西本願寺の御正忌報恩講‘(1月9日~1月16日)が終了しました。
一番大事な儀式と言われます『改悔批判』「浄土真宗において、門徒(信者)が自らの信心(信仰)のあり方を蓮如上人(中興の祖)の教えに照らし合わせ、その正しさを確かめ、仏の教えに帰依することを表明する儀式・行事」が、新しい領解文が取り下げとなりましたので、今回どのようになされるのかと思っていました。
今回は新しい領解文は出されず、従来の領解文による一同出言がなされ、御門主(もんしゅ)の代理を務める「与奪者(よだつしゃ)」からは「信心正因称名報恩」義の強調・力説がなされました。この点は大変結構であったと思います。
しかしながら、御正忌報恩講の一番大事な儀式であるこの『改悔批判』が今は全く形式ばかりの形骸化したものになっているのであります。
繰り返しますが、1970年頃龍谷大学の真宗学の教員2名が宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義に対して反対運動を始めました。私はこの運動には反対でしたので論文や宗教新聞に反対意見を述べました。そのうちこの問題は教団全体の問題となり、宗会が勧学寮に説明を求めることになったのです。
これについての勧学寮の回答(1981年)は両氏の主張に疑念はあるが、現時点では異義(疑義)と断定することを保留し、今後の教学活動を見守るということでありました。ところが、両氏はまもなく本願寺の基幹運動の本部員に選ばれ、一人は要職である監正局に選ばれたのであります。その上一人の晩年の著書『親鸞の真宗か蓮如の真宗か』(方丈堂出版、2014、12。P,248)に「従来の宗学を批判している等の内容の建白書が寺院住職から宗会議長に提出され、宗会の全員賛成により採決、最終的には、1981(昭和56)年3月の定期宗会における勧学寮回答もって決着」と書かれているのであります。
上述のようにこの時の勧学寮の回答は「両氏の主張に疑念はあるが、現時点では異義(疑義)と断定することを保留し、今後の教学活動を見守る」ということでありました。それで私はこの「最終的には、1981(昭和56)年3月の定期宗会における勧学寮回答もって決着」と書かれている文を見た時、最初は著者が自分の都合の良いように書いた誤りであろうと思っていました。
新たな宗法では(平成24<2012>年4月1日施行)では宗法第59条3に「勧学寮は、宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対し、教諭する。」と定められているのであります。それで私は勧学寮、総局に再三信心正因称名報恩義反対者に対して教諭を要請したのですが、勧学寮も総局も一向に動こうとはしなかったのです。何故だろうかと疑問に思っていたのですが、私はやっとその理由に気付いた次第です。『親鸞の真宗か蓮如の真宗か』(方丈堂出版、2014、12。)の著者が「1981(昭和56)年3月の定期宗会における勧学寮回答もって決着」と書いていることが間違いではなく事実であったと言うことに。即ち勧学寮も総局も宗制教義に定められている「信心正因称名報恩」義に反対する者に何の指導も処置もせず、これに賛同し教諭どころかむしろ優遇したのでありますから、とんでもない過失を犯したのであり、特に勧学寮は「宗制宗法遵守義務放棄」という「破和合僧」の大過集団ということになるのであります。このことは教団の将来を考える上で、全教団人でよくよく考慮しなければならないとことと思います。
『改悔批判』は「信心正因称名報恩」義を述べる「領解文」を一同が出言し、内容の説明がなされるものでありますから、形式が重んじられてきたものかもしれませんが、勧学寮が「信心正因称名報恩」義反対意見に賛同した「1981(昭和56)年」以降も今回まで全く同じ形式で行われたのであります。(新領解文が騒動になった2024年と2025年は新旧領解文併用)。「信心正因称名報恩」義反対意見に賛同しながら、『改悔批判』では「「信心正因称名報恩」義を強調する領解文の唱和解説を続けた勧学寮の姿勢はまさに杜撰、欺瞞であり、御正忌報恩講における一番大事な儀式である『改悔批判』を全く形骸化してしまった勧学寮の責任は極めて甚大であると思います。
それから、ついでに申しますが、近年『領解文』の中の「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、」とあります「存じ」について、これは衆生(我々凡夫)の自知(確信)の出来るものではないと述べて十劫安心、無帰命安心、生涯不決定を主張する意見がありますが、これも大変な誤りであります。 合掌
(最初~続㊲)
「勧学寮は今回の混乱の責任を取るべきだ」