仏教漢詩の会
第三回 平成25年(2013年)10月5日
メインテーマ 妙好人
妙好人 紅楳英顕
真実信心念仏者 (真(しん)実(じつ)信(しん)心(じん)の念(ねん)仏(ぶつ)者(しや)、)
終南讃云妙好人 (終(しゆう)南(なん)は讃(さん)じて妙好人(みようこうにん)と云(い)う。)
末法濁世火宅中 (末法濁世(まつぽうじよくせ)の火(か)宅(たく)の中(なか)で、)
常嘆生好亦死好 (常(つね)に嘆(たん)ず、生(い)きて好(よ)し、また死(し)して好(よ)しと。)
追、現生正定聚
(これは2013年8月29日に作ったもので、私が作った最初の漢詩です。)
煩悩成就人 (煩(ぼん)悩(のう)成(じよう)就(じゆ)の人(にん))
獲得大信心 (大(だい)信(しん)心(じん)を獲得(ぎやくとく)すれば)
罪悪深重儘 (罪悪深重(ざいあくじんじゆう)の儘(まま)で)
與諸如来等 (諸(もろもろ)の如(によ)来(らい)と等(ひと)し。)
入大信心海 (大信心海(だいしんじんかい)に入(い)れば)
成正定聚人 (正定聚(しようじようじゆ)の人(ひと)と成(な)り)
在諸苦毒中 (諸(もろもろ)の苦(く)毒(どく)の中(なか)に在(あ)れど)
惠大慶喜心 (大慶喜心(だいきようきしん)に恵(めぐ)まるる)
第四回 平成25年(2013年)12月7日
メインテーマ 善知識
讃瑞劔先生 紅楳英顕
瑞劔先生徳広大 (瑞劔(ずいけん)先(せん)生(せい)、徳広大(とくこうだい)なり。)
九十余年之生涯 (九十余年(くじゆうよねん)の生(しよう)涯(がい))
偏精進念仏弘通 (偏(ひとえ)に念仏弘通(ねんぶつぐづう)に精(しよう)進(じん)せり。)
亦堪能異国言語 (また異(い)国(こく)の言(げん)語(ご)に堪(かん)能(のう)にして)
内外多在信奉者 (内外(ないげ)に多(おお)くの信(しん)奉(ぽう)者(しや)在(あ)り。)
我師近時入震法雷 (我(われ)、近(きん)時(じ)、震法雷(しんほうらい)に入(い)りて)
閲師称名報恩論(註) (師(し)の称(しよう)名(みよう)報(ほう)恩(おん)論(ろん)を閲(えつ)す。)
信因称報真宗要 (信(しん)因(いん)称(しよう)報(ほう)は真(しん)宗(しゆう)の要(よう)なり。)
誠想因縁深厚事 (誠(まこと)に因(いん)縁(ねん)深(しん)厚(こう)なる事(こと)を想(おも)う。)
註、瑞劔先生論文「称名報恩論争について」(1)、(2)、(3)。
(本願寺派宗報、昭和54年10月号~昭和55年新年号。)
第五回 平成26年(2014年)4月12日
メインテーマ 仏
大聖釈迦世尊 紅楳英顕
誕生釈迦族王家 (釈(しや)迦(か)族(ぞく)王(おう)家(け)に誕(たん)生(じよう)し)
遊四門知人界苦 (四門(しもん)に遊(ゆう)し、人(じん)界(かい)の苦(く)を知(し)る)
勤修六年苦行後 (勤修六年苦行(ごんしゆろくねんくぎよう)の後(のち))
成正覚菩提樹下 (正覚(しようがく)を成(じよう)ず、菩(ぼ)提(だい)樹(じゆ)の下(もと))
現五徳釈迦世尊 (五(ご)徳(とく)を現(げん)じた釈(しや)迦(か)世(せ)尊(そん))
告阿難慧見之問 (阿難(あなん)の慧見之問(えけんのとい)に告(つ)げたもう)
如:来出世之本懐 (如来出世之本懐(によらいしゆつせのほんがい)は)
在説彌陀誓願海 (彌陀(みだ)の誓願海(せいがんかい)を説(と)くに在(あ)りと)
第六回 平成26年(2014年)5月5日
メインテーマ 師資相承
良仰師教恩厚 紅楳英顕
弘誓之強縁叵値 (弘誓之強縁(ぐぜいのごうえん)、もう値(あ)い叵(がた)し。)
顧我昭和庚子暦 (顧(かえり)みるに、我(われ)、昭(しよう)和(わ)庚(こう)子(し)の暦(れき)「註」、)
得遇正信偈金言 (正信偈(しようしんげ)の金(きん)言(げん)に遇(あ)うことを得(え)、)
帰入大悲之願海 (大悲之願海(だいひのがんかい)に帰入(きにゆう)せり。)
自其以来至今日 (其(そ)れ自(よ)り以来(このかた)、今日(こんにち)に至(いた)るまで、)
幸惠学聖語良境 (幸(さいわい)にして、聖語(しようご)を学(がく)せる良境(りようきよう)に惠(めぐ)まる。)
願精励正法宣揚 (願(ねが)わくは、正法宣揚(しようぼうせんよう)に精励(しようれい)し、)
奉報広大之師恩 (広大之師恩(こうだいのしおん)に報(ほう)じ奉(たてま)つらん。)
「註」 昭和35年(1960年) 19歳の時
*入信(回心)については「今想うこと」、 「紅楳英顕学習会」にも述べてあります。
第七回 平成26年(2014年)10月4日
メインテーマテーマ 妙好人
妙好人 紅楳英顕
金剛信心獲得者 金(こん)剛(ごう)の信(しん)心(じん)の獲得者(ぎやくとくしや)、
終南是名妙好人 終(しゆう)南(なん)是(これ)を妙好人(みようこうにん)と名(な)づく。
世尊言我善親友 世(せ)尊(そん)は我(わ)が善親友(ぜんしんぬ)と言(のたま)い、
宗祖讃真仏弟子 宗(しゆう)祖(そ)は真(しん)仏(ぶつ)弟(で)子(し)と讃(さん)ず。
闕世間隙勤聴聞 世(せ)間(けん)の隙(ひま)を闕(か)きて聴(ちよう)聞(もん)に勤(つと)め、
覚醒如来大悲願 如(によ)来(らい)の大(だい)悲(ひ)願(がん)に覚(かく)醒(せい)す。
慶喜現生不退身 現生不退(げんしようふたい)の身(み)を慶喜(きようき)し、
過報恩念仏生涯 報(ほう)恩(おん)念(ねん)仏(ぶつ)の生(しよう)涯(がい)を過(すご)せり。
2014年9月4日
第八回 平成27年(2015年)2月7日
今回は大瀛和上がテーマの一つでした。
2月7日(土)第八回 漢詩の会が催されました。今回は 大瀛和上の『横超直道金剛錍』 がテーマの一つでした。
想大瀛和上 大瀛和上(だいえいわじょう)を想(おも)う...
紅楳英顕
真実院大瀛師著 真実院大瀛師(しんじついんだいえいし)は著(あらわ)せり。
横超直道金剛錍 横超直道金剛錍(おうちょうじきどうこんごうへい)を。
謬見信一念覚執 信一念(しんいちねん)の覚(かく)に執(しゅう)ずることを 謬見(びゅうけん)とし、
誤過三業帰命論 三業帰命(三業帰命)を論(ろん)ずることを過誤(かご)とせり。
又述十劫正覚初 又(また)述(じゅつ)せり。 十劫正覚(じっこうしょうがく)の初(はじめ)は、
往生法門成就砌 往生法門成就(おうじょうほうもんじょうじゅ)の砌(みぎり)、
他力信心開発剋 他力信心開発(たりきしんじんかいほつ)の剋(こく)が、
衆生往生冶定時 衆生往生治定(しゅうじょうおうじょうじじょう)の時(とき)なりと。
2015年1月27日
大瀛師の『横超直道金剛錍』 は本願寺派最大の安心上の騒動であった三業惑乱(1806年3月終結)に際し、三業派の欲生正因、三業帰命、一念覚知と、当時流布していた十劫安心の謬解を正したものであります。
信心不在体質の現在の教団において、この内容を正しく学習することは極めて重要な事と考えます。
第九回 本日(5月6日)仏教漢詩の会(第九回例会)が催された。 今年は 蓮如上人 降誕六百年に当たる。
蓮如上人 降誕六百年に想う 紅楳英顕(こうばいえいけん)
...
奉讃真宗再興功 真宗再興(しんしゅうさいこう)の功(こう)を讃(さん) じ奉(たてまつ)るべし。
教導異義邪見輩 異義(いぎ)、邪見(じゃけん)の輩(ともがら)を教導(き ょうどう)し、
顕彰信因称報誠 信因称報(しんいんしょうほう)の誠(まこと)を顕彰(け んしょう)すべし。
2015年4月15日
蓮如上人 の降誕は1415年4月13日(新暦)。
この第三行目の異義、邪見とは、信心正因称名報恩義に対する反対論、および蓮如上人を外道とする 蓮如上人非難論のことである。輩とはその考えに影響を受けた多くの人達を指します。
第十回仏教漢詩の会が催 されました。(2015年7月4日)
上手には作れませんが、七言絶句の規則に従って初めて試みたものです。
讃蓮如上人 蓮如上人 (れんにょしょうにん)を讃(さん)ず。 紅楳英顕
蓮上降誕六百時 蓮上降誕六百時 (れんしょうごうたんろっぴやくじ)
奉嘆真法再興遺 真法再興(しんしゅうさいこう)の遺(い)を奉嘆(ほうたん)す。
教摧異義謬人輩 異義謬人の輩(ともがら)を教摧(きょうさい)し、
顕授信因称報詞 信因称報(しんいんしょうほう)の詞(し)を顕授(けんじゅ)せり。
讃大瀛師 大瀛師(だいえいし)を讃(さん)ず 紅楳英顕
瀛師摧破願生論 瀛師(えいし)は願生論(がんしょうろん)①を摧破(ざいは)して、
異解自調安心門 自調安心門(じちょうあんじんもん)②を異解(いげ)とす。
雖然為要帰命義 然(しかり)と雖(いえど)も、帰命(きみょう)の義(ぎ)を要(よう)とし、
厳嫌十劫秘団言 十劫秘団(じっこうひだん)の言(ごん)③を厳嫌(げんげん)す。
註 ① 功存の『願生帰命弁』。 ②三業帰命説。 ③ 十劫安心(十 劫秘事)説。
2015年6月24日
ここに述べました信心正因称名報恩義の問題、三業惑乱における三業帰命、一念覚知、十劫安心の問題は、現教団における極めて大きな問題であると思います。
第十一回仏教漢詩の会が催 されました。(2015年11月14日)
上手には作れませんが、古体漢詩の規則に従って試みたものです。 <2016年1月28日修正>。
今回のテーマは親鸞聖人でありました。
讃親鸞聖人 ー自信教人信の道ー 紅楳英顕
北嶺勤修二十年 北嶺勤修二十年 (ほくれ い ごんしゅ にじゅうねん)、
建仁辛酉帰法然 建仁辛酉(けんにんしんゆう) 法然 (ほうねん)に帰(き)せり。
聖道諸宗難念仏 聖道諸宗(しょうどうしょしゅう)念仏(ねんぶつ)を難(なん)じ、
辺鄙越後流刑連 辺鄙越後(へんぴえちご)へ 流刑(る けい)に連(つら)なる。
自名愚禿入群類 自( みずか )ら愚禿(ぐとく)と名(な)のり 、群類(ぐんるい)に入(い)る。
独了二尊教意詮(註) 独(ひと)り(二尊)の教意(きょうい)の詮(せん))を了(さと)り、
遠晴濁世闇雲霧 遠(とお)く濁世(じょくせ)の 闇雲霧 (あんうんむ)を晴らし、
拯済末代極悪顛 末代(まつだい)の極悪顛(ごくあくてん) を 拯済(じょうさい)せり。
註、 三経隠顕論、願海真仮論等の聖人独自の釈顕。
親鸞聖人の御一生は自信教人信の実践でありました。教団において、このことが一番大事なことであると思います
第十二回仏教漢詩の会 が催されました。(2016年2月15日)。今回も古詩の型に従って作りました。
真宗念仏 紅楳英顕
真実信心称仏名 真実信心(しんじつしんじん)の称仏名(しょうぶつみょう)は
彌陀本願回向行 彌陀本願(みだほんがん)の回向(えこう)の行(ぎょう)なり。
更無自力疑惑想 更(さら)に自力(じりき)疑惑(ぎわく)の想(おも)い無(な)し。
唯報大悲恩徳誠 唯(ただ)大悲恩徳(だいひおんどく)の誠(まこと)を報(ほう)ずのみ。
2016年1月29日
これは『正像末和讃』の「真実信心の称名は 彌陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」(浄土真宗聖典P,607)、「信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし」(浄土真宗聖典P,611)等により、作成したものであります。
浄土真宗における真実の念仏は 信心具足の念仏であり、他力回向の念仏であり、 衆生の思いは信心を起こすためや往生のためではなく、ただ仏恩報謝のための念仏なのであります。
第十三回仏教漢詩の会が催されました。(2016年5月23日)。
讃大瀛師 紅楳英顕
大瀛錍彈帰命弁 大瀛(だいえい) 帰命弁(きみょうべん)①を錍彈 (へいだん)す。
雖破一念覚知論 一念覚知論(いちねんかくちろん)②を破(す)と雖(いえど)も
懇糺十劫秘事過 懇(ねんご)ろに 十劫秘事(じっこうひじ)③の 過(あやまち)を糺(ただ)す。
悲哉此謬今殊繁 悲(かな)しき哉(かな)、此(こ)の謬(あや ま)り、今(いま)殊(こと)に繁(しげ)し。
近年悉喪真実義 近年(きんねん)悉(ことごと)く 真実義(しんじつじぎ)が喪(そう)せり。
混乱安心行儀門 安心(あんじん)④行儀(ぎょうぎ)⑤の門(もん)を混乱(こんらん)す。
智洞頑執三業頼 智洞(ちどう)⑥は、頑(かたく)なに、三業頼(さんごうだのみ)⑦に執(しゅう)じ 、
廓亮静述唯信言 廓亮(かくりょう)⑧は、静(しずか)に、唯信(ゆいしん)の言(ごん)を述(の)ぶ。
註 ① 功存著『願生帰命弁』。 ②信心を得た日時の記憶がなければならないとする義。 ③十劫の昔に往生が定まっているとする義。無帰命安心。④信心のこと。往生の正因。⑤信後の倫理、実践。⑥功存の弟子、七代能化。⑦三業(身業、口業、意業)帰命のこと。⑧大瀛のこと。
<意訳>
大瀛は『横超直道金剛錍』で功存の『願生帰命弁』を錍彈しました(矢を放ちてうちました)。
一念覚知論を論破しましたが、それだけでなく十劫秘事の誤りをもただしました。(大瀛は、 十劫正覚の初めに衆生往生の法門は成就するのであるが、衆生の往生が治定<決定>するのは信心決定のときである、と述べています。)
悲しいことに、この十劫秘事の誤りは現代多く見受けられます。
近年、真実の浄土真宗の教えが、ことごとく失われております。(称名報恩義否定説をも含む。)
往生の正因である信心と、信後の倫理、実践の問題とが混同しています。
往生の信心と 信後の倫理、実践を混同し、頑なに三業の帰命を主張した智洞に対し、大瀛(廓亮)は静かに唯心正因義を述べました。
2016年3月2日。
憶迎後期高齢 紅楳英顕
真宗学道五十年 真宗学道五十年 (しんしゅうがくどうごじゅうねん)
今幸得乗大悲船 今(いま)幸(さいわい)に、大悲(だいひ)の船(ふね)に乗(じょう)ずることを得(う)。
二尊恩徳誠難謝 二尊(にそん)の恩徳(おんどく)、誠(まこと)に謝(しゃ)し難(がた)し。
残生精進法広宣 残生(ざんしょう)も、法(ほう)の広宣(こうせん)に精進(しょうじん)せん。
<意訳>
真宗学の道、五十(余)年。 今幸いに大悲の願船に乗った身にならせて頂いております。 弥陀、釈迦二尊の恩徳の深いことは、誠に謝し難いものであります。
残りの人生も、正法(浄土真宗の教え)を広く宣べ伝えることに精進したいと思っています。
2016年4月24日
第十四回仏教漢詩の会が催されました。(2016年9月5日)。
今憶事 紅楳英顕
信因称報是真燈 信因称報(しんいんしょうほう)は 是 (こ)れ真燈(しんとう)なり。
開山中宗所伝承 開山(かいさん)中宗(ちゅうしゅう)① 伝承(でんしょう)する所(ところ)なり。
今当正法衰微砌 今(いま)当(まさ)に 正法(しょうぼう)衰微(すいび)の砌(みぎり)。
奮起祖師遺弟朋 奮起(ふんき)せよ。 祖師(そし)の遺弟(ゆいてい)の朋(ほう)。
我行西欧葉月末 我(われ)葉月(はづき)の末(すえ)に 西欧(さいおう)②に行(い)く。
異郷縁友相親興 異郷(いきょう)の縁友(えんう)と相(あい)親(した)しみ興(こう)ず。
雖違言語諸習俗 言語(ごんご)諸習俗(しょしゅうぞく)は 違(い)すと雖(いえど)も、
共談大悲弘誓乗 共(とも)に談(だん)ぜん、大悲(だいひ)弘誓(ぐせい)の乗(じょう)③。
註 ①蓮如上人のこと。山科別院では「ちゅうそ」と読んでいる。②ベルギーのアントワープ。③乗り物、教えのこと。
<意訳>
信心正因称名報恩義は真(まこと)の教えの燈(ともしび)であります。
開山(親鸞聖人)、中宗(蓮如上人)はこれを伝承されました。
今はまさに、正法(まことの教え)が衰微しつつある時であります。
親鸞聖人の御流れを頂く我々は、奮起して正法宣布に勤めねばならないと思います。
私は8月末にベルギーのアントワープに行って来ます。
外国の法の友と相い親しく興ずるつもりであります。
言葉や習慣は違う人達ではありますが、
共に浄土真宗の教え(大悲弘誓乗)を談じ合いた
いと思います。
2016年8月11日
*8月23日~26日に開催された、ベルギー、アントワープにおけるヨーロッパ真宗会議については、私のFB https://www.facebook.com/eiken.kobai (8月24日 14:41,15:23)に、載せられています。
第十五回 仏教漢詩の会が催されました。(2016年11月12日)
憶帰国事 帰国に憶う事
紅楳英顕
詳説信後報恩門 信後(しんご)の報恩門(ほうおん)を詳説(しょうせつ)す。
雖異民族国地域 民族(みんぞく)、国(くに)、地域(ちいき)を異(こと)にすと雖(いえども)も、
光明普照群生昏 光明(こうみょう)は普(あまね)く群生(ぐんじょう)の昏(やみ)を照(て)らす。
<意訳>
私は浄土真宗の念仏について述べました。
信後の報恩念仏について詳しく説明し、これが浄土真宗の真の念仏であると語りました。
集まった人々は、民族、国、地域を異にはしますが、弥陀の光明は世界の人々を普く照らし、救うのであると深く感じました。合掌。
2016年9月14日
紅楳英顕
感動宗門興隆情 宗門興隆(しゅうもんこうりゅう)の情(おもい)に感動(かんどう)す。
難問多在安心乱 難問(なんもん)は多在(たざい)し、安心(あんじん)は乱(みだ)る。
切願正法永劫盛 切(せつ)に願(ねが)う。正法(しょうぼう)が永劫(ようごう)に盛(さかん)なることを。
註① 伝灯奉告法要における専如御門主の御親教。
<意訳>
御影堂で専如御門主より御親教を頂き、御門主の宗門興隆の御情に感動致しました。
難問は多く存在し、安心(信心)は乱れているのが、現状であります。
正法(浄土真宗の教え)が、未来永劫(永遠)に盛(さかん)であることを、切願致します。
2016年10月16日
2017年2月15日(水)に第十六回、仏教漢詩の会が開催されました。
今回は稲垣瑞雄先生著『信心獲得のすすめ』につての想いを述べました。(先生の御依頼により、序文を書かせて頂きました。)
浄土真宗非無帰命教 浄土真宗は無帰命の教に非ず
紅楳英顕
弥陀正覚十劫経 弥陀(みだ)の正覚(しょうがく)、十劫(じっこう)を経(ふ)。
往生決定平生今 往生決定(おうじょうけつじょう)は、平生(へいぜい)の今(いま)。
雖然是非無帰命 然(しかり)と雖(いえど)も、是(これ)無帰命(むきみょう)に非(あら)ず。
涅槃真因唯信心 涅槃(ねはん)の真因は唯(ただ)信心(しんじん)なり。
蓮師徳髙中興聖 蓮師(れんし)徳(とく)高(たか)し、中興(ちゅうこう)の聖(ひ じり)。
継承開山深意崇 開山(かいさん)を継承(けいしょう)し、深意(じんい)を崇(あがむ)。
懇勧聆闕世間隙 懇(ねんごろ)に世間(せけん)の隙(ひま)を闕(かき)て聆(き)くべしと勧(すす)め。
又云仏法聴聞究 又云(い)う。仏法(ぶっぽう)は聴聞(ちょうもん)に究(きわま)ると。
(意訳)
阿弥陀仏の正覚は十劫の昔でありました。我々の往生が決定するのは平生の今であります。
しかし無帰命(無信心)で往生するのではありません。
親鸞聖人は「涅槃の真因はただ信心なり」と言われています。
蓮如上人はお徳が高く、中興の聖と言われています。
親鸞聖人の教えを継承し、その深意を崇めています。懇ろに聴聞を勧め「仏法は世間の隙を開けて聞くのではなく、闕きて聞くのである」と述べられています。
また、「仏法は聴聞にきわまる」とも言われています。
紅楳英顕
真実信心獲得人 真実信心獲得人(しんじつしんじんぎゃくとく)の人(ひと)。
悲哉当今疑惑輩 悲(かな)しき哉(かな)。当今(とうこん)の疑惑(ぎわく)の輩(ともがら)。
謗之一念覚知徒 之(これ)を謗(そし)る。一念覚知(いちねんかくち)の徒(と)と。
(意訳)
真実信心獲得の人を、仏はこの人をほめて白蓮華とたたえます。
悲しいことに、現代の信心のない本願疑惑の人達は、この人を一念覚知の異安心者だと謗ります。
2017年5月23日(火) 第17回 仏教漢詩の会が催されました。
憶誕生日(誕生日に憶う) 紅楳英顕
歳月速過七旬余 歳月(さいげつ)速(はや)く過(す)ぐ、七旬(しちじゅん)余(よ)。
大慶得遇真実宗① 大慶(だいきょう)す。真実(しんじつ)の宗(しゅう)に遇(あう)ことを得(え)しことを。
無明煩悩雖不絶 無明煩悩(むみょうぼんのう)は絶(たえ)ずと雖(いえど)も、
誠知仏恩実深重 誠(まこと)に仏恩(ぶつおん)の、実(まこと)に深重(じんじゅう)なるを知(し)る。
註① 真実宗とは浄土真宗のこと。
<意訳>
歳月は速く過ぎ、七旬余(76才)となりました。真実の浄土真宗の教えに遇うことが出来ましたことが大変慶ばしいことであります。無明煩悩は絶えることはありませんが、誠に仏恩の深重であることを感謝させて頂いております。
2017年4月24日
憶伝灯奉告法要円成 (伝灯奉告法要円成に憶う) 紅楳英顕
奉告法要近円成 奉告法要(ほうこくほうよう)は、近(ちか)く円成(えんじょう)す。
.唯願宗門永隆盛 唯(ただ)宗門(しゅうもん)の、永(なが)き隆盛(りゅうせい)を願(ねが)う。
莫忘自身信決定 忘(わす)るること莫(なか)れ、自身(じしん)の信(しん)決定(けつじょう)を。
教団振興法繁栄 教団(きょうだん)は振興(しんこう)し、法(ほう)は繁栄(はんえい)す。
<意訳>
伝灯奉告法要はまもなく円成されます。ただ宗門の永き隆盛を念願する次第であります。
忘れてはならない一番大事なことは、僧俗を問わず、宗門を構成する一人一人が信心決定を目指して精進する事だと思います。それによって教団は振興し、法(教え)は繁栄(広く弘まる)すると考えます。
2017年9月4日(月) 第18回 仏教漢詩の会が催されました。
憶伝灯奉告法要円成 一 (伝灯奉告法要円成に憶う 一 ) 紅楳英顕
奉告法要賀円成 奉告法要(ほうこくほうよう)の円成(えんじょう)を賀(が)す。
今時正法復興秋 今時(こんじ)正法(しょうぼう)復興(ふくこう)の秋(とき)。
教諭称報反対輩 称報(しょうほう)反対(はんたい)の輩(ともがら)を教諭(きょうゆ)し
回心十劫邪義囚 十劫邪義(じっこうじゃぎ)の囚(しゅう)は回心(えしん)すべきである。
伝灯奉告法要が円成し、大変めでたく思います。今こそ正法(浄土真宗)の復興するときであります。宗制に定められた称名報恩義に反対する人を教諭し、十劫邪義の誤りを言う人は早急に回心(誤りをあらため正す)べきであります。 合掌 (2017,6,3)。
自信教人信 (自ら信じ、人を教えて信ぜしむ) 紅楳英顕
信心肝要教化時 教化(きょうけ)の時(とき)は、信心(しんじん)が肝要(かんよう)であると。
土橋渡人自分落 土橋(つちはし)は、人を渡して自分は落(お)ちる。
不浄説法唯堕已 不浄説法(ふじょうせっぽう)は、唯(ただ)堕(お)ちる已(のみ)。
<意訳>
蓮如上人は御一代記聞書に云われています。人を教化するには、先ず自分自身の信心が大事であると。
土の橋は人を渡して、最後は自分は落ちるのでありますが、信心のない不浄説法は人を浄土に度す(渡す)ことはできず、自分も浄土に生まれることもできず、共に地獄に堕ちるのみであります。 合掌 (2017,7,2)。
十劫臨終非真宗 十劫(じっこう)、臨終(りんじゅう)、真宗(しんしゅう)に非(あら)ず。
<意訳>
十劫の昔から救われているとか、往生は臨終に定まるとかいうのは、真宗の教えではありません。往生の因の定まる時(往生が決定する時)は、信心決定の平生の今であります。近年真宗の正しい教えが衰え乱れています。急ぎ他力の真実信心を獲得することに心がけることが大事なことであります。
蓮如上人は「ただ仏法は、聴聞にきはまることなり」(『浄土真宗聖典(註釈版)』P,1292)と言われています。 合掌 (2017,8,14)。
憶伝灯奉告法要円成 二 (伝灯奉告法要円成に憶う 二) 紅楳英顕
奉告法要慶円成 奉告法要(ほうこくほうよう)の円成(えんじょう)を慶(けい)す。
可願正法永劫盛 願(ねが)う可(べ)し。正法(しょうぼう)の永劫(ようごう)に盛(さかん)なることを
政還以来百五拾 政還①以来百五拾 (ほうかんいらいひゃくごじゅう)
進真実念仏誠 真実念仏(しんじつねんぶつ)の誠(まこと)に精進(しょうじん)すべし。
<意訳>
伝灯奉告法要の円成をお慶び申し上げます。正法(浄土真宗)が永遠に盛んである事を願います。
檀家制度を定めた徳川幕府が大政奉還をしたのが、丁度150年前のことであります。
怠ることなく、真実の念仏の誠(まこと)を頂く、精進、心がけが、何より大事であると思います。合掌 (2017,8,22)。
2017年11月11日 第十九回 仏教漢詩の会が催されました。
法雷学派無明論
法雷学派(ほうらいがくは)の無明論(むみょうろん)
紅楳英顕
法雷学派無明論 法雷学派無明論(ほうらいがくはむみょうろん)
否定痴疑二名言 痴(ち)疑(ぎ)の二名言(にみょうごん)を否定(ひてい)す。
破闇現生信一念 破闇(はあん)は現生(げんしょう)の信一念の時とし、
懃示顕密両益門 懃(ねんごろ)に顕密両益(けんみつりょうやく)①の門(もん)を示す。
註① 法雷学派では獲信の一念に無明の闇が破られるとするのであるが、本願疑惑の心が破られるのが顕益であり、貪愛瞋憎 が破られるのは密益とされるのである。 貪愛瞋憎は存続するが往生の障りにはならないとする。
<意訳>
法雷学派 の無明論は、無明を痴無明と疑無明 に分けることを否定します。
無明はすべて獲信の一念(信一念)に破されるとします。しかしそこに顕益と密益を示すのです。本願疑惑の心が 破されるのが顕益で、貪愛瞋憎等 が破されるのが密益であります。 獲信の一念に、本願疑惑の心(一般的に言う疑無明)は完全に消滅し(顕益)、 貪愛瞋憎等は消滅せずに存続はしますが 往生の障りには 全くならない(密益)と述べるのであります。
無明を痴無明と疑無明 に分けることを否定するのではありますが、所論は近年の痴無明、疑無明否定論とは全く異なるものであり、内容的には古来の考えに類すると思います。
煩悩具足の身のままで、現生の獲信の一念(信一念)に本願疑惑心が完全に破され、往生一定の大安堵心を得るという宗教体験に基づいた無明論と言えると思います。
(2017,9,6)。
石泉僧叡師念仏論 石泉僧叡師(せきせんそうえいし)の念仏論(ねんぶつろん)
紅楳英顕
石泉僧叡念仏論 石泉僧叡(せきせんそうえい)の念仏論(ねんぶつろん)は
開山中興継承誠 開山(かいさん)中興(ちゅうこう)の誠(じょう)を継承(けいしょう)す。
法体尊号正定業 法体尊号(ほったいそんごう)は正定業(しょうじょうごう)、
修者用心報恩行 修者(しゅしゃ)の用心(ようじん)は報恩行(ほうおんぎょう)なりと①。
近年或人誤此意 近年(きんねん)或人(おくにん)此(こ)の意(い)を誤(ご)す。
不能解了其深精 其(そ)の深精(じんしょう)を解了(げりょう)すること能(あた)はず。
策励自力口声道 自力口声(じりきくしょう)の道(どう)を策励(さくれい)し、
嫌厭謝徳讃称名 謝徳(しゃとく)の讃称名(さんしょうみょう)を嫌厭(けんえん)す。
註①この意は石泉師の著書の諸所にあるが、『柴門玄話』に「正定業とは称念するところの法体名号自爾の徳義をいひ報恩行とは名号を称念する行者の用心をいう」とある。
<意訳>
石泉僧叡師((1762-1826)の念仏論は、開山(親鸞聖人)、中興( 蓮如上人 )の意を正しく継承したものであります。法体尊号(所修の行体、称えられている名号)は正定業であり、 修者の用心(能修の用心、称えている人の心持ち)から言えば報恩行であると言われています
<石泉師のここで言う、修者(能修)の用心の修者(能修)とは、真実信心の念仏者のことですから、ここで語られている念仏(称名)は信の上の念仏(称名)、信心具足(信後)の念仏(称名)についての事であります。
*真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる(『浄土真宗聖典』P,6〇7』)>
ところが近年、この石泉師の意を正しく理解しない人達がいます。その深い念仏のこころが分からずに、師が報恩念仏を否定していると考えるのです。
この人達は念仏の信前信後(自力他力)の違いが全く分からず、自力の念仏を盛んに勧め、報謝の念仏は親鸞聖人の意に反するものであるとして嫌い、非難するのであります。
(2017、 9,26)。
2018年2月7日 第20回 仏教漢詩の会
真実信心称念聲 真実信心(しんじつしんじん)の称念(しょうねん)の聲(こえ)。
是言弥陀回向名 是(これ)を弥陀回向(みだえこう)の名(みな)と言(のたま)えり。
尊号行体正定業 尊号(そんごう)の行体(ぎょうたい)は正定業(しょうじょうごう)
能修用心報恩誠 能修(のうしゅ)の用心(ようじん)は報恩(ほうおん)の誠(まこと)なり。
<意訳>
真実信心の念仏(他力回向の念仏)の聲を、親鸞聖人は阿弥陀仏の回向のみ名と言われます。
称えられている尊号(南无阿弥陀仏)の体の功徳で言えば、往生成仏せしめる正定業であり、
能修の用心(称える者の心持ち)を言えは、 阿弥陀仏の広大な恩徳に対する報恩(ほうおん)の誠(まこと)のみであります。 合掌
(2018,2,7)。
2018年5月22日 第21回 仏教漢詩の会
憶雲西寺継職法要(雲西寺継職法要に憶う) 紅楳英顕
豊前耶馬雲西庵 豊前(ぶぜん)耶馬(やば)雲西(うんさい)庵(あん)。
法統四百我生郷 法統(ほうとう)四百(しひゃく)、我(わが)生郷(しょうきょう)なり。
帰省新住継職会 新住(しんじゅう)の継職(けいしょく)会(え)に帰省(きしょう)し、
諄語現生得大慶 諄(じゅん)に語(かた)る、現生(げんしょう)に大慶(だいきょう)を得(う)ることを。
豊前(大分県)耶馬渓の雲西寺。法統は四百年で、私の生まれ故郷であります。
先日(3月25日)、住職継職(甥<19世、私は17世>会(法要)で帰省しました。
私は心を込めて、浄土真宗の法は現生(現世)に大きな慶(よろこび)を得るものであるこを語りました。 合掌
(2018,3,25)
憶喜寿(喜寿に憶う) 紅楳英顕
平成三十戊戌年 平成三十戊戌(へいせいさんじゅう、つちのえいぬ)の年(とし)。
幸迎喜寿摂取中 幸(さいわい)に喜寿(きじゅ)を迎(むか)う、摂取(せっしゅ)の中(なか)。
煩悩具足愚鈍性 煩悩具足(ぼんのうぐそく)の愚鈍(ぐどん)の性(しょう)なれど、
余生精進法興隆 余生(よしょう)は法(ほう)の興隆(こうりゅう)に、精進(しょうじん)せん。
聖人懇曰御本典 聖人(しょうにん)は懇(ねんご)ろに、御本典(ごほんでん)に曰(のたまわ)く。
浄土証道今盛崇 浄土(じょうど)の証道(しょうどう)は今(いま)盛崇(じょうしゅう)なりと。
立教開宗八百近 立教開宗(りっきょうかいしゅう)八百(はっぴゃく)近(ちか)し。
応願真言世普充 応(まさ)に願(ねが)うべし。真言(しんごん)の世(よ)に普(あまね)く充(みつ)ることを。
<意訳>
平成三十戊戌(へいせいさんじゅう、つちのえいぬ)の年(とし)<平成30年、2018年)。
私は幸に、阿弥陀仏の摂取の光の中で喜寿(77歳。)を迎えました。
煩悩具足の愚鈍の性の者ではありますが、余りの人生は法(浄土真宗の教え)の栄えるために精進したいと思います。
親鸞聖人は懇ろに『御本典』(教行信証)にいわれています。
「ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,471)と。
親鸞聖人が『御本典』(教行信証)を書かれた立教開宗の年からもうすぐ800年であります。
共に願いましょう。真言(浄土真宗の教え)の世の中にあまねく充ちわたっていくことを 合掌
(2018,4、24)。
2018,9,3 第二十二回 仏教漢詩の会
獲得現生大慶喜心 (現生で大慶喜心を獲得す) 紅楳英顕
一切罪悪深重人 一切(いっさい)の罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の人(ひと)。
唯信弥陀本誓深 唯(ただ)、弥陀(みだ)の本誓(ほんぜい)の深き(ふかき)を信(しん)ずべし。
煩悩熾盛雖不変 煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)は不変(かわらず)と雖(いえど)も、
即得定聚大慶心 即(すなわ)ち、定聚(じょうじゅ)、大慶心(だいきょうしん)を得(う)。
<意訳>
一切の罪悪深重の人は、お慈悲の深い弥陀の本願を信ずることが大事であります。
煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)であることには変わりはありませんが、
信心獲得することにより、現生で正定聚の人となり、不顛倒(ひっくり返ることがない)
不虚偽(うそ偽りでない)、大慶心(大慶喜心)を賜るのであります。
親鸞聖人は『教行信証』「信巻」に「たまたま浄信を獲ば、この心顛倒せず、この心虚偽ならず、ここをもって極悪深重の衆生、大慶喜心を得、もろもろの聖尊の重愛を獲るなり。」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,211)と述べられて、信心を大慶喜心と讃嘆され、現世で得る真実の本当の大きな喜びと述べられているのであります。この現世で真実の大きな喜びを得ることが強調されている所が、親鸞聖人の教えの一番大事な所であると私は思っております。合掌
‘(2018,7,4)
成身知仏恩 (仏恩を知る身と成る) 紅楳英顕
極悪深重邪見群 極悪深重(ごくあくじんじゅう)の邪見(じゃけん)の群(ぐん)。
応信如来真実言 応(まさ)に如来(によらい)の真実(しんじつ)の言(みこと)を信(しん)ずべし。
顛倒虚偽苦悩処 顛倒(てんどう)虚偽(こぎ)の苦悩(くのう)の処(しょ)で、
獲得大慶知仏恩 大慶(だいきょう)を獲得(ぎゃくとく)し、仏恩(ぶつおん)を知(し)る。
<意訳>
大変罪が深くよこしまな考えしかもつことのできない我々は、仏の真実の言(阿弥陀仏の本願)を信ずることが大事なことであります。
真実のない、うそ偽りの苦悩の多い、この現実の世において、崩れることのない真実のよろこび (大慶喜心)を得て、仏の御恩を知る身になるのであります。合掌
(2018,7,11)。
平成戊戌喜寿年 平成(へいせい)戊戌(ぼじゅつ)喜寿(きじゅ)の年(とし)。
我述聖人念仏論 我(われ)聖人(しょうにん)の念仏論(ねんぶつろん)を述(の)ぶ。
浅学非才罪障重 浅学非才(せんがくひさい)罪障(ざいしょう)重(おも)けれど、
唯願有情往益援 唯(ただ)願(ねがう)、有情(うじょう)の往益(おうやく)の援(えん)となることを。
<意訳>
平成(へいせい)戊戌(ぼじゅつ)<三十年>、喜寿(きじゅ)の年(とし)を迎え、
私は『親鸞聖人の念仏論』を書にして述べました。
浅学非才(せんがくひさい)で、罪障(ざいしょう)重(おも)き身でありますが。
ただ有情(生きとし生けるもの)の往生の援(えん)となることを願うのみであります。
合掌 (2018,8,4)
2018、12、8 第二十三回 仏教漢詩の会
真実信心獲得者 紅楳英顕
他力信心獲得人 他力信心(たりきしんじん)を獲得(ぎゃくとく)した人(ひと)は、
即入現生不退数 即(すなわ)ち現生(げんしょう)に不退(ふたい)の数(かず)に入(い)る。
亦恵真実大慶喜 亦(また)、真実(しんじつ)大慶喜(だいきょうき)に恵(めぐま)る。
无待臨終聖衆扶 臨終(りんじゅう)に聖衆(しょうしゅ)の扶(ふ)を待(ま)つこと无(な)し。
(意訳)
他力信心を獲得した人は、その時に現世で仏になることに定まった現生正定聚の数(なかま)に入ります。そしてまた不顛倒(崩れることのない)不虚偽(うそいつわりのない)の真実の大慶喜(よろこび)の心に恵まれるのであります。そして既に往生の定まった正定聚(平生業成)の身でありますから、臨終(命終わる時)に仏菩薩の扶(たすけ)を待つ必要はないのであります。
合掌 (2018,11、10)
2019,2,5 第二十四回 仏教漢詩の会
新年想 (新年に想う)
紅楳英顕
横行十邪定散流 十邪(じゅうじゃ)、定散じょうさん)① の流(ながれ)が横行(おうこう)し、
甚難開発真信心 真(まこと)の信心(しんじん)の開発(かいほつ)は甚(なは)だ難(なん)である。
世間推移元号変 世間(せけん)は推移(すいい)し、元号(げんごう)は変(か)わる。
切望正法復興音 切に望むべし。正法(しょうぼう)② 復興の音(おと)を。
② 浄土真宗の教えの事。
<意訳>
この頃は、十劫の昔から救われていると考えて信心を軽視不要とする考え方(十劫安心)や信心をえるためや往生するために自力の念仏を勧める考え方の流れが横行して、真実信心が開発することが大変難しい状況にある。世間は移り変わり、今年は元号の変わる年である。
正しい教えである浄土真宗の復興の音を切に望む次第である。 合掌
(2019,1,17)
2019,5,9 第二十五回 仏教漢詩の会
期待新元号時代 (新元号時代に期待する。)
紅楳英顕
近今学生祖意昏 近今(きんこん)の学生(がくしょう)祖意(そい)に昏(くら)く、
信因称報不了知 信因称報(しんいんしょうほう)を了知(りょうち)せず。
宗門唯辿衰微路 宗門は唯(ただ)辿(たど)る衰微(すいび)の路(みち)、
期待改元新年時 改元新年(かいげんしんねん)の時に期待(きたい)する。
(意訳)
近年の学者の方々は救済体験(獲信体験)がない故に浄土真宗の法義を正しく理解することができず、宗制教義に定められている信心正因称名報恩の意味さえお分かりでない有様であります。
このような事では、宗門は唯衰微の一途を辿るのみであろうと懸念する次第であります。
改元号の年にあたり、これを機縁として、宗門の復興発展振興の真のスタートの時となることを念願する次第であります。
合掌 (2019、4,14)。
2019、9,3 第26回 仏教漢詩の会
想三業惑乱 紅楳英顕
惑乱騒動揺宗門 惑乱騒動(わくらんそうどう)、宗門(しゅうもん)を揺(ゆ)さぶる
瀛著直道病痾内 瀛(えい)②、直道(じきどう)③を著(あら)わす、病痾(びょうあ)の内(うち)。
名異体同楽与生 名異体同(みょういたいどう)、楽(ぎょう)与(と)生(しょう)。
(意訳)
功存が『願生帰命弁』を講述しました。功存の死後三業惑乱が勃発し、騒動が盛んとなりました。大瀛は結核性の重病の中で、『横超直道金剛錍』を著し、本願三心中の信楽と欲生は体は同じで名が異なるのであり、三心即一心であり、欲生は信楽の義別であると言う事を明かされました。 合掌
(2019、5,24)。
念仏真仮無弁違 念仏(ねんぶつ)の真仮(しんけ)<註>、違(ちがい)を弁(わきまうる)ことなし
慶讃法要実間近 慶讃法要(きょうさんほうよう)実(まこと)に間近(まじか)。
応仰祖師崇高希 応(まさ)に仰(あおぐべし)、祖師(そし)の崇高(すうこう)なる希(ねがい)を。
仮の念仏(方便の念仏)→ 19願の要門自力念仏(万行随一)、20願の真門自力念仏(万行出過)
<意訳>、
近年、教団においては、教義や安心がみだれております。
念仏の真仮、他力念仏(18願の念仏)と自力念仏(19願、20願の念仏)の違いが分からないような状態であります。親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の慶讃法要は間近か(4年後)となっております。
真実信心の念仏(他力念仏)を説かれた祖師(親鸞聖人)の、教えと御心を深く仰がせて頂きましょう。合掌
(2019,6,26)。
2019、12、14 第27回 仏教漢詩の会
現生往生論考 紅楳英顕
乃至一念不退人 乃至一念(ないしいちねん)、不退(ふたい)の人(ひと)。
有漏穢身雖不変 有漏(うろ)の穢身(えしん)は変(かわ)らずと雖(いえど)も。
現世往生獲得倫 現世往生(げんせおうじょう)獲得(ぎゃくとく)の倫(なかま)なり。
親鸞聖人は『大経』下巻の「本願成就文」を独自の訓点により、「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。かの国に生ぜんと願んぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん。(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,212)と、現生(現世)の不退(正定聚)を主張したのであります。所がここに「すなはち往生を得、不退転に住せん。」とある事から、現生(現世)で不退(正定聚)に住する事を現生(現世)で往生得ると言うべきであると言う意見が以前からあり、近年また新たに議論が生じているのであります。大体、大谷派に現生(現世)往生肯定派が多く、本願寺派の方は少ないのです。
私も以前にこの問題について「親鸞における往生の問題についての私見」<中西智海先生還暦記念論文集『親鸞の仏教』所収、(永田文昌堂、1994,12)>に述べたことがあります。この時は、現生(現世)往生否定の立場」で述べました。今は少し気持ちに変化が生じています。尤も現生(現世)で、正定聚不退の位を得ることが煩悩の消滅した悟りの境地を得るように考えることや還相回向を信後語る事には賛成しかねますが、経典の当面や先人の釈を読み替えて、現生(現世)の不退(正定聚)を主張し、現世からの救いや利益を強調されたのが親鸞聖人であったのであります。これは親鸞聖人の深い宗教体験、獲信体験より生じたものなのです。「すなはち往生を得、不退転に住せん。」と述べられている所に現世で不退転に住する事が「すなはち往生を得」る事であり、しかもそれが現世の事であると強く我々に言われているように、思えるのであります。この点について近く論文にまとめるつもりです。合掌
(2019,7,30)。
真実幸福者 紅楳英顕
極悪深重邪見群 極悪深重(ごくあくじんじゅう)の邪見(じゃけん)の群(ぐん)。
応信如来真実言 応(まさ)に如来(によらい)の真実(しんじつ)の言(みこと)を信(しん)ずべし。
顛倒虚偽苦悩処 顛倒(てんどう)虚偽(こぎ)の苦悩(くのう)の処(しょ)で、
獲得大慶知仏恩 大慶(だいきょう)を獲得(ぎゃくとく)し、仏恩(ぶつおん)を知(し)る。
(意訳)
大変罪が深くよこしまな考えしかもつことのできない我々は、仏の真実の言(阿弥陀仏の本願)を信ずることが大事なことであります。
真実のない、うそ偽りの苦悩の多い、この現実の世において、崩れることのない真実のよろこび (大慶喜心)を得て、仏の御恩を知り報ずる、本当の幸せな身になるのであります。合掌 (2019、11、24.)
2020(令和2)年2月17日 第28回 仏教漢詩の会
現生往生論考(2)
紅楳英顕
偏貶自性唯心倫 偏(ひとえ)に自性唯心(じしょうゆいしん)の倫(ともがら)を貶(へん)す。
大経往生難思議 大経往生(だいきょうおうじょう)は難思議(なんじぎ)<註>なり。
是含現世不退人 是(これ)現世(げんせ)の不退人(ふたいにん)を含(ふく)む。
親鸞聖人は自己内省の心の大変深い人でありました。当時の自力聖道門の人達の自性唯心(自己の心に内在する清浄な本性の外に仏や浄土は存在しないとする立場)に反対でありました。親鸞聖人がご己証により、真実の往生と示される難思議往生は現世からの救いを強調するものであり、現生正定聚もそれに含まれるものでありました。合掌
2019,12,28
紅楳英顕
聖人強調現生拯 聖人(しょうにん)、現生(げんしょう)の拯(しょう)を強調す。
即入定聚獲信秋 即入定聚(そくにゅうじょうじゅ)は獲信(ぎゃくしん)の秋(とき)。
有漏穢身雖不変 有漏(うろ)の穢身(えしん)は変わらずと雖(いえど)も、
心遊弥陀清浄州 心(こころ)は弥陀(みだ)の清浄(しょうじょう)の州(しゅう)に遊(あそ)ぶ。
親鸞聖人は現生の救い(拯)を強調されました。正定聚の位に入るのは信心を獲得したときであります。煩悩具足の身であることには変わりはありませんが、心は弥陀如来の清浄の国(浄土)に遊ぶのであります。
後半の二行は『帖外和讃』の「超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは 有漏の穢身はかはらねど こころは浄土にあそぶなり」の後半の句の意より採ったものであります。帖外和讃は九首の和讃からなり、京都常楽台の宝庫より出でたるものと伝えられ、親鸞聖人の真作であることを疑う説もありますが、私は少なくともこの和讃は親鸞聖人の意にまさしく適っていると考えます。 合掌 2020、1、20.
2020(令和2)年9月3日 第29回 仏教漢詩の会
紅楳英顕
五濁悪時疫猛威 五濁悪時(ごじょくあくじ)疫(えき)猛威(もうい)す。
信心念仏謬見連 信心念仏(しんじんねんぶつ)の謬見(びゅうけん)連(つら)なる。
立教開宗慶讃近 立教開宗(りっきょうかいしゅう)慶讃(きょうさん)近(ちか)し。
応願正法成勝縁 応(まさ)に願(ねがう)べし、正法(しょうぼう)の勝縁(しょうえん)と成(な)ることを。
末法の五濁悪時の現代に、今はこれに加えて、新型コロナウイルスが猛威を奮っております。
教団においては、一番大事な問題である信心念仏について宗制宗法(国家で言えば憲法法律)に反するの誤った見解が連なっております。
親鸞聖人の立教開宗800年の慶讃法要(2023年)は間近であります。
この慶讃法要が親鸞聖人の説かれた教えが正しく説かれ、正法(浄土真宗)発展振興の大きな機縁となって頂くことを念願する次第であります。 合掌
(2020、7,16)。
紅楳英顕
令和二歳葉月来 令和二歳(れいわにさい)葉月(はづき)来(きた)る。
疾病災禍尚不沈 疾病(しつびょう)災禍(さいか)尚(なお)沈(しずま)ず。
信心念仏形骸変 信心念仏(しんじんねんぶつ)は形骸(けいがい)と変(へん)ず。
体解祖師真実心 体解(たいげ)すべし。祖師(そし)の真実心(しんじつしん)を。
令和二年(2020年)の8月となりました。コロナウイルスの災禍は一向に終息しそうにありません。
大変残念なことでありますが。教団においては信心正因称名報恩の意味が正しく理解されない状態で、一番大事な信心念仏が形ばかりのものになりがちであります。速やかに親鸞聖人のお説きになられた信心念仏の意味を、正しく学び体得すべきであります。 合掌
(2020,8,1)。
紅楳英顕
終戦記念七十中 終戦記念(しゅうせんきねん)七十中(しちじゅうちゅう)。
教団慚愧加殺戮 教団(は)慚愧(ざんぎ)すべし。殺戮(せつろく)に加(くわ)わりしことを。
雖然現状更悲惨 然(しか)りと雖(いえど)も、現状(げんじょう)は更(さら)に悲惨(ひさん)なり。
正法遵守真心消 正法(しょうぼう)遵守(じゅんしゅ)の真心(しんしん)消(き)ゆ。
今日は75回目の終戦(太平洋戦争、第二次世界大戦)記念日であります。教団はやむえない事情はあったことではありましょうが、無残な殺戮に加担したのでありますから、 慚愧しなければならないことと思います。
しかしながら、教団の現状は更に悲惨であります。教団の責任担当の人々までが、信心正因称名報恩の意味の分からない人達の集団と成り、教えを正しく守る為の宗制(国で言えば憲法)、宗法(国で言えば法律)の遵守義務放棄が公然と罷り通っている有様であります。親鸞聖人の教えを正しく伝えようとする心が消失しているような、誠に悲惨な歎かわしきことであります。合掌
(2020,8,15)。
第三十回 仏教漢詩の会 (2020,12,12)
現在報恩念仏者(げんざいほうおんねんぶつしゃ)
紅楳英顕
現在即入正定人 現在(げんざい)即(すなわ)ち正定人(しょうじょうにん)に入(い)る。
煩悩熾盛濁悪輩 煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の濁悪(じょくあく)の輩(ともがら)。
今生報恩念仏倫 今生(こんじょう)は報恩念仏(ほうおんねんぶつ)の倫(なかま)なり。
(意訳)
大涅槃の悟をえるのは未来の事であり、正定聚の人になるのは現在の事であります。この現世で現在、正定聚の人となる事が、浄土真宗の特長であり、大変有難い所であります。煩悩の盛んな罪悪の深い者のままでありますが、今生(現世)において、仏恩を報ずる身となり、報恩念仏の人となり、その倫(なかま)となるのであります。
(2020,10、18)
紅楳英顕
南无阿弥陀 南无阿弥陀(なもあみだ)。
大悲摂取房 大悲摂取(だいひせっしゅ)の房(ぼう)。
貪愛瞋憎熾 貪愛瞋憎(とんあいしんぞう)熾(さか)ん。
生好死亦良 生(い)きて好(よ)し、死(し)亦(また)良(よ)し。
(意訳)
南无阿弥陀仏、阿弥陀仏の大悲の摂取の光明の家の中にあります。
貪愛(よく)瞋(いかり)憎(にくしみ)の煩悩の盛んなままではありますが、生きてよし、死してよしと慶ばさせて頂いております。
浄土真宗の信心の世界を「生きてよし,死んでよし」という言葉は、鈴木大拙氏が『宗教経験の事実』(大東出版社、初版1943年6月)に述べられているのが最初であると思いますが、大変良く表現されたものと思います。
親鸞聖人は『一念多念文意』に「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,693)と述べられていますように、我々凡夫は命の終わるそのときまで、煩悩は変わることなく継続するのでありますが、信心決定のひとは変わることのない煩悩具足の身のままで、正定聚の身となり往生一定の安堵心を賜り、「生きてよし、死んでよし」の慶びに恵まれるのであります。大変有難いことであります。そして、その上での念仏(信後の念仏)が『御文章』5の10の「そのうえの称名念仏は如来わが往生をさだめたまひし御恩報尽の念仏とこころうべきなり」(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,1196)とある称名報恩の報恩念仏なのであります。 合掌
(2020,10,20)。
第31回 仏教漢詩の会 (2021,2,17)。
訪吉水草庵址(吉水の草庵の址を訪ぬ)
紅楳英顕
令和二年霜月終 令和二年(れいわにねん)霜月(しもつき)の終(おわ)り、
我訪吉水草庵所 我(われ)吉水(よしみず)の草庵(そうあん)の所(ところ)を訪(たず)ぬ。
京洛東山紅葉熾 京洛東山(けいらくひがしやま)紅葉(こうよう)熾(さか)りなり。
深憶建仁辛酉祥 深(ふか)く建仁辛酉(けんにんしんゆう)の祥(しょう)を憶(おも)う。
<意訳>
令和2(2020)年の11月の終り(19日)、私は建仁辛酉の暦(1201年)に
親鸞聖人が法然上人に出会われて「雑行を棄てて本願に帰された場所」である吉水の草庵の址(現・慈円山安養寺)に参拝しました。
京都東山のこの界隈は紅葉が大変美しく目に沁みる時でありました。
私は819年前の有難い目出度い出来事を、追憶し偲ばさせていただきました。
親鸞聖人が『『教行証文類』「総序」に「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,131)。と述べられています。
親鸞聖人が弘誓の強縁(本願)に出会われ、行信(信心)を獲られたのはこの時の事であります。また「遇」はまうあうといふ、まうあふ申すは本願力を信ずるなり。(『浄土真宗聖典(註釈版)』 P,691)。と述べられています。
親鸞聖人においては教えにあうということは、ただボンヤリとあうということではありません。「信心獲得」することなのであり、このことは大変大事なことであります。 合掌
(2020,11,19)。
紅楳英顕
深謝師友恩 深(ふか)く師友(しゆう)の恩(おん)を謝(しゃ)す。
教団憂甚重 教団(きょうだん)の憂(うれ)い、甚(はなはだ)重(しげ)し。
速知大悲尊 速(すみ)やかに知(し)るべし。大悲(大悲)の尊(とうと)きことを。
<意訳>
私は幸にして今年で満80歳(傘寿)と成ります。大変お世話になりました恩師、先輩、朋友に深く感謝と御礼を申し上げます。
しかしながら、親鸞聖人や蓮如上人がお説きになられた正しい信心念仏がだんだん無くなっていく、教団の前途には憂い甚だ多きものを感じさせられます。
教団人全員が速やかに信心決定の身となり、本当の救済を頂いた、報謝の念仏を称える人と成って欲しいものと思います。 合掌
(2021,1,3)。
紅楳英顕
深謝聖人御厚恩 深(ふか)く聖人(しょうにん)の御厚恩(ごこうおん)を謝(しゃ)すべし。
悲傷信心念仏乱 悲傷(ひしょう)すべし。信心念仏(しんじんねんぶつ)の乱(みだれ)れを。
改悔批判響空言 改悔批判(がいけひはん)も空言(くうごん)に響(ひび)けり。
(意訳)
今年(2021年)の本山の御正忌報恩講法要はコロナ禍の中で執り行われました。
親鸞聖人の御厚恩を深く感謝すべきであります。
しかしながら、近年の教団における聖人の御意に反する信心念仏の乱れは悲しむべきことであります。
信心(安心)の正しいか、間違っているかを決める「改悔批判」で、一同御領解出言し、「信心正因称名報恩」が親鸞聖人(浄土真宗)の法義であると述べられることも、何かむなしい言葉に響く感じでありました。 合掌
(2021,1,30)。
第32回 仏教漢詩の会 (2021,6,7)
憶仏生会 (仏生会に憶う)
紅楳英顕
宗祖聖人言 宗祖聖人(しゅうそしょうにん)言(のたまわ)く。
如来興世意 如来興世(にょらいこうせ)の意(い)、
唯有説本願 唯(ただ)本願(ほんがん)を説‘(と)くに有(あ)り。
皆人信是詞 皆人(みなひと)是(こ)の詞(ことば)を信(しん)ずべし。
<意訳>
親鸞聖人は『教行証文類』「行巻」「正信偈」に「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言」(浄土真宗聖典p、203)と述べられています。
親鸞聖人は釈尊がこの世に出てこられた目的は、仏教の他の教えを説くのではなく、ただ弥陀の本願を説くためであったと言われるのであります。そして私たちに対し、この私(親鸞)は阿弥陀仏の本願によって真実の利益(救済、幸福)を頂くことができました。どうか皆さんも私(親鸞)と同じように、阿弥陀仏の本願を信じて真実の利益(救済、幸福)を頂いて下さい、と述べられているのであります。親鸞聖人のお心を深く頂戴しなければならないと思います。合掌
2021,4,8.
憶傘寿(傘寿に憶う)
紅楳英顕
今迎傘寿日 今(いま)迎(むか)える傘寿(さんじゅ)の日(ひ)。
深憶衆人恩 深(ふか)く衆人(じゅうじん)の恩(おん)を憶(おも)う。
無明濁世内 無明(むみょう)濁世(じょくせ)の内(ない)。
念仏唯真言 念仏(ねんぶつ)唯(ただ)真言(しんごん)なり。
<意訳>
今満80才を迎えました。お陰様で生かされて今まで生きて参り、御厚誼を賜りました大勢の方々に深く御礼を申し上げます。
しかしながら、現実の世の中は、無明煩悩のみちみちた迷いの濁りの無常の世であります。
すべてそらごとたわごとでありますが、ただ阿弥陀様から頂いたお念仏だけが真言(真実、まこと)であります。
ここに述べます「念仏」は親鸞聖人の『正像末和讃』に「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」(『浄土真宗聖典』P,607)とあります「真実信心の称名」(他力念仏)のことであり、「自力の称念」(自力念仏)ではありません。
また蓮如上人も『御文章』(3の3)に「ただ声に出して念仏ばかりをとなふるひとはおほやうなり、それは極楽には往生せず。この念仏のいはれをよくしりたる人こそほとけにはなるべけれ。なにのようもなく、弥陀をよく信ずるこころだにも一つに定まれば、安く浄土へはまいるべきなり。(『浄土真宗聖典』P,1139)と述べられていますように、信心のない念仏(無信単称)ではだめだと言われています。このことが大変大事なことであります。浄土真宗の念仏は信心の具わっていない念仏や、称える功徳で往生したい考える自力の念仏ではなく、他力の念仏(真実信心の称名)であり、仏恩報謝の念仏であります。
それなら信心のない人(未信の人)や幼児はどんな気持ちで念仏すればよいのでしょうか、念仏をしてはいけないのでしょうか、と尋ねられることがありますが、浄土真宗のお流れを頂くものは、その人それぞれの気持ちで仏恩報謝の念仏をしたら良いであろうと思います。 合掌
2021,4,24.
第33回 仏教漢詩の会 (2021,9,3)
紅楳英顕
令和三年六下旬 令和三年(れいわさんねん)六(ろく)下旬(げじゅん)。
我在人生傘寿程 我(われ)人生(じんせい)傘寿(さんじゅ)の程(じょう)に在(あ)り。
漸近染病終息節 漸(ようや)く 近(ちか)づく、染病(せんびょう)終息(しゅうそく)の節(せつ)。
唯願正信念仏盛 唯(ただ)正信念仏(しょうしんねんぶつ)の盛(さか)んなることを願(ねが)う。
<意訳>
令和三(2021)年6月下旬、 緊急事態宣言が解除されました。私も年齢を重ね、今年は傘寿(80才)となっております。
長期に亘りましたコロナ(染病)禍もワクチン接種の普及により終息に向かうことと思います。
現代教団には諸問題が山積しておりますが、コロナ(染病)禍後は親鸞聖人の教えを正しく伝道することに心掛けることが大事なことと思います。
近年教団は教えが社会に受け入れられるためにはどうするべきかということに神経を使いすぎたように思います。
コロナ(染病)終息後は、社会状況に振り回されることなく、親鸞聖人の教え(正信念仏の教え。信心正因称名報恩の教え。)を正しく教え伝えることに尽力すべきであると考えます。 合掌
2021,6,17
(*私の居住しています大阪府では、6,21~7,31まで、緊急事態宣言解除でありました。)
露西亜語翻訳成 (露西亜語の翻訳が成る)
紅楳英顕
今年七月露訳成 今年(こんねん)七月(しちがつ)露訳(ろやく)成(な)る。
既有米台西中名 既(すで)に米(べい)台(たい)西(せい)中(ちゅう)の名(な)有(あ)り。
思想時処雖相異 思想(しそう)時処(じしょ)は相異(そうい)すと雖(いえど)も、
弥陀大悲無重軽 弥陀(みだ)の大悲(だいひ)に重軽(じゅうきょう)は無(な)し。
<意訳>
今年(2021<令和3>年)7月、私の本(『浄土真宗がわかる本』(教育新潮社、<1994<平成6>年12月発行)のロシア語訳ができました。
既に英語訳、台湾語訳(中国<繁体>)、西語訳(スペイン語)、中国語訳(中国<簡体>)の名のものは有ります。
特にロシアは永らく宗教否定の共産主義の国であったのです、思想や時や所は違っていましても、阿弥陀仏の大悲には一切重軽も隔てもないのであります。 合掌。
2021,7,31
この度拙著『浄土真宗がわかる本』のロシア語訳ができましたことに深い感動を覚えます。
ロシアは1922年-1991年まで間、世界最初の共産主義国家(ソビエト社会主義共和国連邦)であり、宗教否定の国でありました。本願寺教団においても今尚、共産主義思想の影響により、蓮如上人が親鸞聖人と異なる体制迎合主義者あると批判する誤った考えが存続していると言っても過言ではなかろうと思います。(信心正因称名報恩義批判もその一つ。)
そのロシアの人によって、信心正因称名報恩義を述べています拙著のロシア語訳がなされましたことに大きな慶びを感じます。今年(2021年)が新生ロシア誕生の30周年であることにも不思議な因縁を思わせます。 合掌
2021,8,12
第34回 仏教漢詩の会 (2021,12,11).
紅楳英顕
真実信心獲得人 真実信心獲得(しんじつしんじんぎゃくとく)の人(ひと)。
即入如来等同倫 即(すなわ)ち如来等同(にょらいとうどう)の倫(りん)に入(い)る。
謬見生涯不決定 生涯不決定(しょうがいふけつじょう)は謬見(びゅうけん)なり。
速成報恩念仏者 速(すみ)やかに報恩(ほうおん)の念仏者(ねんぶつしゃ)と成(な)るべし。
<意訳>
真実信心を獲得した人は、そのときに如来等同(如来と等しい)の身となります。煩悩をもったままではありますが、すでに間違いなく如来(ほとけ)になることに定まっているという意味で、如来に等しいといいます。現生正定聚とも平生業成ともいいます。領解文にありますように「往生一定御たすけ治定と存じ、このうえの称名は御恩報謝と存じよろこび申し候」と安堵と慶びをいただけるのであります。これを否定して「往生一定御たすけ治定と存じるこころ」が凡夫には生涯あるわけはない、とする考えが生涯不決定説なのであります。これは信心が決定していない、仏恩報ずる気持ちも起こっていない、間違っている人の考えであります。
速やかに信心決定の身となり、仏恩報ずる念仏者となることが大事なことであります。
合掌 (2021,9,7)。
憶傘寿秋(傘寿の秋に憶う)
紅楳英顕
今幸叵値弘誓逅 今幸いに値(あ)い叵(がた)き弘誓(ぐぜい)に逅(あ)い、
億劫難獲浄信恩 億劫(おくこう)にも獲(え)難(がた)き浄信に恩(めぐ)まる。
仮令身止諸苦毒 仮令(たとい)身(み)を諸(もろもろ)の苦毒(くどく)に止(お)くとも、
我勤精進弘真言 我(われ)勤(つと)め、精進(しょうじん)し、真言(しんごん)<註>を弘(ひろ)めたし。
<註>浄土真宗の教え。
<意訳>
私は今幸いに出あうことのむつかしい阿弥陀仏の本願に出会うご縁にめぐまれ、また得難い浄信(他力回向の信心)に恵まれることができました。
色々なことはありましたが、お陰様で傘寿(80才)の歳まで生かさせて頂きました。
残りの人生は、どのような苦難の中においても、私自身が「お救い」と「慶び」(大慶喜心)を頂きました浄土真宗の御教えを世に弘めることに勤め励みたいと思います。
合掌 (2021,9,25)。
第35回 仏教漢詩の会 (2022、2,7)。
平生業成(往生一定)
紅楳英顕
平生業成信定時 平生業成(へいぜいごうじょう)は、信(しん)定(さだ)まる時(とき)。
臨終一念得菩提 臨終(りんじゅう)の一念(いちねん)に菩提(ぼだい)を得(う)。
是非生涯不決定 是(こ)れ生涯不決定(しょうがいふけつじょう)①に非(あら)ず 。
誠勝最後審判迷 誠(まこと)に、最後(さいご)の審判(しんぱん)②の迷(まよい)に勝(まさ)る。
註 ①自分が往生できるかどうか、生涯確信を持つことは出来ないという説。
②イタリアのバチカンのシスティーナ礼拝堂の壁に書かれているミケランジェロの最後の審判。
<意訳>
平生業成(入正定聚)は現世における信心定まる時(信心決定)の時であります。
そして臨終の一念(命の終わったとき)に、弥勒菩薩に先立って菩提(涅槃、悟り)をえるのであります。
平生業成(入正定聚)の人、信心決定の人は、「往生一定、おん助け治定」と安堵と報恩と慶びの日暮らしに恵まれるのであり、往生できるのであろうかどうであろうかという不安(生涯不決定)は一切除かれているのであります。
私は1994年9月にイタリア旅行をし、その際バチカンのシスティーナ礼拝堂の壁に描かれているミケランジェロの名画最後の審判(製作年1536-1541)を観ました。
この時大変印象的でありましたのは、この絵の中でイエス・キリストの最も高弟であるペトロ、パウロの二人が共に不安そうな表情でキリストの審判を待っている姿でありました。
二人とも自分が天国に行ける確信と安堵心がなかったように描かれているのであります。
浄土真宗で言えば生涯不決定に相当するものであります。尤もこれについてはキリスト教の内部では色々意見があると言うことは聞いています。
しかし、いずれにせよ、現世からの救いを強調され、現生正定聚、平生業成、臨終来迎否定、信心正因称名報恩を述べられた親鸞聖人の教えは本当に尊いと思います。合掌
2022,1,3
想歎異抄 (歎異抄に想う)
紅楳英顕
親鸞聖人入滅昆 親鸞聖人(しんらんしょうにん)入滅(にゅうめつ)の昆(こん)。
唯円書記耳底存 唯円(ゆいえん)書(か)き記(しる)す、耳(みみ)の底(そこ)に存(そん)するを。
同心老若雖数大 同心老若(どうしんろうにゃく)、数(かず)大(だい)と雖(いえど)も、
悲歎他力念仏昏 他力念仏(たりきねんぶつ)に昏(くら)きことを悲歎(ひたん)する。
<意訳>
親鸞聖人が亡くなられた後(20年から25年たった頃)、唯円が聖人から聞いたお言葉 を書き記しました。老人や若い人達、多くの人々が聖人のもとに集まりました。しかし、
聖人の説かれた念仏 の教えを正しく体得した人は極めては少ないと唯円は悲歎しているのであります。
『歎異抄』の終わりの方の後序に唯円は「かなしきかなや、さいはいに念仏しながら、直 に報土に生まれずして、辺地に宿をとらんこと。一室の行者のなかに、信心異なることなからんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。なづけて『歎異抄』といふべし。」 (『浄土真宗聖典』P,854)と述べています。
唯円の歎異の一番大きな問題は親鸞聖人の説かれた念仏についての理解の誤りであったのであります。このことは現代の問題として もよく考える必要があると思います。
また唯円は、『歎異抄』14に「一生のあひだ申すところの念仏は、みなことごとく如来 大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべきなり。」(『浄土真宗聖典』P,846)と述べています。このように聖人の直弟子であった唯円も「称名報恩」義を述べているのでありますから、 このことからも「称名報恩」義が親鸞聖人にはなかったものであり、後代言われるようになったと考えることは間違いであるということが明らかであろうと思います。合掌
2022,1,13。
第36回 仏教漢詩の会 (2022、6,7)。
悲拡大自殺(拡大自殺を悲しむ)
紅楳英顕
君知祖師聖人言 君(きみ)知(し)りたまえ、祖師聖人(そししょうにん)の言(ごん)。
五兆願行我罪原 五兆(ごちょう)の願行(がんぎょう)我(わ)が罪(つみ)が原(げん)。
煩悪濁世火宅世 煩悪濁世(ぼんあくじょくせ)火宅(かたく)の世(よ)。
偏仰大悲弘誓恩 偏(ひとえ)に仰(あお)ぐべし。大悲弘誓恩(だいひぐぜい)の恩(おん)を。
<意訳>
君(拡大自殺をした人)、どうか祖師聖人(親鸞聖人)のお言葉を知って下さい。①
深く自己を内省された親鸞聖人は、阿弥陀如来の五劫思惟、兆載永劫②のご苦労ひとえにこの罪深い私(親鸞)を救うためであったと言われました。徹底的に自己を深く見つめられたのが親鸞聖人でありました
この世(現実世界)は煩悩と悪に満ちた火宅(何時どう変わるか分からない、何が起こるかも分からない)世界であります。
全ての生きとし生けるものをさとりの世界に救いお導き下さる阿弥陀如来の恩徳を深く感謝する身になることが大事なことであります。
註①『歎異抄』後序の「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(『浄土真宗聖典』P,853)とある文。
②阿弥陀仏が本願をたてるのに5劫の間考えられ、兆載永劫の間修行されたと説かれている。 合掌 (2022,2,2)
悲歎教団現状 (教団の現状を悲歎す。)
紅楳英顕
信因称報反対倫 信因称報(しんいんしょうほう)反対(はんたい)倫(りん)。
不識念仏自他違 念仏(ねんぶつ)の自他(じた)の違(い)を識(し)らず。
真言衰退等法滅 真言(しんごん)は衰退(すいたい)し、法滅(ほうめつ)に等(ひと)し。
応慮立開慶讃幾 応(まさ)に慮(おもんばか)るべし。立開慶讃幾(りっきょうきょうさんけ)。
<意訳>
「信心正因称名報恩」に反対する倫(人達)は、
救済体験(獲信体験)のない信心不決定(未決定、未安心)の人達でありますので、自力念仏(信前の念仏、カラ念仏)、と他力念仏(信後の念仏、報恩念仏)の違い(ちがい)が分からないのです。
悲しむべきことに、今の教団は真言(浄土真宗の教え)は衰退し、法滅の時代に等しい状態であります。
深く考慮しなければなりません。諸問題山積であります。親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年慶讃法要は間近であります。 合掌
(2022,2,9)
想烏克蘭戦火(ウクライナ戦火に想う)
紅楳英顕
戦火発生烏克蘭 戦火(せんか)烏克蘭(ウクライナ)に発生(はっしょう)す。
人知我身罪業深 人(ひと)知(し)るべし、我(わ)が身(み)の罪業(ざいごう)の深(ふか)きことを。
偏願露国大元首 偏(ひとえ)に願(ねが)う、露国(ろこく)の大元首(だいげんしゅ)、
値遇如来大悲心 如来(にょらい)の大悲心(だいひしん)に値遇(ちぐ)することを。
<意訳>
戦火がウクライナに発生し、今尚続いています。過去の戦争とは異なる人類の滅亡ともなりかねない大変な出来事であります。
しかしながら、大事なことは、たがいに人は我が身の罪業の深きことを知ることであります。
ひとえに願います。露国大元首(プーチン氏)が、如来の大悲心に値遇(出会うこと)し、我が身の罪の深きことと如来の御恩の高きことを知ることを。
前に申しましたが昨年(2021年)7月に私の著『浄土真宗がわかる本』のロシア語訳が出来ました。https://drive.google.com/.../1hA5z7oAIAVQME0936JBS86.../view
ネットに載せられています。是非プーチン氏に、私の本のロシア語訳が目に止まることがあって欲しいと思うのです。御承知のように、ロシアはソ連時代(1922-1991)は、マルクスの言う「宗教は民衆のアヘンなり」、レーニンの言う「宗教は毒酒なり」等の言葉のように、宗教が否定される時代がありました。しかしロシアは元々ロシア聖教の栄えた国で、ドストエフスキー、トルストイという宗教的文豪も生まれた国であり、特にトルストイの著『懺悔』には有名な「黒白二鼠の譬」が出てくるように、彼は仏教にも深く興味を持った人でありました。
きっとプーチン氏も仏教に御縁のある方であろうと私は期待致します。 合掌
(2022,4,17)。
第37回仏教漢詩の会(2022,9,7)
皆人志求真実財
《皆人(みなひと)志求(しぐ)すべし。真実(しんじつ)の財(ざい)を。》
紅楳英顕
連日灼熱太陽元 連日(れんじつ)の灼熱太陽(しゃくねつたいよう)の元(もと)。
群生甚蒙多量災 群生(ぐんじょう)は甚(はなは)だ多量(たりょう)の災(わざわい)を蒙(こう む)る。
露烏戦火未不了 露烏(ろう)①の戦火(せんか)未(いま)だ了(お)わらず。
皆人志求真実財 皆人(みなひと)志求(しぐ)すべし。真実(しんじつ)の財(ざい)②を。
註 ①ロシアとウクライナ ②真実の利、弥陀の誓願のこと。
<意訳>
連日35度を越す、灼熱の太陽のもとでの暑い日が続きます。コロナ禍、熱中症等の災害が頻繁と発生致し、元首相殺害と言う悲惨な事件等も起こりました。
ロシアとウクライナの戦火は未だ終わる様子はありません。
本当の安らぎ(幸福)は仏のさとりの世界(浄土)であることを知り、弥陀の誓願を信じ念仏もうす身となりましょう。 合掌
2022,8,4。
想終戦日 (終戦の日に想う)
紅楳英顕
本日大戦終結時 本日(ほんじつ)は大戦終結(たいせんしゅうけつ)の時(とき)。
慚愧軍旅賛同行 慚愧(ざんぎ)すべし。軍旅賛同(ぐんりょさんどう)の行(ぎょう)を。
宗制教義不遵守 宗制教義(しゅうせいきょうぎ)の不遵守(ふじゅんしゅ)は、
是更大過現法城 是(これ)更(さら)なる大過(だいか)なり。現法城(げんほうじょう)の。
<意訳>
本日(8月15日)は大戦(第2次世界大戦、太平洋戦争)の終わった日であります。
我々(我が教団)はこの戦争に協力したことは深く反省(慚愧)しなければならないことであります。
しかしながら、近年教団の責任担当者(教学面、行政面)が宗制教義(信心正因称名報恩)を遵守(したがい守ること)せず、宗制宗法遵守義務放棄を公然と行う行為は、正常な宗教団体ならば、かっての戦争協力にまさる大過大罪と言えると思いますます。
こんなことで「伝わる伝道」ができるはずはないのであります。このことは現代の教団(法城[ )の極めて大きな問題点だと思います。合掌
2022,8,15.
第38回 仏教漢詩の会 (2022,12,10)。
今憶人生八十一年(今人生八十一年を憶う)
紅楳英顕
今憶人生八十年 今(いま)憶(おも)う、人生(じんせい)八十年(はちじゅうねん)。
経歴諸種迷苦林 諸種(しょしゅ)の迷苦林(めいくりん)を経歴(きょうりゃく)す。
何者其中最大幸 何者(なにもの)ぞ、其中(ごちゅう)最大(さいだい)の幸(こう)。
得遇真実大慶心 真実(しんじつ)の大慶心(だいきょうしん)に遇(あう)ことを得(う)。
<意訳)
今、自分の八十年の人生を振り返りますと、色々と迷いや苦しみを経験してまいりました。
その中で何が一番の幸(しあわせ)であったかと言えば、それは真実の大慶心(大慶喜心、信心)に恵まれたことであります。 合掌
2022,10,14。
唯念仏是真(唯、念仏のみ是れ真なり)。
紅楳英顕
煩悩具足凡夫人 煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫人(ぼんぶにん)。
曠劫已来歴流循 曠劫(こうごう)已来(いらい)流循(るじゅん)を歴(りゃく)す。
今幸値遇弘誓法 今(いま)幸(さいわ)いに、弘誓(ぐぜい)の法(ほう)に値遇(ちぐう)す。
本願念仏唯是真 本願念仏(ほんがんねんぶつ)、唯(ただ)是(これ)真(まこと)なり。
<意訳>
私は煩悩具足の凡夫であり、はるかな昔より迷いの世界をさまよい続けた身であります。
今幸いに阿弥陀仏の本願(弘誓)の法(おしえ)あわせて頂くことが出来ました。
本願念仏(他力念仏、阿弥陀様から頂いた念仏)のみが真実(まこと)であります。 合掌
2022,10,15。
第39回 仏教漢詩の会(2023,3,6)。
往生一定御助治定
紅楳英顕
一向帰命弘誓門 一向(いっこう)に弘誓(ぐぜい)の門(もん)に帰(き)すべし。
存知往生助治定 往生助治定(おうじょうじょうじじょう)と存知(ぞんち)して、
唯称念仏為報恩 唯(ただ)報恩(ほうおん)の為(ため)の念仏(ねんぶつ)を称(しよう)すべし。
<意訳>
諸々の雜行自力のこころをふりすてて、ふたごころなく、阿弥陀仏の本願に帰すべきであります。
往生は決定し、お助けは定まったと知らせて頂き、ただ御恩報謝のお念仏をさせて頂くのであります。 合掌
2023,2,13.
真宗安心考
紅楳英顕
三業帰命非正義 三業帰命(さんごうきみょう)は正義(しょうぎ)に非(あら)ず。
一念覚知亦邪森 一念覚知(いちねんかくち)、亦(また)邪森(じゃしん)。
雖然煩悩成就儘 然(しかり)と雖(いえど)も、煩悩成就(ぼんのうじょうじゅ)の儘(じん)で、
獲得金剛大慶心 金剛(こんごう)の大慶心(だいきょうしん)を獲得(ぎゃくとく)す。
<意訳>
身業(体)・口(言葉)・意業(心)の自力の三業で阿弥陀仏に信順しなければならないと主張した三業帰命説は間違いであり、また信心を獲た時がいつであったかを必ず覚えてならないとする一念覚知説も間違いであります。
しかしながら、私たちは、煩悩を持った身の儘(まま)で金剛の大慶心(金剛のようにくずれることのない、大きなよろこびの心。真実信心)を頂くのであります。 合掌
2023,2,14
第40回(9月4日) 仏教漢詩の会。(於奈良浄教寺瑞翔庵)
紅楳英顕
幸迎傘寿与二齢 幸(さいわ)いに迎(むか)える傘寿(さんじゅ)与(と)二齢(にりよう)。
祖師慶讃法要中 祖師(そし)の慶讃法要(きょうさんほうよう)の中(なか)。
領解問題雖複雑 領解(りょうげ)の問題(もんだい)は、複雑(ふくざつ)と雖(いえど)も。
唯願真宗永興隆 唯(ただ)願(ねが)う。真宗(しんしゅう)の永(なが)く興隆(こうりゅう)せんことを。
<意訳>
幸いに私も82才を迎えることが出来ました。
奇しくも親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要の期間中であります。
「新領解文」の問題は複雑で大変なこととなっていますが、私はただ浄土真宗の教えが末永く、盛んに栄えることを願います。 合掌
(2023,4,24)。
想慶讃法要(慶讃法要に想う)
紅楳英顕
慶讃法要雖円成 慶讃法要(きょうさんほうよう)は円成(えんじょう)すと雖(いえど)も。
領解問題混乱生 領解問題(りょうげもんだい)混乱(こんらん)生(しょう)ず。
立教開宗八百歳 立教開宗(りっきょうかいしゅう)八百歳(はっぴゃくさい)。
勿誤祖師勧化誠 誤(あやま)ること勿(なか)れ、祖師(そし)勧化(かんけ)の誠(じょう)を。
<意訳>
慶讃法要は終了いたしましたが、新しい領解文の問題で、混乱が生じました。
親鸞聖人が浄土真宗の教えを説かれて800年であります。
聖人のお勧め下された教えの真実を間違えなく頂かねばなりません。合掌
(2023,7、13)。
新領解文問題
紅楳英顕
新領解文問題生 新領解文(しんりょうげもん)の問題(もんだい)生(しょう)ず。
教法雜乱昏迷沈 教法(きょうぼう)は雜乱(ぞうらん)し、昏迷(こんめい)に沈(しず)む。
時代即応雖大事 時代即応(じだいそくおう)は大事(だいじ)なりと雖(いえど)も、
勿忘自身決定心 忘(わす)るること勿(なか)れ、自身(じしん)の決定心(けつじょうしん)を。
<意訳>
「新領解文」つての問題が生じております。何が正しい浄土真宗の教えなのかが分からなくなるという混乱状態に落ち入っております。時代即応の教学の樹立ということも大事なことではありますが、先ず、自身の信心決定を忘れてはならないと思います。 合掌
(2023,8,1)。
第41回 仏教漢詩の会 (2023,12,9)
憂新領解文問題 (新領解文問題を憂う)
第42回 仏教漢詩会 (2024,3、6)
紅楳英顕
惟新領解文混乱問題(新領解文混乱問題に惟う)
尚続混乱領解文 尚(なお)、領解文(りょうげもん)の混乱(こんらん)は続(つづ)く。
未見問題解決筋 未(いま)だ問題解決(もんだいかいけつ)の筋(きん)を見(み)ず。
雖是難儀悲傷事 是(これ)難儀悲傷(なんぎひしょう)の事(じ)と雖(いえど)も、
我惟正法復興熏 我(われ)正法復興(しょうぼうふっこう)の熏(くん)と惟(おも)う。
<意訳>
尚、領解文問題の混乱は続いています。
未だ問題解決の様子は見えません。
これは本当に難しいことであり、悲しいことでありますが、
私は正しい教えの復興の、兆しとかおりを感じるのであります。 合掌
2024,1,20
責任在勧学寮 (責任は勧学寮に在り)
此度教団混乱興 此度(このたび)教団(きょうだん)混乱(こんらん)興(おこ)る。
問題解決多論挑 問題解決(もんだいかいけつ)に多論(たろん)を挑(ちょう)す。
雖在総局問題処 総局(そうきょく)に問題処(もんだいしょ)在(あ)りと雖(いえど)も
最大責任勧学寮 最大(さいだい)の責任(せきにん)は勧学寮(かんがりょう)なり。
<意訳>
この度、新領解文問題で教団は混乱しています。問題解決のために、色々な意見が出ています。
総局にも問題があり責任があるとは思いますが、私は一番の責任は、教団の宗制(国で言えば憲法)教義に定められている<1941年以降>「信心正因称名報恩」義を守ろうとせず、2012年以降は宗法(国で言えば法律)に定められた「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」とある事項も一向に守ろうとしなかった勧学寮にあると思います。
教団の信心教義の責任担当機関でありながら、信心教義についての「宗制宗法遵守義務放棄」ということは、とんでもない大過だと思います。 合掌
2024,2,15。
第43回 仏教詩歌の会
混迷続領解文 (混迷続く領解文)
紅楳英顕
混迷尚続領解文 混迷(こんめい)尚(なお)続(つづ)く、領解文(りょうげもん)。
是因信心不在堕 是(これ)信心(しんじん)不在(ふざい)の堕(だ)に因(よ)る。
祖師遺弟雖悲泣 祖師(そし)の遺弟(ゆいてい)悲泣(ひきゅう)すと雖(いえど)も、
今来真宗再生時 今(いま)来(き)たり、真宗(しんしゅう)再生(さいせい)の時(とき)。
<意訳>
新領解文問題の混迷はなお続いております。これは教団の長い間の信心不在の堕落現象に
よるものであろうと思われます。
祖師親鸞聖人の教えを頂く我々は悲しむべきことではありますが、今こそ真宗再生の時が
来たと考えるべきだと思います。 合掌
真宗復興今世紀
紅楳英顕
信心喪失教学紛 信心(しんじん)喪失(そうしつ)教学(きょうがく)紛(みだ)る。
宗門前途憂多難 宗門(しゅうもん)の前途(ぜんと)多難(たなん)を憂(うれ)う。
真宗復興今世紀 真宗復興(しんしゅうふっこう)は今世紀(こんせいき)。
本願名号弘乱繁 本願名号(ほんがんみょうごう)を乱繁(らんはん)に弘(ひろ)むべし。
<意訳>
近年教団は信心が失われ、教学は乱れています。
宗門(教団)の前途は多難であろうことを憂います。
しかし今世紀こそ真宗復興を願うべき時でありましょう。
本願名号(南無阿弥陀仏)の教えを、広く乱れ多き世に弘めたいものと思います。 合掌
2024,5,14.
第44回 仏教詩歌の会 (2024,9,9)。 於奈良浄教寺瑞翔庵
惟教団混乱(教団の混乱に惟う)
紅楳英顕
無得出離生死途 出離(しゅつり)生死(しょうじ)の途(みち)を得(え)ること無(な)く、
不解信因称報義 信因称報義(しんいんしょうほうぎ)を解(げ)せ不(ず)。
教団信乱雖混雑 教団(きょうだん)の信(しん)乱(みだ)れ、混雑(こんぞう)すと雖(いえど)も、
今季真宗再生時 今季(こんき)は真宗(しんしゅう)再生(さいせい)の時(とき)なり。
<意訳>
今教団は大混乱の状態にあります。教団の責任ある立場の人達までが、真剣に生死出ずべき道を求めるようでもなく、また宗制(国で言えば憲法)に定められている信因称報(信心正因称名報恩)の意味もよく分かっていないような有様であります。
このようなことでありますので、教団の信心は乱れ、統制も乱れ、まことに危機に直面した状態と言えると思います。
しかし、私はこの混乱の今こそ教団人全員が真剣に親鸞聖人の教えを頂き、教団再生のために尽力すべき時だと思います。合掌
2024,8,14.