「現世からのすくい」     
           相愛大学教授     紅楳英顕

 親鸞聖人の教えの特色のひとつが現世からのすくいの強調であります。それまでの浄土教のすくいは来世のみといわれても仕方のないものでありましたが、親鸞聖人は経文の当面では、死後浄土に生まれてから住すとなっている彼土正定聚(ひどしょうじょうじゅ)を独自の読み方をすることにより、現世における信心獲得(しんじんぎゃくとく)のときに正定聚に住するとする現生正定聚 (げんしょうしょうじょうじゅ・現世において往生成仏が定まったなかま)を主張されたのであります。このことは親鸞聖人が現世のすくいに如何に強い確信をもっていたかを知ることができるのであります。 

 『歎異抄(たんにしょう)』第一章に
  「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもひたつこころのおこるとき、
   すなわち摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にあづけしめたまふなり。」
とありますように、本願を信じて念仏しようとするこころがおこったとき、摂取不捨の利益(仏の光にすくいとられた利益)にあづかると述べられているのであります。
 このことが現生正定聚 の位にいることでありますが、この「摂取」について親鸞聖人『浄土和讃』に、「ひとたびとりてながくすてぬなり」と左訓をつけられています。すなわち、信心決定(しんじんけつじょう)の身となり、ひとたび現生正定聚の身となったならば、たとえ何が起ころうとも、自分が往生成仏することは、絶対間違いないという確信をもっていたのであります。当然のことながら大安堵(だいあんど)のこころにも住していたのであります。


 親鸞聖人は『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』に
  「凡夫というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、
   臨終の一念にいたるまで、とどまらずきえず、たえず」
 と述べておられますように、深くご自分を内省され、命の終わるまで煩悩のなくならない自分であるといわれました。
 それで死ぬまで往生の確信をもつことができなっかたのではないか、という意見がありますが、これは大変な誤りであります。本願他力のすくいにより往生一定(往生は絶対に間違いなし)の安堵心に住し、仏に対する感謝のこころやすくわれたよろこびのこころにも恵まれるのが浄土真宗 のすくいであります。
このよろこびを親鸞聖人は、崩れることも、うそでもない、本当の大きなよろこび、ということで大慶喜心(だいきょうきしん)といわれています。   

 人生は苦なりとはいうものの色々なよろこびもあります。しかし、そのよろこびはかならず崩れるものであります。営々として築き上げた如何なる名誉・地位・財産も必ず崩れさるときがくるのであります。
 一農民より身をおこし、天下人にまでなった豊臣秀吉が遺した辞世の句が「露と落ち、露と消えぬるわが身かな、浪速のことも、夢のまた夢」という言葉でありました。このように、如何なるものも、如何なるよろこびも、すべて崩れさっていくのでありますが、ただ絶対に崩れることのないよろこび、それが仏のすくいのよろこびであります。
 脳腫瘍のため余命わずかの状態でありました、ある浄土真宗の篤信者が「われ半身不随なれど、右手あり、右足あり。われ脳腫瘍なれど、色あり、音あり、味あり。これもやがて消えゆく身なれども、み仏あり、浄土あり、大悲あり。われ幸せなり。」と述べています。ここにあります「み仏あり、浄土あり、大悲あり。われ幸せなり。」とありますのが、絶対に崩れることのない、また絶対にうそでないよろこび、すなわち仏のすくいのよろこびである大慶喜心であります。

 それから 浄土真宗 の篤信者の言葉に「生きてよし、死してよし。」とあります。この言葉がまた浄土真宗 の信仰によってのみ恵まれる本当にすばらしい世界だと思います。上に述べましたように、現世からの大きなすくいに恵まれるのが浄土真宗のすくいでありますから、当然のことではありますが、浄土真宗 の篤信者、お軽同行(おかるどうぎょう)の言葉に「重荷背負うて山坂すれど、ご恩思えば、苦にゃならぬ。」とあります。これがまさに「生きてよし」の世界であります。
 それに加えて「死してよし」の世界があるのですが、これも浄土真宗 の篤信者でありました江戸時代の俳人小林一茶の句といわれているものに「かたつむり、どこで死んでも、我が家かな」とあります。すなわち、かたつむりがどこで死ぬことになっても、自分の家の中であるあるから何の心配もないのと同じように、浄土真宗の信仰に生きるひとは、つねに仏のすくいの中にあるのだから、いつどこで死んでも何の心配もない、と述べているのであります。

 広い中国を最初に統一したのは秦の始皇帝であります。彼の築いた壮大な万里の長城、彼の大軍団を模した兵馬俑等よりその権勢の大きさを知らされます。恐らく人類史上最高の権力者といっていいのではないでしょうか。
 ところが、この始皇帝にさえ思いのままにならない苦しみがありました。それは何であったかといいますと、自分もだんだん老い、そして死ぬということでありました。彼は不老長寿の妙薬を必死で探し、そのために家臣の徐福を日本にまで遣わしましたが、ついに適わず、50才で亡くなりました。
 現在、和歌山県の新宮市に始皇帝の命で日本に渡り、不老長寿の妙薬を探し出せずに、日本で没した徐福の墓といわれているものがあります。
このように、人類史上、最高の権力者であったと思われる始皇帝でさえも得ることのできなかったのが「生きてよし、死してよし。」の世界であります。これはただ、浄土真宗の信心によってのみ恵まれる世界であります。 ( 大阪・浄願寺H・P、H、12,4)。