親鸞における智慧
紅楳英顕
はじめに
周知のように、法然の意を忠実に継承し、自力で智慧をみがく道を棄てた親鸞であるが、『正像末和讃』に
釈迦・彌陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえ しめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏 恩報ずる身とはなれ
智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせ るなり 信心の智慧なかりせば いかで か涅槃をさとらまし(真聖全二の五二〇)
等と述べて、自力で智慧をみがくのではないが、他力(他力回向)による智慧の重要性を述べているのである 。
信心決定によって現生正定聚に住することを主張し、現世からの救済を強調したのが親鸞であるが、『一念多念文意』には
凡夫といふは无明煩悩われらがみにみち みちて、欲もおほく、いかりはらだち、 そねみねたむこころおほくひまなくして、 臨終の一念にいたるまで、とどまらず、 きえず、たえず(真聖全二の六一八)
と臨終の一念にいたるまで煩悩具足の身である事も強調したのである。煩悩具足のままであると述べながら、そこに「信心の智慧」、「智慧の念仏」を語っているのである。この「智慧」が実生活の上にどのように顕現するのであるかについては、種々論じられるのであるが、未だ見解はまちまちである①。
本稿では親鸞が独自の見解をなしている明信仏智、不了仏智の問題を中心に取り上げて考察することにより、親鸞における「智慧」の意味を明らかにしたいと思う。
一、造悪無碍に対する親鸞の戒め
親鸞の帰洛後の関東において造悪無碍の主張が横行したようである。それを戒めて親鸞は
むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をもまふさずおはしましさふらひしが、釈迦・彌陀の御方便にもよをされて、いま彌陀のちかひをもききはじめておはします身にてさふらふなり。もとは无明の酒にえひて貪 欲・瞋恚・愚痴の三毒を のみこのみめしあふてさふらひつるに、仏のちかひをききはじめしより、无明のえひもやうやうすこしづつさめ、三毒をすこしづつこのまずして阿弥陀仏のくすりをつねにこのみめす身となり ておはしましあふてさふらふぞかし。(真聖全二の六九○)
と述べているのである。ここでは、弥陀のちかひをきくことにより「三毒をすこしづつこのまずして阿弥陀仏のくすりをつねにこのみめす身となりておはしましあふてさふらふぞかし」と述べ、聞法により人は煩悩からとおざかるという意が述べられている。 また次下には
また往生の信心は釈迦・弥陀の御すすめによりておこるとこそみえてさふらへば、さりともまことのこころおこらせたまひなんには、いかがむかしのおんこころのままにてはさふらふべき。(真聖全二の 六九一)
等と述べられてもいるように、信心決定したならば昔の心のままであるはずはない。必ずかわるのであるとも述べている。
このように造悪無碍を戒めるに際して、信心を獲得すれば必ず心は変わるものだと述べているのである。
しかし上述のように『一念多念文意』に述べられているように、臨終の一念に至るまで煩悩具足であることを強調したり、また『愚禿悲歎述懐』に
悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆへに 虚仮の行とぞなづけたる(真聖全二の五二七)
と、と善導の「散善義」至誠心釈を独自の読み方によって自己の煩悩性、罪悪性を強調したのが親鸞である。
このように信後においても罪悪深重、煩悩であることは変わらないことを強調したのが親鸞ではあるが、上述のように、造悪無碍の異義者に対しては、信心を得たならばかわるものだと戒め、信後に変わりがあるものと述べているのである。 。
二、『易行品』の「若し人善根を種えて、疑へば則ち華けず、信心清浄なる者は、華開けて則ち仏を見たてまつる」
(真聖全一の二六○)について
この文は『教行証文類』「行巻」(真聖全二の一三)と『浄土文類聚鈔』(真聖全二の四四四)に引かれているものである。これは明信仏智の文と言われているものであるが、ここに顕す行(念仏)は、信心を具足した行信不二であると言う事を示したものであろう。親鸞は「散善義」二河譬の「喩衆生貪瞋煩悩中、能生清浄願往生心」(真聖全一の五四○)の文を釈して
能生清浄願往生心言ふ者、金剛の真心獲 得する也。本願力回向の大信心海なるが 故に破壊す可からず。(「信巻」真聖全 二の六七)
能生清浄願往生心は、是凡夫自力の心に 非ず、大悲廻向の心なるが故に清浄願 心と言へり(『浄土文類聚鈔』真聖全二 の四五二)
と述べ、「散善義」当面では衆生の自発の「清浄願往生心」を本願力廻向の信心としているのである。
『愚禿悲歎述懐』に
浄土真宗に帰すれども 真実の心はあり がたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の 心もさらになし(真聖全二の)
等と述べているように、深く自己を内省し、清浄なる信心を起こすことも、自分の貪瞋煩悩の中に、自分の力によって清浄願往生心を生じさせることは到底不可能なことと悩んだことであろう。これが解決したのが「本願力回向の大信心海なるが故に破壊す可からず。」であり、「大悲廻向の心なるが故に清浄願心と言へり。」と述べている所のものである。貪瞋煩悩熾盛の自分の心に生じた清浄心、清浄願往生心は自分の心ではない、彌陀の大悲廻向の心であると感じとったのであろう。
三、明信仏智と不了仏智
明信仏智、不了仏智については『大経』下巻の胎化得失(真聖全一の四三以下)に述べられている。明信仏智の人は化生(報土往生)の人であり、不了仏智の人は胎生(化土往生の人)である。
親鸞は胎化得失の文を不了仏智を戒めるための文として扱っている。この文の大部分を『教行証文類』「化土巻」要門釈下(真聖全二の一四五)、真門釈下(真聖全二の一五八)と、『浄土三経往生文類』の略本(八十三才書写)の彌陀経往生釈下(真聖全二の五四八)及び『浄土三経往生文類』の広本(八十五才書写)の彌陀経往生釈下(真聖全二の五五八)に引用している。『浄土三経往生文類』の広本では二十願成就文としているので、親鸞は最終的にはこの胎化得失の文を二十願成就文としたことが明らかである。
化生の人と胎生の人について「化土巻」には
彌勒当に知るべし、彼の化生の者は、智慧勝れたるが故に。其の胎生の者は皆智 慧无きなり。(真聖全二の一四五)
と述べ、また『正像末和讃』三時讃に
不思議の仏智を信ずれば 正定聚にこそ 住しけれ 化生のひとは智慧すぐれ 无上覚をぞさとりける(真聖全二の五二一)
不思議の仏智を信ずるを 報土の因としたまへり 信心の正因うることは かたきがなかに なをかたし(同上)
と述べ、『正像末和讃』誡疑讃には
仏智を疑惑するゆへに 胎生のものは智慧もなし 胎宮にかならずむまるるを 牢獄にいると たとへたり(真聖全二の五二四)
と述べられているように、「化生のひとは智慧勝れ」、「胎生のひとは智慧无し」と述べている。そして親鸞の主張の特質である唯信による信心正因義がここで述べられているのである。
『正像末和讃』誡疑讃に
本願疑惑の行者には 含花未出のひともあり 或生辺地ときらひつつ 或堕宮胎とすてらるる (真聖全二の五二四)
仏智を疑惑するゆへに 胎生のものは智慧もなし 胎宮にかならずむまるるを 牢獄にいるとたとへたり(同上)
弥陀の本願信ぜねば 疑惑を帯してむま れつつ はなはすなはちひらけねば 胎 に処するにたとへたり (同上)
等と「本願疑惑の行者」、「弥陀の本願信ぜねば」と言う語がここに使われている所から、親鸞においては不了仏智(仏智疑惑、胎生)の人が本願疑惑の人であり、智慧のない人としていることが分かる。そして「不思議の仏智を信ずれば 正定聚にこそ住しけれ 化生のひとは智慧すぐれ 无上覚をぞさとりける」(真聖全二の五二一)とある所から、明信仏智(化生)の人が真実信心の人であり、智慧勝れた人であり、真実報土往生決定の人としていることが明らかである。 親鸞においては信心は他力廻向の信心であり、その体は名号である。名号については
『教行証文類』総序には
円融至徳の嘉号は悪を転じ徳を成す正智 (真聖全二の一)
とあり、『唯信鈔文意』には
南无阿弥陀仏は智慧の名号なれば、(真 聖全二の六二二)
等と述べられているように、名号は智慧の躍動であり、自ずから真実信心に智慧は具足するものである。
このように親鸞は明信仏智の人を真実信心の人(十八願の機)として、智慧勝れた人とし、不了仏智の人を本願疑惑の人(二十願の機)とし、智慧无き人としているのである。 親鸞のいう「信心の智慧」により、人はどう変わるかについて、取り敢えずはっきり言えることは本願力廻向の利益により智慧勝れた人、明信仏智の人となるのである。即ち不了仏智の本願疑惑心が全く疑惑の晴れた(消滅した)人となるということが言えると思われる。
四、痴无明と疑無明
无明は十二縁起の第一に述べられている根本煩悩のことである。ところが親鸞においてはこの无明について痴无明(総無明、通途)、煩悩妄念の心と、疑無明(別无明、別途)、本願疑惑の心の二義ありとする考えが古来ある。 私はかって二義ありとする考えにより意見を述べたことがあるが②、近年村上速水氏により二義に分けることに反対する意見が発表された③、これに賛成する意見も出ているのであり、信心の智慧を考察する上で関連が深いと思われるので、以下この問題について私見を述べる。
村上氏の見解は親鸞における无明とは煩悩(痴无明、煩悩妄念)の意味であるとし、別義として本願疑惑の心(疑無明、不了仏智)を立てることに反対するものである。そして无明の語を疑無明の意とする代表的なものと考えられている『正信偈』の「已能雖破无明闇」(真聖全二の四四)の「无明」について、これを本願疑惑の心とはせず、この「破无明闇」の破はなくなってしまうというのではなく、あれど障礙とはならぬと言う意であり、この无明は本願疑惑の心(疑無明、不了仏智)ではなく、通途の煩悩妄念の心であると主張するのである④。
しかし親鸞自身が『正信偈』のこの部分を釈した『尊号真像銘文』(広本)に
「摂取心光常照護」といふは信心をえたる人をば、无碍光仏の心光つねにてらし、まもりたまふゆへに、无明のやみはれ、生死のながきよすでにあかつきになりぬとしるべしとなり也。「已能雖破无明闇」といふはこの こころなり。(真聖全二の 六○一)。
とある。ここに「无明のやみはれ、生死のながきよすでにあかつきになりぬとしるべしと也。已能雖破无明闇といふはこのこころなり。」とあるように親鸞自身がここの「破无明闇」を「无明のやみはれ」と註釈しているのであるから、村上氏の言うようにあれど障礙とはならぬと言う意」ではなく、「无明のやみ」はなくなるという意に他ならないのである。これに関連することであるが、同じ『尊号真像銘文』(広)の源空聖人真影下に劉官(隆寛)の讃が引かれ、その中にある「疑雲永晴」とある「永晴」を親鸞が説明し「永晴」といふはうたがふこころのくもをながくはらしむれば、安楽浄土へかならずむまるる也」
(真聖全二の五九五)と述べている。上の 「无明のやみはれ」の「はれ」も「晴れ」の意味であるから、「无明のやみはれ」とは闇が晴れてなくなると言う意味であることがより明らかである。従ってこの无明は信心によってなくなる无明であるから、煩悩妄念の痴无明と異なる信心決定によって払拭され消滅する本願疑惑の心である疑無明、不了仏智に他ならないのである。
右に論じたように『正信偈』の「已能雖破无明闇」の「无明」が親鸞の述べる別義の无明(本願疑惑心)の代表的用例であるが、その他確実な用例として『教行証文類』「行巻」の
爾れば大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば。至徳の風静かに衆禍の波転ず。即ち无明の闇を破し、速やかに无量光明土に到りて、大般涅槃を証す。(真聖全二の三五)
とある文を上げることが出来る。「无明の闇をを破し、速やかに无量光明土に到りて、大般涅槃を証す」とあるように、浄土に生まれる前に「无明の闇」が晴れてなくなるという意味であるから、ここの「无明」は煩悩妄念の意味ではない。本願疑惑の疑無明、不了仏智の意味に他ならないのである。このように親鸞においては无明にについて痴无明(総無明、通義)と疑無明(別无明、別義)の二義があることが明らかである。
要する本願力廻向により、信心の智慧に恵まれ明信仏智の人となり、本願疑惑(不了仏智)の心の消滅した人となるのである。
五、両重因縁釈について
『教行証文類』「行巻」 両重因縁に
良に知んぬ、徳号の慈父无しまさずば能 生の因闕けなむ。光明の悲母无しまさずば、所生の縁乖きなん。 能所の因縁和合す可しと雖も信心の業識に非ずば光明土に到ること无し。真実信の業識、斯れ則 内因とす。光明名の父母、斯れ則ち外縁と為す。内外の因縁和合して、報土の真身を得証す。(真聖全二の三三)
とある。これは我々の信心は阿弥陀仏の光明名号の働きによって生ずるものであることが述べられているのである。 覚如の『口伝鈔』三に
一、无㝵の光曜によりて无明の闇夜はる る事。(中略)无㝵光の日輪照触せざるときは永々昏闇の无明の夜あげず。しかるにいま宿善ときいたりて不断難思の日輪貪瞋の半腹に行度するとき、無明 やうやく闇はれて信心たちまちあきらかなり。(中略)日輪の他力いたらざるほどはわれと无明を破すいふことあるべからず。无明を破せずば出離その期あるべからず。(真聖全三の四)
とある。ここには「無明やうやく闇はれて信心たちまちあきらかなり」「无明を破せずば出離その期あるべからず」等とあるように、ここでは「无明」ははっきり疑無明(本願疑惑の心)の意味で語られているのである
光明名号によって信心は生ぜせしめられるということと「無明やうやく闇はれて信心たちまちあきらかなり」とある文から思考すると『教行証文類』総序の冒頭の
竊に以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船 无㝵の光明は无明の闇を破する恵日なり。(真聖全二の一)
とある无明の闇の「无明」は疑无明と考えるのが妥当のように思われる。親鸞の『教行証文類』制作の目的は広大の仏恩に謝せんがため、救済を体得した自身の慶びを述べんがためである。特に総序においては次下に
噫、弘誓の強縁多生にも値ひ叵く、真実 の浄信億劫にも獲叵し。遇たま行信を獲 ば遠く宿縁を慶べ。若也、此廻疑網に覆 蔽せられば、更復昿劫を逕歴せん。(真 聖全二の一)
と述べているように、信心獲得、明信仏智、本願疑惑心(疑无明)の消滅の慶びを述べているのである。ここの「疑網」は冒頭の「无明の闇」の「无明」と同義なのである。このことから考えれば総序冒頭の无明は痴无明ではなく、疑无明の意と考えのが自然であろう。
親鸞の述べる无明には通(煩悩妄念)と別(本願疑惑)の二義があり、二義に通ずると思われる用例が多いが、その場合親鸞の意は
別(本願疑惑)にあったと考えるべきではないかと考える。信心決定、本願疑惑心の消滅が親鸞の一番大きな課題であったと考えられるからである。
六、仏恩報ずる身になるということ
はじめに『正像末和讃』に
釈迦・彌陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ(真聖全二の五二〇)
とあることを述べた。『教行証文類』「信巻」に
金剛の真心を獲得すれば横に五趣八難の道を超へ、必ず現生十種の益を獲。(真聖全二の七二)
とあり、第八番目に「八には知恩報徳の益」と、信心獲得者の現生の利益として「仏恩報ずる身になる」ことが述べられているのである。
上来論じたように私は「信心の智慧にいる」ということは「不了仏智」(智慧无き人)から「明信仏智」(智慧勝れた人)になることと考える。則ち本願疑惑心の完全に消滅した第十八願の機になることである。親鸞が「信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」と述べていることは、信心決定によって顕現す第一のものが「仏恩報ずる身」となることであると感得したのであろう。このことは『教行証文類』総序に
真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳深きことを知んぬ。(真聖全二の一)
とあり、「化土巻」三願転入の文には
爰に久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために真宗の簡要を摭うて恒常に不可思議の徳海を称念す。(真聖全二の一六六)
等とあることにもより、このことが明らかであろう。
近年、称名報恩思想が親鸞には無かったする意見があるが、これには全く賛成しかねる⑤。
むすび
以上、親鸞の述べている智慧について考察した。親鸞は自己の罪悪性、煩悩性を強調して自力で智慧をみがく道を棄てたのである。「信心の智慧」、「智慧の念仏」と述べているが、これは自己の力によるものではなく阿弥陀仏の本願力の廻向によるとするものである。上に述べたように親鸞は造悪無碍者に対して信後においては悪のままでは無く善に変わるものだ戒めているのである。しかし『一念多念文意』等においては、臨終の一念にいたるまで罪悪性、煩悩性に変わりがないことが強調されている。信心によって変化はあるのであるが、信後も煩悩具足の凡夫であることには全く変わりはないと述べている。
今回私はこの問題を「明信仏智」、「不了仏智」に関連させて考察した。親鸞は明信仏智の人(化生の人、第十八願の機)は智慧の勝れた人であり、不了仏智の人(胎生の人,第二十願の機)は智慧のない人としているのである。智慧の勝れている人は明信仏智の人であり、智慧なき人とは不了仏智の人、即ち本願疑惑の人なのである。このことから親鸞の言う「信心の智慧」とは本願力廻向により「不了仏智」(本願疑惑心)を消滅せしめた「明信仏智」の智慧と考える事が出来よう。『教行証文類』総序の「若也、此廻疑網に覆蔽せられば、更復昿劫を逕歴せん」とある文も本願力廻向の明信仏智の智慧により、不了仏智(本願疑惑心)、即ち「疑網」(疑无明、本願疑惑心)が消滅された慶びを述べたものと言えるであろう。
「信心の智慧」により、人が如何に変わるのであるかについては、広い範囲の考察が必要ではあるが、はっきり言えることは「不了仏智」の人が本願疑惑心の消滅した人となることであり、また仏恩報ずる身となり報恩念仏の人となることであると言えるであろう。
註①拙稿「親鸞における信心の智慧について」(日本仏教学会年報七三。二○○八 年六月発行)を発表した。
②拙稿「親鸞における疑蓋无雑について 」(印度学仏教学研究二六の一。一九七七年一二月発行)。「親鸞におけ疑蓋无雑について(二)」(印度学仏教学研究二八の一。一九七九年一二月発行)。
③村上速水「真宗無明義に関する一試論 ー 痴無明と疑無明の問題 ー」(龍谷大學論集第四一二(一九七八年五月発行)。一頁以下。
④村上速水前論文、一四頁。
尚、村上氏は「無明の闇はれとは、無明を無明と知ったということではないであろうか(中略)、それに気づかなかったものが、今まさに煩悩具足の身と信知したこと、それが無明の闇はれた相ではないか、つまり自力無功と信知したことであり、それはとりもなおさず、機の深信にほかなならない」(同龍谷大学論集、十三頁。)と述べているが、機の深信は法の深信と一具であり、煩悩具足と信知した単なる罪悪感ではないのである。本願疑惑心(疑无明)はそこには全く存在しないのである。このことからも氏の考えには賛成しかねる。
⑤信楽峻麿『真宗求道学』(二○一一年九 月発行。法蔵館)等。
(参考文献)
『仏教と智慧』(日本仏教学会編、二○ ○八年八月)
(キーワード)智慧、明信仏智、不了仏智、痴无明、疑无明
(相愛大学名誉教授)
(印度学仏教学研究第64巻1号、平成27年<2015年>12月所収)