浄土真宗における信前信後について
紅楳 英顕

一 問題の所在
 
 浄土真宗(とくに本願寺派)においては、三業惑乱の影響で、信一念の自覚の有無については語ることが避けられたが、
信前信後の分別は、されてきたのである。二〇〇八(平成四月一日)に全文変更された宗門の最高法規である「浄土真宗本願
寺派宗制」にも「信心決定の上は報恩感謝の思いから、仏徳を賛嘆する称名念仏を相続する。これを信心正因、称名報恩とい
うのである。」と述べられており、信前信後の分別は語られている。
 ところが近年信前信後の分別が曖昧となり、本願寺派において昭和十六年(一九四一年)以降、宗制教義に定められている
信心正因称名報恩義(信後の称名は報恩行)に反対する意見がまかり通っているのである。(信楽峻麿『真宗求道学』法藏館、
二〇一一年、等。信楽氏岡氏の宗制教義に反する信因称報義批判は一九七〇年代に問題となり、勧学寮に裁断が求められた
が、当時の勧学寮頭桐渓順忍氏は一九八一年に信楽氏に対しては異義断定保留、岡氏に対しては疑義断定保留として具体的に
は何もなされることはなかった。その後二〇一二年四月施行の宗法には「宗制に定める教義に相異する義を主張した者に対
し、勧学寮が教諭する」と定められたが、やはり何もなされなかった。)
 信前信後の曖昧さより生ずる問題は念仏に限られたことではないが、(真宗者の倫理性、社会性を論ずる上でもこの事の整
理が必要である。)ここでは念仏の問題を通して混乱の根本原因がどこにあるかを考察したいと思う。

二 獲信(信心決定)の覚不覚の問題
 
 三業惑乱(一八〇六年終結)で獲信の年月日時の覚不覚を論ずることが問題とされ、獲信の日時の記憶がなければならない
とする主張が一念覚知の異義とされたのであるが、獲信の覚(自覚)が否定されたのではない。獲信の覚を否定することは
寧ろ十劫安心(無帰命安心)の異義とされているのである。このことは重要なことと思われる。(拙稿「信一念と信の覚不に
ついて」『印度学仏教学研究』五五・二、二〇〇七年、 「親鸞浄土教における救済の理念と事実」『印度学仏教学研究』五六・
二、二〇〇八年、等参照。
 信心不覚の根拠として『歎異抄』に第九の「親鸞もこの不審ありつるに」(真聖全二の七七七)や『蓮如上人御一代記聞書
二一三』に「心得たと思ふは心得ぬなり、心得ぬと思ふはこころえたるなり」(真聖全三の二一三)がよく挙げられているが、
『歎異抄』第九は親鸞が自分も過去に不審があったということであり、今もあると言うことではないのである。(『日本国語大
辞典』第二版第一巻、二〇〇六年、六五五頁、参照)。親鸞には「信心決定」「往生一定」の自覚はあったのである。『蓮如上
人御一代記聞書二一三』の言葉も、自力で心得たと思ったらまちがいだということである。親鸞と同様、蓮如も「信心決定」
「往生一定」の自覚はあったのである。(右記、拙稿参照。)
 因みに、一九八一年に信楽氏に対しては異義断定保留、岡氏に対しては疑義断定保留として具体的には何もなさなかった当
時の勧学寮頭が、その翌年に「庄松同行に、お前は信心いただいているか、ときいたら、私にきいてもわかりません。聞くと
ころが違いますよ。阿弥陀様に聞いてください、と申したとつたえられております。」(『信心について』探究社、一九八二年、
四六頁)と述べて、庄松同行に獲信の自覚はなかったように語っているのである。しかし『庄松ありのままの記』には、ここ
で庄松同行は「へエ、いただきました」(永田文昌堂、一九六一年、四七頁、等)と獲信の自覚を述べたとあるのである。こ
のことは極めて重大なことと思考する。(第6部会 P,280)。