを受けて、「私が対峙した35年前の 親鸞会」という題で記事が載せられています。(内容はhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/shirakaitaiji.html )
そこに述べてありますように、当時龍谷大学の現職の真宗学の教授であった信楽氏と岡氏に若手の龍谷大学の教員,その他が加わった教団改革運動が行われておりました。(『教団改革への発言』(永田文昌堂、昭和46年<1971年>8月発行))。何度も申してきたことでありますが、信心正因称名報恩義を否定した信前信後の念仏の違いが分からない、カラ念仏と報恩念仏の違いが分からない、信心不決定(未決定)の二人が中心であった運動ですから、成果があるはずはなかったのであります。
それから1983年<昭和58年>8月、 親鸞会本部に近い高岡市の本願寺派寺院における黎明講座の折りに、およそ100名の 親鸞会員が私の所に押しかけ...て来た時のことを書きました。法話中に一人が「あなたは救われましたか」と尋ねました。私は「私は救われました」と答えました。法話の終了後質問があるなら、聞くつもりでいたのですが、誰も来ませんでした。
この 親鸞会員に対しての私の「私は救われました」の答えを勧学寮等の教団の教学責任担当者はどう言うでしょうか。恐らく、一念覚知の異安心者だということでありましょう。(勧学寮の関係者が、私を一念覚知の異安心者であると言っていることは、以前から複数の人に聞いています)。何度も述べましたが、一念覚知の異安心とは「信心決定時の年月日時を覚えていなければならない」と主張することであります。「往生一定御たすけ治定」と存ずることを一念覚知の異安心というのでありません。「往生一定御たすけ治定」と存ずることを一念覚知の異安心と考えることはとんでもない間違いであります。全くの信心不決定(未決定)者、また十劫の昔に既に救われていると考える十劫安心の異安心者の所論であります。こんなことでは『領解文』の「往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じ慶びまうし候」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,1227)の意味も分からず、『教行信証』「化土卷」の「ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,413)とあります信後の報恩念仏の世界も全く分からないことでありましょう。信心決定の世界も報恩念仏の世界も全く分からないことでは、宗制宗法遵守義務を果たせるはずはなく、遵守義務放棄もやむえないこととは言いながら、これは決して許されることではありません。私が「私が対峙した35年前の 親鸞会」の記事の終わりに「私は親鸞会を肯定的に評価する気など全くありませんが、こういう親鸞会の、<本願寺は無安心だ>といった批判は当たっている部分もあって、伝統教団側はきちんと受け止め、反省すべきことは反省しないといけないと思います。親鸞会の問題は、ただ相手を<異安心だ>で切り捨ててしまっていいものではないとも感じています。」と述べているのは、正にこの事なのであります。繰り返しますが、現在の教義安心の乱れは、三業惑乱時以上の惨状と言えるでありましょう。このことが放置された儘で、いくら発展振興が掲げられようが、宗門の明日が論じられようが、従来と同様に成果はなく、いたずらな試行錯誤の繰り返しになるだけと懸念します。合掌。

         (2017年2月27日)

      上記について Face の反応

(R氏) 当時の高森親鸞会は、ご法座を荒らしまわるのが常でした。
狂信的な信を振りかざして、お前は信を得てるのかと、頭の悪そうな議論を吹っかけて末寺のご法座の場を荒らしてました。
おかしな事に、そのような行業をしでかした輩が何の反省もなく、真宗の坊主になろうとする/なったのですからギャグとしか言いようがありません。
彼らには、加害者としての視点が0なのでした。高森親鸞会に荒らされた当時の寺院の住職や坊守の涙を覚えているので、幹部であった彼らの回心を正直に受け入れることは出来ない部分があります。
もっとも脱会した古参幹部が、私はマイナスからの出発ですよ、といわれたので少しく応援したこともありましたし、脱会者のブログに投稿したりもしてますけど。
ともあれ、一念覚知が批判される土壌は、高森親鸞会のように、一念覚知「だけ」を論ずるからであり、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」の乃至を知らないからだと思量してます。
ともあれ、真宗坊主が信心とは何かを知らないという紅楳さんの視点には賛成です。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

(D氏) Namo Amida Butsu __

(紅楳)「真宗坊主が信心とは何かを知らないという紅楳さんの視点には賛成です。」と御賛同有り難うございます。問題は教団の教学の責任担当者まで信心不決定(未決定)者の集団となり果てていることであります。このことが宗 制宗法遵守義務の放棄にもなり、一念覚知の異安心の意味も分からず、領解文の「往生一定御たすけ治定」と存ずることを一念覚知の異安心だと間違うのであります。(私が親鸞会員に対して「私は救われました」と答えたことを、異安心だと罵詈している勧学寮の関係者が、恐らくいると思います)。こんなことでは御正忌報恩講の改悔批判も単なる形式のみの形骸化したものということになりましょう。いずれにせよ、このような信心不在体質の早急の改善がなされねばなりません。合掌。

(G氏) 
南無阿弥陀仏       (2017年2月28日)



続前(2月27日)
繰り返し申しますが、宗教体験を語るとすぐに「一念覚知の異安心」という人は、一念覚知の正しい意味が分かっていない、救済体験のない信心不決定(未決定)の十劫安心の人であります。十劫の昔に往生は定まっていると考え、信心決定、往生一定の確信が衆生の側(機辺)にはない、あるはずはないと思っているのです。即ち親鸞聖人が三不信の一つとして戒められている不淳心(若存若亡心)<あるときには往生してんずとおもひ、あるときには往生はえせじとおもふを若存若亡といふなり>(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,587)が一生続くのが凡夫の心であると思い込み、往生一定の確信を言うのは自力心だと考えているのです。随分前のことですが、既に亡くなっているある勧学さんと話をしたことがあります。私が「往生の確信は持つことが出来ると思います」と言いましたら、その人は「それを言うと一念覚知になるぞ」と言いました。それで私は「しかし、領解文には<往生一定御たすけ治定と存じ>とありますが、あの<存じ>は衆生の心ではないのでしょうか」と言いますと、その人は「領解文は蓮如上人の書かれ...たものかどうか分からないからな」と言いました。重ね重ねとんでもないことを言うものです。
親鸞会会員の「あなたは救われたんですか」の質問に対し、私は演台に立ったまま即座に「私は救われました」と答えました。34年前のことになりますが、私には信心決定、往生一定の確信がありましたので、ハッキリ言ったのです。勿論後で質問に来ても応対する自信は十分ありました。私の答えに間違いはなかったという気持ちは今も少しも変わってはおりません。この際申して置きますが、親鸞会が本山に押しかけて来た時、私が積極的に回答をしないからだと言う誤解が一部にあり、私を非難する声ありましたが、それは本山の方針としてそうしたことであったのです。
現在の教学の責任担当者も多くは上の故勧学と同型の十劫安心の人が多いように見受けられます。私を「一念覚知の異安心者」だと言っている人達がいる、と言うことを多くの人から聞いています。言っている人達は誰のことであるかは御自分でお分かりになることでありましょう。私を異安心者と思うならお呼び出しになり、御教諭下さい。私も私の考えを申し上げます。
要するに宗教体験を語るとそれをすぐ「一念覚知の異安心者」だという言う人は救済体験のない信心不決定(未決定)の十劫安心の人であります。この人達は大瀛氏も「然るに十劫者は。この如是聞信をしらず。如来の正覚成就の時を。我が往生治定の時と計す。是大違なり。又かくのごとくこころえてのちこそ。御恩とは云べきに。十劫者この如実の領解もなく。聞信不具足にして御恩を忘れぬと云。大に違へり。」(2月14日記)と述べているように、十劫安心の人は, 如来の正覚成就の時(十劫の昔)を往生の定まった時とし、一応御恩とは言ってはいますが、正しくは御恩(仏恩)が分かってはいないのですから,自分自身に報恩念仏の実感はなく、信心正因称名報恩批判を裁くことが出来ないのであります。これは断じて許されることではありませんが、当然とも言えるのです。更に残念なことは1981年(昭和56年)に信楽氏、岡氏を裁定した当時の勧学寮頭も上記の故勧学と同型と思わざるをえないことであります。この頃から教団の信心不在体質が加速したように思われます。過ぎ去ったことを元にもどすことは出来ませんが、これからのことは何とかすべきではないでしょうか。宗制宗法遵守義務放棄がまかり通る、教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団と成り果てた現状は、そうでなくても問題山積の中で、三業惑乱時以上の惨状と言っても過言ではなかろうと思います。教団構成員全員で考えねばならないことではありますが、特に総局、宗会議員の皆様に御叡智をお絞り頂きたく存ずる次第であります。合掌。  (2017年3月1日)

    上記についてFace book
の反応

(R氏) 鈴木大拙氏は『浄土系思想論』のなかで、

 お経の上で弥陀があり、本願があり、浄土があるので、それをその通りに信受して、自らは何故それを信受しなければならぬか、弥陀は何故に歴史性を超越しているのか、本願はどうして成立しなければならぬか、その成就というのはどんな意味になるのか、浄土は何故にこの地上のものでなくて、しかもこの地上と離るべからざるくみあわせにたっているのかというような宗教体験の事実そのものについては、宗学者達は余り思いを煩わさぬのではないか。浄土があり、娑婆があるということにたっている。──これをその通りに受け入れる方に心をとられて、何故自らの心が、これを受け入れねばならぬかについて、反省しないのが、彼等の議論の往往にして議論倒れになって、どうも人の心に深く入りこまぬ所以なのではなかろうか。

と、仰っていますが、「宗教体験の事実そのもの」に基づかないで浄土真宗の正意安心を論じても空虚な学問にしか過ぎないのではと思ったりしています。(鈴木大拙氏の浄土教理解には?も多いのですが) その意味では紅楳和上に賛意を表明します。
たしかに浄土真宗の信心は、賜りたるご信心でありますから、自己の側からは論じにくい面もあります。
越前の古参の同行は「あんた、夜明けさして貰たか?」と、後生の一大事を語りあっていました。信心という言葉が歴史の上で手垢が付きすぎていたので、御開山の示して下さった信心という語を別の表現でしていたもかもです。
真宗の行事の都度に歌われる「真宗宗歌」の一番は求道、二番は獲信、三番は伝道といわれています。

二番:
とわの闇より すくわれし
身の幸(さち)なにに くらぶべき
六字のみ名を となえつつ
世の生業(なりわい)に いそしまん

という、生死を繰り返してきた闇から救われた、という宗教体験を論じることを否定するなら、信を基底としてきた教団としてはもう終わりでしょう。
ある意味では、紅楳和上がどれだけ論じても真宗坊主の反応がないのが、その証拠だといえるかもです。
ただ、R(R氏自身のこと)の場合は、なんまんだぶで育てられた古いタイプの門徒ですから、後生の一大事というタームを重視しているので、教団の示す「信」の理解とは齟齬があるのかもです。
願生帰命説ではないのですが、御開山が欲生釈で、

【39】 次に欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり。

と、勅命という言葉を使われた、信楽の義別としての欲生心を、もう少し論ずるべきかなと思ったりしてます。三業惑乱以後、信心を強調しすぎて林遊のような莫迦な門徒の思ふ「汝一心正念にして直ちに来れ」という、さとりの浄土を説かないから真宗は衰退の一途をたどっているのでしょうね。知らんけど。
ともあれ、これ(紅楳和上の提言)を読んで、何の意の表明もしない真宗坊主が一番のガンなのでした(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


    (紅楳) 有り難うございます。合掌。

(S氏) 南無阿弥

(K氏)
ku紅楳先生 難しい事はわかりませんが、はっきりするものはするので、誰がどんな攻撃されても、はっきりします。南無阿弥陀仏 はっきりするものはします。南無阿弥陀仏 私の側から言った事はあまりありませんが、土下座してお礼になっていたことがあります。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
    
      (紅楳) 
その通りです。他力信心は「往生一定御たすけ治定」の絶対安堵の心です。助かるような気もするが、助からないような気もする若存若亡の心ではありません。合掌。


(紅楳) 今回は特に私の想いを率直に述べました。多くの方々に御賛同を頂き有り難うございました。
諸問題を抱えた既成仏教教団は、今や存亡の危機に瀕していると世間は評しております。
我が教団においても問題は多々ありますが、教団の生命である伝道活動について「浄土真宗の教説を現代人に伝え理解を得ることは至難の業となっている」と憂慮されています。
この事は長らく言い続けられたことでありますが、一向に解決の兆しが見られない問題であります。この最大の原因は教学の責任担当者までが、信心不決定(未決定)の集団と成り果て、宗制宗法遵守義務放棄が公然とまかり通る、信心不在の教団体質にあると思います。教団の責任ある立場の方々が蓮如上人の『御一代記聞書』九三 (『浄土真宗聖典<註釈版>P,1261)に
 「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり 、人承引あるべからず」
【Rennyo Shonin’s  Goichidaiki-kikigaki 93】
To urge people to attain shinjin even though you have no shinjin yourself is the same as giving something to others even though you do not have it. People will not approve of this.
と述べられている御言葉を、深く頂戴することが、先ず第一のことと思います。 合掌。
 (2017年3月3日)

(紅楳) 教団の責任ある立場の方々に申し上げます。アメリカ人のP氏もG氏もネットで私の本の英訳を読んで浄土真宗に入信された方々です。信心があればおのずと教えは伝わるものであります。逆に信心がなければ伝わらないでありましょう。これも蓮如上人の仰せ(「われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心 なり 、人承引あるべからず」)の通りであります。現代人に教えを伝えることは難しいと言われます。確かにそうだとは思いますが、この事をよくお考え頂きたいと思います。これは時代と共に変わることはないと思います。合掌。  (2017年3月5日)

(紅楳) 伝道方法は時代と共に変わるのは当然でありますが、そこに信心が抜けていては駄目なのであります。合掌。

(紅楳) なんども申すことでありますが。宗制宗法遵守義務放棄が当然のようにまかり通る、信心不在の体質の儘で,いくら伝道方法や振興発展計画を論じても、論ずる人間に信心がなければ、成果はないように思います。合掌

              (2017年3月6日)



 本願寺新報(5月1日<月曜日>)を拝読致しました。第1面に「親鸞聖人のご廟所 大谷本廟で伝灯奉告法要」と大きく書かれています。慶賀の至りであります。
第3面の下面に「本山 春の法要 本願寺恒例の立教改宗記念法要<春の法要>。今年は、伝灯奉告法要期間中の4月15日午前に、春の法要を御影堂で営んだ。300人が参拝した。前門さまご出座のもと共通勤行「和訳正信偈」をおつとめ。」と書かれています。
 共通勤行(真宗教団連合の共通勤行)として「和訳正信偈」がおつとめされているのであります。
前に述べましたように、近年、本願寺派の教学の責任担当者の中に、無明の解釈について痴無明(煩悩妄念心)と疑無明(本願疑惑心)に分けることに反対する意見が出ています。浄土真宗本願寺派、2012年8月31日発行(本願寺派の全寺院に配布されている。)の『教行信証』の研究 第一巻、『顕浄土真実教行証文類』解説論集、第二章「行文類の諸問題(p、110以下)は、まさにその反対する立場で書かれたものであります。
 「和訳正信偈」は『正信偈』の「摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 ...常覆真実信心天」の部分が、「摂取(すくい)のひかりあきらけく 無明(うたがい)の闇(やみ」晴(は)れ去(さ)るも」 <浄土真宗 聖典 ―勤行集-― 浄土真宗本願寺派 真宗教団連合制定 和訳 正信偈 p、132>となっています。「無明(うたがい)の闇(やみ)晴(は)れ去(さ)るも」とあるように、無明を痴無明と疑無明に分けて、疑無明(本願疑惑心)の意味で述べているのです。この度、春の法要で「和訳正信偈」でのおつとめがなされたということは本願寺派では無明について「痴無明」(煩悩妄念心)と疑無明(本願疑惑心)と分けることに賛成する立場であることが示されているのであります。それなら「痴無明」(煩悩妄念心)と疑無明(本願疑惑心)と分けることに反対する意見は本願寺派では認めないと言うことであります。浄土真宗本願寺派2012年8月31日発行(本願寺派の全寺院に配布されている。)の『教行信証』の研究第一巻は直ちに回収すべきであります。
 この無明の解釈の問題も信心正因称名報恩批判問題と同様、所詮は信前と信後の違いの体験がない、本願に疑いの晴れた実感のない、信心不決定(未決定)である所から生ずる謬見であります。何度も申してきたことでありますが、信心正因称名報恩について宗制宗法遵守義務放棄が公然とまかり通ったり、痴無明と疑無明の違いが分からなくなったり、教団の教学の責任担当者までが信心不決定(未決定)者の集団と成り果ててしまった現状は、まさに悲歎すべきことであります。早急な体質改善が必要と思う次第であります。そうでなければ長期振興発展計画も所詮夢物語になるであろうと懸念致します。合掌
(「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm 、「近年の本願寺派教学の想う、追加 <2014年9月16日 記> http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnentsui.htm 「続③近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/zoku3.html 等参照」。  (2017、4,29)

  上記についての Facebook の反応


(S氏)  南無阿弥陀仏

(D氏)Namo Amida Butsu _

(紅楳) 有り難うございました。
教団とって一番大事なことは出離生死の問題であり、信心の問題であります。善鸞義絶の消息には「往生極楽の大事」(『浄土真宗聖典(註釈版)P,755)とあり、恵信尼消息には「生死出づべき道」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,811) と述べられています。
この信心が曖昧になってしまっているのが、教団の現状であります。宗制宗法遵守義務放棄が公然とまかり通ったり、教団の正式なおつとめである意訳正信偈の内容(無明)について、教学に責任ある立場の方々が反対したりしているのであります。浄土真宗の真実信心とは何かが、全く分からなくなっているのが現状であります。こんな状態では教団の振興発展はあり得ないだろうと愚考します。教団の最高責任の立場の方々の、一刻も早い、浄土真宗の真実信心についての御裁断、御指導を御願い申し上げます。 合掌
  (2017,5,3)



 本日(5月23日)仏教漢詩の会に参加し、下記の句を述べました。

憶伝灯奉告法要円成 (伝灯奉告法要円成に憶う)  紅楳英顕

奉告法要近円成   奉告法要(ほうこくほうよう)は、近(ちか)く円成(えんじょう)す。

...

唯願宗門永隆盛   唯(ただ)宗門(しゅうもん)の、永(なが)き隆盛(りゅうせい)を願(ねが)う。

莫忘自身信決定   忘(わす)るること莫(なか)れ、自身(じしん)の信(しん)決定(けつじょう)を。

教団振興法繁栄   教団(きょうだん)は振興(しんこう)し、法(ほう)は繁栄(はんえい)す。

<意訳>
伝灯奉告法要はまもなく円成されます。ただ宗門の永き隆盛を念願する次第であります。
忘れてはならない一番大事なことは、僧俗を問わず、宗門を構成する一人一人が信心決定を目指して精進する事だと思います。それによって教団は振興し、法(教え)は繁栄(広く弘まる)すると考えます。

何度も申してきたことでありますが、現代の教団に諸問題は存するとは言え、最大の問題は、教学の責任担当者までが、信心不決定(未決定) 者の集団と成り果てている信心不在体質であります。
十劫安心と一念覚知の違い、カラ念仏と報恩念仏の違い、痴無明と疑無明の違い、が分からないことは、すべてその人に救済体験がない、すなわち信心不決定(未決定)者であることから生ずるのであります。

 
 蓮如上人は『御一代記聞書』九三に
  信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり、人承引あるべからずと、前住上人申さると順誓に仰せ
れ候き。「自信教人信」と候時は、まづ我が信心決定して人にも教えて仏恩になるとのことに候。自身の安心決定して教えるは、すなはち「大悲伝普化」の道理なる由、同く仰られ候。(浄土真宗聖典<注釈版>p、1261)

とあります金言をよくよく頂戴することが、何よりも肝要の事と思われます。 合掌 (2017,5,23)

  上記についてFace book の反応
(S氏) 南無阿弥陀仏

(G氏) 
Namo Amida Butsu
(紅楳) 御賛同有り難うございました。親鸞聖人が『教行信証』で上の『往生礼讃』の「自信教人信」の文を「大悲伝普化」でなく、「大悲弘普化」としていることから、親鸞聖人には伝道者意識がなかった、と言う意見がありましたが、これは明らかな間違いです。このことは「今、想うこと」(2013年9月)http://e-kobai424.sakura.ne.jp/imaomou.htm に述べました。  合掌 (2017、5,26)


続前(5月23日)
宗報(2017年5月号)掲載の「第5回 宗門教学会議 開催奉告<前半>」を見ました。
大変気になりましたことは、勧学寮頭(教学の最高責任者)が「宗門では<安心はおのれ一人のしのぎの問題>ということに集約しすぎたきらいがあります。つまり、ご法義を個人の専有物のように捉える傾向がつよいのです。「個の救い」に終始する態度は、自分以外の人びとと人生を「共に」歩んでいくことを大切にする大乗の精神に全く反しています。」と述べていることであります。(P,25)とあることです。

<安心はおのれ一人のしのぎの問題>という意味を氏はどう理解しているのか知りませんが、安心(信心)が<一人のしのぎ>ということは『蓮如上人御一代記聞書171』の「往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。よそごとのように思ふことは、かつはわが身をしらぬことなりと、(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,1284)とある文によるものです。往生の問題は自分自身の問題でありますから、「往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。」と言...われているのです。
自分自身の問題であることに気づかずに「ご法義を個人の専有物のように捉える傾向がつよいのです。」等と言うことは全く法義の分かっていない人の言葉です。「往生は一人のしのぎなり。」と言われた蓮如上人が法義を個人の専有物にされたのではなく、生涯大悲伝普化の御活動に御身を挺されことに、まさか誰しも異存はないことでありましょう。
 「往生は一人のしのぎなり」言う意味が分からず、大乗の精神に全く反する等と言う人は、蓮如上人がそこで言われている「よそごとのように思ふことは、かつはわが身をしらぬことなりと」に相当する、自分自身の往生の問題が解決していない、信心不決定(未決定)の人と言って過言ではないと思います。これが信心教義についての宗制宗法遵守義務放棄と言う、宗教教団にとって有る可からざる現象が生ずる事にもなったのでありましょう。それから信前信後の違いが分からず、十劫安心と一念覚知の違いも分からず、宗教体験(救済体験)を語れば、すぐそれを一念覚知の異安心だと思う謬見もやむえないことではありましょうが、何とも情けない、「まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,412)現状と思われます。 合掌。  (2017,5,27)

  上記についてFace book の反応

(K氏) 、「奉告」ではないですね。

(S氏) 聖人の常の仰せには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり、されば若干の業をもちける身にてありけるを、助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」と御述懐候いし

(紅楳) そうですね、「安心はおのれ一人のしのぎの問題」と言うのが間違いと言う人は、恐らく「親鸞一人がためなり」と言われている親鸞聖人の御言葉の意味も分かっていない人でありましょう。自分自身に救済体験のない信心不決定(未決定)の人でありましょう。こう言う人が教団の教学の最高責任者であることが、大問題だと思うのです。 合掌

(M氏)  大乗とは自ら悟る小乗ではなく、救われる縁なき悪人、わたしを救うと願われ来られた如来様の救いを言われます。
他者を救う余裕が、悪人にあるかどうか。力があるかどうか?

(紅楳) 大乗仏教にも自力仏教と他力仏教とがあります。大乗の中の自力仏教は華厳、天台、真言、禅等です。浄土真宗は大乗の中の他力仏教です。親鸞聖人は浄土真宗が大乗仏教の中で最も優れた教えであると言う意味で「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,737)と言われているのです。
貴方の言われるように、浄土真宗の教えを学ぶには、自己を内省し、自分が罪深い人間(悪人)であると知ることは大事な事と思います。 合掌

(R氏) 私は、『宗報』なぞ一度も読んだことはないし、当該の引用だけでは趣旨を計りかねるのだが、現場を知らない学究派の坊主には、ありそうな考察です。

勧学寮頭ってあるから記述者は、なんとかの一つ覚えで「ものみな金色(こんじき)に輝く」を説く徳永一道さんかな。
「金色」云々は、因位の阿弥陀仏の本願を説く『無量寿経』の第三願「悉皆金色の願」からの引用だろうけど、これって、

 たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、ことごとく真金色ならずは、正覚を取らじ。 p.16

とあるように、西方浄土へ往生した「国中の人・天」の相(すがた)を顕す表現であり、社会派の僧侶は安易にこの願の「不悉真金色者」を現世のはたらきとして依用するのは困ったものである。御開山が第十一願の「国中人天 不住定聚(国中の人・天、定聚に住し)」の、国中人天の「定聚」の語を現世であると洞察された経緯は『教行証文類』を読めば解る。
そのような意味において、たとえば『論註』で『維摩経』仏国品の意を引用して、

 足の指、地を按ずるにすなはち金礫の旨を詳らかにす。 七祖p.121

という語の意味を真面目に浄土真宗のご法義を考えて欲しいものである。

いわゆる社会学の社会という視点から、御開山が開顕して下さった往生浄土の真宗を理解しようという試みでだろうけど、何故御開山が『教行証文類』で、

 つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。p.135
とされ、『浄土文類聚鈔』では

 本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。『浄土文類聚鈔』p.478

と、された回向の二種に対する考察が必要であろう。
「往相」という、往生浄土の浄土を持たない「知愚の毒」に侵された現代の社会派教学者や、御開山が展開して下さった浄土を喪失した、真宗坊主には窺い知ることも出来ないご法義が、

 浄土真宗は大乗のなかの至極なり。p.737

で、あった。
社会派坊主の使用する「社会」という語は、明治期に西欧語のsocietyの翻訳語として使われた語である。日本には他社との関係を示す語として「世間」という言葉があった。
世間という言葉は仏教語であり「出世間」という言葉の反語である。そしてまた世間という言葉は、わたくしが世間の外側から火宅無常の世を感じる語であり、世間とは私の眺めた世界であり、その中に私はいないのであった。「後生の一大事」という「出世間」の視点から見た私である。
その意味において西欧語のソサエティの翻訳としての「社会」という語は、私を、その構成員の一部分として含むことをいうのであった。
ある意味では現代仏教の盲信する「縁起」という、さとりへの手法を対他関係に応用する試みであるが、Rが「莫妄想」と云ってスリッパで張り倒すと、なんまんだぶという原点回帰するかもな(笑
現代人の不幸とは、思想の外延が拡がり過ぎて、それを咀嚼できないことですが、御開山が引文されておられる、

「いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり」p.180 という、可聞可称の、なんまんだぶという行業を知らない信心正因の言葉に狂う人は、かわいそうである。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

(紅楳) 御意見有り難うございました。要するに教団の信心教学についての最高責任者が信心不決定(未決定)の人であってはいけません。そして「信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われはものをもたずしてひとにものをとらすべきというの心なり、人承引あるべからず」(蓮如上人)、また「土橋は人を渡して自ら落つるが, 未信の人は朽ちた橋の如く、人も渡さず自らも落つるなり。」(利井鮮妙)に相当する人であってはならないのであります。
将来の教団のためには、よくよくこの事を熟慮しなければならないと憂慮する次第であります。  合掌
   (2017,5,28)

(R氏)  I'm lost here. Please explain the practical relevance of these posts to daily practice. Namo Amito fo.