浄土真宗との出遇い 紅楳英顕
私はこの三月で二十六年間勤めさせて頂いた相愛大学が定年となった。今まで余り意識することはなかったが、さすがに歳月の経過を感じさせられる。
先日(二月二十二日)、これも最後のこととなるのであるが、帰敬式を受ける学生の引率者として本願寺に参拝した。本願寺の正門前から堀川通りに目をやった時、これも今はもうその旅館はないが、丁度五十年前大学生となって初めて上洛し宿泊した時のことを思い出した。上洛以来、五十年が過ぎたのである。
この五十年、色々な事があったが私にとっての一番大きな出来事は浄土真宗との出遇いであった。私は浄土真宗の寺院(大分教区耶馬渓組雲西寺)の生まれであり、長男でもあったので、浄土真宗についてそれなりの知識はあった。その意味では上洛以前にすでに出会いはあったといえるかも知れないが、正式に教えを学んだのは大学生となった上洛以後のことである。そして浄土真宗と出遇うことが出来たのである。このことは何にも変えられない大きな出来事である。
何故私がこのことを「出会い」といわずに「出遇い」というかといえば、親鸞聖人は『教行信証』「総序」に
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしい哉、西蕃 月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞き難くしてすでに聞くことを得たり。真宗
の教行証を敬信して特に如来の恩徳深き ことを知んぬ。
と述べられて、浄土真宗の教えに遇う事が出来たことと聞くことができたことの慶びを述べられているのである。ここでの聖人のお言葉は「会う」ではなく「遇う」と書かれている。また『一念多念文意』には
「遇」はまうあふといふ、まうあふと申すは本願力を信ずるなり。
とも述べられている。すなわち親鸞聖人において「遇う」ということは単なる出会いではなく信ずること(獲信)を意味しているのである。私が「出会い」といわずに「出遇い」というのはこのためである。
このことは「聞く」についても同様である。『教行信証』「信巻」末に
聞といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。
と述べられているように、聞ということもただ聞くということではないのである。また『一念多念文意』には
きくといふは、本願をききて、うたがふこころなきを聞といふなり。
とも述べられているように、聞も信とひとつになっているところを聞といわれているのである。聞即信といい、きくままが信であるといういいかたがよくされるが、本当の意味での聞はきいて疑いがとれ信とひとつになっているものをいうのである。『教行信証』「総序」に聖人が「遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞き難くしてすでに聞くことを得たり。」と述べられているのは一般的な意味での出会った、聞いたといわれているのではなく、次下に「真宗の教行証を敬信して特に如来の恩徳深きことを知んぬ」とあるように、浄土真宗の教え(本願)を敬信して(信じて)、そして如来(阿弥陀仏)の御恩の深いことを知る身となったという意味なのである。
近年、「教にあえたよろこび」とか「教えにあえている者のつとめ」とかいう言葉をよく耳にするが、「教えにあう」という意味が間違われてはならないと思う。親鸞聖人の「いま遇ふことを得たり」、「すでに聞くことを得たり」と述べられているのは、ただ単に「あった」、「きいた」といわているのではなく、いますでに信心獲得し如来の御恩の深いことを知ることができた、といわれているのである。
このように親鸞聖人のいわれる「遇う」とは信心獲得するということに他ならないのであり、ただあっただけの未信の状態を「いま遇ふことを得たり」とはいわれてないのである。
信心とは『一念多念文意』に
信心は如来の御ちかひをききて、うたがふこころのなきなり。
と、親鸞聖人は浄土真宗の信心とはなにかについて簡潔に述べられている。『歎異抄』第一には
彌陀の誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信じて念仏まふさんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。
とあるように、本願を信じてうたがいのないこころ、本願にたすけられて往生をとぐると信ずるこころのことであり、この他のことではないのである。このごろ親鸞聖人の自己内省の心と信心とを混同して命ある限り煩悩のある限りは本願をうたがう心はなくならないという意見を聞くことがあるが、これは大変な間違いであり、本当の意味での出遇いを経験していない未信者の見解である。
蓮如上人は『御文章』に
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候。
と述べられているように、浄土真宗においては信心獲得こそが肝要であり親鸞聖人のいわれる「遇ひがたくしていま遇ふことを得たり」といわれる「遇う」とはこのことなのである。
(相愛大学名誉教授,よろこび<2010,6刊,探究社>)