『歎異抄』第5回<最終回>(15,16,17,18,後序、流罪書)。
於・東京築地本願寺。 2022,12,3.
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https://youtu.be/p6b6pV7AIiY
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『歎異抄』「後序」の終わりに唯円は「かなしきかなや、さいはひに念仏しながら、直に報土に生まれずして、辺地に宿をとらんこと。一室の行者のなかに、信心異なること、なからんために、なくなく筆を染めてこれをしるす。なづけて『歎異抄』というべし。(『浄土真宗聖典』P,854)と書き記しています。
何度も繰り返し述べましたが、教団の現状は責任担当者(教学面、行政面)までが、宗制教義に定められた「信心正因、称名報恩」の意味も分からない、信前の念仏(カラ念仏<僧侶なら営業念仏>、自力念仏)と信後の念仏(他力念仏、報恩念仏)の違いが分からない、信心不決定(未決定、未安心)者の集団と成り、宗制宗法遵守義務、公然放棄の集団と成り果てていることを、さぞ慨嘆していることであろうと思われます。(因みに唯円は『歎異抄』14<『浄土真宗聖典』P,845>に「信心正因称名報恩」義を述べています。)。 合掌
「近年の本願寺派教学に想う」http://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htm
(追、続~続㉟))