親鸞における往生の問題

       紅楳英顕

 

The problem of Ojo in Shinran

           Eiken KOBAI

 

 はじめに

  

親鸞の言う往生は現世か来世かについては、過去屡々論じられたものである(『岩波仏教辞典』追記<1989年>等)①。所が最近再びこの問題が論じられるようになった②。これは真宗教義の上で大変重要な事であるので、私見を述べる事にする。

 大体において、真宗大谷派には現世往生派が多く浄土真宗本願寺派には来世往生派が多いのである。実は私は以前「親鸞における往生の問題についての私見」③に考えを述べた事がある。この時は、現世往生否定の来世往生派の立場で論じた。それから25年を経た今は少し考えに変化が生じている。尤も現世で、正定聚不退の位を得ることが煩悩の消滅した悟りの境地(涅槃)を得るように考える事には賛成しかねるが、経典の当面や先人の釈を読み替えて、現世の不退(正定聚)を主張し、現世からの救いや利益を強調したのが親鸞であったのである。これは親鸞の深い宗教体験より生じたものなのである。

私は本願寺派における信心正因称名報恩義に反対する意見に批判を続けてきた。そしてその反対の原因は反対論者の宗教体験(救済体験、獲信体験)の欠落によるものと考えている④。真宗学においてはただ文献を表面的に学習するのみでは不十分であり、そこに体験と言うものが必要であると思うのである⑤。往生の問題についても当然その事が言えるのであり、今回は特にその点を考慮に入れながら、考察をしたいと思う。

 

 1、大経往生(難思議往生)と言う事


 往生とは浄土教において、一般的には岩波仏教辞典にも書かれているように法然が『往生要集釈』に「往生と言う者、捨此往彼蓮華化生なり」(『昭和新修法然上人全集』17)⑥と述べているように此土(娑婆)を離れて彼土(浄土)に生まれると言う意味であり、親鸞も『教行証文類』「化土巻」に「深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ」(真聖全2の203)とあるように法然の来世浄土往生思想を継承するものであり、著述の中での往生の語の使用例は来世往生派の言うように、「捨此往彼蓮華化生」の来世往生の意が多い事は事実ではある。

 大谷派の現世往生派は親鸞の晩年(85才)の著『浄土三経往生文類(広本)』に、「大経往生」「観経往生」「弥陀経往生」の三往生が述べられている所を重視するのである。そこで「観経往生」「弥陀経往生」は方便化土往生とされ、「大経往生」のみが真実報土の往生と述べられているのである⑦。そしてそこに

  これすなわち念仏往生の願因によりて、必至滅度の願果をうるなり。現生に正定聚に住して必ず真実報土にいたる。(中略)これを『大経』   の宗致とす。このゆへに大経往生とまふす。また難思義往生とまふすなり。(真聖全2の551)。

と述べられ、次下に『大経』と『如来会』の17願と18願文、11願文と成就文がそれぞれ引かれ、さらに『論註』の「荘厳妙声功徳成就」の文、「荘厳清浄功徳成就」の文が引かれて

  この阿弥陀如来の往相回向の選択本願をみたてまつるなり。これを難思義往生とまふす。これをこころえて他力には義なきを義とすとしる   べし。(真聖全2の554)。

と、ここにも「難思議往生」と述べ、さらにこれに続いて、二に還相回向といふはと述べて、『浄土論』の出第五門の文を引き、大経

の22願文を引いて

  この悲願は如来の還相回向の御ちかひなり。(真聖全2の554)

と述べ、次下に

  これは『大無量壽経』の宗致としたまへり。これを難思議往生とまふすなり。(真聖全2の554)

と述べている。即ち親鸞の言う往生即ち難思議往生とは単に18願による浄土往生の意味ではなく、11願の正定滅度、18願の浄土

往生、22願の還相回向を総合して難思議往生と言っている事が分かるのである。

 親鸞は『教行証文類』「行巻」には

  往生は即ち難思議往生也。仏土は即ち報仏報土也(真聖全2の43)

と述べ、同「真仏土巻」に

  往生と言う者、『大経』には「皆受自然虚无之軆」と言へり已上、論には「如来淨華衆正覚華化生」と曰へり、又は「同一念仏して別の道无き故と」云へり已上、又難思議往生と云へる是也。(真聖全2の141)。

とあり、同「化土巻」三願転入の文に

  然るに今特に方便の真門を出でて選択の願海に転入せり、速かに難思往生の心を離れて難思議往生を遂げんと欲す。果遂之誓良に由有  る哉。(真聖全2の166)。

等とある所は難思議往生は法然の言う「往生と言う者、捨此往彼蓮華化生なり」と言う淨土教の一般的な意味での死後の浄土往生の意

であるように思われるのであり、本願寺派においては難思議往生を死後の浄土往生とする意見が多い。大谷派においても親鸞の『浄土三経往生文類(広本』(85才)と同年の著

である『如来二種回向文』において、『浄土三経往生文類(広本』とほぼ同じ内容でありながら、そこには難思議往生の語がない事から、『浄土三経往生文類(広本』の難思議往生とは真宗念仏の大綱を示すのであるとし、難思議往生を死後の浄土往生とすべきと言う意見もある。

 この点ついて、どう考えるべきかであるが『教行証文類』にも三往生は述べられており、双樹林下往生と難思往生は「化土巻」に述べ

られ、難思議往生は「証巻」に述べられているのである。「証巻」の標挙の標願に必至滅度の願(第11願)とあり、細註に難思議往生とあるのである。『浄土三経往生文類(広本』とは異なり17願、18願の願文成就文の引用は「行巻」「信巻」にあるため、そこにはないが、11願(必至滅度の願)の願文、成就文、および如来会の11願文、成就文が引用されているのである。そして浄土における証果を示す諸文が引かれて、その次下に

  二に還相回向と言う者、則ち是れ利他教化地の益也。則ち是れ必至補処之願より出たり。亦一生補処之願と名く、亦還相回向之願と名く可  き也。(真聖全2の106)。

とあり、還相回向について述べられているのである。このように『教行証文類』においても「証巻」標挙に難思議往生と書かれ、そこに『浄土三経往生文類(広本)』と同様に正定聚、滅度(涅槃)、還相回向が述べられているのである。

 この事から親鸞の語る往生思想はそれまでの「捨此往彼蓮華化生」と語られた往生思想を脱皮した正定聚、滅度(涅槃)、還相回向

を総合したものであり、「観経往生」(双樹林下往生)、「弥陀経往生」(難思往生)、と異なる大経往生(難思議往生)であると言えるであろう⑧。

 

  2、正定聚、滅度、還相回向

 

上に論じたように親鸞の往生思想は正定聚、

滅度、還相回向を総合した独自のものであったが、更に正定聚、滅度(涅槃)、還相回向の解釈に独自の釈顕がなされているのである。

 『教行証文類』「証巻」には

  然るに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の羣萌、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚之数に入るなり。(真聖全2の103)。

とあり、又『浄土三経往生文類(広本』には

  これすなわち念仏往生の願因によりて必至滅度の願果をうる也。現生に正定聚のくらゐに住してかならず真実報土にいたる。(真聖全2の  551)。

とあるように経の当面では彼土(浄土)の益である正定聚が親鸞の独自の読み方により、現世の利益であると釈顕されているのである。

  聞其名号信心歓喜乃至一念至心回向願生彼国即得往生住不退転唯除五逆誹謗正法(真聖全1の24)

とある本願成就文について親鸞は『教行証文類』「信巻」に

  其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せむ。至心に回向したまへり。彼の国に生まれんと願ぜば、即ち往生を得、不退転に住せん  。唯五逆と誹謗正法とをば除くと。(真聖全2の49)。

とある当面では彼土(浄土)の益である正定聚を、独自の訓点により現世(現生)の益としたのである。そして更に往生の問題に関して注目すべき事は「彼の国に生まれんと願ぜば、即ち往生を得」と訓点して、現世で不退転に住するとを「往生を得」と言っている事である。

 親鸞において現世で不退転(正定聚)に住する事を往生と述べているのは諸所にある。本願成就文について『唯信鈔文意』には

  願生彼国は、かのくににむまれむとねがへとなり。即得往生は信心をうればすなわち往生すといふ、すなわち往生すといふは、不退転に住  するをいふ、不退転に住すといふは、すなはち正定聚のくらゐにさだまるとのたまふ御のりなり。(真聖全2の643)。

とあり、又『一念多念文意』には

  即得往生といふは、即はすなわちと言ふ、ときをへず日おもへだてぬなり、また即はつくといふ、そのくらひにさだまりつくといふことばなり。   得はうべきことをえたりといふ。真実信心をうれば、すなわち無碍光の御こころのうちに摂取して、すてたまはざるなり。摂はおさめたまふ、   取はむかへとるとまふすなり。おさめとりたまふとき、すなわち、とき日おもへだてず正定聚のくらゐにつきさだまるを、往生をうとはのたまへ  るなり。(真聖全2の603)。

とある。又『教行証文類』「行巻」六字釈に

  必得往生と言ふ者不退の位に至ることを獲ることを彰はす也。経には即得と言えり。釈には必定と云へり。(真聖全2の22)。

とあり、又『愚禿鈔』には『往生礼讃』の文によって

  本願を信受するは前念命終なり「即ち正定聚に入る文」即得往生は後念即生なり「即の時必定に入る」「又必定菩薩と名く也」文。(真聖全2  の460)。

等と述べている。

 このように経の当面では彼土(浄土)の益である正定聚を現世の益とし、更にそれを往生と述べているのである。現世往生を反対する意見は上引の『一念多念文意』の「摂はおさめたまふ、取はむかへとるとまふすなり。おさめとりたまふとき、すなわち、とき日おもへだてず正定聚のくらゐにつきさだまるを、往生をうとはのたまへるなり。」とある親鸞の意は、そこにある「正定聚」の左訓に「ワウジョウスベキミトサダマルナリ」(真聖全2の605)とある事から本願成就文の往生は現世で往生するのではなく浄土に往生する事に定まる意であると述べるのである(ここの左訓の「ワウジョウ」は捨此往彼蓮華化生

の意である)。しかし既に論じたように親鸞の往生思想はそれまでの「捨此往彼蓮華化生」を継承しながらもそれを脱皮した大経往生(難思義往生)なのである。現生正定聚は大経往生(難思議往生)の範疇なのである。経文の当面では彼土の益である正定聚を現世の益であるとし、現生正定聚、滅度(涅槃)、還相回向を総合したのが親鸞の往生思想と言えるのである。

『教行証文類』「行巻」「正信偈」に

 広く本願力回向に由りて、群生を度せんが為に一心を彰はす。功徳大宝海に帰入して、必ず大会衆の数に入ることを獲。(真聖全2の45)。

とある所は信心決定の人は「大会衆の数に入ることを獲」とあるように、信心決定の人はその時に浄土の大会衆の数に入ると述べているのである。これと同様の意は『入出二門偈頌』(真聖全2の481)にもある。このことは『末灯鈔』三には

  光明寺の和尚の『般舟讃』には信心のひとはその心すでにつねに浄土に居すと釈したまへり。居すといふは浄土に信心のひとのこころつね  にゐたりといふこころなり。(真聖全2の662)。

とあり、また『帖外和讃』⑨に

  超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは 有漏の穢身はかはらねど こころは浄土にあそぶなり(真宗聖典、永田文昌堂、1966  .P.592)。

等とあるように信心の人は此土(娑婆)にいながら既に浄土の人であると言う大経往生(難思議往生)の範疇で思考する現世往生の考えが親鸞にあったと考えるのである。

 又『末灯鈔1』に

  真実信心の行人は摂取不捨のゆへに正定聚のくらゐに住す。このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心さだまるとき往生ま   たさだまるなり。(真聖全2の658)。

とある所は、それまでの臨終来迎によって「捨此往彼蓮華化生」する往生思想を脱皮したものと言えるであろう。ここでも「信心さだまるとき往生またさだまるなり。」と来世往生思想を継承した言葉使いではあるが、臨終来迎を否定しているのであり、「往生またさだまるなり」と言う語は、未来に往生する事が定まると言うのではなく、信心定まる時、往生を得るという意味があったと思われるので

ある⑩。

 尚、還相回向をも大経往生(難思議往生)の範疇とし、往還二回向共に本願力回向による所とをするのが親鸞の大きな釈顕であるが、この事は滅度(涅槃)の事と共に又後で触れる。

 

  3、現生正定聚と滅度


 11願の当面では共に彼土(浄土)の益となっている正定聚と滅度(涅槃)について、滅度(涅槃)は来世における彼土(浄土)の益としたのであるが、正定聚を現世(此土)の益とし、それを「往生」と述べて現世往生を語り、現世からの救いを強調したのが親鸞であった。この現世から救いの強調は親鸞自身の深い宗教体験による所のものであった事に他ならないのである。

 親鸞の宗教体験(救済体験、獲信体験)は『教行証文類』「化土巻」に

  然るに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す。(真聖全2の203)。

と親鸞自身が書いている法然と出会った時と考える⑪。この時の救済体験は恐らく今までになかった大きな体験であったのであろう。

親鸞教義の数多くの独自の釈顕(己証)の全てはこの時の体験に起因するものと言えよう。法然は念仏とした本願成就文の一念を信の一念として

  信楽に一念有り。一念者、斯れ信楽開発の時剋之極促を顕し、広大難思の慶心を彰はす⑫也。(真聖全2の71)。

と述べて、これを広大難思の慶心と言っている。獲信体験による自己の大きな変化が語られているのである。この事が続く本願成就文

  信心歓喜せむこと乃至一念せむ。至心回向したまへり、彼の国に生と願ずれば、即ち往生を得、不退転に住せむと。(真聖全2の71)。

と独自の訓点により、一念を信一念とし、回向を本願力回向(他力回向)とし、また彼土での不退(正定聚)を現生不退(現生正定聚)とし、これを「往生を得」とも言ったのである。

 『浄土和讃』に

  真実信心うるひとは すなはち定聚のかずにいる 不退のくらゐにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ(真聖全2の493)。

とある。ここの「すなはち」は前述の『教行証文類』「証巻」にある「往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚之数に入るなり。

(真聖全2の103)、とある「即の時」と同義であり、所謂同時即(同時)の意味である。信一念(信楽開発の一念)の時に正定聚となると言う事である。

又、『浄土和讃』に 

 たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり(真聖全2の489)。

とあり。『高僧和讃』には

 金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光摂護して ながく 生死をへだてける(真聖全2の510)。

と述べている。ここの「ながく不退にかなふなり」、「ながく生死をへだてける」とある語に深い意味が感じられる。信心決定の身と成れば、再び退転する事は絶対ない身である。今は生死(娑婆)にありながら再び生死(沙婆)に帰る事は絶対にない、既に浄土の人であると言う大きな慶びと確信が窺われるのである。そして親鸞が正定聚の人が次生で成仏する事が決まっている事から「如来とひとし」とか「弥勒に同じ」と述べている事も周知の事である。このように経文の当面では彼土の益であった正定聚を現世の益とし難思議往生の範疇とし現世からの救済を強調したのが親鸞であったが、滅度(涅槃)はあくまでも現世(此土)の益とせず、彼土(浄土)の益としたのである⑬。

『教行証文類』「行巻」一乗海釈には

  爾れば、斯れ等の覚悟は皆な以て安養浄刹の大利、仏願難思之至徳也。(真聖全2の39)。

とあり、同「真仏土巻」には  

  惑染の衆生、此に於いて性を見ること能はず。煩悩に覆はるるが故に。(中略)故に知ぬ、安楽仏国に到れば即ち仏性を顕す。本願力の   回向に由るが故に。(真聖全2の140)。

とあり、『浄土和讃』には  

  如来すなわち涅槃なり 涅槃を仏性となづけたり 凡地にしてはさとられず安養にいたりて証すべし(真聖全2の497)。

等とある事から明らかである。これに加えて、親鸞は自己内省が深く生涯それを継続したのである。晩年(86才)の『正像末和讃』の愚禿悲歎述懐に

  悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆへに虚仮の行とぞなづけたる(真聖全2の527)。

とあり、『一念多念文意』(85才)には

  凡夫といふは、無明煩悩われらがみにみ  ちみちて、欲もおほく、いかりはらだちそねみねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にい  たるまで、とどまらず、きえず、たえず、(真聖全2の618)。

等とあるように、生涯自己の罪悪性、煩悩性を悲歎したのである⑭。

 このように正定聚を現世の利益とし、これを大経往生(難思義往生)の範疇として現世からの救済を強調したのが親鸞であったが、滅度(涅槃)はあくまでも彼土(浄土)の益としたのである。

 滅度(涅槃)についてであるが、『教行証文類』信巻に

  大願清浄の報土には品位階次を云わず、一念須臾の頃に速やかに疾く无上正真道を超証す。故に横超と曰ふ也(真聖全2の73

とあり、又、

  真に知りぬ、弥勒大士、等覚金剛心を窮むるが故に竜華三会之暁、当に无上覚位を極むべし。念仏衆生は横超の金剛心を極るが故に臨  終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。故に便同と曰ふ也(真聖全2の79)。

とあるように、上に述べたように「欲もおほく、いかりはらだち、そねみねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず」と臨終の一念まで煩悩妄念のやむことなきことを悲歎した親鸞ではあるが、臨終一念の夕べ(命の終る時)に大般涅槃(大涅槃・滅度)を超証すと述べているのである。このことも親鸞の証果論の大きな特徴である。

 尚、現世往生派に還相回向を親鸞は信後の現世とする考えがあるが、これには賛成しかねる。

 『教行証文類』「証巻」には

  『論註』に曰く、還相と者彼の土に生じ已りて、奢摩他毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して  、共に仏道に向えしむるなり。(真聖全2の107)。

とあり、「行巻」「正信偈」には

  蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむと。煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すとい   へり。(真聖全2の45)。

等と還相は浄土に生まれた後であることを述べ、又『末灯鈔』20には

  悪をこのむひとにもちかづきなんどすることは、浄土にまいりてのち衆生利益にかへりてこそ、さようの罪人にもしたがひちかづくことはさふ  らへ。それもわがはからひにはあらず、弥陀のちかひによりて御たすけにてこそ、おもふさまのふるまひもさふらはんずれ。(真聖全2の69  2)。

とあり、『歎異抄』第4には

 浄土の慈悲といふは、念仏していそぎ仏になりて、大慈大悲心をもて、思ふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に如何にいとをし不 便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば念仏まふすのみぞ、すえゑとをりたる大慈悲心にてさふらうべ きと云云。(真聖全2の775)。

等とあるように、浄土に生まれて悟り(滅度)を得た後でこそ本当の大悲の実践が可能であると述べているのである。

 

  4、清沢満之と曽我量深

 
 真宗大谷派において清沢満之が現代教学の創設者と言われ、曽我量深はその弟子である。その曽我量深が現世往生主張の主唱者なのである。
 はじめに述べたように私は真宗学とは、宗教体験(救済体験、獲信体験)が必要な学問であると考えている。これに関して清沢満之については以前にも述べた事があるが⑮、「絶対他力の大道」には

  自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗託して、任運に法爾に、この現前の境遇に落在せるもの、即ちこれなり。ただそれ絶対無限に乗託   す。ゆえに死生の事また憂うるに足らず。死生なお且つ憂うるに足らず。如何に況やこれより而下なる事項においてをや。(清沢満之全集6  、2002年4月、岩波書店。P.110)。

とあり、また絶筆「わが信念」には

  私の信ずる如来は、来世を待たず、現世において既に大いなる幸福を私に与えたもう。私は他の事によりて、多少の幸福を得られないこと  はない。けれども、如何なる幸福も、この信念の幸福に勝るものはない。ゆえに信念の幸福は私の現世における最大幸福である。(清沢満  之全集同上。P.162)。

等と述べている事により、清沢満之が宗教体験(救済体験、獲信体験)のあった人であり、現世において信心の慶びを深く感じていたと言えるであろう。

 曽我量深は自己の宗教体験について、「地上の教主―法蔵菩薩出現の意義―」に

  私は昨年七月上旬、高田の金子君の所に於て、「如来は我なり」の一句を感得し、次で八月下旬、加賀の暁烏君の所に於て「如来我となり  て我を救ひ給ふ」の一句を回向していただいた。遂に十月頃「如来我となるとは法蔵菩薩降誕のことなり」と云ふことに気付かせてもらひまし  た。こんなことは他の御方々には何でもないであろうが、(中略)特に近来浮世の下らぬ問題に迷悶しつつある所の私には、誠に千載の闇   室を照らすの燈炬を得た心地がしたのである。(曽我量深全集第二巻、1970、7、弥生書房。P.409)。

と述べている。これは1913(大正2)年曽我量深39才の時である。ここの「如来我

となりて我をすくいたまふ」の一句が、曽我が「摂取不捨」を感得した句と言われる⑯。即ち宗教体験(救済体験、獲信体験)を述べているのである。
 そして「分水嶺の本願」には

  南無阿弥陀仏と仏を念ずると、我々は仏の世界と人間の世界の分水嶺に立たしめられる。三角形の頂点に立たしめられる。(中略)人間と  仏とが相接触するところに立つことが出来る。そこで自分は常に仏と一緒に居る。来る必要もなし。往く必要もない。我行かざれどもさながら  往くが如し、彼来らざれどさながら来るが如し。(曽我量深選集11、1972、5、弥生書房。P.291)。

とあり、又

  往相の行者と還相の菩薩は真実の意味で一人である。相応じているのである。影と形の如く離れぬ。(中略)煩悩具足の我々も現生不退の位になることが出来る。念仏往生の本願を頂くと往生で出来たも同じことである。(曽我量深全集同上。P.273)。

とあり、又「感応の道理」には、往相還相について

  即ち往相以外の還相はない。往相即還相、それが浄土真宗の精神であると思ふのであります。往相を歩くところに還相が輝いて来るのであって、南無阿弥陀仏に往・還の二つがあるのであります。本願南無阿弥陀仏にはこの二つが具わっているのであって、それ以外に還相はないものと思ふのであります。(中略)年若き人々が往・還の問題が一益法門に陥ることを恐れられてゐるが、これは感応がはっきりしていれば、一益法門に陥る恐れはない。(曽我量深選集11、同上。P.167)。

等と述べている。

 清沢も曽我も宗教体験のあった人だと思う。この事は両氏の著述に称名報恩が強調されている事からも言えるであろう⑰。両氏共に現世からの救いを強調するのであり、曽我は現世往生を主張するのである。私も現世からの救済の強調は親鸞教義の特長であると考えるのであり、これに賛成であり、曽我の言う「念仏往生の本願を頂くと往生出来たも同じことである。」(上引。分水嶺の本願)と言う点では、曽我の現世往生論に同意である。しかし還相回向について「即ち往相以外の還相はない。往相即還相、それが浄土真宗の精神である」(上引。感応の道理)等に見られる「往相即還相」とする氏の還相論には上(3、現生正定聚と滅度、の終り)に述べた理由で賛同し難い。曽我自身も「一益法門に陥ることを恐れられてゐるが・・・」(上引。感応の道理)と述べているが、私自身もこの点(正定聚と滅度との混同)については疑問を感ずるのである。

  

   むすび

 

 往生は現世か来世かについて25年前⑱は来世往生に賛成の論文を書いたが、今回は現世往生に賛成の意見を述べた。しかし「4、清沢満之と曽我量深」に述べたように現世往生主張の権威曽我量深の意見に、正定聚と滅度の混同的見解や、特に還相回向の考えについては賛成し難い。しかし、「1、大経往生(難思議往生)と言う事」で述べたように親鸞の往生思想は従来の「捨此往彼蓮華化生」の往生思想を脱皮したものであり、正定聚と滅度の誓われている第十一願文が難思議往生の範疇とされているのであるから、そこにある「即得往生住不退転」も難思議往生の範疇であり、「住不退転」を現世の益とするのであるから「即得往生」も現世の事として扱われている事は明らかである。即ち親鸞においては現世における入正定聚が難思議往生の範疇なのである。現生正定聚はこの意味において現世往生と言えるのである。「2、正定聚、滅度、還相回向」で述べた『正信偈』や『入出二門偈頌』に信心の人は「如来とひとし」と言うのみならず、浄土の大会衆の数に入と言う表現も良くこの事を示していると言えるであろう。

 現代における現世往生派の権威曽我量深の主張に賛成しかねる点はあるが親鸞の教義は現世からの救いを強調するものであり、その往生思想は従来の「捨此往彼蓮華化生」の死後の往生思想を脱皮した「難思議往生」であり、現生正定聚をも往生と語るものであったのである。この意味において親鸞の言う往生は現世からの事であったと考えたいのである。

 

註①大谷派には現世往生の意見が多く、本願寺派には来世往生の意見が多い。1989年10月発行の『岩波仏教辞典』の親鸞の項に「他力    信心による現世での往生を説き」とあったことに本願寺派から訂正の要請があり、追加説明がなされた。

 ②「親鸞における往生の理解―即得往生を中心にー」<第67回学術大会パネル発表報告>(印度学仏教学会研究65の2、平成29<201  7>年3月等。

 ③中西智海先生還暦記念論文集『親鸞の仏教』所収、(永田文昌堂、1994,12)。

 ④拙著『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂、平成30<2018>年、6月)。P.234以下。拙論「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合ー」(日本  仏教学会年報66、平成13<2001>年8月)。

 ⑤拙著同上。P.274。拙論「真宗無明論」(印度学仏教学研究66の2、(平成30<2018>年3月)。

 ⑥最近この文は、義山(1648-1717)によって後に補われたものであるとの説があるが、良忠<記主>(1199-1287)述の『往生礼讃   私記巻上』(浄土宗全書4の377)等にこの文は見られるのであり、義山が補ったと言う説には疑問を持つ。たとえ義山が補った文であっ   たとしても、法然の往生思想は「捨此往彼蓮華化生」であったと考えて間違いないと思考する。

 ⑦真聖全2の551以下。 

 ⑧「難思議往生」、「難思往生」、「双樹林下往生」の語は善導の『法事讃』巻上、前行分、略請三宝(真聖全1の565)にあるが、これを「大経   往生(難思議往生、弘願)」、「観経往生(双樹林下往生、要門)」、「弥陀経往生(難思往生、真門)」と配したのは親鸞の己証である。

 ⑨帖外和讃。九首の和讃からなり、京都常楽台の宝庫より出でたるものと伝え、古来、親鸞の真作なるべし言われている。真作であることを  疑う説もあるが、私は少なくともこの和讃は親鸞の意に適っていると考える。

 ⑩現世往生の主張の見られるものに西山派の即便往生、一遍の平生往生等があるがどちらも臨終来迎を説くのであり。臨終来迎否定はま   さしく親鸞の独壇場であり、信心決定した時が、既に往生を得た時と言う思いがあったものと考える。拙論「親鸞と一遍の救済論」(印度学  仏教学研究第53の2、2005、3)。

 ⑪親鸞の18願転入が何時であったかに ついては諸説があるが私は29才の時であったと考える。拙著『親鸞聖人の念仏論』(永田文昌堂、  2018、6。P.250以下)。

 ⑫広大難思の慶心の左訓が真蹟本にはないが、本派本願寺本と高田専修本には「ウチニアラハス」とある。しかし真蹟本にないのであるから  、実際にはなかったと考える。

 ⑬前に書いた拙論「親鸞における往生の問題についての私見」(註③)で現世往生派に反対した主な理由は現世往生派(本願寺派にも現世   往生派がいた)が正定聚と滅度とを混同し、現世で一分の滅度を語ろうとする傾向があったためである。この点は今も同じ考えである。

 ⑭この事は法然門下において信後の諸行を真実行とする隆寛の諸行再生観、証空の三世諸行開会観と異なる親鸞教義の特徴と言えよう。

 ⑮拙論「仏教をいかに学ぶかー真宗学の場合ー」(日本仏教学会年報66、2001、8)

 ⑯長谷正当『浄土とは何かー親鸞の思索と土における超越―』(法蔵館2010、10。P,173)。

 ⑰清沢満之「在床懺悔録」(『日本の名著43』中央公民館論社、1970、11。P.99)。等。曽我量深選集12、1973、弥生書房。P,209、等  。

  近年本願寺派において称名報恩義を否定する考えが一部にある。又、註⑤の拙論「真宗無明論」に関連する事であるが、曽我は「浄土真   宗では信の一念である。信の一念に何が消えるかと言えば、仏智不思議を疑う心、つまり不了仏智の惑というものが、いっぺんに消えてし   まう。あと貪瞋煩悩は一生起こってくるけれども、」(曽我量深選集9、同上。P,273)等と述べてあり、痴無明、疑無明分別に賛成する立場  である。

 ⑱ 註③。

 

大阪聖徳保育・福祉論叢26、 R、2<2020>3)。