悪人正機説と悪人正因説
 ー平 雅行氏の所論を縁としてー
                          紅楳英顕
  はじめに
 私は以前に「歎異抄第三章についてー悪人正機説の始祖の問題に関連してー」、「歎異抄の中心問題」と題して、今回の論題に関連する私見を述べた@。
近年平 雅行氏が「法然の思想構造とその歴史的位置」、「専修念仏の歴史的意義」、「解脱貞慶と悪人正機説」(『日本中世の社会と仏教』塙書房、一九九二刊所収)、および「親鸞の善人観悪人観」(『親鸞とその時代』法蔵館、二○○一刊所収)等の論考を発表し、親鸞の悪人往生説は悪人正機説というべきではなく悪人正因説というべきであるとの見解を述べた。親鸞の思想を悪人正機説というより悪人正因説というべきとする意見は以前からあったAが、平氏の主張は以前のものとは異なるものであり、悪人正機説とは善人悪人の救済順位を問題にしたもので「彌陀はプラス価値の善人を傍機とし、マイナス価値の悪人を正機とする」もので、民衆を愚民視したものであるが、悪人正因説とは善人悪人の価値の優劣を問題にしたもので「マイナス価値の善人(疑心の善人)でも往生、況やプラス価値の悪人(他力の悪人)はいうまでもない」とするもので、親鸞は善人より悪人がプラス価値があるとし、悪の自覚のない者には化土往生という宗教的懲罰を下すとする独自の視点によるものであるB。興味深いものではあるが、賛同し難いところもあるので、私見を述べたいと思う。
  一、貞慶(顕密仏教)における悪人正機説
法然の聖道門諸行を廃した本願念仏(勝易二徳)一行専修の主張は聖勝浄劣、観勝称劣とする当時の顕密仏教(貞慶、高弁)にとって到底容認できるものではなかったC。
 貞慶は『興福寺奏状』第七失の下に
   善導一期の行ただ仏名に在らば、下機を誘ふるの方便なり。(中略)ただ余行をすつるを以て専とし   手を動かす以て修とす。謂ひつべし「不専の専なり、非修の修なり」と。虚仮雑毒の行を憑み、 決定   往生の思ひを作さば、寧ぞ善導の宗、彌陀の正機ならんや。(鎌倉仏教〈日本思想体系〉三九頁)
等と述べて、称名(口称念仏)は下機を誘う方便であり、ただ余行をすてるだけは「不専の専なり、非修の修なり」といい、そんな雑毒虚仮の行を憑んで決定往生のおもいをなすことが、どうして「善導の宗、彌陀の正機」ということができようかと述べている。
また高弁は『摧邪輪』巻下、第二過失の下に
   往生宗所引の念仏の善の証文には称名の外に無量の余行あり、一一出すに遑あらず、若し彼を撥   すれば念仏の深義また成ずべからず、若し汝の言う所の如く一文を守らば称名行は是れ下劣根機    の為に説く所也、(中略)称名一行は下根の一類の為に授くる所也、汝何ぞ天下の諸人を以て皆下   劣の根機と為す乎、無礼之至り称計す可からず、此の文証を引くに依りて称名行を執らずに非ず、唯   是汝之一門、称名を以て無上殊勝の行と為し、余行を撥して下劣と為す、(浄全八の九五)
等と、往生宗(浄土教)で所引の念仏の善は称名(口称念仏)の外に無量の余行があるのであり、称名行は下劣根機の為に説かれたものである。これを諸人に説くとは天下の諸人を皆下劣根機とするのであるか、全く無礼千万なことである。称名行を否定するのではないが、称名を無上殊勝の行とし余行を撥して下劣の行とすることは間違いである、と述べているのである。
 このように法然の専修念仏を非難した貞慶、高弁(顕密仏教)の立場は易行(他力)の称名)を下根の為の劣行とし、難行(自力)の諸行(余行)を上根の為の勝行とするのである。そして上引の『摧邪輪』に「称名一行は下根の一類の為に授くる所也、汝何ぞ天下の諸人を以て皆下劣の根機と為す乎、無礼之至り称計す可からず、」と述べているように自己を上根の自力修善可能の機とする立場なのである。これは法然の「わがごときはすでに戒定慧の三学のうつわ物にあらず」(「諸人伝説の詞」、真聖全四の六八○)、親鸞の「修善も雑毒なるゆへに 虚仮の行とぞなづけたる」(『正像末和讃』、真聖全二の五二七)「蛇蝎?詐のこころにて 自力修善はかなふまじ」(『同上』同上五二八)等と述べて自己を自力修善を不可能、とする立場とは全く異なるものである。
 このように法然、親鸞と全く立場をことにするのが貞慶であるが、平氏は貞慶が建久七(一一九六)年二月に執筆した『地蔵講式』に「利益の世に新たなるや、末代ほとんど上代に過ぎ、感応の眼に満つるや、悪人かえって善人に超ゆ」とあり、また貞慶の思想を承けている弟子覚遍の作と考えられる『鳳光抄四之二』所収の建暦二(一二一二)年九月の春日社唯識十講第七座表白に『地蔵講式』とほぼ同文の「霊術の世に被るや、末代ほとんど上代に過ぎ、感応の眼に満つるや、悪人かえって善人に超ゆ」等、と地蔵菩薩や春日大明神に悪人を中心的救済対象とする悪人正機説が述べられていることを取り挙げ、貞慶に悪人正機説の思想があったと主張する。
 このように平氏は専修念仏を厳しく批判した貞慶に『興福寺奏状』執筆(元久二〈一二○五〉年)以前から悪人正機説が語られていたのであり、悪人正機説は顕密仏教の世界にも流布していたと述べるのであるD。
 平氏も指摘するように善人より悪人が救いの目当てであるとする悪人正機の思想は浄土教においては古くからあったのであり、中国唐代の迦才の『浄土論』に「浄土宗の意は、本は凡夫の為、兼ねて聖人の為也」(浄全六の六四三)とある。これが後代の法然、親鸞へと展開され、他力思想、悪人(凡夫)思想が深化されたのであるが、浄土教者においては内容の相違はあれ自己を下機の悪人(凡夫)とする立場である。これに対して貞慶(顕密仏教)の立場は上に論じたように自己を上機の自力修善可能の者とするものである。従って平氏の指摘のように貞慶の著等に地蔵菩薩や春日大明紳、の悪人正機説が述べられていても、自己をその御利益を頂く下機とするのではなく、自己を上根の自力修善可能の者としているのであるから、浄土教者のいう悪人正機説とは明らかに内容の違うものであるE。このような自己を上機とし悪人を下機と見下す悪人正機説ならば、はまさに平氏のいう「民衆の愚民視を随伴した救済論」ということになろうF。 
  二、親鸞における悪人とプラス価値
 親鸞の人間の見方については『教行信証』「行巻」に
   其の機は則ち一切善悪大小凡愚也(真聖  全二の四三)
とあり、『正信偈』には
  一切善悪凡夫人(真聖全二の四四)
とあるように人間に善人と悪人とがあるとする世間的見方と『教行信証』「信巻」に
   一切の群生海无始自より已来た乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心无し、虚仮諂    偽にして真実の心无(真聖全二の五九)
とあるように、一切の群生全てが罪悪なる存在(悪人)と見る宗教的見方とがある。真摯に自己を内省した親鸞においては後者の宗教的見方を主とするものであったと思われる。 親鸞が如何に自己内省が深い人であったかは諸処に窺われるのであるが『唯信鈔文意』に
  具縛の凡夫、屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の誓願、広大智慧の名号を信楽 すれば、煩悩を具  足しながら、无上大涅槃にいたるなり。(中略)これらを下類といふなり。。かようのあきびと漁師さま   ざまのものは、みないし・かはらつぶて  のごとくなるわれらなり。(真聖全二の  六二九)
とあるように「かはらつぶてのごとくなるわれらなり」と自分自身を最も罪の深い悪人とするのである。そして『教行信証』総序に
  世雄の悲正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。( 真聖全二の一)
と、仏(彌陀)の大悲は最も罪の深い五逆・謗法・一闡提の自分(親鸞)のような極重悪人の者こそを第一に救うと述べるのである。これはまさに悪人を救いの目当てとする悪人正機説であり、平氏のいう「彌陀はプラス価値の善人を傍機とし、マイナス価値の悪人を正機とした」ものに相当するものでもある。しかしこれは自己を最下機の極重悪人とするところのものであり、この点が貞慶の自己を上機の自力修善可能の者とする立場とは全く異なるものであり、平氏のいう「民衆の愚民視を随伴した救済論」ということはできないものである。
 『教行信証』「信巻」に逆謗闡提の救済について
  今大聖の真説に依るに難化の三機、難治の三病は大悲の弘誓を憑み利他の利他の信海に帰すれば  斯を矜哀して治す、斯を憐憫して療したまふ。喩えば醍醐の妙薬の一切の病を療するが如し。(真聖   全二の九七)
と述べ、また上引の『唯信鈔文意』の「かはらつぶてのごとくなるわれらなり」とある文の前には「具縛の凡夫、屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の誓願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら、无上大涅槃にいたるなり」とあるように、極重悪人(難化の三機、難治の三病。具縛の凡夫、屠沽の下類。) である自己が本願他力の信心一つで救われることを強調しているのである。法然の『選択集』 一一讃歎念仏章に
   下品下生は是五逆重罪人なり。而るに能く逆罪を除滅するには余行の堪えざる所なり。唯念仏之力   のみ有りて能く重罪を堪えたり。故に極悪最下之人の為に而も極善最上之法を説く。(真聖全一の    九七二)
と述べているように、自己を「極悪最下之人(機)」とするのであり、これは親鸞においても全く同様であり、法然、親鸞において自己(極重悪人)をプラス価値の存在とする傾向は全くないと思われる。
   三、『歎異抄』第三における善人と悪人
 悪人正機説(正因説)の根拠とされる『歎異抄』第三には     
   善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人  をや。しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、   いかにいはんや善人をや。この條一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。  そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、彌陀の本願にあらず。   しかれども自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。   煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて願を   おこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。   (真聖全二の七七五)
とある。これと類似の文が源智の『醍醐本法然上人伝記』(昭和新修法全四五四頁)と覚如の『口伝鈔』(真聖全三の三一)にある。平氏も指摘するようにこの二文には彌陀の救済順位による善傍悪正の悪人正機説が述べられており、悪人にプラス価値があるとするような見解はない。「そのゆへは(中略)他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり」とある意の文は『歎異抄』のみにあるものでありG、この文が平氏に限らず悪人正因説主張の根拠となるものである。そこに「そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、彌陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば真実報土の往生をとぐるなり」とあるのであるが、この文は法然門下の他力強調派(安心派)であった親鸞が貞慶、高弁の法然の主張に対する非難に対し、他力的に対応することによって生じた独自の釈顕である「三経隠顕釈」、「願海真仮釈」の「願海真仮釈」によって、とくに自力真門(二十願)と他力弘願(十八願)とを厳しく分別したH、このことが深く関連していると思われる。
 周知のように親鸞は『教行信証』「化土巻」、晩年の『正像末和讃』の誡疑讃にみられるように自力真門の機(自力作善のひと)は化土にしか生まれることができないとして自力のこころを厳しく戒めて他力弘願に入る(他力をたのむ)ことを勧めているのである。
  『歎異抄』第三冒頭の「善人なをもて往生をとぐ」の善人とは自力作善のひとであり、しかも「ひとへに他力をたのむこころのかけたる」とあるところから単なる自力作善のひとではなく自力真門(二十願)の機を意味していると考えられる。これは前の機会に論じたがI、唯円が『歎異抄』の総結に「かなしきかなやさいはいに念仏しながら、直ちに報土に生まれずして辺地にやどらんこと」(真聖全二の七九三)と述べているように、念仏しながら自力のこころの残る真門の機を歎いていることから、明らかであろう。
 平氏も指摘することであるが親鸞は『教行信証』「化土巻」真門釈下に
   凡そ大小聖人、一切善人本願の嘉号を以て己が善根とするがゆへに、信を生ずること能はず、仏智   を了らず、彼の因を建立せることを了知すること能ざるが故に報土に入ること无き也。(真聖全二の     一六五)
とあり、また『正像末和讃』誡疑讃に
  罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは疑心のの善人なるゆへに 方便化土にとまるなり(真聖全二  の五二四)
等とあるように、自力修善のひとを善人と述べ、真実報土に生まれることができず方便化土にしか生まれることができないと述べている。これが『歎異抄』第三における自力修善の善人であり、自力真門の機なのである。そしてこの真門の機について『教行信証』「化土巻」には「良に傷嗟すべし深く悲歎すべし」(真聖全二の一六五)と述べ、『正像末和讃』誡疑讃の終わりには「已上二十三首、仏不思議の彌陀の御ちかひをうたがふつみとがをしらせんとあらはせるなり。」(真聖全二の五二五)と述べているのであり、親鸞は自力真門の機に対し悲歎と戒めのこころをもっていたのである。
 それから悪人については「他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり」とあるように悪人とは他力をたのみたてまつるひと、即ち他力弘願の機のことである。「もとも往生の正因なり」については『歎異抄』の最初の註釈書である円智の『歎異抄私記』に
  もとも往生の正因とは、これ悪を往生の正因といふにはあらず、悪人ながら本願  をたのめばもとより  造悪のための悲願なるゆへ、決定往生とぐるなり、これ悪人ながら願をたのむ信心を、往生の正因と   いふなり。(上二八右)
とあるように、当然のことであるが、悪を往生の正因というのではなく、信心を往生の正因とするという意味である。
 平氏はこれらに関して
  悪人正因説とは信心正因説の逆説的表現で、平等的悪人たることに無自覚な不信仰者に方便化土   往生という宗教的懲罰を下す党派的思想てあるJ。
等と述べて、親鸞の悪人正因説は平等的悪人たることを自覚しない自力修善の者(疑心の善人)に対して方便化土往生という「宗教的懲罰を下す党派的思想」というのであるが、このことは上論のように親鸞が自力修善の者(疑心の善人)に対して方便化土にしか往生できないと述べたのは「宗教的懲罰」ではなく、自力修善の者(疑心の善人)に対する悲歎であり、あわれみなのである。「他力をたのみたてまつる悪人」とは他力弘願の機であり、親鸞自身のことである。上述のように親鸞は『唯信鈔文意』には自分を「具縛の凡夫、屠沽の下類」といい、『歎異抄』第二には「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(真聖全二の七七四)とあくまでも自己を極重悪人、極悪最下之人(機)とみたのである。そこに自己をプラス価値とする思いはなかったと思われる。もとも親鸞は信心決定することにてより、現生正定聚の位に住することを主張し、信心のひとを「如来とひとし」、「彌勒におなじ」と呼ぶのであるから、このことでいえば悪人(他力の悪人)プラス価値ありとしたことになるが、ここの「他力をたのみたてまつる悪人」の「悪人」は信後の機について言っているのではないのであるからプラス価値のある者として語ってはいない。『末灯鈔』三に「真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、こころはすでに如来とひとしとまふすこともあるべし」(真聖全二の六六一)とあるところからも明らかなように、この身は「不浄造悪の身」とあくまでも自己をみたのが親鸞であったのである。
   四、親鸞における真門と弘願
 顕密仏教(貞慶、高弁)の法然の専修念仏に対する非難に対応せんとしてなされた親鸞の独自の釈顕が「三経隠顕釈」であり、「願海真仮釈」(三願真仮釈)であるが、これより生じた真門(二十願)方便と弘願真実、(十八願)との峻別が悪人正因説に大きな影響をあたえているのである。『歎異抄』第三の「自力修善のひと(善人)」が化土往生しかできない二十願の機であり、これが『教行信証』「化土巻」の「大小聖人、一切善人本願の嘉号を以て己が善根とする」、『正像末和讃』誡疑讃の「罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは疑心の善人なるゆへに」とある二十願の機である。そして「他力をたのみたてまつる悪人」が十八願の機なのである。二十願の機は化土にしか生まれることができないのであり、また
  専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず(真聖全二の一六五)
とも述べるように大慶喜心(真実信心)を獲られないことに悲歎と誡疑のこころをもつのみであり、懲罰のこころは全くないといえよう。
   むすび
 前に述べたが『歎異抄』第三に類似した内容が『醍醐本法然上人伝記』と覚如の『口伝鈔』にある。しかし「そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、彌陀の本願にあらず、しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば真実報土の往生をとぐるなり」と述べて、二十願自力真門の機を善人とし真実報土の往生はできないとしているのは『歎異抄』のみである。このことは『歎異抄』第三の文が親鸞の言葉であることを示していると考えられるK。そして「しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば真実報土の往生をとぐるなり」とあるのが二十願自力真門の機を化土往生とすることが決して懲罰ではないことをしめしているのである。また平氏が親鸞がプラス価値があるとしたという他力の悪人(他力をたのみたてまつる悪人)は真実報土に往生する十八願他力弘願の機であり、親鸞自身のことでもあるが、親鸞の意識においては「いづれの行にても生死をはなるることあるべからざる」地獄一定の極悪最下の自己に他ならないのであり、プラス価値の想いは全くなかったといえようL。 
 尚、平氏は「親鸞の信心の中核は機の深信、つまり悪人であることの自覚です。とすれば、悪人であることの自覚が往生の正因と言ってもよいでしょう」(『親鸞とその時代』、一五八頁)と述べて、「悪人であることの自覚」が信心であるかのように述べているが、法の深信(本願を信ずるこころ)のない信心があるはずはないのである。この信心理解に親鸞が悪人をプラス価値としたとする氏の所論の問題点があると思う。
@拙稿『歎異抄』第三章についてー悪人正機 説の始祖の問題に関連してー」(印度学仏 教学研究四   八の二、二○○○、三)。「歎 異抄の中心問題」(印度学仏教学 研究五 七の二、二○○九、三)。
A家永三郎『中世仏教思想史研究』(法蔵館、 一九六六、六刊)親鸞の宗教の成立に関す る思想的   考察〈二頁以下〉。『同』親鸞の 念仏〈二三三頁以下〉。重松明久『日本浄 土教成立過程の研究』(   平楽寺書店、一九 六四、三刊)第四編親鸞の思想とその社会 的立場〈五○○頁 以下〉。
B『親鸞とその時代』一三六頁。『日本中世の社会と宗教』Y専修念仏の歴 史的意義、二三二頁。同二  三四頁。プラス価値、マイナス価値という語句は後年の「親鸞の善人観悪人観」『親鸞とその時代』    にある。
C拙稿「真宗仏性論の一考察」(『龍谷大学 仏教文化研究所紀要』第八、一九六九、九)。同「善導     浄土教と法然浄土教ー貞慶 ・高弁の反論を参考としてー」(『龍谷大学仏教文化研究所紀要』第九、  一九七○、七)。
D 『日本中世の社会と宗教』(塙書房、一九 九二、一一刊、二六六頁以下)Z解脱貞慶と悪人正機。    『親鸞とその時代』(法蔵 館、二○○一、五刊)、悪人正機説、顕密仏教と悪人正機説一三二頁     以下。
E上引の『興福寺奏状』に「善導の宗、彌陀 の正機」といえるであろうか、と述べているように貞慶は浄  土教の下機も彌陀の正機とは認めないのである。
F『親鸞とその時代』一三六頁。
G佐藤正英氏は『歎異抄』第三の「しかるを、 世のひとつねにいはく」以下をすべて親鸞の言葉でなくて  唯円の言葉だとする。 (『歎異抄論釈』〈青土社、五九二頁〉)。 賛成しかねるので、ここでは親鸞の  言葉と して扱う。
H拙著『浄土真宗がわかる本』第二章第一節 第二項本願観第三項浄土三経観(教育新潮 社、一九九  四、十二刊、四五頁以下)
I註@拙稿「歎異抄の中心問題」
J『日本中世の社会と宗教』Y専修念仏の歴史的意義、二三四頁。
Kこのことが註Gの佐藤氏の意見に賛成し難 い点である。
L親鸞は信心獲得したひと(信後のひと)は「如来とひとし」、「彌勒におなじ」等と高い価値を述べているが、「自力作善のひと」と「他力をたのみたてまつる悪人」との対比の場にはそれはない。
 〈キーワード〉悪人正機、悪人正因、善人、悪人    (相愛大学名誉教授)
(印仏研究第59の2<平成23年3月刊>)